Please don't cry

 パラパラとコンクリートの欠片がすぐ横を落ちていった。
 小さな欠片でも当たれば痛いし、ましてや子供には大きな凶器だ。
「もうちょっとの辛抱だから、がんばろ」
 今にも崩れ落ちそうな剥き出しになった鉄骨の狭い足場で、セルフィはその小柄な身体より小さな身体を庇いながら、出来るだけ優しい声で語りかけた。
 セルフィの下にある子供の身体は小刻みに震えてはいたが、ややあってぎこちなく頭が縦に振られた。
「セフィ、これに掴まって!」
 待ちこがれた救援者の声にセルフィは、落ちてきたロープを素早く身体に巻き付けてしっかり結ぶと、声の方に合図を送った。
「もう大丈夫だよ、ママに会えるからね」
 セルフィがそう言うと、彼女の服をぎゅっと握っている子供の顔に、やっと恐怖以外の表情が見えてセルフィは安堵した。



「セフィは?」
 救出した子供を警察の人間と共にいた親のところに連れて行った後、自分たちの車両に戻ってきてアーヴァインは見当たらない彼女の姿を捜した。
「今、中で手当してる。あ、いくらあんたでも男に見せられる姿じゃないから、終わるまで外で待ってて。ついでに帰還命令もそのうち出ると思うから、運転もよろしく」
 窓ガラスも車体も黒い大きな車を指差してシュウはそう言うと、別のけが人の方へ向かった。
 もう他にすることもなく、アーヴァインは黒い車体のドアの横に立ち、ふとそこに映った自分の影を見遣った。その背後には、一部が崩れた建物も映り込んでいた。

 相変わらず消滅することのないテロ。世界のどこかでは常に起こっている。中でも卑劣極まりない、弱者、特に子供を標的にするなど、聞いただけでも憤慨やるかたない。完全に防ぐことは出来なかったが、あの程度で済んだのは幸いだった。子供たちには死人も出なかった。それだけはよかった。
 セルフィはまた負傷してしまったけれど……。
 SeeDなのだからそれは宿命だと思っても、アーヴァインはあまりいい気はしなかった。
『セフィは自分を顧みなさすぎる』
 さっきも、同時に見つけた子供をアーヴァインが要救助と判断するより先に、セルフィはもう飛び込むように動いていた。結果的にはその判断は正しかったのだけれど。頭で考えるより先に行動をするのは、SeeDとして褒められた行動ではないように思えた。
 特にああやって負傷している姿を見てしまうと、SeeDをやめて欲しいとか思ってしまう。そのうち取り返しのつかない怪我や最悪な事態になるんじゃないかと不安になる。自分勝手な意見の上、悪い癖なのは分かっているが、セルフィがSeeDをやめない限りこの心配は絶えない。
 傍で守りたいと思ってSeeDの道を選んだのに、その願いはことごとく果たせないでいる。むしろ逆のことを突き付けられてばかりだ。自分の無力さを思い知ることばかりで、なんのためにSeeDをやっているのか本当の意義さえ見失いそうだ。
 それも自分の未熟さ故で、身も心ももっと強くなればいいだけの話なのだろうが。

「あ、終わりました。どうぞ」
 急に、黒光りするドアが開いて車から降りてきた救護士は、余程心配そうな顔をしていたのか、アーヴァインにそう言って中へ入るよう促した。
「ありがとう」
 去っていく救護士に礼を言ってアーヴァインは車の中へと入った。
「アービン」
 嬉しそうな笑顔ではあるけれど、頬に走った朱い傷を見てアーヴァインは眉根を寄せた。
「ありがとね〜、ちょっとダメかも〜って思ってたから、アービンがいてくれてホント助かったよ〜」
 嬉しい言葉をかけられたはずなのに、車外の太陽のような笑顔とは不釣り合いな、切られたユニフォームの胸元から覗く白い包帯がアーヴァインにはとても痛々しく見えた。
 アーヴァインが不機嫌そうな顔でじっと自分を見ているのが気になったのか、「大袈裟だよね、ケガは大したことないのに、こんなぐるぐる巻きにされちゃった」と言った後、セルフィは照れくさそうに笑った。
 アーヴァインは何も言わず、傷の走った頬に手を伸ばした。
「アービン……?」
 ただ黙って頬を撫でるアーヴァインにセルフィは戸惑った。
「もしかして怒ってる?」
 険しい表情を崩さないアーヴァインに恐る恐る訊ねる。
「別に」
「ウソだよ。びしっとスコールみたいな皺が眉間に入ってるもん」
 声だって冷たい、セルフィはそう思った。
「こんな傷、顔につけちゃってさ。セフィは女の子なのに」
「え?」
 そんなことで機嫌が悪いのだと、セルフィは思いもしなかった。傷や怪我なんか今に始まったことではない。SeeDなんてやっていればそれは当然のことだ。今更そんなことで怒るなんて、見当ちがいだ。
 そう言おうと思ってセルフィは口を開きかけたが、いつの間にか悲しげな色も加わったアーヴァインの顔を見て、反論する気持ちは消失した。

 アーヴァインだってそんなことは解っている。
 自分でSeeDの道を選んだのだから。

 だが頭では理解していても、感情はまた別なのだ。
 大切な人が傷つくのは見たくない、傷ついてほしくない。
 そう思うのは自然なことだ。自分だって同じだ。アーヴァインが傷つくのは見たくない。イヤだ。
 どんなに矛盾していると解っていても。


「こんな傷すぐに消えるよ。アービンはケガしなくてよかっ――」
「ケアル」
「あ……」
 セルフィの頬に触れた指先から温かい何かがふっと流れ込んだ。
「ダメだよ、魔法使っちゃ」
「まだ任務中だから、許されるよ」
 一応そうは言ってみたものの、本当はそんなこと全然思っていなくて、セルフィはアーヴァインの優しさが嬉しかった。多分、同じように言ってくれる人はいる。けれど、アーヴァインほど嬉しくはない。
「こっちはダメかな」
「え!? あ、いい、こっちはいい。大丈夫」
 胸に捲いている包帯の方に視線を感じて、セルフィは慌てた。確かにこの傷の手当てをしてくれたのは民間の人だから、魔法もアイテムも全く使用をしないで手当てを受けたけれど、さっきアーヴァインに言ったように本当にかすり傷程度なのだ。
「そっか。じゃ、そっちは後でね」
「え、あ」
「あ、シュウ先輩から連絡」
 聞き捨てならないことを言われたような気がしたが、残念ながらアーヴァインはシュウとインカムで話をしていて聞き返すタイミングを逃した。


「もうちょっとしたらガーデンに帰るって」
「わかった」
 アーヴァインがそう言った後、セルフィは傷のあった頬を指で撫でみた。もう指に引っかかるものはない。傷はアーヴァインがかけてくれたケアルですっかり癒えたようだ。
「傷は消えたよ」
 傷を確かめていたのに気づいたのかアーヴァインがそう言ってくれた。
「そうみたいだね」
「セフィ、魔法だって万能じゃないんだからさ。あんまり無茶しないでよ。さっきの、一歩間違えればセフィも危なかったよ」
「……うん…」
 セルフィは素直に返事をした。アーヴァインの言うとおり、彼がいることに勝手に安心して、ちょっと無茶をしてしまったとは思っている。
 壁が崩れて、それと一緒に落ちかけた生徒を目で捉えるとほぼ同時、もうそこに飛び込んでいた。頭で考えて判断したというよりは、視覚で捉えた物を見て感覚で動いた、と言った方が近い。それでもちゃんと判断はしたのだ。生徒を掴んだ後どうするか。

「って、こんなこと言っても、またあんな場面になったらセフィは飛び出して行っちゃうんだろうけどね……」
 苦い笑顔を張り付かせたアーヴァインに、セルフィは罪悪感を感じた。セルフィの行動に釘を刺しつつも、止めることはしない。諦めなのか、許容なのか。後者ならば、セルフィのために無理をして言っているんじゃないかと思った。
「けど、さっきはアービンが近くにいるのわかってたからだよ」
「だからと言って大丈夫だとは限らないでしょ」
「……うん、無茶はしないようにする」
 そう返事をすると、やっとアーヴァインの表情が和らいだ。そしてセルフィもホッとした。険しい顔は、優しいアーヴァインには似合わない。

 けれどその優しさが心配になる時もある。例えば――。
「もしさ〜、あたしとさっきの子と二人共あそこで落ちそうになってたとしたら、アービンはあの子の方を選ぶよね?」
「……ああ、そうだね」
 すこし間を取ってアーヴァインはそう答えた。
「よかった」
「それはセフィがSeeDだからだよ。ちゃんと訓練を受けたSeeDだから、あの子より自力でなんとかできる確率が高いから。その後でちゃんとセフィも助けるよ」
 それを聞いてセルフィは肩を落とすように息を吐いた。アーヴァインはいつでもアーヴァインなんだなと思う。呆れるくらいに優しい。
「これって前に読んだ本に出てきた質問なんだけどね、選ばれなかった方は助からないの。あ、でもアービンの選択は正しいんだから罪悪感とか感じないでよ〜」
 それでも、時にその優しさは不要になる。特に任務遂行時に於いては、情や優しさといった感情は切り捨てなきゃいけないこともある。
「イヤだよ、そんなの」
「イヤじゃなくて、そういう結果なの。もしあれがアービンとあの子だったら、やっぱり同じ理由で…あの子の方を……」
 包帯の内側の傷がジクッと疼いた。
「あの子の方を選ぶよ」
 何かが少し引っかかったけれど、セルフィはきっぱりと自分の考えに添った答えを言い切った。
 その後急に胸の傷がズキンズキンと痛みだして、セルフィは思わず俯いた。

『ちがう、傷が痛いんじゃない、これは……』
 痛みを感じているのは傷とは全く別の場所だった。なぜ急に痛みだしたのか。セルフィはなんとかしようと、痛む部分の服をぎゅっと握った。
 けれど痛みは治まるどころか、涙が出てきた。
「セフィ、傷が痛むの?」
 アーヴァインが近寄った気配と、気遣わしげな声がした。


「ケアルかけるから、見せて」
 アーヴァインはセルフィの肩に手を置いて優しく語りかけた。
「いい!」
 拒絶するような強い口調で肩に置かれた手をはねのけ、セルフィはアーヴァインの顔を見た。
「でも……」
「ちがうから……傷が、痛いんじゃ……ないから」
 そう言ってセルフィは再び俯いてしまった。
「――セフィ」
 それでもアーヴァインはセルフィを放っておけず再び彼女に手を伸ばした。
 傷が痛くて泣いているんじゃないとすれば、心の痛みだ。自分はまた気がつかないうちに彼女を泣かせてしまったのではないか、そう思ったのだ。
 肩に触れた手を、今度はセルフィは振り解かない。そのままぐっと自分の方に引き寄せて、そっと胸に抱き込んだ。
「ごめん、僕が泣かせたんだね」
「……ちがう、アービンが悪いんじゃない、あたしが悪いんだよ」
 震える声は胸を叩くようだった。
「どうして? セフィはなにも悪いことなんて言ってないよ」
「自分がキライ。……一番大事なアービンより、ほかの人間を選んでしまう自分がキライ。大っキライで許せない!」
 背中に回された手がぎゅっと服を掴んだのを、アーヴァインはまるで自分の心臓を掴まれたかのように感じた。


 SeeDの自分と、一人の人間としての葛藤。
 両者はまったく逆の選択を願う。
 どちらを選んだとしても、深い傷となって一生ついてまわるだろう。
 それは自分も同じ。
 セルフィの感じている痛みは、自分の痛みでもある。


「セフィ、泣かないで。僕はSeeDだから絶対生き延びるよ。だから、ねっ、泣かないで」
「……ごめん、アービン」
「あやまらないでよ。僕だって同じだから。――だから自分をキライだとか言っちゃダメだ。そしてセフィも絶対生きて、生きると誓って」
「うん……」
「もう泣き止んで。ガーデンに帰ったら、セフィの好きなデザートおごってあげるから」
「……ん…」
 アーヴァインは強くセルフィを抱きしめてから、ゆっくりと彼女を離し、流れ落ちる涙を拭った。


 強い信念と不安定な未来。
 未熟な自分たちにはまだ不安の方が大きい。
 今はただ、互いの想いを信じ、それに縋るしかない。
 未来に何が待つのか、誰にも分かり得ないと知っていても――――。


 止まらない涙を止めるのを諦めて、アーヴァインはもう一度セルフィを抱きしめた。


互いにSeeDであるということは、良い面もあり、悪い面もありです。
二人には、まだまだ乗り越えなきゃいけないことがたくさんです。(最近セルフィを泣かせすぎのような気もする……ごめん)
さっさとセルフィ・キニアスになれば、その大部分は解消されると思うんだけど、そう簡単にはいかないのが、この二人……。
けどな〜、セルフィ、いいかげん泣き止めないと、ガーデンに帰ってからが……コワイ。(^-^;)
セルフィの胸のケガ、アーは絶対後でケアルかけると思う。ケアルガでもなく、ケアルラでもなく、ケアルを、もしくはポーション。

この話のちょこっと続き 『疵』

(2010.02.01)

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