そうだ、海に行こう!

2
「「わー 寝過ごした!」」
 離れた二つの部屋でほぼ同時に同じ科白が響いた。アーヴァインもセルフィも共に寝過ごし、約束の時間まではあと少ししか残っていなかった。取り敢えず急いで荷造りをし、待ち合わせ場所の駐車場へ走った。僅かにアーヴァインが先に到着し、大きく肩で息をしていると、息を切らせながらセルフィも駐車場へやって来た。
「ごめん…アービン、…お待たせ」
 落ち着かない呼吸のまま、やっとそれだけ言った。
「セフィ、実は僕も今来たトコ。寝過ごして遅れるかと思った」
 少しバツが悪そうに言った。
「アービンも?! 良かったー」
 お互いの息が落ち着くのを待って、荷物を車に積み込み、バラムの街へ向かった。
 外はからりと晴れ良い天気だった。青と水色のグラデーションの空は何処までも澄み、遠くには大きな積乱雲がいくつも見える。コンバーチブルの帆の屋根を収納して走っているので、身体に風をダイレクトに感じる事が出来て気持ちいい。セルフィがもう少しこのままでいたいなーと思っていた頃、バラムの街に着いた。
 車を預け、早めの昼食を摂り、港に向かう。今日乗る高速艇はSeeDが乗るような高速上陸艇では無く一般客用のもの。その為、長時間の乗船も苦にならないよう艇内は色々と工夫がされていた。睡眠が取れるようベッドのある部屋もあったが、今回は昼間の移動なので、ゆったりとした座席とテーブルのあるコンパートメントタイプを選んだ。荷物を置くと、直ぐにセルフィは艇内を色々と見て回る気まんまんで部屋を出た。
「アービンはゆっくりしてていいよ〜」
 と言われたものの、歩くびっくり箱のようなセルフィに付いていかない訳がなかった。
 さっき昼食を摂ったばかりだというのに、艇内限定の文字につられて、アイスクリームやら、ホットドッグやらを、その細い身体のどこに入るの? という位セルフィは食べた。最後のホットドッグは流石にきつかったらしく、デッキの直ぐ横を飛んでいた海鳥に向かって、ちぎったパン屑を投げてやったりした。ゲームコーナーでは、おもちゃの銃で撃った景品を貰えるゲームで、アーヴァインに欲しい景品を2.3個取って貰う。指定しないと、かなり優秀なスナイパーの彼は、全部かっ攫ってしまいかねない勢いだった。船内をひとしきり楽しんで、コンパートメントに戻る。
「アービン、この前の任務どうだった?」
 オレンジジュースを飲みながらセルフィが聞いた。
「えっと、ドールの? それともガーデンの天辺に昇った方?」
「なに?! ガーデンの天辺昇ったん?!」
 そんな任務の事は全く知らなかったので、セルフィは驚いた。
「ん〜 ガーデンの設備点検でね、昇った」
 セルフィとの休暇欲しさに昇ったとは言えず、苦笑しながらそう言った。
「うわ〜 何か面白そう〜、次の点検志願しようかな」
「セフィ覚悟した方がいいよ、結構キツいから」
 そうは言ったものの、セルフィがガーデンの天辺で結構楽しく作業をしている姿が浮かんで、少し笑った。
「ドールの方はどうだった?」
「うん とても喜んでくれたよ。行って良かった」
「そうなんだー、あたしも行きたかったなー」


 先日のドールでの任務。街の外れに在る保育園の近くに、モンスターが住み着いてしまった。比較的大人しい種類のモンスターではあったけれど、何時襲ってくるとも限らなかった。退治しようにも、大人達は皆忙しい上、素人では太刀打ち出来ず、困り果てた保育園の園長がバラムガーデンのSeeDにお願い出来ないかと言ってきたのだった。その会話を偶然聞いたアーヴァインが、無報酬でいいからと志願したのがそれだった。
「何か、ああいう任務は積極的に受けたいよね」
 ジュースの入ったプラスチックのコップが作った小さな水溜まりを、キュッと指でなぞりながらセルフィが言った。
「うん、僕もそう思う。任務に区別をつけちゃいけないんだろうけど、ああいう力の弱い人達にこそ役立ちたいよね」
 アーヴァインは頬杖をつき、水溜まりを突いているセルフィの指を見ながら言った。


 丁度その時、ドールの港に間もなく到着するというアナウンスが流れた。




「ここ?」
「うん、ここ!」
 驚きのあまり、大きな瞳を更に零れそうな位大きくして、セルフィはアーヴァインに訊ね、彼は得意そうににこにこと笑いながら答えた。
 予約してくれたホテルがまさかこんな、世界でも指折りの所だとは思いもしなかった。思わず自分の服装を確認した。クリーム色のノースリーブワンピースに、白のボレロ、これなら…と思った所で気が付いた、アーヴァインがこの服を勧めてきた理由を。合点がいったとアーヴァインを見上げれば、相変わらず得意そうな笑顔のままで、「さあ行こう」と背中を軽く押して促された。
 中に入ってみると、雑誌やネットで見た同じ系列のホテルとは違って、リゾートらしい幾分くだけた雰囲気の内装になっていて、セルフィは少しホッとした。SeeDとは言え、まだこんな格式の高いホテルを定宿にするような経験も度胸もない。それでも十分に気品の良さを感じさせる調度品の数々を、ゆっくりと眺めていたセルフィの耳にアーヴァインの声が届いた。
「手続き終わったよ。部屋へ行こう」
「あ、うん」
 エレベーターに乗りアーヴァインが目的の階のボタンを押す、緩やかにエレベーターは上昇し、そして静に止まった。エレベーターを降りるとドアが左右合わせて四つだけ見えた、「奥の右側がそうだね」とアーヴァインが小さく耳打ちした。
 部屋に入り、ポーターにチップを渡しているアーヴァインを置いて、セルフィは部屋の中をちょっとした探検気分で見て回った。右側奥がベッドルーム、その手前がバスルーム、そして入って来たこの部屋がリビングルーム。セルフィはリビングルームの大きなガラスの扉を開けてバルコニーに出た。正面の視界は全て美しいドールの海で埋め尽くされた。太陽は地平線の僅か上に位置し、空は淡い紅色と水色と紺色とのグラデーションに染まっている。その景色をひとしきり堪能し、うーんと一つ大きく伸びをして、部屋の中に戻ろうと振り向くと、丁度こちらに来ていたアーヴァインにぶつかった。全く予想もしていなかったので、セルフィは勢い余って少しよろけた。
「うわ、綺麗な夕日だね」
 よろけたセルフィをしっかりと抱き留めながら、アーヴァインは目の前に広がる景色に感嘆の声を漏らした。
「アービン、いい加減離して〜、これじゃ夕日なんか見えないー」
 セルフィを抱き締めたまま一向に動かないアーヴァイン。
「あ、ごめんごめん、つい」
 そう言って腕を緩めると、セルフィの顎を掬いキスをした。
「ん、んんーー!!」
 何時までも離れてくれないアーヴァインの唇に、息苦しくなり胸を叩いて抗議する。
「アービン! 限度っちゅーもんがあるやろ!」
 漸く解放されて、息苦しさと恥ずかしさと僅かの怒りで、ほんのり染まった頬のセルフィは、アーヴァインを少し睨みながら言った。
「だって、久し振りに会えたんだよ」
「たった一週間ちょっとやん」
「僕にとっては一週間もだよ!」
 声にこそしなかったもののアーヴァインの瞳は「セフィはそう思ってくれないの?」と言っているように見えた。真面目にそう言われてしまうと、セルフィは何も言い返せなかった。自分は昨日まで海に行ける事ばかり楽しみにしていた。アーヴァインがそんな風に思っていてくれた事など露ほども知らずにいて、申し訳ない気持ちになった。だからといって今更「いいよ」なんて事も言えない。考えあぐねていると、小さくお腹がグ〜と鳴った。
「ね、夕食に行かない?」
 これを幸いと話題を変える。
「そうだね、ルームサービスにする? それとも外に食べに行く?」
 いつもの笑顔でアーヴァインは言ってくれた。
「ん〜 任務明け直ぐの移動でちょっと疲れたから、ルームサービスがいいな」
「了解」
 アーヴァインは、直ぐにリビングに置いてある端末でセルフィの希望を聞きサクサクとオーダーをしてくれた。
 こういう、雰囲気が悪くなったり気まずくなったりした時でも、けして引き摺らない所がアーヴァインの好きな所の一つだった。



「んー 美味しい!」
 デザートのフルーツのアイス添えを、ぱくんと一口食べて、満面の笑みのセルフィ。
「セフィは本当に美味しそうに食べるよね」
 セルフィよりも少し早く食べ終え、彼女がにこにこと頬張る様を堪能しながらアーヴァインが言う。
「だって本当に美味しいもん。それよりアービン、無理してない?」
「え、何?」
「ここ、高いよね? もちろん、あたしも半分出すつもりだけど……」
 部屋の中には、二人しか居なかったけれど、セルフィは小声で言った。
「ああ、大丈夫だよ〜 実はね、ここの招待券を貰ったんだよ」
「え、そうなの。すごいね、こんな所の招待状貰えるなんて」
「人徳ってヤツ?」
 セルフィに食後のアイスティーを渡しながら言う。
「ふう〜ん、まそういう事にしておこう」
「本当はね――」
 と、アーヴァインは招待券を貰った経緯を話した。
「そうやったんや〜、本当に喜んでくれたんやね。その気持ち無駄にせんよう、うんと楽しまんとあかんね」
 セルフィは飲み終えたアイスティーのグラスをテーブルに置きながら、そう言った。
「うんそうだね」


 テーブルに置かれたグラスの氷が、カランと小さく音を立てた。


「星が綺麗だよね。あたし、散歩に行ってくる」
 窓の外を眺めていたセルフィは、唐突にそう言うと、すっくと立ち上がり、パパッと身支度をしさっさとドアに向かった。
「待ってセフィ、僕も一緒に――」
 セルフィのいきなりの行動は今に始まった事ではない。アーヴァインもジャケットを掴むと、直ぐにセルフィの後を付いて部屋を出た。



 所々にある外灯と波の音を頼りに歩く。程なく砂浜に辿り着く事が出来た。
 砂漠の砂とは全く異なる、湿り気を帯びた砂の感触を確かめるように、一歩一歩ゆっくりと歩く。他に人影はない。物好きなのは自分達だけなのだろうかと思いつつ、砂浜に腰を降ろす。後ろに手を突いて足を伸ばし、見上げれば満点の星。暫く見上げたままでいると、首が幾分疲れてくる。ならばと、砂の上にゆっくりと寝転がる。寝転がって眺めても、迫って来るような星空。瞬く星々はまるで小さな生命体のようだとセルフィは思った。
 目を閉じてみれば、静かに寄せては返す波の音が耳に心地よい。

 懐かしい調べ――。

 最近思いだした幼い頃の記憶の一つ。
 小さい頃にも、こうして砂浜で寝転がって星を見ていた。そして、こうしている時、いつも黙って隣にいてくれた男の子がいた。あの頃は自分の方が背が高かったのに、再会した男の子は自分よりも随分大きくなっていた。
 薄く目を開いてみる。
 その男の子は、今またこうして隣に居てくれる。
 何だか心がとても温かい、隣に誰か居てくれるというのは本当に――――。


「セフィ、セフィ」
 名前を呼ぶ声に、眠っていたのだと気が付いた。
「セフィ、風邪引くよ。帰ろう」
「う…ん」
 さぁ、とアーヴァインは抱き起こしてくれた。
 来た道を戻りながら、アーヴァインの腕に自分の腕を絡め、「ありがとう」と呟くように言った。続きの、何時も傍に居てくれて、という言葉は少し恥ずかしくて心の中で呟いた。
「どう致しまして」
 アーヴァインは柔らかい笑みで返してくれた、キスと共に。


「アービン、先にバスルーム使っていい?」
「どうぞ〜」
 砂浜で少し眠ってしまったせいか、ホテルに戻ってからも眠くて、色々すっ飛ばして、早々にベッドに潜り込みたかった。とは言っても普段お目に掛かることの出来ない、広いバスルームとバスタブを心ゆくまで堪能したので、早々にベッドに潜り込むという訳にはいかなかったのだけれど。
 お風呂上がりに、冷たいミネラルウォーターを少し飲んで、漸くベッドに入った。一応このまま寝ちゃまずいよね〜、とガイドブックをぱらぱら捲って頑張ってはみたものの、セルフィ自身の意志とは反対に、いとも簡単に眠りの王の手に落ちてしまった。

 ベッドルームに入って来たアーヴァインが酷く落胆したのは、直ぐ後の事。