絶対唯一 君独尊

3
「はぁ……」
 この日何度目から分からない溜息がセルフィの口から溢れた。
 その理由は色々あった。本人がそのうちどれだけ判っているかどうかは、甚だ怪しかったが、その内の一つは間違いなくアーヴァインが原因だった。
「アービンに会いたいな」
 こんな風に、知らない内に呟いてしまう程に。ただ、残念ながら今日はアーヴァインはガーデンにはいなかった。だからますます、セルフィの口から溜息が溢れる、という具合だった。
 そして――――。

「なんだろう、心がもやもやする」

 昨日も、今朝も、セルフィはアーヴァインの腕の中で目覚めた。それは、少しの気恥ずかしさを払拭して余りある程幸せだったのに、セルフィの心の端っこに何かが引っ掛かっていた。
「でも流石に昨日の朝は驚いたけど、任務から帰る途中から記憶がなくて、気が付いたら次の日の朝で、しかもアービンの腕の中とか……しかも、はだ……はだっ」
 昨日の朝のことを思い出し、セルフィは顔に朱を上らせた。

 任務中、悪趣味キモキモ男(セルフィ呼称)からスコールが白馬の皇子の如く救い出してくれた後の記憶が、セルフィは所々すっぽ抜けていた。はっきり憶えていたのは、スコールにガーデンに帰ると言われたことと、アーヴァインに抱きかかえられていたこと。その後良く知っている感触に触れて、何だかとても安心して――――、そこで記憶がプツッと途切れている。
 次にある記憶は朝。
 正確にはもうちょっと憶えていたものもあったが、セルフィはその部分は夢だと思っていた。それよりも現実の、やたらと感じる自分以外の体温と、身体に巻き付けられたモノに窮屈さを感じ重い瞼を根性で持ち上げたら、幸せそうに自分を抱き締めて眠っているアーヴァインの顔が間近にあるという、全く予想外のとんでも事態に出くわした。そして一拍おいてセルフィは盛大に悲鳴を上げた。のが、昨日の朝の出来事。
「アービン、ごめん……アレ、夢じゃなかったんだね」
 セルフィはその後のアーヴァインのへこみ具合を思い出し、口に出して詫びた。
 昨日もちゃんと謝った。なのにアーヴァインの落ち込みはけっこう大きくて、セルフィは誠意宥めすかした。そしたら知らない間に、昨日もアーヴァインの所で泊まる約束をさせられていた。ついでにアーヴァインは「僕がセフィの所へ泊まりに行ってもいいよ」と、いつものにこにこ笑顔で言ってきたが、次の日というか今日、アーヴァインも外で職務があり、何より自分の部屋だとアーヴァインを誘ったのは自分のような気がして、勝手な言い分だとは判っていても、自分がアーヴァインの部屋に行くとセルフィはすごい勢いで言っていた。
 セルフィは、肩を落してまた溜息をついた。
「ホントにアービンは……あたしが任務で疲れて帰ってきたん、わかっててんかな……。あんなん、いつまでたっても疲れが取れへんわ」
 更に、昨夜の出来事を思い出して、また顔がかーっとなった。
 少しでも熱を下げる為に机の横に置いてあった、ジュースの入ったコップに口をつける。だが、生憎と昼に買ってきた冷たいジュースはすっかり温くなっていて、熱を下げる効果は得られなかった。ただ、当初の目的以外の、心を落ち着かせるという思わぬ効力を発揮した。

「はんちょの仕業、……だよね」
 再び任務の日に遡って、セルフィはそう思った。スコールの仕業とは少し信じ難かったが、色んなことを鑑みれば任務から帰った自分をアーヴァインに託したのはスコール以外あり得なかった。
 それは、アーヴァインにとってだけではなくセルフィにとっても幸事だった。お陰で任務の時の嫌な気分が綺麗さっぱり飛んで行っていた。と思った所で、おや? と何かが引っ掛かった。
「いやな任務……? あ、コレか」
 セルフィは胸の端のもやもやが何なのかやっと判った。

 あの任務はキツかった、精神的に。任務なのだからと何度自分に言い聞かせても、理性の部分では理解出来ても、感情が伴ってくれなかった。任務中にも拘わらずちゃんと対応出来なくなった自分の不甲斐なさと、情けなさと、触れられた気持ち悪さが相まって、とても冷静とは言えなくなっていた。更に呑んだ酒の所為か、身体も重く自由が利かなかった。あの時スコールが来るのがもう少し遅ければ、自分がどうなっていたか、もしアーヴァイン以外の男に――――。今振り返るだけで身震いがする。
 だがSeeDの任務としては、やはり失敗としか言えない。ところがスコールはアーヴァインを呼んでくれ、報告書を提出しに行った時も何も触れなかった。その上「大丈夫か」と気遣ってくれた。そのことに言い知れない感謝を覚えた。そのスコールの気遣いに応えるのは、多分言葉なんかではなく“態度”なのだろうと、セルフィもその件には触れず、今日の休暇は返上すると申し出て今日はここで職務をこなしていた。
 キスティスが不在なので、気が緩みかけていけなかったが。



「はあ…」
 なのに再びの溜息。
 それはさっきのと少し違う要因によるものだった。
「アービンに会いたいな、今何してるんやろ」
 今日の分の職務を終えキーボードの横に置いてある携帯電話をチラと見て、セルフィはアーヴァインを思った。
 今日はガーデンの外での職務だが、今朝セルフィの頬にキスをしながら「夜には帰って来るからね」と元気に部屋を出て行った。だから、じきにアーヴァインに会える。それなのに、セルフィはアーヴァインに会いたいと思っていた、今すぐにでも。
「はあ…」
 もう自覚など無くなってしまった溜息をついて、セルフィは今度は脇机の方へ視線を泳がせた。無造作に置かれた雑誌が目に入る。それをぼう〜っと見つめたまま、何故アーヴァインに会いたいのかと考えた。
 それは自分にとってはとては意外というか、信じられないというか。何より恥ずかしくて堪らなかった。昨日の朝も、今朝もアーヴァインの腕の中で目が覚めた。こんなに一緒にいるのはそうそうあることではないという位一緒だったのに、何故今また会いたいと思うのか。というよりもっとその先のことが、いつの間にか心を占めているのに気が付いた。
 セルフィは雑誌に視線を置いたままゆっくりとコップに手を伸ばし、ストローに口をつけた。だが、コップに残ったジュースを吸い込むストローが、空気しか運んでくれなくなっても、すっかり暗くなってしまった部屋の明かりを点けるのを忘れる程考えても、答えは見つからなかった。
 誰かに相談でもしてみようか。いやいや、こんな事一体誰に相談すればいいのか。それ以前に口に出すには余りにアホらしい内容だ。本人は至って真剣に悩んでいても、聞かされた相手には惚気話としか聞こえない可能性大だ。
「あたしって変なんやろか……それとも普通のことなんやろか……」
 セルフィは腰掛けていた椅子の上に足を乗せその上に顎を置いて、再び一人考え込んだ。
 でも、雑誌を読む限りちょっと内容は違うけど、普通の事のようにも思える。
 セルフィはことんと顔を横に向け手を伸ばし、脇机の上の雑誌をペラペラッと捲った。
 リノアから貰った、若い女の子向けの情報誌。
 ファッションの事とか、ランチの美味しいお店の特集があったので、興味津々で横から覗き込んだら「もう読んじゃったからあげるね」と言われて、快く受け取った。そして、休憩の時にパラパラっと読んでみた。そしたら、奥の方のページに、セルフィには若干刺激の強いエロティックなプチ特集なるものがあった。少し驚きはしたものの、セルフィはしっかり読破してしまった。
 丁度、正に、タイムリーだったのだ。恋しく思い、逢いたいと思っていた、正確に言うとそれ以上のことを思っている。だから『彼を喜ばせる20の方法』などというタイトルに吸い寄せられた。
 抱かれたい、抱いてほしい。
 一昨日の夜も、昨日の夜に至っては説教をしたくなる程だったのに、また抱かれたいと思う。そういう感情が普通のことなのか、それとも普通ではないのか、今度はそれが分からなくなり、セルフィは深く思考の淵に沈んでいた。

『だれっ!?』
 ふいに外界から引き戻すように音が耳に届いた。その音が靴音だと思い出した時には、極近くになっていた。
 もう、勤務時間はとっくに過ぎている。この部屋の主のキスティスは明日までガーデンには帰って来ない。
 セルフィはその音の行方を確かめる為に耳をそばだてた。
 足音は今セルフィがいるキスティスの職務室の前で止まった、ここに入って来るつもりか。セルフィは正体の分からぬ相手に身構えた。
 やがてピッと鍵が解除された音がして、ドアがあっさりと開いた。

「キスティス!」
「だ、だれっ!?」
 驚いたのはこの部屋に入って来た相手の方だった。無理もない。真っ暗な部屋の中に、まさか人がいるなどとは思いもしない。
「ごめん、あたし〜」
 キスティスが照明のスイッチを入れ、部屋がパッと明るくなると、バツが悪そうにセルフィは笑って手を挙げた。
「どうしたの? こんな時間まで、明かりも点けないで」
「ちょっとね〜 キスティスこそ、帰るのは明日じゃなかった?」
「それがね、もう何もかもがとてもスムーズに進んで、早く終わったのよ」
 キスティスの声は珍しく高揚していた。余程、今回の出張は上手くいったらしいことが見て取れた。
「で、セルフィはここで何を? コンピュータの電源は入っていないようだし、机の上もきちんと片付けられている所を見ると、職務は終わったのでしょ? て事は、何か悩んでいたりした?」
 セルフィはぐうの音も出なかった。
 ほんの一瞬セルフィの方を見ただけで、それだけの推測を叩き出せてしまう。そして、見事に的を射ていた。流石という他なかった。ただセルフィには、そこにキスティスがセルフィの事を良く熟知していた所為もある、という事までは考えが及ばなかったが。

 キスティスは、カバンを自分の机に置くと、セルフィの机と自分の机の間に置いてある雑誌を手に取った。
「見てもいい?」
 セルフィが軽く頷くのを見て、パラパラと捲る。
「あら、美味しそう。今度行ってみたいわね」
「でしょ〜? あたしはね、そこのページのね……」
「で、セルフィは何を悩んでいたの?」
「うぐっ どーして?」
 さくっと話題を元に戻され、セルフィは思いっきり詰まった。
「どうやら図星のようね」
 セルフィの顔を覗きこむようにしてキスティスは、女神の微笑みを湛えていた。
「べ、べつに〜」
 まだ否定するセルフィから視線を外し、キスティスはまた雑誌を捲った。最後まで一通り見て雑誌を閉じ「当ててみましょうか」と悪戯っぽく笑った。
「ど、どぞう〜?」
 セルフィは、平気な振りを装うつもりだったが、口は真っ正直だった。
「恋の悩みでしょ」
「…………」
 セルフィは何も答えない事にした。下手に口を開くと、それだけでバレると学習した。
「なるほどね〜」
 にも拘わらずキスティスには、またも見抜かれてしまったようだ。
「ち、ちがうってば」
 否定したものの、キスティスはクスクスと笑い始めてしまった。
 その様子を見て、セルフィはやっと観念することにした。女のカンは鋭いと言うのが通説だが、キスティスはその中でもズバ抜けているとセルフィは思った。
「言いたくないのなら、無理には訊かないわ。でも言う事ですっきりするのなら、私は幾らでも相手になるわよ」
 優しい瞳と声でそう言われると、本当にキスティスは慈母のようだとセルフィは思った。
「わ、笑わないでね」
 そう前置きしてからセルフィは話を始めた。

「……えーと、何ていうか、うーんと…………あたし……変になっちゃった!」
 もうセルフィにしてみれば一大決心で言った言葉だった。
「何故そう思うの?」
 自分に動揺しているセルフィをキスティスは優しい瞳で見ていた。
「今、アービンにすごく会いたい」
「そんなの別におかしくないわよ」
「そ、そうじゃなくて……えーっと……」
 セルフィの視線が何かを探すようにあちこち彷徨い、なかなかその先を言えないでいる様子にキスティスは何となく察しがついた。
「彼に抱かれたいと思うとか?」
「えっ! いや、そうじゃなくて……そ、そ…………そう……かな〜?」
 必死に笑おうとしてはいるが、明らかに顔が引きつっている。キスティスはそんなセルフィを本当に可愛らしいと思った。
「セルフィ、別に変じゃないわよ。恋人なんだし、女だって性欲はあるわよ」
「そ、そうなの!?」
 セルフィが目をまん丸にして驚くので、キスティスはもう吹き出しそうだった。
「そうよ。むしろ好きな相手に対して、そう思わない方がおかしいわよ」
「そうなんだ〜 何か、自分のコト変態なのかと思っちゃったよ〜」
 椅子の背もたれに身体を預けて、安心したように息を吐くセルフィに、キスティスはとうとう吹き出してしまった。
「も〜 笑わないでって言ったのにぃ〜」
「ごめんなさい、でも――」
 キスティスは笑いながらも、アーヴァインを心底気の毒に思った。苦労しているだろうなとは思っていたが、セルフィがこれほどとは思わなかった。
「何かそんな風に会いたくなるような事でもあったの?」
「うーん、どうなんだろ。別に関係はないと思うんだけど、ちょっと思い出したら気持ち悪くなっちゃって」
「気持ちが悪い?」
「うん、この前の任務がねちょっと……」




「そんなことが ――――、でも、難しい所よね」
 キスティスはすらりとした指を顎の下に当てて、何事か考えながら呟くように言った。
「SeeDとしてはダメダメだよね。簡単な任務なのに、まともに対処出来ないなんてさ」
「そう言われると、そうね、としか言えないけど」
 口ではそう言ったものの、今の返答に自分のダメっぷりを思い知ることになりセルフィはへこんだ。そしてキスティスに別の返事も期待していたことにも気付いた。
「でもねぇ、今回のセルフィの任務みたいなのは、ある程度の経験も必要だから、私はよく頑張ったと思うわよ。多分スコールも何も言わなかったんじゃない?」
「え!? あ、うん、はんちょ何も言わなかった」
「ね、セルフィ、今へこんだでしょ」
「ははは バレてた?」
「まあね、付き合い長いもの」
 全部お見通しなのを恥ずかしいと思うより、セルフィは嬉しかった。スコールの気遣いも、今みたいなキスティスの思い遣りも、みんな優しくて、時々厳しくて……でも、嬉しい。こうやって自分のダメな面もバレバレなのにも拘わらず、見捨てたりしないでいてくれる。もちろん自分も見捨てたりしない、絶対にしない。みんな大好きだから。
「でも、へこんで反省するのはいいけど、考えすぎは良くないわよ」
「うん、わかってるよ〜ん」
 セルフィのもやもやは、今、全部キレイに吹っ飛んだ。
「――知ってはいるけど、ホントに、好きなのね」
 気分がぐんぐん上昇して、セルフィはキスティスの小さな呟きをうっかり聞き逃す所だった。むしろそうしていた方が幸せだろうと思われた。だが。
「ん? 何が? みぃ〜んな大好きだよ〜」
 かる〜く、本当にウキウキとした心持ちでセルフィはそう言っていた。
「アーヴァインのこと」
「うぐっ」
 言葉に詰まり、一人慌てふためいているセルフィを見てキスティスは目を細めた。
 普段のアーヴァインとセルフィは、どう見てもアーヴァインが一方的にセルフィを追いかけ回しているようにしか見えない。良くて、気の置けない仲間のじゃれ合い。何というか、とことん色気に欠けた関係のように見える。
 見たままを言うなら、事実そうなのだが。
 にも拘わらず、ガーデンにいる大多数は彼らを“恋人”と認識している。これは稀有な存在だ。恐らくそれは彼らの性格に因るものだろう、主に、セルフィの。二人共明るく社交的な性格なのは同じ。だが、セルフィに限っては、アーヴァインに対しての態度が他の皆と違う部分が、ある時期から顕著になった。それが周りから見ても非常に分かり易いもので、本人はひた隠しにしているつもりのようだが、自ら暴露していることに彼女は未だ気付いていない。
 そういう訳で既にガーデン内に於いては、「あ〜 またやってる」の言葉と共に日常の一風景としてすっかり融け込んでいた。
『なんていうか、もう空気? あって当たり前的な。――というよりまた方向ズレてるわ、私』
 キスティスは考え事を始めると、周りが見えなくなる位没頭してしまうことがたまにある。更にその中で、最初とはえらくかけ離れた所へ辿り着くことも稀にあった。今のはその滅多にない一例。
『なんだったかしら、そうだわアーヴァイン』
 傍目にはアーヴァインの好きの度合いの方が、セルフィのそれに勝るように見える。それは多分間違ってはいない。けれど時折見えるセルフィの本音からは、アーヴァインと同じ位、彼女もまた彼のことを想っているのだということが分かる。
 丁度、今みたいに。
「よし、結論まで辿り着いたわ」
「何の結論が出たっていうの〜?」
 さっきまでの慌てっぷりは綺麗に消え、急に黙りこくったキスティスを、不思議そうな顔をしてセルフィは覗き込んでいた。
「セルフィ、たまにはちゃんとアーヴァインに好きだって、抱かれたいと思う位好きだって言ってあげなさいよ」
 キスティスが言い終わらないうちに、またもセルフィの顔はボッと音がしそうな位真っ赤になった。それを見てキスティスは笑いを抑えきれず、セルフィを怒らせるはめになったが、それでもキスティスは笑うことをなかなか止められなかった。