あ〜なんか瞼の裏が明るい。もう夜が明けちゃったのか……。
セルフィは目を閉じたまま息を吐いた。
ん、何か聞こえる。それとこの頬に触れた感触、コレ良く知ってる。
「…フィ……セフィ……」
ん〜と、呼ばれてる?
「…起きて、セフィ」
イヤだよ、ここ気持ちいいもん。
「セ〜フィ、ほら起きて」
すごく近くで声がする。腕を伸ばせば届く、たぶん。
「わわっ」
伸ばした腕が触れた温かさを、ぎゅっと抱き締めたら、大好きな匂いと共に重いものがどさっと乗っかってきた。一瞬とても重かったけれど、すぐに軽くなる。
「セフィ、寝ぼけてるね」
「ん〜 寝ぼけてないよ〜、アービンともうちょっとこうしてたいだけ……」
目を閉じたまま、アーヴァインを抱き締めている腕に、セルフィはもう一度力を入れた。
「やっぱり寝ぼけてるじゃないか」
誰よりセルフィの事が好きで、誰より彼女の事を熟知しているアーヴァインには、その台詞がとても正気の状態で言っているとは思えなかった。とは言え嬉しくない訳でもない。言ったのは事実。ならばそれを素直に受け止めても文句はないはずだ、と逆に心の中でセルフィに問いかけた。
「可愛いこと言ってくれるね」
だってもうすぐお別れだもん。
「嬉しいんだけど、セフィこれから外任務でしょ、起きなきゃ」
分かってるよ、だからもうちょっとこうしてたいのっ。
「もう、セフィは……」
アーヴァインの髪がサラリとセルフィの耳に触れるように動いたあと、小さな溜息と共にそんな声が聞こえた。
そして優しいキス。
朝の挨拶のキスだと思ったのに、離れるどころか、段々と深く熱くなっていく。
「んんっ…」
このままだと流石にマズイ、そう思ってセルフィはアーヴァインの胸をぐっと押したが、アーヴァインは離れてくれなかった。これではまるで昨夜の……。
「…ア、アービン、もう起きるよ」
ようやく唇が離れた時、セルフィは大きな身体の下から這い出るようにして起きあがろうとした。
「もう少しこうしてたいんでしょ?」
そういう意味で言ったんじゃないよ〜。でもこの状況では……。
アーヴァインは再び口づけると同時、セルフィの肌をふっと優しく指で撫でた。それだけでセルフィは抵抗する力が弱くなったのを感じる。
「アービン、あかんて…」
「いまさら? 時間はまだあるでしょ?」
優しく諭すような声。
「……でも……」
「もう、黙って。愛してるよ、セフィ……」
その囁きはきっと呪文。自分だけを捕らえ、逃れることの出来ない呪術。
「…ん…っ」
それなのに、何故だろう、こんな時に、こんなコトしてちゃいけない気がするのは。
何だか後ろめたいのは――――。
朝だから?
それとも、これから任務だから?
分からない。今、分かるのは、大好きな人の腕の中でとても幸せだということ。
もう少しだけ、この水蜜のような時にまどろみたいということ。
自分でも可笑しくて、笑ってしまう。
抗うなんてムダだって、最初から分かっているのに。
そして、確かめずにはいられないんだよね。
“求められている”んだって――――。
口にも態度にも出せないことの方が多いけど、何時だって、あたしはその温かさを焦がれてるから。
その長い指を、しっとりとした柔らかな唇を、奇跡のような菫色の瞳を、あたしだけしか知らない渦巻くような焔を纏うあなたを。
慣れたなんて言葉で片付けたくはないけれど、いや、未だに慣れない部分もある。ただ、知っている、憶えている。今肌を滑っているこの指がどんな温度を持っているか、どれだけ優しいか、どれだけ意地悪か。
そして、悔しいことにどれだけ好きか ――――。
「ん、っく……」
この唇がどれだけ甘くて、どれだけ蕩かされるか。
「セフィ」
低くどこか切なげな声が耳元で囁かれた後、何が訪れるのか ――――。
「ごめんセフィ」
まだ気怠い身体をアーヴァインに預けているセルフィの耳に届いたのは、謝罪の言葉。
そんなこと気にしなくていいのに、イヤじゃないのに。
アーヴァインの腕の中、相変わらず律儀だな〜と苦笑しつつ、セルフィはゆっくりと顔をアーヴァインの方へ向けた。
「ドレス着るんだよね? ちょっと痕が見えちゃうかも知れない」
それを聞いて、それまで甘い靄の中でボケボケだったセルフィの頭が一気に覚醒した。
「うそっ も〜、アービン!」
勢いよく飛び起き、身体を見回す。
「あちゃ〜〜」
胸元の、ドレスではちょっと隠れそうにない位置に一つ緋色が見えた。
「ごめんね、セフィ。夢中だったから……」
アーヴァインはすまなそうに、叱られた子犬みたいな瞳をしている。でも今回ばかりは、セルフィは咎める気にはなれなかった。昨夜はちゃんと覚えていたけれど、さっきは自分もすっかり忘れていた。これから大事な任務だと言うのに、これではSeeDとしては失格だ。
「大丈夫だよ、ファンデーションで隠せるから。あ、背中はないよね!」
流石に背中も自分でファンデーションを塗るには少々無理がある。もしあるのなら、別の対策をしないといけない。
「あ、と、大丈夫みたい」
確認する為に触れたアーヴァインの指が、酷く艶めかしくて、再び湧き上がりかけた熱をセルフィは根性で押し戻した。
「じゃ、行ってくるね」
身支度を終え、部屋を出る前に、セルフィはお別れの挨拶をした。
「行ってらっしゃい。連絡してよ、セフィ」
「うん、分かってるよ」
淋しいです、の文字を思いっきり背中にしょっている姿を見てしまえば、セルフィはいつものような茶化した返事をする気にはなれなかった。
「帰ってきた時、美味しいケーキが待っていてくれると嬉しいな〜」
それでも照れの方が先に立って、ついそんなことを言っていた。
「僕よりケーキの方がいいの?」
ギュッと抱き締められた腕の中で聞いた声は、いつもの軽めの、そしてほんのちょっと拗ねたような声だった。
「そんなコトないよ、アービンの作る朝ご飯も、アービンも大好きだよ」
「ん、分かったよ、ケーキ用意して待ってるからね」
アーヴァインがそう言った時には、もうセルフィの大好きな笑顔だった。
「明後日なんてすぐだよ」
セルフィはちょっと背伸びをしてアーヴァインにキスをしてから、自分の部屋を後にした。
※-※-※
「忘れ物はないか?」
「はいはーい、大丈夫! 相変わらず心配性だね、はんちょは」
「セルフィだからだ」
「ぐはっ 容赦ないね。そんなに心配なら他の人に振れば良かったのに〜」
「ベストな人選をしたつもりだ」
「うわ卑怯な言い方、そんな風に言われると何も言い返せないじゃん〜」
大陸横断鉄道のSeeD専用キャビンで揺られながら、セルフィは口ではああ言ったもののスコールとの会話を楽しんでいた。今回は珍しく、というか初めてかも知れないスコールとペアの任務。だから少し緊張もしていたが、どうやらそれは危惧に終わりそうだと思った。
ガルバディア地方都市の、とある民間企業役員のサイドビジネスの裏付け捜査が今回の任務だった。
なかなかに頭の切れる相手のようで、スコールが引っ張り出されたらしい。そして流石はスコール、スタスタッとほんの二日で、もうあと一歩の所まで情報を掴んだ。それの仕上げが今回の任務。別にスコール一人でもいいんじゃないの? とセルフィが訊いたら、ここは絶対セルフィが必要だとの返答で、こうして二人で任務に当たる事になった。
そういう言い方をされれば、セルフィでなくとも、是非協力したくなるというもの。スコールは、いつの間にか本当に人を使うのが上手くなっていた。
本人に自覚があるかどうかは別として。
「麻薬とかさ〜、ほんっと頭にくるよね! 身体も人生もボロボロになっちゃってさ〜」
「そうだな。だが、いくら捕まえても、いたちごっこなのも事実だ。欲しがるヤツが居る限り、提供者は現われる」
「それがムカツクよね……」
セルフィは飲んでいた紙パックジュースのストローをギリと噛んだ。
「この世には、辛いことが多すぎる、忘れたいことが多すぎる」
噛み締めるように言うスコールの言葉を、セルフィは黙って聞いていた。
麻薬に手を出すなんて、絶対やっちゃいけない事だ。だが、もっと許せないのは、それを食いものにして、金儲けをするヤツ。そいつらは人間のクズだ。いや人間以下だ! 今回の任務の相手(ターゲット)はそういう人間だった。表では大企業の重役に身一つで上り詰め、次期社長との注目を集めている切れ者。だが裏では、麻薬密売の組織のボスの顔を持つらしい。らしいというのはその証拠をまだ掴んでいない為だ。
「絶対にシッポを掴んでやる!」
セルフィは紙パックを丁寧に開いた後、思いっきりぎゅうぎゅうと握り潰した。
「まさか堂々と社内のコンピュータにデータを残しているとは思えないが、念のため調べる」
「了解! まかしといて」
「内部構造と手順は?」
「ばっちり、憶えてる!」
髪をひとまとめにして、それをキスティスのようにアップにし、セルフィはピシッとしたビジネススーツに身を包み背筋を伸ばして答えた。
その隣で、これまたどこのエリートビジネスマンかというように濃いグレーのスーツを着こなし、オマケに眼鏡まで掛けているスコールが満足そうにセルフィを見た。
「ミス・ティルミット、宜しく頼む」
「イエス、ボス」
どこから見ても、敏腕ビジネスマンと優秀な部下に扮したスコールとセルフィは、あんぐりと口を開けてしまう程の高さのあるビルのエントランスに足を踏み入れた。
受付で手筈通りアポイントを取ってあった、ターゲットの役員への面会の手続きを行う。その際に、きっと普段はクールで仕事の出来るタイプであろう美人受付のおねーさんが、酷くどきまぎした様子でスコールに応対しているのを目にして、セルフィはポカーンとしてしまった。
『なんなんあのワザ……恐ろしい』
普段鉄面皮のスコールが実に見事な笑顔(それまでのスコールからしたら、ぶったまげるような)で受け付けのおねーさんに接していた。恐らくだけれど、任務於ける対処の一つとして身に着けたのだろうが、それにしてもスコールの笑顔の破壊力は凄かった。限度を知れ! とセルフィは叫びたかった。自分もポカーンと別の意味で釘付けになってしまった。そして、今までのことを知っているだけに、目の前で見てもちょっと信じがたかった。リノア以外にあんな笑顔が出来るなんて、全く想像もしなかった。
伝説のSeeD様は既にその上の領域に足を踏み入れたとセルフィは確信した。
「行くぞ」
スコールの声の方にセルフィがハッと顔を向けると、見慣れたポーカーフェイスがそこにあった。
『変わるのはやっ!』
慌ててセルフィも直ぐさま気持ちを切り替えてSeeDの自分に戻った。でなければ、きっとスコールに呆れられてしまう。それはいやだ、これでもSeeDの端くれなのだから、任務はピシッとこなしたい。
その決心が功を奏したのかどうかは分からなかったが、計画はスムーズに運んだ。
再び歩く凶器と化したスコールのお陰で、大抵の女子社員はスコールに目が釘付けで、実にセルフィは動きやすかった。誰も自分を見ていなかったから、一部の男性社員以外は。それがスムーズに運んだ主な要因だったのは、何となく釈然としないような気もしたが、それは些細なことだ。それよりも結果が伴わなかったのがなんとも残念だった。
別に自分達がヘマをした訳ではない。役員個室には簡単に入ることが出来た。そのドアの前で誰も入って来ないように、スコールは見事に立ち回ってくれたし、自分もターゲットのコンピュータのセキュリティを軽々と突破して、中身は丸裸にしてやった。
だが、そこには欲しいものは何も無かったのだ、何も。
「はやり、社内には置いてなかったな。ということで明日も続行だ」
「りょうか〜い」
「楽しそうだな」
「パーティだもん。滅多に出られないような、セレブなパーティだからちょっとね。あ、任務だってことはちゃ〜んと心得てるよ」
「正直だな、セルフィは」
アイツ以外には、の部分を呑み込んで、スコールはやれやれと思った。また別の意味でやれやれとも思ったが、それについても余計なことを言うつもりはなかった。
実に彼女らしい。
任務なんてものはそう楽しいものではない。だがプラス思考で臨めるならそれに越したことはないとも思う。その方が成功率が高い。自論ではあるが。
「今日はこのままホテルに向かう。明日は、予定の時間に迎えにいく」
「りょ、う、か、い〜」
返ってきた軽めの返事に、さっき任務は心得ていると言ったセルフィの信頼度が少しばかりぐらついた。そして、ちょっとだけ溜息をついた。今でも時々だが、本心が読めなくなる。セルフィはあけっぴろげなようでいて、見せない部分は絶対に見せない。多分付き合いが長いからこそ気が付く部分だとスコールは思った。アイツにもそうなんだろうか。スコールはアーヴァインの苦労が、ほんの少し分かったような気がした。
スコールの心配を他所に、セルフィは次の日、早めに起きてちゃんと支度を始めていた。
支度とは言ってもそんなにすることはない。ただ、今まで出席する機会のなかった、有名人やお偉いさんの面々が揃うようなパーティに出席しなければいけない上、それが任務であるということに結構緊張していたからだった。スコールに指示された約束の時間三十分前には、支度は終わった。
今日のドレスは、杏色の光沢のない柔らかな生地の身体のラインに添ったストラップワンピース、ハイウエストの切り替え部分にはドレスより濃い色の光沢のある生地がアクセントになっている。スカート丈は膝上で適度にレースが付いていて程良く裾が広がる。首にはウエスト部分と同じ光沢のある刺繍入りリボンに、クリスタルの小粒なペンダントトップを付けて、チョーカー風に。今日のパーティには子供っぽい装いのような気もしたが、スコールから「こういうイメージで」とこれまた指示があったので、このチョイス(キスティスに相談して、だけど)。
「確かにあたしはセクシーなタイプじゃないけどさ、どうしてこの指示なんだろ……」
セルフィは鏡の中の自分を見て少し考え込んだ。今日みたいな、パーティならロングドレスの方がふさわしいような気がしたのにと思う。だが、それが自分に似合うかどうかは、また別問題だった。
セルフィはもう一度鏡を覗いて腕を組み直した。
「あ、忘れてた」
腕を動かした時、胸元にほんの僅か色づいている部分があった。昨日のアレ。それに気が付いて、誰もいないのに少し恥ずかしくなってしまった。だが、幸いにもその徴は昨日より色も薄くなっていて、簡単にファンデーションで隠す事が出来た。セルフィは自分の意志とは関係なしにちらつく、昨日のアーヴァインの残像を頭から追い払い、鏡の中の自分をすっくと見据えた。
「よし、準備オケッ!」
ガツンと気合いをいれた所で、ドアからノックの音が聞こえた。
「お待たせスコール」
「………………」
「なに〜? その沈黙は」
綺麗にドレスアップをして出てきたセルフィに、スコールは無言だった。
元々スコールは口数が少ないので、それが普通と言えば普通のことだ。けれど、ドレスアップした女の子を前にした時くらい、お世辞の一言があってもバチはあたらないだろう。あまつさえ昨日行った企業では、任務とはいえスコールはかなり愛想を振りまいていたのだから、出来なくはないと思うのに。反面、そういう少し不器用な所がスコールがスコールたる所以かな、とも思った。
「荷物を持とう」
けれども、ちゃ〜んと荷物を持ってくれる優しさは忘れていない。リノアなら褒め言葉の一つもなかった所に、不満が出る所かも知れないが、セルフィにはそれで十分だと思った。
「ありがとう、今日はパートナーよろしくね、はんちょ」
半歩後ろを歩きながら、セルフィは昨日よりもファッショナブルなスーツに身を包んだスコールを見上げた。
「パートナーなら、はんちょとは呼ぶなよ」
スコールはいつも通りの声で返した。
「はい、了解であります」
わざと大袈裟に返事をしたセルフィを、スコールは一度見た。そして咎めるでもなく、どちらかというと頬を緩めてフロントへと向かった。