Frozen pain
1
立ち入り禁止のロープを乗り越え、狭い通路を奥へと進んだ。
そこは久しく人の立ち入りを拒んできたにも関わらず、こういった場所にありがちな、もの悲しさや廃墟といった雰囲気は不思議と感じられなかった。その先、半ば壊れたテーブルや椅子が通路を塞いでいるのを掻き分けるようにして進むと、幾度か曲がった突き当たりに重苦しい徹の扉が姿を現わした。躊躇うことなく所々黒く変色した扉を押すと、ぎぃと少し嫌な音を立てた。
「ん〜 イイ風が吹く」
さっきまでとは別世界の、眩しいほどの蒼天が広がり、おかえりとでも言うように風が吹き抜けた。
「ここは変わらないな〜」
来てよかった。この景色を目の前にしてアーヴァインはそう思った。
知る者は殆どいないであろう、ガルバディアガーデンの一角。それはアーヴァインにとって、少しばかり予想外の行動だった。
ガルバディアガーデンは自分にとってはあまり好ましい所ではない。ここでの楽しい思い出は少なかった。そこへ、ついでとはいえ、わざわざ休暇を取ってプライベートで来ることがあるとは、ちょっと思っていなかった。
ガルバディアでの楽しい思い出は少ないが、全くなかった訳ではない。ちゃんと楽しかった思い出はある。その一つがこの場所。そして今日という些か感傷的な日には、ここが一番ふさわしいような気がした。だから、墓参りの帰り、わざわざ寄り道をしてまで来た。
空と遠くの緑、ここから眺める景色が好きだった。一人になれるこの場所が。寝転がって見上げた空は世界中に繋がっているんだと、トラビアにも繋がっていて……いつか会えるかも知れない、そう思って空を眺めたこともあった。そして、ここに居る時だけは素の自分でいられた、虚像を創り出さなくてもいい。
アーヴァインは日々の色んなことに疲れると、何をするでもなくここへ来ていた。
丁度、養母が亡くなった日も――――。
だから、危篤の連絡を受け取るのが遅くなり、死に目に会えなかった。もっとも、ガーデンに連絡が入ってすぐ帰っていたとしても間に合いはしなかったが、そんなことより何より、自分の所為で連絡を受け取るのが遅くなってしまったという後悔の念だけはどうしようもなく、深く心の中に巣くった。多分こんなことを養母に話せば、笑い飛ばされるだろうと思うけど。いや叱咤されるかも知れない「そんなことでいちいち落ち込むんじゃないよ」と。
大好きだった養母さん。
大雑把な所もあるけれど優しくて、養父さんとの関係がぎこちないのを気にしてか、「おまえはわたしの大事な息子だよ」と折に触れ言ってくれた。本当に大好きだった。ガーデンに入りたいと言った時、一瞬淋しそうな瞳をして、「おまえがそうしたいなら、行っておいで」と温かく送り出してくれた。具合が悪いのを家族には隠して、僕が知った時には既に残された時間は限られていて。見舞いに行っても、すぐ追い返された。「今のお前には学ぶの方が大事だよ、あたしは大丈夫だから」と、笑って。そうして何度か見舞いに行って帰って来た直後、容態が急変して、――――それっきり。
何も恩返し出来ていない。
与えて貰うばかりで何も……。葬式から帰って、何も出来なかった自分が悔しくて、情けなくて、ここで一晩泣き明かした。
「あの頃、最悪の暗さだったな」
アーヴァインは自分の胸の下ほどまであるコンクリートの手摺りを、懐かしむように一撫でして目を閉じた。
「泣いてたら、あの人が来たんだっけ」
この場所の所為か、次々と色んな思い出が蘇ってくる。
その人物は初対面にも関わらず、泣いている僕から少し離れた所に座り、「タバコ……は、早ぇか、お、そうだ、チョコ食うか?」と聞いてきた。どうにも居心地が悪くて、その場を立ち去ろうと顔を上げたら、目の前に可愛らしいクマの形をしたチョレートが突き出されていた。可愛らしいチョコと、それを差し出している、額にでかでかと絆創膏を貼ったガキ大将みたいな少年の顔とが、どうしても合致しなくて、暫し呆けた。そんな僕のことなど全く気にする風もなく、邪気のない笑顔で差し出されたチョコレートを、うっかり受け取ってしまったのがディルハルトとの出会いだった。
そしてもう一人……。
「アーヴァイン・キニアス!」
ひとしきり思い出に浸った後、再び入り組んだ通路を抜け、ガーデン内の通路を入り口ゲートへと向かっている途中、ふいに名前を呼ばれた。どこか聞き覚えのある声に振り返れば、片手に書類を抱え、反対の手は腰に当て、こっちを見て仁王立ちしている女がいた。豊かな胸、くびれた腰に綺麗な丸みを帯びた尻、かっちりとした服の上からでも、豊満なだけでなく鍛えられていることの判る身体のライン。手脚はすらりと長く、スコールよりも少し色の薄いクルミ色の髪に、北の地の獣を思わせるような薄氷色の瞳、少し褐色を帯びた肌が健康美を主張している。
男からはもちろんのこと、同性から見ても惚れ惚れするような女美丈夫が、少し離れた所から真っ直ぐにアーヴァインを見ていた。
「あ!」
「レックス元気?」
「え〜と」
「結婚するんだってね、レックス」
「へ?!」
「ムカツクわ〜、知らない間に先越されて」
女はつかつかとアーヴァインの所まで来ると、彼とあまり変わらぬ高さで一つ大きく息を吐き、アーヴァインの肩を掴むと、クセの強いショートヘアをくしゅくしゅっと掻いた。
「ね、相手、どんなヤツか知ってる?」
「いや〜」
いきなりの内容についていかれないアーヴァインに女は構うことなく、はっきりとした顔立ちの中でも、特に強烈な印象の瞳をくるくると動かして、更に続けた。
「アンタ、女できた!?」
「は!?」
何一つまともに答えていないのに、がらりと話題が飛んだ。知らない訳ではないが、それでも十分に突飛すぎてアーヴァインは目を白黒させた。
「ナンカ女の匂いがするよ」
女は戸惑うアーヴァインのことなど相変わらず無視するかのように、匂いを嗅ぐように鼻をヒクヒクさせた。
「で、しばらく見なかったケド、どこ行ってたのアンタ」
それって普通最初に聞く質問じゃないかと、アーヴァインは思ったが、そんな常識が通じる相手だとも思っていなかった。相変わらずの女に、アーヴァインは苦笑した。
「とりあえず、なんか飲みながら話さない?」
アーヴァインは帰りの列車を一本遅らせる覚悟で女を誘った。待っているセルフィに連絡しとかなきゃと少し落胆したが、そんなことはおくびにも出さずに、女には笑顔を向ける。そう教えられたから。
「トーゼン、おごりだよね?」
「ええ当然、それが礼儀だと貴女とレックスに散々教え込まれましたから」
「少年、ひとこと多い! そういう時は……」
「美しい貴女に是非ご馳走させて下さい」
「できるじゃない」
にこっと満足げな笑みを浮かべた女丈夫とアーヴァインは揃って食堂へと向かった。
昼の時間は過ぎているが、派手な風貌と体格の二人が連れ立って歩くと、否応なしに視線が集まる。
女は非常に人目を惹く容貌をしていた。背の高さもさることながら、褐色を帯びた肌と薄い色の瞳の珍しい組み合わせ。彼女は、異なる肌の色の、異なる人種の両親を持つ。体格も、鮮烈な美貌も、女は両親の優れた部分を、じつに見事に受け継いでいた。アーヴァインも目を惹く方だったが、一緒にいると彼女の方がより顕著だった。それが裏目に出ることもたまにはあったが、隠れ蓑に出来ることの方が多かったので、アーヴァインは悪いと思いながらも彼女と歩くのが好きだった。もっとも、そんな些末なことを気にするような女ではなかったが。
「昼食まだだったの?」
「まぁね、忙しくて。新米教官だしね、色々と勉強しなきゃいけないこと多いんだよね」
「で、お腹が空くと」
目の前にずらりと並べた料理を次々と片付けていく様に、アーヴァインは感心した。黙っていれば、美形の部類なのに、喋ったり動いたりするとメリハリの利いた性格が前面に出て、見た目のイメージを大崩壊させてしまう。彼女をよく知っているアーヴァインは既に何も思わないが、間近でそれを見てイメージの違いにポカーンとなる人間を数多く見てきた。
「で、アンタはどこ行ってたの? ゼンゼン顔見なかったけど」
あまりにも食べることに熱心だったので、目の前の食べ物しか目に入ってないのかとアーヴァイン思ったが、口はちゃんと別の役割も憶えていたらしい。
「バラムガーデンに移籍したんだ、でSeeDになった」
「しぃ〜ど〜?」
女は素っ頓狂な声を上げて固まった。
口のすぐ近くまで持ち上げていたフォークから、乗っていたラビオリが一個転げるように落ちた。
「うそだ〜」
女は我に返ると、フォークを持っていない方の手をヒラヒラと振った。
「マジ!?」
アーヴァインが何も言わず、じ〜っと女を見る視線を嘘ではないと感じたのか、もう一度確かめるように聞いてきた。
「ご期待に添えなくて残念ですが、大マジです」
大袈裟な女の態度にも全く動じることなく、アーヴァインは笑顔を湛えて答えた。
「へぇ〜 アンタがSeeDねぇ。一番あり得ない選択肢だと思ってた」
「自分でもそう思う」
女はそれ以上突っ込むこともなく、食事を再開した。
「レダこそ、ガルバディア軍にいたんじゃなかったっけ?」
「契約満了で帰ってきた」
「で、教官? それだって僕から見れば十分信じられないけどなぁ。レダもディルハルトもここには残らないと思ってた」
女、レダは、最後の皿を平らげこくんと水を一口飲んで、真っ直ぐにアーヴァインを見た。そしてにこっと屈託のない笑顔を浮かべた。
「人生何があるか分からないからね」
一見全然答えになっていないような言葉だったが、それを実感するような出来事を種々経験してきたアーヴァインには、十分過ぎる答えだった。
「でさ、レックスはいつ結婚すんの?」
レダはさっきと同じ質問をしてきた。
「ソレ、初耳なんだけど。第一親友のレダに言わないのに僕に先に言うとも思えないよ〜」
「でもアンタ弟じゃない」
水を飲み干し、すこし温くなったコーヒーに口を付けて、レダは言った。
「あ〜、アンタ家に帰ってないんだろ」
アーヴァインは何も答えず、レダと同じようにコーヒーに口をつけた。
「ちゃんと帰ってやりなよ〜、オヤジさんだって……」
懐かしい友との久し振りの再会は嬉しかったが、ここに来てアーヴァインは些かうんざりとした。レダが口に上らせた話題は、あまり振れたくない話題だった。自分でもどうにかしなければいけないと思ってはいるが、つい目の前のことを優先して後回しにしてきた。だが黙っていればレダは容赦なく話を続けるだろう、ありがた迷惑にも。
「そろそろ帰るつもりだったんだよ」
話題を止めたくて、心にもないことが口を衝いて出ていた。
「そうか、それがいいよ。レックスはアンタのこと可愛くて仕方がないんだよ。店には今も行くの?」
自分の心を汲んでくれたかのように、また話題が変わったことにアーヴァインはホッとした。
「行くよ。レックスのセンスは確かだし、あの店の服は僕も好きだし」
「ふん 何かムカつく、あの店の服は、私には小さいんだよね」
それはそうだろうなとアーヴァインは思った。レダは、魅力的な女性ではあるが、ある意味女性にしておくには勿体ないくらい体格がいい。だから合うサイズがないのだろうと思う。
「ところで何を教えてるの? やっぱり銃?」
「そ、私に出来ることつったらそれだけだしね」
「そっか……」
「アンタは? 今も?」
「僕にも、やっぱり銃しか考えられなくて」
「まだアレ使ってんの?」
「いや、あれから結構改造して、あの頃とは別物かなぁ」
「今持ってる?」
「残念ながら」
「今度見せてよ」
レダは目を輝かせてアーヴァインを見ていた。
「今度は持ってくるよ」
その生き生きした顔を見て、アーヴァインは相変わらずだな〜と思った。
アーヴァインに銃を勧めてくれたのは彼女だった。他の武器と比べて射撃の成績が良かったのは事実だったが、アーヴァインは特に何とも思っていなかった。だが、レダは「宝の持ち腐れだ、才があるのに使わないのはバカだ」と、ガンガン勧めてきた。というより半ば強制みたいな状態というか……。彼女は単に誘っただけではなく、自分も銃を専攻していたので積極的に指導もしてくれた。そして、レダの眼に狂いがなかったと証明されたのはすぐだった。アーヴァインは、砂に水が沁み込むように技術を会得し、レダが見込んだ通りその才能をいかんなく発揮した。
本格的に銃を専攻してから一年ほど経った頃、
「ムカつくけど、あんたは私を越えたからもう教えない」
とちょっとふて腐れ気味の声で、レダはアーヴァインにそう告げた。
ガーデンでも一、二を争う腕のレダに、そんなことを言われるなど思っていなかったアーヴァインは、そんなことはないと反論しようとしたが、その時のレダの瞳が真剣なものだったので、素直にそのちょっとひん曲がった賛辞を受け取った。
「カムサッド教官、捜しましたよ〜。みんな集まって待ってますよ」
アーヴァインが昔のことを思い出してフッと笑みを浮かべた時、息を切らした男子生徒がレダに駆け寄ってきた。
「あ、ごめん約束したの忘れてた。今すぐ行く」
レダはバツが悪そうに笑って、男子生徒に先に行っててと手で合図をしていた。
「そろそろ僕も帰るよ。レックスによろしく言っといて」
アーヴァインはレダに分からないように笑いながら席を立った。
「ああ、また今度ゆっくりしよう。じゃ」
レダもすぐに席を立ち、空の皿がたくさん乗ったトレイを持って歩き始めた。その後ろ姿に、アーヴァインは大事なことを思い出した。
「ディルハルトに会ったよ」
その言葉にレダの足がぴたっと止まった。
「今なんて!?」
キリリとしたラインの眉を歪ませ、彼女はゆっくりと振り返った。
「会ったんだ、少し前。ちゃんと生きてた。ま、イロイロ変わっちゃってたけど」
信じられないというような表情を顔に張り付かせたまま、レダはアーヴァインの話を聞いていた。
「残念ながら、僕たちとは敵対する組織にいるみたいなんだけどね」
アーヴァインが少し肩を竦めてそう言うと、レダは薄氷のような瞳を更に鋭くして彼を見た。
「なんでそんなコトになってんのさ」
さっきまでとは打って変わって、低くなった声にアーヴァインは、鈍い痛みを感じた。
自分達三人はやたら仲が良かったという訳ではないが、少なくとも他の生徒に対してよりは心を許していた、信頼していた。ガーデンの小さな一角を、気が向いた時に訪れ、共有し、適度な距離を保ちつつ、良い関係を築いていたと思う。これから先もずっとそんな関係でいられる相手だと思っていた。だが、時の流れは容姿だけではなく、立場にも変化を与える。時に好ましくない変化も……。
「助けられた相手に忠誠を誓ってるんだって」
「そう……か」
アーヴァインがそう答えると、レダは視線を落としゆっくりと瞼を閉じて、息を吐くように再びゆっくりと瞼をあげた。
戦死したと思っていた友が生きていたのは嬉しいだろうが、彼が今居る所を思うと、素直に喜ぶことは出来ないだろう。かつての自分と同じようにレダも感じているのだろうと、アーヴァインは思った。
「ったく、バカな男。イマドキそんな忠義心なんて流行らないっての。――――でも、あいつらしい、か……。アンタもそう思ってるんだろ?」
「残念ながら、思いっきり思ってる」
「ったく……」
それ以上詳しく聞くこともせず、アーヴァインを見たレダは、呆れたような、それでいて笑っているような顔をしていた。
今でもディルハルトが、自分はSeeDとは敵対するものだと言ったのは、夢だったんじゃないかと思うことがある。それだったらどんなにいいかと。そして、心は決めた筈なのに、ともすればグラつきそうで怖い。そんな自分とは違って、こんな風にさらりと受け止めることの出来る彼女の強さを、やっぱり敵わないなとアーヴァインは思った。
「今度会ったら、ぶん殴ってやるかな。そしたら目ぇ覚めるかな」
「いいかもね」
それぞれの想いを心に留めて、軽く笑みを交わすと、アーヴァインとレダは別々の方向へと歩き出した。
「レックス結婚するんだ……。一度家に帰った方がいいよな〜」
バラム行きの列車に揺られながら、アーヴァインは大きく溜息をつき、ぼんやりと天井を見上げた。SeeD専用車両と違って、一般車両の乳白色のなんの面白みもない鉄の天井。ディルハルトのことも心のどこかで常に存在していたが、今はもう一つの気がかりがアーヴァインの心を占めていた。
レダに指摘された通り、ガーデンに入学してからは、ガルバディアの家にはほとんど帰っていない。レックスには、務めている店で会うので、特に家に帰る理由はなかった。
というのは、嘘だ。
自分は逃げている。怖いのだ、養父に会うのが。
養父の期待に添えず、ろくに相談することもなく、逃げるようにガーデンに入ってしまったから。そのことを咎めることもせず、黙って送り出してくれた養父に、本当は疎まれていたのではないかと思うと、怖いのだ。そうだ、と言われるのが怖いのだ。
養父は職人気質の人物で、元々口数が極端に少なかった。実際養父の仕事が刀匠ということもあって、作業が佳境に入るとますます口数は少なくなり、家族とも数日会わないなんてこともざらだった。そんな事情もあり、会話を交わした機会は少なかった。
そういった日々を過ごしてきたアーヴァインは、養父の心を計りかねてここまで来てしまっていた。そんな中でひとつだけ、養父は刀の扱いだけは熱心に教えてくれた。それもアーヴァインの肌には合わず、いつの間にか途絶えてしまった。だからと言って、養父がアーヴァインに辛く当たったりすることもなかった。アーヴァインは、自分を引き取ってくれ、育てて貰ったことには、素直に感謝している。
ただ、せっかく引き取ってくれたのに、身代わりになることも出来ず、育ててもらった恩も返せず、今までずるずると避けてきたことが心の奥でわだかまりとなっていた。キニアスの家を出て独り立ちするにしても、このままではいけないと思いつつも、養父と向き合う勇気がなくて、ここまで来てしまった。SeeDになったことすら報告出来ていない。
「ほんっと情けない」
アーヴァインは、手で顔を覆うようにしてもう一度大きく息を吐いた。
不意に時携帯メールの受信を知らせるメロディが聞こえた。ポケットから取り出し見てみれば、ディスプレイにはセルフィからだと知らせる文字が浮かんでいる。何時頃に着くの〜? とか、駅まで迎えに行こうか〜? とか、なんとも彼女にしては可愛らしいことが書いてあった。多分、思惑あってのメールなのだろうが、アーヴァインはそんなことどうでもいい位、マイナス思考をポイッと吹き飛ばしてくれたセルフィからの絶妙なタイミングのメールが嬉しかった。
セルフィが迎えに来てくれた車でガーデンに帰り、自室に入りどさっとソファに座ると、アーヴァインはようやく肩の力が抜けた気がした。大の字を書くように、ぐ〜んと身体を伸ばしてから目を開けると、まん前ににこにこ笑顔で立っているセルフィと目がかち合う。
分かり易い笑顔。それに苦笑してからアーヴァインは口を開いた。
「ウエスタカクタスのお土産はないよ」
「ええ〜」
セルフィは好物のお土産がないことを知ると、アーヴァインの予想通り、あからさまに肩を落とした。
「じゃ、帰る」
しょぼ〜んと肩を落としてセルフィは、くるんと方向転換をしてドアの方へ向かって歩き出した。
「生でもよければあるよ」
「なま〜?」
セルフィは何を言われたのか分からないような顔をして振り向いた。
「うん、生。このままでも食べられなくはないけど、明日まで待ってくれたら、ゼリーにしたげるよ?」
アーヴァインがそう言うと、セルフィの生気の抜けていた顔は見る間に嬉しそうな笑顔に変わった。相変わらず、自分のことより食べ物への興味の方が大きいらしいのをアーヴァインは考えないようにして、更に続けた。
「セフィの好きな店のシュークリームもあるけど、いらない?」
「いるっ!」
頭のまわりに見えない花をパカパカ咲かせながら、セルフィはアーヴァインの所へ戻った。
セルフィを引き戻すことに成功したアーヴァインが、お茶を煎れようと立ち上がった時、今度は電話が鳴った。
「お茶はあたしが用意するから〜」
言い終わらないうちに、上機嫌でキッチンへ向かうセルフィを見送りながら、アーヴァインは携帯電話の通話ボタンをオンにした。
「あ、レックス? 今日レダに会ったよ」
電話をかけてきた主は、今日レダとの話題になった相手だった。このタイミングで電話をかけてきたということは、多分レダからレックスへ連絡があって、その後こうして自分に電話をかけて来たのだろうとアーヴァインは思った。そして、その予想は外れていなかった。他愛のない家族との久し振りの会話。最近相手の務める店にも顔を出していなかったので、本当に久し振りだった。『元気?』から始まって、店に新作が入った話とか、近くに美味しい店がオープンしたとか、世間話とかしているうちに、セルフィがトレイに茶器を乗せて戻ってきた。
「うん、そうだね。そろそろ帰らなきゃいけないかな〜とは思ってる。直接お祝いも言いたいしね」
セルフィがトレイをテーブルの上に置いて、カップにお茶を注ぐ様子に視線を置いたまま、アーヴァインは電話を続けた。
「なんでって、レックス、結婚するんだろ〜?」
少し声のトーンが上がったアーヴァインを気にする風もなく、セルフィは鼻歌を歌いながら、カップにお茶を注いでいた。カップからは細い湯気がふわりと立ちのぼっている。
「そんな言い方しなくても。ちゃんとお祝いしたいさ」
セルフィが満足そうにカップを持ち上げた時、アーヴァインの鼻腔にも彼女の淹れたお茶の香りが漂ってきた。彼はそこで、はたとあることに気が付いたが、時既に遅し、セルフィはすぅ〜と思いっきり香りを吸い込んで、その後思いっきり渋面を作った。
「セフィ、それアイス用のアールグレイだよ!」
慌ててアーヴァインが言うと、セルフィはぎぅ〜と鼻をつまんで、涙目になった顔を彼に向けた。
アイス用のアールグレイは、ホット用よりも強い香り付けがされている。以前にも同じ失敗をして、セルフィはその強い香りに涙目になったことがあった。程良い香りは好きらしいが、その微妙な度合いを越えると、途端にダメになるらしいと分かったのはその時だった。セルフィに分かるように置いておかなかったことをアーヴァインは後悔した。
「え!? あ、聞いてるよ! てか、こっちのことだから、ゴメン」
アーヴァインは慌てて電話の会話に戻った。だが、こちらも時既に遅しだった。
「うん、いや、あ〜っと、うん、そう、かな? …………え、あっ!? ちょっと、待って! そんな強引な、あり得ないって、そんな急に。ちょっ、ちょっと、待ってーーー!!」
最後は絶叫に近い声で言った後、アーヴァインは携帯電話を持った手をだらんと落として項垂れた。
「なんか、ヤバイ感じ〜?」
さっきの涙目状態からさっさと立ち直り、にこにこ顔でシュークリームを頬張りながら、セルフィは呑気な声でアーヴァインに問いかけた。
「セフィ、頼みがある」
「あ〜?」
新たな一個を頬張るべく、セルフィは口を開けたところだった。
「今度の休み、僕に付き合って! おねがいっ!!」
その声はアーヴァインにしては非常に珍しく、有無を言わせぬ迫力があったのと、口の中一杯になったシュークリームで一瞬息が詰まりそうになり、セルフィは声も出せずコクコクと頷いた。