Frozen pain

4
 記憶にないシーツの感触。ぼんやりした頭でそのことを考える。目を開けてようやく分かった。自分の知っている部屋ではないことに。
「そうだった、アービンの」
 セルフィはベッドから降りると窓に歩み寄り、そっとカーテンを開けた。まだ朝が早いのか眩しくはない。視界の下の方には、うっすらと白くけぶった緑が、靄の間から見え隠れしている。
「あ、アービン」
 セルフィのいる二階の部屋は、この家の横にある公園に面しているようだ。その敷地の中にあるベンチにアーヴァインが座っているのが見えた。
「こんな早い時間にどうしたんだろ」
 アーヴァインは何をするでもなくじっと座って動かない。
「考え事、かな……」
 多分そうなのだろう。ここに帰ってきてからのアーヴァインの様子が、微妙にいつもと違っていた。口数が少ない。昨日も、普段ならそういったことはあまりないのに、ただ黙って会話を聞いている時間が多かった。
 そして何度か窓から外を見て、何事か思っているようだった。多分他の人間なら気づかない、ひょっとしたらアーヴァインにも自覚はないのかも知れない。この家に来てから一人だけまだ会えていない人物、アーヴァインの養父に関係があるのではないだろうか。以前アーヴァインは養父から逃げるようにしてガーデンへ入ったと言っていた。ひょっとしたら、そのことは今もわだかまりとして残ったままなのではないだろうか。
 勝手な憶測に過ぎないけれど、なんとなくそう思う。
「……アービン」
 ベンチに座るアーヴァインの姿は、白い靄に消えてしまいそうで、そして孤独に見えた。



 露に濡れた深い緑色。濃く薄く靄が辺りを漂う。
 隅のベンチに座って目を閉じた。清静な空気が肌を撫でていく。鬱蒼とした緑に囲まれ、外界とは隔絶されたこの場所は、とても街中とは思えない。まるで異空間のようだ。
「アービン」
 ふいに後ろの方から、彼女にしては控えめな声がした。振り向けば、いつもの軽い足取りでこっちへ歩いてくる可愛らしい姿。
「おはようセフィ。早いね」
「うん、窓から下を見たらアービンの姿が見えたんで来てみた。……ジャマ、だったかな」
「いや、そんなことないよ。どうして?」
 セルフィの手を引いて、アーヴァインは隣に彼女を座らせた。
「考え事してたみたいだったから、もしかしたらジャマしたかな〜って」
「セフィ、ここに来るの、けっこう迷ってた?」
 アーヴァインは握ったセルフィの手の甲を親指で撫でた。
「なんで?」
「手がちょっと冷たい」
 ああ、そうか。セルフィは小さく苦笑した。
「ここ、静かだね」
「そうだね、ここはちょっと独特な場所だから」
「そうなの?」
「うん」
 アーヴァインはセルフィの手を握ったまま、この公園のことを話し始めた。
 このこじんまりとした公園は、職人街が出来た頃に作られたらしい。決まった日にしか解放されず、利用出来る人間も限定されていた。ここへ入ることが出来るのは職人街の住人のみ。そのせいかベンチはあれども、遊具と呼べるものは二組のブランコだけ。職人達が、限られたひとときここで語らい、あるいは日々の仕事から暫し離れ鋭気を養う。
 花はわずかで、芝生や木、ベンチなどは、職人街らしくよく手入れがされていた。ただ中央にある大きな林檎の木の実が熟れた時期だけは、ここで華やかな宴が開かれるのだそうだ。
 セルフィはここに足を踏み入れた時、他の公園と違うどこか厳かな雰囲気を感じた。アーヴァインの話を聞いて、それが何故なのか分かった気がした。
「あたしみたいのが入っちゃいけないトコだったんだね」
「それを言うなら僕もだよ。今日は解放日じゃないのに、勝手に鍵を開けちゃった」
 アーヴァインはセルフィを見てちょっと肩を竦めた。
「アービンが鍵あけたん?」
「うん、僕の家にも鍵があるんだ」
「そっか〜 ここは考え事するには、静かでいい場所だね」
 アーヴァインはセルフィの言葉にちょっとドキッとした。まさにセルフィの言った通りの理由でここへ入ったのだ。考え事というよりは、覚悟をしに来たという方が近かったけれど。それでも、あながちかけ離れてはいなかった。こうしてセルフィがやって来たのも偶然ではないような気さえする。
「で、答えはみつかった?」
「え?」
「何か悩んでたんと違う?」
 やっぱりセルフィがここに来たのは、偶然じゃないかも知れない。
「気がついてた?」
「うん 家に帰って来てから、アービンの口数が減ったのと、雰囲気がいつもと違ってる。上手く言えへんけど」
「そっか〜」
 アーヴァインは笑った。つもりだったけれど、上手く笑えたかどうかは自信がなかった。態度に出したつもりはなかったのが、セルフィには既にバレている。ヘタに取り繕っても、またバレるような気がした。男としては自分の弱い面を見られるのは情けない限りだけれど、セルフィに対しては今更って感じもする。それでもセルフィにとって頼れる存在でありたいというのが、一番の願いではあった。
 それは今の最優先ではないけれど……。
「――アービン」
 握った手の指を絡ませるように、セルフィが握り返してきた。
「ん?」
「見当外れかもしれないけど」
 セルフィは一旦そこで区切り、静かに続けた。
「あたしが、もしあたしがアービンのお養父さんならね、アービンのこと間違いなく誇りに思うよ。アービンが選んで歩いてきた道は正しいと思う。それとね、アービンはさ、自分が思ってるほど弱くないよ。めっちゃ強いとは言えないかもだけど、着実に強くなってるよ。あたしは、頑張ってるアービンのこと知ってるからね」
「……セフィ」
 セルフィはもう一度念を押すようにアーヴァインの手を握った。
 十分過ぎる言葉だった。他の誰でもなくセルフィからというだけで、もう他の誰の言葉もいらない位に。ただ一人、信じていて欲しい人から欲しいものを貰えた至福。それだけで十分な筈だった、それだけで―――― 昨日までは。
「んで、あたしはちょっとずつ頑張ってるアービンが好きだな」
 更に続けられた言葉に、アーヴァインは弾かれたようにセルフィの顔を見た。けれど、彼女は生憎とアーヴァインではなく正面の大きな林檎の木の方に視線を向けていた。その照れくさくて堪らなさそうな横顔がまた、アーヴァインは堪らなく愛しかった。
「セフィ、その頑張ってる僕に、一つお願いがあるんだけど」
「なに?」
「激励のキスしてくれないかな」
 うっと言葉に詰まったような微動が握った手には伝わったけれど、それは無視してアーヴァインはセルフィに笑顔を向けた。
「わ、わかった、じゃ目つむって」
 アーヴァインが言われた通り静かに目を閉じたのを見て、セルフィはゆっくりと空いている方の手を頬に添えた。相変わらず密に揃った睫をしてるな〜と思いながら、そっと唇を重ねる。
「んんーーっ!」
 けれど、セルフィからのキスはすぐに主導権が変わり、予定外の長さと深さになった。それに対してセルフィはアーヴァインの胸をドンドンと叩いて精一杯抗議した。
「なんでアービンはいっつもこうなんっ!」
「セフィが好きだから」
「……なんっ……なっ…」
 不意打ちの濃いめのキスに思いっきり抗議したかったが、しれっと答え、平然とこっぱずかしい台詞を言ってのけるアーヴァインに、セルフィは途中で意気消沈してしまった。
 早朝の人気のないこんな場所でキスしてしまったセルフィがいけないのか。けれども、アーヴァインの嬉しそうな顔と、ぎゅっと抱きしめて「ありがとう」と小さく耳元で言われたりすると、セルフィはもう、言葉を失ったように何も言えなかった。



※-※-※



「お帰りなさ〜い」
 セルフィはアーヴァインとレックスを玄関で迎えた。
「ただいま〜」
「留守番ありがとう、ごめんなさいね」
「いいえ。ところで材料、全部ありました?」
「もう、セルフィちゃんのメモでバッチリ! これで絶対完璧!」
 にこにことガッツポーズをするレックスに、セルフィも「良かったです」と同じポーズで応えた。

「で、ココがパリパリふわふわのタコヤキを作るのに大事なポイントです。よぉ〜く見といてや〜」
 セルフィは腕まくりをし、手の中ででっかい針のような調理器具をくるんと回した。アーヴァインとレックスは無言で頷いてセルフィの次の動作を待つ。
 丸い穴の開いた鉄板に流し込まれた生地が、香ばしい匂いとジューという微かな音を立てて焼けている。セルフィは手に持った小さなかえし棒で、生地を一個ずつクルンとひっくり返していった。
「で、焼けるまでしばらく待つ〜」
「え!? 半分しかひっくり返ってないよ〜。ちゃんと裏返しにしないとキレイに焼けないでしょ〜」
「ふふん、そこがコツなのだ」
 不思議そうに見返してくるアーヴァインに向かって、セルフィはちょっと得意げに胸を張った。
「こうやって90度だけひっくり返すと、中に空気が入って、中はとろふわ外はパリッとしたタコヤキになるんだよ〜ん。焦って、一度に全部ひっくり返しちゃうと、ペタンとした出来上がりになっちゃうんだよね〜」
「おお〜、なるほど〜」
「理解?」
「ものすごく理解」
「私、一気にひっくり返してたわ〜、それがいけなかったのね」
 アーヴァインとレックスは大きく頷いた。
「ハイ、どうぞ〜。好みで青のりとかかけてくださいね。ソースは必須ですよ〜」
 焼き上がったタコヤキをお皿に載せて、セルフィはまず待ちこがれている様子のレックスに渡した。
「ん〜、おいしい! そうそうコレよ〜、このぱりっふわっとしたヤツ!」
 レックスははふはふと息を吐いて熱がりながらも、「おいしい、おいしい」と、口を動かすことはやめず、タコヤキを次々と口に運ぶ。隣でアーヴァインに何も同じようにはふはふと食べている。血の繋がっていない姉弟とは言っても、二人の仕種はよく似ている、とセルフィは思った。そして何だか微笑ましいとも思った。





『父さん、待ってるみたいよ』
 レックスにそう言われて、小さな中庭をはさんだ向かい側にある古い木の扉の前で、アーヴァインは足を止めていた。
 久しく訪れていなかったそこは、以前の少し薄暗く厳めしい印象を崩してはいない。簡素なたった一枚の扉が、重厚な造りの鉄の扉のように感じられる。そして「逃げたお前に、ここに入る資格があるのか」と問われているようだった。
 養父にとって疎ましい存在であったとしても、せめて感謝の言葉だけは……伝えておきたい。こうして自分が存在していられるのは、貴方のお陰だと。
 この家に帰ってきた最大の目的を心に念じ、己を奮い立たせるように深く深呼吸をして、扉に手をかける。扉はまるでアーヴァインの心のような重い音を立てて開いた。
「わっ!」
 予想もしない明るい声がした。と、誰かとぶつかりかけた。
「あ、すいません。人がいるなんて思わなくて、危うくぶつかるところでした」
 勢いよく現われた作業着姿の青年はそう言って、申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ、こっちこそ、いきなりすみません」
「ソウシュウ師匠(せんせい)にご用ですか?」
 アーヴァインより少し背の低い青年は、穏やか笑みでそう問うてきた。
「あ、はい。久し振りに帰ってきたので、養父(ちち)に会っておこうと思って」
 アーヴァインの言葉に青年は、濃い茶色の瞳をちょっと見開いて、少しクセの入った黒髪を掻いた。
「ひょっとして、アーヴァイン君?」
「ええ、そうです。もしかしてレックスの婚約者さん?」
「あ、そうです。ユンリィと言います。あなたのことはレックスから聞いています。ゆっくり話とかしたいんですけど、ちょっと急ぎの用事があるので失礼しますね。師匠は奥の部屋においでですよ」
 レックスの婚約者は穏和な笑顔で軽く会釈をすると、アーヴァインと入れ替わるようにして出ていった。
「なんだかおっとりした優しそうな人だな。今までのレックスの好みとはずいぶん違う」
 昨夜婚約者の話をした時のやたら照れくさそうなレックスの顔を思い出し、思わず笑みが溢れる。
 少し緊張が和らいだ所で、アーヴァインは後ろ手にそっとドアを閉めた。
 一歩足を進めたら、空気が変わった。ピンと張った弓弦のような独特の雰囲気。
 視線を巡らせると、使い込まれてはいるがよく手入れがされた道具類は、まるで意志を持ってそうしているかのように、棚や置き場に整然と収められている。長くその身を削って名品と謳われるものを作り上げてきたそれらは、それ自体に威厳のようなものを感じる。人が、道具が、代替わりしても、その心髄は変わらず後世へ受け継がれていく。“伝統”とは何かと何かを繋いでいくものでもあるのだとふと感じた。
 そしてレックスの婚約者が教えてくれた通り、常の作業場であるここに養父の姿はなかった。
 アーヴァインは一段高くなっている板張りの床に靴を脱いで上がり、更に奥の部屋へと続く扉に手を掛け、躊躇いを封じ込め声を張った。
「とうさん、アーヴァインです」
 静かに引き戸を開ける。その部屋は作業場と同じように板張りの床ではあるが、作業場のような痛みは殆どなく綺麗に磨かれている。部屋の右奥には、小さな祭壇ようなものがあった。養父はその前で祭壇の方を向いて姿勢を正し座っていたが、アーヴァインが部屋に入るとゆっくりと身体を反対側に向けて座り直した。
「帰ったか。そこに座るといい」
 言われた通りアーヴァインは養父の正面に少し間を置き、向かい合うようにして腰を降ろした。
「とうさん、挨拶が遅くなりました」
「アレクシアから仕事が佳境だと聞いていたのだろう、気にしなくていい。それより元気にしていたか?」
「はい。とうさんも変わりなく過ごしておいででしたか?」
 養父と疎遠になっていた間には、様々な出来事がありとても安穏とした日々ではなかったが、アーヴァインは事細かな報告するつもりはなかった。今元気ならばそれでいい。子細を述べて養父に余計な心配をかけさせるようなことはしたくない。
「そうか。私もこの通り元気にしている」
 養父も余計なことは聞いては来ない。自分のことも多くは語らない。また押しつけることもしない。昔からそういう人だった。
「そんな喋り方をしていだろうかな、お前は」
 養父の顔に僅かに影が差したように見え、アーヴァインはハッとした。意図した訳でもなく自然にそう言った今の物言いは、酷く他人行儀ではないか。
 子供の頃は、もっと親子らしい言葉を使っていたのに。それが今は――――。
 アーヴァインは視線を下げて息を吐き、再び戻した。
 久し振りに見た養父は、少し皺が深くなり、身体が小さくなったように見えた。それが殊更に、自ら作った養父との隔たりを感じさせる。
「忘れないうちに渡しておく。これをお前に」
 そう言って養父は、横に置いてあった細長い袋をアーヴァインに差し出した。すぐに中に何が入っているのかは察しがついた。
 腰を浮かせ両手を伸ばし受け取ると、そのものの重さ以上にずっしりとしたものを感じた。
「刀、ですね」
「そうだ、私が打った。私がお前に残してやれるものはそれだけだ。何度も打ち直して、ようやく渡せるものが仕上がった」
「僕はこんなものを受け取れるような――」
 そんな立派な人間ではない。
 代々引き継がれてきた名工“ソウシュウ”の名を受け継いだ養父の打った刀など、持つことが出来るような人間では。こういった逸品は心身共に優れた人物こそが持つべきものだ。自分はその片鱗さえ持たない。
「ふさわしくないと思うのなら、ふさわしい人間になればいい。私はお前にはその資質があると思っている。刀はただの人斬りの道具ではない。情に篤く、且つそれに流されない強さを持つ者こそが刀を活かすことが出来る。ずっとお前を見てきた私には判る」
 心がガタガタと震えた。
 子供の頃ここで養父に剣術の手ほどきを受けたことを思い出す。養父が実際に斬る様子を見せてくれた時、その潔いまでの切れ味に、空恐ろしいものを感じた。これを使えば生き物の命を簡単に奪うことが出来るのだと思うと、刀を見ることさえ怖くなった。
 多くの男の子なら憧れの対象であろうもの。養父は何も言わなかったけれど、自分にもそれが望まれているのだろうということは子供心にも分かった。それに応えたいと思った。そうすれば養父は自分を気に入ってくれるだろう、褒めて貰えるだろう。けれど、真摯に向かおうとすればするほど、心も身体も萎縮しどんどん悪い方向へ向かった。そんなアーヴァインを養父は最初の頃こそ叱責したが、そのうちただ暗い顔をするだけになった。
 見放されたのだと思った。
 孤児の自分を折角引き取ってくれたのに、自分はここの家の子供として当然やるべきことが出来ない。
 弱い自分が情けなかった。
『そんな僕に、この一振りを託そうとしてくれているとうさんの意図はいったい――――』
「お前が刀を好んでいないことは知っている。だが私にはこれしか能がない。そしてこれは懺悔なのだ」
「懺悔?」
 幻聴ではないかと思われた言葉は、けれど、養父のとつとつと語る声と共に、驚くほど心の中へすんなりと染み通っていった。


 孤児を引き取る。
 突然そう告げると妻と娘は猛反対してきた。放っておけなかったのだ。戦火に巻き込まれた子供がいる、親を失った子供がいるということを知ってしまっては。そして、息子を失ったソウシュウには、天啓のようにも思えたのだ。親として充分にしてやれなかった償いを、せめてその子にはしてやりたい。
 それと刀に強い興味を持ってくれた息子のように、その子もまた興味を持ってくれるのではないかという期待もあった。
 引き取りに出向いた日は強い風が吹いていた。
 海の風は強い。その子は、油断すれば風に攫われてしまうのではないかと思う位、頼りなげで不安げな顔をして目の前にいる大人たちを見上げていた。
 その時に至ってようやく悟ったのだ。
 自分のやろうとしていることは、人の人生を大きく左右するものだと。人ひとりの命を預かることなのだと。
 ソウシュウは戸惑った。
 自分には豊な財力があるわけでもなく、人生を導いてやれる程の豊富な知識を持っている訳でもない。たった一つ、古から続く伝統を受け継ぎ守っていくことしか出来ぬ男だ。それとてまだ学ぶことの方が多い日々。
 自分は、不安な瞳と小さな身体を丸ごと受け止めるに足る人間なのか、情けなくもその時まで考えもしなかった。
 だが、ソウシュウの躊躇いを余所に今度は妻がどうしても引き取りたいと言い出した。

 アーヴァインと生活を始めて、自分の気づかなかった我欲を思い知らされた。死んだ息子とは違うのだということをまざまざとつきつけられた。そんな簡単なことにも思い至れなかったのだ、当時のソウシュウは。こんな偽善者に家族が反対をしたのは当然のことだ。
 ソウシュウは混乱と焦りに陥った。自分はアーヴァインに何をしてやれる。何をすればいい。アーヴァインに跡を継いで欲しいという思いはもう消えていたが、同時に親として出来る簡単なことも見失っていた。
 たった一つ自分に出来ること。刀の扱いを手ほどきしてはみたが、完全に迷宮に入り込んでいたソウシュウは、アーヴァインには不向きだということに気づくのも時間を要した。
 結局、ソウシュウは父親らしいことは何もしてやれぬまま、アーヴァインはガーデンに入ってしまった。
 せめてもの救いは、母親の愛情と姉弟の温かさだけは、与えられただろうということだ。

「すまない、アーヴァイン。私はお前に親らしいことは何もしてやれていない。そんな私をお前は疎ましく思っているだろうが、私はお前がこの家にいてくれたことにとても感謝している。かあさんとアレクシアは、お前のお陰で元の明るさを取り戻した。お前がいなければ――――」
 ソウシュウは言葉を詰まらせた。
「…………とうさん」
 アーヴァインは喉の奥に痛みを感じた。
 思っていたこととは真逆のことを言われて、酷く混乱している。

 しばらく互いに言葉もないまま向かい合い、ただ座していた。
 ここの清厳とした空気のせいか、心はほどなく落ち着きを取り戻す。
「感謝をしているのは僕の方です、とうさん。僕は引き取ってくれたことに感謝こそすれ、とうさんを疎ましいと思ったことはありません。むしろ僕の方が疎まれているのだと思っていました。とうさんの跡を継ぐことが僕の使命だと思っていたのに、それが恩返しだと思っていたのに、出来ない自分が情けなかった」
「だから、家を出たのか?」
「そうです」
 アーヴァインは膝の上でぐっと拳を握った。
「そうか」
 ソウシュウは安堵したように息をつく。
「私たちは何も言わなさ過ぎたようだな」
 ソウシュウは眉間に皺を寄せ、ふっと微笑った。
 アーヴァインは身体から急に力が抜けていくのを感じた。あれほど身体中の筋肉がガチガチに強張っていたのに。養父の言葉であっさりと。心がすっと解放されていくような清涼感を伴って。
 自分も養父も、互いに相手のことを考え過ぎて、自分の思いを伝えぬまま、こんな所まで来てしまった。
 恐らく、一言だけでも告げていれば、互いの気持ちを理解するのに、こんな回り道をすることはなかったのだろう。
 なんて不器用なのか。
 親子揃って――――。
 アーヴァインは心の中でほんの少し苦みを含んだ笑みをこぼした。
「ところで、SeeDになったそうだな、おめでとう。生半可な心構えでは出来ない職種だろうが、魔女に打ち勝ったお前にふさわしい選択だと思う。お前は強くなった」
 養父の笑みが誇らしげなものに変わって、心が熱くなった。SeeDの道を選んで良かったと心の底から思う。今まで贈られたどんな祝辞より嬉しい。改めて、養父の存在が自分の中でどれほど大きかったのか、アーヴァインは忙しなく脈打つ心臓で理解した。
「ありがとう、とうさん」
「忙しいだろうが、もっと頻繁に帰ってくるといい。アレクシアも喜ぶ。あれは昔からお前を可愛がっていた」
「そうするよ」
「で、お前も結婚するのか?」
「……は?」
 アーヴァインは呆けた。
「セルフィちゃんとやらは恋人じゃないのか?」
「ええ!? 何でとうさんがセフィのこと知ってんのっ!?」