セルフィは目を開けてぎょっとした。
そこが自室でなかったことにでもなく、一人で寝ていなかったことにでもない。昨夜のことはちゃんと憶えている、今回は。隣で身体を起こす気配がして、それに何となく自分も目が覚めて、その流れで目を開けただけだ。ただ、そこに朝の明るい光の中で見るには、かなり恥ずかしいというか、痛々しいというか、申し訳ないと言うか。とにかくそう言ったモノが見えてしまったのだ。自分の仕業ではないと思いたい。だがそうだとするとそれは自分にとって由々しき問題だ。セルフィは腹で唸った。あれは自分の仕業だと、納得せざるを得ないことに。
更にセルフィはそれを言うべきかどうか考え倦ねた。
別に黙っていても構わない類のものだとは思う。放っておけば直に消える。多分本人は知らない。知らないものを、自分がやりましたと、いちいち教えるのもシャクだ。というより、んな恥ずかしいこと言いたくない。
けれど。
この後の相手の行動によっては、他人の口からバレる可能性もある。それは最大級の恥ずかしさだ。そうなる位なら、自分の口から言う方が何倍もマシ。
それとなく本人に聞いてみようか。
「アービン、もう起きるん?」
取り敢えずこれはきっかけ。
「あ、ごめん、起こしたかな。ちょっと喉が渇いただけだから、水飲んだらもうチョット寝るつもり。まだ早いしセフィも寝てなよ」
そうなのか……。そう言われれば、朝にしてはまだ薄暗い。ならばもうちょっと眠りたいかな。いや、そうじゃなくて――。
セルフィはアーヴァインの言葉に素直にまた眠りかける所だった。
「せなか…………」
セルフィはそこをじっと見つめて、触れるように手を伸ばした。
「なに?」
よく聞こえなかったのか、アーヴァインは身体の向きを変えて、セルフィにぐっと近づいてきた。
「え〜と……あ……と」
近づくと同時、伸ばした腕をアーヴァインに握られて意識の大部分をそっちに取られてしまい、セルフィが言おうとしていた言葉はスコーンとどこかへ飛んでいってしまった。それでも残った意識で何を聞くのだったか懸命に思い出そうとする。けれど、悲しいかな、起き抜けでちょっと寝乱れてはいるものの、整った造形は少しも損なわれずそこにあった。そんな顔が間近にあっては、残りの意識はどうしてもそっちへと吸い込まれていく。
どうしてこの男は、こうまで自分を掻き乱すのか。
この無邪気な笑顔は、自分が今そう思っていることなど、きっと露ほども思っていない。
そう思うとセルフィは訳もなくムカついた。
何だって、こんなに――――。
口に出していないとはいえ、その先はたとえ心の中でも続けるのはシャクだった。昨日は自分から会いたいと思ったクセに。だが、昨日は昨日、今日は今日。そうだ昨日はもう過ぎた、今日はまた違った気分になってあたり前だ。セルフィはどんどん自分の都合のよい方向へと考えを進める。だから握られた手を離せと意志を込めてアーヴァインを見遣った。
「なに〜?」
なのに、アーヴァインは相変わらずセルフィの腕も放さず、その視線の意図も多分理解しておらず、ひょっとすると曲解しているのではないかと思うような笑顔をセルフィに向けてくる。
この笑顔には、セルフィもとことん弱かった。
もとより、至近距離でのアーヴァインの笑顔は凄まじい破壊力を持つ。今や「離せ」という簡単な言葉すら失う事態となっていた。そんな状態で口づけなどされようものなら――――。
流されるのは容易い。
『なんでこうなるの〜〜っ』
塞がれた唇では言葉など発せない。心でのささやかな抵抗も、口づけの甘やかにどんどん浸食されていく。こうなってしまったのは自分の所為だと、セルフィはもう思いつきもしない。アーヴァインに手を伸ばし言いかけた内容を、彼は別の意味に受け取ったなどと。
「アービン、だめ〜」
ようやく掴んだ一瞬の隙は、その一言に全力を注いだ。
「どうして? ちがうの?」
セルフィの抵抗にアーヴァインは驚いていた。
「違うってば〜」
長い口づけですっかり上気した顔とは裏腹な言葉に、アーヴァインは少なからず落胆した。
「僕の早とちり?」
「そう……だよ」
アーヴァインの姿が、しゅんと耳を倒し項垂れた大きな犬のように見えて、セルフィの胸の奥がチクンと痛み、それは語気に僅かな躊躇いとなって表れた。アーヴァインは諦めたように息を吐き、セルフィの隣に力なくパタンと倒れ込むと、セルフィの痛みを知ってか知らずか、ぼそっと呟いた。
「午後から外任務」
『うっ』
独り言のように言ったのが、またセルフィの心をチクンとつつく。
「四日間会えない……」
『うぐっ』
チラッと薄目で覗き見たアーヴァインの顔には、乱れた髪が絡みつき、閉じた瞳がよけいに悲しそうに見えた。
『まったく、もう』
アーヴァインには分からないように、心の中で盛大に溜息をつき、セルフィは再びアーヴァインに手を伸ばした。
「いいよ、アービンのしたいようにしても」
「でも ―――― いいの?」
顔に掛かった髪を払うと、また笑顔が見えた。
「けど、いっか……」
「ん、分かってる」
セルフィの言葉は途中でアーヴァインに掻き消された。
「あちゃ〜 また付けてしもた」
「なに〜?」
セルフィはアーヴァインの背中を見あげて、やっぱり自分だったんだと項垂れた。
「ん〜 ごめん、背中にひっかき傷」
アーヴァインの顔は見ないようにして、何とか告げる。
「え、あ!? そうなの!?」
「痛くない?」
「大丈夫だよ。言われなきゃ全然気が付かなかった」
ははははと照れたように笑う様が、妙にセルフィの羞恥を煽った。
「ごめんね、自分でも憶えてなくて……人前で服脱げないよね」
これから外任務に出るアーヴァインに悪いことをしたと、本当にそう思う。
「僕は平気だけど、そうすると恥ずかしいのはセフィの方だよね〜」
アーヴァインは含んだような片笑いでセルフィの方に視線を寄越してくる。それにうっかり絡んでしまったセルフィは、くるんとアーヴァインから顔を背けた。
「ア、アホッ」
恥ずかしさに耐えられず、セルフィは枕に顔を押しつけるようにして毒づいた。
背後でクスッと笑ったような気配がしたが、セルフィは枕をぎゅっと握りしめて気付かない振りを決め込んだ。こういう時のアーヴァインには何を言っても負けてしまう。更に新たな墓穴を掘ることもしばしばだ。ここは何も言わないでやり過ごすのが一番だ。が、たま〜に、黙っていることすら逆手に取られてしまうことがあるのも事実だった。
「わっ、アービンッ!」
丁度こんな風に。
セルフィは背中に触れたのがアーヴァインの唇だということは直ぐに分かった。まさかもうそんなことしないだろうと高をくくっていただけに、仰天した。今度こそアーヴァインを止める為、慌てて頭を動かしたが、それより早くアーヴァインは離れていた。
「これ以上はしないから安心して。これでおあいこだから」
「おあいこ?」
些か肩すかしをくらい、アーヴァインの言った意味もいまいち分からず、セルフィはアーヴァインを見上げた。
「ん、僕と同じトコにキスマークをひとつ。これでおあいこ」
アーヴァインはいつもよりちょっと照れたように笑うと、寝癖でハネてしまったセルフィの髪を指で梳くように撫でた。
こういうことをするから憎めないというか、アーヴァインらしいというか。
小さな、小さな思い遣り。子供の頃からこんなさり気ない優しさを持っている。ひょっとすると女の子よりも繊細で、心のささくれをやんわりと癒してくれるような優しさを、今も変わらずに持ち続けている。これはすごいことなんじゃないだろうか。大人になると忘れてしまいがちな部分のような気がする。
その優しさを受けることの出来る恩恵を、セルフィは本当に嬉しく思っていた。そして願わくば、ずっとこの優しさを向けられるに足る存在でありたいと思う。
「メールしてな」
ほんの数日間だけれど、任務でこの笑顔には会えない。この所普段では考えられない位一緒にいた。それが自分にとってどれだけ心地よい時間だったか、もうすぐ離れなきゃならないと思った今、酷く淋しいことなのだとやっと気付いた。
「うん、もちろん」
「“ここ”で待ってた方がいい?」
「そうしてくれると嬉しい」
「ん、分かった」
アーヴァインの嬉しげな声と共にパタパタと打ち振るシッポが見えるようで、セルフィもちょっと嬉しくなった。
「じゃ行ってくるね」
「気いつけてな」
今度はアーヴァインがセルフィにキスをして、彼は外任務へと出発した。
※-※-※
「おまたせ、じゃ行こっか」
「おう」
セルフィはサイファーの運転するジープに乗ってデリングシティの外れを走っていた。
アーヴァインが任務に行ってから二日目の今日は休日。だが特にこれといった予定もなく、また気力もなくダラダラと過ごして終わることになりそうだと思っていた所へ、耳より情報を聞きつけた。当人はセルフィに聞かせるつもりは全く無かったが、耳聡いというか、タナボタというかそんな感じで、サイファーからとてもワクワクするような情報を得て、セルフィは自分も連れて行けと強引に頼み込んで、こうしてデリングシティまで来ていた。
前回のセルフィの任務で、ターゲットのシッポをがっつり掴むことが出来た。まだその件は完全に解決とは至っていないが、もうSeeDの関わる段階ではない。自分達の掴んだ情報を活かすも殺すも、ここから先は警察の仕事だ。なのであの悪趣味キモキモ男に、セルフィが今後直接関わることはない。
今回サイファーから聞き出した話は、そのターゲットの筋から割れた末端の麻薬売人の情報だった。
「まだ、証拠がないんだけどな、俺の馴染みの場所だってのがどうにもむかつくワケよ」
「で、サイファー様自ら突っ込んで、ギッタギタにしてやるんだね、はりきって手伝うよ〜ん」
セルフィはサイファーの横顔に思いっきり指を突き出して、悪戯っぽく笑った。
「アホか! そんなことしねーよ。昔の俺じゃあるまいし」
「な〜んだつまんないの〜」
セルフィは腕を頭とヘッドレストの間に置いて、大袈裟に溜息をついてみせた。
「きっちりとした証拠を掴みたいだけだ、自分の手でな。正式な仕事じゃないが、スコールにはちゃんと了解貰ってるんだぞ」
「大事な場所なんだ?」
「ああ そうだな」
サイファーはあっさりとなんでもなさげに言ったが、彼が意外と情の厚い男だということを知っているセルフィには、照れ隠しのようにも聞こえた。
「今日は珍しく、ここも晴れてるね」
「ホントだな、珍しい」
顔を真上に向けると、両脇の建物に挟まれるように見えた空は、曇っていることの多いデリングシティにしては、抜けるような青空がどこまでも続いていた。
「サイファー、いつもこの辺で遊んでたの?」
「まあな」
車を駐車場に停め少し歩き幅の狭い路地に入ると、表通りではあまり見られない店が幾つも並んでいた。
いかにも若者の好きそうな、奇抜な洋服を売っているお店にアクセサリーショップ、クラブだとか、ライブハウスだとかもあった。ちょっと怪しげなアクセサリー屋から出て来た若いにーちゃんが、シャツの袖を捲り今いれたばかりの刺青を、満足そうなニヤニヤ笑いで腕を眺めなが歩いている姿に出くわしたかと思えば、道端では鋲の一杯ついた毒々しい服を着た強面のにーちゃん達ががたむろっていたり。派手なメイクと服装のおねーさん方に、じ〜っと見られたり。黒ずくめの退廃的な服装の人達と、それとは反対に白だのピンクだののヒラヒラレースのふんだんに使われた服を着た人達が、入り混じって仲良く歩いていたり。
なんとも雑多で種々様々なものに出会う一角だった。あまりというか殆ど見たことのない光景にセルフィは最初びっくりしたが、慣れると楽しかった。清浄な空間とは言い難いが、嫌いな雰囲気じゃない。年頃も似たような連中ばかりだし、こういうのに憧れるのも何となく理解出来る。
「いかにもサイファーっぽいよね。なんか予想通りで拍子抜け」
「拍子抜けって、お嬢、やっぱ変わってんな。こういうトコはフツーの女の子はもちっとビビるぞ」
「分かってて連れて来たんでしょ〜? それにサイファー一緒だし、あたしこれでもSeeDだよ〜?」
「ま、見た目ほど変わったところでもねーし、危なくもねーけどな。みんな見た目はああだが、悪い連中じゃない。たまに、本気でヤバいのもいるがな。だからあんまり離れるなよ、お嬢。いくらSeeDつっても、一応は女の子なんだからな」
「一応は余計だよ、カワイイ女の子だよ」
「あー そうだったな。一人にだけは可愛くないけどな」
「なんやのそれ!」
「気にスンナ。それより、ホント気をつけろよ。この辺の連中は女の扱いに慣れてる。高をくくっていたら、思わぬ落とし穴に落ちるぞ」
「分かったよ、肝に銘じとく」
珍しくサイファーの真剣な眼差しと口調に、セルフィは冗談抜きで、軽く見てはいけないんだと感じて素直に返事をした。
そんな会話をしながら、セルフィはサイファーと共に情報収集をしてまわった。もっとも、主に動き回ったのはサイファーで、セルフィは一緒に歩いてたまに口を挟んでみたりする程度だったが。
この界隈は本当にサイファーに馴染みの場所らしく、歩いているだけでも結構声を掛けられていた。その度にサイファーは軽い会話の中に巧みに聞きたい内容を織り交ぜ、着々と欲しい情報を得ていた。その様を隣で見ていて、セルフィは本当に彼が正SeeDでないのが残念でならなかった。
確かに自分と一緒に試験を受けた頃は、全く協調性に欠けていて、SeeDには向かないと思った。だが、その後サイファーの身に起こった出来事は、大きく彼を成長させた。多分自分達と同じ位、むしろ敵側にいた彼の方が多く辛酸を舐めた分、人間的には飛躍的に成長したのではないかと思う。バラムに帰って来てからサイファーの傍にいてそう感じた。表面的には以前と変わらず、誰にも媚びない、誰にも膝を折らない、孤高の肉食獣のような強烈な気を纏っている。サイファー自身あまり馴れ合うような関係性は好まない質のように見受けられるので、それは本人にとって好都合なのだろう。だが、その内面を知っているセルフィとしては、本当は情に厚くて、責任感の強い人なんだよと、声高に触れて回りたかった。そんなことをしたら、多分、絶対、鬼斬りを喰らうのは必至だろうから言わないだけで。
『でも、その位置まで近づくのが大変なんだよね……』
サイファーに近づくのは、並大抵の根性では為し得ないのは確かだ。だったら余計なことは、言わなくて正解なのかなとセルフィは結論づけた。
丁度その頃、この界隈にしてはこざっぱりとした好青年と親しげに会話をしていたサイファーが、「またな、さんきゅ」と言って会話を終了させ、セルフィの方を振り向いた。
「嬉しそうだね、なんか掴めた?」
表情にさほど変化があった訳ではないが、いつもの怜悧な顔の口元が笑っていたのがセルフィは分かった。
「ああ 多分捕まえたぜ」
「うわっ お手柄じゃん」
「手柄かどうかは確かめてからでないと分からないぜ」
「さすがだね〜」
「なにがだ?」
「サイファーってさ、スコールとはまた違った冷静さがあるよね、ってコト」
「そうか!? お嬢が突っ走りすぎるんだよ」
「ひっどいな〜」
「間違ってるか?」
「いんや〜 間違ってないよ、だから余計にムカツクー!」
セルフィはサイファーの少し前で振り向いて、大袈裟に顔をしかめてみせた。
「ま、そこがお嬢のカワイイとこだ。気にスンナ」
「――――っ」
まったく、とセルフィは思う。気に障るようなことを言ってもサイファーは、すかさずこうやってフォローをしてくる。それが憎らしい位に、彼らしくて恰好良い。アーヴァインとはまた違う恰好良さ。ちょっと憧れるけど、やっぱりこういう時上手く切り返せなくて、あたふたしてしまうあっちの方が好きかな。
「あそこの店だな」
暫く歩いていると不意にサイファーが立ち止まった。
「ん、どれ?」
「左側のコンビニ」
「ふ〜ん」
セルフィは言われた店をじっと見つめた。特に変わった所もないごく普通のコンビニ。ただ客層がちょっと変わっている位で、他の場所にあるコンビニとなんら変わりない。だからこそというか、それが普通だろう。普通というのは語弊があるが、自ら犯罪に足を突っ込むのなら、なるべく目立たず周りに融け込めさせようとするものだ。だからコンビニをカムフラージュにするという選択は、至極当然だと思える。
「お嬢はここにいた方がいい。万が一面が割れているとマズイ」
「大丈夫だと思うよ。あのターゲットのキモ男つかまって……ないんだっけ、まだ……」
セルフィは、こちらから渡した情報で物的証拠は出来た筈なのに、まだ警察は逮捕に踏み切っていないとスコールから報告を受けたのを思い出した。
「分かった、じゃ、向かいのアクセの店で待ってるから」
「おう、少しだけ待っててくれ」
軽く手を振りサイファーとは別れて、セルフィは幅の狭い道を挟んだコンビニの向かいにあるアクセサリー店に向かった。
ガラス戸を押して入ると、通りから見た時よりも店内は明るかった。並んでいるアクセサリー類も、特定の趣味に走ったような感じではなく、一般的なファッション誌に載っているような物が並んでいた。変わった物好きのセルフィは、それを少し残念に思った。鋲が付いた物とか、排他的なデザインもけして嫌いではない。ブランドに拘るより、デザインさえ好みならば、ブランドには無頓着だった。
店の少し奥、レジカウンターの所にいた女性店員も、店に入ってきたセルフィに気付くなり、笑顔と共にいらっしゃいませと言った後、そのままカウンターの中で何か作業を続け、じろじろと客を目で追うようなことはしなかった。BGMも落ち着いた感じのものが流れていて、普段行きつけの店のような安心感のある店だった。
「あ、これアービン好きそう」
店に入ってすぐ、革紐とクローム加工のシルバーと、小さな羽が組み合わされた茶色と鈍い色が殆どを占める中に、白と赤と紺色の小さなビーズがアクセントになっている、小振りなブレスレットに目に入った。
セルフィと違ってアーヴァインは、気に入ったブランドがあればそれをメインに身に着けるタイプだが、だからといってそれに固執する訳でもなかった。新規開拓も精力的にするし、気に入ればチープな物でも好んで使う。それなりに高級な物とチープな物を身に着けても、しっくりと馴染むというか、着こなしてしまうのは、セルフィも素直に感心する部分だった。
今セルフィの目に留まったのは、どこかの民族の伝統工芸を思わせるような素朴さと、都会的なスタイリッシュさを併せ持つデザインだった。多分こういうのアーヴァインは好きだと思う。もしアーヴァインは気に入らなくても、これなら手首に巻き付けて使うタイプなので自分でも使える。
「ん〜 この羽のトコ青系はないのかな〜」
セルフィは手に取ってじ〜っと考えた。デザインは文句なしに気に入ったのだが、一箇所だけ、羽の色が青だともっと好きだなと思ったのだ。だが生憎とそこに並んでいたのは、黄色と赤と白の羽だけで青は無かった。
じ〜っとどうしようか悩んでいるいるセルフィの目の端に、チラと何か動くものを感じた。それは人間の手だと思ったが、足音も聞いた覚えはないし、人の動いた気配も感じなかった。そんな立ち居振る舞いをするのはとても素人とは思えない。SeeDとして少なからず培った経験がそう告げる。セルフィはいつでも攻撃体勢に移れるようにさりげなく身構えて、チラと見えた手の方に顔を向けた。
『なんだ……』
店に入って来た時、レジカウンターの中にいた女性店員が、セルフィから二歩程度離れた所で棚の商品をきちんと並べ替えていた。足音が聞こえなかったのは、この床の所為だ。程良く弾力性があって足音が響くような素材ではない。そして自分は今考え込んでいた。更にこの店に入る前サイファーに、妙に念を押されたりしたのもあって、必要以上に過敏になっていただけだ。セルフィは自分の早とちりだと内省した。
反省もしつつ、セルフィは店員に話しかけた。
「すみません、これの羽の青のものはないですか?」
ここにはないのだから、元々ないか或いは売れてしまったのかも知れないが、あればラッキーくらいの気持ちだった。店員はにこやかな笑顔でセルフィに歩み寄り、セルフィの手の中のブレスレットを見て直ぐに答えてくれた。
「はい、ありますよ。先日この商品をこちらへ移動する時に、並べ忘れたようです。元の場所にあると思いますので少々お待ち下さい」
セルフィにそう告げると、店員は一段階段を上がった奥のフロアへと向かったようだった。入って来た時は気付かなかったがどうやら奥のフロアも売り場になっているようだ。セルフィは店員から少し遅れて、後を追った。
だが奥のフロアに店員の姿は無かった。確かにここに入った筈なのに、セルフィはいきなり消えた店員を探してキョロキョロと室内を見回した。商品の陳列してある棚はどれもガラスが殆どで隠れるような場所はない。代わりに奥まった所にドアが見えた、Officeのプレートが貼ってある所を見ると、その中だろうか。というかそうとしか考えられない。それならば合点がいく。店員が店の事務所に入ったのなら、別段不思議なことはない。
セルフィの思った通り、程なく店員はそのドアから出てきた。セルフィの希望した同じデザインで羽が青の物を持って。元の場所には無く、うっかり片付けてしまっていたようだと、お待たせして申し訳ないとお詫びの言葉も付け加えて。
「お待たせ致しました。こちらがそうです」
「わ、やっぱり青がいいです」
セルフィは希望通りの物が見つかって嬉しかった。
「じゃあ、これくだ――――」
会計を頼もうとした時、店員の出てきた部屋から電話の音が聞こえた。
その音を聞くと店員は今出て来たドアの方を見て、その後腕時計に視線を移し、最後に申し訳なさそうにセルフィを見た。
「お客様申し訳ございません。重要な電話が入る予定になっておりまして、暫くお待ち頂いても宜しいでしょうか」
「はい、構いませんよ」
特に急いでいる訳でもないし、どうやらこの店の中にはこの女性店員以外の店員は居ないようなので、セルフィは快く返事をした。
店員はもう一度「申し訳ありません」と言って、奥のドアの中に入っていった。
残されたセルフィは、まだちっとも見ていないこのフロアのアクセサリーを眺めて待つことにした。こっちのフロアでも好みのものが幾つか見つかり、その内の一点を買うことにしようと決めた時、店員の入っていったドアの向こうから突然女の甲高い悲鳴が響いた。
続けて「いやーーっ」と悲痛な叫びも聞こえた。
どう考えてもただ事ではない。セルフィは反射的に勢いよくドアを開けて奥の部屋へ飛び込んだ。
乱暴にドアを開けて飛び込んだ視界の真っ直ぐ先、さっきの女性店員が男に羽交い締めにされていた。女性店員は恐怖で顔は蒼白になり、ガクガクと震えている。それだけで、女性が襲われているのだと容易に判断出来た。
セルフィは素早く他の情報も視線だけで収集する。
女性を羽交い締めにしているのは、痩身だがシャツから出た腕にはしっかりと筋肉のついた男。余り大きくはない事務所と思われる部屋に、他に二人の男の姿があった。片方は背が高く痩せても太ってもいない。もう一人は小柄でがっしりした男。
どちらも、またカモが飛び込んで来たとでも言うように下卑た笑顔を浮かべ、セルフィを舐め回すように見ていた。
さてどうするか。
セルフィがそう思った時、右の方からバタンと大きな音を立てドアが開き、強い風が吹き込んできた。男達が入って来たのはそこなのか、だがそんなことより、それはセルフィにとって大きなチャンスを作ってくれた。
その風が、机の上にあった書類をバラバラと舞い上げる。
宙に舞った書類が男の一人の顔にぴたりと張り付き、男が忌々しげに悪態をついたと同時、セルフィも風の如く動いた。最も近くにいた、背の高い男の腹に体重をかけた拳を一撃喰らわし、そのままの勢いを利用すると首に回し蹴りをお見舞いし、床にぶっ倒した。倒し様に視線を次へ移動させ、女性店員を羽交い締めにしている男の前をすり抜け、その奥にいる小柄な男の顔面に一発打ち込むと男はそのまま床に自ら倒れた。それを横目にくるんと身を翻し、あまりの早さに何が起こったのか全く状況の飲み込めていないのか、店員を羽交い締めにして固まっている男の首に手刀を打ち込んだ。見事に急所を衝いたそれは、痩身の男の身体から力と意識を奪い、ごつんという音を立てて男はあっさりとその場に崩れた。
「大丈夫ですか?」
セルフィは、がっくりと膝が折れた女性を支えるようにして、問いかけた。
「ええ、大丈夫です、私は、ね」
恐怖の所為か酷く冷たい声だとセルフィは思った。だが、本当に冷たいのは、ぴたりと額に当てられた銃口なのだとセルフィが気が付いたのは、一瞬の後だった。