いくつ季節を過ぎてもここに…

4
 ブラインドを少しだけ開けると、部屋がふっと明るくなった。あまり眩しくない位置で固定する。
 自分の机に座って、立ち上がったディスプレイを見れば、8:46の表示。まだこんな時間だったのかと、息を吐く。
 今日は既に一日の終わりの様に疲れている。はぁ、とまた溜息が漏れてしまった。
 とにかく、ちょっと落ち着きたい。
 そう思った時、コーヒーの香ばしい香りが漂って来た。さっきスイッチを入れたコーヒーメーカーの準備が整ったようだ。棚から自分用のカップを取り、熱いコーヒーを注ぐ。湯気と共に良い香りが鼻腔に上がって来た。
「今日はこのまま飲んでみようかな」
 何も加えずひとくち、口に含んでみた。慣れない苦みが口に広がる。やっぱり無理っぽい。いつものように、砂糖とミルクをたっぷり追加する。
「何であんな苦いのが飲めるんやろ……」
 紅茶や緑茶なら砂糖など不要だったが、セルフィは、コーヒーの苦さはまだ慣れなかった。
 まるで、さっきの出来事のような苦さ――。
 トラビアの男子生徒には言いたいことも言って、平手打ちまでしてしまったので、すっきりしている。
 それより――。
 まさかアーヴァインが自分の事をあんな風に思っていたなんて。嫌われているとは、思っていなかったけど。仲間として好きでいてくれてるんだろうな〜と思っていた、ずっと。
「そうやなかったんや……でも、どうしたらええんやろ……返事、要るよね、やっぱ」
 キーボードの上に頭を置いて息を吐くと、ここに来る前ドアにぶつけてしまったおでこが、ずきんとした。
「う〜ん」
 どうするか考えてはみたけれど、直ぐに結論は出そうにない。
「あれ? 好きだとは言われたけど、付き合ってほしい、とかは言われてないぞ。て事は、別に返事とかナシでええんかな。う〜ん」
 考えれば考えるほど、どうしていいのか分からなくなって来た。
「もう、考えるのやめっ!」
 パンと頬を叩き「さ、仕事!」と、気持ちを切り替え、頭を起こしてキーボードに向かった。そのタイミングで、シュンとドアの開く音がした。
「あら、セルフィ、おはよう」
 今日は、一段と目を惹く美貌のキスティスが入ってきた。一瞬、驚いたような顔をしたが、直ぐに柔らかくセルフィに微笑んで隣の椅子に座った。
「良い香り」
「キスティスもコーヒー飲む?」
「ええ、お願いするわ」

『アーヴァイン、上手くいったのかしら』
 コーヒーを淹れに立ったセルフィの後ろ姿を見ながら、キスティスはスコールからの電話を思い出していた。
『パッと見た限りでは、セルフィは落ち着いているようだし、懸念する事はないかしら……』
 セルフィが淹れてくれたコーヒーのカップを受け取りながら、キスティスは思った。

「はんちょ大丈夫かな」
「あぁそうね、会議は10時からだし、少しは仮眠が取れると思うのだけれど」
「でも、資料とか読んで全然寝ないような気がするよ〜」
「そうねぇ スコールだものねぇ」
 コーヒーに口を付けながら、キスティスはスコールの生真面目さに苦笑した。同時にさっきの電話を思い出し、意外な気遣いの細かさに感心した。
「はんちょ、エスタのSeeD任務、誰かと代われば良かったのに。いくら先に任務の予定が決まってて、会議の予定が急に変更になったって言っても、時差の所為で任務から帰って直ぐに会議だなんて、キツ過ぎやん」
「本当にそうよね」
 少し目が腫れぼったいものの、普段と変わらない様子で会話を続けるセルフィに、キスティスは安心した。
「あ、そうだセルフィ。あなたに外任務が入ったわよ。ちょっと急で悪いんだけど、明後日ドールで要人の警護。ハイ、これ資料」
「ありがとう」
 キスティスから書類を受け取り、パラパラと捲る。
「今日の会議スムーズに進むといいね」
 セルフィは、渡された資料に目を通しながら言った。
「そうね、トラビアとガルバディアで、SeeDの資格が取れるようになれば、わざわざバラムに転校しなくても済むようになるし、その点に関しては問題ないんだけど……」
「ああ、アレ? SeeDの概念や依頼内容の選考に関する事? あと、新しいSeeD機関の話もあったっけ?」
「そうねぇ、各方面から意見や提案が出ているし、SeeDは変革期に入りつつあるって感じよね。ま、今回は取り敢えず提案を出す段階だから、そっちはこれからよ」
 明るく言うキスティスにセルフィも「そうだね、これからだよね」と笑って返した。
「それじゃ、そろそろ会議に行くわ。今日は特にこれと言った職務もないし、資料作りで連日遅くまで働き詰めだったし、セルフィはのんびりしてて」
「ありがと…」
 キスティスの言葉は素直に嬉しかったが、今日はどちらかというと、忙しい方が良かった。「じゃ、行ってくるわ」と言って、キスティスが職務室を出て行き一人になると、セルフィはまた溜息をついた。


「のんびりしててって言われても……」
 そんな暗に、サボリOK、みたいな事を言われると、逆に何か仕事しなくちゃという気分になってくる。
 取り敢えず、受け取った外任務の資料に目を通す。
 ドールでの要人警護、期間は二日。派遣人数二名。警護対象の人物には見覚えがあった。最近、違法薬品製造で内部告発されたガルバディアの製薬会社を、率先して真相究明に動いていた同国の若い議員。テレビで見た時、毅然とした態度で訴える姿が印象的な人だった。
「一緒に行く人誰なんだろ」
 書類をもう一度確認する。今回一緒に任務に就くパートナーは、セルフィのよく知っている相手のようだった。同じ武術の師匠に師事している、黒髪の好青年。何だかちょっとホッとした。もちろんプロなのだから、例え任務のパートナーが、自分とは合わない性格の人物であっても、任務遂行を第一に協力は惜しまない。でも、性格の合わない相手よりも、合う相手でラッキーと思う位は許してほしいかな。
 只、気の合う相手でも、出来れば同じ任務に就きたくない、という場合も希にある。今なら、例えば、アーヴァインとか。もし仮にそうであっても、任務はきちんとやり通す。全て承知の上でSeeDの道を選んだのだから。


「よし、まず片付けをしよう!」
 今日の会議用の資料作りで、色んな資料を引っ張り出しては作成の繰り返しで、本だの書類だのが、小さな部屋に山積みになっていた。まずはそれを片付けて、それが終わったら、キスティスの言葉に甘えて、ネット散策でもしよう。セルフィは、SeeD服の上着を脱ぎブラウスの袖をきゅっと上げ気合いを入れて、作業に取りかかった。

「ふぅ〜、後は借りてきた資料を返却しに行くだけ! すごいやん、早いやん、あたし!」
 意外と早く片付いた。キチンと整頓された空間ってかなり気持ちが良い、自分でやったからかも知れないけど。
「後は資料の返却と」
 その内の図書館から借りて来ていた数冊の本を返却する為、セルフィはキスティスの職務室を出た。もう時刻はお昼が近いし、本を返却したらそのまま食堂に向かおう。明るい日差しの差し込む通路を歩いていると、なんだか少し気分も明るくなった。
 図書館に着くと、丁度リノアが居た。
 彼女は今、本好きの知識を生かして図書館で司書のような仕事をしている。
「返却お願いします」
「はい、ご苦労様です。セルフィ、お疲れ様。毎日大変だったよね」
「うん、当分ぎっしり詰まった文字は見たくない感じ〜」
「だよね〜」
 リノアが苦笑しながら、返却の本と貸し出しのデータをてきぱきと処理していく。
「三つ編みちゃんは?」
 知らない間にゼルとお付き合いしていた、可愛いおさげが印象的な図書委員の女の子の姿が、今日は見当たらなかった。
「講義に出てるよ」
「あ、そっか。そうだよね」
 彼女も生徒の一人だという事と、平日の昼間だという事をうっかり忘れていた。自分だって、今でも講義に出る事もあるのに。
「リノア返却手伝うよ〜、それ終わったら一緒にお昼行かない?」
 重そうな本を抱えて歩くリノアに、手伝いを申し出る。
「ありがとう、セルフィとランチするの久し振りだね、ふふっ楽しみー」
 リノアがOKしてくれたのは嬉しかったけれど、セルフィは最後の言葉がちょっと不気味だった。リノアは勘が良い。恐ろしく良い。キスティスのように、冷静な状況分析で真実を見抜くのでは無く、どっちかと言えば第六感的なワイルドな感じで、ビシッと核心を突いてくる。
 そんな訳でセルフィは「ふふっ楽しみー」の部分が非常に気になった。なんとなく予想がつくだけに……。
『ちょっと早まったかな…』



※-※-※



「そっちも美味しそうだよねー」
「半分こする?」
「うん!」
 リノアもセルフィも、美味しい物は色々食べてみたいタイプなので、こういう場合大抵意見が一致する。
「あ〜 ちょっとカロリーオーバーだったかなー」
 既に平らげてしまった空の食器を見て、リノアが呟く。
「ダイエットでもしてるん?」
「ちょっとね〜、最近本能に任せて食べまくったから、自主規制」
「はんちょも相変わらず忙しいしね」
「それは関係ないよっ」
 否定こそしたものの、ほわんと頬を染めたリノアの顔がとても可愛らしいとセルフィは思った。最近リノアはますます綺麗になったと思う。そして女の自分の目から見ても、色っぽくなった。匂い立つような色香とはこういう事を言うのだろう。
 そして、セルフィはリノアのはにかむように笑顔に安堵も憶えた。
 少し前、彼女から笑顔が消えた時期があったのだ。

 魔女アルティミシアを倒した後も、魔女になってしまったリノアにとって良い事ばかりがあった訳ではなかった。本人の意志などまるで関係のない所で、周りの人間によってその処遇が議論された。魔女アルティミシアの途方もない恐怖を体験したばかりで、無理もない事と言えばそれまでだが、中には凍結保全などのかなり辛辣な意見が飛び交った事も事実だった。
 その意見が出た時には、厳格な軍人であるリノアの父カーウェイ大佐ですら、苦悩の表情を隠し得ない程だった。
 喧々囂々とした会議の中、スコールが魔女の騎士として、その責を任せて欲しいと申し出た時には、その場が水を打ったように静かになったと言う。
 魔女の騎士には二つの役目がある。
 魔女を災厄から守る事、そして魔女が人に仇なす存在となった時、魔女を自らの手で葬り去る事。騎士として名乗りを上げるという事は、そういう事だった。スコールはそれを宣言した、錚々たる面々の前で。
 その申し出は受け入れられ、魔女リノアはバラムガーデンで管理する事、また魔女の研究が進んでいるエスタ国が支援する事で決着がついた。
 端から見れば、スコールとリノアは普通の恋人同士にしか見えないが、同時にいつか訪れるかも知れない"その日”の憂いも抱えていた。
 それでもリノアは、絶対アデルやアルティミシアのようにはならないと、セルフィは確信していた。スコールが彼女の傍に居る限り。そして、リノアにとってスコールが何より安らげる場所であり、スコールにとっても同様だと知っている。だから大丈夫。二人がずっと一緒に居る事が出来れば――。

『安らげる場所か〜、なんだか羨ましいな。あたしもそんな場所あるんかな〜』
 そう思った時、セルフィの脳裏に唐突にアーヴァインの笑顔が浮かんだ。
「ちょっ、それはな……い…事はない、事はない」
「何が、“ない”なのー?」
 リノアが悪戯っぽい笑みを浮かべて小首を傾げ、セルフィの顔を覗き込んできた。
「別に〜、……っく、けほっ」
 平静を装ってアイスティーのストローをずずずーーっ、と啜ったらむせてしまった。
「当ててみよっか、アーヴァインの事考えてたでしょ」
 やっぱりリノアの勘はハンパじゃない。ケホケホと咳き込んでいた所へ、リノアの言葉でセルフィは更にむせて咳き込んだ。
「違うよ〜」
「そーかなー、セルフィ顔赤いよ」
「これは、咳き込んだから!」
「……セルフィ、あのね」
 一呼吸置いてゆっくりと言ったリノアの声は、さっきと打って変わって真剣だった。
「うん?」
 咳き込んだ為に浮かんだ涙を、指で拭いながらセルフィはリノアの方を見た。
「あのね、真面目に訊くよ」
「うん」
「アーヴァインの事好きじゃないの?」
「好きだよ、大切な仲間だもん」
「そうじゃなくて、その“好き”とは違う好きはないの?  一人の男の子として」
 リノアの言葉は、セルフィの心を真っ直ぐに射た。

「分からない、それがどういう気持ちの“好き”なのか……」
 暫く考えてみたけれど、本当に分からなくてそう答えるしかなかった。
「そっか」
 俯き、綺麗な翠色の瞳は少し伏せられ、どことなく哀しげな表情のセルフィに、リノアはせつなくなった。
 自分には、セルフィの抱いている“好き”の種類が何となく分かる。でも、それをセルフィに告げるのは躊躇われた。もし、万が一、友達としての“好き”だったら、アーヴァインに可哀相な事をしてしまう。セルフィの心の内はセルフィにしか分からない、他人が決めつけるものではない。端から見ていると、もどかしいけれど……。
「そろそろ、行こうか」
「あ、と そうだね」
 アーヴァインに、女の子として好きだと言われた事を、リノアに聞いて貰おうかどうしようかと迷っているうちに、ランチタイムは終わりが来てしまった。



※-※-※



「う〜ん、眠れない」
 アーヴァインはベッドの上でごろんと寝返りを打った。
 あれから自室に戻り、シャワーを浴びてベッドに入った。身体は疲れている筈なのに、眠れない。時差ボケと多分今朝のアレの所為。
「セフィ、ちゃんと分かってくれたのかな、僕の言った意味」
 去って行くセルフィは、どこかボ〜っとしていて、階段を下りた所でドアのガラスにゴツンとぶつかったりしていた。セルフィにしてみれば、混乱していたと思う。朝からあんな嫌なヤツに絡まれて――。
 そして自分の告白。
「またタイミングしくじったかなあ……でもな〜」
 誰からどう見ても最低だと思える人間に、あんな事言われているセルフィを放っておく事なんか出来なかった。あの時スコールが止めてくれなかったら、当てずとも撃っていたかも知れない。それ位、セルフィを侮辱したあの男が許せなかった。今までセルフィが人前で涙を流すなんて無かったのに、それ程までに彼女を追い込んだ男。もし、次会う事があったら、確実に殴ってしまいそうな気がする……。
 だからと言って、あそこで告白してしまう自分もどうかと思うが。
「はあ〜、仲間として好かれている事が分かっただけでも…良し…なのかなあ……」
 目の前にある携帯電話のシルバーのストラップが段々とぼやけて、アーヴァインはいつしか眠りに落ちた。



「疲れた〜」
 シャワーを浴びて、今日一日の疲れを癒してくれるベッドに、セルフィが身体を投げ出した所で、直ぐ近くに置いていた携帯のメロディが鳴った。
「あ、リノアからメール」

『セルフィ、もしアーヴァインに彼女が出来たら、って考えてみるといいよ。そしたらどっちの好きか分かると思うよ』

「アービンに彼女が出来たら?」
 確かに、今朝アーヴァインは自分の事を好きだと言ってくれたけど、断ればその内自分ではない彼女が出来るだろう。それはアーヴァインの選ぶ事だから、自分がとやかく言う事はない。今みたいにランチをしたり、一緒に出掛けたりとかはしなくなるだろう。それはちょっと淋しいと思う。でも、それ以外は別に変わらないとも思う。
「やっぱり、友達の好きだと思うよ、リノア。それに……あんな思いするのはもう嫌なんだ」
 セルフィは、トラビアで受けたちょっとした嫌がらせを思い出した。だから、それなりに人気のある男の子とは付き合いたくない。それにアーヴァインは“それなり”なレベルじゃない。魔女討伐のメンバー、背が高い、銃の名手、顔立ちが整っている、人当たりが良い、これだけの要素が並べば、もう ――――。
「腕っ節なら自信があるけど、ああいうのは精神的にくるから苦手……」