いくつ季節を過ぎてもここに…

1
 ピンッとした朝独特の空気。冷たい水をパシャンと顔に叩けば、起き抜けで回転の鈍かった頭が漸くすっきりとする。タオルで水気を抑えながら、鏡に映った酷い顔にセルフィは溜息をついた。
 アーヴァインのSeeD就任パーティから一週間。
 どうにも顔を合わせるのが気まずくて、日中は彼を避ける事に全神経を集中していた。そして、夜は夜で、考えたくはないのに、油断をするとついあのパーティの事、アーヴァインの事が頭に浮かんでしまう。考えた所で、どうにかなる訳でも無く、寝不足になるだけだった。毎日がその繰り返しで、セルフィは精神的にも、肉体的にも疲れていた。外任務が入れば、余計な事に煩わされなくて済むと、スコールに外任務に出せと嘆願してみたが、「今、あんた向きの外任務はない」と一言で切り捨てられて終わりだった。
 わざとゆっくりとした動作で朝の身支度をしてみたりしたが、簡単に終わってしまった。はぁ、と溜息をついて、朝食を摂る為自室を出た。きょろきょろと至る所に視線を走らせながら、食堂への通路を進む。女子寮と男子寮が合流する所では、アーヴァインの姿がないか特に神経を張り巡らす。
「よかった、いてへん」
 連日アーヴァインはここで自分を待っていた(ように見えた)。それを避けるようにして、時に自分より大きな生徒の影に隠れるようにして、時に女友達との会話に夢中で気が付かない振りをして、時に「ごめんね、急いでるんだ」とアーヴァインの前を駆けるように通り過ぎた。そろそろそのネタも尽きて来た。今日はどうやって避けるか悩んでいたので、アーヴァインの姿が無くてホッとした。もう諦めたのだろうかと思うと、今度は一抹の淋しさも感じた。そんな自分の我儘っぷりに、苦笑する。


 トレイにチョイスした朝食の品々を乗せて、席を探してぐるりと辺りを見回す。今日は遅めの時間にも拘わらず空席が殆ど見当たらなかった。ただ一箇所だけ、四人座れる丸いテーブルに一人しか座っていない所が目に留まる。よし、あそこにしようと思い、そのテーブル近くまで来て何故そこに一人しか座っていないのか良く判った。
「サイファー、ここ座ってもいい?」
「あん? お前か…、いいぜ」
 問われた相手は、他を当たれとでも言いたげに一瞬鋭い視線を向けて来たが、相手を見て断っても無駄だと思ったのか、あっさり相席を許した。
「さんきゅ〜」
 セルフィが礼を言って向かい側に座っても全く意に介さず、バラムガーデンの風紀委員長殿は、自分の朝食を平らげる事に専念していた。
「今日は、風神と雷神は一緒じゃないの?」
「ああ」
「そっか、淋しいね、サイファー」
「……」
「何食べてんの?」
「……」
「今日もいい天気だね」
「……」
「それ、美味しそうだね」
「……」
「あたし、うるさい?」
「慣れた、お前は昔からそうだからな」
「う〜ん、それってサイファーなりの褒め言葉?」
「まあな」

 サイファーがバラムガーデンに戻って来たのは、一ヶ月ほど前。
 彼は魔女の騎士として数々の大きな罪を犯してしまったが、魔女の洗脳の下行われたものであり、彼自身は魔女の命令に抗う事が出来る精神状態では無かった、と裁判で判決が下った。その判決により、サイファーへのお咎めは最小限で済んだ。
 裁判以降、魔女による精神汚染の検査と治療という名目で、彼はエスタへと送られた。検査は確かに行われただろうと思われるが、エスタという国の内側を多少なりとも垣間見たセルフィは、大部分の目的は、良くも悪くもマッドサイエンティストなオダイン博士の、趣味の実験材料としてではないかと思った。尤もサイファーは黙ってオダイン博士の言いなりになるような玉じゃないので、どっちかって言うとオダイン博士の方が痛い目を見た可能性が大きいような気もしたが。
 そしてバラムへ帰還し、以前と同じように、鬼の風紀委員としての日々を送っていた。表面上は、一年と少し前と何ら変わらないように見えたが、学園の中にはいくら洗脳されていたからと言って、それをすんなり受け入れられない者が居たのもまた事実だった。彼が行く所には、目に見えないピリピリとした雰囲気が付きまとっていた。サイファー自身もそれを感じているようではあったが、以前の彼とは違いそれに腹を立て、闇雲に自ら争いの種を蒔くような事はしなかった。

「オダインって、変態博士がよう、胡散くせぇ治療をしやがってと思ったんだが、それが普通に効いて、忘れてた事全部思い出したぜ」
 多分、サイファーが怖くて、普通に治療をしてくれたんだ、とセルフィはサイファーにびびりまくるオダイン博士の姿が頭に浮かんで笑ってしまった。
「へえ〜 オダイン博士ちゃんと治療してくれたんだ。良かった〜、これからはサイファーとも思い出話出来るんだ」
「そんな甘ったるい話しねーよ」
 思い出話なんか自分の柄じゃない、とサイファーは思った。だが、何の気負いも打算も無く、話の出来る相手がいるというのは、けして嫌では無かった。そういう人間の存在が、どれ程有り難い事か、自分の支えになっているか、あの狂気の中から還って来て痛いほど分かった。そう思うようになってから、周りの人間の中傷も気にならなくなった。実際今までの自分はその通りだったし、下らない事に時間を費やす位なら、楽しい事に費やす方が何倍もマシだという事に気が付いた。そんな自分を見て雷神なんかは「サイファー、大人になったもんよ」と涙を流したりした。目の前の幼馴染みも、一度ならず刃を交えた相手だと言うのに、子供の頃と変わらずそれが当たり前のように接してくる。それは自分にとって貴重な存在である事は、紛れもない事実だった。
「ねぇ、その書類SeeD試験用の?」
「んあ? ああそうだ」
 一瞬何のことだか分からなかったが、書類をテーブルの上に置いていたのを思い出した。
「受けるの?」
「まあな」
「そうなんだ…」
 セルフィの言葉はどこかしら濁っていた。
「受かるかどうかなんて、わかんねーけどな」
 サイファーの薄翠の瞳は窓の外のどこか遠くを見ていた。
「大丈夫だと思うよ」
 ただの気休めにしかならないと分かっていて、セルフィは言った。
 セルフィの言葉に、サイファーはニヤっと笑う。
「自信はあるさ。只、俺をSeeDにする程シドは酔狂なヤツじゃないって事も知っている」
 再び窓の外へと戻った視線は、セルフィが見たこともないような真摯さを秘めていた。
 サイファーも分かっているんだ。SeeDにはなれないだろうって事。彼をSeeDにするにはリスクが大き過ぎる。今のサイファーなら、試験はきっとパスするだろう。だが問題はそこではない、サイファーの犯した罪を知る人は多い。いくら洗脳されていたからと言っても、彼自身の意志で起こした事では無かったと言っても、このバラムガーデン内でさえ、サイファーを許す事が出来ずにいる人がいる。世界にはもっとたくさんの人が、サイファーを憎んでいるだろう。そんな彼がSeeDとして働くというのは、魔女を抱えているバラムガーデンにとっても、彼自身にとっても、大きな危険を孕んでいた。

 幼い頃、共に暮らした幼馴染みだった。一緒にSeeD実地試験を受けた仲間だった。なのに、ほんの些細な食い違いから、自分達とは大きく異なる道を歩んでしまった。自分は魔女を倒した英雄として扱われるが、もしどこかで違う選択肢を選んでいたら――――。
 サイファーの立場は自分だったかも知れない。
 小さな選択が、とてつもなく大きく運命を変えるのだという事実に、セルフィは身震いがした。

―― 選択肢は多くなかった、時には一つしかなかった。でも僕は自分で選んで生きてきた ――

 ふと、トラビアで言ったアーヴァインの言葉が蘇る。

「じゃ何で受けるの?」
「ケジメ…だ、ってのは些かロマンチックじゃねえな」
 傷の残る眉間に皺を刻んで考え込んでいるサイファーの姿に、アーヴァインの姿が重なる。
 彼も同じ事を言っていた。笑顔に静かな決意を乗せて言っていた。振り向けば、いつもそこで笑って待っていてくれた。あの夜キスをしたいと言ってくれた。
 意図せずアーヴァインのSeeD就任の祝賀パーティの時の事を思い出して、セルフィは頬が熱くなった。
「どうした、カレシの事でも考えてたか?」
 サイファーの勘は、セルフィの胸の内を確実に捉えていた。
「カレシなんていないよ〜」
『そう彼氏なんていない、そんな人は――』
「なんだそうなのか、てっきり―― いや、何でもねえ」
 サイファーは、それ以上は何も言わなかった。


「サイファー、何か変わったよね、大人になったって言うか……」
「青臭い少年時代とはおさらばしたからな。そりゃ、大人に見えて当然だ」
「それってロマンチックな事〜?」
 サイファーでも、こんな楽しむような軽口を言うのかと、思わず笑ってしまった。
「人は変わっていくってこった。じゃあな、お嬢」
 セルフィの頭をくしゅくしゅっと撫でると、食事を終えたトレイを持って、サイファーは席を立った。
「次からはちゃんと名前で呼んでよね〜」
 立ち去る背中に抗議をしたが、サイファーは「お前から、お嬢に格上げしてやったんだ、喜べ」とこちらを振り返ること無く、片手をヒラヒラとさせて行ってしまった。
『人は変わっていくか〜、みんな変わっちゃうのかな……。あたしもアービンも……』
 サラダをつつきながら、セルフィはぼんやりと思った。
 仲間達との今の関係が心地良い。暖かで優しくて。でもひとたび“恋愛”という関係になってしまったら――――。付き合っている間はいい、多分今とそう変わらないだろうから。けれど、終わりを迎えてしまったらそうはいかないと思う。元のような友達には戻れない。それなら今のままの大切な仲間がいい。

『どうしてそれじゃダメなの?』

 空になった食器を乗せたトレイを持って立ち上がりながら、ふっと浮かんだ笑顔のアーヴァインに問いかけた。



※-※-※



 休憩の時用のクッキーを持って、いつものように、キスティスの職務室へ向かう。部屋に入ると、キスティスは、もう作業をしていた。
「ごめん、キスティス遅くなっちゃった」
 急いで、クッキーの箱を小さな棚に置き、自分の机につく。
「おはよう、セルフィ。気にしないで、ちょっと気になる事があって早目に来ただけだから」
 流石、キスティス。先の先を読み、誰の要求にも直ぐに応えられるようにと努力するその姿勢には、本当に感心する。各部署が欲しがる筈だわ、とセルフィは思った。でも、常に全力投球では、自分で気が付かない内に、疲れたりストレスが溜まったりするんじゃないかなとも思う。その辺がセルフィはちょっと心配だった。ほら今も、何度も溜息ついてるよ。
「キスティス、ちょっと疲れてるんと違う?」
「そんな事ないわよ、セルフィこそ、疲れが顔に出てるわよ」
 キスティスを気遣ったつもりが、逆に突っ込まれてしまった。と言うより、疲れが顔に出ているのかと思うと、へこんだ。自分の疲れは職務とは全く関係のない所での疲れなのが、また何とも申し訳なかった。
「「はあ…」」
 二人同時に溜息が漏れた。
「今日は長めに休憩時間を取りましょうか」
 キーボードを操作する手を止める事無く、キスティスは苦笑混じりに言った。
「うん、そうだね…」
 どことなく歯切れの悪い返事をしたセルフィに、メガネを指で少し直してキスティスはチラッと隣に座っている同僚を見た。
 確かに若干顔には疲れの色が伺えるけれど、手はてきぱきと動いている。職務での疲れってのではなさそうだ、というと……? 何となく思い当たるような、当たらないような。
 アーヴァインのSeeD就任パーティ以後も、セルフィに特に変わった様子はなかった。二人に何か進展があったのなら、こんな沈んだ顔で溜息をつくような感じにはならない筈だと思う。だから何も無かったか、逆にあまり好ましくない何かがあったか。後者の可能性の方が高そうな気がしたので、キスティスは敢えて、就任パーティの事には触れないでいた。

「キスティス、これはどうしたらいい?」
 ディスプレイを指さして、キスティスに指示を仰ぐ。
「ん〜そうね、こっちに新たなカテゴリーを作りましょう」
 椅子に座ったまま、セルフィの直ぐ横で、詳しく指示をしてくれた。
「キスティス、一人で頑張り過ぎちゃダメだよ。頼りないのは分かってるけど、あたしはいつだってキスティスの力になるからね」
 セルフィの心遣いが嬉しかった。その言葉だけで、知らぬ間に堅く張っていた肩の力がスッと抜けたような感じがする。時には誰かに頼る事も大事なのだと、あの旅で仲間から教えられた。
「ええ、ありがとう。ちゃんと頼りにしてるわよ」
 自分の疲れは何が原因か判っているし、この時期を超えれば職務も落ち着く筈だから大丈夫。
「ね、キスティス。何かあたし向きの外任務ない〜? もうずっと、ガーデン勤務だしそろそろ外任務出たいな」
「そうねぇ」
 自分の席に戻ったキスティスに、今度はセルフィが椅子を移動させてキスティスの操作するディスプレイを覗き込んだ。
 その中にアーヴァインの名前を見つけた。
 今朝彼に会わなかった理由が分かった。アーヴァインは、SeeDとして初めての外任務に出ていた。そうか、これからはいつもガーデンに居る訳じゃないんだ。スケジュールが合わなければ、一ヶ月単位で顔を見る事も出来ない、なんて事も普通にある。セルフィは我知らず、また溜息をついた。
「ちょっと今はないわね」
「やっぱり、そっか〜」
「退屈かも知れないけど、まだ暫くここの手伝いをお願いするわ」
 セルフィはキスティスの言葉に焦った。自分の個人的な我儘で聞いただけで、疲れているキスティスに、ここの勤務を嫌がっているようにも受け取れるような事を言ってしまうなんて――。
「ごめん、キスティス忙しいのに、余計な事聞いちゃって。お詫びに何でもするから、バンバン言いつけてちゃって!」
 アーヴァインがガーデンに居ないのなら、何も悩む事はない。多分今日はぐっすり眠れる筈だと思う。なのに……胸の奥にポッカリと穴が開いたような空虚さをセルフィは感じていた。