弾丸乙女の安全装置

後編
 パレードが一番よく見える辺りに来ると、「早めに来てよかったね」とアーヴァインが言うくらい、もうたくさんの人が集まっていた。慌ててパレードが見えるポジションを、人波をかき分けるようにして探す。
 そのことが功を奏して、アーヴァインはさっき彼のお義姉さんが言いかけた内容を追求してくることはなくセルフィはホッとした。
 なんとか良い場所を見つけて一息ついた頃、パレードの最初の山車が見え始めた。
 大都市のお祭りらしく、その大きさも派手さも際立っている。周りで踊ったりパフォーマンスをする人数も多い。そんな大規模な山車が十以上もあるのだとアーヴァインに説明をされてセルフィは、びっくりとワクワクの連続だった。今まで見たどんなパレードより華やかで煌びやかな山車が前を通っていくのに、セルフィの目は釘付けになる。

 そう言えば――と、以前これに似た光景を見たのを思い出す。
 あの時は今みたいに楽しい気分なんかどこにもなかった。目の前を通って行くような豪華な山車にゆったりと座した、仮初めの姿の恐ろしい魔女。狙撃命令。一人その正体に気づいていた彼。――――そして。
 アーヴァインも思い出しているんじゃないだろうか。そう思ってセルフィは、アーヴァインの顔を見上げた。それに気がついたアーヴァインがセルフィに視線を合わせてくる。「なに?」と不思議そうな顔をした彼にセルフィは「なんでもない」と答えて、ぎゅっとアーヴァインの手を握った。そうすると、アーヴァインはふわりと微笑んだ。それはいつもの優しい笑顔。
 この光景が辛くないのなら、もう平気なのなら、それでいい。
「連れてきてくれてありがとね、アービン」
 セルフィも笑ってそう言うと、そっと握った手を離した。
 はずだった。
「寒いからこのままにしといて」
 と言って、アーヴァインはセルフィの手をぎゅ〜と握り返してくる。
『う゛っ』
 その時セルフィの指がぎゅっと圧迫されて、忘れかけていた指輪の存在を思い出させた。そんなこと全く気づきもせず、楽しげに色々と親切に説明をしてくれるアーヴァインの顔をもう一度仰ぎ見てセルフィは、無知とは時にとても罪深いものなんだ、と心の中で溜息をついた。

 アーヴァインが「今はイヤだろうから」と言って選んだ右手の薬指は、トラビアで育ったセルフィにとってバラムやガルバディアでの左手の薬指に相当する。
 つまり、セルフィが右手の薬指に指輪をはめるということは、将来を誓う、或いは、誓った証しなのだ。それをアーヴァインは全く知らず、セルフィの約束の指にはめてしまった。あの様子では彼は絶対知らないとしか思えない。だからこそ本当のことを言い出せなかった。もしバレてしまったら、絶対“本当の約束”になってしまう。アーヴァインはあの時「左手はまだイヤだろうから」と言った。その微妙なニュアンスと、彼の性格上それは火を見るより明らかだ。
 約束をするのがイヤなワケじゃない。相手はアーヴァイン以外考えられない。けれど、なりゆきで約束をしてしまうのはイヤだ。もっと、ちゃんと――――ちゃんとした心構えとか、イロイロ……。
『ワガママやな〜』
 自分のエゴだけで真実を隠してしまった自分に、セルフィはすこしへこんだ。





 弾む息のままガラスのドアを開けると、ふわっと温かく甘い空気がセルフィの身体を包んだ。
「ウエスタカクタスあるかな〜」
 パレード見物が終了した後セルフィは、一緒に行くと言うアーヴァインを押し止めて、一人であるケーキショップに来ていた。勝手な思い込みで一人アワアワしている自分を落ち着かせるのと、パレードを観る前にこの店を見かけたのを思い出し、ひょっとしたらウエスタカクタスのデザートがあるかも、と思ったのだ。けれどもう遅い時間なので、売り切れているかも知れない。そうだったら無駄骨になってしまうと、あたかもそれだけが理由だというような顔をして、アーヴァインには待っていてもらったという訳だった。
「わ、ある!」
 ラッキーにもウエスタカクタスを使ったデザートの中でも一番好きなゼリーが残っていた。それを喜々として注文すると、「今日はパレードにすっかりお客さんを取られてしまって、売れ残るところでした」とパティシエ自ら喜んでくれて、更に可愛いチョコレートも二つオマケに付けてもらって、セルフィも嬉しかった。
「よし、ウエスタカクタスのデザートも手に入ったし、はやくアービンとこ戻ろ」
 セルフィは店を出ると、足早にアーヴァインが待っている場所へ向かった。
 パレードから帰る人の波も幾分落ち着いていて、歩くのにもそう苦労はしない。ほどなく待ち合わせ場所まで戻って来ることが出来た。
「ん? 知り合いかな」
 見ればアーヴァインと女の子が三人、親しげに会話をしているようだった。自分たちと変わらない年頃の女の子たち。そのうちの一人が「キニアス先輩」と呼んだ声だけが聞き取れた。ということは、ガルバディアガーデンの後輩だろうか。
 セルフィはわざと歩調を落として歩いた。旧友の再会なら邪魔をしては悪いような気もする。かと言って、このまま戻らない訳にもいかない。
『ええ!?』
 そんなことを思っていると、セルフィから見て一番奥にいる女の子が、アーヴァインの腕を引っ張るように掴んだ。隣の女の子がオロオロしている。手前にいる女の子は、それを止めるようなリアクションをしていた。
「もしや、アービンナンパされてる??」
 ゆ〜っくりと歩きながらセルフィはどうしたもんかと思った。このまま突っ込むべきか。それとも、もう少しちゃんと状況を見極めるべきか。
 しばし考えて、後者を選んだ。
 アーヴァインと女の子たちに気づかれないように会話の聞こえる距離まで近づく。幸いアーヴァインはセルフィの位置からだと背を向けている形となっていて、こちらには気づいていない。
 そのまま女の子たちの顔が見えるところまで近づいたが、どれも見知っている顔ではなかった。
「誘ってくれるのは嬉しいんだけど、待ち合わせしてるんだ。ごめんね」
「そうなんですか〜、じゃあちょっとだけ、ちょっとだけお茶しましょうよ〜、キニアス先輩」
 アーヴァインの腕を掴んでいる女の子が、甘えた感じの声で誘っていた。整った顔立ちの、豊かなウェーブを描く艶やかな淡い胡桃色の髪が印象的な女の子だ。
「ダメだよ。キニアス先輩、待ち合わせしてるって言ったの聞こえたでしょ」
 その女の子から一人間を空けたショートカットの女の子は、強い口調で止めていた。
 二人に挟まれた大人しそうな女の子は、友人たちとアーヴァインを交互に見てオロオロしている。
「いいじゃないの、キニアス先輩はバラムに行っちゃって滅多に会えないのにぃ〜」
 アーヴァインの腕を掴んでいる女の子は、さらに彼の腕に抱きつくようにして否定するように頭を振った。綺麗に巻かれた髪が波打つ。
『う゛〜、気分わる』
 今のセルフィの正直な気持ちだった。
 アーヴァインが女の子と話をしている光景は、珍しくもなんともない。珍しくないから平気というワケでもない。特にこんな場面は見たくない。明らかに下心があって、大好きな男の子に他の女の子がちょっかいをかけている場面なんか、イヤだ。あんなキレイな女の子が誘っていたりすると、ずーんと落ち込む。心の狭い女だと思われても、イヤなものはイヤなのだ。今までず〜っと気にしないようにしてきたけれど……。


―― 自分以外に優しくしないでって言っちゃえば? ――

―― 素直な感情は言ってみてもいいと思うよ ――

 リノアの言葉がセルフィの胸を打つように木霊した。



「ねぇ、先輩行きましょ、すぐそこにステキなカフェがあるんですよ!」
「え、ちょっと、待って」
 ぐいと腕を引っ張られてアーヴァインは抵抗した。が、彼の腕を掴んでいる巻き毛の女の子は、アーヴァインの言葉に耳を貸さず、そのまま歩き出そうとしていた。
 それを目撃したセルフィの頭の中で、ストンと何かが落ちた感覚がよぎる。


「ダメッ! これはあたしの!」


 誰が言ったのか、言った本人にも解らなかった。
 ただ、とんでもなく心臓がドッキドキ言っていて、肩で息をしている音だけが分かる。
「ふごっ!!!」
 そして、何だか分からないが、誰かに思いっきり抱きしめられていた。
「セフィ〜」
 気の抜けるような甘ったるい声を聞いて、それがアーヴァインだと理解する。
 途端ガバッと彼が離れた。
「もう一回言って!」
「なっ、なっ、なに言うてッ――――」
 筋肉はどこへ捨てた、と言いたくなるほど、頭の回りに思いっきりパカパカ花を咲かせたような笑顔がセルフィの見上げた先にあった。
 自分が言ったのも信じられないのに、そんな恥ずかしいこと二度も言えるか、と反論しようと思ったら、横からつよ〜い視線を感じた。嫌な予感にセルフィがさびついた機械のような動きでそっちに顔だけを向けると、自分たちを凝視している六つの眼とかち合った。
『うっわ〜っ、忘れてたっ!!』
 ようやく自分たち以外のというか、変なことを口走る原因になった彼女たちのことをセルフィは思い出した。慌ててアーヴァインから距離をとり、場を取り繕うようにひきつる筋肉を駆使して笑顔を作る。
「セルフィ、先輩おひさしぶりです!」
「へ!?」
 元気な声に、セルフィはまたも不意打ちを喰らった。
「え〜と、憶えてらっしゃいませんか? 何度か武術指導をして頂いたことがあるんですけど……」
 そう言ってショートカットの女の子が一歩前へ出て、紅潮した頬でセルフィを見ていた。
「あ――」
「思い出して頂けましたか?」
「う…ん」
 セルフィが頷くとショートカットの女の子は、ぴょんぴょんと飛び上がって喜んだ。確かにセルフィの記憶にある女の子だった。けれど名前までは思い出せない。こんなに喜んでいる女の子を前に、セルフィはそれが申し訳なくて曖昧な笑みを返した。
「ガルバディアガーデンに一度武術の講師として来られましたよね。見た目だけで判断してセルフィ先輩をなめてかかっていた男の子たちを次々と倒していかれて。もう、すっごい格好良かったです! あの時のセルフィ先輩を見て、バラムガーデンに転校してSeeDを目指そうって決めたんです!」
 ショートカットの女の子は早口でそう言って、セルフィの空いている方の手を握ってきた。
「ありがと」
 自分に憧れてSeeDを目指したとか言われて、セルフィはものすごく嬉しかったが、同時にものすごくフクザツな気分だった。こんな場面でなければ、間違いなく自分も同じように喜んで、この先武術談義に花を咲かせたことだろう。
「あっ、てことは、“あのスケートリンクの彼女”さんですか?」
 その大人しそうな女の子の言葉は、未だ混乱から抜け出せていないセルフィの耳にもはっきりと届いた。
『っ!!!』
 そして、思い出したくないことを思い出した。出来ればもう二度と思い出したくない恥ずかしい記憶。
 以前ガルバディアガーデンへ任務で行った時、スケートリンクの二階客席でアーヴァインにキスをされた上に、ちょっとしたミスを冒してその場の注目を集めてしまったという、セルフィにとってはアクシデントとしか言い様のない出来事。
「そうだよ〜」
 そんなセルフィの心情など露知らず、アーヴァインが嬉しげに答えたのが、彼女の羞恥にさらに拍車をかけた。一度に色んなものが押し寄せてきて、気を失いそうだ。というより、いっそ気を失ってしまいたい。けれど気を失えば、後に残ったアーヴァインがまた何をやらかすか分かったもんじゃない。そこに行き当たって、セルフィはぶっ倒れないよう足を踏ん張った。
「ちょっと、なによソレ! 私知らないわよ!」
 セルフィが割って入ってからの会話を、目を白黒させて聞いていた巻き毛の女の子が、キッと隣の大人しい女の子を睨んでいた。大人しい女の子は隣からの視線などまるで気にもしておらず、飛び回る星が見えそうなほどのキラキラとした瞳でセルフィを見ている。
「私あの時、スケートリンクにいたんですよ。驚きましたけど……ステキでした」
 それを聞いてセルフィは、もう針のムシロどころか、ジャボテンダーの針万本攻撃をまともに喰らった気分だった。
 一体全体あんな場面のドコがステキなのか。出来ればガンガンG.F.をジャンクションして消したい記憶だ。
 キラキラとした瞳で見てくる二人の女の子と、へにょへにょ笑顔で見てくる大男。そして残りの女の子は鋭い刺すような視線をセルフィに注いでくる。
『もう、いやーーーっ!!』
 彼女の羞恥はとっくに限界突破だった。
「セフィ!」
 セルフィはアーヴァインを置き去りに走り出していた。
「キニアス先輩、追いかけなきゃ!」
「先輩がんばってください!」
 ショートカットの女の子と大人しめの女の子は、アーヴァインに応援の言葉をかける。
「ありがとう、じゃあまたね〜」
「えっ、待ってください! キニアス先輩!」
 巻き毛の女の子が引き止める声を振り切って、笑顔でお別れの挨拶もそこそこに、アーヴァインは身を翻した。




 セルフィは呼吸を整えるため、うずくまっていた。
 はぁはぁという自分の呼吸音がやたら大きく耳に響く。
「暗いなぁ」
 息が落ち着いたところでやっと顔を上げてみれば、全然知らない路地だった。パレードのお陰で、まだ人通りの多い街をその間を縫うように走った。どこをどう走ったとか全く憶えていない。走っているうちに息苦しくなって、人のいないこの路地に飛び込んだ。
 暗いのは夜ばかりのせいではなく、近くに街灯がないせいもあるようだった。


「あた、あた、あたしのっ……て」
 本当にもう、自分でも何を言うのか。よりにもよって、「あたしの」とか、ない。
 さっきのやり取りを思い出し、セルフィは空気が抜けた風船のようにプシューと消沈した。
 ない、ってことは、――――ないか。
 落ち着くために、一度ゆっくりと深呼吸をする。そして右手の薬指をじっと見た。
 これが本来の意味ではめられたものなら、そう言っても差し支えない。
 そしてアレは、確かに本音だ。けれど、あんな恥ずかしい宣言の仕方は、ナイ。
 混乱している時の自分は何をするのか、何を口走るのか、自分でも本当に予測不能だ。これではアーヴァインに「歩くびっくり箱」と言われるのを全く否定出来ない。むしろその通りだ。
 セルフィは、はあ、と反省の溜息をついた。
「あ、ウエスタカクタス」
 手を動かすとカサという音がして、ビニール袋が目に入った。さっき買った、ガルバディアでの楽しみの一つでもあるセルフィの好物。
「なんとか無事か〜」
 ビニール袋からさらに箱を取り出して中を覗いてみると、しっかりとした器に入っているお陰で無傷だった。それだけが今の救いだと、ちょっとだけホッとした。
「帰らんと。アービンにも謝らな」
 アーヴァインを放置して逃げたことを思い出し、立ち上がる。
「うわ、こっち側墓地やったんや」
 この路地に飛び込んだ時には、軽くパニックだったこともあって気がつかなかったが、路地の片方の突き当たりには、鉄のフェンスの向こうに墓石が並んでいるのが見えた。街灯が少なく夜の雰囲気のせいか、苦手なものを前に途端に怖くなった。墓地が苦手なのではなく、夜の墓地が怖いのだ。幽霊出現の定番の場所。そう思うと、背中がゾクゾクッと冷たくなっていく。
「と、とにかく離れよ……」
 セルフィは強張った身体を無理矢理動かすようにして墓地に背を向けた。
「セフィ、見つけた」
「アービンッ!」
 悪魔祓いならぬアーヴァインの姿を見つけて、セルフィは彼を目指して一目散に走った。
「わわっ!」
 どん、とぶつかるようにアーヴァインに抱きつく。
「わーん、怖かったー!」
「え、だっ、大丈夫セフィ!?」
 何にセルフィが怖がっているのか分からなかったが、アーヴァインはセルフィを宥めるように背中を撫でた。
 背中に回された手に力がこもっているのに、セルフィが本気で怖がっているのを感じ取ると、アーヴァインは警戒するように辺りを見回した。
 もしかしてヘンなヤツに――――。
『……ああ、アレか』
 すぐ路地の向こう側にある墓地に気がついた。誰かに襲われたとかではないことにホッとする。
「大丈夫だよセフィ、僕がいるから」
 出来るだけ優しく話しかける。
「急に……にげちゃって、ごめ…ん」
 アーヴァインのコートに顔を押しつけたままの、セルフィの声はくぐもっていてちょっと聞こえづらい。
「あ〜、そうだね。置いてけぼりはヒドイな〜」
 アーヴァインは特に咎めるつもりはなく、笑いながらそう告げた。
「ごめん」
 それでもセルフィの声は申し訳なさが色濃い。
「恥ずかしかったんでしょ? もう気にしないでよ」
「うん……でも、ごめん」
 自分から逃げておいたくせに、苦手なもので出会った途端アーヴァインを頼ったことをセルフィは気にしていた。
「気にするね〜。……そうだ、お詫び、貰おうかな」
「なに?」
 ようやく顔を上げたセルフィが見た顔は、にこにこと悪戯っぽく笑っていた。
「さっきの、もう一回言って」
「えっ!?」
 気にしないでよと言っておいて、そう来るとは思っておらずセルフィは焦った。咄嗟にアーヴァインから離れようとしたが、背中を優しく撫でていた腕は、今や彼女をがっちりと拘束していた。
「そんなに嫌がらなくても……わかってるよ」
 見透かしたようにクスッと笑うと、アーヴァインは片手でセルフィの顎を捉える。

「……は」
「これで、逃げ出したことはチャラね」
 しばらくセルフィの唇を堪能した後、アーヴァインは彼女の頬にもう一度キスをした後解放した。
「アービン! ……ん……ふうせん?」
 突然のキスに抗議の声を上げたセルフィだったが、彼の身体越しに不思議なものを見た。その視線に気がついたアーヴァインも導かれるように後ろを振り向く。
「あれ? ホントなんだろうね」
 空に上がっていく風船――のようなもの。一つ、二つ、三つと建物のすき間から舞い上がっていくのが見える。
「風船にしては明るくない?」
「そうだね、中でなにか光ってるみたいだ。行ってみようか」
「うん」


 夜の空へゆらりゆらりと上がっていくそれを頼りに目指して歩く。
 しばらく歩くと、芝生の植えてある広い場所に出た。街の外れ辺りのせいか、潮の匂いをかすかに感じた。
「小さい気球?」
「紙で出来てるみたいだけど、そうだね」
 それは風船ではなく文字通り小さな気球だった。
 細い木の骨組みに白い紙を貼り、その下方の骨組みの中に小さなろうそくが固定されていて、その熱で飛び上がっているようだ。
「なんか書いてるね」
 広場を歩きながら眺めていると、紙の部分に何かを書いてからロウソクに火を付けているようだった。
「あっちでくれるみたいだよ」
 アーヴァインの声に促されてそちらの方をセルフィが見ると、並んだ人たちが気球を受け取り説明を受けていた。
「行ってみる?」
「うん」
 アーヴァインとセルフィもそこへ向かった。


「セフィ、書いた?」
「うん、書けたよ。火付けよ」
 スタッフから軽く説明をうけて気球を一個ずつもらい、願いごとを書いた。
「きれいだね」
 ロウソクに灯が灯ると、少し黄みを帯びた炎が薄い紙越しにほうっと柔らかく揺らいだ。
「あ、もう浮き上がるよ」
 小さな気球の中の空気が暖まるのは早かった。あまり待つこともなく、ゆっくりと浮かび上がるようにして空へと昇っていく。
 それを黙って見守る。
 他にも幾つも同じように暗い空へと舞い上がっていく、暖かな光を宿した気球。
「これデリング大統領が亡くなった後に始まったんだね。知らなかったよ」
「そうやったん?」
「そうみたい」
 そう聞くと気球が特別なもののように思えた。
 暗い空へ上がっていくせいか、どの気球に貼ってある紙も白いせいか、まるで鎮魂の儀式のような。
「セフィは何て書いたの?」
「アービンは?」
「僕は“SeeDや軍隊が不要な世界になりますように”って」
「え、そうなん」
「うん。SeeDやってるのに変だよね」
「そんなことないよ」
「セフィは?」
「あ、え、えへへ内緒」
 セルフィは曖昧に笑ってごまかした。アーヴァインと違って思いっきり個人的な願いごとを書いたのだ。たぶん彼もそうなのだろうと思って疑わなかった。そしたら、そんな広義の願いごとを書いたとか聞いては言えない。それどころか、自分のちっぽけさを再認識してしょぼんとなる。
 時々、こうしてアーヴァインと自分の器の違いみたいなものを感じる。彼は誰にでも優しい。それは作っているとか演出とかではなく、生まれ持ったものなのだ。広い視野を持っていて、穏やかですっぽり包み込むような優しさ。そんなイメージ。そしてこんな風に、自分だけではなく他にも向く。それが誇らしいと同時に、ちょっと淋しい。
「どうして?」
 そんなこと聞かれても言えないものは言えない。アーヴァインを独り占めしたい、とか、そんなようなことを書いたなんて言えない。
「ふうん、じゃ、当ててみようか」
「いいよっ」
 セルフィは悟られたくなくて、わざと声を張り上げた。
「ずっと傍にいて」
「え?」
 どうしてバレたのか。セルフィは目をまん丸にしてアーヴァインを凝視した。
「なんてね、セフィの場合絶対ないなー」
 そう言って首を竦めると、アーヴァインは空笑いした。バレたのではなかったことに、セルフィは胸を撫で下ろす。
「ホントはさ、今の、僕のことなんだよね〜」
 セルフィの手を取って歩き出すと、アーヴァインはそう切り出した。
 上空に浮かび上がった二人の気球は、他の気球に混ざって目視ではもうどれだか分からない。
「どういうこと? 二つ書いたってこと?」
「うん、そういうこと。欲張りだよね〜」
 来た道を戻りながら、アーヴァインは照れくさそうに笑う。
「そんなことない! そんなこと……ないよ……」
 セルフィは否定の言葉を発した後、くっと唇をかんだ。
 アーヴァインを欲張りだと言うなら、自分はそれに加えて心が狭い。自分のことしか考えていないのに。
「セフィ?」
 俯いてじっと考え込んだ風なセルフィをアーヴァインが覗き込む。
「アービンはあたしが思ってるより、ずっと広くて遠いところを見てて、みんなのこと考えててすごいよ。それがちょっとさび……」
「え?」
「ううん、何でもない! いこっ」
 セルフィは最後まで言うことなくアーヴァインの手を引っ張った。
「セフィ、待って、誤解してるよ」
「わ!」
 今度は逆にアーヴァインがセルフィの手を引き戻した。バランスを崩したセルフィを、とん、と腕の中に引き込む。
「聞いて、セフィ」
 腕の中でおとなしくしているセルフィの返事を聞かず、アーヴァインは続けた。
「SeeDや軍隊が不要になればいいってのは本当に思ってることだけど、それはタテマエで、本命はセフィにずっと傍にいてほしいって方なんだ。それだとあんまりワガママなんで、あんなタテマエを書いただけだよ。全然セフィに褒められるようなことじゃないんだ」
「アービン、そんなこと……」
「だからね、コレだってそうなんだよ」
 そう言ってアーヴァインはセルフィの右手を持ち上げ、指輪を撫でた。
「セフィが欲しがってるのがわかったから、恩を着せたんだ。そしたらコレを見るたび僕を思い出してくれるんじゃないかって思ってさ」
 正直に胸の内を語るアーヴァインの言葉は、セルフィの心を癒やすように沁み入ってきた。そしてとても嬉しい。
 本来の意味であろうがなかろうが、この指輪にアーヴァインの心が詰まっていることには変わりない。
 中央にある乳白色の小さな石に、一筋蒼いシラーが走った。まるでアーヴァインの瞳がそこに映し出されたかのように。
「うん、ありがとう。大事にするね。あ、と、それとね――――」
 正直な胸の内を語ってくれたアーヴァインに、気持ちが後押しをされる。
 一気には言えそうにないので、意を決するように軽く息を吸い込み、セルフィはアーヴァインの顔を見据えた。
「うん、なに?」
 アーヴァインもまっすぐにセルフィを見返してくる。
「アービンは親切を大盤振る舞いしすぎやねん! すこしは、あた、あたしだけみ……て……んんーーっ!」
 最後まで言う前にセルフィはアーヴァインに口を塞がれていた。
「アービン!」
「ごへん、うれしふへ、つい」
 セルフィがアーヴァインのほっぺたをみよーんと引っ張っても彼には全く効き目がなく、痛がりながら笑っている。
「セフィが嫌なのならこれから控えるけど、親切にはしてもそこには特別の感情はないんだよ。僕が本気で優しくしたいと思ってるのはセフィだけなんだからね〜。いつだって、そうしてきたつもりなんだけど、わからなかった? 昨日だって一昨日だって、セフィの――」
「も、もういい。わかったから、もう黙って」
 自ら望んだこととはいえ、立て板を水が流れるようにスラスラと甘ったるいセリフを吐かれて、セルフィの頭は砂糖漬けでクラックラしてきていた。これを放置すると延々続きかねないことを思い出す。
「え〜、まだ足りないんだけど。んじゃ一つだけ、その指輪はずしちゃダメだよ。指輪はアクセサリーの中でも特別なんだから」
「ムリ!」
「うわ、即答かい。どうして、無理〜?」
 思いっきり不満げな顔をしたアーヴァインに、そんな恥ずかしいこと出来るかとセルフィは叫びたかった。
 アーヴァインは知らずとも、キスティス、リノア、ひょっとしたらああ見えて博識のゼルだって知っているかもしれないのだ。セルフィの右手薬指の意味を。そうすると、また色々とからかわれるに決まっている。それだけならまだしも、彼女たちの口から真相がアーヴァインにバレたらと思うと――――絶対ムリ。
「着けたままヌンチャク握ると変形すんねん」
「ええ〜、そうなの〜。じゃそれ以外は着けといて」
 尤もらしい理由を選ぶとちゃんと納得してくれたらしいのに、ただでは引き下がらないアーヴァインにセルフィは他に回避案も思いつかず、仕方なく頷く。
 約束だよとにこにこ笑うアーヴァインが、指を絡めるように手を握ってきたのを軽く握り返しながらセルフィは、アーヴァインではなく友人たちを上手く丸め込む方法を、あれこれと考えた。

 二人が願いごとを書いた気球は、デリングシティの星空にすっかり融け込んでしまっていた。



END

アーヴァインは器のデカイ男だと思います。その片鱗の一つが、セルフィ言うところの『ムダに親切』ではないかと。セルフィからしてみれば、妬いてしまうのもムリな〜い。一点に関してはかなり狭量なんだけど、セルフィは知らないよなぁ。(^-^;) (ヤキモチを妬くセルフィは、どうしてこう可愛いのか。軽くアーに嫉妬)
セルフィの本心がアーヴァインにバレた上に、アーはアーで本気で優しくしたいのはセルフィだけとか言うし。この後アーの『狭量』な部分が発動して、セルフィ軽くピンチのような気がします。件のセリフ、絶対言わされる〜。
『藍晶石の午後』でセルフィが「羨ましい」と思っていた人物が、この話のアービンのセリフで判明するのですが、セルフィはきっと気がついてない。というか、そんなこと思っていたのも忘れていそうです。

※前編で出てきた“アイユゥ”は、愛玉のことです。 ※Gガーデンのスケートリンクでキスの詳細は『藍反射』でどぞう。
(2010.02.20)

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