ガラスの六花と星の花

4
 その声はセルフィにも聞こえていたようで、彼女はゆっくりと振り向いた。
「お父ちゃん!」
 セルフィの叫ぶような声を聞いて、アーヴァインはふっと気が遠くなった。
 次にアーヴァインが気が付いたのは、ぎゅう〜と固い握手を交わしている時だった。しかも尋常ではない力を込められ、痛みに声も出ないほどの固い握手を。離れた後もじんじんと襲い来る痛みに必死で堪えていると、セルフィが自分を紹介する声が聞こえた。
「はじめてお目に掛かります。セルフィの同僚で、バラムガーデンのSeeDアーヴァイン・キニアスです」
 やっとまともな挨拶の言葉を思い出し、丁寧に礼をした。
「セルフィの父ハルドや」
 顔を上げると、やや好き放題に伸ばした髭の顔で、にっか〜と人なつっこそうな笑顔で見下ろされていた。だが、瞳はどう見ても笑っていないのがありありと判り、アーヴァインの背中を一つ汗が流れ落ちた。丁度その時、正に助け船として、バラム行き高速艇出航のアナウンスが流れた。それを聞いてアーヴァインは胸を撫で下ろした。セルフィと別れるのは淋しいが、これ以上このクマもといセルフィの養父と対峙するには、あまりに心の準備が出来ていない。確かにセルフィの養父母に会ってみたいとは思っていた。思っていたが、まさかこんな人外もとい自分よりも大柄で屈強な体躯の人物だとは想像だにしていなかった。出来れば、がっつり修行をして悟りを開いてから、出直して来たいと思う。
「セフィ、それじゃそろそろ行くよ」
 名残を惜しむように、セルフィに声を掛け、セルフィの養父にも会釈をして、アーヴァインは荷物を持ち乗り場へ向けて足を踏み出した。
「折角やし、うちに寄っていかんか?」
 空耳でありますようにとアーヴァインは願った。
「無理だよ、お父ちゃん。アービンは申請出してないもん。勝手に予定変更出来へん」
『セフィ、ありがとう』
「今、申請したらええやないか」
『むちゃくちゃです! お義父さんっ!』
「お父ちゃん、何言うてんねん、せやから無理やって!」
「聞いてみな、分からんやないか、なあ」
『なあって、僕に振らないで下さいっっ、お義父さん! 目が、目が怖いですっっ』
 蛇に睨まれたカエルは、こんな心境なんだろうかと、アーヴァインは思った。セルフィの養父の瞳から発せられる無言の圧力に負け、携帯電話をポケットから取り出し「訊いてみます」と、アーヴァインはガーデンへコールした。
「…………どうかな。ていうか無理だよね? こんな急に」
 アーヴァインは、セルフィ達からは少し離れて、小声で話をした。今から休暇をこっちでなどと、土台無理な話なのだから、別に小声で無くともいいのだが、何となく気分的に声が小さくなっていた。電話に出たキスティスがスコールと相談をするから待ってというので、暫くそのままで返事を待った。大して待つこともなく、キスティスが再び電話にでた。
「お待たせ、いいそうよ、そっちで休暇を取っても」
「だよね〜、ダメだよね〜、やっぱり。って何でっっ、いいの!?」
 全く予想外の返事が返ってきた。
「報告書も一応出てるし、いいんじゃないのか〜、だって」
 何だその、スコールらしからぬユル〜い返事は。第一報告書はバラムに帰ってから……。そこまで考えて、アーヴァインは思い出した。トラビアガーデンで、セルフィと一緒に“ついで”に報告書を送ったのを。セルフィと一緒にいたくて、ホイホイ行動を共にした自分のバカっぷりをアーヴァインは呪った。
 もう、覚悟を決めるしかない。クマに狩られる事を。自ら望んだ事じゃないかと。




 アーヴァインは、車の後部座席で流れる景色を見ていた。
 港から、再びトラビアガーデンの方へ向かって走り、ガーデンの手前で横へ進路は変わった。それから少し走ると小さな町に入った。
 セルフィは助手席に座り、ハンドルを握る養父と楽しげに会話を交わしている。時折、後ろのアーヴァインにも話しかけるのだが、返事をする程度で、アーヴァインは自分から会話の中へ入って行く事はしなかった。何となく、話しかけるのは止めといた方がいいだろうとアーヴァインは思っていた。セルフィと養父の貴重な再会を邪魔するのは野暮だな〜と。
 二人の会話はどこにでもいる普通の親子だった。何の躊躇いもなく、ごく自然に表わされる愛情。養父の言葉の端々にはそれが感じられた。セルフィは本当に大切に育てられたのだ。この大きな人の愛情を受けて。アーヴァインはそれが嬉しかった。セルフィは、明るくて真っ直ぐで、素直だ、極一部分を部分を除いては。だから、トラビアでは本当に幸せな日々を送ったんだろうと思っていた、セルフィ自身もそう言っていた。けれど、セルフィは感情を隠す事があるのを、アーヴァインは痛い位に知っていた、心の奥に閉じ込めてしまう事があるのを。それを、自分の目で確かめたかった。本当に幸せだったのか。セルフィの養父母の事を、どんな人達なのか、本当に良い人達なのかどうか。
 気配を殺すようにして眺めた二人は、自分の目には嘘偽り無く本当の親子に見えた。それが判っただけでも、良かった。今のセルフィの笑顔は、本物だという事が判って良かった。
 やがて車は町の郊外へと差し掛かり、民家もまばらになった辺り、一軒の家の横で止まった。車を降りて、セルフィに促されるままに玄関に向かう。シンプルだけれど頑丈そうな木のドアが開いて、女の人が出てきた。
「お帰りなさい、セルフィ、ハルド」
 華奢で優しげな面立ちのその女性は、セルフィとその養父に向けて微笑むと、後ろに立っているアーヴァインにも、柔らかく微笑んだ。それに気が付いたセルフィがアーヴァインを紹介をした。
「アービン、とと、彼はアーヴァイン・キニアス、あたしと同じSeeD。一緒に任務で来ててん」
 その言葉を聞くと女性は、一瞬驚いたように目を見開いて、直ぐに元の笑顔に戻り「ようこそ、寒かったでしょう、早く中へ」と言ってくれた。

 突然の訪問にも関わらず、華奢な女性セルフィの養母は、アーヴァインを歓迎してくれた。ハルドが強引に誘ったんでしょう? とすまなそうな顔をして。その柔らかい物腰と、淹れて貰ったコーヒーの温かさに、緊張で固く強張っていた心と身体が少しほぐれた。セルフィとセルフィの養母とアーヴァインとで、テーブルを囲みながら、セルフィが此処へ来る事になったいきさつを話した。よくある事なのか、「やっぱり」と困ったような顔をして、セルフィの養母は「ごめんなさいね」とアーヴァインにまた言葉をかけた。確かに強引ではあったが、上手く断ろうと思えば出来ない事もなかった。それをしなかったのは、いずれは此処へ来る事になるだろうと思っていたのと、純粋な好奇心もあった所為だ。だから謝られる必要など全く無く、「いいえ、誘って頂いて光栄です」とアーヴァインは笑って返した。
 暖かく穏やかな時が流れた。その人が再び現れるまでは……。
「悪いが、暖炉用の薪割りを手伝ってくれへんか?」
 セルフィの養父は外套着のまま部屋に入って来ると、アーヴァインに声をかけた。
「いいですよ」
 アーヴァインは明るく答えた。
「あたしがやるよ〜」
 セルフィも席を立とうとする。
「薪割りは男の仕事や」
 セルフィの養父は、振り向きにっと笑った。
「そういう事だから」
 アーヴァインも同じように笑って、セルフィの養父と共に部屋を出て行った。



 家の外、直接風が当たる場所ではないが、それでも殆ど太陽の隠れてしまった外の気温は、さっきよりぐんと低くなっていた。大きな丸太を切った台の上に、薪となる木を立てて置き、上から斧を振り下ろす。だが、きちんとポイントを捉えなければ、綺麗に割れてはくれない。薪割りなどあまり経験のないアーヴァインは、既に何本か割ってみたが、思っているように綺麗に割れない。悪戯に体力だけを消耗しているような気がしていた。それを見かねたのか、セルフィの養父は、アーヴァインにコツを教えてくれた。それからは、無駄に力を入れる事も無く、思ったように割れていく。暫くすると身体も温まってきた、というより汗を掻く程だった。
「セルフィが好きなんか?」
 人柄がよく分かるような、真っ直ぐな訊き方だった。
「はい」
 アーヴァインもまた躊躇うことなく、真っ直ぐに答えた。
「どれ位や?」
「四歳からずっと今まで、セルフィだけ見てきました」
「四歳!?」
 淡々と斧を振り上げながら交わされていた会話は、唐突に途切れた。セルフィの養父が訊いた意味と、アーヴァインが答えた内容には若干食い違いがあったが、もう一度聞き直す事もなく、セルフィの養父は木に斧を突き立てたまま手を止め、アーヴァインを見ていた。ハルドの視線を感じながらもアーヴァインは、黙々と薪を割ることを続けた。
 暫く考え込んだ後、また斧を振り上げながら、セルフィの養父は再び口を開いた。
「そうか。孤児院の出身か? イデアの……」
「はい」
「そうか」
 会話はそれで途切れ、後は二人ただ黙々と作業を続けた。
 上着を脱ぎ、額を幾筋もの汗が流れ落ちて行った頃、「これで最後や」と差し出された木を綺麗に割ってから脇を見ると、こんもりと小さな山が出来上がっていた。
「新記録や」
「新記録、ですか?」
「ああ そうや。素人でこんだけ短時間で、こんだけ割ったんは新記録や。それだけは認めたる」
 そう言って、セルフィの養父はアーヴァインにタオルを差し出した。認める、という言葉がこれ程、ずしんと心に響いたのは初めての事だった。身体は慣れない作業で疲労していたが、心は逆に晴れやかだった。たった一つ認めて貰えただけだけれど、アーヴァインの心を落ち着かせるには十分だった。
 割った薪を綺麗に積み上げて終わろうとしていた頃、「ゴハンだよ〜」とセルフィが呼びに来てくれた。どーんと綺麗に並べて積み上げられた薪を見て「すっごい、これ今割ったん〜」と目を丸くして感心していた。



 振る舞われた夕食は実に美味しかった。どことなくガルバディア風の料理もあって、アーヴァインはつい懐かしくなり、その事を口にした。するとセルフィの養母は、間違いなくガルバディアの料理だと嬉しそうに笑った。セルフィから、自分がガルバディアで育ったという事を聞いて、気を遣ってくれたのだろうかと思ったが、普段から食卓に上るのだと言う。それを不思議に思っていたら、セルフィが養母はガルバディア出身なのだと教えてくれた。そう言われれば、彼女はトラビア独特の話し方ではない。以外な所で懐かしい味に出会えて、アーヴァインは嬉しかった。
 セルフィの養父も、此処に来るまでの鋭い視線は跡形もなく消え、陽気に酒を呑み、ごくたま〜にアーヴァインにも勧めつつ、しきりに「かあさんの料理は美味い」と口にしていた。
 暖炉の暖かな炎と、心のこもった料理と、楽しい会話。酒と雰囲気に少し酔いながら、これが家族というものなんだろうな〜と、アーヴァインはぼんやりと思った。



 食事が終わって暫くすると、セルフィの養父が「悪いが先に休ませてもらう」と部屋を出て行った。その後直ぐセルフィも「疲れたから、お風呂入って寝る〜」と出ていった。その後で、アーヴァインも一昨日とはまた違う部分の筋肉を酷使して、ギシギシと軋む身体を湯でゆっくりと癒した。
「それじゃ、おやすみなさい」
 リビングに居るセルフィの養母に挨拶をして、与えられた寝室に向かおうとしたら「少しいいかしら」と呼び止められた。特に断る理由も無く、アーヴァインは「いいですよ」とにこやかに答え、椅子に腰を降ろした。セルフィの養母は、少し濃い目のコーヒーをアーヴァインの為に用意すると、躊躇いがちにゆっくりと口を開いた。
「失礼だけれど、あなたもイデアの家出身かしら」
「はい、そうです」
 アーヴァインは、熱いコーヒーを一口飲んで答えた。
「そう、やっぱり」
 セルフィの養母は、両手をカップに添え、その方に視線を落として独り言のように呟いた。
「ご存じだったんですか?」
「いいえ、今の今まで知らなかったわ」
 セルフィか、セルフィの養父から聞いたのかと思ったが違ったようだった。
「あなたの事……あなたにずっと悪い事をしたと思っていたの」
 アーヴァインには、その言葉の意図も意味も全く分からなかった。多分きょとんとした顔をして、セルフィの養母を見ていたのだろう。セルフィの養母は、どことなく哀愁の漂う笑みを浮かべて、静かに訳を話してくれた。
「セルフィを引き取った日、あなたはずっと手を振ってくれたわよね。私たちが見えなくなるまで」
「…………」
 アーヴァインは、言うべき言葉が見つからなかった。頭の中には瞬時にあの日の光景と感情が甦り、色んな想いが縦横無尽に駆け巡る。返事をしなければと思うのに、どうしても想いを形にする事が出来ず、ただ気持ちばかりが空回りしてどうしようもない。その様子を察してかどうかは分かりかねたが、セルフィの養母は静かに話を続けた。
「あの時の、あなたの顔が、ずっと心の奥に残っていたの。セルフィの為に良かれと思ってした事が、あなたにとってはそうで無かった」
「…………」
「それぞれの事情があっての事だから、仕方がないと言えばそれまでなのだけれど、それでも私はあなたの事が忘れられなかったのよ。泣きながらセルフィの名を呼ぶあなた、同じように涙を流しながらあなたの名を呼んだセルフィ……」
「…………」
「私達は、あなた達に酷く残酷な事をしたんじゃないかと、ずっと心の奥に引っ掛かっていたの」
「…………」
「ごめんなさいね、あなたとセルフィを引き離してしまって」
 そう言って、アーヴァインの手を優しく握ってくれた温かさに、アーヴァインは涙が零れ落ちそうになった。思いもよらない温かい言葉。もうその言葉だけで十分だ。確かに、あの時別れてから自分にとっては、楽しいと言える日々では無い事の方が多かった。もう二度と会えないと思って過ごした時間の方が長かった。だが、自分で選び掴んだ運命は、再び彼女と巡り会わせ、今此処に共にいる。
 この上何を望もうか。
 そうやって気に掛けていてくれた人が居た、ただそれだけで十分過ぎる程に救われる。
 まるで心の奥にあった氷が、温かい言葉に溶け出し、代わりに優しさが沁み込んでくるような感覚が身体を包む。
「あの子が連れて来てくれたのが、あなたで良かったわ。あの子の傍に居てくれるのが、あなたで……良かった」
 一筋、アーヴァインの知らないうちに、溶けた氷の雫が頬を伝っていた。
 静かに静かに、音を立てる事を躊躇うように、時が流れているような気がした。



 暖炉の近くのゆったりとした椅子に腰掛けているので、涙を流した事で赤くなっているであろう目は、炎を受けて、そうは分からないのではないだろうか。アーヴァインは、セルフィの養母が新しいコーヒーを持って来てくれるのを待つ間、そんな事をぼんやりと思った。
 大部分が燃え尽きかけた薪が一本、パチッと音を立てて折れるように崩れた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 白くほっそりとした手で差し出されたカップを、アーヴァインは礼を言って受け取った。
「もう一つ訊いていいかしら」
 セルフィの養母も、新しく淹れたコーヒーのカップを持ち、隣の椅子に腰掛けながら言った。
「はい、何でしょう」
「あの子、ちゃんと泣いてるかしら」
 セルフィの養母は、暖炉の上に飾ってある幾つかの写真を見ていた。その視線を追うように、アーヴァインも写真を眺めた。どの写真にもセルフィが写っていた。アーヴァインの知っている小さなセルフィ。アーヴァインの知らない少女のセルフィ。家族三人で並んでいるセルフィ。そして、どの写真の彼女も笑っていた。
「あの子、何時の頃からか、私たちの前で泣かなくなったの。あなたの前でもそうなのかしら」
 アーヴァインはどう答えたらいいのか戸惑った。確かに何度か、自分の前で泣いた事はある。でもその中には、故意ではないが自分が泣かせてしまった事もあるし、泣いてる所へ自分から近寄った事もあった……。でも改めて考えると、自分の前で我慢した、っていう事はないような気がする。
「泣いた事は……あります。中には泣かせてしまった事もあるんですが……」
 正直に答えた。
 セルフィの養母は、アーヴァインの方に顔を向けて、ほんの数瞬彼を見つめ、小さく微笑んだ。
「そうなの、良かったわ。ちゃんと泣ける場所があるのね」
 意外な言葉だった。
「あの子、ここに来た頃は泣く事もあったのだけれど、いつも泣くと『幸せになれないから、泣いちゃダメ』って言って、段々と泣かなくなって、いつの間にか私たちの前では、本当に泣かなくなってしまったの」
 アーヴァインの脳裏には、再びあの幼い日の事が蘇っていた。セルフィとお別れの日、セルフィの涙を止めたくて咄嗟に言ったあの言葉。
「多分……たぶん、それは……」


―― なかないで、わらってセフィ。わらっていたら、きっとしあわせになれるから ――


 何て事だろう。
 セルフィを泣かない子にしてしまったのは、自分だったのだ。
 ただ彼女の涙を止めたくて、彼女の悲しみを取り除きたくて、思いつくまま言ってしまったあの言葉がセルフィを――――、セルフィを泣かない女の子にしてしまった。その事に、この瞬間までちっとも気付かなかった。セルフィの養母から、この質問をされなければ、自分が言ったという事を、思い出しもしなかったかも知れない。その口で今の自分は、彼女に泣くのを我慢するなと言う。自分の胸で泣けと言う。
 我儘にも……程がある。
「すみません、セルフィが泣かなくなったのは僕のせいです」
 少し驚いた顔をしたセルフィの養母に、セルフィと別れる日にあった事を、アーヴァインは話した。
「まあ そんな事が……」
 セルフィの養母は、クスクスと小さく肩を揺らして笑っていた。
「本当にあなた達は仲良しだったのね」
 長年この人の心を痛めていた申し訳無さに、視線を落としたアーヴァインを、セルフィの養母は優しく見つめていた。
「すみません、本当に」
「いいのよ、あなたはセルフィの為を思って言った事なのだから、気にしないで。ちゃんとした理由があってホッとしたのよ。私たちを気遣って泣かなくなったんじゃないかと思っていたから」
 アーヴァインもまた安堵していた。返って来た言葉が、この人のように温かで、柔らかく心が解きほぐされていく。
 会ったばかりの他人と、こんな風に温かい空気を共有出来るなどと思ってもみなかった。セルフィという一人の少女を通して得た縁(えにし)を、出来ればこれからも深めて行きたい。
「あの子の事、お願いね。アーヴァイン」
「はい」
 決意を込めてアーヴァインは返事をした。お願い、というごく短い単語に込められた、様々な想いをしっかりと受け止めて。
「色々大変だと思うけど」
「はい」
 流石セルフィの養母と言うべきか、苦笑混じりの笑顔には、これからも順風満帆に行かないであろうという事を、よ〜く熟知しているようだった。それでも、この人の信頼は心強い味方になる。例え本人にはまだ何も言えないでいるとしても。例え最大の難関には、まだきちんと認めて貰えていないとしても。



※-※-※



 北の地の朝は、一気に脳が覚醒するような空気と共に訪れる。本来なら、寒いのが苦手なアーヴァインは、温かいベッドの中で少しゴロゴロしてからベッドを出るのだが、今日は珍しく目が覚めると直ぐにベッドから降りた。
 身支度をして、リビングに行くと暖炉の炎でとても温かだった。だが、人の姿は無い。奥の食堂兼キッチンには、セルフィの養母が忙しなく朝食の用意をしているらしい姿が見えた。アーヴァインは何か手伝える事があればと、そちらへ向かった。
「ありがとう、助かるわ。ハルドもセルフィも料理はあまり手伝ってくれなくて」
 そう言って笑う、セルフィの養母に「僕はこういうの好きなんですよ〜」と、レタスを千切りながらアーヴァインも笑った。
「あ、トラビアに伝わる女神の話ってご存じですか?」
「ええ 知ってるわよ。雪と星の花の、でしょ?」
「あのガラスのシンボルの意味もご存じですか? 一昨日の夜貰ったんですけど」
「え? 貰ったの!?」
 玉子を割っていた、セルフィの養母の手が止まった。
「はい、古い結婚式にたまたま、参列……でいいんですかね。その時、新郎に貰ったんです」
「そうなの、セルフィも一緒に?」
 セルフィの養母は再び手を動かし、手際よくフライパンに薄く油をひいていた。
「ええ一緒でした。どんな意味があるのか訊いたら『幸せのお裾分けがあるよ』って教えてくれたんですけど、他にも何かあるのかな〜って」
「そう……」
 セルフィの養母は、スクランブルエッグを作りながら、何かを考えているようだった。アーヴァインが人数分の皿を並べ終えた時「実は私も、その位しか意味は知らないの」と答えてくれた。
「悪いけれど、セルフィを起こして来て貰えるかしら」
「はい」
 アーヴァインは、此処がセルフィの家だという事をふいに思い出した。



 小さな階段を一度曲がって上がると、右手のドアがセルフィの部屋だった。一応ノックをして「セフィおはよう」と声を掛ける。だが、セルフィの養母の言うとおり返事は返って来ず、まだ眠っているようだった。入るよ〜と小声で呟き、アーヴァインはセルフィの部屋のドアを開けた。淡い色のストライプと小さな花が並んだ壁紙が、女の子の部屋なんだと思わせた。他には、シンプルだけれど流れるようなラインのガラス戸の戸棚と、それとお揃いのチェスト。同じくシンプルな作りのライティングデスク。床に鉄アレイが転がっていたのが、何ともセルフィらしかった。戸棚とチェストの反対側にある、キルトのベッドカバーの掛かった木のベッドで、セルフィはすやすやと眠っていた。
「セフィ〜、朝だよ〜」
 セルフィの顔近くで囁いたが、一度小さく「う…ん」と言っただけで起きる気配はない。ベッド脇の窓のカーテンを開けて、もう一度「セフィ、朝だよ〜」と声を掛けると、一度瞼をきゅっとしかめて漸く目を開けた。
「おはよう、セフィ」
 アーヴァインの姿に少し驚いたようだったが、セルフィはアーヴァインに向かってふわっと微笑んだ。
「おはよう、アービン」
 そう言ってセルフィはアーヴァインに手を伸ばした。その腕の意図をアーヴァインは分かっていたが、その前におはようのキスをした、ちゃんと、唇に。
「セフィ、朝ご飯だよ」
 アーヴァインは今度こそ、セルフィの腕を握って彼女を起こした。



※-※-※



「何かあっという間だったね」
「そうだね〜」
 朝食の後、セルフィの養父に再び港まで、車で送って貰った。別れ際にもう一度、アーヴァインと握手をしたが、今度はやたら力を込められる事は無かった。「また来たらええ」と言ってくれた声は、少し嫌そうだったが。
 そして、バラムに向かう高速艇に無事乗船し、一息ついた所だった。あと数時間もすれば、バラムガーデンに帰れる。この任務へ来てからさっきまで、たった四日間だったが、アーヴァインにとっては実に濃い四日間だった。色んな事が一度に起こったような気がする。その内容は、概ね嬉しい事だったと言えるので、気分は良かった。その大半をセルフィは知らないが、言うつもりも無かった。隣で音楽を聴きながら鼻歌を歌っているセルフィを見て、アーヴァインはクスッと笑った。
「なに〜? 何か楽しい事あった?」
 イヤホンを外してセルフィはアーヴァインの顔を覗き込んだ。
「うん、あった……かな〜?」
「何があったん〜? 教えて」
「う〜ん、内緒」
「え〜」
 思いっきり、不満な返事をされたが、アーヴァインはただ笑みだけをセルフィに返した。
「セフィが明日の朝まで一緒にいてくれたら、おしえたげるよ〜」
「なっ……アービン、ずるいっ」
 頬を赤くして怒るセルフィを見て、アーヴァインはもう一度笑った。



END

アーヴァイン、セルフィん家行くのを渋ったわりには、速攻“お義父さん”と心の中で呼んでいる辺り、本気度が伺えます。(セルフィ絡みのことに対しては常に本気ですが……(^◇^;)
この後もそう簡単に事が運ぶとは思えないけど、ま、頑張れ〜。
お母さんが味方だから、なんて油断すると危な〜い。何がきっかけで敵に回るか分からない〜。

トラビアの古い結婚式と女神についてのエピソードは、全くのオリジナルでゲームとは無関係です。
結婚式のシーンで交わされた台詞は、某言語から拝借しました。「祝福を」と「ありがとう」のような意味だと思っていただければ。

この話は以前の幾つかの話と深く関連しています。主な作品は「GARDEN」「Moonlight is smilin' for you」「いくつ季節を過ぎてもここに…」あと「藍反射」もすこし。
ともう一本、ほんの数行ですが関連している話があります。アーヴァイン、セルフィの養父とは今回が初対面ではありません。気がつかれましたら、ニヤッと笑ってください。
(2008.02.20)

← Fanfiction Menu