Blue Horizon

 chapt.9 対峙

『セフィ!』
 心の中で繰り返しその名を叫びながらアーヴァインは走った。
 時折響く爆発音の中、さっき大柄な男と小柄な女が戦っていた場所を目指す。はっきりと顔が見えた訳ではないが、あの戦う姿は間違いなくセルフィだ。そしてどう見ても苦戦していた。武器も使っていたし、普段なら断然不利という事もない筈だ。だが、垣間見た限りでは、彼女の動きは鈍かった。あのままでは、彼女は――――。そう思うと、一刻も早くセルフィの元へ行きたかった。力の限り走り、大した距離でもない筈なのに、自分の足は酷く愚鈍で、目的地は遙か彼方のように感じた。
『!?』
 漸く、その場所に辿り着こうとした時、よく分からない光景が、アーヴァインの目に飛び込んだ。さっきまで機敏に動いていた女の姿はなく、代わりに地面に倒れている姿が見える。そして、そこから右前方に停まっている小型の飛空艇の方へ向かって、大股に歩く男の姿。
『アイツ……』
 あの男がセルフィを。直感した瞬間、アーヴァインの身体は、自然に男の方へと足が向いていた。自分でもあまり知らない烈情が湧き上がってくるのを感じながら、歩を進める。近づくにつれ男の顔が、徐々にはっきりとしてくる。どんな忌々しい顔をしているのだろうと、刮目してアーヴァインは進んだ。
 その憎むべき相手がふいにアーヴァインの方を向いた。それまで不遜な顔をしていた男の貌が僅かに崩れた。
『あの顔……』
 アーヴァインもまた既知の何かが通り抜けたのを感じ、瞬間足が止まった。
 まさか ――――。
 頭の中を凄まじい早さで過去の映像が流れていく。それがある所でピタと止まった。懐かしく、温かく、今も大切な想い出。だが、その想い出の中の人物は、既にこの世の者ではない。自分の目の前で爆風の中に消えた。
 あり得ない! 他人の空似だ。現に、瞳の色が違う、片方の瞳の色が。
 だが、その瞳に吸い込まれるように動けずにいるのを、アーヴァインは気が付いていなかった。いつの間にか、進路を変え自分の方に近づいてくる男に、彼の意識は完全に呑まれていた。
「先輩!?」
 あり得ないと思いながら、そうであって欲しいと願う言葉が、アーヴァインの口から零れた。その言葉に、男は破顔した。
「久し振りだな、アーヴァイン。お前またデカくなったんだな」
 当の本人から肯定の返事が返ってきた。
「本当に、ジル!? ……うそだ」
 アーヴァインはまだ目の前の存在を信じる事が出来なかった。
「ユーレイじゃねーぞ。ま、見た目はちと変わっちまったが、ディルハルトだぜ?」
「良かった、生きてて」
 ここに来て漸く、アーヴァインは意識を現実世界へ引き戻す事が出来た。ありのままの思いを、素直に言葉に乗せる。
 本当に嬉しかった。
 自分にとっての大切な人。もう二度と会えないと思っていた。まだまだ、この人と共に過ごしたかった。もっともっと、教えて欲しい事があった。ずっとずっと、この人に追いつきたいと思っていた。
 失くした宝が還って来た。
 再会を祝う気持ちで手を伸ばした時、ふいに何か違和感を感じた。嬉しい事の筈なのに、差し出し掛けた手がそこから先へは動かない。抱擁をしようと思うのに、身体が言うことをきかない。
 何 ――?
 何か、忘れている。
 ―― 何を?
 せめぎ合う感情に視線を上げれば、屈託無く笑う懐かしい笑顔があった。その中に、昔と一つだけ違うものが見える。自分の知らない赤茶色の瞳。その瞳は笑っていないような気がする。
 赤茶の瞳は―――― 赤茶の……。
 そうだ、さっき戦っていたのは。そして――――。
「先輩、すみません。話は後でゆっくり……」
 明確な答えに辿り着く前に、わざと考えるのを止め、くるりと身体の向きを変えたアーヴァインに、冷たい声が投げられた。
「セルフィつったかな、一足遅かったぜ」
「…なん……て?」
 ディルハルトの言葉は、アーヴァインの意志とは関係なくするりと通り抜け、彼はきごちなく声の方を振り向いた。
「知り合いか? あのSeeDのお嬢さんは」
「セルフィの事知ってるんですか?!」
 頭の中は未だディルハルトの言葉を理解出来ていなかったが、アーヴァインの口は勝手に動いていた。
「ああ 知ってる。今、息絶えた事も知ってる」

 どこかで重いガラスの塊が落ちて砕けたような音が聞こえた。

「先輩が、セフィを!?」
「すまないな、彼女は俺の敵だったんだ」
「センパイの敵!? セフィが!? ナゼ……」
「そういう立場に居るってこった、多分俺とお前も同じ……」
「センパイが僕のテキ?」
「味方じゃないなら、そうだな」
「……ナゼ?」
「さあな、運命の悪戯ってやつ……」
 アーヴァインの声が酷く無機質なものに変化しているのに気が付き、ディルハルトは反射的にその場を飛び退いた。一瞬前まで自分の身体が在った地面近くに穴が開き、僅かな土埃が上がっていた。
「セフィをコロシタ……センパイ」
 アーヴァインは、感情を失った瞳でのろりとディルハルトを捉えると、再び彼に向かって引き金を引いた。更に、続けて容赦なく引き金を引く。アーヴァインは的確に相手の急所を捉えていた。だが、ディルハルトはそれを殆ど避け、最後の一発だけが左腕を掠めた。
「ちっ」
 深淵を思わせる様な暗い瞳で、苦々しげにアーヴァインが呟く。ディルハルト目掛けて、尚も引き金を引いたが、とっくに弾は切れていた。
 近くに別の武器はないかと視線を巡らすと、転がった死体の腰、細長い鞘に収まった見覚えのあるモノが見えた。
 二度と手にすることはないだろうと思っていたその得物。躊躇うことなくその柄を持ち、微かに鉄の擦れる音と共に鞘から抜き取った。
 細く、長く、先端が僅かに弧を描く片刃の剣。
 主に突く事を目的とした両刃の剣とは違い、斬る事を目的としたその造り。柄ををぐっと握ると、鍔がカチッと音をたて、そしてしっくりと手に馴染んだ、目の前に掲げると妖しく光る刀身に虚ろな眼をした男の姿が映っていた。アーヴァインは自分にも分からぬ程の微笑を浮かべると、片方の手に持っていた銃をホルスターに仕舞い、刀を両手で持ちゆらりと構えた。
 対するディルハルトも剣を構えていた。
 相手が誰であるかも意に介する風も無く、アーヴァインは疾風の如く斬りかかった。
 人を斬る事に特化された刀は、優れた使い手によって最大限の力を発揮する。正に今のアーヴァインは、元の持ち主よりも遙かに優れた使い手だった。
 剣そのものを使役する力はディルハルトの方が上だったが、幼い頃身体で憶えた技は、感情のない今、その技能を存分に引き出していた。剣を使う者は多くいたが、その存在数が少ない為、アーヴァインの操る刀を使う者は、ガンブレード程ではないにしろ少数だった。銃を専攻していたアーヴァインが、刀を使ってディルハルトと対峙した事は無かった。そして今は、唯ディルハルトを倒す事だけに突き動かされた、戦鬼と化していた。
 常ならば、早々に決着がついていたであろう戦いは、互角と言って良かった。
 ディルハルトが攻撃を仕掛けても、アーヴァインは最小限しか避けない。肉を切らせて骨を断つ、そういった戦法とも違う。自らの生命の危険など欠片も考慮していない。がむしゃらに相手を倒す。その一念だけに取り憑かれたような。
 空気を切り裂くような勢いで下から斜めに斬り上げる。鋭い切っ先が皮膚を破り、鮮血が迸った。
「くっ!」
 ほんの僅か、ディルハルトの眉間に皺が浮かぶ。
 返り血か、或いは自身の血か、腕をつと流れた血を赤い舌でぺろりと舐めると、苦痛に歪む貌の方をチラと見て、アーヴァインは妖艶とも取れるような微笑みを浮かべた。
 肉薄した鍔迫り合いの中、いつしかディルハルトの方が、傷が多くなっていた。





 骨が軋むような痛みと、酷い咳き込みで目が覚めた。気分も最悪、吐き気がないだけマシだろうか。うっすらと目を開けると、辺りは赤く染まりつつあった。どこかで、金属のぶつかり合う音が聞こえる。まだグラリとする頭を精一杯動かして、音のする方を見ると、二つの動く影が見えた。
『誰……?』
 少し離れた所で、戦う二つの影。
『男?』
 それが誰と誰なのかセルフィは、直ぐには分からなかった。だが、どこか見覚えのある。じっと目を凝らして見つめた。二人が動いた時、濃くなった太陽の光が、瞬間、顔と顔を照らした。
「アービンッ!」
 身体の重さも痛みも忘れて身を乗り出し、セルフィは叫んでいた。
 何故ここに彼がいるのか。そんな事よりも、その彼が纏う異様な気の方が遙かに強くセルフィを惹きつけた。剣で戦うのも珍しいが、今の彼の戦い方は一度も見たことが無かった。少ない攻撃で確実に相手を沈める、いつもの彼の戦い方とは真逆。禍々しい妖気をまとわりつかせ、嬲るように、いたぶるように、剣を操る。かと思えば、相手の攻撃を大して避けることもしない。
『どうして!?』
 相手を倒すというよりは、あれではまるで ――――、死にたがっているようではないか。
 自分でも予期せぬ考えに至って、セルフィは戦慄した。相手のスカーレットは強い。あのままでは、アーヴァインは死んでしまう。セルフィには、今どちらに分があるかより、アーヴァインが死んでしまうかも知れない恐怖に囚われた。
 どうにかしなければ、この身体では加勢する事は無理でも、せめて一瞬隙を作る事が出来れば。そんな思いで、辺りを見回す。身体一つ分離れた所に転がっている死体の近くに、短銃が見えた。そこへ向かって、動かない身体をずるずると這うようにして近づく。一つ腕を、少し足を動かすだけで、骨が、肉が、悲鳴を上げているようだった。漸く銃を掴んだときには、息をするのでさえ苦しくなっていた。
「気が付いて!」
 縋るような想いで引き金を引いた。
 だが、力の入らぬ腕で撃った弾は、思っていた方向とはまったく別の所へ飛んだ。もう一度、呼吸を抑えて撃った。






 硬い鋼同士が激しくぶつかり合い火花が散る。
「強くなったな、アーヴァイン」
 刃がガチッと交錯し、それを挟んでごく近い距離で、告げられた。だが、その声は、アーヴァインの耳には届かなかった。尚も強く押し攻める。ギリッと鋼の擦れる嫌な音がした。
「くっ アーヴァイン、俺が視えてるか?」
 強い力で押してくるのを、精一杯の力で受けながら、ディルハルトは問いかけた。
「お前を死なせたくない!」
 ディルハルトが叫ぶように言った時、銃声と共に足元に着弾した音が聞こえた。アーヴァインの肩越しに、弾が飛んできた方に視線だけを動かすと、僅かに上体を起こし、銃を構えるセルフィの姿が見えた。
「セルフィ、気が付いたのか……」
「……セフィ?」
 刹那、アーヴァインの瞳に宿った生気を、ディルハルトは見逃さなかった。
「アーヴァイン!!」
 叱責するような声で、ディルハルトは叫んだ。
「セン…パイ?!」
 その声に呼応するかのように、アーヴァインはゆっくりと彼の顔を見た。
「戻ったか」
「先輩なぜっ!? どうして!?」
 まだ互いの刃が交錯したまま、アーヴァインは問う。
「言ったろう、お前の組織と俺の組織は敵同士だ」
「何で、先輩がそんな所に!! 抜けられないんですか!? 僕と一緒に……」
 アーヴァインがそこまで言った時、ディルハルトの顔には哀しい色が浮かび、そして真っ直ぐにアーヴァインの瞳を見た。
「お前は何の為にここに来た?!」
「何のため?」
「何が正しいと思っている?!」
「正しい?」
「お前の信じるものは何だ?!」
 アーヴァインが答えを見つける前に、次々とディルハルトは問うた。

 汗が一粒、頬を伝い流れ落ちていった。
「僕は……僕の居るガーデンを信じている。仲間を信じている」
 たった一つ、やっと答えが見つかった。
「そうか、俺もだよ。おれは主を信じている。俺を救ってくれた人、ただ一人を信じている」
 そう言ったディルハルトの表情は柔らかく、そして声音は硬質だった。
「先輩。……もう、昔には……戻れないんですか?」
 いつの間にか、刀を握っていたアーヴァインの腕から力が抜けていた。
「ああ そうだな」
「嫌です。先輩と戦うなんて、嫌です!」
「じゃあ、こっちへ来るか?」
「嫌です!」
「だだっ子かお前は」
 溜息をつきながら、ディルハルトは可愛い後輩を困ったように見た。
「悪いが、俺の組織はお前には向いてない。お前みたいな甘ちゃんには、な。それに――――、お前もっと大切なものがあるんじゃないのか?」
 その言葉にはじかれたように、アーヴァインは伏せていた瞳を上げた。
「やっぱりな。お嬢さんが呼んだのはお前の名前か」
 アーヴァインの表情(かお)を見て、ディルハルトは安心したように笑った。
「お前の帰る所はあっちだろ」
 アーヴァインの肩越しに、ディルハルトはセルフィの方を指さした。その指に導かれるように、アーヴァインも首を巡らす。
「セフィ……生きて…」
 漸くアーヴァインは、ここに居る最も大きな理由を思い出した。
「じゃあな、アーヴァイン。ウソついて悪かったな。次会うときは、本当の敵だ。容赦しねーぞ!」
「先輩っ!!」
 言うが早いかディルハルトは、残っていた、たった一艘の飛空艇へと駆けだしていた。
「あ、お前らは自力でどうにかしろよ! 何も残ってねーけど」
 飛空艇を目指して走りながらディルハルトは苦笑した。相変わらずアーヴァインは甘いと。背中を見せて遁走する敵に何もして来ず、ただ黙って見送っている。あきれるばかりだ。だが、心は晴れやかだった。それと同時に僅かな寂しさも感じたが。
「その甘いトコも含めて、お前が好きだったよ。『仲間』を大切にしろよ」
 小さな呟きは、直ぐに風がどこかへ連れ去ってしまった。



 アーヴァインは、もうディルハルトの方を見てはいなかった。彼とは反対の方向“もっと大切なもの”へと急ぐ。
 ―――― 生きていた。
 それだけで例えようもない喜びが込み上げてくる。
「セフィ!」
 膝を折り、地面に突っ伏すようにして倒れている身体を抱き起こす。
 顔には幾つかの小さな傷。パンツスーツはあちこち裂けるように破けている。そこから数カ所、裂傷も見えた。出来る限り、他にも大きな怪我や骨折をしていないか調べてみたが、幸いにもそういったものはないようだった。打撲と裂傷、命に関わる程のものではないが、それでも相当な痛みはあるだろう。腕や腹に触れた時、何度かセルフィの顔が歪む事から容易に分かった。
「……アービン…」
 掠れた、絞り出すような声と共に、ゆっくりと瞼が開かれ、翠玉の瞳がアーヴァインを捉えた。
「セフィ、良かった、無事で」
 アーヴァインは堪らずセルフィを抱き締めた。
「くっ…」
 思わず洩れた声に、慌てて腕を緩める。
「ごめん、痛かった!?」
「だいじょうぶ」
 セルフィは、アーヴァインを安心させるかのように微笑み、その存在を確かめるように頬に手を伸ばした。
 手に確かな温かさを感じる。良かった、幻なんかじゃない。アーヴァインはちゃんと生きてる――――。
 そして、ずっと見たかったアーヴァインの笑顔が見られた。ちょっと哀しそうだけど、そんな顔をさせてしまったのが自分じゃないかと思うと、自己嫌悪だけど、でも、逢いたかった人にやっと逢えた。大好きな人に、やっと――――。
 セルフィが口を開こうとした時、先にアーヴァインの声が聞こえた。
「シヴァ、頼むよ」
 G.F.に媒介を請う。
 傍目には何の変化も現象も見えなかったが、自律エネルギー体ガーディアンフォース・シヴァは確かにアーヴァインの意識の中に入り込み、常と同じく、静かに在るべき所に座した。
「……スリプル」
 一度セルフィを見て柔らかく微笑み、アーヴァインはスペルを唱えた。
「待って、眠らせんといて! まだ伝えたい…こと……が……」
 セルフィは最後まで言う事なく、再び瞳を閉じた。
「ごめんね、セフィ。眠りの中なら痛みを忘れられるから」
 セルフィの頬の傷にそっと唇を寄せて、アーヴァインは新たなスペルを唱えた。
「ケアル」
 顔の他の傷にもそっと触れて、ケアルを唱える。アーヴァインが唇で触れ、スペルを唱える毎に、傷は綺麗に癒えていった。
「セフィ。…………僕の、セフィ」
 最後の傷が癒えた後、想いの丈を込めて強く抱き締めた。
 湿気を含んだ風が何度か頬を撫でても、アーヴァインは抱き締める力を緩めはしなかった。

―― 人間、何故身体の傷を先に癒さぬのか ――
 ふいにアーヴァインの頭の中で声がした。滅多にある事象ではないので、アーヴァインは驚いたが、恐怖などは感じなかった。
「セフィは女の子だからね」
 自身の体内から問いかけてきた、氷の美姫に、正直な理由を答えた。
―― 奇妙な答えだな。それより人間、これからどうする気か?――
「さあ、どうするかな」
 二人の人間と、一つの神秘のエネルギー体の居る場所は、いつの間にか夜の帳に抱かれていた。