いくつ季節を過ぎてもここに…

7
 イタタタタ、何か腕が痺れて痛い。身体の下になっている腕をゆっくりと引き抜いて反対の腕でさすった。どうやら、無理な体勢で寝ていたらしい。部屋の明かりも点けっぱなし。身体もバスローブのまま。ちゃんとして寝ようと、セルフィが身体を起こした時、ふと時計が目に入った。
「あれ、まだこんな時間だったんだ」
 シャワーを終えてから、丁度一時間半くらい経っているみたいだった。
「アービンもう帰ってきたよね。そう言えばお腹空いたって……」
 アーヴァインからメールを受け取った後、寝てしまった事を思い出した。テーブルの上には、夕食にと買って来たチキンサンドの残りがある。それを見ながらセルフィは、う〜んと暫く考えた。
「やっぱり気になるっ」
 パパッと着替え、半乾きで寝てしまいハネまくった髪を梳かして、チキンサンドの入った紙袋を掴むと、セルフィは部屋を出た。隣のアーヴァインの部屋のドアをコンコンとノックする。暫く待ったが返事も無く、ドアが開く気配もない。「アービン」と呼んで、もう一度ノックをしてみる。今度は「ちょっと待って〜」と、アーヴァインの声が聞こえた。それから更に待って、やっとドアが開いた。
「アービン、夕食は食べた? 良かったら…こ……れ」
 部屋の奥に向かって歩きながら、チキンサンドの紙袋をくいんと掲げ、勢いよくそこまで言ってセルフィは固まった。
 アーヴァインは首に掛けたタオルで、雫の溢れる髪を拭いていた。それはいい、別にそれだけなら何の問題もない。ただ、身体も濡れていて、腕を、肩を、厚みのある胸板を雫が伝っていた。下はちゃんとジーンズを穿いていて、残念ながら分からな――、いやいやいやそうじゃなくて。何て言うか、その姿がとても衝撃的で刺激的で、固まってしまった。
「あ、ごめんね、こんな格好で。シャワーを浴びていたら、ノックの音がしたんで、急いで出て来たから…」
 アーヴァインはちょっと肩を竦めて笑いながら、セルフィの方を見ていた。
「あ、あたしこそごめんね、タイミング悪くて。ケガ大丈夫?」
 バックンバックン言っている心臓と、訳もなく落ち着かない脚、それよりもアーヴァインの脇腹に貼ってある医療用テープが気になった。
「うん、大した事ないよ。縫う程深くも無かったし、直ぐ治るよ」
 アーヴァインは、テープの貼ってある場所を手で撫でた。そうすると、また雫が身体からぽたりと落ちる。妙にエロいから動くんじゃない! 口に出して言う勇気は無かったけど。
 引きつった笑いと共に、「そうなんだ、良かった」と言うのが、セルフィの今の精一杯だった。
「セフィに心配かけちゃったね、ごめんね」
 腕を上げて頭を掻いたりするもんだから、また雫が溢れる。だから、動くなと何度……言ってないけど――。
「心配してないからだいじょぶ。コレ、良かったら食べて」
 アーヴァインに無理矢理紙袋を押しつけると、足早に部屋を出た。ドアを締める間際「じゃ明日ね」と笑顔(のつもり)で言った。そんなセルフィに、アーヴァインは小さく笑って手を振ってくれたりする。だから、うごく――――。


「ふう」
 自分の部屋に入ると、心臓の上でをぎゅっと手を握り、ドアにもたれてセルフィは大きく息を吐いた。
 まだ動悸が収まらない。
 何故こんなにドキドキしているのか。男の人の半裸なんて、そう珍しくもない。プールや海へ行けば、そこら中にゴロゴロしている。お父ちゃんなら、素っ裸だって見た事がある。
 人の身体の構造なんて皆同じではないか。
 ただ――、綺麗だなとは思った。
 筋肉のバランスが絶妙というか、絵になるというか、美しい女性の裸体絵画を見た時のような、そんな印象。それと、妙に艶めかしかった。女の人の裸を、美しくて色っぽいと思った事はある。でも、それが男の人にも当てはまるとは、思いもしなかった。
 さっきまでは――――。
「なんか、あっつ…。…………さっさと寝よ」
 セルフィは、脳裏にこびりついたアーヴァインの姿を振り払うように、頭をぶんぶんと振り、上掛けにくるまるようにして目を閉じた。



「おいひ…」
 台風のようにやって来て去って行ったセルフィが置いていったサンドイッチ。夕食は軽く済ませていたけど、セルフィが持ってきてくれたというだけで、パクついてしまった。二つ目のチキンサンドを頬張りながら、髪をドライヤーで乾かす。ペットボトルの冷たいミネラルウォーターを一口飲んで、ベッドに腰掛けTシャツを着ると、アーヴァインはごろんと横になった。
「う〜ん、なんか幸せ〜」
 少しアクシデントはあったものの、任務は無事終了。明日バラムに帰るまでは、セルフィと二人きり。かなりワクワクする、ワクワクするのだが――。一方でひょっとしたら、セルフィからの返事を受け取る事になるかも知れない、と思うとちょっと複雑だった。返事の内容によっては、明日の帰路は天国と地獄ほどの差が出る。覚悟の上でセルフィに告白をした。だが出来れば嫌な返事は聞きたくないなとも思う。複雑な男心。自分を生かすのも殺すのも、今やセルフィの胸三寸。
「ホントは覚悟なんか出来てないんだよね」
 そろそろ決着をつけたいとは思っていたけど、あのタイミングで言ってしまったのは、もう勢いとしか言い様が無かった。後は結果を待つだけ、……なんだけど、これが生殺しな感じで結構キツい。セルフィの仕草、態度に一喜一憂する。彼女はそんな自分の心境など、思いも及ばないかも知れないけど。
 でも、セルフィが笑顔をずっと失わないでいてくれるなら、傍らにいるのが自分じゃなくても諦めがつく。セルフィが自分のものになっても、それで彼女の笑顔が消えてしまうのでは何の意味もない。彼女が笑顔でいてくれる事こそが、最も重要で一番望む事。



※-※-※



「セフィ、セフィ、起きて。高速艇に乗り遅れるよ」
 アーヴァインの、少し低くて甘やかな声がする。
「う〜ん、待ってもうちょっと…」
 昨夜、なかなか寝付けなかった、だからあとちょっとだけ、寝かせてほしい。
「セフィ、ほら起きて」
 う〜、分かったから、起きるから。眠い目を擦りながら、身体を起こす。ぼやけた視界に、覗き込むようにして立っているアーヴァインの姿が見えた。アービンはせっかちなんだよ〜、まだ時間あるやん〜。
 時計はまだ、出発までには十分な時間がある事を示していた。
「セフィ、ちゃんと歩きなよ」
 大丈夫だよ、あたし朝はいっつもこんなだもん。完全には開いてない瞼と、ぼ〜っとした身体で壁伝いにバスルームに向かう。歯ブラシにペーストを出しながら、片目を開けて鏡を覗く。明らかに寝不足な顔。ごしごしと歯を磨くと、ミントの香りでやっと目が覚めてきた。顔を洗って、ふうーと息を吐く。
 今日はバラムに帰れる、そしたら、休日が待っている、何をして過ごそうか。タオルで水気を拭きながらバスルームを出て、ベッドの方に向かうと、何かにドンとぶつかった。
「もーアービン、何でこんなとこに立ってん〜」
 タオルの隙間から見上げると、笑顔のアーヴァインが居た。
「セフィ」
「んー?」
「好きだよ」
 あれ、今そんな話する? ちょっと、髪と頬を掬うように触れるその手は何〜?
「な、何?」
 怪しい雲行きに、一歩後退るとベッドに突き当たり、尻餅を着くようにセルフィは倒れ込んでしまった。
「僕の気持ち、分からない?」
 いや〜、一応は知ってるけど、それより、今何がどうなっているのか分からないよ〜。
 って、アービン何時の間に上半身裸になってんのーー!! その姿で動くんじゃない!!
 尚もアーヴァインはにじり寄って来る。俗に言う、“押し倒された”に限りなく近い状態。
 ちょっと待って、いくら何でも色々すっ飛ばし過ぎだよ! いや、そうじゃなくて、あたしの気持ちは無視なの〜っ!?
 既にアーヴァインの顔はセルフィの真上にあって、ゆっくりと近づいて来る。
「ちょっと待ったーーー!!」
 思わず目を瞑って、手で突っぱねて叫んだ。


「って、アレ?」
 伸ばした腕には何も当たらない、いくら動かしても何も無かった。恐る恐る目を開けると、天井が見えた。アーヴァインの姿なんてどこにも無い。
 も、もしや……夢オチ?
 セルフィはベッドに寝たまま、脱力した。
「なんちゅー夢見るかな…」
 分かり易すぎる自分に苦笑した。そんなにアーヴァインのあの姿は、頭の中に焼き付いたのかと。確かにアレは、凄かった。
 けれど、これじゃあ、まるで自分が――。

 pipipipipiipipipipi…
 起きる時間に合わせてセットしてあったアラームが鳴った。
「お、起きよ…」
 何時までもベッドでごろごろしてる訳にもいかない。セルフィはのそりとベッドから降りて、バスルームに向かった。
 本当に、夢とは訳が分からない事が多い。どうしてそうなるのか、何故普段気にもしていない人物が突然出て来たりするのか。起きた後、思い出して首を捻る事なんて、よくある事だ。夢なんてみんなそんなもの、気にする事はない、ガシガシと歯を磨きながら、セルフィは思った。
「よし、完了、いこか」
 鏡に向かって気合いを入れ、バッグを肩にかけると部屋を出た。ロビーに降りて、少し見回してみたがまだアーヴァインの姿は無かった。
「まだ約束の時間には早いしね」
 待っていようかとも思ったけど、先にチェックアウトの手続きをする事にした。手続きが終わって、ロビーに戻ろうとした時、アーヴァインがエレベーターから降りて来る姿が見えた。
『大丈夫、大丈夫、ちゃんと服着てる』
「アービン、おはよう」
 深呼吸をして、いつものように笑顔で挨拶を試みる。
「おはようセフィ、早いんだね」
「うん、たまにはね」
 心配をよそに、冷静に会話をしている自分に安堵した。




「喉が渇いたから、ちょっと何か飲んでくるね」
「うん」
 セルフィはポケットに携帯を突っ込み、席を離れた。
 ドールからバラムへ向かう高速艇、ガーデンの物では無く民間の物なので、ガーデンの高速艇で帰るよりも倍近く時間が掛かる。
「ふうー」
 風の当たるデッキの椅子に座り、脚を前に伸ばして一息つく。ペットボトルから口に含んだ冷たいミネラルウォーターが、喉からゆっくり下へ降りていくのが分かる。イヤホンを付け目を閉じて、お気に入りの音楽に耳を傾ける。
 席に戻らずにデッキに来たのは――。
 アーヴァインと一緒に時間を過ごすのは嫌いじゃない、と言うより結構楽しい。何もない時ならば。只、今は昨夜の事とか(これは一方的な事だけど)、アーヴァインにこの前の返事を聞かれると、困る自分が居るからだった。まだ、どうしたらいいのか、どうしたいのか自分でも分からない。
 ふと、足元の近く大きな振動を感じた。目を開けてみると、小さな女の子が倒れている。転んでしまったのだろう、床から手を離しパンパンと払っている。直ぐに女の子と同じ位の男の子が駆けてきて、女の子の腕を取って立ち上がるのを手伝い、「だいじょうぶ?」と服の汚れを払う。「うん、ありがと」と女の子は、男の子に向かって笑って言った。
『可愛いな〜』
 セルフィはその様子を目を細めて眺めた。
「あっ」
 男の子が、女の子の先を見て、声を上げた。
「キャンディ、落っこっちゃった」
 その声に、女の子が落ちてしまったキャンディを拾い上げ、残念そうな顔をしている。
「ね、これあげる」
 セルフィはヒップバッグの中から、アーヴァインに貰ったキャンディを取り出し、女の子の前にしゃがんで、キャンディを差し出した。女の子は一瞬戸惑った風だったが、セルフィの笑顔を見て安心したのか「ありがとう、お姉ちゃん」と言って、嬉しそうに受け取ってくれた。
「ちっさい頃思い出すな〜」
 手を繋いで去っていく小さな二人の姿に、自分の子供の頃の姿が重なる。
「アービンも、いつもあんな風に助けてくれたっけ」
 二人の姿が見えなくなると、セルフィはデッキの手摺りに背中を当て、手でしっかりと身体を固定し、頭を後ろに反らし空を仰いだ。
 青い ――。
 どこまでも青い。

 何時の時も、どこにいても、変わらない青さ。
 変わらず、そこにある――――。

 もっと反らすと、太陽の光が目に入った。
「うわ」
 思わず眩しさから逃れようと、身体を動かしたはいいが、無理な体勢をしていた上、急に動いた為バランスを崩して、一瞬上も下も分からなくなり、気が付いたときには、顔面から床へ倒れ込みかけていた。もうダメだと思って、ぎゅっと目を閉じたが、いつまでたっても来る筈の衝撃は訪れなかった。
「セフィ、大丈夫?」
 頭上から聞こえた声にセルフィが目を開けると、アーヴァインの腕に抱き留められていた。
 子供の頃から優しいアーヴァイン、いつもこうして手を差し伸べてくれるアーヴァイン。
 まだ答えを出す事は出来ないけれど、その時が来るまでこうしていたいと思うのは、どうしようもなく我儘だって分かっているけど、でも――。
「ごめんね、アービン、ありがとう」
「うん? どういたしまして」
 あの頃と少しも変わらない優しい笑顔に、つられるようにセルフィも笑った。
「いて」
 そうだった、アーヴァインは怪我をしているんだった。迂闊にもその事をすっかり忘れていた。
「ごめん、アービン、傷が…」
 直ぐさま、アーヴァインの腕から離れて、怪我をした脇腹に手を当てる。
「大丈夫だよセフィ。本当に怪我は大した事ないから、ナイフが少し掠っただけだから」
 アーヴァインは、笑ってそう言ってくれたけど、やっぱり気になった。
「確かめる?」
「うん」
 アーヴァインは半ば冗談のように言ったつもりだったけれど、セルフィは至って真面目だった。アーヴァインは意外な答えに苦笑しながらも、セルフィに怪我をした脇腹の部分を見せる為に、シャツをたくし上げた。
「血は滲んでないみたい」
「ほらね、大丈夫だって、僕は結構頑丈だよ」
 まだ済まなそうな顔をしているセルフィに、柔らかく微笑む。
「ごめんね、アービン」
「もう、それ以上ごめんて言ったら怒るよ」
 セルフィの頭をくしゅくしゅと撫でると、大きな飛沫がデッキまで跳ね上がって来た。「風が冷たくなって来たね、そろそろ中に入ろう」とアーヴァインに促され、セルフィは素直に彼と共に船内へと入った。



※-※-※



「アービン、アービンどこにいるんだろ〜」
 キスティスに、ついでに渡しといてと頼まれたアーヴァインの新しい認証カード。生憎とセルフィの携帯電話は電池切れで、散歩がてらガーデン内のどこかに居るであろう、自分と同じく休暇中のアーヴァインを捜していた。
 校庭に続く階段の植え込みの木の脇を抜けると、捜している長身を見つけた。近寄って声を掛けようと思った時、後ろを向いているアーヴァインの影から、制服姿の一人の少女が現れた。セルフィの知らない綺麗な少女。別に気に掛ける事も無く歩を進めると、アーヴァインがこちらに振り向いた。それに気が付いたのか、少女もこちらに視線を向ける。アーヴァインはセルフィの姿を認めると、笑顔で手を振ってくれた。そして、傍らの少女が、アーヴァインとは全く逆の表情で、自分を見ている事にもセルフィは気が付いてしまった。知らない内に、足が止まる。話しかけようかどうしようかと迷っている所へ、自分を呼ぶ声が後ろから聞こえた。
「ゼル」
 今日も、無駄とも思えるような陽気さと元気さで走ってくる。
「ようセルフィ」
「どしたん?」
「次の任務宜しくな」
「何? 次の任務ゼルと一緒なん?」
「お、知らなかったのか。ま、俺も今聞いたとこだしな。久し振りのモンスター退治、腕が鳴るぜ」
 シュッシュッと、軽快なフットワークで拳を繰り出す仕草をするゼル。
「なんで〜?」
「ずっと護衛とか、暴れる機会のない任務ばっかりだったんだよ」
「そうだったんだ。そう言えばあたしも〜」
「セルフィもか」
 ニッと笑った顔が本当に明るくて元気で、なんだか見ているだけで元気が出てくる。
「あ、そうだゼル、これアービンに渡してよ。あたしちょっと師匠に呼ばれてるんだ〜」
「おう、いいぜ」
 たまたま此処に現れたゼルにカードを預けて、セルフィは苦手なシチュエーションのその場を離れた。



「キニアス先輩! 聞いてますか!?」
「え?! あ、ごめん」
 心ここに在らずな様子に、女生徒が頬をふくらませる。それでもアーヴァインは、少し先に居るセルフィの方が気になった。何とかして、この場を離れようと考えていたけれど、女生徒はなかなか解放してくれる様子は無く、そうこうしている内にセルフィの姿が消え、代わりにゼルがこちらに向かって歩いて来ていた。
「よう! アーヴァイン」
 そう呼びかけられたのを幸いに、女生徒に「ごめんね」と言ってゼルの方へ向かう。
「ほい、セルフィに渡してくれって頼まれた」
「ありがとう、セフィは? そこに居たよね?」
 ゼルの後方をキョロキョロと見回してみたが、セルフィの姿はもうどこにも見えなかった。
「何か師匠に呼ばれてるつってたぜ」
「そうなんだ」
 自分に用事があったように見えたけど、そうじゃなかったんだと、アーヴァインはちょっと残念に思った。
「何か、お前顔色悪くね?」
 ゼルはじい〜っと、アーヴァインの顔を覗き込んでいた。
「あ、うんちょと調子悪い時があるんだよね。一晩寝ると治るんで疲れかな〜」
「まだSeeDじゃ新人なんだから、無理すんなよ」
「うん、分かったよ、サンキュ」
「な、腹すかね?」
「そうだね、付き合うよ」
 全部聞かなくても、ゼルの言いたい事は分かった。
 セルフィの去った方をチラリと見て、アーヴァインはゼルと共に食堂に向かった。

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