Blue Horizon

 chapt.6 魔女

 病院での最終日は、ジェナの検査などはなく、午前中に先日の結果と説明を聞いて終わる予定になっていた。フランと担当の医師が話しをしている間、ジェナはセルフィと共に過ごした。特に遊んだりという事はなかったが、ジェナはセルフィの話を聞きたがった。ことに孤児院で過ごした日々の事を彼女は良く聞いてきた。
 そして、夕方前にはドールのロワ家に帰宅した。カウンセリングの効果か、互い二人目の父母がいるという共通項があるからなのか、それとも余程セルフィの事を気に入ったのか、ジェナはセルフィに対しても笑いかけるようになっていた。フランもスカーレットもその様子を見て、顔を綻ばせた。
「正直不安だったの、全くの見知らぬ他人に警護をお願いするのは。それでも、今のあの子を見ていると、思い切ってみて良かったわ。そして、もっと色んな人と触れ合う方がいいのかも知れないと、今は思うわ」
 フランは、スカーレットとぬいぐるみとじゃれ合うジェナを、目を細めて眺めながらセルフィに話しかけた。
「そう言って頂けると私も嬉しいです」
 セルフィも、フランと同じようにジェナを見つめながら、彼女の変化を自分の事のように嬉しく思っていた。ほんの少しかも知れないけど、彼女の役に立てた。たった3日前ここに来て初めて見たジェナの無機質な顔が、もう遠い事のように思える。本当に劇的変化という言葉がふさわしいような、ちょっと話が出来過ぎという位の、ジェナの笑顔が見られてセルフィは嬉しかった。

「フランママ、お散歩に行っちゃダメ?」
 ジェナは、タタッとフランに駆け寄るとそんな事をねだってきた。その後からゆっくりとスカーレットもフランの傍に歩いて来て、少し困ったように微笑っていた。
「そうねえ」
 フランは直ぐに返事をしなかった。今までのジェナの生活を考えると、自ら外に出たいと言うようになったのは喜ぶべき事だ。素晴らしい進歩だと思う。彼女自身については何の問題もない、フランとしては彼女の希望を叶えてやりたい。だが、彼女が誘拐の標的になっているという部分は、まだ解決してはいない。その事で、フランは答えを出しかねた。
「ジェナが許してくれるなら、私も行きますから」
 それを察してセルフィが口を開いた。ジェナはセルフィの方を振り向いて嬉しそうに笑う。
「右に同じ」
 スカーレットも、宣誓をするように手を挙げた。そして、ジェナは、スカーレットにも同じように微笑んだ。
 その3人の様子を見て、フランは決心がついたようだった。
「もう夕方だし、近くの公園の辺りまでよ」
「ありがとう、フランママ」




 ジェナはスカーレットと手を繋ぎ、セルフィは二人の後ろ姿を眺めるようにして歩いた。滅多に外出などしなかったのであろう少女は、色んな質問をしていた。スカーレットはそれを嫌がる事もなく、一つ一つ丁寧に答えている。たまに彼のジョークが混じるので、ジェナは良く笑った。その二人の姿はまるで家族のようだとセルフィは思った。
 自分にとっても思い出深いドールの街。ここがSeeD実地試験の場所だった。たった2年足らず前の事なのに、酷く懐かしい。あの時の自分は、SeeDになる事を目標にしてがむしゃらに頑張っていた。SeeDになったら夢が叶う、トラビアの両親を喜ばせる事が出来る、もうただワクワクしていた。その先、あんな戦いが待っているとは露ほども思っていなかった。
 魔女を倒す為の戦い。
 とても辛くて厳しい旅だった。魔女の力というものをまざまざと見せつけられ、到底勝てる相手だとは思えなかった。何度命の終わりを感じただろう、何度仲間との別れを目の前に突き付けられただろう。人の英知を遙かに凌駕する巨大な力。魔女に打ち勝てたのは、今でも夢なんじゃないかと思う時がある。これは魔女の見せている夢で、本当は魔女の手の平の上で、好きなように踊らされているだけなんじゃないだろうかと。あの戦いが終わって直ぐの頃はそんな恐怖に飛び起きた事が何度もあった。しかもその巨大な力の持ち主は、一人だけでなく――――。
 魔女とは何なのだろう、何処から来たのだろう。憎しみと慈しみ、破壊と癒し、その意志によって、善にも悪にも為りうる。その力は継承し受け継がれていく。生から生を渡り歩く。遠く古よりの存在。今、一体何人の魔女が、この世界に居るのだろう。居るとすれば、彼女たちは何を思って生きているのだろう。善き魔女でいてくれるのだろうか、イデアやリノアのように。
 それとも――――。
 その先を考えるのは、怖かった。幾度と無く魔女と刃を交え、打ち勝ってきたセルフィでさえ、魔女とは畏怖を禁じ得ない存在だった。
「あ、またのぞいてる〜」
 ロワ宅の近くまで帰って来た時、ジェナが前方を指さしていた。朽葉色の髪をした少年が、ロワ家の玄関前に落ち着かない様子で立っていた。
「ジェナの事が好きなんだよ、あの小僧は」
「え〜 そうなの、知らなかった」
「挨拶でもして来たらどうだ? 友達になれるぞきっと」
「う〜ん どうしようかな〜」
 スカーレットに手を引かれながら、ジェナは暫く考えていたが急に「挨拶してくる」と言って駆けだした。
「お〜 進歩だ」
 その後ろ姿を満足そうに眺めながら、スカーレットは嬉しそうに呟いた。セルフィも、微笑ましく思って見ていた。だが、挨拶の言葉を聞く前に、ジェナの悲鳴が聞こえた。見れば、ロワ家の向かい側の建物の影から、複数の人間が飛び出してき、その内の一人がジェナを抱え走り出そうとしていた。
「しまった!」
 スカーレットの声がしたのと同じくして、セルフィも彼と共にジェナの所へ風のように走った。幸いにもジェナを襲った相手は、車など用意していなかったらしく、直ぐに走って追いつく事が出来た。セルフィとスカーレットは、互いに近くにいた者から、相手にする。セルフィは、ヌンチャクはもとより銃も携帯していなかったので、素手で敵と戦うハメになった。だが、相手は訓練を積んだ者では無かったようで、人数も四人とさほど苦労をする事もなく、倒す事が出来た。むしろ敵が気の毒だと思う位、スカーレットの相手は悲惨だった。最後の敵の顎をゴキッと鈍い音をさせて、スカーレットが沈めたのを背後に聞きながら、セルフィはジェナに駆け寄った。
「大丈夫? ジェナ。どっか痛いトコはない?」
 恐怖で、身も心も強張っているであろうジェナに、努めて冷静に優しく声を掛ける。そうすると、セルフィの姿と声に少し安心したのか、大丈夫と言うように小さく首を横に振った。
「良かった」
 セルフィが安堵の息を吐いて、ジェナを抱き締めようとした時、今度は甲高い少年の声が聞こえた。
「あぶない、ジェナ!!」
 その言葉にセルフィが後ろを振り向くと、少し離れた所に倒れている敵が、腕にしがみつく少年を振り払い、セルフィとジェナの方に向かって銃を構えているのが見えた。視界の端で、そいつに向かってスカーレットが地を蹴ったのが見えた。が、それはとても間に合うようなタイミングでは無い。そう思った瞬間に、セルフィの方はジェナに覆い被さるようにして身を堅くした。
「ダメッ!」
 セルフィの腕の中でジェナが叫ぶ。
 パンと弾が発射された音がした。と同時に、セルフィの頬を冷たい風が走り抜ける。
「うあっっ!!」
 セルフィの背後で、男の大きな呻き声が聞こえた。尚もセルフィは身を堅くして、ジェナを抱き締めていた。だが一向に訪れる筈の衝撃はない。セルフィが、腕の力を緩めてゆっくりと振り向くと、男は銃を持っていた腕を吹っ飛ばされ、呻き声をあげたかと思うとパタリと動かなくなった。
『助かったんだ』
「ジェナ、大丈夫だよ」
 腕の中で怯えているであろう少女に優しく声をかける。
「ジェナ?」
 ジェナは予想以上に怯えていた。無理もない、また襲われてしまった。一体どれ程恐ろしかったか、その恐怖は容易に想像出来る。
「わたし、バケ…モノ……」
 少女は、大きく目を見開き、焦点の定まらぬ瞳で、そう呟いた。身体は酷く冷たく、小刻みに震えている。その様子にセルフィは尋常ならざるものを感じた。知識によって感じたのではなく、もっと直感的に、肌で感じるような。自分の良く知っている感覚。
「ジェナ、大丈夫?」
 何時の間にか、少年が直ぐ傍に立っていた。
「ジェナ、大丈夫だよ。悪いヤツらはもういないよ」
 怯えたジェナの様子が分かると、少年はしゃがんで優しくジェナの手を握り、彼女の顔を覗きこんでいた。だがジェナは、少年の方を見ることはなかった。怯えた顔のまま、がちがちと歯を鳴らして震えている。
「おねーちゃん、ジェナが」
 少年もその様子が余りにも異様だと思ったのか、悲痛な顔でセルフィを見上げた。全く予想もしなかった出来事に出会い、考えを巡らしていたセルフィは、少年と目が合って我に返った。
「大丈夫、ジェナは今びっくりしてるだけだから。ちゃんと休めば大丈夫だよ」
 そう少年に告げた時、ロワ家の玄関のドアが開き複数の人間の足音が聞こえた。その内の一つが直ぐ傍まで来て、セルフィの腕の中の存在を認めると悲痛な叫び声をあげた。
「ジェナにはケガはありません。詳しい事は後で説明します、とにかく彼女を中へ」
 驚きで動く事も出来ずにいるフランにそう告げて、セルフィはジェナを彼女に預けた。フランは、まだ半ば混乱しているようだったが、無言で頷くとジェナを抱きかかえて屋敷の中へと急いで入って行った。
「カイくん、だったよね。ジェナはもう大丈夫だから、ね。君もケガしてるよ、家でちゃんと手当して貰うんだよ。ここは危ないから、もう自分の家に入ってて」
 まだ心配そうに玄関のドアを見つめている、小さなナイトの髪をセルフィは撫でてやった。その言葉に少年は心配で堪らないという顔を幾分緩めて、ゆっくりと自分の家の方に向かって歩き出した。その姿を見送ってから、セルフィは最も確かめなければならない場所へと向かった。
 スカーレットが、この現場の後片付けをするべく、屋敷から出てきた複数の男達に指示を出している。彼らに片付けられてしまう前にと、セルフィは急いで目的の人物の元へと駆け寄った。
『銃は綺麗なまま……弾も…減っている。でも、腕は暴発で吹っ飛ばされたような傷口。身体は……氷の様に冷たい』
 セルフィは、さっき自分とジェナに銃を向けた死体を調べていた。奇妙な死体。だが、セルフィには何度も見たことのあるモノだった。
「片付けたいんだが、いいか?」
 いつの間にかセルフィの直ぐ後ろに、スカーレットが黒い大きな袋を持って立っていた。
「え、ええ どうぞ」
「この死体、変わってんな」
 スカーレットの作業を手伝っていたセルフィは、その言葉にドキッとした。
「なんだってこんな冷てーんだ。傷も変だし、銃は綺麗なまんまだし……奇妙な事この上ねー」
「ホント、不思議な死体だよね」
 流石にプロだなと思いつつ、セルフィも彼同様に分からないフリをした。自分の推測は間違いない。だから、彼に悟られてはいけない。これは、あまりに危険で、あまりに重すぎる事実だ。



※-※-※



 はあ……。
 セルフィは気が重かった。新たに自分に課せられた任務はかなり重要だ。そして失敗は絶対に許されない。一度大きく深呼吸をして、ドアをノックした。
「どうぞ」
 ゆっくりと扉を開けて部屋の中へと入る。明かりの押さえられた部屋の奥、ベッドに横たわる小さな少女の姿に胸が痛くなった。そして、傍らで少女の手を握っている、女性にも。
「ロワ夫人、お話があります。お時間を頂けますでしょうか」
「どうしても必要な話? 出来れば、この子の傍に居たいのだけれど」
 向けられたフランの悲痛な面持ちに、またセルフィの胸は軋んだ。
「心痛はお察し致しますが、どうしても急ぎお伝えしなければならない事があります。ジェナの命に関わる事です」
「そう……分かったわ」
 こう言うとフランは、セルフィの話しを聞かざるを得ない。イエスとしか言えないであろう言葉を選んで、セルフィは告げた。
 フランは一度眠っているジェナの頬をそっと撫でてから立ち上がると、セルフィと共に無言のままジェナの部屋を後にした。ドアの外で立っていたスカーレットに、後の事を頼むとフランが告げると、珍しくスカーレットは主の指示に従わず、自分も同席させて欲しいと申し出た。その返答にフランもセルフィも戸惑った。フランは現時点で最も信頼出来る人物にジェナを任せたかったし、セルフィはロワ家で信頼が厚いとはいえ、部外者である彼にも聞かせて良いものかどうか判断出来かねていた。
「そうね、スカーレットも同席してくれた方がいいわ、どうせ後で話す事になるでしょうから」
 フランは、ごく短い時間で答えを出した。当主は留守だが、今この家の主は間違いなく彼女であり、その主が下した判断にセルフィは逆らう余地は無かった。
「では、スカーレットさんも一緒に」
「あ、スカーレット、誰か代わりの者を呼んできて頂戴ね。その後で、書斎まで何か温かい物をお願い」
「かしこまりました」
 スカーレットは、感情を消した警備員の顔で一礼すると、踵を返しきびきびとした足取りで去っていった。フランはセルフィを少し離れた場所にある書斎まで案内した。
「どうぞ」
「失礼します」
 けして小さくはない部屋だが、殆どの壁が天井まで本で埋め尽くされた空間は、とても静かで落ち着いた雰囲気をしていた。今は深夜の所為か、どこか不気味な感じもした。ふとフランを見ると、白い繊手が一つの椅子をセルフィに促していた。勧められるままに、セルフィは部屋の中程に置かれた、ゆったりとした作りの椅子に腰掛けた。普段なら、その心地よさに昼寝に最適だとでも感想の湧いてきそうな椅子だったが、酷く緊張しているセルフィにはそんな余裕は無かった。
「スカーレットさんを待ちますか?」
 自分を落ち着かせるようにゆっくりと口を開いた。
「そうね……待ちましょう。温かい物でも口にすれば、私もあなたも少し落ち着けるんじゃないかしら」
 フランはセルフィに向けて、少し微笑んでいた。その言葉に、人に分かるほど緊張しているのかと恥ずかしくなった。SeeDなのに、今SeeD本来の任務を果たそうとしているのに。セルフィは、フランに隠す事もなく、大きく深呼吸をした。そしてフランはセルフィとは逆に、さっきとは打って変わって落ち着いているように見えた。
「失礼します」
 軽いノックと共にスカーレットがワゴンを押して入って来た。フランとセルフィの所まで来ると、慣れた手付きでお茶を淹れる。その体つきからは想像もつかないような、流れるような動作であっという間に三人分のお茶が用意された。
「いただきます」
 セルフィは遠慮無くお茶に口をつけた。控えめで落ち着いた良い香りがする。こくんと一口含んだお茶が、ゆっくりと身体の中を降りていくと、心も少しリラックス出来たような気がした。フランが静かにカップを降ろしたのを確認して、セルフィはゆっくりと話を切り出した。
「魔女をご存じですか?」
「……ええ、知っているわ」
 フランは、優雅な動作でソーサーの上にカップを置くと、静かに答えた。
「スカーレットさんは?」
「あ? ああ知ってるぜ」
 この部屋に居る者の中で、一番落ち着いていると思われたスカーレットの返事が、一番驚いたようだった。
「単刀直入に言います。ジェナは魔女だと思われます」
 散々、話をどう核心に持っていけばいいのか考え倦ねたが、極短い時間で、しかも物事を順序良く組み立ててなどという作業の苦手なセルフィは、結局ストレートに言う事しか思いつかなかった。どんな突拍子もない台詞であろうと、これを言わなければ話は一歩も前へ進まない。取り敢えず結論を言ってから、先へ進めようと思っていた。