いくつ季節を過ぎてもここに…

3
 聞き慣れたメロディが小さく流れている。
『この音何だっけ?』
 そう思っているうちに音は鳴り止んだ。寝ぼけた頭はそれから直ぐに、携帯のメールだった事を思い出した。目を擦りながら、ごそごそと手を動かして、枕元に置いてある携帯電話を取り上げ開く、ディスプレイに映し出された時刻は、早朝と言っていい時間だった。ボタンを押して届いたメールを読む。『後30分位で着くよ』とアーヴァインからのメッセージ。
「う゛〜 アービン、こっちまだ朝の6時やって…」
 セルフィは、大きく欠伸をしながら、ディスプレイに向かって呟いた。普段ならまだ起きる時間ではないけど、今から寝ても直ぐに起きなけければならない、もうこのまま起きる事にしよう。
 アーヴァインが外任務に行ってからも、昨日まではやっぱりよく眠れなかった。でも、昨夜寝る直前にアーヴァインからメールを受け取った後は、不思議とぐっすり眠れたような気がする。今朝はとてもすっきりした気分だし。それに今日は、ガルバディアガーデンとトラビアガーデンからの来客を迎える大事な日でもある。連日その資料作りで、身体が疲れていた所為もあって、ぐっすり眠れたんだろうなとも思った。
「よし今日も一日頑張ろう!」
 勢いよく、ベッドから起きあがる。カーテンを開けると、太陽はもう地平から顔出し眩い光を放っていた。
 手に持った携帯のシルバーのストラップが揺れ、太陽の光を受けてキラリと光った。


 食堂で、サンドイッチとホットミルクの軽い朝食を摂りながら、アーヴァインにメールを打った。夕方以降こちらの勤務が終わった後、都合の良い時間を教えて欲しいと。
「ちょっと早いけど、キスティスの職務室行くかな〜」
 食器とトレイをカウンターに戻し「美味しかったです!」と一言添えて、まだ人も殆ど居ない通路を、鼻歌を歌いながらセルフィはキスティスの職務室へ向かって歩いた。

 ふと、前方に懐かしい制服の一団が視界に入った。
『トラビアガーデンからの人達着いたんやな、知ってる子いてるかな〜』
 かつての親しい旧友の姿を捜して、セルフィはその場でトラビアガーデンからの一団が来るのを待つ。自分の見知った顔を捜したが、挨拶をした事のある程度の生徒が二人しか見当たらなかった。横を通り過ぎる一団に一通り会釈をして、再び歩き出そうとした時、ある顔が目の端に止まった。
 僅かに、負の感情が胸をよぎる。
「やあ 久し振り、セルフィ・ティルミット」
 背が高く、金髪碧眼の綺麗な顔立ちの男が、腰に手を当て、セルフィを見下ろしていた。
「こんにちは、ジュード・ディスケス。バラムガーデンへようこそ、来客用の受付はあちらです」
 ジュードと呼んだ青年に、トラビアガーデンの一団が向かっている先を手で示し、心に湧き上がる感情を押し殺してそれだけ言うと、セルフィは素早くその場を立ち去ろうとした。
「待てよ、セルフィ・ティルミット。久し振りの再会にそれはないんじゃないか? それとも誉れ高きSeeD殿は、下々の者とはもう口も聞けないとでも?」
 SeeDの制服を着たセルフィを、下から睨め回すように見上げて、腕を掴み、慇懃無礼にぶつけられる言葉に、セルフィは頭に血が上って行くのを感じた。
「離して下さい」
 言いたい言葉を押し殺し、一言だけ絞り出すように告げる。
「つれないなあ、元恋人に学園内の案内位してくれても、いいと思うんだけど?」
「これでも忙しい身なので、申し訳ありませんがご希望には添えません」
「そんな他人行儀な喋り方しないでさ、少し位ならいいだろ。案内してよ」
「離して下さい」
「なあ、ええやん」
 一向にこちらの話を聞いてくれそうにない態度に、理性の糸が何本か切れた。今まで必死に押し殺していた感情が、堰を切って溢れ出す。
「あんたの事なんか、一度かて恋人やなんて思うた事あらへん。寝言を言うのもたいがいにしいっ!」
 掴まれていた腕を、引き千切るように振りほどき様に言ったセルフィの声は、人気の無い通路に大きく反響した。肩で大きく息をし、射るような瞳で目の前の青年を睨んだが、青年は僅かに肩を竦めただけで、相変わらず不躾な笑みを浮かべてセルフィを見下ろしていた。


 出会った時はこんな人間だとは思わなかった。
 トラビアガーデンでの成績はトップクラス、その上家柄も良くて、整った顔で、人当たりが良くて、学園内で女の子の人気はダントツだった。その彼が良く自分に声を掛けてくるようになったのはいつの事だったろう。自分に声をかけてくる理由がさっぱり分からない上に、好きなタイプではなかった。何かにつけて話しかけて来られて、その度に自分に向けられる女の子達の、羨望と嫉妬の混じった視線がとてもイヤだった。お陰で陰湿な嫌がらせを受けたコトもある。話をしていても、共通の話題がある訳でもなく、楽しくもなかった。こっちの態度からそれはジュードにも分かっていたと思う。
 なのに何故、こうも自分にまとわりつくのか、セルフィには理解し難かった。
 ある日突然その理由が分かった。彼は確かに成績は良かったけれど、武術系だけはセルフィの方が上だった。プライドの高い彼はそこが許せなくて、自分に近づいたのだという事を、本人が話しているのを偶然耳にしてしまった。更に、陰では盛大に他人の悪口を言いまくるという、性格の悪さまで露呈させて。真相が分かると、なんて器の小さい男だろうと苦笑した。
 その後も、真相を知られていないと思っていた彼は、しつこくまとわりついて来たけれど、既に自分はバラムガーデンに転校する事が決まっていたし、何も知らない女の子達の夢を壊すのも躊躇われた。詰めの甘さからその内彼の性格の悪さはバレるだろうと思い、そのまま放置してセルフィはバラムガーデンへ来た。
 だが、このバラムガーデンで、もう会う事もないだろうと思っていた、ちっとも変わっていないこの男を目の当たりにして、堪忍袋の緒が切れた。もうはっきり、引導を渡してやった方がこの男の為だ。
 セルフィが、目の前の男の鳩尾に一発くれてやろうと、構えの姿勢を取り、拳を繰り出しかけた時、ふいに直ぐ後ろから声がした。
「セフィ」
 聞き慣れた、少し低く柔らかい声。
『うわ、よりによって、このタイミングで』
 ゆっくりと振り向くと、肩に銃の入ったケースを担ぎ、手には大きなバッグを持ったアーヴァインと、同じような荷物を持ったスコールが立っていた。
「お疲れ様、アービン、スコール」
 笑顔でと思ったのに、この状況で上手く感情を切り替える事が出来ず、酷い作り笑いになってしまったのが、セルフィにも良く分かった。
「セフィ、トラビアの友達? 僕にも紹介してくれるかな」
 いつもの口調と笑顔のアーヴァインに、さっきの自分の声は聞こえていなかったのだろうと、セルフィは少しホッとした。
「僕は、トラビアガーデンでセルフィと仲良くさせて貰っていた、ジュード・ディスケスです、よろしく」
 セルフィが紹介するより先に、ジュードがにこやかな笑顔と共に、アーヴァインに握手を求めた。
「僕は、バラムガーデン所属のSeeD、アーヴァイン・キニアスです。ついでにセフィの恋人」
 アーヴァインは涼やかな笑顔で握手に応えた。
 ジュードは、SeeDという言葉と、自分より少し背が高く、見た目も悪くない相手に一瞬眉をひそめたが、直ぐに元の笑顔に戻した。まさかとは思ったが、二人がさっき愛称で呼び合っていた事から、恋人というのはあながち嘘ではないのかも知れない。別にそれだけなら構いやしない、元々ステイタスの一部として、恋人ポジションのセルフィに利用価値があっただけの事。だが、自分の方には全くなびかなかったのに、自分と同等かそれ以上の恋人が居るというのは、自尊心が許さなかった。
「へえ 君がセルフィの恋人」
 ジュードの語気がさっきとは違って、明らかに冷たくなり、瞳には敵視とも蔑視とも取れる色が浮かんでいた。
「ええ」
 その、感情を隠そうともしない不躾な視線にも感情を露わにする事なく、アーヴァインは余裕の笑みを見せる。
 それがまたジュードの神経を逆撫でした。
「それじゃあ、君は知ってるかな。彼女キスする時――」
 そこまで聞こえたのと同時、アーヴァインは腰のホルスターに手を掛けていた。いくらSeeDと言えど、ガーデン内の規定の場所以外で武器を使用する事は堅く禁じられている。絶対的な規則を、一瞬の内に霧散させてしまう程、今のアーヴァインにとって重要な事が起こっていた。
 だが銃をホルスターから引き抜くより早く、何かに阻まれる。
「落ち着け」
 背後に静かにスコールの声を聞いて、アーヴァインは我に返った。
 ホルスターを見ればスコールの手に押さえられていた。
 激情に流されかけた心を深呼吸をして落ち着かせ、アーヴァインは再びジュードの方に視線を戻す。彼は頬を押さえ、身体を支えるようにして壁にもう片方の手を付いていた。隣にいるセルフィが大きく肩で息をしている。悲しみとも怒りともつかぬ顔をしているのが、アーヴァインの胸を強く打ち付けた。
「トラビアガーデンからの客人、本日の会議の出席者なら、君はトラビアガーデンの代表者だ。その自覚があるなら、今すぐここを立ち去った方がいい」
 アーヴァインの隣に進み出、スコールは静かに言った。
「お前は?」
 制服をぱんぱんと叩き、居住まいを正しながら、ジュードは声の主に刺すような視線を向けた。
「この二人の友人と同じ、バラムガーデンのSeeDスコール・レオンハート。本日の会議ではバラムガーデンの代表を努める」
「あの…スコール・レオンハート…?」
 ジュードにもその名前は聞き覚えがあった。今やガーデンで学ぶ者なら、知らぬ者などいないであろうその名。悪しき魔女を葬り去ったという数人のSeeD達、中でも一際目覚ましい活躍をした、伝説的とも言えるSeeD。確かに聞いていた風貌と重なる。額に一筋の傷を持ち、冷徹とも思えるような美貌の持ち主だと。
 そして何と言った? 二人が友人? つまりこの二人は、もしかしたら魔女討伐のメンバーかも知れないという事か!?
 改めて、ジュードはスコールの方を見た。
 自分の知り得ないものを多く見て来たであろう薄蒼の瞳は、静かにそして揺るぎない強さを宿して、ジュードを真っ直ぐに見据えていた。
 ジュードは握った手の平にじっとりと汗が滲むのを感じた。
「今までの非礼を詫びる、どうか許して欲しい」
 ジュードは、僅かに震える声で、セルフィに頭を下げた。
「では、他の者達が待っているので失礼する」
 動揺しているのを悟られないよう、精一杯の虚勢を張り、ジュードは、先刻一緒に来た一団の方へと歩いていった。
 去っていくジュードの背中を見つめていたセルフィは、改めてアーヴァインとスコールの存在に気が付くと、どうしようもない居たたまれなさに襲われた。
 特にアーヴァインにはこんな所見られたくなかった。そう思った瞬間、とにかくこの場を逃げたい一心で走り出していた。キスティスの職務室とは逆の方向へ。
「セフィ!」
 急に駆け出したセルフィに向かって、思わず名を呼ぶ。アーヴァインは、今すぐ追いかけたい気持ちで、スコールを振り返った。
「行け」
 たった一言。そして、スコールの瞳は「後の事はやっておく」と、アーヴァインには読み取れた。
「ごめん」
 その場に荷物を投げ出し、アーヴァインはセルフィの後を追った。
 アーヴァインの後ろ姿を見送りながら、スコールは携帯電話を取り出し「セルフィは、今日は少し遅れるかも知れない」と、キスティスに電話を入れた。




 何で寄りによってこっちに来ちゃったんだろう。あのままキスティスの職務室に向かえば良かったのに。そうすれば部屋の中から鍵を掛ける事が出来る。誰にも会わないですむ。キスティスになら、泣き顔を見られても構わない。セルフィは走りながら、どこか落ち着ける場所を探していた。
 ガーデンの中で人の居ない場所――。

「中庭!」

 大きな木のビジョンが頭に浮かんだ。あそこなら、この時間に人は居ない。左へ通路を曲がり、建物の外に続く階段を駆け上がり、朝露を乗せた短い緑の草の上、大きな幹にたくさんの枝を伸ばし、空を遮るように葉を繁らせている木まで一直線に走った。昇って来た階段からは死角になる所に周り込み、幹にもたれて息をつく。
 口惜しい、何であんな男の所為で涙なんか……。アーヴァインには見られたくなかった、あんな自分の醜い姿。いくら許せなかったとはいえ、人を罵倒し、あまつさえ平手打ちまでしてしまった。
『あんな姿、アービンには……』
 止め処なく溢れる涙を拭うこともせず流れるにまかせセルフィは、目を閉じ大木にもたれ立ち尽くした。




 セフィ、セフィ、どこに……。
 通路が複数交叉する所で、アーヴァインはセルフィを見失ってしまった。
 落ち着け、考えろ、セフィの行きそうな所はどこか、こんな時彼女はどこへ行く?
 膝に手を付き、大きく息をしながら考えを巡らす。

―― ここね、あたしのお気に入りの場所 ――

 いつだったか、セルフィがそう言っていた場所、大きな木のある……。アーヴァインは、走った。そこだと直感して。
 中庭へと向かう階段を三段飛ばしで駆け上がる。視界の前方、僅かに左の方向に大きな木が一本立っている。その場所を目指して、アーヴァインは呼吸を整えるように、ゆっくりと歩いた。もし、ここに居なかったら他にはどこがあるだろう、そう思った時、幹の端にSeeD制服のスカートの裾がほんの少しだけ見えた。
「良かった、ここだ」
 深呼吸をして、幹の向こう側へと歩を進める。
「セフィ…」
 彼女を驚かせないよう、小さく呼びかけたつもりだった。だが、振り向いた顔は、どこからどう見ても驚かせてしまったとしか言い様がなかった。しかも今まで誰にも見せた事のなかった、涙を流して――。その姿にアーヴァインは酷く胸が痛んだ。
 もう、放ってはおけない。
 セルフィへと手を伸ばし掛けた途端、彼女は身を翻してこの場を離れようとした。が、ほんの僅かアーヴァインの動きの方が早く、セルフィの腕を捉える。
「アービン、離して」
 眉根を寄せ瞳には涙を一杯に溜め、懇願するように言うセルフィにまたも胸は痛んだ。彼女の望みに応えないのは酷く残酷な事のように思う。今までの自分なら、きっとセルフィの言う通りにしていただろう。
 でも今は出来ない、離したくない。
 早鐘のように脈打つ心臓と共に、セルフィの腕を掴んだまま近づき、そっと抱き締める。
「セフィ、泣きなよ、ここで。…もう、一人で泣かないでよ」
 離して欲しいと腕を突っぱねていたが、アーヴァインのその言葉を聞くと、セルフィは大人しくなった。
「服に…鼻水ついちゃ…うよ…」
「いいよ、洗えばすむから」
 アーヴァインの声が、温かく心に沁み入る。
 セルフィは、涙が止まるまで、アーヴァインの温かさに甘えた。




「もう、大丈夫。ありがとう」
 ゆっくりとアーヴァインの胸を押して、セルフィは彼から離れた。
「セフィ…」
「もう行かなきゃ、ごめんねアービン、ありがとう」
 俯いたままそれだけ言うと、セルフィはくるりと身体を反転させた。
「待って、セフィ。ちょっとだけ待って」
 振り向かず踏み出した足を止めて、セルフィはアーヴァインの言葉を待った。
 背後でアーヴァインが大きく息を吐いたのが聞こえる。
「あの時、パーティの時の事ごめん。それとさっきもごめん、勝手に恋人とか言って」
「気にしないで」
 本当は嬉しかった。でも今は、一緒にいるのが苦しい。だから、これだけ言うのが精一杯。
「もう行くね」
「待って、もう一つだけ」
 アーヴァインに優しく手を握られ、彼の方に向き直された。
「セフィ、僕は…」
 握られた手に、きゅっと力が込められるのが分かった。
「君の事好きだよ」
「うん、分かってる。あしたも好きだよ、アービンの事」
「え、それじゃ」
 セルフィの言葉にアーヴァイン心臓が跳ねた。
「大事な仲間として好きでいてくれるのは、知ってる」
 涙の跡の残る顔で、セルフィはアーヴァイン真っ直ぐに見上げた。
 ひょっとしたら、セルフィも同じ気持ちでいてくれたのだろうかと期待した思いは、無惨にも打ち消されてしまった。

「そうじゃないよセフィ。僕は、一人の女の子として、セフィの事が好きなんだよ」
 まるでスロウの魔法をかけられたように、アーヴァインの口がゆっくりとそう動くのが見えた。ちゃんと耳にもその声は聞こえた。でも……、何だろう、頭に靄がかかったように、アーヴァインの言った内容が、いまいち掴めない。

「うん、分かった」
 セルフィはやっとそれだけ言うと、その場を離れた。


 ガーデン内の通路は、行き交う大勢の生徒で溢れかえっていた。

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