ガラスの六花と星の花

3
 アーヴァインはとある場所を目指して、一人トラビアガーデンの中を歩いていた。
 白く明るい通路を教えて貰った通りに歩いていると、ふいに脇から気になる単語が聞こえた気がした。空耳かと思ったが、ここがトラビアガーデンである事と、その単語にどうしても素通りする事が出来なかった。
「あ、さっきセルフィ見たで」
「何? 帰って来てんの?」
「さぁ、そこまでは分からへんけど、居たのは確かや」
 聞き間違いでは無かった。やはりセルフィの事が話題になっている。元々トラビアガーデンでの生徒だったのだから別段不思議はないが、話をしている連中が男だというのが、アーヴァインの足を止めさせた。話をしている連中からは死角になるように注意を払って近づき、壁にぴたりと背を当ててアーヴァインは耳をそばだてた。
「何か、ちょっと雰囲気変っとったな。相変わらず元気なんは、同じやったけど、どこか女らしくなったっていうか、成長したって言うか……」
「セルフィの良いトコは、あの元気な笑顔やしな。それが無かったらセルフィやない」
『そうそう、セフィの笑顔は何よりキュートなんだよね』
「あんまり痩せすぎてもおらへんし、抱き締めたら、きっと柔らかいんやろうな〜」
『うん、めっちゃ気持ちいいよ〜、あの柔らかさは』
「胸はアレやな、もうちょっとあった方が更に好みやな」
「俺はあれ位が丁度ええな」
『う〜ん 胸は……あれ位がこう手にしっくりと……』
 思わず手で形作ってしまった自分に気が付き、アーヴァインはそれを打ち消すようにブンブンと頭を振った。そして一つ深呼吸をし、噂をしている男子生徒に聞こえるように、大きく咳払いをして、その場を早足に離れた。
 本来の目的を忘れて、つい聞き入ってしまった。セルフィはああいう性格だし、こっちでも学園祭の実行委員とか色々やっていたって言うし、当然人気はあるだろうな〜とは思っていた。だが、実際にああいう目で見ている男が居たというのは、やっぱり恋人の立場からすると面白くない事この上ない。自分も同意しながら聞いていた事を、都合良く棚上げにして、アーヴァインは大股で通路を進んだ。





「あ、ここだ」
 シューティングルームの表示を確認して、アーヴァインはドアを開けた。
 セルフィが居なくなってから少しだけ、彼女の友人達と話をした。セルフィが場を離れてからは、そう突っ込んだ質問はされなかった。セルフィはかなり気にしていたようだが、彼女が嫌がるような話はしていない。自分が何より大事なのはセルフィで、彼女の事が最優先事項なんだけど。生憎とセルフィは、その辺をちゃんと分かってないだろうな〜と思う。逆にセルフィの友人達はきちんとその辺を理解していて、あまり突っ込んだ質問はして来なかったのだろうなと思ったりした。
 その短い時間の中で、ずっと気になっていた事を偶然聞いてしまった。忘れようとしても、ずっとずっと心の奥底にに引っ掛かっていた事。今日はそれに決着つけたい、いや、つける! その為にここを教えて貰った。
 受付でIDカードを提示して、担当者の手続きを待っている間、奥を覗いてみた。
『いる!』
 間違いない、目指した人物が、運良く一度その場を離れて後ろへ移動してくれた。その時はっきり顔が見えた。あの顔を忘れる筈がない。ずっと自分の中で燻り続けていた、あの顔。泣かない彼女を泣かせた男。
「キニアスさん、どうぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」
 黒い感情に染められつつある心とは裏腹に、担当者には明るい笑顔でIDカードを受け取り礼を言った。この時ばかりは、SeeDである事に感謝した。所属の違うガーデンで、予約もなしにシューティングルームを使わせて貰える稀有な存在。そればかりでなく、今日はその技能も思う存分駆使するつもりだ。大人気ないと罵られてもかまいやしない。それ位、あの男のやった事と言った事は許せない、許したくない。こんな千載一遇のチャンスを、逃してなるものか。
 ドンドンと銃声の響く室内を、アーヴァインはゆっくりと進み、目当てのスペース前で止まった。ケースの中に収まっている銃の中から、一番手に馴染む物を選び、所定の位置に立つ。隣のスペースから発射された弾が、正面の的を撃ち抜いていく様を見ながら、アーヴァインはイヤープロテクターを付けた。
 一つ深呼吸をして、ボタンを押し、ゆっくりと片手で銃を構えた。やがて、人のシルエットをした的がスッと現れた。腕、胸、腹、頭部、と記号で印された部分を狙って、タンタンタンとリズム良く引き金を引く。手元に戻って来た的を見ると、残念ながら、自分の狙っていた場所とは、ほんの僅かズレがあった。
「ちょっと上気味かな」
 弾を込め直し、新しい的をさっきと同じように撃つ。今度は記号の書かれた小さなポイントを、全て綺麗に撃ち抜いていた。
「オケ」
 何度か同じように撃っていると、ふと隣の銃声が途絶えた。こちらが撃つのを止めると、隣の銃声が再開する。少なくともこっちの存在に気付いてくれたらしい事に、アーヴァインは小さくフッと笑った。新たに弾を込めた時、前方に隣用の新しい的が出て来たのが見えた。アーヴァインは隣の人物が撃つより早く、その的の頭部のポイントだけを狙って全弾撃ち込んだ。
「何しやがんだよ」
 隣の人物が声を荒げて、アーヴァインの所へ怒鳴り込んできた。自分の的を勝手に撃たれれば、そりゃ気分も悪いだろう。だが、アーヴァインはこれでも随分と譲歩した行動だと思っていた。本当は直接……。
「すみません、自分用の的と間違えてしまって」
 アーヴァインはイヤープロテクターを外し殊勝な声で、勢いよく怒鳴り込んできた金髪の青年をしっかり見てから、詫びを言った。不快を露わにしていた相手の顔が、ゆっくりと驚きの表情に変わっていく。自分を憶えていたくれた事を確信したアーヴァインは「あ、あの時の!」と笑顔を相手に向けた。
「あ、あぁ バラムガーデンの……」
 一瞬不快な顔を覗かせたが、相手の青年も直ぐに笑顔を作っていた。
「セルフィを待っている間、ここを使わせて貰おうと思ったんですが、バラムとはちょっと勝手が違って。ホントすみません」
 更に相手がちゃんと思い出せるように、アーヴァインは言葉を選んで話した。それを聞いた青年の顔から笑顔が消えた。相手が、思惑通り聡い人物のようで、アーヴァインはホッとした。
「あ、それ今僕が撃ったヤツですよね。すみません、貰えませんか?」
 青年の手元に、さっきわざと撃った的が戻ってきたのを見て、アーヴァインはにこやかに告げた。
「あぁ 別にいいが」
 青年は口元を僅かに引きつらせた笑顔で答えると、的を持ち上げた。持ち上げたはいいが、視線と手が止まっていた。青年の手の中にある紙は、銃声は確かに複数したにも関わらず、開けられた穴はどう見ても一つの銃弾が撃ったようにしか見えなかった。
「やっぱりいいです。それは貴方の的ですから、差し上げます」
 相変わらずにこにことした笑顔で、アーヴァインは青年にそれだけ告げると、銃を元の位置に戻し、出口の方へと向う。後ろでぐしゃりと紙を握り潰したような音がした。その音を聞いて、アーヴァインは「よし」と握り拳を握った。
「あ、忘れてました」
 アーヴァインはいかにも今思い出したという風を装って、くるりと踵を返した。再びアーヴァインが戻って来るのを見て、青年は握り潰した的を慌てて後ろに隠した。
「聞きたい事があったんです」
「何を?」
 お互い笑顔で会話をしているのがもうバカらしかったが、それでも青年は笑顔を作る事をやめなかった。
「セルフィとキスする時、どうしたんでしたっけ?」
「は?」
 にこにこと聞いて来るアーヴァインを、冗談を言っているのだろうと思って青年は見上げたが、その眼は氷のように冷ややかに自分を見ている事に気が付き、必死で記憶の糸を手繰り寄せた。
「き、キスなんてしてない」
「本当に?」
「本当だ……」
 アーヴァインがずいと詰め寄ると、冷たい霧がじっとりと身体にまとわりつくように空気が動いた、その所為か青年の声は震えていた。
「もし嘘だったら……」
 さっきとは打って変わって、酷く冷淡な低い声でそう言ったアーヴァインの視線は、横にズラッと並べられている銃の方を一度チラッと見て、また青年の方へ戻った。
「本当だ、天地神明に誓って」
「そうですか、分かりました。じゃ、またっ」
 色を失い、汗が一筋頬を流れ落ちた青年の手を、一方的に握りぶんぶんと振って、今度こそアーヴァインはシューティングルームを後にした。
 礼を言って鼻歌を歌いながらドアを出て行ったアーヴァインと、怒りとも恐怖とも分からぬ顔をしてシューティングルームに残っている青年のやり取りなど、受付担当者は全く知る由も無かった。



※-※-※



 はらりはらりと、白い雪が舞い降りてくる。正に妖精のおくりものという名がぴったりな淡雪。高速艇出航の時間が近い所為もあって、港の建物の中には結構多くの人がいた。
『な、セルフィ、彼離したらアカンで。あんだけセルフィにぴったりなカレシは、他にはいーひんで』
『なんで〜?』
『多分、うちらよりセルフィの事理解してるわ〜、そんな気がする』
『そ、かな……』
『絶対やわ、離したらアカンで。しっかり括り付けときや』
 セルフィはトラビアガーデンを後にする前に交わした、親友との会話を思い出していた。何とも大袈裟だと思ったけれど、けして悪い気はしない。自分の大事な人が、別の大事な人を認めてくれる。これは自分の事を褒められるよりも、ずっと嬉しい事だ。
 程良く空調の効いた暖かい部屋で、アーヴァインの隣に座って、セルフィはぼんやりとそんな事を思っていた。
「もうすぐ、出航の時間だね」
「そうだね」
 セルフィの口数は少なかった。
「大丈夫? セフィ」
「大丈夫じゃない〜」
 セルフィの話によると、羽交い締めにされてずるずると引き摺られて行った後、センセイとやらに、久し振りだからと、散々手合わせをさせられたらしい。結構な武術の使い手のセルフィが、こんなにヘトヘトになっている所を見ると、相手は相当な使い手のようだ。センセイという言葉と、それに素直に従ったセルフィの様子から察するに、自分の思っている事は当たっていると思う。普段なら、眠りなよ〜とか言う所だが、今はそんな気分にはなれない。
 本当にここでお別れなのだ。もうすぐ高速艇に乗って自分はバラムへ帰る。セルフィはそのままトラビアの家へ。離れるのはそんなに長い間ではないけれど、お別れをする場面というのは、やっぱり淋しい。それと、一つ伝えておきたい事があった。
「セフィ」
「ん〜?」
「セフィが嫌がるような話はしてないからね」
「うん、分かった」
 やっぱり、アーヴァインはアーヴァインなんだな〜と、ぼやけて来た頭でセルフィは思った。余計な事なんか言わなくても、自分の考えている事なんかお見通しというか、テルキナの言う通り、誰より自分を理解しているのかも知れない。
 セルフィは疲れた身体を休めるように、アーヴァインにもたれかかった。
「あたしを待ってる間ずっと話してたん?」
「話をしたのはちょっとだけ、後はガーデンの中散歩してた。面白かったよ」
「そうなん……」
 セルフィ喋りは段々スローペースになり、瞼も閉じかけていた。このまま黙っていれば寝てしまうなと思った時、アーヴァインの囁くような声が聞こえた。
「セフィ、キスしていい? お別れの」
「う゛〜 いいよ」
 お別れのなんて言われると断れない、自分だって淋しい。セルフィは素直にオッケーの返事をした。
 アーヴァインはセルフィの気が変らない内に、柔らかい頬に手を添えて唇を重ねた。

「セルフィ」
 ふいに野太い男の声が聞こえた。
 ムッとしたアーヴァインが、うっすらと目を開けると、視界の端にでっかいクマが見えた。