ガラスの六花と星の花

2
 柔らかい、温かい、いい匂いがする、どれも自分の大好きな――――。
 ダメだよ、動かないで。手に触れているこの感触、こうして微睡んでいる時間が大好きなんだ。
「アービン離して」
「いやだ……」
 僕の楽しみを奪おうとする、君は本当にイジワルだよね。
「アービン」
「……」
 いい加減、諦めてくれないかな。
「ええ加減にせんと、アービンだけ歩いて下まで降りる事になるよ!」
 怖いよその声……。あ〜あ、ホントに時の神様はイジワルだ。
「朝の……アイサツしてくれたら……起きる」
 君の諦めたような溜息。でもちゃんとアイサツしてくれるんだよね。そういう照れ屋なトコも、悲しいかな、結構好きだったりするんだな。
「うわっっ!」
 訪れる筈の柔らかい感触の代わりに、冷たい疾風が肌を撫でた。
「起きろーー!」
 驚いて目を開けたら、上掛けをガシッと握って仁王立ちになっているセルフィが居た。
 さっきのは夢だったのかと、アーヴァインは起き抜けから酷く落胆した。



「セフィ、ちょっと」
 一通りの身支度が終わり、忘れ物がないか最終チェックをしていて、もう一つ気になるものを確かめる為彼女を呼んだ。
「なに〜?」
「髪、後ろ引っ掛かってるよ」
 人なつっこい子犬のように僕の所にやって来た彼女を、くるんと後ろに向かせて、項の髪をそっと掻き上げた。大丈夫、夢じゃない、その証しはここにある。
「はい、直ったよ〜」
「ありがとう」
 屈託無く笑うセフィは、本当に可愛いと思うよ。
 まだ見上げたままのセルフィにキスをして、荷物を持ち「行こうか」と背中を押して部屋を後にした。



 帰路は、車で下へ降りる事が出来た。昼にはトラビアガーデンに着くだろう。別に自分はトラビアガーデンへ寄る用事も必要も無かったが、ついでだから僕も行く。セルフィとはそこで一端お別れだから。
 彼女はこのままトラビアの家で休暇を過ごす。その前にトラビアガーデンの専用ラインを利用して、バラムガーデンへ一端報告を入れる事になっている。それが、セルフィの今回の休暇の条件。そして、僕は悲しいかな、彼女の家に招待などされていない。だから、バラムへ帰る、一人で。
 アーヴァインは、自分にもたれ掛かって眠っている、あどけない寝顔に掛かっている髪をそっと払った。
 セルフィの性格からして、そう簡単に「ウチに来る?」なんて、言ってくれるとは思っていない。分かってるんだけどね、こういう機会はそうある事ではないし、きっかけとしては大いに期待出来るんじゃないかとも思っていた。自分との事を真面目に考えてくれているなら、あり得るな〜、とドキドキもしていたりした。やっぱり何より、セルフィを育ててくれた人達に純粋に会ってみたいと思っているし。
 けれど、彼女は予想に違わず「行ってくるね〜」としか言わなかった。残念だけど、まだ“そんなつもり”はないらしい。自分がその程度の相手だという考えは遠慮したい、そうではないと信じたい。自分にとっては彼女以外有り得ないんだけど、それをまだ言えないでいるヘタレだし。仕方がないと言えばそれまでか……。
 もう一度セルフィの寝顔を見て、アーヴァインは自分の不甲斐なさに、小さく息を吐いた。
「アービン、ダメ……」
 アーヴァインはその声に驚いた。車の中などで発するにあるまじき色っぽさ。慌ててセルフィの口を塞いで、辺りを見回した。幸いな事に、乗り合わせた人達(主におばちゃん)は、自分達の会話に夢中で、最後部の座席にも乗客が居る事など、すっかり忘れているようだった。おばちゃんの凄さを、昨日目の当たりにしたアーヴァインは、夢の中で自分が何をやらかしているかよりも、おばちゃん達に気付かれなかった事に、心からホッとした。
「むぐぐぐ」
 おばちゃんに気を取られていて、セルフィの口を塞いでいた事をすっかり忘れていた。
「ごめんセフィ」
「ぷはー、何してんねんアービン!」
「ごめん!」
「もー、殺す気〜?」
 いや、死にかけたのは僕の方。そんな事絶対言えないけど。
 セルフィがまだ何かを言いかけた時、車がブレーキを掛けて止まり、乗り合わせていたおばちゃん達がどやどやと降りていった。残ったのは、最後部座席に座っているアーヴァインとセルフィだけになり、賑やかだった車内は一気に静かになった。その所為かどうかは分からないが、セルフィはまたアーヴァインにもたれて眠り始めた。
 それから暫くして、ガーデンからの迎えの車に乗り換えて、トラビアガーデンに着いたのは昼を少し過ぎた頃だった。



※-※-※



「それではIDカードをここへ通して下さい」
 担当の女性に指示された通り、セルフィはIDカードをセンサーに通した。直ぐに小さなな画面に認証の文字が表示された。続けてアーヴァインも同じように、IDカードを通す。
「はい、ありがとうございました。それではご案内致します」
 セルフィとあまり身長の変らぬ女性に従い、明るく白い通路をセルフィとアーヴァインは進んだ。ドアを2つ程くぐった所で女性が「こちらです」とにこやかに、手で示してくた。
「あ、アービン先に入ってて」
 セルフィにそう言われて、アーヴァインは先に案内された部屋へと入った。ドアがきちんと閉ったのを確認してから、セルフィはくるりと身体の向きを変えた。
「久し振りテルキナ、元気やった?」
「うん、見ての通り元気やで〜、セルフィは……元気そうやな」
 案内してくれた女性は、さっきまでの畏まった顔とは一変して、セルフィに屈託のない笑顔を向けていた。
「あたしの取り柄は、まず第一に元気やもんね〜」
「確かにな、でも元気が一番やって! 所でセルフィ」
 テルキナはコホンと咳払いをして背を屈め、セルフィの肩をぐっと引き寄せた。
「今のがカレシ?」
「なななな、なんでっ!?」
 予想通りの素直な反応に、テルキナは肩を揺らして苦笑した。
「何年セルフィの親友やってると思ってんねん。さっきのどう聞いたって愛称やん。前にも一緒に来た事あるよなぁ、確かあの時は“アーヴァイン”て呼んでたやろ」
 前にもというのは、トラビアガーデンをミサイルが直撃した直ぐ後に、此処を訪れた時の事だと思う。一年以上も前の事を、しかも本当に挨拶をしただけだったのに、親友の記憶力の良さにセルフィはたじろいだ。
「そ、そんなん。親しい仲間やったら、愛称で呼ぶのなんか普通やん!」
 顔を赤くして尚も抵抗を続けるセルフィが、テルキナは可愛くて堪らなかった。
「ふ〜ん、そうなんや、じゃ、うちがアタックしてもかまへん訳やね。彼かなり好みやわ〜」
「あ…あかんっ! それはアカン!!」
 その言葉に、テルキナは堪らず吹き出した。
「あーー! カマかけたやろ!」
 声を殺して尚も笑い続ける親友の姿に、セルフィは発する言葉を失った。隠し通せる筈など無かったのだ、この悪友に。トラビアガーデンに入学してからというもの、ずっと一緒に学んできた愛すべき友に、隠し事など無意味だと、もっと早く気が付くべきだった。もう弄られるのを覚悟で、セルフィはゆっくりと親友の方に顔を向けた。
「おめでとうな、セルフィ」
 意外な言葉だった。絶対からかわれると思った。親友の優しい想いに、セルフィはそう思った自分を恥じた。相変わらず彼女には敵わない、「今度紹介してな」と言われてから、のらりくらりと逃げて来た自分に、悪態を突かれても仕方のない自分に、こうして優しい言葉を掛けてくれる。だから彼女が好きなのだ、彼女が友達である事を誇りに思う。自分も彼女にとってそうありたいと、強く思った。
「ありがとう、後で一緒に食事でもどう?」
「ええよ、うちも食事まだやし」
「ほんなら、また後でな」
 笑顔と共に小さく手を振り、セルフィの親友は通路を戻って行った。その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、アーヴァインの待つ部屋へと入った。
「ごめんね、アービン」
「気にしないでよ、友達なんでしょ、大事な」
「うん、親友。悪友とも言うけどね」
 アーヴァインの隣の席に座って、端末を操作しながらセルフィは答えた。
「名前、何て言うの?」
 アーヴァインもキーボードを打つ手を休める事無く話をした。
「テルキナ」
「ファーストネーム? キュートだね」
「でしょ? ファミリーネームなんだけど、好きなんだよね、彼女らしくて」
「ファーストネームは?」
「え〜と、ね。アレ? 何だっけ」
「ひどいな、セフィ。ホントに親友?」
 まさか、ファーストネームを忘れているとは。流石と言うか何と言うか、実にセルフィらしくて、アーヴァインはついクスクスと笑ってしまい、うっかり肩が揺れてディスプレイに変な文字が出てしまった。
「ずっとファミリーネームで呼んでたから、ど忘れしてしもた。G.F.のせいかな……」
 本気で忘れてしまったらしい事に、アーヴァインはちょっと笑いが止まりそうに無くなった。
「僕のファミリーネームは?」
「……キニアス」
 こっちはすんなり返事が返ってきた。
「良かった、そこまではG.F.の副作用は出てないみたいだね」
 ふと、隣から受ける視線にピリリとした空気を感じ、アーヴァインはお腹に力を入れて笑うのを無理矢理止めた。


「よし、終了」
 トンとエンターキーを押して、報告書の送信が完了した。
「あれ、何でアービンここにおるんやっけ?」
「いや、何でって言われても。時間あるし、ついでに僕も報告書出しとこうかな〜って」
「あ、そうなん」
 セルフィの言葉はそれであっさり終わった。本当に、もっとこう他に言うことはないのかな〜と、アーヴァインは思う。もう数時間でお別れなのに、幸いな事にこの部屋には二人きりなのに、もうちょっと恋人らしい会話とかしたい。
「あっ、アービン」
「なに?」
 セルフィもやっと気が付いてくれたのかと、アーヴァインの胸はドキドキが早くなる。
「ゴハン食べにいこっ!」
「あ?! あははは、そうだね〜」
 そんな美味しい展開がある筈がないと、嫌と言うほど経験済みなのに、相手はセルフィなんだから。それでも期待せずにはいられない、それもまたアーヴァインの哀しい性だった。





 まだ新しさがそこかしこに漂う食堂は、時間がずれている所為で人影は殆ど無かった。食事とは別にプリンとりんごのヨーグルトも綺麗に平らげて、ストレートの紅茶のカップに時々口を付けながら、セルフィは携帯電話のディスプレイとにらめっこをしていた。
「遅いな〜、テルキナ。何してんねやろ」
「約束してたの?」
「うん。食事とアービンの事紹介してな、って言われてた」
 相変わらずディスプレイとにらめっこをしたまま、セルフィは頷いた。
「えっ!? そうなの? もう食事終わっちゃったよ」
 今初めて聞かされたアーヴァインは、手の上に乗せていた顎がガクンと落ちそうになった。
「あ、ごめん。言うてなかったね」
 セルフィがそう言ってアーヴァインの方を見た時、何かに背中をドンと叩かれた。
「セルフィ、聞いたで〜」
 聞き覚えのある声に慌てて振り向くと、数人の少女がセルフィの後ろを取り囲むように立っていた。
「な、カレシ来てるんやって?」
「紹介してくれるって言うんで、急いで来てんで〜」
「もしかして、この人?」
「はじめまして〜」
 返事を返す隙すら与えて貰えず、セルフィを取り囲んだ彼女の友人らしき人達だけで、どんどん会話は進んでいく。アーヴァインは、その様をあっけに取られてぼ〜っと見ていた。突然、自分の前にゅっと突き出された手を、反射的にアーヴァインは握り返した。次々と、入れ替わり立ち替わり、名前を名乗って手を差し出して来るセルフィの友人達に、アーヴァインはきちんと挨拶をする事も出来ずただ握手を返した。
「で、お名前は?」
「セルフィちゃんと紹介してや〜」
 あまりのめまぐるしさに呆けていたアーヴァインは、自己紹介すらまだしていない事にやっと気が付いた。
「アーヴァイン・キニアスです。バラムガーデンのSeeDでセルフィと仲良くさせて貰ってます」
 きちんと立って挨拶をしようと思ったが、セルフィの友人の一人に「え〜から、え〜から」と肩を押され、結局椅子に座ったまま、やっとそれだけ言った。
「え? 友達?」
「カレシちゃうん?」
「セルフィどうなん、友達なん?」
「カレシなん?」
 血の繋がった姉妹ではないのかと思えるほど、絶妙の間で次々とぶつけられる質問。本来なら間違いなくセルフィもあちら側にいる人間だろうが、逆の立場になる事はそうある事では無かったのか、一向に言葉が出て来ないでいる。尤も、聞かれている内容がセルフィの苦手とする分野だという事をアーヴァインは知っていたので、そう不思議にも思っていなかった。逆にセルフィがどう答えるのか、アーヴァインはちょっと楽しみでもあった。にこにことセルフィの口が開かれるのを、彼女の友人達と共に待った。セルフィは一度縋るように、友人達の方をぐるりと見回したが、キラキラとした瞳でセルフィを見ているのを認めると、諦めたように大きく溜息をついた。
「か、カレシや……」
 半ばヤケクソくそのようにそっぽを向いて言った、その一言に、セルフィの友人達は口を揃えてどよめいた。そしてアーヴァインは、嬉しくて堪らなかった。自分に対してすら、滅多に言う事のない素直な感情を、ちゃんと言ってくれた。それがどれだけ大きな意味を持つか、自分はよ〜く知っている。
「セルフィ、こんなレベルの高い男、どうやって落としたん!?」
 何とも、本人を目の前にして言うには、かなり失礼とも思えるような言葉だったが、アーヴァインは悪い気はしなかった。彼女達に悪気がないのは分かるし、こういう発言をしても許されるタイプの人間とでも言えばいいのか。トラビア人というのは、正直な物言いをする人が多いのだと、経験して知った。そしてあけすけな物言いとは反対に、実に人情が厚い人が多い。それは好ましくこそあれど、嫌いなどではない。正直な分、腹の探り合いをしないで済む、慣れれば返って気楽で良い。
「どどどどど、どうやってって……」
 本当に今日のセルフィは、どうしようもない位、素になっている。まるでオオカミの群れに追いつめられたウサギのようだ。滅多に見る事の出来ない、可愛らしいとも思える姿に、アーヴァインは心の中で彼女の友人達に感謝した。ここは是非とも彼女達と同じハンターの側になってみたい。
「落とされたんじゃないよ〜 僕が落とした方」
「「「「ええ〜?!」」」」
「あ、あああ、アービン!!」
「いいじゃないか〜、本当の事だし」
「どうやってセルフィを落としたん?!」
「忍耐と根性、かな〜?」
「「「「あ〜 何か納得」」」」
「なんで、納得なんっっ!!」
 セルフィにしてみれば尤もな科白だが、顔を赤くして精一杯抗議する姿は、もうアーヴァインにとっても、彼女の友人達にとっても可愛い小動物にしか見えなかった。
「大変だったよ〜、その為に僕はガルバディアガーデンから、バラムガーデンに移籍して、そこからまた紆余曲折で……」
「うわ〜 大変やってんな〜」
「セルフィ、気が付かへんかったん?」
「セルフィ、やもんな〜」
「苦労してんなアーヴァイン、同情するわ〜」
「アービン、余計な事言わんのーーっ!」
 まだセルフィの友人達とアーヴァインとは、初対面の挨拶を交わして五分と経っていないというのに、アーヴァインは恐ろしいほどその場に馴染んでいた。元来人当たりは良い彼だが、それにしてもこの違和感のなさは一体どうなのか。セルフィよりも、アーヴァインの友人達と言った方が良い位、すっかり意気投合している。恐らくその場を通り掛かった者の目には、仲の良い仲間が会話を交わしているとしか映らないだろう。
 ただ一人セルフィだけは、この微笑ましいとも思える光景を容認する訳にはいかなかった。アーヴァインが幾ら話上手だとは言っても、この友人達の方が遙かに上手だ。例えて言うなら、その道一筋四十年の燻し銀のような職人と、青臭い駆け出し一年目の見習い人程の差がある。その事は自分も十二分に知っている。何しろ自分の友人達なのだから、そして自分も間違い無くその中の一人だった。その内、ある事ない事、ない事ない事まで、友人達に乗せられて、アーヴァインは嬉しげにペラッペラ喋ってしまうだろう。セルフィの隠したい事まで、多分、きっと、絶対。
 出来ればアーヴァインがカレシだという事は、本当に出来れば、まだトラビアガーデンでは内緒にしておきたかった。それは百歩譲って、良しとしよう。だが、ない事ない事までは黙認出来ない。このトラビアガーデンでの隠し事など、よっぽどで無ければ無理な事だ。ましてやこんな美味しいネタ、食い付かない者など……。今アーヴァインが調子に乗ってペラッペラ喋っている内容は、明日にはトラビアガーデン中に知れ渡る事になる。そうすると、今後自分が此処を訪れた際、非常にやりにくくなる。以前、ガルバディアガーデンでうっかりキスシーンを見られた後、ガルバディアガーデンへ行くのがどれだけ辛かったか、どれだけ苦労したか。
 何としても阻止しなければ、意を決してセルフィは立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。
「アービン! いらん事言うたら、絶交や……わ、わわっ!」
 ビシッとアーヴァインの前に人差し指を突きつけて言った。つもりだったが、言葉の途中で後ろから羽交い締めにされた。
「セルフィ、遅れてごめんな〜」
 顔までは分からなかったが、その声はテルキナだった。ごめんな〜という言葉と、後ろから羽交い締めにするという行動に、全く接点を見い出すことが出来ず、セルフィは自由を取り戻すべくもがいた。
「ちょっと、テルキナ離してや!」
「あ〜、ごめんな〜、センセイが呼んでんねん、一緒に来てや」
 テルキナはそれだけ言うと、そのままセルフィをずるずると引っ張った。セルフィはその“センセイ”という単語に、ビクンとした。瞬時に頭の中でセンセイとアーヴァインとを天秤にかける。答えはあっさりと出た。相手が悪すぎる……。セルフィは腹を括って、大人しくテルキナに引き摺られた。引き摺られながら、『余計な事言うたら絶交!』と、視線でアーヴァインを脅した。そして、センセイからの呼び出しを上手く断ってくれなかった親友に、『前言撤回!』と心の中で鼻息荒く叫んだ。