夜空に堕ちてゆく

後編
 空と雲を茜色に染めた太陽が、白い微光を放つ月にその任を託そうとしていた頃。
 女子寮の通路はドレスを纏いSeeD就任祝賀パーティに向かう女生徒達で、華やかに彩られていた。



「あう〜ん、このかかと歩きにくい〜」
 ひまわりにほんのりオレンジを足したような淡い色に、胸元が少し広めに開いたシンプルなハイウエストのノースリーブワンピース、膝丈の裾からスラリと伸びた足を気にしながら歩いているのはセルフィ。
 滅多に履かない事もあり、いつもより踵が高く足にぴったりとした華奢なラインの、この手の靴がセルフィは苦手だった。
 少しヨロヨロとしながら歩くので、首に巻いたスカーフとスカートに使われている薄く柔らかいシフォンの生地がふわんふわんと揺れた。
「大丈夫よ、すぐ慣れるわ。その靴きちんと貴女の足に合わせて作られているもの」
 下へ行くにつれ白から深い海の色へと変わるグラデーション、オフショルダーの身体の曲線に沿った美しいロングドレス、片方の深いスリットから形の良い脚が悩ましく見え隠れするのをものともせず、ハイヒールで颯爽と歩きながら言ったのはキスティス。
「だめよセルフィ、そんな歩き方しちゃ、せっかくの可愛らしいドレスが台無しよ」
 いつか見た事のある、アイボリー色にサテンシルクのラインがポイントのミニ丈のドレスで、腰に手を当て仁王立ちをしているのはリノア。
「分かってるけど〜」
「ほら、もうすぐパーティホールよ。皆待ってるわよ、セルフィ」
 歩を進める毎に人々のざわざわという声が次第に大きくなる。目の前の角を曲がればパーティホールの入り口。自然と背筋が伸び、そして自分に課せられた任務を思うと緊張した。そんなセルフィを察してか、優しく微笑んでいるキスティスとリノアに促され、コクンと頷いてセルフィはホールへの入り口を一歩一歩ゆっくりと進んだ。

「キスティス、リノア、セルフィ、こっち こっち! 俺たちここー」
 聞き慣れた声に呼びかけられて、声のする方に目を向けると、そこには声の主のゼルとその彼女の三つ編みちゃん、そしてスコールが立っていた。
 親しい人達の顔に安堵し駆け寄る。
「おっ、セルフィなんか今日可愛いじゃんー、馬子にもいしょ……げふっ」
 三つ編みちゃんのヒールに容赦なく踏みつけられ、ゼルは痛みにもんどりをうった。
 ヒィヒィ言っているゼルを遮るようにスコールが半歩前に歩み出た。
「キスティスもセルフィも綺麗だな」
「そういう時は“一段と”を付けるものよ」
 せっかく賛辞の言葉を述べたのに、すかさずキスティスにダメ出しをされる。
「でも、スコールにしては合格点ね」

「スコール、私には何もなしなのーー!」
 キスティスの脇から、見事なふくれっ面でリノアが抗議した。
「いや、そういう訳じゃ無くて……」
 視線を外し、横を向いたスコールの顔が段々赤くなっていくのが、端からも容易に見て取れる。相変わらず感情表現のヘタなスコールがとても可愛く見えた。
「リノア、はんちょをいじめちゃダメだよ〜」
 親しい仲間との軽快な会話が、セルフィの緊張を解きほぐし、“大事な任務”の事を暫し忘れさせた。


「主役の登場だ」
 スコールの言葉に、此処にいる最大の理由を思い出した。
 突然セルフィの周りの雑音が全て遮断され、コツンコツンとこちらへ近づいて来るある足音だけが耳に響く。



「やぁ、みんな集まってるね〜」
 その声に、一際心臓が大きく脈を打ち、ふっと周りのざわめきが再開した。
 振り向いて、言わなきゃいけない言葉があったと思うのに、セルフィの頭の中の殆どを“パートナー”という言葉が占領して他の事を考えるのを許してくれない。身体も石像のようにこわばって動かない。
 頭上では、彼と仲間達の談笑する声が聞こえる。

 やがて「じゃ、また後で」と、
 スコールとリノアが、
 ゼルと三つ編みちゃんが、
 キスティスと迎えに来た男性達が、
 人混みの中へと消えていった。

 それでもまだセルフィは、そこに突っ立ったままでいた。

「セフィ…」
 優しく心地よい声。

 いつの間にか、アーヴァインはセルフィの正面に立っていた。少し驚いたように、目を見開いたかと思うと、眩しそうに細められ「今日のセフィは一段と綺麗だね」そう言って、セルフィに向かってすっと手が差し出される。
 そこに至って漸く魔法が解けたように、セルフィはゆっくりと顔を上げた。
 アーヴァインに“おめでとう”を言う為に……。
 なのに、言葉は一向に紡げなかった。
 顔を上げた途端視界に飛び込んだアーヴァインのSeeD服姿。
 それはセルフィの想像以上だった。




 SeeD。
 ガーデンに所属する生徒の多くが、その位置に上り詰めたいと願う存在。生徒の中でも特に高い能力を発揮し、且つ試練とも思える厳格な試験でSeeDたる者にふさわしいと認められて初めて得ることの出来る称号。その強く気高き者だけが纏う事を許される、漆黒の衣(きぬ)。かっちりとした軍服を思わせるフォルムのSeeD服を、まるで自分のワードローブから無造作に選んで身に付けたかのような人物がそこに居た。
 常とは違い、髪は後ろできっちりと結わえられ、トレードマークのテンガロンハットも被っていないので顔が良く見える分、男前度三割り増し、加えてSeeD服という事で精悍さ果てしなく上昇、この華やかな場に居る誰にも引けを取らない佇まい。
 セルフィはまるで一枚の美しい肖像画を眺めているような感覚で、アーヴァインを見、魅せられていた。



「セフィ、そろそろ行こう」
 その言葉に、セルフィは自分でも驚くほどごく自然に、差し出されていたアーヴァインの手に自分の手を重ねていた。手のひらから彼の温かさが伝わって来る。それは心までも解きほぐしてくれるような温かさだとセルフィは思った。
 小さい頃にも、泣いている自分をこんな風に手を引いてくれた事があったような気がする。記憶は定かでないけれど、この温かさだけはちゃんと憶えている。
 アーヴァインに導かれるままに、いつの間にかホールの中央まで来ていた。
 マイクの前に立つシド学園長がコホンとひとつ咳払いをする。
 あぁ そうだった。これから今日SeeDとなった人物の紹介がされるのだ。


 ―――― そしてダンス。




 ぼんやりと思っていると、アーヴァインの名が呼ばれ、彼は『行ってくるね』とセルフィに微笑んで、シドの隣に進み出た。今日の彼は高貴な生まれだと言えば誰もが信じるのではないかと思えるほど、所作の一つ一つが隙のない優雅さだった。
 セルフィはそれを、まるで映画のワンシーンを観ているような心持ちで眺めていた。

 やがて主役の俳優が柔和な微笑みを浮かべて、真っ直ぐにセルフィの元へ戻ってくる。

 ふわりとセルフィの手を取り、自身の肩へと導き置く、もう片方の手は彼のそれに軽く握られる。
 そして、アーヴァインの空いていた手は、ゆっくりとセルフィの腰に添えられた。


 緩やかに流れ始めた音楽に合わせ、彼はセルフィをリードしながらステップを踏む。ダンスは少し苦手なセルフィに、それとは感じさせない程巧みに彼女を導き、美しい弧を描くように踊る。


―― あたしと踊っているこの人は誰なんだろう、アーヴァインの顔はしているけれど、こんなアーヴァインをあたしは知らない ――

 怪訝な色を浮かべた双眸でアーヴァインの瞳をじっと覗き込んでも、彼は変わらず微笑みかけながら、夢の城の舞踏会へとセルフィを誘(いざな)い続けた。


 やがて四曲目の演奏が静かに終わった。


「セフィ、疲れてない? 少し休もうか、ギャラリーへのサービスも、もう十分だと思うし」
 夢の時間から、ふいに現実に引き戻された。
「うん、慣れない事してちょっと疲れたかな〜」
 まだ頭は半分夢心地だったけれど、足は僅かな痛みと疲労を訴えていた。その事に気が付くと急速にどこかで休みたくなった、出来れば座って。
「じゃあセフィ、そこのバルコニーで待ってて、僕は何か飲み物を取ってくるよ」と言った後、『今夜は月が綺麗だよ』と囁いてアーヴァインは飲み物を取りに行った。『月が綺麗か〜、もしかして満月かな〜』アーヴァインに勧められた“綺麗な月”が見たくて、セルフィはバルコニーへと移動した。
「わ、ホントだ。雲もなくて綺麗なお月様だ〜」
 煌々と白く輝く月も美しかったけれど、さわさわと頬を撫でる夜風も、ダンスと人混みで火照った身体にとても心地よかった。月と夜風に癒されて、セルフィは疲れもすっかり取れたような気がした。
 後ろを振り返ると、ホールの中ではまだダンスが続いていた。こうしてバルコニーから眺めていると、さっきまで自分もアーヴァインと共にあの輪の中に居たのが嘘のようだった。
 少し離れていた所に居たカップルが談笑しながらホールの中へと去ると、とそこに残ったのは月と風とセルフィだけになった。

「――アーヴァイン……キニアス」
 他に誰もいない空間に気を許したのか、何とは無しにその名が口をついて出た。

「あ、あたしまだアービンにおめでという言うてへん! あっちゃー、肝心な事忘れとった……」
「何を忘れてたの〜?」
 いつものように軽快な声がして、そっちの方へ向くと、両手に飲み物を持ったセルフィの良く知っているアーヴァインがそこに立っていた。
「アービン、SeeD合格おめでとう。それと、そのSeeD服すごく似合ってるよ〜」
 やっと素直にそう言う事が出来た。
「ありがとう、セフィにそう言って貰えて、すごく嬉しいよ」
 ふわりと微笑んだその貌に、月から放たれた白い光は彫刻のような影を落とし、更に溜息が出るような艶をも与えていた。月の女神の愛を受けたかのような美しい顔(かんばせ)に真っ直ぐ見つめられ、セルフィは頬が熱くなっていくのを感じた。せめてもの救いは月明かりの元では、その変化をアーヴァインに悟られる事はないだろうと思えた事だった。
 花のような笑顔を乗せて差し出されたカクテルを受け取り、一口含む。甘い果実の香りが鼻腔をくすぐり、口の中にじわっと広がったアルコールが再び夢の中へとセルフィを誘惑した。


 今、口付けを望まれたら――――、素直に応じてしまいそうだと思った。そんな事、言われるはずもないのに……。


 セルフィは、ふと身体を支える力に心細さを覚え、手摺りにもたれるとアーヴァインの視線から逃れるように月を仰ぎ見た。
 けれど今度は全身で彼の視線を受け取るめになってしまった。その居たたまれなさを、どうしていいか分からず考え倦ねていると、アーヴァインの視線がふっと外れたのを感じ、安堵すると同時に僅かな心淋しさも覚えた。




「セフィ、合格のお祝い、ねだってもいい?」
 ゆっくりとセルフィの方に向けられた笑顔。
「うん、……何がいい?」
 乾いた喉を潤す為、残りのカクテルをくんっと飲み干して、セルフィは答えた。



「じゃあ、キスをひとつ」



 空耳かと思い、アーヴァインの方を見上げると、優しく微笑んでいるけれど真摯な瞳とぶつかった。
 スローモーション映像を見ているかのように、アーヴァインの貌が近づいて来る。
 カクテルのアルコールが身体中を駆け巡っているのではないかと思う位肌身が熱い。
 唇がセルフィのそれに触れようとした刹那、アーヴァインの貌は急速に離れていった。
 戸惑いの色を浮かべたまま、身じろぎひとつせず、目を閉じる事もしないセルフィを、“否”の意思表示だと受け取ったのだろうか。
 「ごめん」
 と、横を向き、青白い月の光に一層白さを増したアーヴァインの表情(かお)が、酷く淋しげに見えて、セルフィの胸は締め付けられるように痛んだ。


「アービン、違う……」
 けして嫌なのではないと告げようとした声は、良く知っている別の声に遮られた。
「よっ、アーヴァインたのひんでるか?」
 ゼルだった。微妙な滑舌の悪さから、既に出来上がっている様子がありありと分かる。
「アレ、おじゃまだったかなー? んじゃ退散するぜ〜」
 隣にいるセルフィに気が付いたらしいが、時既に遅しだった。このままアーヴァインの傍にいたら、何をするのか、どうなってしまうのか、自分には検討もつかず、セルフィはゼルの事が放っておけない振りをした。
「あ〜、ゼルそんな酔っぱらっちゃってもう、三つ編みちゃんトコ行くよ〜」
 ゼルを支えて、歩き出そうとしたセルフィに、「僕も手伝うよ」とアーヴァインが反対側からゼルに肩を貸そうとしたが、「一人で大丈夫だから」と断って、セルフィはその場を逃げるように離れた。
 向こうもゼルを探していたらしい三つ編みちゃんとも直ぐに会えた。彼女にゼルを任せてそのままセルフィはパーティ会場を後にした。
 アーヴァインの所には戻らずに――――。




 無意識のうちにセルフィの足は寮へと向かっていた。




 今日のアーヴァインは自分の知らないアーヴァイン。
 そして、今日の自分も知らない自分。
 何故、淋しげなアーヴァインの貌に胸が痛んだのか。
 何故、今自分は涙を流しているのか。
 分からない事ばかりが渦を巻き膨れあがる――。






 その日セルフィはうずくまるようにして眠りについた。
 明日はきっと冗談を言い合えるいつもの二人に戻っていると信じて……。



END
← Prev

← Fanfiction Menu

アーヴァイン、ものすごい頑張ってセルフィをエスコートしました。多分会場に行くまでに、3回はシャワーを浴びて、身体ペカペカで臨んでます。でも、結果は寸止めです、不憫です。
お酒も飲んじゃってますが、この世界は18歳から可のマイ設定です。(欧州の法律を参考に)
(2007.06.29)

← Fanfiction Menu