そうだ、海に行こう!

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「おにいちゃんまたきてねーー!」
 港に停泊しているバラムガーデン所属の高速艇に乗り込もうとした時、ふいに後ろから可愛らしい声が聞こえた。
「うん、また来るよーー」
 ステップに掛かっていた足を止め、数歩戻って声をかけて来た女の子に向かって、大きく手を振りながら笑顔で答えた。
 女の子の隣に立っている、穏和な顔をした年の割には皺の深い男性が、こちらに向かって深々とお辞儀をした。アーヴァインも姿勢を正し敬礼をして、今度こそガーデンへ戻る高速艇に乗り込んだ。
 高速艇が発進しても暫く外のデッキから、去りゆく景色を眺めていた。細く放射状に突きだした人工島に浮かぶ高級リゾート地、その向こう側にある街、更にずっと奥には切り立った険しい山が見える。その山頂には大きな電波塔があるが、ここからだと小さく見える。だがそれはうち捨てられていた以前と違って、塔の所々で白い光が点滅し、元気に稼働しているのだと主張していた。セルフィから、ここでSeeDの実地試験をしたのだと聞いていた。当時はガルバディア軍が電波塔を利用しようとしていて、その阻止に向かったものの、作戦自体は失敗で更に大きなメカに追いかけられて大変だったのだと話してくれた。
 その電波塔も今は、きちんと整備され本来の役割に戻っている。以前の戦闘による残骸で荒れたままになっていた、海岸も今は元の美しさを取り戻していた。
 徐々に離れていくドールの街を見ながら、『今度はセフィと一緒に、オフで来れたらいいな〜』とアーヴァインはぼんやり思った。




 バラムガーデンに戻ると、セルフィに「帰ったよ〜」とメールを送り、一端寮の自室に荷物を置いて、任務完了の報告をしに学園長室に向かった。学園長室の前まで来て、シド学園長は不在だということが判った。自室の端末で確認すればこんな無駄足はしないで済んだのに、つい大丈夫だろうとそのまま来てしまった。
「うーん学園長不在か〜という事は、スコールはんちょのトコ行かなきゃだね」
 丁度話したい事もあったし、アーヴァインはスコールの職務室へと向かった。インターフォンを押して「アーヴァイン・キニアス任務終了の報告に来ました」と言うと、直ぐにドアは開いた。正面奥の大きな窓を背にして、役職者用の大き目の机に所狭しとコンピュータやら書類やらが築いたその壁の向こうに、眉間にくっきりと傷とは違う皺を浮かべたスコールの姿が見えた。そういった人を寄せ付けない険しい表情ですら、“美しい”という表現がぴったりだなと、アーヴァインは暫しスコールの顔をまじまじと見た。その視線が気に入らなかったのか、「報告は?」と、スコールは冷たく言い放った。この辛辣さすら女の子にとっては、堪らない魅力なんだよね〜と一人うんうんと頷いて自分の世界に入りかけた時、ふと冷たいオーラを前方から感じた。余計な事を考えている場合ではない、さっさと報告しなければ、そのうちガンブレードを持ち出される事必死だなと悟り任務報告を開始した。


「そうか、ご苦労だった。所で今回の任務の報酬の一部として、“現物報酬”を受け取っている、あんたいらないか?」
 一通り報告を終えると、唐突にスコールはそう言った。
「現物報酬?」
 確かに今回の任務は、小さな民間団体からの依頼だった。赴いた先も街外れの保育園で、お世辞にも立派な保育園という訳ではなかった。正直SeeDへの依頼料も払えるかどうか、SeeD派遣の要請を受けてしまった事を気の毒に思った位だった。
「ああ、本来ならあんたのような高いランクのSeeDが就く任務では無かったんだが――」
「そんなの気にしないでよ〜、今回の任務は自分から志願したんだから」
 スコールの言葉を遮るようにアーヴァインは言った。偶然、依頼の時の会話を聞いてしまい、どうしても放っておけなくて、自分から志願した任務だった。
「分かっている、今回の依頼は元々ボランティアのようなものだ。ただ依頼先からどうしても受け取って欲しいと、気持ちだからと言われて受け取った」
「分かった、じゃありがたく頂戴します」
 そこまで言われては、依頼主の気持ちを踏みにじるような気がして、素直に受け取りたいとアーヴァイン思った。
「コレだ」
 と言って、スコールは2枚の細長い紙切れを差し出した。
 受け取って、じっくりと見る。手触りの良い上質の紙に、美しい書体で“特別ご招待券”と書かれていた。その斜め下には世界でも指折りの高名なチェーンホテルの名入りで。今日、帰りに眺めたドールの人工島にも系列のホテルがあった筈だ。
「スイートで無くて済まないとの事だ」
 招待券を暫し眺めていたアーヴァインに、かすかにスコールの声が届いた。
「いや、コレって、いいの?」
 色んな思惑が頭を駆け巡り(といってもセルフィ絡みのみだけど)、少々どもってしまった。
「依頼主とそのホテルの経営者は親友だそうだ」
「あ〜 納得。いやそういう事じゃ無くて、これスコールが使いなよ。リノア滅多にここから出られないし―――」
「そこはもう行った」
 今度はスコールがアーヴァインの言葉をすっぱり遮ると、少し不機嫌そうに横を向いて、そう言った。
「あ、そうなんだ……」
 流石というか予想外というか、残念なような嬉しいような、アーヴァインは複雑な心境だった。
「じゃあ、遠慮なく」
「セルフィは、今日から5日間外で任務だ」
 以外だった、スコールがそんな事を言ってくれるなんて。暫くぽか〜んとしていると、「それとも他に誘う相手がいるのか?」と真面目な顔で言われた。
「いるわけないよ!」
 すかさず、頭をぶんぶん振ってそう答えると、僅かにスコールの薄い色の瞳が笑ったように見えた。『からかわれた?』スコールでもそんな事するんだと感心した。さっきといい、以前よりもスコールは随分と砕けたというか、人との付き合い方が上手くなったというか、他人との壁を作る機会が減ったと思う。少なくとも“仲間”との間では。バラムガーデンのリーダーを努め上げた事、恋人を得た事、それらが彼に少なからず良い影響を与えたのは間違いないと、アーヴァインは思った。
「では次の任務だが、今ガーデンの設備の総点検をしている。そのチームに明日から加わって欲しい」
「え〜 休みなし〜 しかもそれ、ガーデンのてっぺんに昇らないといけないヤツだよね?」
 容赦のないスコールにささやかな抗議を試みた。
「終了予定は5日後、その後“共に”休暇3日だが」
「やります! 是非ともやらせて下さい! ガーデンのてっぺん大好きです!」
 抗議は自らの手であっさり取り下げ、あまつさえスコールの手を握り、やる気をアピールした。スコールは握られた手を鬱陶しそうに振りほどいた。
「分かった。それから、この前のイデアの家再建の案、シド学園長に話しをした。前向きに検討したいそうだ」
「了解〜、ではアーヴァイン・キニアス退室します」
 アーヴァインは緩む頬の筋肉を必死で引き締めて敬礼をし、スコールの職務室を後にした。
 その足で鼻歌を歌いながら、キスティスの職務室に向かう、セルフィの任務の詳細を教えて貰う為に。
「やっほ〜 キスティ」
 インターフォンに向かって満面の笑みで言った。直ぐにドアは開き、そして閉まった。鼻をドアに持って行かれるか行かれないかギリギリの所での出来事に、笑顔のままアーヴァインは固まった。
『今の、何?!』
 再びドアが開く。また直ぐに閉まるのではないかと、びくびくしながら取り敢えず右足だけを一歩踏み入れてみた。ドアは開いたままだ、閉まる気配はない。そこで漸くキスティスの職務室に身体ごと入った。
「いらっしゃい、アーヴァイン」
 何時にも増して、美しい笑顔を湛えた顔を向けられた。しかし、瞳だけが笑っていなかった。
『ヤバイ、キスティ何か虫の居所が悪そうだ』
 本能が危機を察知しここから早々に立ち去らないと危険だと訴えている。アーヴァインは、入ってきたままの体勢で後ろに大きく足を踏み出した。が、それより早く、無情にも後ろでドアの閉まる音がした。
「アーヴァイン、ゆっくりして行きなさいよ。今お茶でもいれるわ」
 もう逃れられないと、アーヴァインは腹をくくった。
「おかまいなく、キスティ」
 冷や汗が一筋背中を流れた。普段温厚なだけに、怒った時のキスティスは怖い、とても怖い。こう真綿でじわじわと締め付けられるような、精神的に追いつめられるような怖さ。
「椅子、これ使って」
 何やら椅子の背もたれに、可愛らしいキャラクターの絵が小さく描いてあった。おおよそキスティスの職務室に似つかわしくないそれを、怪訝な面持ちで見ていると、
「ああ それ、セルフィが『仕事は楽しく〜』とかって、そこに描いたの」
 と、思い出したように笑いながら説明してくれた。
「納得〜、キスティじゃないとは思ったよ〜」
 コーヒーの良い香りを立ち上らせるカップを受け取りながら言った。
「キスティ何か大変なの?」
 自身の椅子に腰を降ろし、ふぅとコーヒーカップに口をつけているキスティスに問いかけた。
「ん〜 まぁね。いつもの事だけど。SeeD任務のスケジュール管理、結構大変なのよね。出来るだけ適材適所に、とか考えるともう頭の中グルグル。いつも助けてくれるセルフィは外任務が入っちゃったし、ちょっと、疲れ気味かな」
「いつも、ご苦労様です。肩でもマッサージしようか?」
「ありがとう、でも大丈夫よ。貴方と話しをしたら、何だかすっきりしたわ。あなた達似てるわよね」
 アーヴァインはコーヒーをごくんと飲みながら「何が?」と訊き返した。
「う〜ん 何ていうか、癒し系? セルフィと話をしていると和むのよねー」
「時々そのままセフィのペースに巻き込まれる事も多いけどね」
「確かに」
 お互い、セルフィの事を思い出しくすくすと笑い合った。
「あ、アーヴァイン何か用があって来たんじゃなかったの?」
「うん、セフィのスケジュールどうなってるかなーと思って、今回入れ違いになっちゃったから」
「ん、ちょっと待って、えーと」
 キスティスは後ろのテーブルにカップを置くと、コンピュータをカタカタと操作した。
「あ、あった。今日から、月曜まで外任務ね。月曜の夜には帰って来るとは思うわ。あら、任務地ガルバディアの砂漠なのね、今の時期あそこはキツイわねぇ」
「うん、ハンパない温度差だからね」
「帰ったら、1週間はバスタブに浸かりたい気分になるわね」
「そうだね…、ありがとうキスティ助かったよ。あ、それから僕のスケジュールも足しといて、明日からガーデンの設備点検」
「え、休みなしなの? しかもガーデンの天辺に昇るアレ?」
「そう、それ」
 流石にセルフィと休暇を合わせる為とは言わない、きっとキスティスには分かってしまうだろうけど。
「あれ、意外と危ないから気をつけてね」
「ありがとう、キスティも適当に力を抜くといいよ。それと、ジャスミンティーとかも気分が落ち着くよ」
「今度試してみるわ、アドバイスありがとう」
 アーヴァインがここに来た時のようなトゲは無く、いつもの柔らかい笑顔でキスティスはお礼を言った。




 夜になって、セルフィが一息つけたであろう時間を見計らってアーヴァインは電話を掛けた。ドールで休暇を過ごさない?と提案すると、「行くーーー!! 絶対行くーーー!! 砂漠で身体干からびるよ〜」と二つ返事で返ってきた。
「じゃ、ホテルと、高速定期便の予約しとくね」
「うん、お願い〜」
 と予定はさくさく決まった。



※-※-※



「海〜海〜 楽しみ〜」
 セルフィは鼻歌を歌いながら、砂と汗まみれの身体を洗っていた。
 覚悟はしていたものの砂漠での任務は思った以上に過酷だった。砂漠調査団の護衛任務という事で、モンスターでも出なければ特にする事は無かったけれど、砂漠という土地に居るだけで通常の場所に居る時よりも体力は消耗された。救いは、宿所がテントではなく砂漠の外れにあるちゃんとした設備のある施設で、シャワーが存分に使えるという事が本当にありがたかった。
 あと五日間頑張れば他のSeeDと交代だ。そしてその後はドールの海で思いっきり遊ぶんだ。「おー!」と、セルフィは気合いを入れるように、片手を振り上げた。

 次の日からの四日間、休暇を糧にして頑張った。
 楽しみがあると不思議と頑張る気力が沸いてくる、単純だよね〜と思いながらも、任務に集中する事は怠らなかった。
 任務終了の夜、予定通り交代メンバーが到着し、引き継ぎも滞りなく終了した。次の日の朝、今回の同行メンバー達と共に、一端中継の為デリングシティに車で向かう。陸路伝いで帰るならティンバーの方が近かったが、今回は民間の飛空艇を利用してバラムガーデンに帰る事になっていた。
 セルフィはデリングシティで他の同行メンバーとは別れた。明日からの休暇の為の買い物をここで済ませようと、帰りの飛空艇を一本遅らせたのだ。
 大きな荷物をロッカーに預け、ウエストバッグ一つだけの身軽な身体になって街中へ出かける。まずは水着。海に行くのだから絶対の必需品。

 バラムよりも遙かに大きく華やかな街の、洗練されたショップのウィンドウを楽しみながら歩く。すると、ふと一つの店のウィンドウに目が留まった。飾られている好みの洋服をじ〜っと眺めていたら、店の中に居た綺麗な店員のお姉さんと偶然目が合った。お姉さんはセルフィに微笑んで軽く会釈をすると、直ぐに店の奥に行ってしまった。セルフィは何となく、このお店が気に入って店内に入ってみた。さっきの店員さんの姿は近くには見当たらない。そのことを少し残念に思いながら、本来の目的の水着コーナーへと向かう。

 可愛い物、セクシーな物、と色々なデザインや色があったけれど、どれも今ひとつピンと来なかった。う〜んと、水着コーナーの前で悩んでいると、
「何かお探しでしょうか?」
 優しく柔らかい声が聞こえた。声の方を向けば、さっきの綺麗な店員さんがさっきと同じような柔らかい笑顔で立っていた。
「どれが自分に合うのか分からなくて」
 正直に答える。
「そうですね、お客様だとこういうのは如何でしょう」
 店員さんはセルフィの居る裏側の列から、数着の水着を持ってきてくれた。それは今まで見た物とは系統の違うデザインで、スポーティな感じの物だった。どれも好みのデザインだったので、その内のどれかを選ぶのがこれまた難しく、「どれが一番似合うと思いますか?」とセルフィは店員さんに聞いてしまった。
「そうですねぇ」
 綺麗なお姉さんは暫く考えていたが、
「私の勝手な主観ではございますが、お客様は爽やかで快活な印象を受けましたので、こちらなど如何でしょう」
 と一着を示してくれた。
 それはビキニタイプではあったけれど、上はタンクトップのようなデザインで中央にファスナーが付いていた。水着なので胸元は比較的開いてはいるものの、セクシーという印象は受けない。下は股上の浅いホットパンツ型で、普通のジーンズのような作りで前と後ろとでポケットも四個付いている。
 セルフィは、店員さんお勧めのこの水着にする事にした。とても自分の好みと似合う服を選んでくれるセンスに嬉しくなって、ついでに水着の上に着る洋服も選んで貰った。

「またのご来店をお待ちしております」
 美しい笑顔で、ショップのバッグに入れた品物を差し出してくれた店員のお姉さんに、
「是非また来ます!」
 と満面の笑顔で答えてセルフィは店を後にした。
 ウキウキとした気分でその他の必要な物を買い揃え、軽く昼食を摂ってふと時計を見ると、空港に向かうのに丁度良い時間になっていた。気分の良い時は何事も上手く行くもんだな〜と思いながら、セルフィは空港へと向かった。


 飛空艇の座席に着くと、ふぅ〜と大きく伸びをする。あと数時間でバラムガーデンに帰れる。そして夜が明けたら楽しみしていた海、海、海ーー! アービンと海ーー! セルフィはそこでふとある事に気が付いた。というか今まで砂漠に居た為ひたすら水が恋しくて、それ以外はさっぱり頭に無かったので、その事に全く気が付かなかったというのが正しい感じだ。
『もしかして、二人きりで泊まりの旅行??』
 その意味を考えてみる。
『ええーーーっ?! それって…ちょっと、心の準備が〜』
 やっとその事に気がついたが、もう後の祭りだった。
 アーヴァインに誘われた時、「行く!」と即答したのは紛れもなく自分。セルフィは目先の楽しい事に、ついその先が見えなくなりがちな自分を小突きたい気分だった。
 別にアーヴァインと行くのが嫌な訳ではない。ちゃんと恋人として付き合ってるんだから旅行なんてごく普通の事だ、と自分に言い聞かせる。何度も呪文のように唱え、いつの間にか離陸した飛空艇の快適な飛行に、セルフィはいつしか眠りの中へと入っていった。


 その頃アーヴァインは、漸くガーデンの設備総点検の任務が終わる所だった。
 結局、点検のチームに加わった日から毎日、ガーデンのてっぺんに昇る事になってしまった。
 命綱を着けているとはいえ、結構な高所である為風が強い。時折強い風に煽られてバランスを崩しそうになりながらも
「ガーデンの皆の安全の為、セフィとの休暇の為」
 と歯を食いしばって、五日間の厳しい任務に堪えた。四日目には、このまま手を離したら空を飛べるんじゃないかと、危ない思考に陥りながらも何とか踏ん張り、ガーデン設備の総点検は特に問題も無く無事に終了した。
 任務終了後、あまりの疲労に荷造りする気力もなく、やっとシャワーだけ浴びて早々にベッドに入った。明日からのセルフィとの小旅行に、心弾ませながら。