夜空に堕ちてゆく

前編
 少し開いたブラインドの隙間を縫って差し込む光。
 白い壁に反射してより一層清々しさを増している小さな空間、そこはバラムガーデンの一角にあるキスティスの職務室。
 窓の外では可愛らしい声でさえずっていた小鳥達が、長めの朝の歌を終え飛び立っていった。
「キスティス、プリントアウト終わったよ〜」
 少しおっとりとした口調で言ったのは、その部屋で作業をしている女性二人の内の一人。肩の上辺りででくるんと外にはねた赤茶の髪が愛らしい少女。印刷の終わった紙をトントンと揃えながら、横でコンピュータを操作している同僚を見ると、作業に集中しているあまりか、少女の声は聞こえていないようだった。
「キスティス?」
「あ、ありがとう、セルフィ。印刷終わったのね」
 見事な金髪を後ろで束ねてアップにしている美貌の女性は、同性から見ても思わず見とれてしまうような、優雅な微笑みを浮かべてセルフィに礼を言うと、印刷の終わった書類を受け取った。
「セルフィが、アシスタントをしてくれて本当に助かるわ」
 キスティスは、書類をチェックしながら改めてセルフィに礼を言った。

 バラムガーデンに戻ってから約半年、キスティスは周りの強い要望でバラムガーデンの教官に復帰し、セルフィも外でのSeeDの任務が無い時は、ともすれば一人で根を詰め過ぎるキスティスのアシスタントを買って出ていた。今やっている作業のようなデスクワークは得意ではないのだが、キスティスと一緒ならば苦痛でも無く、ほぼ正反対の性格をしている彼女から学ぶ事も多い、そしてキスティスも同様に思っているようだった。


「あら」
 書類をパラパラとめくっていた手ををふと止めて、キスティスが呟いた。
「今日のSeeD試験アーヴァインも受けるのね」
「うん、やっとだって」
「彼も、他の皆もだけどずっと忙しかったものね」
 魔女アルティミシアを倒した後、仲間達は皆落ち着く暇も無く、望まれるままに或いは自ら復興に尽力した。
 漸く今、落ち着きを取り戻し、個々の為の時間も僅かながら取れるようになった。そんな中、アーヴァインはガルバディアガーデンから、ここバラムガーデンに正式に移籍し、今日SeeDの実地試験を受ける事になったのだった。
「筆記試験も、申し分のない成績だったし、実戦経験なんて豊富過ぎる位なんだから、実地試験は免除で全く問題無いのに、何故申請しなかったのかしら」
 スコールをはじめとして、キスティス、ゼル、リノア、セルフィ、そしてアーヴァインを含む仲間達は、世界を崩壊させてしまう程の恐怖と惨劇を招きかねない“時間圧縮”を企てた、残忍な魔女アルティミシアを倒し、世界を救った言わば英雄達。世界的規模で言えばその事実を知る人はけして多くは無かったが、深く関わったバラムガーデン内に於いては知らぬ者はいなかった。そのメンバーの一人アーヴァイン・キニアスがSeeDでない事の方が、不可解に思えただろう。
「きちんとケジメはつけたいんだって、それと“カケ”がね成立しないから〜」
「意外と漢気があるのねぇ。って、何? 賭けをしてるの? セルフィ」
 うふふーと笑みを浮かべてセルフィが頷く。セルフィが言うには、二人共合格に賭けてしまったので、点数で賭けをする事にしたのだという。20点満点で満点ならアーヴァインの勝ち、1点でも減点されればセルフィの勝ち。
「まぁ、それはちょっと厳しいんじゃない?」
「え〜、そうかな〜」
 キスティスの脳裏には、セルフィに上手く丸め込まれて悪条件の賭けに乗らせれたアーヴァインの姿が浮かんだ。『彼の苦労は尽きないわねぇ』アーヴァインのセルフィへのアプローチは仲間内では周知の事実だったが、当のセルフィには殆ど通じていないのもまた皆の知る所だった。

「で、セルフィは勝ったら、どんな罰ゲームを彼に?」
「就任パーティでのあたし以外とのダンス禁止!」
 意気揚々としたセルフィの答えに、キスティスは唖然とした。『それ全然罰ゲームになってないから、むしろアーヴァイン涙を流して歓ぶから』と、喉まで出掛かったがそれをぐっと堪えて、最大の疑問を投げかけた。
「どうしてそれが罰ゲームなの?」
「アーヴァインは女の子スキーだから、あたしとしか踊れないって苦痛でしょ?」
 人差し指を立てながら、にこっと笑ったセルフィのあまりの邪気の無さに、キスティスは心底アーヴァインに同情した。
 確かに彼は人当たりが良い、その柔らかな印象の面立ちも手伝ってだろう、女性から話しかけられるという場面も結構目にする。出会った頃は、女の子にも良く声を掛けていたのも事実だ。けれどキスティスの知る限り、F.H.でのコンサート時以降、アーヴァインは明らかに一線を引いて、セルフィ以外の女の子とは接していた。もっとも、その辺をきちんと読み取れるセルフィなら、とっくにアーヴァインの恋は決着がついていたのだろうが……。
『今日のSeeD試験で、もし完璧な成績であってもわざと減点しようかしら』と、試験管にあるまじき考えが胸中をよぎった。


「そろそろ出発するとしますか」
「あ、あたしもゲートまで見送りに行く!」
 キスティスは、必要な物を鞄に仕舞うとドアの方に向かった。セルフィもまた見送りの為彼女と共に、キスティスの職務室を後にした。
「今日の試験はティンバーだっけ、どんな状況なの?」
「結構前にレジスタンスとは名ばかりの、実質テロ組織が何かを企てていると情報が入って、密かに調査をしていたのだけれど、相手側にその事に勘づかれたらしく、人質を取ってホテルに立てこもっちゃったの。しかもかなり過激な連中でね。それで今回SeeD派遣の要請があったってわけ」
「大丈夫そう?」
 セルフィは綺麗な形の眉をひそめた。
 状況を聞くと銃撃戦になる事も十分に予想される、銃はアーヴァインの得意とする所であり、数々の激戦をくぐり抜けて来た勇士でもある。とは言えそこに“絶対”という言葉は存在しない事も、セルフィは十分に知っていた、故に気になるのだろう。
『なんだかんだ言っても、セルフィにとってアーヴァインが気になる存在ではあるのねぇ』キスティスはこの酷く自分の色恋沙汰には疎い同僚を、妹のようにとても愛おしく思った。

「そうね、今回はスコールも出るし、きっと早期に解決出来ると思うわ」
「ええっ?! はんちょも出るの! すごい」
「スケジュールが丁度空いていたのと、スコールの希望もあったの」
「そうなんだ」
 そこにスコールの意図するものがあるのかどうかは計りかねたが、酷い混乱の中半ば押しつけられた形とは言え彼はバラムガーデンの実質的リーダーとしての役割を見事にやってのけた。そして魔女アルティミシア討伐に於いての最大の功労者でもあった。その彼が同じ任に就くというだけで、魔女討伐という辛く厳しい戦いを共にした仲間でさえも、安堵を覚える存在であるのは確かだった。


 ホールを抜け正面ゲートに着くと、既にほぼ全員が集合しているようだった。その中の一人が、くるりとキスティスとセルフィの方を振り返る。
「キスティス! セルフィ!」
 艶やかな黒髪と瞳が印象的な美しい少女が、屈託のない笑顔をこちらに向け、ブンブン手を振っていた。
「リノアは、はんちょの見送り?」
「ううん、スコールは一足先に出発したの。ここには、アーヴァインを激励にねっ」
 リノアは、軽く首を横に振って言った。

「うわ〜、美女三人から激励して貰えるなんて、僕ってなんて果報者〜。今日の試験合格間違いなしだよ〜」
 ふいにセルフィ達の後ろから、聞き慣れた低く柔らかい声がした。
「アービン来るのおそっ、ていうか不合格なんて事になったら、恥ずかしくてここにおられへんで」
 いつもの軽口なのに、何故だかもやっと心に引っ掛かり、セルフィはつい悪態をついてしまった。
「それ言わないでよ〜、緊張で心臓バクバクなのに更に追い打ちかける〜?」
「ごめーん、アービンならきっと合格出来る! 間違いなしっ!」
 がっくりと項垂れたアーヴァインの姿に、これから大事な試験だという人間を前に、大人気ない事を言ってしまったとセルフィは少しだけ反省した。
 そして、慌てて取り繕ってみたものの、今更そんな言葉が効くのかどうか……。チラリとアーヴァインをの方を見ようとした時、ふわんとセルフィの肩に手が置かれた。
「ありがとう、セフィ!」
 さっきの落ち込みはどこ吹く風、セルフィの至近距離で満面の笑みを浮かべてそう言ったかと思うと、今度はすっと耳元に移動して囁いた。
『賭けの事忘れないでね』
 アーヴァインの顔を近くで見たのは初めてではないけれど、今日に限っては無駄に男前の顔に心臓が躍った。心なしか囁かれた方の耳も熱を帯びているような気がする。
「分かってる、はよ行き!」
 セルフィは動揺している事を悟られるのが気恥ずかしくて、アーヴァイン目掛けてシュンッと拳を繰り出した。
 が、それは虚しく空を切っただけだった。
 相手は既にセルフィの歩幅で二三歩後ろに下がった位置に立っており、姿勢を正し、カツンと踵を合わせ「アーヴァイン・キニアス、只今よりSeeD実地試験に行って参ります」と敬礼をして、待機していた車に風のように乗り込んだ。
「じゃ、行ってくるわね」
 笑いを堪えた口元を軽く握った手で隠しながら、キスティスも車に乗り込むとガーデンの車は緩やかに走り出した。



 ふぅと、ため息を一つ漏らして、セルフィがガーデンの方にくるりと向きを変えると、意味ありげな笑みを浮かべているリノアと視線がぶつかった。
「ねぇ、セルフィ、聞いてもいい?」
 僅かに嫌な予感はしたけれど、別に隠す事など何もないと自分に言い聞かせ、努めて明るく答えた。
「いいよん」
「“カケ”ってなぁに?」
 地獄耳というより魔女耳か。キスティスには自分から言ったけれど、リノアに改めて聞かれるとさっきのアーヴァインの顔と声音が思い出されて、心がざわざわとする。けれど、リノアの瞳は真っ直ぐにセルフィを捉え、視線を外すことさえ許して貰えそうになかった。これが魔女の力なのだろうかとぼんやり思った。それならば尚のこと彼女には全てお見通しのような気がして、セルフィは観念する事にした。




「そうだったのねー」
 人もまばらな食堂で少し遅めのランチを二人で摂った後、アイスティーの氷をストローでつつきながらリノアは独り言のように言った。
 明るい天井には、空調の為の大きな羽が音も無くクルクルと回っていた。
「で?」
「で?ってなに〜?」
 グレープフルーツジュースを飲んでいたストローをくわえたまま、セルフィは小首をかしげていた。リノアに聞かれた内容は全て話し終えたので、彼女からの問いかけの意味はセルフィには心底分からなかった。
「仮に、セルフィが賭けに勝ったとして、ダンスをするだけ? まさかそれで終わりって訳じゃないんでしょう?」
「終わりだけど?」
 どこからか流れ込んだ風が、テーブルの直ぐ側に置いてある背の高い観葉植物の葉を、静かにゆらゆらと揺らしている。

 手強い、セルフィは手強すぎる、とリノアは思った。
 賭けに勝ったら、ダンスの相手を独占! などと言うからには、てっきりセルフィの気持ちがアーヴァインへ傾いたのだと思ったのに、というか確信したのだ。それなのに目の前の少女は更に予想を遙かに超えた所に存在していた。
「まさかとは思うけど、就任パーティにはSeeDの制服で行くなんて言わないわよね?」
「え?! ダメなの? SeeD服で行こうと思ってたんだけど」
 リノアは、昔自分が焼いた、カッチカチの棍棒のようなパンで後ろから殴られたような感覚を覚え、ぐらりと椅子から倒れそうになったが、寸での所で踏みとどまった。
『こんな所で私が倒れたりしたら、アーヴァインがあまりにも可哀相だ。こんな理解の範疇を超えた未知なる生物を辛抱強く想い続けている彼に、せめて、せめて私からの餞(はなむけ)を!』
 スコールが聞いたら『あんたも十分未知の生物だ』と言いそうだったが、今のリノアの考えは至極まっとうなものであった。

「ダメ!! ダンスをするのに制服で踊るなんて、相手の男性に対する侮辱だわ!」
「ホンマに?! 侮辱やなんて、そんなつもりはなかってんーーー アービンごめーーん」
 侮辱という言葉は自分でも度を過ぎていると思ったけれど、今はそれ位言っても罰が当たらないだろうとも思った。そしてセルフィには効果覿面のようだった。
「就任パーティの主役のパートナーを努めるんだから、恋人とまではいかないまでもそれにふさわしい振る舞いをしなきゃダメよ」
 こう言えば友達を人一倍大事にするセルフィは、就任パーティの時“アーヴァインの相手を務める”という事に最大限の努力をするだろう。そして自分の目に狂いがなければ、きっかけを作るチャンスだと思う。一体どれ位の勝率なのか全く分からなかったけれど、リノアは賭けてみるに値すると判断した。
 “只のダンスの相手”から“パートナー”に役柄がすり替えられたのを気付かれる前に、リノアは矢継ぎ早に質問をぶつけた。
「ドレスはある?」
「うん、持ってる。SeeDになった時トラビアのお母さんからプレゼントされたから」
 すっかり元気の無くなった声のセルフィにちくんと心が痛んだ。持っていなければ自分のを貸すつもりだったが、それは危惧するまでもなかったようだ。
 それよりも、トラビアのお母さんグッジョブーーー!! と心の中で拍手した。
「靴は?」
「靴は、トラビアのお父さんからプレゼントされた」
 トラビアのお父さん(以下略)。
「メイク道具は?」
「荒れた時用のリップクリーム位」
 流石に、これは誰からも贈られてないようだった。
「そう分かったわ、じゃバラムの街で調達よっ! 行くわよ、セルフィ!」
 言葉を発する隙も与えられず、セルフィはリノアに引っ張られ脱兎の如く食堂を後にした。食堂が代金前払いで良かったと、リノアにグイグイ引っ張られながらセルフィは思った。



「う〜 リノア疲れたよ〜」
「もうちょっと我慢して」
 もう幾度かメイクをしては落としの繰り返しに、普段化粧などした事のないセルフィはかなり苦痛を感じていた。
「うんっ、このパターンが良いわね。ほら鏡見て」
 漸くのオッケーが出たにも関わらず、すっかり疲れてしまっていたセルフィはのろりのろりと鏡を見た。
 そこには自分で言うのも変だけれど、ほんのり色づいたいつもよりずっと女の子らしい自分がいた。
「わ〜」
「どう、感想は?」
「びっくりー、自分じゃないみたい、何かちょっと可愛く見えるかも……」
「そう言ってくれて、私も嬉しい。セルフィ、土台は良いんだからこれ位自分で出来なきゃダメだよ」
 お化粧なんて、もっとずっと大人の女性(ひと)がするものだと思っていたけど、こんな風に可愛らしくなれるのなら、またしてみてもいいかなとセルフィは思った。リノアは行程も丁寧に教えてくれた。眉の形を整えて、軽めのファンデーションにポイントで陰影をつけて、チークを少しと、淡い色の口紅、仕上げに艶出しのグロスを、だそうだ。
「やっぱり一人じゃ無理〜」
 これでも省かれた行程だとリノアは言ったけれど、初めてヌンチャクを持った時のように難しいものに思えて、つい泣き言を漏らした。
「セルフィ、いつもじゃ無くていいのよ。ここぞって時にするの。今日みたいなパーティの時とかね。これから先任務とかでも必要になってくると思うよ」

――アーヴァインは、素顔の方が好きだろうけど、ね――

「う〜ん、がんばる」
 セルフィは素直でいつも前向きだ、彼女のそんな所がとても好ましい、多分アーヴァインもそこに惹かれたのではないかとリノアは思った。よしよしまずは一歩前進と満足した時、ふいに携帯電話の着信音が鳴った。相手によっては出なくてもいいかなと思ったが、それは大事な人からだと告げるメロディだった。
「セルフィ、ちょっとごめんね」
 既にクレンジングで化粧を落とし始めていたセルフィは、気にしないでと指でオッケーの丸を作った。そのサインを受け取った後、リノアは部屋の隅に移動して愛しい人からの電話に出た。
 セルフィの顔がいつも通りに戻った頃、「じゃあね」という挨拶をしてリノアは通話を終えた。
「はんちょ?」
 窮屈な化粧から解放されて、ほっとした顔のセルフィが問いかけてきた。
「うん、ティンバーの任務無事終了したって」
「て事は、SeeD試験も終わったって事か〜」
「えぇ アーヴァインも合格間違いないだろうって事だったわ」
「そっかー、良かったー」
 そう言いながら、セルフィは大きく伸びをしてボフンとソファに身を沈めた。
「じゃあ、もう遅いし私はそろそろ自分の部屋に戻るね」
 リノアの言葉に、ガバッと起きて時計を見ればとっくに深夜と言っていい時間になっていた。
「うわっ、ごめんねリノアこんな時間まで」
「私が言い出した事なんだから、気にしな〜い。それより明日の就任パーティ、アーヴァインが勝ったとしてもちゃんとドレス着るのよー」
「うん、でも……」
「メイクは手伝うから」
 ぱっぱと身繕いをすると、リノアはウィンクをして微笑む。その言葉に安堵したかのようにセルフィも笑った。
「じゃ、おやすみなさい」
「おやすみー」
 明日はきっと素敵なパーティになる、自室へ戻る途中ふっくらとした月を見てリノアはそう思った。



※-※-※



 そろそろキスティスの職務室に向かわないと行けない時間になろうとしていた。セルフィが眠い目をこすりながら、身支度を調え部屋を出ようとした時、ポケットに入れた携帯電話の音が鳴った。
 ディスプレイにはアーヴァインの文字。
 心臓がドクンとした。
 リノアの言った“パートナー”という言葉が、頭の中で反復される。
 深呼吸を一つして通話をオンにする。
「もしもし」
「おはようセフィ、SeeD試験結果の報告をするよ〜」
 心臓がまたドクンとした。
「どうやったん?」
「合格したよ!」
 心臓のドクンドクンは、更に強く早くなっている。
「おめでと、それで点数は?」
「えー、何かそっけないなぁ、もっとこう心を込めたおめでとうが聞きたいな〜」
 何か言い返そうと思ったけれど、声が出なかった。もし自分が勝っていたら、ドレスを着てメイクアップして、アーヴァインのパートナーを努める事になるのだ。そう思うと今更ながら緊張した。セルフィの沈黙を催促と受け取ったのか、アーヴァインが口を開いた。
「賭けは僕の負けだよ。悔しいけど1点減点。セフィの言うこと何でも聞きます!」
 アーヴァインの口調はいつもと変わらない、なのに自分は酷く緊張している。その緊張が何なのか今やっと分かったのだ。自分がアーヴァインに告げようとしている内容は、いつか友達に連れられて観に行った恋愛映画の中の女の人が、恋人にヤキモチを妬いていたそれに酷く似ていると。

「セフィ、聞いてる?」
 けれど、アーヴァインならきっと『しょうがないな〜』と、笑い飛ばしてくれるだろう。セルフィは、平静を装い何でもない事のように、キスティスやリノアに話した内容と同じ事をアーヴァインに告げた。

 電話の向こうでガタンと派手な音がしたが、直ぐに返事が返って来た。
「分かった、じゃまた後で」
 今までと変わらない声音の返事に、セルフィはホッとした。
「うん、後で」
 そう言って電話を切る間際、今度はドスンという音が聞こえた気がした。




 セルフィは、昨日に引き続きキスティスと一緒にデスクワークを行っていたが、いつもと違って時間の流れがとても遅いような気がしてならなかった。時間の流れだけで無くセルフィの動作も、いつに無くスロウが掛かったような状態である事に、隣にいる美貌の同僚にはとっくに見抜かれていたが。

「電話の時の大きな音、なんやったんやろ、ケガとかやなかったらええねんけど…。さっきは自分の事で一杯一杯で、聞くことも思いつかへんかったし、なんか自分の事ばっかりで自己嫌悪……」
 声に出して呟いている事にも気が付かない程、心がそこここで浮遊しているような様子のセルフィを、キスティスは観察するように暫く眺めていた。
 昨夜リノアから『協力して!』というタイトルで、長文メールを受け取った。そのメールの内容で、セルフィが何故こんな状態なのか大体予測がついた。
 彼女は、一見大雑把に見えるが繊細な部分を併せ持っている。他人に対する思いやりとか気遣いは、時に驚く程細やかで感心する事がある、が自身の事となると大雑把なというか酷く鈍い部分がある。それは主に“色恋”の分野で発揮されるようだ。今その鈍い部分を何かのきっかけで刺激されて、成長という階段を一歩上がろうとしている大事な瞬間なのだろうとキスティスは分析した。
 しかし、このままでは仕事にも支障をきたしそうだったので、少し意地悪心が頭をもたげた。
「アーヴァインの点数はもう聞いた?」
「え、あ、うん聞いた」
 案の定、慌てて居住まいを正したかと思うと、バサバサと手当たり次第に書類をまとめ始めた。
「セルフィ、それ今仕分けしてたヤツよ」
「えっ、あ〜 やってもうた」
 がっくりと机に突っ伏したセルフィの姿がなんだか可愛くて、意地悪は早々に終了する事にした。
「何か考え事してたみたいね、私でよければ相談にのるわよ」
「ありがとうキスティス。……あのね」
 キスティスの申し出に素直に応え、セルフィは今夜の就任パーティの事を考えると緊張するのだと話した。
「今日の主役なんだよね、アーヴァイン。それって皆から注目されるって事だよね、あたしがドジっちゃったらアーヴァインが笑われるのかと思うと、も〜流石のあたしも胃がイタイよ〜」
『要はアーヴァインに恥をかかせたくないあまりに緊張すると。いじらしいわねぇ。これは、リノアの推察通りかも知れないわ』
「ねぇセルフィ、周りを気にするよりも、今夜はアーヴァインを楽しませてあげる事に専念したらどうかしら? 今日の主役は彼なんだし」
 セルフィは何かに気が付いたように「あ…」と呟いて、大きな瞳を更に大きくさせてキスティスを見た。
「そうだよね、あたし大事な事忘れてた」
 セルフィは、ぱぁっと目の前の雨雲が晴れた思いだった。
「私、アーヴァインの制服姿ってあんまり見た事ないんだけど、背も高いし身体も程良く鍛えているからスタイルも良いし、SeeD服がよく似合うと思うの。今夜の彼はきっとステキよ」
 キスティスは、さりげなく“素敵な彼”をアピールし、セルフィに向けてウィンクをした。
 セルフィはキスティスの言ったSeeD服姿のアーヴァインを想像してみた。あぁ確かによく似合うだろう。そして、晴れてSeeDになった彼に心からの賛辞を贈りたい。そう思うと、嘘のようにセルフィの心は軽くなった。
「ありがとう、キスティス。今夜、アーヴァインが楽しんでくれるよう、めっちゃ頑張るっ!」
 セルフィがいつも通り戻ってくれたのは嬉しいが、今度はスロウから一気にヘイストが掛かったような勢いに、キスティスは一抹の不安を感じた。このまま放置すればセルフィだけに、オーラ状態で暴走というとんでもない事態が無きにしも非ずなのが怖い。
「セルフィ、めっちゃはいいからほどほどに頑張ったので十分よ。アーヴァインが恥をかかない程度にね」
 諭すように優しく言うと、“恥をかく”というキーワードが功を奏したのか、「そうでした、ほどほどに頑張ります」と小さく舌を出してセルフィは笑った。