Frozen pain

5
 夜行列車のコンパートメントで、アーヴァインはものスゴイ脱力感を覚えた。
「ほら、アービンのおとーさんとツーショット」
 寝台に腰掛けたアーヴァインの隣にセルフィも移動してきて、喜々として携帯のディスプレィをアーヴァインに見せる。アーヴァインはそれを見て脱力したのだった。
 そこには今まで見たこともない養父の笑顔があった。絶対別人だと思った。だが、残念なことにセルフィの話を聞くうち、どうにも養父としか思えず、困惑しているのが今。
「で、セフィは僕の知らない間にとうさんと仲良しになってたんだね?」
「えへへ、そうなんだ〜。アービンとおねーさんが買い物に行っている時にね、イロイロ話をしたのだ」
「……よかったね」
「うん、よかった」
 アーヴァインは棒読み口調でイヤミのつもりで言ったのだけれど、セルフィには全く通じていないようだった。それどころか、アーヴァイン養父からメールアドレスも教えて貰ったとか言って、楽しげに携帯電話を操作している。
 なんだソレは。
 会ってたかだか数時間程度で、メルアド交換までやってのけたと言うのか!? セルフィの社交スキルが高いのは熟知している、だが養父は違う。こってこての職人気質で人見知りも激しい――――はず、だ、たぶん……。もしかして自分がそう思い込んでいただけなのか?
 だとすれば自分の今までの苦労は一体ナンだったのだろうかと思う。セルフィのメルアドをゲットするのも、養父との対話を果たすのも、やっとの思い出成し遂げた。なのにセルフィと養父は、自分には種々あると思われた垣根などなかったかの如く、あっと言う間に仲良くなったとか。というより、セルフィの様子では養父はかなり友好的で対人スキルもあったらしい。
 そんなこと、今の今まで知らなかった。あの養父が携帯メールを打っている姿など……サイファーの女装並に想像がつかない。
 これに脱力しなくて何に脱力するのだ。
 確かに、自分にとっては地の底のように深い悩みでも、一歩踏み出してしまえば、割と些細な悩みだったりするのも、よくある話だと思う。解決してみれば、自分の養父に対する悩みも、そういう類のものだったのだとも思う。
 けれど、セルフィへの嫉妬なのか何なのか分からない、釈然としないモヤモヤ感とか、自分でもちっちゃいとは思うけれど正直な感情でもあり、アーヴァインはセルフィに分からないように、もう一度溜息をついた。

「アービンのお養父さんとお養母さん、エスタ出身なんだってね。ガルバディアへ引っ越してから、先代のソウシュウさんの所へ弟子入りして刀師を本格的に始めたとか」
「そんな話もしたの?」
「うん、ホント色々話をしてもらったんだ。ソウシュウは刀師としての名前で本名は違うとか。キニアスはお養母さんの方の姓だとか。アービンのこともたくさん聞かれたよ。お養父さん、ずっとアービンのこと心配してたみたい」
「……そっか」
 今ので、どうしてセルフィと養父が急速に仲良くなったのか分かった気がした。
 恐らく鍵は――――自分。
「今までアービンが頑張ってきたこと、ちゃんと伝えたからね」
 そう言って自分を真っ直ぐに見てくるセルフィに、アーヴァインは心の奥に温かい光りが灯され、ゆっくりと満たされるように広がっていくのを感じた。セルフィが養父と話をしようと思った動悸は多分、自分が思っているもので間違いない。その思い遣りがこの上なく嬉しい。
「――ありがとう、セフィ」
「んんっ」
 アーヴァインはセルフィに感謝のキスをして、彼女が暴れ出す前に離れた。

「本当はね、とても迷ったんだ」
 抗議のために握ったアーヴァインのシャツから手を離さず、セルフィは躊躇いがちに口を開いた。
「なにを?」
「庭で偶然アービンのお養父さんに会って話しかけられたんだけどね。アービンとお養父さんの問題なのに、あたし余計なことしてるよな〜って思った。でも、力になりたかったんだよね、アービンの」
 そう言った後、えへへと笑って照れくさそうに俯いたセルフィの横顔がアーヴァインは愛しくて堪らなかった。
「余計なことなんかじゃないよ。本当にありがとう、セフィ」
「うん」
 俯き加減の頬を自分の方に向かせると、アーヴァインはもう一度セルフィにキスをした。優しく、控えめに。

「もう寝る?」
 夜行列車はいつの間にか人家のある地域を抜け、自然だけが広がり全く明かりのない場所を走っていた。窓の外に広がる闇を見て、セルフィは欠伸をした。
「そうだね〜、けっこう疲れた、かもしれない」
 セルフィはアーヴァインの向かい側にある自分の寝台へと移動し、その中に潜り込もうとして、上掛けの毛布を捲り、足元にもう一つ荷物があったことに気づく。アーヴァインの家を出る時、自分も急に出掛けなければならなくなったと、慌てた様子のレックスから受け取ったものだった。
「アービン、これレックスおねえさんに預かってた」
 足元の紙袋を引っ張り出し、小さめの紙包みをアーヴァインに差し出す。
「これだけ?」
「うん、そだよ〜」
「やけに大きい袋だから他にもあるのかと思った」
「ああ、そうだね。後はあたしに貰ったんだ〜」
 セルフィはちょっと照れくさそうに笑った。アーヴァインはそれが気になって、じっとセルフィを見つめた。セルフィも気づいたのか、視線に負けたのかは分からないが、紙袋の中身をがさごそと引っ張り出し、アーヴァインに見せた。
「え、それ……」
 少し茶色がかった落ち着いた紅のテンガロンハット。それはサイズこそ違えど既視感を覚えるものだった。ガーデンに入学する日、自分も同じように義姉から贈られた。
「タコヤキのお礼だって」
 相変わらず照れくさそうな顔のまま被ってみせた姿は、セルフィによく似合っていて本当に可愛らしいとアーヴァインは思った。
「アービンのとよく似てるねこれ。このコインみたいな飾りとか」
「そうだね、作った人が同じだから似てるんだよ。それ一点物だから、大事にしてあげて」
「え、そうなん? 誰が作ったん!?」
「レックス。あ、このコインみたいな飾り部分だけなんだけどね。レックスの趣味なんだシルバーのアクセサリー作り。結構本格的にやってるから、店にも時々商品として置いてる」
「え〜 そうなのー。うわー、スゴイなー、アービンのおねーさんて、恰好良い!! 次デリングシティに行くことがあったら絶対買いにいこっ!」
 セルフィは瞳をキラキラさせて、ここがデリングシティなら今にも走り出しそうな勢いだった。アーヴァインは自分が褒められたような気がして、かなり嬉しかった。
「そうしてあげて、きっと喜ぶから」
「もしかして、アービンが今着けてるヤツもそうなん?」
 セルフィはアーヴァインの左腕を見ていた。革紐とクローム加工されたシルバーモチーフを組み合わせたブレスレット。モチーフは小さなバハムートのようにも見えた。
「あ、コレ? うん、そうだよ」
「うわ〜 やっぱり恰好いい。左利きってトコも神秘的でステキだよね〜」
 セルフィはテンガロンハットを脱ぎ、アーヴァインの義姉が作ったというコインのような飾りを眺めてしきりに褒めた。
「アービンも器用だよね。家族だから似たのかな〜。ひょっとしたら本当に血が繋がってたりして」
「そうだね。そうだったらスゴイね」
「あ、ウワサをすれば、おねーさんからお礼メールの返事がきた」
 なんだって!? 養父だけでなく義姉とも既にメル友だって!?
 またもやアーヴァインの知らない事態が起きていた。
「もしかして、レックス?」
「そうだよ〜」
 やっぱりか。
 アーヴァインはもう脱力するのは止めた。さすがというか、当然のなりゆきというきか。キニアス家を離れてすっかり忘れていたが、昔はよく直面した光景だった。やたらめったら楽しそうな顔をして携帯電話を操作しているセルフィに、昔の記憶が鮮やかに蘇る。
 義姉アレクシアは、非常にモテるのだ。女の子に。
 親友レダと共にツートップとして学校に君臨し始めた頃から、男の子からは殆ど敵として認識されるようになり、反面女の子からはあこがれの対象となっていった。そういうワケで、アーヴァインがダシとして使われたことも、けして少なくはなく、女の子のクラスメイトがアーヴァインに声をかけてくる時は大抵レックス絡みで、彼自身に用事のある場合は数えるくらいだった。
 義弟のアーヴァインから見ても義姉レックスは、さっぱりしている割りには面倒見も良く、自慢の義姉だった。たまにおせっかい過ぎると思えることもあったけれど、相手が嫌がっていると分かれば無理に押しつけるようなことはしない。女の子の扱いに関しては例外で、けっこう厳しく教えられたりはしたけど。
 セルフィもそのパターンに嵌ってしまったのではないかとアーヴァインは思った。セルフィの性格もありその可能性はひじょーーに高い。
 恋人と自分の家族が仲良くしてくれるのは、とても嬉しいことだ。フツーなら。ただ、この人たちに限って普通という形容が当てはまるのかどうか甚だ疑問なのも、事実だった。
『とうさん、セフィがお嫁さんになってくれる日はと〜〜っても遠そうです』

「ね、アービンのは何?」
 ボケ〜っとしたアーヴァインをセルフィがじっと見ていた。
「あ、本みたいだよ」
 アーヴァインは手に持ったままの包みを思い出し、包み紙を丁寧に開けた。
「かあさんの本だ」
 パラパラとページを捲ると、その内容には見覚えがあった。養母が大事にしていた物語の本。養母はアーヴァインと義姉に、よく読み聞かせてくれた。アーヴァインにとっても懐かしい思い出の品だ。時間の経過と何度も読み返したせいで、表紙の角は少し破けていたりする所もあったが、丁寧に扱っていたらしく中は綺麗な状態だった。と、ハラリと何かが落ちた。
「落ちたよ、アービン」
 本に集中していて気づかなかったアーヴァインの代わりに、セルフィが拾い上げる。
「あ、ありがとう」
 礼を言ってアーヴァインはセルフィに手を差し出したが、セルフィは拾い上げたその紙をじっと凝視していた。
「セフィ?」
「えっ!? あ、アービンこれ見て!」
 慌てた様子でセルフィはすぐにアーヴァインに返した。
「なに〜?」
 セルフィがあまりにも驚いて目をまん丸にしているのが少し可笑しくて、アーヴァインは軽い気持ちで受け取った。
 が、受け取ってすぐ、アーヴァインもセルフィ同様、目がまん丸になるくらい驚いた。
「僕……? なワケないよな」
 セルフィから受け取ったそれは写真だった。色の褪せ具合から察するにけっこう古いものだ。
 写っていたのは五、六才くらいの男の子と女の子。男の子の方が、アーヴァインとよく似ていた。それでアーヴァインもセルフィも驚いたのだ。だが、隣の女の子はアーヴァインにも全く見覚えがない。この写真の古さから考えるに、セルフィはおろかアーヴァインも知らなくて当然だろうと思えたが。
 ただ、本の所有者が養母であることを思い出すと、女の子は養母の面影が感じられるようにも見えた。背景も全く記憶のない場所。いや、正確には“写真を撮られた場所”は知らないが、機械的で透明度の高い、その特徴的すぎる風景は、むしろよく知っていた。
「でも、アービンによく似てるよね。写真になんか書いてないかな〜」
 セルフィに言われて裏返してみたが、残念ながら何も書かれていなかった。ここに写っているのが誰なのか、何か手掛かりはないか。アーヴァインは本を取り上げ、逆さまにしてバサバサと振ってみた。だが、メモも何も出てはこない。残念な気持ちで膝の上に視線を移動させると、本の包み紙の中に便せんがあるのが見えた。慌ててそれを開く。

「何か分かった?」
 アーヴァインが便せんを目で追うのを止めてしばらく経ってからセルフィは問いかけた。
「うん、大体は」
 それはレックスの、殆ど走り書きのようなものだった。余程急いでいたのか、動揺していたのか、いつもは読みやすい綺麗な文字が所々乱れていた。
 写真に写っている女の子の方は、やはり亡くなったアーヴァインの養母とのことだった。ただ、レックスもこの写真を見たのは初めてで、アルバムの中のどの写真にも一緒に写っている男の子の写真はない。当たっているかどうかは分からないが、母が子供の頃、近所には母の叔父一家も住んでいて、従姉の方は年が離れていたのでそうでもなかったけれど、弟の従弟の方は年が近くて仲が良く、よく遊んだという話を聞かせてくれたことがある。その特徴が、写真の男の子と似ているので、その子ではないかと思う、と書かれていた。
「てことは、その男の子はアービンの養母さんの従弟かも知れないってことだよね。お養母さんからはなんか聞いたりしてないん?」
「その可能性は高いと思う、でもかあさんからはこの写真のことも、子供の頃の話も聞いたことはないんだ」
「そっか〜。それじゃだけじゃ、この男の子がアービンによく似ている理由は分からないね」
「う…ん、そうだね」
 アーヴァインはあまり考えないようにしていた何かが、突然向こうからやってきたような感覚に囚われた。
 確かに他人の空似で片付けてしまうには、似すぎている。面差しだけでなく、髪の色と瞳の色は、濃さの違いはあれど同じ系統だ。本当にそうであったなら、どんなに嬉しいことか。だが、自分に似た男の子という一点だけで決めつけてしまうには、あまりにも時期尚早だと思う。情報が少なすぎる。
 なぜ養母は何も言ってくれなかったのか。そのことを考えると、あまり期待は出来ないように思えた。言わなかったのではなく、言えない理由があったのだと考える方が自然だ。そして、その原因は、自分たちの記憶にはない、あの魔女戦争に集約されていくような気がした。
 元凶の魔女アデルが封印された後も、飛び火した火種はくすぶり続け、別の争いを多く引き起こし、人々の運命を大きく変えた。自分も、生みの両親も、それに巻き込まれ翻弄された者たちだ。
「ね、この男の子もしかしてアービンの……」
「そうだったらいいね」
 アーヴァインはただ、優しい穏やかな笑みだけをセルフィに返した。セルフィも何かを感じたのかそれ以上のことは口にしなかった。

 知りたい。
 とても知りたい内容だ。だが、焦らずにゆっくりと辿って行く方がいいのではないだろうか。過去の事実が変わることはない。辛抱強く辿っていけば、いつかはきっと真実に辿り着けるはずだ。
 だから、今はこれだけで十分だ。
 ひょっとしたら、もしかしたら、この手の平の中で笑っている人物は自分の血縁者かも知れない。石の家にいた以前の記憶は殆どなく、戦災孤児の自分にとってそれを知ることは、殆ど諦めていた部分だ。そこに“もしかしたら”という希望をくれた。その小さな希望は、生きていく活力をも与えてくれたような気さえする。
 この激しく脈打つ心臓を、自分という存在を、この世に送り出してくれた人がいた。そのことを確かに感じさせてくれた。それだけで――――。
 本当に――――今は、それだけで、いい。



※-※-※



 ほんの二日離れていただけなのに、アーヴァインはとても懐かしい心持ちで、バラムガーデンのメインホールをエレベーターに向かって歩いていた。
 途中、勢いよく走ってきた年少クラスの男の子とぶつかりそうになった。こけそうになったのを、空いていた方の腕で抱き留めてやると、男の子は恥ずかしそうに礼を言い、また元気に駆けていった。アーヴァインはその後ろ姿を少しの間見送ってから、エレベーターに乗り込んだ。
 向かう先は学園長室。帰りの列車の中で、ふと思いついたことがあったのだ。
 ガーデンに帰って試しにアポを取ってみたら、運良くシド学園長に会えることになった。
「失礼します」
 以前とは違う場所に設えられた学園長室のドアを開けると、シドはいつものように手を後ろで組んで窓際に立っていた。そして穏やかな笑みを湛えて来訪者を迎えてくれた。
「久し振りですね、アーヴァイン。元気にしていましたか?」
「はい。学園長は如何ですか? 相変わらずお忙しいようですが」
 経営面の管理をしていたノーグが去ってから、シドは学園の管理をスコールや優秀な一部の生徒達と職員に任せ、経営の方に専念していた。だが、慣れないことだらけで心労も多く、多忙な日々を送っているようだった。
「私は、適度にさぼる術を心得ていますから、大丈夫ですよ。でも、心配してくれてありがとう」
 そう言って、今までもこれからもその穏やかな顔の下に全てを押し込めていくのだろうシドの笑顔は、孤独なようにもアーヴァインには見えた。
「私に頼み事があるそうですね。何でしょうか」
「あ、コレです」
 アーヴァインはここまで携えてきたものをシドの前に差し出した。
「これは……刀、ですね」
「はい。よくご存じですね、袋に入っているのに」
「数は少ないですが、何度か見たことがありますからね。中を見させてもらってもいいですか?」
「どうぞ」
 アーヴァインから了解を得ると、シドは丁寧に袋を縛っている紐を解き刀を取り出すとその鞘も外し、鈍色の光りを放つ鋼の刀身をじっと眺めた。そしてゆっくりと言葉を発した。
「四代目ソウシュウ――ですね。本物を見るのは初めてです。流石、伝統を受け継ぐ名工ですね。手に取るだけで、手が痺れてくるような重厚さを感じます」
「ご存じなんですか? 養父(ちち)のこと」
 シドが養父のことを知っているとは思いもよらなかった。
「はい、知っていますよ。石の家にいた子供たちみんなどんな家に引き取られて行ったか、ちゃんと憶えています。私たちの大事な子供たちですからね。イデアとふたり、出来るだけ子供たちそれぞれにふさわしい里親を探しました。それでも皆が幸せに、とは行きませんでしたが」
 シドは刀を袋に仕舞ながら、申し訳なさそうな顔をしていた。
「そうだったんですか……」
 それはアーヴァインが初めて聞く話だった。自分がキニアス家に引き取られた当時、潮が引くようにバタバタと他の孤児たちも里親の元へと引き取られていった。そんな慌ただしい中でも、シドとママ先生は出来る限りの配慮をしてくれたのだと思うと、改めてその温かな思い遣りに感謝の念を覚えた。
「ではお返ししますね。良いものを見せてもらいました」
「いえ、そうではなくて。実はその刀をシド学園長に預かって頂けないかと思って伺ったんですが……」
 元のように袋に収まった刀をシドに返されそうになって、アーヴァインは慌ててそう言った。
「私がですか? どうしてまた?」
「僕はまだその刀を持つ自信がないんです。その刀は養父が精魂込めて創り上げた物です。僕にと託されましたが、自分はまだその刀にふさわしい人間だとは思えません。いつか、一人前になったと思えるその時まで預かっていて頂けませんか?」
 シドはアーヴァインが言い終わっても刀を握ったまま、じっと考え込んでいた。

「これを預かるには、私はふさわしくないと思いますよ」
 またも思ってもみない返事が返ってきた。
「なぜそんなことを言われるんですか?」
「私の方が君よりも、ずっと利己的で弱い人間だからです」
「僕はそんなこと思ったこともありませんが」
 アーヴァインは本当に驚いた。シドは確かに穏やかすぎて頼りなさげな面もあるが、尊敬に値する人物だ。自分たちの拠り所となったガーデンを創り、ノーグと対立しながらも切り盛りしてきたのは他ならぬ彼だ。このガーデンがなければ、SeeDを育成しなければ、魔女アルティミシアを打ち破れたかどうか分からない。今頃世界はどうなっていたか分からない。
「私は、君たちに嫌なことを押しつけて逃げたんですよ。それだけで、今ここにいる資格などありはしないんです。軍人ならば軍法会議で厳しく処断される類のものです」
 何のことを言っているのか、アーヴァインにはよく分からなかった。
「君たちから見れば、大人は人生経験も豊富で強い存在のように思えるかも知れませんが、私はそうではないんです。迷いもすれば、判断に失敗し後悔もします。大半の大人は、経験を身に着け活かし、ちゃんと強くなります。でも私は弱いのです。対立するイデアと君たちの行く末を見届ける役目を、どちらの結果も耐え難いという理由で、放棄して逃げ出したんですよ。大人としては最低です」
 そこまで聞いてやっとアーヴァインは理解した。
 バラムガーデン内で、学園長派とマスター派に別れて小競り合いが勃発した後、突然ガーデンが動き出したと思ったら、F.H.にぶつかったりトラビアに行ったり、あげくにガルバディアガーデンと戦うはめになって、知らない間にシドは学園から姿を消していた。石の家で再会した時には「いつの間に!?」と、驚いた。
 それともう一つ、シドの言う通りのことがあった。
 大人とは、経験豊かで強いんだと思っていた。養父も養母も、周りの大人たちもみんな。シドも自分の眼にはそう映っていた。外見も中身も立派な大人だと思っていた。
 けれど、今のシドの言葉で、大人でも迷い、後悔もし、その弱さを恥じることもあるのだと分かった。あの大人然としていた養父でさえも、長い間後悔し悩んでいたと言っていた。
 子供の自分たちと少しも変わらない。大人も同じなのだ。
 大人でも迷い失敗するのなら、自分が些細なことで悩み、ちっぽけな存在に激しく落ち込んだりしても、全然おかしくない。
 アーヴァインは霞がかかっていた視界が一気に開けたような気がした。
「それでも、僕は、やっぱり学園長に預かっていてほしいです」
 アーヴァインはきっぱりと言った。
「学園長もママ先生も、僕たちのことを愛しい子供だと思ってくださっているんでしょう? それは間違いありませんよね?」
「それだけは、揺るぎない自信があります。君たちは今でも私たちの大事な子供たちです」
「ありがとうございます。僕にはそれだけで十分な理由になります。学園長とママ先生も、僕の大事な両親です」
 穏やかなシドの顔が、一瞬困惑したような顔になったが、すぐに元の落ち着きを取り戻した。
「私は君たちに辛い責務を負わせてしまいました。そしてこれからも押しつけるかも知れません。そんな人間が親でもいいのですか?」
「はい、構いません。僕も、今度は自分で考え、自分で判断することが出来ますから、嫌な時はきっぱり断ります」
 アーヴァインが笑ってそう言うと、シドはくるりと背を向けた。アーヴァインが見た背中から「ありがとう」と聞こえた声は、少し震えているのが分かった。


「セフィ」
「学園長と話終わった?」
 アーヴァインが学園長室を出るとセルフィが立っていた。
「終わったよ。セフィも学園長に用事?」
「ちがうよ、アービン迎えにきた」
「ランチ?」
 セルフィが自分を誘いに来る最も高確率の理由を言ってみる。
「うん。ちょっと早いけど、一緒にいく〜?」
「行く、行く」
 アーヴァインには断る理由などどこにもない。二人連れだってエレベーターに乗り込んだ。
「セフィ、知ってた?」
「なにを〜?」
「僕たちには六人の両親がいるんだよ〜」
 好奇心を載せた瞳で見上げてくるセルフィに、アーヴァインは優しく微笑んだ。
「六人? んんっ?」
 セルフィは指を折って数え始める。
「生んでくれた両親と、トラビアの両親は分かるけど、あと二人は誰?」
 再び好奇心色の瞳で訊いてくる。
「シド学園長とママ先生もそうだと思わない?」
「あ、なるほど〜。そう言われればそうだね。そっか〜、六人の両親か。すごいね、なんか得した気分!」
 指定階に到着してスッと開いたドアから、ピョンと飛び出てアーヴァインを振り返り、セルフィはにこにこ笑っていた。
 その姿をアーヴァインもにこにこと見ながら、さすがセルフィだと思った。いきなり六人の両親とか言われて困惑するどころか、「得した気分」とか言えてしまう。そういうポジティブな受け止め方をするのはセルフィの美徳で、ネガティブになりがちなアーヴァインが憧れる部分でもあり、好きな部分でもあった。
「セフィ、あの帽子たまには被ってね」
 差し込んできた太陽の光で、キラリと輝いた栗色の髪に思い出す。
「うん、アービンが被ってない時にね」
「なんで〜、一緒でもいいじゃない〜」
「いやだよ、恥ずかしいもん」
「恥ずかしい〜? ちょっ、セフィ」
 足早になったセルフィをアーヴァインは慌てて追いかけた。すぐに追いついて、手を握ったら、意外にも振り解かれなかった。そのまま、まだ昼には早く人通りの少ない通路を並んで歩く。



 ――――あの戦争がなければあり得なかった家族。


 それは傍目には不幸なことのように見えるのかも知れない。事実そうだったのかもしれない。
 けれど、今の自分たちはそうは思わない。血の繋がりなど関係なく、愛情を注がれる幸福を知ることが出来た。
 それは本当に幸せなことなのだ。

「セフィは今幸せ?」
 アーヴァインは握った手に少し力を込めて隣のセルフィに問いかけた。
 声は聞こえなかったけれど、アーヴァインを見上げたセルフィは「幸せだよ」と唇を動かしたように見えた。



END

連載開始から終了まで、ずいぶん時間がかりましたが、やっと完結です。
今回のアーヴァインは、今後の彼の人生の根幹に関わるような重要なセリフを言うので、それに思いの外時間がかかりました。

この話と『涼天』とを合わせて読んで頂くと、アーヴァインのルーツが大体判明するかと思います。お時間のある時にでも『涼天』の方も読んで頂けると幸いです。彼の手先が器用なのは“血筋”ですね。
(2009.08.01)

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