白の開襟ブラウス、黒の膝丈タイトスカート、細身のシルエットのジャケット、ごく肌の色に近いストッキング、黒の5cmヒールのパンプス。
「よし」
余り着る機会のない服装だけに、つい鏡の前でのチェックが長くなってしまった。何とかそれなりの形にはなっているようだ。はたと気が付くと、もうホテルを出なければいけない時間になっていた。急いで必要な物を入れた小さ目のショルダーバッグを持ち、部屋を出てエレベーターに向かう。エレベーターに乗った所で、アーヴァインから携帯にメールが届いた。『今ロビーに着いたよ』と、相変わらずまめだな〜と思った。エレベーターを降りると、フロントとは反対側に置いてある背の高い観葉植物の横に、ブリーフケースを持った、スーツ姿の若い青年が立っていた。アーヴァインを捜して、その青年の横を通り過ぎようとした時、
「セフィ、おはよう」
と直ぐ近くから聞こえた。
横を見上げると、後ろ姿だったので全く分からなかったのだが、どうやら通り過ぎようとした青年がアーヴァインだったらしい。
「うわ、アービンおはよー」
「びっくりした?」
アーヴァインは楽しそうに悪戯っぽく笑っている。
「びっくりした、アービンのスーツ姿なんて初めて見たもん」
「で、どうかな? それなりに見える?」
そう言われて、改めてアーヴァインの姿を見る。黒のスーツ姿、髪はいつもの少し無造作な括り方と違って、整髪料で整えてきちんと結わえられいる。ジャケットは肩がかちっとしているので肩幅が広く見えるし(背が高いし元々広いんだよね)、全体的に幾分細身のシルエットのスーツは、まるで誂えたようにアーヴァインに良く似合っていた。
何て言うか、身長が高くてスタイルさえ良ければ、大抵の服装は似合うものなんだな〜と。ファッションモデルと言っても通じそうな着こなしに、鏡で見た自分のスタイルを思い出して、セルフィはちょっと妬けた。キスティスとは言わないけれど、せめてリノア位背があれば、自分だって颯爽と着こなせるのに〜、と思うと溜息が出た。
「セフィ?」
「あ、うんアービンは何を着ても似合うと思うよ」
「ホントに?」
セルフィの言葉にあんまり嬉しそうな顔をするので、『きっとドレスでもね』とも思ったが、その部分は口に出さないでおいた。
「セフィも、すごく素敵だよ。タイトスカートってちょっとドキドキするね」
「何か、エロおやじみたいだよ」
「ごめん、そんなつもりじゃないんだよ〜」
「分かってるよ」
黙っていれば別人みたいだけど、喋るとやっぱりアーヴァインなんだ、そう思うとセルフィは可笑しくて吹き出してしまった。
何だか久し振りに笑った気がする。やっぱりアーヴァインと一緒に居ると楽しい、素の自分で居られて楽だ。
「まだ笑うのセフィ」
「あはは ごめんごめん、ね、朝ご飯食べようよ」
困ったような顔をするアーヴァインの腕を取って、フロントに鍵を預けホテルを出た。
まだ早朝という事もあって、適当な飲食店は開いていなかったので、たまたま目に入ったファストフード店で軽く朝食を済ませ、カリエ議員のオフィスに向かった。
「カリエ議員の今日の予定は、昨日ご連絡した通りで、変更はありません。本日の警護はお二方だけです。何かご質問はありますか?」
オフィスに着くと、すらりとした美人の秘書からスケジュールの連絡を受けた。今日の議員の予定は、三箇所の福祉施設の視察と、その後オフィスでの取材が一件。やがて議員が到着し、SeeDという事は伏せ新しく入った警備として紹介された。
議員は、気さくにアーヴァインとセルフィに握手を求め「宜しく」と声を掛けたくれた。少し浅黒い肌と薄い茶色の髪、澄んだ蒼灰の瞳が印象的な人だった。まだ若く精悍な顔には、何者にも揺るがない強い意志が感じられた。
一通り紹介が済むと、休む暇も無く最初の視察地へ向けて出発する。最初の訪問施設は、不治の病の人達が最期の時を迎える為のホスピス。議員の左と右を、少し前後に間を開けてつかず離れず、四方に神経を張り巡らし、一団に溶け込むように歩く。
死を間近に控えた人々が共に暮らすその場所は、同じように死を身近に見ている自分達が居る所とは、まるで雰囲気が違っていた。
死を感じさせない程に、建物の中は外と違う時間がゆっくりと流れているような。そう、人々の顔が皆穏やかなのだ。「こんにちは」という何気ない挨拶にすら、笑顔が見える。死を前にして、人とはこうも心穏やかに居られるものなのかと、強制的に断末魔と共に終わらされる死ばかり見てきた二人には、ある意味衝撃的な光景だった。
“死に様”という事を考えた時、必ず此処の事を思い出すだろう。記憶の片隅に押しやられたとしても、忘れ得る事はないだろうと思える出来事、ここはその中の一つだとアーヴァインとセルフィは思った。例えこの身が穏やかな死とは、対極の場所に在ったとしても。
次の訪問先は、親を失ってしまった子供が暮らす施設だった。二人にとっては、ある意味懐かしくもある場所。ホスピスとは違い、生気に満ちあふれている。紛争の多いこの地域では、親を亡くす事はそう珍しい事ではない。だがそこには悲しみよりも、笑顔と好奇心を乗せた瞳の方が多かった。かつての自分達の姿を見ているような、明日と希望と可能性、そんな言葉がよく似合う場所。先の施設とは対極にある場所。けれどどちらにも笑顔があった。恵まれているとは言えない環境や境遇でも、心の持ちようで、人は幾らでも笑えるのだと漠然と二人は感じた。
この施設の視察を終わった所で、遅い昼食を摂り、今日最後の訪問先へと向かった。そこでも先の二つの施設と同じように、特に怪しい人影や気配を感じる事もなく、議員の視察は問題無く終了した。
オフィスに戻ると、議員には地元紙の取材が入っていたが、アーヴァインとセルフィの警護は必要なしという事で、本日の任務は終了となった。
「ご苦労様でした。明日も宜しくお願い致しますね」
議員の美しい秘書は、慈母の様な微笑みを二人に向けてというか、少しばかりアーヴァインの方を見て言った。が、アーヴァインもセルフィも、秘書の方は殆ど見ていなかった。セルフィは、近くの机に座っている若い事務員の男に、何かサインを送られていたし、それに気が付いたアーヴァインはムッとしてそちらに気を取られていた。
「ティルミットさん、夕食を一緒にどうですか? 地元の美味しいお店を紹介しますよ」
オフィスを退室しようと歩き出した二人に、さっきの事務員が話しかけてきた。
「う〜ん、そうですね」
「あ、すみません、僕らこれからホテルに帰って明日の打ち合わせがありますので、ご厚意だけ頂きます」
セルフィが答えるより早く、アーヴァインは笑顔でそう言って、セルフィの背中を押すようにしてオフィスを後にした。あまりの素早さに、若い事務員は呆然と二人を見送るだけだった。
「アービン、失礼やろ! 折角誘ってくれたのに〜」
「知らないよ〜」
美味しい店という単語に惹かれ、セルフィは素直に言葉に甘えようと思っていた。それをアーヴァインがさっさと断ってしまったので、ちょっと腹を立てていた。なのに、アーヴァインは飄々とすっとぼけている。アーヴァインの思っている事は何となく分かるけど、でもさっきのはあんまりだと思う。
「アービンのアホ」
「酷いなあ、じゃあセフィはあの男と二人で食事に行って、その後どうにかなったりしても良かったの?」
「なんでそうなるかなー、アービンと三人なんだから、大丈夫に決まってるよ〜」
「アレ? 僕も入ってたの?」
「入らないつもりだったの?」
全く……。お互いの思い込みっぷりが、可笑しいやら呆れるやら。
「仕方がないな〜。今日の夕食、アービンのおごりだからね〜」
「え〜」
アーヴァインは声こそ納得がいかないという感じだったが、顔は逆の表情をしていた。
「それじゃ明日」
「セフィ、いくら好物でもアイスはお腹を壊さない程度にね」
「分かってるよ〜」
そのアイスを「他のはいいの?」とか言いながら買ってくれたのは誰よ、と思いつつセルフィはホテルの自室へと入った。
「はふー、疲れた」
着替えもしないままベッドにごろんと倒れ込んだ。慣れない服装と、常に神経を張り巡らす任務で、身体は確かに疲れている。だが同時に充足感も感じていた。
「明日もこの調子でがんばろ」
起きあがり、アーヴァインが買ってくれたアイスクリームのフタをぺこっと開けて、セルフィは呟いた。
※-※-※
「おはようございます。今日で最後ですが、宜しくお願い致しますね。本日は若干の変更があります」
今日も、涼やかな笑顔で美人秘書が、説明してくれた。
本日の予定は、市内の最も大きな建物で行われる会議が一件のみ。そこそこな規模の会議なので、警護の人数も今日は自分達を含めて五人。一議員に対してこの人数は多すぎるとも思えたが、逆に言えばそれだけの人数が必要な理由が存在しているという事なのだ。
オフィスで打ち合わせをして、議員と共に会場へと向かう。次々と、磨き上げられた車に乗った会議の参加者が集まってくる。その中を、周囲に細心の注意を払いながら、指定の控え室まで移動する。距離こそ短いものの、議員を狙っている相手がもしプロだとすれば、警備の厳しいこの場であっても油断は出来ない。だが幸いにも、何のトラブルも無く会議は始まった。会議が終了するまで、与えられた部屋でオフィスの面々と共に待機する。会議は途中幾度か中断したようだが、予定の時間通りに終わった。後は、議員がオフィスに帰れば任務終了となる。
カリエ議員は、この後特に予定も入っていないという事で、混雑が解消した頃に退出する事になっていた。
「そろそろ行こうか」
という議員の声に、皆が動き始める。余り広くはない通路を通り、エレベーターで地下の駐車場へと向かう。駐車場にはまだ幾人かの、会議出席者の一団が居た。その中の一団の横を通り過ぎようとした時、アーヴァインは何か妙な気配を感じた。どこが“妙”なのかと聞かれば返答に困るが、経験で培った勘のようなもの、とでも言えばいいのか。過剰反応かも知れないが、神経は違和感を感じた斜め後方に向けたまま歩を進める。カリエ議員の車まで数メートルの所まで来た時、神経を向けていた先から、足音を押し殺したように何かが近づく気配を感じ、直ぐさまその方向へ振り向くと、冷たい怒りと、正気とは思えない眼をした男が目の前に迫っていた。
『クソッ、あの距離をこんな短時間で!』
ただならぬ形相の男に向かって体勢を取る前に、アーヴァインは男に体当たりをされた。相手は小柄だったが、これだけ不意を突かれてはアーヴァインとて対処のしようがない。倒れ様に掴んだ男の腕を、捻るように引いて男のバランスを崩す。男はつんのめるように前に二三歩進んだが、バランスを崩しただけで倒れはしなかった。だがそこまで行くと、他の警護の者達も皆気づき、カリエ議員には直ぐさま人の盾が出来る。男はチッと舌打ちをして、常人ならざる早さでその場を離れた。議員の安全を確認したセルフィが、その男を追った。だが、男の足は恐ろしく速く、差は一向に縮まらない。駐車場の出口付近まで来たとき、銃声がしたかと思うと、男が突然倒れた。セルフィが男の所に辿り着くと、男は腿を手で押さえ、その手元からは血が流れていた。セルフィは、男の手を後ろ手に捻り上げて手錠をかけ、暴れる事が出ないよう体重を掛けて押さえる。
騒ぎに気が付いた会場の警備員と議員の関係者が、男の所に集まってきた。セルフィが駆けつけた警備員に、男を引き渡そうと力を緩めた時、男からも力が抜けたのが分かった。顔を見れば眼は見開き、半開きになった口からは一筋血が流れていた。
「死にやがったのか」
誰かがそう言うのが聞こえた。
「大丈夫ですか!?」
議員の居る方で、女の人の声が聞こえた。誰か怪我をしたのだろうかと、声のした方にセルフィは顔を向けた。集まった人々の隙間から、銃を手にし座っているアーヴァインの姿が見えた。あの美人秘書がアーヴァインの傍で膝をつき、心配そうな顔をしている。
「まさか…」
そう思うが早いか、セルフィはアーヴァインの元へ駆け出していた。
「アービン、怪我したの!?」
確かにジャケットの脇は切られていた、白いシャツに血が滲んでいるのも見える。セルフィは、アーヴァインの姿に酷く動揺した。傷は深いのだろうか、他には怪我していないのだろうか、そんな事ばかりが頭の中を駆け巡る。
「大丈夫だよセフィ、ちょっと掠っただけだから」
そう言って手を握られ、漸くセルフィは我に返った。アーヴァインは笑っている、そうか大した事は無かったんだ。
「とにかく手当をしましょう」
「あ、はい。セフィは、先に帰ってて」
「え、でも…」
「まだ任務は終わってないよ」
アーヴァインはそう言って、議員の乗る車の方へ視線をやった。
美人秘書と共に建物の中へと入って行くアーヴァインに、後ろ髪を引かれながらも、セルフィは持ち場へと戻った。
「ご苦労様でした、大変でしたね」
議員の小さなオフィスに戻ると、昨日食事に誘ってくれた若い事務員の男性に、労いの言葉をかけられた。
「いえ」
アーヴァインの事が気になって、セルフィはそれ位しか言葉が出て来なかった。若い事務員は、何事か言いたげだったが、心ここに在らずなセルフィの様子に、話しかけるのを諦めたようだった。
ふいに電話のベルが響く。
「はい、カリエ議員事務所です。あ、お疲れ様です。はい…」
「アービンはああ言ったけど、本当に大丈夫なんやろか」
もう議員のオフィスに帰ってから、随分時間が経っていた。だが、アーヴァインはまだ帰って来ない。セルフィはまた、悪い方に考えが向きかけて、鬱々としていた。
「ティルミットさん、キニアスさんの怪我は軽いそうですよ。念の為、今病院で診察を受けていらっしゃるそうです」
「そうなんですか、わざわざありがとうございます」
若い事務員の言葉に、漸く安心する事が出来た。
「ティルミットくん、すまないね。私を守ってくれたのに何も出来なくて」
「いえ、気になさらないで下さい。私達は役目を果たしただけですから」
議員の温かい思い遣りが嬉しかったと同時に、済まなく思った。依頼主を守るのが自分達の仕事なのだから、こんな風に心配させてしまうのは、プロとしては恥ずべき事のような気がする。
「そうかも知れないが、怪我をした人の心配をするのは、人としてごく当たり前の事だよ」
「…はい」
「君は、ひょっとしたらSeeDかな?」
「え!?」
「勘なんだけどね、身のこなしがね、そんな気がして。私の弟がSeeDだったんだよ。もう亡くなってしまったけど…」
議員の蒼灰の瞳は、真っ直ぐにセルフィを見、そして何処かその先を見ているようでもあった。
「亡くなられたのは、任務で…ですか?」
「ああ、そうだよ。彼は名誉の死を遂げたのだから、讃えるべきなんだろうけど、私にとってはたった一人の弟だ。どんな無様な姿でも生きていて欲しかったんだよ。だから、君達のような若者が、戦いの中に身を置かなくても済むよう、少しでも世の中が良くなるよう、私は政治家になった」
「カリエ議員……」
手を組み静かに語る議員を、セルフィも静かに見ていた。
「つまらない事を話したね。もうキニアス君も心配はないようだし、君もホテルに帰るといい。キニアス君はこちらできちんと送るからね」
昼間の精悍な顔つきからは想像も出来なかった柔らかな笑みを浮かべて、議員はセルフィにそう促した。
「それと、本当なら今日ガーデンに戻るはずだったそうだね。もうこんな時間だし、今夜のホテル代と明日の高速艇代はこちらで出させて貰うよ」
厚意は有り難いが、そんな事までして貰う訳には行かないと、辞退を申し出た。だが議員は個人的な我儘だからと、頑として譲らず結局甘えさせて貰うことになった。セルフィは丁寧に礼を言って、カリエ議員のオフィスを後にした。一人で食事を摂る気にもなれず、通り道にあったファストフード店でテイクアウトをして、ホテルの部屋へ戻った。
ガーデンへ任務状況の連絡の為通信を繋げると、既にカリエ議員のオフィスから連絡が入っており、ガーデンへの帰還が予定より遅くなる事は了解済みだった。アーヴァインの怪我についての簡単な報告をし、本人から詳細を連絡する事を約束して、通信を終えた。
「取り敢えず、シャワーでも浴びようか」
任務が終わってもすっきりせず、のろのろと疲れた身体を機械のように動かし、セルフィはバスルームへと向かった。任務中に同行のメンバーが負傷するなんて事、今までにも何度かあった。なのに……何故、あんなに動揺したのか。熱いシャワーに打たれながら、さっきのアーヴァインの姿が脳裏に浮かんだ。
「誰かが怪我をするのは、やっぱりいやだよ……」
そう、例えアーヴァインで無くとも、それは同じだとセルフィは自分に言い聞かせた。
バスルームから出ると、携帯のイルミネーションが点滅しているのが見えた。メールがあったようだ。取り上げて、内容を確認する。『今、ホテルに向かってるよ〜、お腹空いたよ〜』と、アーヴァインからだった。なんて呑気な文面。それでも元気そうな様子に、思わず顔が綻んだ。
「良かった、もう帰ってくるんだ」
そう思った途端、眠気に襲われた。
「アーヴァインが帰って来るまでちょっと眠ろう」
髪もろくに乾かさず、バスローブのままセルフィはベッドに横になった。