Blue Horizon

 chapt.4 心友

 目覚めの気分は悪くなかった。
 今日と明日はオフの予定だったので、ゆっくりアーヴァインと話が出来るかな、と思っていた。
 ところが現実はもっとシビアで、自分はSeeDなんだと思い知らされた。自分で選んだ道なんだから、覚悟は出来てる。今までだって、突発の任務は何度かあった。ただ、今回は少し気掛かりな事があっただけ。それも、自分に何が出来るかも、果たして役に立てるかどうかも、全く自信がなかったけど、自分に出来る事はやりたいって思っていた。

「出発前に、アービンの笑った顔が見たかったな……」
 セルフィはドールへ向かう民間の高速艇の窓から、ぼんやりと眼前に広がる海を見ていた。見渡す限りの海、両端が僅かに弧を描く水平線。その向こうにバラムがある、アーヴァインの居る、みんなの居る。
 昨日の一件で、SeeDの派遣予定に大幅な変更が入った。自分はその辺の事をさっぱり知らず、きっちり睡眠を取った。スコールとキスティス、多分シュウ先輩とかも含めて、徹夜でスケジュールの組み直し作業に追われていたらしい。その事に、今朝スコールの職務室に呼ばれるまで気が付かなかった。ホントに、自分が情けなかった。みんなが頑張ってる時に、自分は……。担当が違うと言えばそれまでだけれど、それでも気分的に、申し訳なかった。ホント昨夜はアーヴァインの事しか考えて無かった。みんなに「ごめん」て謝ったら、スコールは「こうなる事が予測済みだから、帰らせたんだ」なんて言ってくれたけど。でも、やっぱりね、なんか自己嫌悪だよ、コレ。
 そして、「急で悪いんだが」なんて言われたら、もう二つ返事でオッケーするよ!
 今日、改めて思った。スコールって、結構優しくて、人を使うのが上手い。シド学園長は思いっきり喰えないタヌキだけど、人を見る目はあると思う。スコールの資質をビシッと見抜いていた。
 やっぱりというかいつでもアーヴァインの事は気掛かりだけど、出発前に顔見られただけでも良かったと思わないとだよね。カドワキ先生も事情は聞いていたみたいだし、専門家なんだから、あたしが頑張るよりきっとね。ゼルもまかせとけって言ってくれたし(何をまかせとけなのかは分からないけど)、リノアも居てるし、大丈夫!
「ジェナか、どんな子なんだろ、仲良くなれるといいな〜」
 セルフィは、一度ぐ〜んと背伸びをして、ドールに着くまでもう一度資料に目を通す事にした。



※-※-※



「どうしてみんな、ああなのかしら」
 キスティスは、アーヴァインのアの字も言わずに、明るく「いってきまーす」と、この部屋を後にしたセルフィの姿を思い出していた。
「大人になった、なんて言葉で片付けたくはないな。成すべき事の優先順位を心得ているって事だろう」
 たった一日で山のようにやらなければいけない仕事が増えたのを、不満げにするでもなく、黙々と作業をしながらスコールは言った。
「それって十分、大人になった、じゃない?」
「…そう……か」
 珍しく、スコールが虚を突かれたような顔をして、そして笑った。
「みんな良いヤツだな」
「そうね」
 キスティスも、てきぱきと手を動かしながら、思い出すように笑っていた。
「アイツも、な」
「誰の事かしら」
「さあな」
 キスティスは、全く表情を変える事も無く、ごく普通に返事をした。眼鏡の奥でほんの少し笑みを刻んだのを、スコールもキスティス自身も気が付いてはいなかった。

 皆変わった。
 変わったというより、成長したのか。多くを語らなくとも、呼吸で言いたい事が伝わったり、感じる事が出来たり。こんな相手に出会えるなどと、思ってもいなかった。人生に於いて、一人出会う事が出来たら良い方なんじゃないだろうか。もしそうだとすれば、自分は本当に幸運なんじゃないだろうかと思う。
 あの旅で得たものは計り知れない位多い、失ったものも僅かながらあったが。あの旅が無ければ、今此処にこうして居る事は無かった。幼馴染み達と再会して、今また一緒に居られる。彼らと出会って、人と関わる事で得られる楽しさ、喜び、温かさ、というものを知る事が出来た。運命というものがあるのならば、信じてみてもいいかも知れない、ふとスコールはそんな事を思った。
「よし、終わったわ」
 暫くの間スコールの職務室で作業する事になったキスティスが、自分のコンピュータのセッテングを漸く終えた。まるでそれを見計らっていたかのように、早速メールの着信を知らせる音が鳴る。重要な件名である事に気が付き、キスティスは急いで開く。
「スコール、分かったわよ、昨日ゼル達を襲った相手。今そっちにも送るわ」
「分かった」
 和やかだった場の空気が瞬時に堅く張り詰めたものに変わった。
「何て言うか、やっぱりというか」
「予想通りだな」
 現場の状況、やり口等からプロファイリングして、大体の予想はしていた。
 魔女を悪とする宗教団体。その宗教団体自体は新しいものではなかった。古くからあった。信者も多くはないが世界各地に居る。だが今までこのような事件を引き起こした事は無かった。確かに魔女を悪とする教えの宗教ではあったが、何故“今”なのか。どちらかというと、世間では異端とされる宗教だ。一度世界から酷く弾圧を受けた事があり、それ以降の活動は至って目立たず地味であった。
「最近、代表者が変ったのね。この名前どこかで見たわよ」
「どこだ?」
「ちょっと待って」
 キスティスは記憶の糸を手繰りながら、キーボードを叩いた。
「分かったわ、世界の著名人を紹介する雑誌、それに載っていた顔よ」
「どんなヤツだ?」
「民間企業の経営者よ、世界屈指の資産家。元々はエスタの出身みたいよ、珍しいわね。アデルのごたごたで、国を出たみたい。魔女には詳しいかもね」
「魔女に詳しい……」
 スコールは、その言葉を聞いて、高く積まれた資料や書類の壁の向こうで、じっと考え込んだ。
「何故SeeDを……金持ちの酔狂? 悪趣味な……もっと別の事に使えばいいのに……別の事?」
 はじかれたようにキスティスが顔を上げた。
「真の狙いはSeeDじゃないかもな」
 スコールも同じように、顔を上げていた。
「にしては、簡単に足がついた。余程のバカなのか、それとも駒が役不足だったのか」
「いずれにしても、私たちにとっては、良いカードが出たんじゃない? これでこちらの対策は立てやすくなった。ちがう?」
「ああ そうだな」
 敵の姿が、朧気ながらでも見えたのと、全く見えないのとでは雲泥の差がある。新たな敵の出現は、歓迎せざるものだが、外で戦う以上SeeDを肯定する者だけではない。こういった事態は十分予測されていた事だ。
 ただ、その時期が意外と早かった。分かっていた事だと、自分に言い聞かせながら、スコールは、僅かに心が重くなるのを感じた。



※-※-※



「振り返るな! 今するべき事だけを考えろ!」
 アーヴァインは戦場にいた。
 遠くに近くに銃撃の音が聞こえる。後ろで仲間が倒れた気配がする。だが振り返っているような余裕はない、何としてもこの状況を打開しなくてはならない。助けなければならない命の居る場所までは、まだかなりの距離がある。
「俺が先に打って出る、お前は援護を頼む。しっかり援護しろよ、死に場所は麗しいおねーちゃん達の膝の上って決めてるんだからな」
「まかせて下さい。それに憎まれっ子世に憚るって言いますから、先輩は大丈夫です!」
 ディルハルトは銃の柄でアーヴァインの頭を小突いた。「行くぞ」と、悪戯っぽい瞳を一変させ、氷のような眼差しを正面に向けると、盾にしていた半壊した壁の陰から走り出た。斜め前方からすかさず銃弾の雨が降ってくる。アーヴァインはその源を瞬時に捉えて葬り去りながら、ディルハルトの後に続いた。
「止まれ! アーヴァイン!」
 目的の建物の入り口前で、唐突にディルハルトは叫んだ。その声に反射的に、アーヴァインはつんのめりながらもその場に止まる。土埃を風が舞い上げ、ディルハルトの髪と溶け合うように、その姿も一瞬アーヴァインの視界から消えた。
「あ〜あ 俺ともあろうものが、外のヤツらで全部だと思ってたぜ」
 その言葉に、何かがアーヴァインの心臓をトンッと叩いた。
「……先輩?」
「いいから、アービンはそこを動かないで!」
 土埃が消え去り、そこに居たはずの大きく力強い背中は、いつの間にか華奢で小さな背中に変わっていた。この最悪の場所に何故彼女が!? どうして此処に彼女が居るのか、そんな事考えても分からない! 分からないが、次に何が起こるのかは判る。
 心臓がどくどくと強く脈打ち、背筋を首筋を、冷たい汗が伝い落ちて行く。
 次に乾いた風が頬を撫でたら、彼女は――――。
「セフィッ!!」
 彼女の方へと身体を踊らせたとき、爆発音と共に華奢な身体は爆風の中に消えた。


「アーヴァイン! おいっ」
 目を開けたら、ゼルに腕を掴まれていた。そのまま視線だけを動かして周りを見た。布で仕切られた小さな空間。どう見ても戦場などではない。夢を見ていたんだと分かった。それと同時に身体の緊張が解けた。
「大丈夫だよ、ゼル」
 アーヴァインが起きあがり、反対側の腕で支えて身体を安定させたのが分かると、ゼルは掴んでいた彼の腕を放した。そして、大きく溜息をつく。
「大丈夫じゃね〜だろ。けっこう大ケガだったんだぜ」
 ゼルの言葉に、アーヴァインはどうして此処にいるのかを思い出した。そして服の隙間から腹部を覗いてみる。あの傷にしてはえらく簡単な包帯しか巻かれていなかった。銃弾を受けた筈の肩も痛みも殆ど無い。
「どして?」
 袖を肩まで捲ったまま、アーヴァインは素朴な疑問をゼルにぶつけた。
「女神さまのご加護だよ」
 それだけでアーヴァインは、納得したように小さく頷いた。
「明日には、ココ出られるんじゃね?」
 身体のあちこちを捻ったり引っ張ったりして確認しているアーヴァインに、ゼルは明るく言った。
「すごいね、リノアの力。カンドーものだよ」
「今頃かよ!」
 相変わらず自分の身体を見回して、しきりに感動の声を上げているアーヴァインに、ゼルは、いつもの彼に戻ったような気がして少しホッとした。
 さっきの叫びは、余りにも異質だった。もう二年近くの付き合いになるが、アーヴァインのあんな悲痛な叫び声は聞いた事が無かった。たった一言名前を呼んだだけだったが、その一言で何となく察しが付いた。自分も時折考える。深くは考えないようにしているが、どうしようも無く不安になる事がある。もし大切な人を失ったらどうなるのか、自分を失った時大切な人はどうなるのか。
 コイツもそうなんだと思った。皆そうなんだと――――。
「セルフィな、昨夜ココに来てたみたいたぜ。お前寝てたらしいけど」
「そっか……」
「そんで、急に任務が入って、さっきドールに行った。心配すんな、女の子の護衛だってさ。四、五日の辛抱だよ! それまでにケガ治しとけ〜、帰ってきたらまた振り回されるんだろ?」
「ひどいな〜ゼル、セフィが聞いたら怒るよ〜 ……でもサンキュ」
「後な、あの子供の死体無かったぞ。多分……生きてるんだと思う」
 全く予想外の言葉だった。
「そうか……」
「いらねー、おせっかいだったか。気にしてんじゃねーかと思ったんだけど」
「いや、正直言うと気になってた」
 アーヴァインは、嬉しいような悲しいような、それでいて嬉しいような複雑な貌をゼルに向けた。
「そうか、あの事はあんま気にスンナ、不可抗力だ。俺でも同じ事してた。あ、そろそろ行かねーと、じゃまたな〜」
 照れ笑いをしながら出ていくゼルを、アーヴァインもまた笑って見送った。

 ゼルの言葉が妙に嬉しかった。
 空気を読むのは得意じゃないゼルが、自分の叫び声に大した突っ込みをする事もなく、それ所か訊く前に自分の知りたい事を全部教えてくれた。ゼルらしくない! って言ったら、激しく怒るだろうけど、それでもゼルらしくないと思う。それほど、自分の状態はヤバく見えていたんだろうか……ゼルにすら見抜かれてしまうほど……。
 はあ……。
 セルフィを始め、ここ数日やたら皆に声を掛けられたのは、気のせいじゃ無かったらしい。セルフィには明らかに心配されていた、彼女は一番近しい人物なので、色んなものがだだ漏れなのは仕方がない……かな。彼女に心配をかけてしまうのは不本意だけど。隠しても隠しきれないだろうし。キスティスはもう、何気なく言われた「セルフィほどじゃないけど、あなたのコト好きよ、仲間として」の言葉と微笑みに女神のなんたるかを見た。スコールにも無言で肩を叩かれた。あろう事かサイファーにまで、「ヘタレはヘタレのままでいろ」とか言われた。何だよソレ、誰がヘタレだよ! …………自分か。
 情けないなあと思ったけど、変に心が温かだった。あんまりそんな風に気遣いされた事はなかったし。多分、ただの知り合いとかだったら、ありがとうとは思ってもそれだけで終わりだと思う。社交辞令だろうなと。
『けどな〜』
 セルフィの言葉はもちろん別格なんだけど、でもホントさっきのゼルの言葉にしろ、キスティスにしろサイファーも、やたら心が軽くなったって言うか、ホッとしたって言うか。なにげない一言なのに、心臓を鷲掴みにされた、正直、本当に。何でサイファーにまで、言われたのかは、ものスゴイ気になるけど。何処から彼の所へそんな情報が漏れたのか……。

 彼らには、格好悪い姿なんかイヤと言うほど見られている。それでも、仲間だって言ってくれるし、頼りにしてくれているのも知っている。頼りにしてくれるのはセフィだけで良い、とか言ったら、何て言われるだろうか。彼らなら「あ〜 はいはい、知ってる知ってる」とか言われて終わりかな。そして次の瞬間、何事もなかったかのように任務の話になったりするんだろう。何だ、みんなの事手に取るように分かる。つまり……そういう事か。
 そして、そんな彼らが好きだ。ありのままの彼らが。
 自分も無理に強くなろうとしなくてもいいんだろうか、このままでも。
 イヤ、強くはなりたい、あーんな事やこーんな事の為には。でも焦る必要はないのかも知れないな。
「セフィに行ってらっしゃいのキスしたかったな〜」
 薄いカーテン越しに見える綺麗な青空に向かって、アーヴァインは呟いた。
 まだ気掛かりな事はある。さっきの夢とか。現実と非現実がない交ぜになった。そのどちらに対しても、まだ心の奥がずきずきする。過去の痛みと未来の痛み。多分、人の言葉では払拭する事の出来ない類のもの。SeeDである限りついて回るであろう痛みと不安。いや、生きている限り、多かれ少なかれ誰しも抱えるモノだと思う。ならば――――。
「検温だよ、いいかい?」
「どうぞ〜」
 カーテンを開けて、「今日はいい天気だね」と、現れたカドワキ先生を、アーヴァインは笑って迎えた。



※-※-※



「大事な宝石か〜、素敵な両親だったんだな〜」
 セルフィは今回の資料に添えられた写真を見ていた。
 十歳の女の子の警護任務。期間四日。SeeDからの派遣という事は伏せられている。依頼主は民間の警備会社。
 ちょっとばかり事情は複雑で、異例の単独任務だけど、そう難しいものではない。警護の相手は可愛い女の子だし。セルフィは、足取りも軽く高速艇のタラップを降りた。
「確か、迎えの人が来てくれてるはず〜」
 それらしい人物を捜しながら、歩いてると「ティルミットさんですか?」と声を掛けられた。一瞬どこから声がしたのか分からず、キョロキョロと周りを見回した。
「ここですよ」
 今度は頭上から声がした。その出所を辿るように見上げると、背の高い男の人が、人なつっこい笑顔で立っていた。セルフィは暫しその風貌に見とれてしまった。珍しい瞳の色。片方は昼間の太陽の色をうんと濃くしたような色、片方はちょっと赤みの掛かった明るい茶色。赤みの掛かった方の目の横には小さな傷があった。
「セルフィ・ティルミットです。宜しくお願いします」
 その眼でにこやかにじっと見られて、セルフィは慌てて自己紹介をした。