絶対唯一 君独尊
2
ホテルをチェックアウトして、任務地となるターゲットの別邸へ向かう車中で、もう一度打ち合わせをした。
今日はスコールがメインで任務を遂行する。セルフィはそのサポート役。
「ターゲットの別邸には、やたらセキュリティの厳重な部屋が一つだけある。こちらが欲しい物は恐らくそこだろう」
「だよね。あたしやっぱりそっちの潜入の方が良かったな〜」
「文句言うな、男が男の相手をするより、女性が相手をするのが一般的だと思うが、違うか?」
「そりゃそうだけどね〜 でもひょっとしたら、男の方が好みの人だったりして」
「それはあり得ない」
半ば冗談でセルフィは言ったのだが、そこはスコール、端から聞けば冷たいとも思える声で、ピシッと断言した。
「好みはちゃんと調査済みってコトか〜」
「そうだ」
全く感情に左右される風もなく、スコールは正面を向いてハンドルを操っていた。
「ん〜? てコトは〜 ターゲットの好みって――――」
「そういうコトだ」
「やっぱりぃ〜」
セルフィは力なく、ははははと笑った。
だから自分が選ばれて、何故スコールが装いの指定までしてきたのか、今やっとセルフィは知った。
「言うてくれといたら良かったのにぃ〜」
「今言った」
セルフィは脱力した。
多分もう何を言ってもムダだ。逆に「SeeDならそれ位分かれ」と言われてしまうような気がする。
「分かりました。スコールが心置きなく動けるように、全力でターゲットはあたしの魅力でメロメロにしときます!」
「期待している」
半ばヤケクソで言い放ったのに対して、スコールは愉快そうに口の端を上げたのがセルフィはちょーとばかし面白くなかった。それでもスコールの“期待している”が本心なのは分かる。でなければ、自分にも他人にも厳しいスコールはセルフィを選んだりしなかった筈だ。その信頼にはちゃんと応えたい、もとより自分はSeeDなのだから、セルフィは心の中でぐっと拳を握った。
「ごめん、会社から呼び出された、ちょっと外で話をしてくる。すみませんが、私が戻るまで彼女の相手をお願いします」
スコールはそう言って、セルフィの額にキスをしてパーティホールを出て行った。その後ろ姿は昨日とは別人だった。同じようなスーツ姿ではあっても、今は少し猫背気味で歩いている。眼鏡もかけていたが、これまた昨日とは違う、冴えない地味なものをかけていた。黙っていれば人の中に埋もれてしまうような地味さ。もっとも今日の彼は出来るだけ目立たない方がいいのだから、当然といえば当然のスタイルではあるけれど。
『はんちょ、なにもそこまでせんでも……』
だがセルフィは、スコールのスタイルよりも全くもって予想外の行動に、面食らっていた。お陰でろくな返事も出来ず、セルフィはぼ〜っとスコールの後ろ姿を見送った。
確かにあんなコトされたら、グラグラ来るのも分かるわ〜。
セルフィは、たまに聞かされるリノアの惚気話を思い出してクスと笑った。スコールのことは“頼れるリーダー”との認識の自分でも一瞬グラッと来たのだから、スコールのことが大好きなリノアには、破壊力は絶大だろう。丁度自分にとってのアーヴァインのように。もっとも、アーヴァインの場合、衆目の前でのおでこにキス程度は挨拶の範疇なので自分もちょっと慣れてしまったけど。それがちょっと、悔しい気もするけれど。セルフィは、ははははと自嘲した後、はぁと溜息をついた。
「あちらで飲み物でも如何ですか?」
その声にセルフィは慌てて隣に立つ男の方へと意識を向けた。
「はい、いただきます」
男を見上げて、にっこりと笑顔を作った。
そうすると笑顔を向けられた主も嬉しそうな顔をして、セルフィの背中を軽く押し、飲み物を持っている給仕の方へと向かった。その手を鬱陶しいと思いながらも、セルフィは笑顔を張り付かせたまま一緒に歩いた。
「これが私のお勧めです。口当たりが甘くて女性向きですよ」
小さめのグラスに綺麗な緑色の液体が入っているのが見えた。
「そうなんですか」
セルフィは素直に受け取った。確かに見た目は綺麗な色をしていて、これは、と思ったが、口元まで運ぶとえらく強い酒だと分かった。だが、今更いりませんとも言えず、にこにことこちらを見ている相手に、愛想笑いをしてひとくち口に含んだ。
予想通り、喉を焼くような熱が通って行った。
「強いですね」
「ええ、少し強いですね」
相変わらずにこにことした笑顔を向けてくる男の鳩尾に一発喰らわしたくなった。それを見越してこれを渡してきたんだろうと。それ位自分にも分かるんだぞと。しかしそんなことをぶちまけてしまう訳にはいかない。自分は今大事な任務中で、その内容はスコールの任務が無事終了するまでこの男を惹きつけておくこと。どれだけ、シュミの悪い香水の匂いを漂わせていようが、どれだけ脂ぎった髪が気色悪かろうが、笑顔で耐えねばならない。
『顔が微妙に十人並みの上なのが余計にイライラする』
いっそ壊滅的な造形とかの方がよっぽど覚悟が出来る。
香水のシュミはさておき、ターゲットはそれ以外は重役然としていた。
着慣れている所為か、見るからに仕立ての良いスーツはそれなりに決まっている。立ち居振る舞いも、そつはない。ただ、自分に過剰な自信を持っているのが、分かり易い程ににじみ出ていた。権力者特有のとでもいうのだろうか、自力でのし上がったプライドが、別の方向へも顕われてしまったというか。自分に手に入らないものは何もないとでも思っているのだろう。その自信を隠そうともしないタイプの人間、セルフィの好みとは真逆にいるタイプの人間だった。
ターゲットの人物をそう認定してからは、セルフィには何もかもがマイナス方向に見えてしまっていた。贅を尽くした、だだっ広い邸宅。昼間っから、強い酒をぐいぐい呑むようなパーティ。いくら出席者が皆美しく優雅な人達ばかりでも、その笑顔さえも上っ面だけかも知れないとも思えるようになって来ていた。実際このターゲットがホストでは、そういう人間も少なくないと思うが。
『スコール、順調に進んでるかな』
セルフィは受け取ったグラスに再び口をつけることなく、隣の男から窓の外へと視線を移した。
ターゲットのプライベートルームに施されたセキュリテイを、根気よく解除しているであろうスコールをセルフィは思った。ここからではスコールの仕事を手伝ってあげることは出来ない。自分に出来ることは、自分の任務は、このいけすかない男が、プライベートルームに向かわないよう、此処に括り付けておくこと。
「美しい庭でしょう」
さり気なく腰に手を添えて、男が声を発した。もうその声すらセルフィには嫌悪の対象になっていた。
「そうですね。あの木なんだか珍しい形をしてますね」
それでも会話を途切れさせないよう、注意をこちらに惹きつけておけるよう、鋭意努力した。
「あれは本当に珍しいものなんですよ。遠くの島から運んでこさせました」
そう意味で珍しいと言ったのではなく、内心はこの庭にあんなヘンテコな枝振りの木を植えるシュミを珍しいと言ったのだが、セルフィは「そうなんですか。お目が高いんですね」と笑顔で褒め称えた。それをすっかり鵜呑みにした男は尚も嬉しそうに話を続けた。
あちらの花はどこそこから、あそこの東屋の石はどれだけ珍しいものかと、よくもまあという位喋り続けた。話を聞くだけならセルフィも、何とか右から左へ聞き流して終わりにしたのだが、それだけでは済まなかった。話の要所要所で男はセルフィに触れてきた。それも素肌の部分を狙って。そのあからさまな行為を普段ならぶっ飛ばしている所だが、セルフィは任務だからとじっと耐えた。
何か意識を他に向けようと、セルフィは持っていたグラスの酒をくいっと呑み干した。大した量ではないが、それでも喉が焼け付くようだった。
一方、セルフィがされるがままになっているのを、男はまんざらでもないと解釈したのか、指がセルフィの背中の素肌を一撫でした。瞬間セルフィの身体を戦慄が走り、言い様のない気持ち悪さが襲った。
もう限界に近かった。気持ち悪さは吐き気に変わってきたし、酒の所為か頭もクラクラとしてきた。誰かに縋りたい、もう立っているのも辛い。相変わらず男の指は素肌に触れてくる。その度に吐き気が増す。
『―― 誰か……』
セルフィは、我知らず心の中で呼んでいた。
『アービン』
真っ先に浮かんだのはその人。
今最も身近で自分を助けてくれるであろう人物ではなく、遠く離れた最も好きな――――。
セルフィはアーヴァインの名を呼んでしまったことに気が付くと、酷く胸が締め付けられた。瞳の奥が熱く涙が零れそうになる。でも、今泣く訳にはいかない。任務中なのだと自分に言い聞かせ、セルフィはぐっと顔を上げた。
「気分が悪そうですね。ここは少々暑い、あちらの部屋で少し休まれた方がいい」
男は腕でセルフィを抱きかかえるようにして、歩くように促した。セルフィは流されてはいけないと思いつつも、身体が重く言うことを利かなかった。男に促されるままパーティの開かれている大きな部屋を出て廊下を少し進み、とある部屋の前で止まった。歩いている最中も必死で足を止めようとしたがやはり上手く行かなかった。それでも立ち止まった部屋がスコールの居る部屋ではないことだけは良かったと思った。ここがターゲットのプライベートルームなら、今回の任務は失敗に終わる。それだけは避けられそうなことにホッとした。この後自分がどうなるのかは、もう ――――。
「待たせてごめん」
ドアが開いた瞬間、奇跡のような声がした。
セルフィが重い頭を動かして声の方を向くと、スコールが立っているのが見えた。
「ス、コ……」
「大丈夫か!?」
その表情が尋常ではないことを悟ると、スコールはセルフィが名前を口にするより早く駆け寄った。
「すみません、後は私が引き受けます。ご迷惑をお掛けしました」
セルフィを抱えている男が口を開く隙を与えず、スコールは素早くセルフィを男から引きはがした。
「まて……」
背後で憎々しげな声が投げつけられたのを無視して、スコールはセルフィを支えて足早に邸宅から出て、横の駐車場へと急いだ。車のシートにセルフィを座らせてから、ひとつ大きく呼吸をする。
「大丈夫か?」
自身も運転席に座り、セルフィに声を掛けた。
「うん大丈夫、はんちょは? 任務終わった? あたしの所為で失敗してない?」
酷く緩慢な動きでスコールを見て、セルフィは問いかけた。その様子にスコールは眉根をよせた。
やはりセルフィは普通じゃない。
「大丈夫だ、欲しいものは手に入れた。それよりセルフィ何があった」
スコールは時折焦点のずれる瞳に嫌な予感がした。
「ん…別に、なにも……」
「ないわけないだろ、何があった!?」
尚もセルフィに問いかけた時、ターゲットの男が駐車場の隅に現われたのが見えた。
「ちっ」
その姿を見るや、スコールは急いでアクセルを踏んだ。
セルフィのことのは気になるが、今はこの場を離れるのが先決。出来るだけ急いで車を走らせながら、スコールは慎重に周囲を伺った。追って来る様子はない、そう確信出来る所まで走ってスコールは道路からは死角になる場所を探して車を停めた。
「セルフィ、なにがあった」
紅潮した頬をし、目を閉じているセルフィに、スコールは再び問いかけた。
暫く待つとゆっくりと瞼が開いた。
「別になにも無かったよ、ホントに。ただ、けっこう強いお酒を一杯だけ呑んだのと、あの気持ち悪い男にベタベタ触られただけ」
『何もなくないじゃないか……』
力なく笑うセルフィに、スコールは大きく肩で溜息をついた。朴念仁だと言われる自分にだって、それが女性として耐え難いものだっただろうということ位分かる。
多分、セルフィはSeeDとしてそう言っているのだろうが、それは正しいことなのだろうが、友人として思った時、一人耐えようとしているセルフィに、スコールは一抹の寂しさを感じた。
「ちょっと気分が悪くなっただけだから、今日一晩寝れば治るよ」
そう続けるセルフィに、自分ではダメなんだと悟った。
「他にはなかったのか?」
「うん。ホントにそれだけだよ」
「そうか、セルフィ辛いだろうが、このままバラムガーデンに帰るぞ」
「……でも、今日はこっちで泊まる予定だよね?」
「予定よりも早く終わった。今からなら、バラム行きの最終列車に間に合う」
「でも、今から駅まで車走らせるのしんどくない? はんちょ」
「俺は大丈夫だ、セルフィはいやか?」
「ん、―――― 帰る」
暫くの沈黙の後、セルフィはスコールの提案を呑んだ。
「まったく、なんだってんだよ、スコールってばさ」
アーヴァインは眠い目を擦りながらガーデン内の通路を歩いていた。
一日の労働を終えた心地よい疲労の後、これまた心地よい睡眠を貪っていたのに、いきなり電話で叩き起こされた。明日に備えて今夜は早めにベッドに入ったのに、人の気も知らないで。
夜中に叩き起こされた怒りを、アーヴァインは思いっきりぶちまけていた。
「ほんと、スコールって人使いが……ってアレ? スコールってセフィと一緒じゃなかったっけ?」
寝ぼけと怒りで忘れていたが、アーヴァインはセルフィがスコールと一緒の任務に行っていたのだということをやっと思い出した。
「んん? てことはセフィも一緒に帰って来たってこと……だよね。それならそうと言ってくれればいいのに、いきなり『駐車場で待ってろ』はないよね、何事かと思うじゃないか」
セルフィも一緒に帰ってくるのだと分かると、アーヴァインの足は今にもスキップをしだしそうな軽やかさで駐車場へと向いた。
男とは実に単純なものである。
「おっかえり〜」
薄暗い駐車場に静かに滑り込んで来た車のドアが開くと、アーヴァインは明るい声で出迎えた。
程なく、スコールが運転席から下りてきた。
「あれ? これってレンタカー?」
自分が運転して帰ってきたらしいスコールにアーヴァインは首を傾げた。
「予定外だったんで、ガーデンからの迎えは頼めなかった」
「あ、そうなんだ。所でセフィは?」
「一緒だ」
そう言うと、ぶんぶんと打ち振られるシッポが見えそうな程嬉しげなアーヴァインを見なかったことにして、スコールは助手席のドアを開けた。
そこには、よ〜く眠っているらしいセルフィの姿があった。その姿を見て、もう一度嬉しそうに笑って、アーヴァインはスコールを振り返った。
「ところで用事って何?」
「それだ」
「それって?」
「セルフィを頼む」
「あ、そうなんだ……ってなんで、僕!?」
「任務でキツイ酒を呑んだらしい、傍にいてやった方が良い、だから呼んだ」
スコールは、男にベタベタ触られたとか、危うく部屋に連れ込まれそうになっていたとか、余計なことは言わなかった。
「あ、はい。分かりました」
至極真面目な顔で言われてアーヴァインは、素直に返事をするしかなかった。
何て珍しい。
スコールがそんな粋な計らいをするなんて。明日は槍でも降るんじゃないだろうか。そうは思ったが、その思い遣りが嬉しいのも事実だった。スコールの厚意に感謝して、アーヴァインはセルフィを抱き上げた。
「念のため、明日カドワキ先生の所へ行くように言っといてくれ」
「わかった」
セルフィの荷物もアーヴァインに持たせると、スコールはスタスタと一人で通路へと歩いて行ってしまった。
その後ろ姿を見送った後、セルフィを抱え直してアーヴァインも寮へと向かった。
自室に戻って、取り敢えずセルフィをベッドに寝かせた。寮へ向かっている途中セルフィは一度だけアーヴァインの名前を呼んだが、どうやらそれは寝言で言っただけのようで、遂に目を開けることは無かった。スコールの言った通り、アルコールの匂いがするし、任務で疲れてもいるだろう。だから、物足りなさは感じたが、このまま寝かせるのが一番だとアーヴァインは思った。が、頬にキスをして立ち上がろうとしたら、くんっと髪を引っ張られた。見ればぼう〜っとした瞳で見上げられていた。ただ、ぼ〜っと見てくるだけなので、アーヴァインはまた寝ぼけているんだろうと思った。
「おやすみ、セフィ」
頬を撫でて優しくそう言った。
「アービン」
セルフィはアーヴァインの髪を離さなかった。
「わわっ」
それどころかまた引っ張ったので、アーヴァインはうっかりバランスを崩してセルフィを押し潰しそうになる。押し潰すのはなんとか避けることが出来たが、ぎりぎりの所で止まったので程良く密着する形になってしまった。
「んっ……」
セルフィが意図してかどうか分からないが、何とも扇情的な吐息がアーヴァインの耳を掠めた。
『これはまずいってセフィ』
このままだと、セルフィの疲労を考えて抑えていたなけなしの理性が吹っ飛ぶ。
そんなアーヴァインの心情も知らず、セルフィはアーヴァインの首に両腕を巻き付けてきた。
『セフィ〜、ホントまずいって』
セルフィの肌の感触に、今すぐコトに及びたい衝動に駆られたが、まだ僅かに残っていた理性の欠片がアーヴァインをセルフィからひっぺがした。
アーヴァインが離れると同時セルフィの両腕が力なくパタンとシーツに転がった。それだけでもアーヴァインは罪悪感に囚われたのに、セルフィは眉根をよせて泣きそうな顔でアーヴァインを見てきた。その様子にまた激しく葛藤をし始めていたアーヴァインに向かってセルフィは再び腕を伸ばしてくる。その時、胸元に自分が付けた徴も見えてしまった。
「ごめんセフィ、もう無理」
アーヴァインは最後の理性の欠片をポーンと放り投げた。
頬を捉えて口づけをすれば、セルフィの方から舌を絡められた。もうそれだけで、歓喜が身体を駆け巡る。
次にアーヴァインが我に返った時には、セルフィに肌に残されたのは首のチョーカーだけになっていた。
アーヴァインは暫くその姿を見つめた。セルフィの肢体はこの上なく自分をそそる。しどけなく横たわった白い肌の中で、首のチョーカーだけが濃い色を放っている。それが更にアーヴァインを駆り立てた。
セルフィが一際大きく呼吸した。
チョーカーに通されたクリスタルのペンダントトップが揺れてキラと光る。
それが合図だったかのように、アーヴァインは思考も放り投げた。
窓の外の闇は一段と深くなった。