アーヴァインは、ドアの前で来訪を告げるインターフォンがなかなか押せずにいた。
 インターフォンを押した後返ってくる言葉をシミュレートすると、どうにも好意的なものは期待出来ない気がしたのだ。
 ずっと手に入れたくて堪らなかった存在なのは確かだ。大切で、大切で、愛おしくて、すべてのものから守りたい。だから、こうしていつも傍にいようとしてしまう。ひょっとしたら、もう干渉という域になっているのではないかと思うくらいに。それを心配と受け取って貰えている間はまだいい。
 だが、干渉までいくと、きっと、彼女は嫌がる。
 自分でもその意見に同意だ。いちいち心配し過ぎている。
 元来、彼女は守られるのを良しとする女の子ではない。守られるより、守ろうとする。困難にぶつかっても、まず自力で何とかしようと考える。近くで彼女を見てきたのだ、それくらいは理解している。
 自分で切り開いていく姿は羨望すら憶える。
 それでも、彼女を護りたい、頼りにもしてほしい。ただ見ているだけのはもどかしくて、つい行動に移してしまう。けれど、フッと、今みたいに我に返って、何の役に立っているのか疑念が湧く。過度に気遣うのは、護るためではなく、彼女に置いていかれるような寂寥感を打ち消すためではないのか。
 相変わらず、ネガティブで、我が侭で……。嫌になるくらい、自分の欠点に気づかされる。
『ダメダメだな……』
 アーヴァインは佇んだまま指を開き、手の中をじっと見つめた。
 この手で掴んだものは大きく、手放しがたい。だがそれに見合うだけの度量は持ち得ているのか――――。

「アービン、なにしてるん?」
 突然、アーヴァインの予想もしないところからその大切な存在の声がした。
「セフィ、部屋に帰ってなかったの?」
「あ、うん。カドワキ先生に呼ばれちゃって」
 驚いたアーヴァインが声の方に向くと、セルフィがリノアと歩いてきていた。足取りは軽いが、バトル用のユニフォームは胸の辺りが破けたままだ。破けた辺りから覗く白い包帯も、任務地で手当てを受けた時と同じ。校医のカドワキ先生のところへ呼ばれていたというのに、なぜまだ包帯をしたままなのか。任務での負傷は、魔法やアイテムでの治療が許可されているはずなのになぜなのか。アーヴァインは我が侭にも似た不透明な感情に、顔が強張っていくのを感じた。
「ほらね〜、やっぱりいた」
 リノアがに意味ありげな笑顔でセルフィにそう言った後、続けてアーヴァインにもニッと笑う。
「じゃ、セルフィ、私行くね。私の言ったことちゃんと憶えててね!」
「うん、わかった。ありがとう、リノア!」
「あ、キズは完全に消えるまで1日ガマンしてね〜」
 リノアはセルフィに別れを告げアーヴァインにも同じように手を振ると、艶やかな黒髪をふわりと揺らして走り去った。
「アービン、もしかしてここで待っててくれた?」
 セルフィはリノアの姿が見えなくなるまで見送ってから、自室の前に佇むアーヴァインに問いかけた。
「うん。あ、いや、丁度今きたとこだけど……」
「そっか、じゃ中入って」
 セルフィは浮かない顔で突っ立ったままのアーヴァインを押すようにして、自室へと入った。


「とりあえず、ソファに座ってて、今お茶淹れてくるから」
「セフ……」
「あ〜、大丈夫。傷はリノアが治癒しくれたから、今は多分うす〜く痕が残っとるくらい。それも1日で消えるて。この包帯は、ユニフォームが破れてるからそのままにしといてあるだけ。せやからアービンはなんも心配せんでええよ」
 何か言いかけたアーヴァインを制してソファに座らせ、セルフィはキッチンへと向かった。
 ケトルに水を入れ、コンロのスイッチを入れた後、シンクの縁に手をついて、はあ〜と息を吐く。
『アービンにあんな顔させてんのはあたしやな〜』
 リノアの手前だったせいか、はっきりとそう分かる表情ではなかったけれど、セルフィにはちくんとした痛みを憶えるような愁いを帯びた顔に見えた。
 アーヴァインがそんな顔をしている理由は、さっきリノアに言われたものだと思う。
 怪我の診察に来いと言われて行った保健室でも、カドワキ先生に同じようなことを言われた。
『少しは自分の身体を労りな』
 カドワキ先生には、男子SeeD並のケガの仕方だと呆れられた。
 セルフィにとっては任務で怪我をすることなど当たり前で、場合によっては傷痕が残るのもしょうがないと思っていた。承知の上でSeeDの道を選んだ。カドワキ先生にそう言ったら、「それは間違っちゃいないけど、避けられた怪我も多いだろ。それに自分の身を守るのもSeeDの役目だ」と、返され、思わず考え込んでしまった。
 カドワキ先生の言う通りだ。自分の身も守れなくて、他人を守ることなんか出来ない。そのことをないがしろにしていた。

 その後、任務で負った怪我だからと、魔法での処置をカドワキ先生に勧められて、一緒にいたリノアが包帯を外してくれて思いっきり眉をひそめられた。
「女の子だって自覚しなさいよ。身体は一つしかないんだよ。それに、傍で見ていたアーヴァインもすっごく心配してると思うよ」
 リノアは傷を癒やすように撫でて、泣きそうな顔になってた。
 その時になって、やっと理解したことがあった。自分だってリノアやカドワキ先生がこんな怪我していたら、やっぱり心配にもなるし、悲しい。いつも傍にいてくれるアーヴァインなんか尚更だ。
 それに彼はもっと以前から、忠告してくれていたではないか。
 昼間の任務先で言われた、魔法だって万能じゃないんだから無茶はするな、というアーヴァインの言葉がセルフィの胸に蘇る。
 自分の力量を過信しているつもりはないけれど、勢い余って無茶をしてしまうことがあるのは事実だ。特に今日はアーヴァインが一緒にいたから、すこしくらい無茶をしても大丈夫だとか、勝手に思っていた。
『やっぱ過信してたんやない、あたし。アービンのことも勝手にアテにするし。コレ、子供の頃からの欠点やな〜』
 セルフィが罪悪感で溜息をついた時ケトルがピーという高い音を立て、湯が沸いたことを知らせてくれた。



「今日はコーヒーね」
「ありがとう」
 熱い湯気と良い香りを立ち昇らせるカップをアーヴァインの前に置き、セルフィは自分のカップを持って彼の隣に腰を降ろした。
 しばらくの間、コーヒーをすする音だけが部屋に響く。
「ごめんね、アービン」
「なにが?」
「昼間の任務のこと」
「セフィが泣いちゃったこと?」
「そうじゃなくて!」
 まさかそっちを突っ込まれるとは思ってもいなくて、セルフィは熱いコーヒーを吹きこぼしそうになった。
 そして時間が過ぎて、冷静になった今としては恥ずかしい出来事を思い出す。
 例え話としてしていた会話の中で、SeeDの自分の答えとして、一般の人とアーヴァインとが同時に危機に陥っていたら、一般人の助けると言った後、ピーピー泣いてしまった。
 誰より、何よりアーヴァインが好きなのに、そう行動を取るであろう自分が許せなくなって、悲しくて、泣いた。しかもアーヴァインの胸で。
 そのことを思い出して、カーッと羞恥で頬が熱くなる。SeeDとしてはみっともない姿だったと思う。追い打ちをかけるように、その相手が隣にいるし……。
 それでも、アーヴァインが来てくれてよかったと思っている。嬉しくて、ちょっと鼓動が速い。
 こんな風にナーバスな気分の日は、ついアーヴァインの傍にいたいと思ってしまう。傍にいてほしいと思う。もしアーヴァインが来てくれていなければ、きっと自分から彼のところへ行っていた。
 アーヴァインの思い遣りに対する、甘え――――だと解っていても。あの、たとえようもない心地よさを知ってしまったら。
 そんな時アーヴァインがよく言ってくれる「大丈夫だよ」という優しい声と言葉に、心が柔らかく解きほぐされていく。暖かく包んでくれる彼の腕や胸は、ゆるやかに確信へと変えていくような安心感をくれる。
 一体以前の自分は、どうやってそれらをひとりで乗り越えていたのか。
 カケラも思い出せないくらい、もう、ずっと長い間そうだったかのように、心にも身体にも馴染み過ぎてしまった。

「セフィ?」
 じっと黙ったままのセルフィを、アーヴァインは怪訝に思い覗きこんだ。
「あ、ごめん。ぼーっとしてた」
「そっか。……あ〜、のさ、セフィ。今日の任務のことだけど、僕を信頼してくれたからあそこで飛び出して行ったのは理解してるけど、やっぱり僕は――」
「うん、ごめん! アービンに甘えてたのも、油断してたのもホント。だから、ごめん! もう、あんな無茶はしない。しない……ように努力する。ケガも……」
「――セフィ」
「ごめんね、アービン。心配ばっかりかけて」
 今日のセルフィはいつもの任務終了後の彼女らしくなく、妙におとなしいのがアーヴァインには気にかかった。
「カドワキ先生に何か言われたりとかした?」
 そう問いかけると、セルフィは「えへへへ」とちょっと舌を出して笑った。
「うん、言われた。身体大切にしろって」
 自分以外にも同じことを言われて、いつもよりおとなしくなっていたのかと思う。
「……でね、アービン。今日、一緒にいてくれる? アービンが一緒にいてくれるとね、安心するんだ」
 照れくさそうに仄かに頬に色を載せて言われた言葉に、ちょっとばかり驚く。おとなしいだけではなく、今日の彼女は素直でもあるとか……。
 アーヴァインは、ピコーンと条件反射のようにセルフィの言動にのみ反応するセンサーが働くのを感じた。
「いいよ。どうせこれから休暇だし。セフィが望むならいくらでも一緒にいるよ〜、なんならお風呂も。ケガがどんな具合か、この目で確かめたいし、ね」
 アーヴァインがそう言うとセルフィは、まだ任務帰りの破れたユニフォームのままだったことを思い出したのか、キョロキョロと自分を見下ろした後、包帯の巻いてある右胸の上のあたりで手をぎゅっと握る。
「はっ、はははははは。それは遠慮する」
「ふう〜ん。じゃ、がんばって“遠慮”して。僕もがんばるから」
「なッ、何をがんばんねんっ!」

 夜もすこし更けたころ、とある女子SeeD寮の一室ではそんな声が木霊していた。

【疵】という文字には、『きず』という意味のほかに『欠点』という意味もあります。
自分には欠点だと思っていることも、他人には羨ましく見えていたり。今回はそんな二人〜。そして毎回こんなアーで、もう。
(2010.05.15)

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