Blue Horizon

 chapt.5 少女

「スカーレットです、宜しく」
 その人は人なっこい笑顔のまま、セルフィにすっと握手を求めた。
「宜しくお願いします。スカー…レットさん?」
 握手に応えたセルフィの頭に疑問符が浮かんだ。何故こんな大柄でがっしりとした体格の男の人の名前が、よりによってスカーレットなんだろう。失礼だとは思うが、どう考えても女性名ではないか。
「そ、スカーとレット(レッド)」
 左目に指を当てて、その人は悪戯っぽくウィンクをする。
 セルフィは漸く合点がいった。左目横にはスカー(傷)、そして目の色はレッド。なる程、ニックネームという訳か。セルフィが、小さく頷いたのを見てスカーレットは、こちらへとセルフィを案内して歩き始めた。
「びっくりしただろう、この眼」
「ええ まあ」
 セルフィは、他に答えようがなかった。
「赤茶の方にはちょっと特殊な能力があるんだ」
「どんな能力なんですか?」
 左右の眼の色が違う人物など会った事の無かったセルフィには、その色の違いに激しく興味があった。
「服が透けて見える」
「ええっ 本当ですかっ!?」
 セルフィは、慌てて服の上から胸を隠した。それを見たスカーレットが、豪快に吹き出した。
「すまない、お嬢さん。今のウソ」
「ええ〜〜〜っ からかったんですか!?」
 あまりに大きな声をあげてしまったので、すれ違った人が何事かと振り返っている。スカーレットもそれに気が付いたのか、さっきより小声になった。
「虹彩異色症っていうんだ、こういうの。大抵は先天的な原因でなるんだが、俺の場合は、昔、ちょっとした事故でケガをして、そんでこういう色になっちまった」
「そうだったんですか。って今度は本当ですよね?」
 またウソではないかと、セルフィはちょっとばかり疑り深くなっていた。
「いや、今度は本当。事故の所為で左目は殆ど見えねえしな」
「すみません、悪い事聞いてしまいました」
「いや、こっちこそすまない。仕事で来たのに、つい悪い癖が出ちまった」
 バツが悪そうに笑った顔は少年のようだった。なんだろう、初対面なのにぞんざいな口の利き方をされても、ちっとも嫌な気がしない。それどころか、印象としては、好人物のような気すらする。そしてどこか懐かしいような……。
「お嬢さん、名前なんだっけ?」
「セルフィ、セルフィ・ティルミットです」
 さっき自分の名前を呼んでくれたのに、もう忘れたのか。あきれるばかりだが、それでもやっぱり何故だか憎めない。
「そうだった、セルフィさんだ」
「セルフィでいいですよ」
「じゃ、セルフィ、改めて宜しく」
 もう一度笑って、スカーレットは車のドアをセルフィの為に開けた。車のシートに座りながら、何故憎めないのかが分かった気がした。どことなく、トラビアの養父を思い起こさせるのだ。体格とか雰囲気とかが。だから、悪い人じゃない、セルフィはそう思った。



 スカーレットの運転で、クライアントの家に向かいながら、打ち合わせをした。
 警護の対象のジェナ・ロワは、今日から3日間ガルバディアのデリングシティの病院へ診察に行く。その間の護衛が自分の任務。彼女は一ヶ月前誘拐されかけた。その事もあり、養父母の願いで警護の強化が図られた。
 彼、スカーレットがロワ家の警備担当責任者だが、生憎と身近に適任の女性がおらず、外から来て貰う事になったと詳しい事を教えてくれた。
「病院の中をこんな目立つ風貌の男がウロつく訳にはいかないんでな。俺も、出来る限りフォローはするが、どうしても君への負担が多くなる。多少危険な事があるかも知れないんで、十分に注意してくれな」
「はい、銃はあまり得意じゃありませんが、体術ならいけます! まかせて下さい」
 うっかりSeeDですからと言いそうになったのを、セルフィは寸でで思い出した。今回は、SeeDからの派遣という事は、クライアントにまでは伝えられていない。直接の依頼主の、警備会社までしか知らぬ事。それ以上は口外無用と、注意事項に入っていた。
「セルフィ、頼もしいお嬢さんだな。殆ど、ジェナの話し相手が主な仕事だから、気を張らずに気楽にしてくれ」
「はい」
「ちょっと、難しいお嬢ちゃんだけどな。悪い子じゃないんだ」
「はい」
 最後の言葉にセルフィは少し胸が痛くなった。
 渡された資料には、ジェナについて詳しい内容も記してあった。彼女の目の前で、一年前に両親が事故死。原因は解明されていない。そして今の養父母は、母親の妹夫婦。この叔母の夫は会社を経営しており裕福で、本当にジェナの事を慈しんでいる。だが、両親の死から、未だ彼女は立ち直れていないとの事。その上、一ヶ月前に誘拐されかけた、この時は幸いにも未遂に終わった。傍目には、裕福な家庭で何不自由無く暮らせて幸福と思えるような状況でも、当人にとってはそれが本当に幸福だとは限らない、ましてや彼女の境遇を考えると、とても幸福であるなどとは思えない。兄弟もおらず、近しい縁者とはいえ義理の両親、資料を見るだけでも少女の胸中は想像に難くなかった。
 セルフィが、ふと顔を上げると前方の空から、雨雲がゆっくりとこちらへ流れて来ているように見えた。



 ドールの街中にロワ家はあった。セルフィが想像していたよりも、庶民的な造りだったが、それでも十分に邸宅という名がふさわしかった。ロワ家の玄関の前を通って邸宅の角を曲がり、その奥にある駐車場に向かうと教えられた時、玄関の方を心配そうに覗いている少年の姿が見えた。
「玄関覗いてるヤツ、隣の家のガキんちょで、カイって言うんだ」
 セルフィは、チラッと後ろを振り返ってみた。誰かに咎められたのか、少年が朽ち葉色のくせっ毛の頭を、ポカンと自分で殴って、肩を落して自分の家に入って行くのが見えた。
「しょっちゅうジェナにちょっかいかけてくるんだ。あれだな、好きな子はいじめてしまうタイプだ」
 スカーレットの説明に、セルフィはクスッと笑った。けして恵まれた境遇とは言えない少女の、ひょっとしたら光になれるんじゃないかと思ったりした。そう思った明確な根拠はないが、純粋な好意は、時に真に心の支えとなる。セルフィは、離れた地にいる貌を思い出していた。



 控えめでで落ち着いた雰囲気の、質の良い調度が並び、主の人柄を表わすような邸宅だった。その中の比較的小さな一室で、セルフィは待っていた。やがて、大きな扉がゆっくりと開き、女性と少女が入って来た。その姿に、セルフィは椅子から立ち上がり、姿勢を正して二人を待つ。
「お待たせしました、ティルミットさん。私はフラン・ロワ、それと娘のジェナです」
「セルフィ・ティルミットです、宜しくお願い致します」
 セルフィは丁寧にお辞儀をしてから、フランの握手に応えた。続いてジェナにも「よろしくね」と、屈んで挨拶をしたが、少女は酷く感情の乏しい顔で、「よろしく」とだけ言った。
 セルフィはホッとした。言葉を返して貰えただけで、最初のハードルはクリアだと思う。無視されたり、最悪敵意を持たれたりしたらどうしようと思っていた。
「着いた早々で悪いのだけれど、この後すぐガルバディアへ向かうの。私は、支度があるので、その間この子をお願い出来るかしら」
「はい、分かりました」
 セルフィの返事を聞くと、フランはジェナとセルフィへ微笑んで、部屋を出て行った。
 ジェナは静かにセルフィの向かいのソファに座り、そのまま静に、というかじっと座ったままだった。表情は相変わらず乏しい。
「ピンクは好き?」
 セルフィは、何かきっかけをと思い、ジェナの着ているワンピースの色が淡いピンクだったので、そう聞いてみた。
 ジェナは、小さく首を横に振った。
「嫌いなの?」
「きらい…じゃない…」
 今度はちゃんと言葉で答えてくれた。
「じゃあ、好きな色は何?」
「……オレンジ」
 小さい声だけれど、ジェナはきちんと質問に答えてくれる。
「あたしもオレンジ好きだよ、一緒だね。でも、ジェナにはピンクもよく似合うと思うよ」
 セルフィがそういうと、ジェナは俯き加減だった顔を少し上げた。
「うん、ママもそう言ってくれる。……だから、ピンクの服を着るの」
「フランママが言ってくれるの?」
 ジェナはこくんと頷いた。
 短い会話だったが、セルフィはジェナの事がちょっと分かった気がした。小さいながらも、養母の事を気遣っているような、言葉の微妙なニュアンスから、そんな印象を受けた。
 優しい子なのだ、きっと。
 自分が彼女と過ごすのは、限られたごく短い時間だが、その中で何か彼女の役に立てればいいなと、また静かにじっと座っているジェナを見て、セルフィは思った。
「お待たせ、それじゃあ行きましょうか」
 大して待つ事もなくフランが戻って来ると、ジェナはストンと椅子から降り、微笑んで差し出された手を握った。



※-※-※



 ガルバディア、デリングシティ。
 この地の空は相変わらず曇っている。特に今日は、直に雨が降ってくるのか、湿気がじっとりと身体にまとわりつくようだった。それでも都市(まち)は、いつも華やかだ。大通りには、流行の最先端の店が軒を連ね、そこを歩く人々も皆活気に満ちている。この賑やかな喧噪を見ていると、ビンザー・デリング前大統領が、民衆の目の前で魔女に惨殺された事など、まるで無かった事のようにさえ思えた。本当はそれでいいんだ。こうやって笑って日々を過ごせる方が、誰にとっても良いに決まっている。喜ぶべき事なのに、今のセルフィは、どこか素直にそれを喜べないでいた。
 思い出す。
 初めてこの地で魔女と直接対峙した事を。
 アーヴァインに課せられた使命。独り魔女の正体を知っていた。かつて自分を慈しんでくれた女性(ひと)を抹殺しようとしている自分。
 今、改めてその心情を思うと――――。
 それを運命と呼ぶなら、何て皮肉な。生命の営みに、大いなる力が関与しているとするならば、その者は何と気まぐれな事か。運命を選び歩くのは、人自身だとしても、そこに現れる選択肢は酷く残酷なものしかない時もある。それに翻弄され、試され、それでも生きる事を強いるのが、大いなる力の望みだと言うなら、あたしは――――。
「あ、見えて来たわ。ほら、あの建物よ」
 フランが、車の外を指さしながらジェナに優しく話しかけた声に、セルフィは我に返った。



 その建物は病院というイメージとは大きく異なるものだった。普通のホテルのような造りで、どこか温かみがある。ここでジェナは身体の検査とカウンセリングを行うのだという。病院というと、独特の雰囲気と消毒の臭いで、子供だと尻込みしてしまう事も多いが、この施設ならそういった事は少ないかも知れない。ジェナの養父母は、彼女を本当に大事に思っているのだろうとセルフィは思った。
 セルフィは、ジェナとフランが検査と診察を行う時は、部屋の外で待機していたが、それ以外は常に一緒に行動をした。
 診察が終わると、併設されている宿泊施設で泊まる事になっていた。数少ない専門の病院という事と、その診療の信頼の高さから、遠方から訪れる者も多いため、宿泊施設が併設されたとの事だった。
 予約されていた部屋では、スカーレットが既に色々と準備を終えて待っていた。警護だけではなく、身の回りの世話も仕事のうちなのだろうかと、不思議に思ったセルフィが彼に訪ねれば、好きでやっているんだと、笑って答えてくれた。スカーレットの、信頼の高さと人柄が垣間見えた気がした。
 その日は、ジェナ親子と共にセルフィとスカーレットも一緒に食卓を囲んだ。フランは女主人らしく、場を和ませるように会話を運び、その巧みさにセルフィもいつしか引き込まれ、まるで家族のように一時を楽しんだ。ジェナもスカーレットとは、楽しげとまでは行かないが、少なくもセルフィに対してよりは、よく喋った。
 セルフィは隣の部屋のベッドの中で、さっきのジェナを思い出し、早く彼女の心の傷が癒えればいいな〜と思いながら目を閉じた。



 次の日は、午前中に残りの検査が終わり、午後はカウンセリングを受けるスケジュールになっていた。丁度午後のお茶の時間頃に、ジェナのカウンセリングが終わった。その後フランがカウンセラーと話があるというので、暫くの時間セルフィはジェナと二人で過ごす事になった。
「何かデザートでも食べよっか?」
 明るく話しかけると、ジェナは小さく頷いて、セルフィの手を握った。セルフィはそれが嬉しかった。自分から手を握ってくれたという事は、幾分かは自分に気を許してくれたという、小さな証しだと思う。例え小さな女の子でも、誰かから信頼されるのは本当に誇らしい事だ。
 小さな妹と手を繋いでいるようで、セルフィは本当に嬉しかった。
「何が食べたい?」
 病院内にあるカフェのテーブルで隣同志に座って、セルフィはジェナの好みを聞いた。
「う〜んと……」
 小さな手で、メニューの写真を辿っている姿が可愛らしかった。
「お姉ちゃんは?」
 甘い物と女の子というものは幾つになっても相性抜群なのか、ジェナもこの時ばかりは本当に楽しそうにセルフィには見えた。
「そうだね〜 ケーキもいいけど、今日は大きなパフェが食べたいかな〜」
「お姉ちゃんはパフェにするの?」
「うん、そうする。ジェナも食べたかったら半分こする?」
 そう言うと、ジェナはにこっとセルフィに向かって笑った。
「じゃあ、わたしはプリン、このフルーツのたくさん乗ってるの。お姉ちゃん、半分こする?」
 セルフィも、にこっと笑って答えた。


「プリン好きなの?」
「うん、ママがよく作ってくれた」
 オレンジジュースを少し飲んでから、ジェナは頷いた。
「そうなんだ、じゃとびきり美味しいよね」
「でも……もう食べられない」
 ジェナは、再び昨日セルフィと会った時のような無表情な顔になっている。その変化にセルフィは、しまったと思った。
「ごめんね。作ってくれたのは、フランママじゃなかったんだね。ごめんね、ツライ事思い出させちゃって」
 ジェナはそのまま、まだたっぷり残っているオレンジジュースに口を付ける事なく、俯いてしまった。セルフィは、自分の迂闊な発言を心の中で叱咤した。よりによって一番突いてはいけない部分を突いてしまった。
「あのねジェナ、お姉ちゃんの話聞いてくれる? お姉ちゃんも、今のお母さんは二人目なんだ」
「お姉ちゃんも? ママ死んじゃったの?」
 ジェナは驚いたように、セルフィを見上げていた。
「うん、ママの顔も憶えていられない位、ちっちゃい時に死んじゃったの」
「お姉ちゃん、ママの顔憶えてないの?」
「うん」
 セルフィがそう言うとジェナは、精一杯手を伸ばしてセルフィの頭を撫でた。
「寂しくない? お姉ちゃん」
 今度はセルフィが驚く番だった。小さな優しさに、胸が熱くなる。
「寂しくないよ〜、今はね」
「そうなの、良かった」
 笑ったセルフィの顔に、ジェナも少し安心したようだった。
「今のママの事大好きだし、大切な人や、大好きな人が傍に居てくれるから、寂しくないよ」
「大好きな人? お姉ちゃんの恋人?」
 セルフィは、するりと口から零れた言葉に戸惑った、更にジェナの鋭い質問に、うっとなる。
「ん〜と……そんなトコ」
「どんな人?」
 十歳と言えど、立派な女の子だ。無邪気な、それでも容赦のない質問にセルフィの内心はたじたじになる。もう半ばヤケクソで、携帯電話を取り出し、アーヴァインの画像をジェナに見せた。はぐらかそうと思えば、はぐらかせるが、ひょっとしたらジェナに何かを与える事が出来るかも知れない、そんな思いもセルフィにはあった。
 ジェナは、身を乗り出すようにして、セルフィの携帯の中で笑っているアーヴァインを、興味深そうにじ〜っと眺めている。セルフィは段々と、女友達に彼氏の品定めをされているような気分になって来た。
 やがて、ジェナは満足したのか自分の席にトンっと戻った。
「お姉ちゃんの恋人、優しそう」
 その言葉に、セルフィはほわんと嬉しくなった。
「ありがとう、ジェナも大きくなったら、きっと素敵な恋人が出来るよ」
 セルフィの頭の中を、昨日ロワ家の玄関を覗いていた少年の姿が過ぎった。そしてジェナは、「そうかな〜」と少しはにかんだような笑顔をしている。少女らしい柔らかな表情に、セルフィは安堵を覚えた。
「お待たせ、さホテルへ戻りましょうか」
 にこやかな笑顔でフランが、戻って来た。
「今の話は秘密ね」
 セルフィがジェナにそっと囁くと、「うん、二人だけの秘密ね」と嬉しそうに笑ってくれた。