Shangri-La
通常の使用時間をとっくに過ぎた武術室には、気がつけば、もう二人しか残っていなかった。
一人は教官の代わりに急遽指導をしていたセルフィ・ティルミット。
もう一人はジョシュアという名の後輩の男子生徒だった。ゼルと同じくマーシャルアーツを得意としていたが、今日はジョシュアの希望で長棍での鍛錬を行っていた。
「もうあがりにしない?」
「もうすこしやらせてよ。コツが掴めたんだ」
荒い呼気の合間から甘えたような声がする。
確かにジョシュアの言う通り、さっきよりもずっと彼の動きにキレが出てきていた。
「それじゃあ、もうちょっとだけ。時間外なんだからね〜」
「はい、はい。わかってま〜す」
ジョシュアは軽く返事をすると、セルフィに向かって長棍を突き出した。
速い。
空を切る音でそれを感じたセルフィは、すぐさま横に避けた。だがセルフィに休むヒマを与えず、ジョシュアは長棍を次々と突き込んでくる。それを縦横無尽にかわしていたセルフィの胸を、ふいにジョシュアの長棍の先が身体スレスレの所をかすめた。
SeeD候補生の中で、ここまで彼女の動きについてきた者はいなかった。彼は体術だけではなく武術全般のセンスがいい。それが分かると、セルフィは武術家として心が躍った。
だが武術のセンスは良くても、セルフィは彼があまり好きではなかった。
ジョシュアは気さくに誰にでも話しかけるタイプで、顔も整っていて人当たりがいい。セルフィも最初のうちは話しかけられれば、他の皆と同じように話をした。それがしばらくすると、軽い挨拶や世間話から、セルフィを誘う内容に会話がシフトしていったのだ。アーヴァインだけで手一杯のセルフィには、そんな気があろうはずもなく、都度かわしていた。が、彼はそれでも構わず軽く誘いをかけてくるような人間だった。全く懲りないと言うか、前向きというか、ただはっきり断ればその場で終わりにする引き際の良さはあったので、他の女の子にもそうなんだろうと、セルフィはそう気にも留めていなかった。
「セルフィセンパイ、疲れてきたんじゃないですかぁ〜。動きがニブイですよ〜」
ジョシュアはニッとした笑みをセルフィに向けていた。
「そう思うんやったら、あたしを負かしてみいな」
挑発的なセリフにセルフィも熱くなってつい受けて立つ。その言葉に、ジョシュアの瞳が冷たい光を放った。
「はっ!」
セルフィはジョシュアより先に打って出た。
素早く斜め方向からフェイントをかけるように長棍を振り下ろす。カンと堅い木同士がぶつかった音。ジョシュアは寸でのところで床に長棍を突き刺すようにして、身体を庇った。が、無理な体勢だったらしく、バランスを崩して膝を付く。さっきは平気そうな顔をして自分を挑発してきたが、肩を大きく揺らして呼吸をしている姿に、セルフィは虚勢だったのだと思った。
「もうええやろ。今日はここまで」
頬を流れた汗を拭って、見上げてくるジョシュアにセルフィは終了を告げた。
「仕方がないなぁ。また指導してくれるよねぇ?」
馴れ馴れしい口調で言うと、ジョシュアは媚びるように笑った。
「あたしはあんたの教官やないもん。もうせーへんわ」
「つれないなぁ。俺はセルフィセンパイがいいんだけどなぁ〜」
ジョシュアの戯言に付き合う気はなく、セルフィは長棍を所定の位置に仕舞うと控え室の方に向かった。
「待ってよ、セルフィセンパイ」
ジョシュアが慌てて起き上がり、セルフィの後を追う。
「ね〜、ね〜、これから晩ゴハン一緒しないー?」
セルフィの横に並び、甘ったるい声で誘いをかけてくる。
「悪いけど、そんなつもりないわ」
「なんで〜、アーヴァインセンパイいなくてヒマでしょお〜? たまには俺に付き合ってくれてもいいんじゃん」
アーヴァインのことを知っていてそんなことを言ってくるのが、セルフィにはまたカチンときた。
「アービンがいようといまいと、キミとはゴハン一緒に食べへん!」
セルフィは突き刺すように人差し指でジョシュアの胸を押した。
「イテッ」
ジョシュアがわざとらしく大袈裟に胸を押さえる。その隙にセルフィは武術室から出てしまおうと足を早めた。
「おぉっっと、ちょっと待った」
「なにすんねん!」
ドアノブに手をかけようとした直前、後ろからにゅっと伸びてきた腕がセルフィの行く手を阻んだ。いつの間に背後に回られていたのかと振り向く。
「俺、前からセルフィセンパイのこと好きなんだよねぇ〜。だ・か・ら、アーヴァインのいない今は、俺にとってものすごぉいチャンスなワケ」
今日は逃がさないとでも言うように、ジョシュアはセルフィの両脇に腕をつき、壁を背にした彼女の逃げ道を塞ぐようにしていた。
そこに至って、セルフィはジョシュアを甘く見ていたかも知れないと思った。
いつだったかキスティスにジョシュアとの会話を見られた時「あのタイプは気をつけないとダメよ」と言われたのが、ふと脳裏を過ぎる。さらに彼にとって先輩であるはずのアーヴァインがいつの間にか呼び捨てになっていることに、セルフィの中で今まで積み重なったものが飽和状態になった。
キッとジョシュアの貌を見る。
「好きやって言うてくれるんは、ありがたいけど、誘われるんはメイワクや」
声が少し震えていた。彼女の両側に腕を付いたジョシュアは、まるでセルフィを捕らえた檻のようだ。アーヴァイン以外にこんなことをされたことなどない。セルフィは内心酷く狼狽えていた。ジョシュアにもそれが分かったのか、彼の貌に再び不敵な笑みが浮かぶ。
「人の心なんか変わるもんだぜ。俺のこと深〜く知ったら、きっとセルフィセンパイも気が変わると思うんだよねぇ〜」
この強気で大変前向きな性格は、ある意味感心する。けれど見た目が良いのを承知していて、それを鼻にかけたような態度なのが、セルフィが彼を気に入ることが出来ない大きな理由なのを、ジョシュアは気づきもしない。
「あたしみたいな年上やなくてさ、もっと他にカワイイ子いっぱいいてるんやから、そっちにしいや。あんたやったら、すぐ彼女なんか出来るやろ」
こんな言動をする生徒だが、優秀ではあった。なにも彼氏持ちの自分なんか相手にせずとも、その気になれば付き合ってくれる女の子は多いはずだ。持続出来るかどうかは別として。ところが。
「セルフィセンパイって、俺の好みド真ん中なんだよねぇ。そのトラビアの言葉がまたそそるんだなぁ。そんな子他におらんやろぉ〜?」
言い方を真似られて、セルフィはますます嫌な気分になった。もう、こうして話をしているのもバカらしい。とっととこの場を離れよう、そう思って身体の向きを変えた。
「逃がさないよ。言っただろぉ〜、アーヴァインがいない上に、こんなチャンスは滅多にないって」
「っ!! 離しや!」
ジョシュアはセルフィが抜け出すより早く、彼女を両腕で拘束していた。
「俺に付き合ってくれたらねぇ〜」
わざとセルフィの耳に触れるようにして言う楽しげな声は、ザワザワと気持ち悪い感触で肌身を撫でるようで、全身総毛が立ちそうだ。セルフィは抜け出そうと必死でもがいた。けれど、ゼルより少し高いくらいの身長でも相手は男で、訓練を積んだSeeD候補生だ。その腕の拘束力は強く、逆に締め付けられるようだった。
そこまではしないと思うが、このままだと本当に身の危険を感じる。もう武術室には自分たち以外、誰も残っていない。この状況から抜け出すには、自力でなんとかするしかない。でも、どうすれば――――。
アーヴァインはもちろんここにもいなければ、ガーデンにもいない。6日前から遠い任務地だ。
ていうか男一人くらい自分でなんとか出来なくてどうする。何のために日々鍛錬に励んでいるのか。
セルフィは自分を奮い立たせた。
「わかった。降参するわ、ゴハン一緒に食べよ」
「そうこなくちゃ。俺だって無理強いをする気はないんだよぉ〜」
今更信じられるかと思ったが、セルフィはとにかくこの拘束から解放されることを優先し、ジョシュアににこっと笑ってみせた。その笑顔に気を緩めたらしく、腕も緩められた。余りにもあっさり緩められたのでセルフィは拍子抜けした。だが、今まで彼がこうして抱きしめ囁いた女の子で落ちなかった子がいなかったが故の油断なのを、セルフィは知る由もなかった。
セルフィはその隙を逃さずジョシュアの腕を取り、くるんと彼に背を向けると同時に足払いをかけ、その勢いを利用して彼を投げ飛ばした。
ダンと小気味よい音を立ててジョシュアの身体が床に沈む。
「油断したらあかんで〜。これでもあんたよりは場数踏んでんねん」
何が起こったか解らず、やっとセルフィを見つけた顔にビシッと指を突き付けてセルフィは、武術室のドアを開けた。
「あ、今度こんなことしたら、アバラの1本や2本や3本は覚悟しときや。一切手加減せーへんで」
去り際振り返り、悔しげに見上げるジョシュアにもう一度釘を刺して、今度こそセルフィは武術室を足早に出た。
『うえ〜、こわかったよ〜』
セルフィは寮の自室に駆け込むと、ドアにもたれるようにしてへたりこんだ。
心臓が走ったせいだけではない、激しい脈の打ち方をしている。膝がカタカタと震え、指先が痺れていた。身体は心以上にショックが大きかったらしい。
さっきは上手く切り抜けられたから良かったものの、もし失敗していたらと思うと肌をぞわぞわとした寒気が駆け抜けた。
身体にはジョシュアに抱きしめられた感触が生々しく残っている。汗のニオイとアーヴァインのように堅い身体。けれどアーヴァインとは違う。アーヴァインなら、そのまま身を委ねてしまいたくなるような心地よさがあるけれど、ジョシュアに抱きしめられた時は、ただ気持ちが悪かった。恐怖さえ覚えた。
「もっと鍛錬せんとな〜」
またこんなことがあっても、狼狽えなくてすむように。軽く切り抜けられるように。身も心も鍛錬が必要だと思った。
「アービンには内緒やな」
言うと、またとても心配するのは目に見えている。何もなかったんだから、結果オーライだ。彼女にしか通じないようなヘンテコ理屈で片付けて、セルフィはそれでお終いにした。
「あ〜、でもアービンに会いたいな〜」
あんな目に遭って、しばらく外任務で逢えていない分、余計にアーヴァインが恋しくなってしまったのは、さすがのセルフィにもどうしようもなかった。
次の日、アーヴァインは帰ってくる予定になっていた。
「パイロットが体調不良ですって? わかったわ、代わりを探せばいいのね」
「パイロットの体調不良が、どうかしたん?」
キスティスにしては棘のある声が職務室に響き、通話を終えたのが分かるとセルフィは軽い気持ちで問いかけた。
「送迎用の飛空艇のパイロットが体調不良で、こっちで誰か探してくれないかだって。SeeDの担当じゃないけど、担当部署がごたごたしていて拉致があかず、業を煮やしたサイファーが切れたみたい」
「そうなんや〜。なんかここんトコ各部署がうまく回ってないよね、この前の人事異動失敗なんちゃうん」
「それにしても、全く、どうしてもっと上手くやり取りが出来ないのかしらね」
溜息をつきながらも、キーボードを叩くキスティスの指が素早く動いているのを見て、それでも頼まれると引き受けちゃうんだな〜と、セルフィはクスッと心の中で笑った。
「確かにこれは悠長にしていられないわね。急がないとアーヴァインとゼル、今日中に帰ってこられないじゃない」
「アービンの送迎のヤツなん」
「ええ、そう。もう出発まで1時間もないじゃない。困ったわ、誰かいないかしら」
キーボートを操作するキスティスの手が忙しなく動く。
「あたしでいいなら行くよ」
セルフィがそう言うと、気がつかなかったというようにキスティスは彼女を見た。
「そうしてくれると助かるわ。こっちは私一人でなんとかなるから、お願いできるかしら」
「オッケーだよ」
ニカッと笑いちょっと崩した敬礼をしてセルフィは席を立った。
「をを〜、ここでもトラブル〜?」
Tシャツとカーゴパンツに着替えて、セルフィが格納庫に来てみれば、これから飛ぶはずの小型飛空艇二機のうち一機がまだ整備中だった。
「一応不具合パーツの交換は終わったんだけど、コイツ用のパーツじゃなくて旧型の在庫パーツでの応急処置だからってんで、上と揉めてるらしい」
セルフィと同じくパイロットの男の人がそう教えてくれた。聞こえてくる会話から察するに、新型のパーツが届くのを待てという声に対して、整備が終わっているのに出発時間を遅らせることは出来ない、と揉めているようだった。
「無事出発出来るといいね〜」
「そうだな」
5分ほどのやり取りを経て、出発の許可が降りた。小型飛空艇に向かいながら、セルフィは「もうトラブルがありませんように」と祈った。
ティンバーの南にあるナンタケット島とF.H.の中間辺りにある無人島。最近レアメタルの鉱脈が発見されたというその島の第一次調査団からの要請でアーヴァインとゼルは派遣されていた。
小型でも高性能のこの飛空艇の速度は速く、あと30分くらいで島に到着するはずだ。セルフィがそう思った時、もう一機のパイロットから通信が入った。件の部品が届いたので、安全性を考慮して引き返せとガーデンから連絡があったらしい。「今頃何を言ってるんだ。出発前に言え」と、パイロットから漏れた不満の声に、セルフィはもっともだと大いに同情した。上のくだらないメンツや揉め事で、現場の足を引っ張らないでほしい。
間を置かず、セルフィの方にもガーデンから連絡が入る。現在待機している飛空艇はなく、次便の出発は早くても明日になる。当便で帰還する者の人選は現場に任せるとのことだった。
「てなワケで全員は帰れないんだよね、誰が帰るか決まった?」
セルフィは島に飛空艇を着陸させると、帰還を待つSeeDの面々に残念なお知らせをしなければならなかった。
「ツイてねーなー、ガーデンから連絡があった時にはがっくりしたぜ」
ゼルが盛大に肩を落とした。ということはゼルが貧乏クジを引いたのか。
「もう一人は誰が残るの?」
小型飛空艇の定員は四名。任務に来ているSeeDは五名。二名が翌朝の次便まで待たなければいけなかった。
「あ〜、僕」
「え、アービンなん」
お約束というか、貧乏クジを引き当てやすい体質というか、ははははと笑う顔にセルフィはちょっと脱力した。
てことは明日の夕方くらいまで、またアーヴァインとは会えなくなるのか。そう思うとずーんと気分が落ち込んだ。
「あ〜あ、残酷だよな〜。ひさしぶりに柔らかいベッドで寝られると思ってたのによぉ。疲れで身体がギシギシだぜ」
帰還の決まったSeeDたちが飛空艇に乗り込んでいくのを見ていたセルフィの後ろでゼルの声がした。見れば、がっくりと肩を落として項垂れている。それはちょっと珍しい光景だった。
この島に宿泊施設なんかない、ずっとテント生活だったのは確かだ。けれどゼルはこういうサバイバル的任務は好む方だ。それがこんなに項垂れているということは、余程な何かがあったのだろう。
セルフィが彼を労うように、ゼルの背中をポンポンと軽く叩くと、彼の背中越しにこっちを見ているアーヴァインと目が合った。そこでふとある考えが胸中を過ぎる。
「あたしの代わりにゼルが帰る?」
セルフィはゼルに小声でそう告げた。人選は現場に任すとガーデンから言われていて、明日は休日だ。セルフィが残るという選択肢も充分にありだ。それと本当に疲れた顔のゼルが気の毒でもあった。別の思惑の方が大部分を占めていたけれど、そっちはひた隠す。
「嬉しいけど、今晩かったい草の上だぞ」
「うん、1日くらい平気だよ。それに三つ編みちゃんも心配してたしね」
今朝朝食を一緒に食べた時、ゼルのことを気遣っていた彼女のことも思い出した。
「そうか。じゃあ、代わってもらってもいいか?」
何か思い当たる節があったのか、少し考え込んだ後ゼルはそう言ってきた。
「うん、いいよ。その代わり操縦はやってな」
「わかった。ガーデンにはオレから連絡入れとくよ」
「えへへ、ゼルと代わっちゃった」
離陸する飛空艇に手を振って見送った後、セルフィは隣のアーヴァインの方にくるんと身体を向けた。
「セフィ、どうして?」
「ん〜、ちょっとね。アービンはイヤやった?」
まだポカンとした顔のアーヴァインに、セルフィは悪戯っぽく尋ねた。
「そんなことあるはずないよ〜、絶対ないだろうけどセフィが残ってくれるといいな〜って思ってた」
「そっか、そっか、そんなにあたしに会いたかったんだ」
自分が残った理由をアーヴァインのものにすり替える。
「うん」
臆面もない即答にセルフィは面食らった。アーヴァインがこういう人間なのを失念していた。けれど――。
「じゃ、ぎゅ〜ってして」
セルフィがねだるとアーヴァインは本当に嬉しそうに微笑んでから、彼女の望み通りぎゅ〜っと抱きしめてくれた。
セルフィは一週間ぶりのアーヴァインの感触に心が解放されていくようだった。昨日のイヤな出来事も、この腕が全部打ち消してくれる。
大好きなアーヴァインが。
「この島の生活どうやった? ゼルを見る限り、色々大変やったんやない?」
「ああ、ゼルは持ってきた食料が合わなかったみたいなんだ。僕は、まあまあだったよ。南の方だから果物が自生していたり、泉があったりしたから、サバイバル生活にしてはマシな方だった」
「へ〜、そうなんや。モンスターは?」
「いないみたい」
「そっか、よかったね」
「そうだね」
「海もキレイだね〜」
セルフィたちのいる高台からは、綺麗な碧色の海が一望できた。打ち寄せる波の音が風に乗って聞こえてくる。下に降りれば泳げそうだと思ったが、生憎とここから下へ降りられそうな感じではないのが残念だった。
「食料はどれくらい残ってる?」
調査団が引き上げ閑散とした野営地に、ぽつんと数個残った荷物をごそごそとしているアーヴァインに歩み寄りながら問いかけた。
「4日分くらいあるよ」
「じゃ、大丈夫だね。あ、手伝うよ」
「さんきゅ」
畳んだテントを取り出しているのに気がついたので、セルフィも手伝う。
太陽は少し傾いていたが沈むまでにはまだ時間があり、身体を動かすとダラダラと汗が流れた。テント張りが終了した後、木陰に移動して喉を潤す。
「水浴びでもしてくる?」
セルフィの隣で同じように水分補給をしていたアーヴァインが提案した。
「出来るん?」
セルフィには願ってもない話で、つい身を乗り出していた。
「泉があるから出来るよ、近くだから案内してあげるよ」
アーヴァインの案内で泉を目指して歩いた。幸い緑の多いこの島は、ジャングルと言うほどには鬱蒼としておらず、歩くのもそう苦労はしなかった。時折サルか鳥かの鳴き声が聞こえる他は、静かだ。繁った葉を揺らしてそよいでくる風が、またありがたかった。
「ここだよ」
「うわ〜、キレイな蒼だね〜」
野営地から10分ほど歩いた所に泉があった。山に染み込んだ雨水が流れ込んで出来た物らしい。余り大きくはないが、人が四、五人程度泳いだりするのに丁度いい感じだ。
「でしょ〜、みんなここで泳いだよ。じゃ、僕は戻ってるから」
「アービンは入らへんの?」
「一緒に入ってもいいのかな?」
「……あ」
セルフィが困ったように笑うと、「セフィの後で入るよ」と言い残して、アーヴァインは通ってきた方へと戻っていった。
「う〜ん、でもちょっと残念かも……」
セルフィはアーヴァインが去った方に向かって呟いた。
アーヴァインの身体は好きなのだ。観賞という意味で。けれど、真っ昼間と言えど全裸を見る勇気はない、かと言って下着で泳がれても、またエロチックで困る。しかし、濡れた長い髪から落ちた雫が肌を伝う様は、本当に艶っぽくて男だけど綺麗なのだ。こっそり隠れて覗きに来ようか。だが、そこでアーヴァインに見つかりでもしたら、自分も引きずり込まれるのがオチのような気がする。やっぱりそれは、困る。
セルフィはアーヴァインを呼びに戻る考えは打ち消して、Tシャツに手をかけた。
日が暮れないうちにと食事の仕度が完了したのは、ちょうど水平線に夕日が沈む頃だった。
簡素な缶詰とインスタントの食事もその夕日を眺めなが食べると、豪華な料理のように美味しく感じられた。そして水浴びをした後、アーヴァインが持ち帰ってくれたこの島自生の果物は、小振りだけれどほどよい甘さで最高のデザートだった。
「もう寝る?」
「そうだね〜」
日が暮れてしまえば、無人島のここは真っ暗だ。食事の後片付けを終えた時点で、もうほとんどの景色が宵闇色に染まっていた。セルフィは考えを巡らすように顔を上に向ける。
上を向いて驚いた。
ものすごい数の星。迫ってくるような星空が広がっている。久しく見ていない星の量だ。トラビアの家で見た星空を思い出す。
「あ、そっか、明かりがないからだ」
「なんのこと?」
不思議そうにアーヴァインが訊いてくる。
「周りに邪魔をする明かりがないから、こんなすごい星空が見られるんだな〜って」
「ああ、そうだね」
そう言ってアーヴァインもセルフィと同じように星空を見上げた。
しばらく見上げていると腕が疲れてきて、セルフィはごろんと地面に寝転がった。夜露に濡れるといけないからと、食事の前に敷物を敷いてくれたアーヴァインに感謝だ。
こうして寝転がると星空と自分の距離がぐっと近くなったように感じられる。そのうち、あの小さな一粒が落ちてくるんじゃないかな〜とか、メルヘンチックなことまで思えてくる不思議な星空だった。
アーヴァインはずっと任務でここにいて、楽しくも何ともないかも知れないけれど、セルフィはこんな降るような星空の下、アーヴァインと二人きりでいられて、とても幸せだと思った。
このまま眠ると気持ちいいだろうな〜と思った時、カタンという音と共に光源が移動した。屋外用のハンディライトをアーヴァインが頭の上辺りに移動したのだろう。その後、隣にアーヴァインが横たわった気配がした。
そしてセルフィの顔の近くで空気が揺らいだかと思うと、頬が温かくなった。
「!?」
軽くキスをされた。
「眠ってないか確かめた」
すぐに離れてアーヴァインは照れくさそうに笑う。
「眠ってないけど、寝ちゃいそうだった」
そう言ってセルフィは、ころんと身体を転がしアーヴァインに抱きつくようにくっついた。
夜になると昼間のジリジリとした暑さが嘘のように涼しくて、温かいアーヴァインの体温が恋しくなった。お気に入りの彼の匂い。こうしてアーヴァインにくっついていると心が落ち着く。
そして、同時にドキドキさせる人。
「そっか」
再び温かい手が頬に触れたかと思うと、またキスをされた。今度はすぐ離れたりせずに、啄むようにセルフィの唇の隅々を味わい尽くすようなキス。舌先がセルフィの歯列を軽くなぞり中へ入る許しを乞うてくると、軽く口を開きセルフィからも迎えにいった。ゆっくりとお互いの心を確かめ合うように舌を絡める。熱いけれど、激しさはなく、緩やかに相手の温かさを感じ入るような口づけ。いつの間にかセルフィの腕はアーヴァインの背中に回されていた。
「アービン……ん…っ、あ」
セルフィの胸に触れたアーヴァインの手。
「しちゃダメ?」
「え、今っ、ここで?」
「ひさしぶにセフィに会ったんだもん、ちょっと我慢出来そうにない。それに暗いし、誰もいないよ」
「んっ……じゃ、中で…っんん」
セルフィはテントの中を望んだが、それを伝える前にアーヴァインの躰がのし掛かってきた。
「このままセフィを抱きたい」
「ゃあんっ」
Tシャツの上から巧みに下着をずらし、先端をつまみ上げられて、セルフィはもう降参するしかなかった。
「んん……っ、ふ……」
セルフィの肌身は、アーヴァインが与える小さな刺激にさえ、ビクビクと震えていけなかった。
屋外での行為なんか初めてで、恥ずかしさに気が散らされてしまうんじゃないかと思ったけれど、空間が広すぎて、逆にアーヴァインだけに心を奪われた。ハンディライトの細い明かりに照らされた睫が貌に濃い影を落とし、いつもより艶を増している。ただでさえ躰を重ねる時のアーヴァインは色っぽい。その上、こんな日常では味わえないようなシチュエーションに気分は昂揚し、セルフィの躰に熱が籠もっていくのがいつもより早い。
「あっ……」
アーヴァインは胸を愛撫しつつセルフィのカーゴパンツのベルトを緩め、その奥へと手が侵入していた。下着のラインをなぞっていた指が、ふいに肌とのすき間へ差し込まれる。
「セフィもイヤじゃなかったんだ」
体毛を掻き分けるようにしてアーヴァインが指を進めると、彼が思っていた以上に濡れていた。それが判ると溢れる愛液に指を絡め、僅かに引き返し小さな突起を円を描くように転がす。
「そんなこと、言わんとい……ぁあんっっ!」
抵抗するような言葉とは反対に、跳ねるように躰を震わせてセルフィの声が高くなり艶を増した。
アーヴァインに触れられてはっきりと自覚した。昨日あんなことがあって、アーヴァインに逢いたくて、そのチャンスを最大限に利用してここに残ったのは、こうされたかったからだ――。そして昨日のアレは、彼に抱かれたい気持ちを確実に煽った。
「ん、くっ……あ、ふ……」
セルフィの着衣は全て剥ぎ取り、アーヴァインは彼女の全身をくまなく愛でた。
その後再び口づけをして胸の先端を中心に揉みしだき、秘めやかな場所の小さな突起は擦るように撫で上げれば、くぐもった嬌声は泣き声のように変化し、アーヴァインに伝わるセルフィの素肌の温度が高くなっていく。
アーヴァインに施される愛撫と、彼に逢いたかった想いとがねじれるように絡み合い、セルフィの心も肌身も、彼に促されるまま加速度的に高みを目指しているようだった。
「セフィもう限界でしょ。イッちゃいなよ」
酷く浅くなったセルフィの呼吸に、アーヴァインは口づけをやめ、彼女の耳を熱い吐息と共にペロリと舐めて囁いた。
「やっ、ダメ……ッ!」
少しも衰えることのない貪るような愛撫に、セルフィはあっけないほど簡単に屈してしまった。
まだ微かに痙攣する躰。それは満足を与えられた証し。けれどセルフィはまだ本当に満たされてはいなかった。それを知らしめるように花芯がひくつき、雫の溢れは止まらない。短い時間で急速に高みへ押し上げられた躰は、まだ飢えている。
「ズルイ」
彼を欲する感情を別の言葉にすり替え、収まりきっていない呼吸のままセルフィはアーヴァインを睨んだ。
「どうして?」
セルフィの頬にかかった髪を払いながらそう返事した声は、憎らしい程落ち着いていて、セルフィは悔しかった。自分ばかり翻弄されて悔しい。
アーヴァインはまだ服を着たままなのが気に入らない。落ち着き澄ましたような貌が気に入らない。
艶めかしく歪む彼の貌が見たい。快楽に堪らず溢れる掠れた声が聞きたい。
「っ!!」
セルフィは膝でアーヴァインの股間をぎゅと押した。堅く張りつめた感触。すぐに膝を引っ込め、代わりに手を伸ばしベルトを緩めてジッパーを下ろした。
「セフィ、ちょっ……」
まさかいきなり反撃を喰らうとは思っていなくて、アーヴァインは戸惑った。
「アービン、苦しそうだよ」
セルフィがそう言うと図星をつかれて言い返す言葉が見つからず、アーヴァインは観念して躰の力を抜いた。
それが分かるとセルフィは下着の中へ手を伸ばした。
「は…っ」
少し触れるだけで溢れた声には、さっきのような落ち着きはまるで感じられない。彼自身は、もう堅く張りつめ、先端からは耐え難いとでも言うように体液がにじみ出ている。
セルフィは浮き上がった血管を辿るように、指先だけで根元からすぅ〜と撫で上げた。
「ぁあ…」
窮屈な場所から解放してから、きゅうと手に握り込むと熱い吐息が溢れた。ふと貌を仰ぎ見れば、苦悶とも恍惚とも取れるその表情の艶やかさに、知らずセルフィの唇が綻ぶ。
「セフィ」
ねっとりと濡れゆく先端をこねるように人差し指の先で愛撫し、親指と残った他の指でゆっくりと扱くように撫でていると、アーヴァインは愛撫しているセルフィの手を掴んで自身から離した。
「まだ、ダメ」
これからなのに、とセルフィは思った。
「違う、一刻も早くセフィで直接鎮めてほしいんだ」
「ん……」
余裕のない荒い呼吸の中掠れた声の懇願を聞いては、断ることなど出来ない。ましてやセルフィもまだ満たされてはいないのだ。
セルフィは自らアーヴァインに口づけて、彼の首に腕を巻き付けることでそれに答えた。
アーヴァインが服を脱ぐ気配が終わってすぐ。
「ああっ!」
膝を割られ、セルフィが太腿の付け根に外気を感じると、熱い固まりが肌に触れ、そのまま猛る彼が容赦なく分け入ってきた。
「ごめん、キツかった?」
セルフィの鋭い声を聞いて、気遣わしげにアーヴァインは彼女の顔を覗き込んだ。
「ううん、大丈夫」
行為は少し強引だったが、彼を待ち焦がれていたセルフィにはむしろ歓喜の瞬間だった。
「背中痛くない?」
「大丈夫、痛くないよ」
躰の下にあるシートはピクニック用のものとは違って厚みがあり、さらにその下には短い草が生えていて土の硬さを和らげてくれている。
「だから、もっとアービンで満たして」
セルフィが唇を重ね、くぐもった声でそう告げると、アーヴァインは躊躇いなく腰を動かし始めた。
「んんっ……あ、ふ…っ…んっ…んっ…」
肌がぶつかり合う淫靡な音と、清廉な虫の音、時折聞こえる波の打ち寄せる音。それらが混じり合い、どこまでも続く闇に吸い込まれていく。天井は遥かに高く、そこに散らばる星々は、今にも自分たちに降り注ぎそうだった。自然の中に溶け入りそうな、それでいて相手の存在が唯一無二に思える。世界に存在している生命はただ二人だけ。そんな錯覚が包み込む。
まるで楽園で愛欲に溺れる神話の二人にでもなったかのような――――。
この瞬間がずっと続けばいい。二人強く抱き合い一つに溶け合って、このまま大地に還っていかれたら。どんなに心地いいだろう。
「あっ――」
「セフィ」
ひときわ甘く濡れたセルフィの声があがり、アーヴァインが強く腰を打ち付けた時、楽園の幻想が一瞬まばゆい輝きを放ち、その後雫がはじけ飛ぶように消えていった――――。
アーヴァインの腕の中でセルフィはまだ幻想の中を漂っていた。
「やっぱりアービンの傍が一番いい」
現実と幻想の境で、熱に浮かされたように呟く。
「へぇ、珍しいね、セフィがそんなこと言ってくれるの。なんか、あった?」
半分無意識の言葉をアーヴァインは正確に聞き分ける。
「ん、ないよ。アービン外任務に出てたから、会いたかったってのはあるけど、今日パイロットで来ることになったのは、ただの偶然だもん」
現実に戻ったセルフィは、慌ててそう答えた。
「ウソっぽいな。白状しなよ、僕に会いたくなるような“何か”があったんでしょ?」
そう言うと、アーヴァインはすべての逃げ道を塞ぐように、セルフィを抱きしめた。
「ないってば〜」
生身の肌同士が密着して、セルフィはまた幻想に引き込まれかけそうになり、必死でそれを振り払った。
「セフィ、往生際が悪い。“何か”がなけりゃ、セフィはこんな行動取らないだろ〜?」
「うっ」
セルフィは図星を突かれて言葉に詰まった。アーヴァインの言う通り、今日の自分の行動は怪しすぎる。普段ならアーヴァインと二人きりでここに残れと言われたら、少なからず抵抗する。命令なら従うけれど。
それが命令もなく自らの意志で残ったとなれば、疑問に思うのは当たり前だ。
セルフィのことに関しては勘のいいアーヴァインなら、尚のこと。
セルフィは意を決して、昨日の出来事をアーヴァインに話した。抱きしめられたことは言ったが、耳に息を吹きかけられたことは削った。全部ありのままに言うのは、何だかヤバイような感じがしたので。
「で、そいつの名前は?」
「もう済んだことやから、いらんやろ」
「いいや、済んでない。ちゃんと名前を言ってよ」
「ええ〜、もうええやん、ねっ、ねっ」
「ダメッ」
ちっとも引き下がってくれない。それに最後はアーヴァインにしては珍しくキツイ口調になって、セルフィは逆らいきれず折れた。
「……ジョシュア」
名前を聞くとアーヴァインは、ガバッと勢いよく躰を起こした。
「わわっ、なに、どしたん、アービン!」
いきなり転がされるように解放されて、セルフィはびっくりした。
「ソイツ、ガーデンに帰ったら八つ裂き!」
鋭い瞳に冷ややかな笑みを浮かべたアーヴァインの貌。さらに、下方からのハンディライトの光は嫌な雰囲気の影を作り、ものすごく怖く見えた。強い怒りの表情に、セルフィもたじろぐ。
『うえ〜、アービン本気だよ〜』
こんな怒りを顕わにしたアーヴァインは見たことがない。かなり緩めに言ったとはいえ、やっぱり事の詳細は言うんじゃなかった。普段大人しかったり温厚タイプの人間が、怒ると何をするか分からないのが定石だ。というより、アーヴァインが怒った時何をするのか、データ不足で全く予想がつかない。
「アービンそんな怒らんといて、怖いよ〜」
セルフィは躰を起こし、アーヴァインに縋るように抱きついた。
知らない一面を目の当たりにし、それに混乱して、今すぐ海を泳いでバラムに帰るとか言い出すんじゃないだろうかと思ったのだ。
「あ、ごめん。セフィを怖がらせるつもりはなかったんだ。……でも、僕は本気で怒ってるよ。どうしてそれを先に言ってくれなかったのか、それにもちょっと怒ってる」
「せやかて、アービン絶対怒ると思ってんもん」
「そりゃ怒るよ! けど大半は、ジョシュアって大バカにだから」
「ん、わかってるけど……」
セルフィの声が段々しぼんでいく。それが気になったのかアーヴァインは少し身体を離し、セルフィの貌を覗き込んだ。
「怒るくらいさせてよ。セフィは僕の恋人なんだから、その大切な恋人に別の男がちょっかいかけたとか聞いたら、どんな男でも冷静じゃいられないって」
セルフィの頬を愛おしむように、アーヴァインの指が撫でる。すこし落ち着きを取り戻した貌にセルフィはホッとした。
「じゃあ、報復とかしたりせーへん? あたし大丈夫だから、自衛くらいちゃんとする」
あの体たらくではとてもそんな胸を張って言えるようなことではなかったが、アーヴァインにこれ以上心配をかけるのがイヤで、セルフィはそう答えた。
「さぁね〜、それは約束出来ないな」
「ええ〜」
アーヴァインの声はさっきのような怒気は感じられなかったけれど、絶対何かやる気マンマンのような気がしてセルフィは困惑した。
「セフィ、またシテもいい?」
セルフィをじっと見ていた瞳の雰囲気が、またガラリと変わった。
「なにを? んっ…」
何のことかまだ答えに辿り着かないセルフィを、アーヴァインは口づけてそのままシートの上に押し倒した。
「え、え、またここで〜?」
「だから真っ暗だし、誰もいないって」
細い明かりに照らされた端整な貌は、さっきよりももっと艶を増してセルフィの心を蠱惑した。密着したアーヴァインの肌の熱さが、早くも理性を奪いにかかる。
「そういう問題じゃな〜い」
セルフィが残った理性を総動員して言ったを叫びは、すぐにアーヴァインの唇と夜の闇の中へと掻き消された。
シャングリラの幻想はまだ終わらない。
強引展開全開! けど明るい昼間はさすがに無理だった。アーはOKなんだろうけど、セルフィは絶対嫌がる。それでもアーに流されれば、いっちゃうんだろうなあ。
ジョシュアに怒りまくりのアーはこのまま終わらせなさそう。決着つけるとすれば、表でかな。
アーに甘えるセルフィはめちゃ可愛いので、もっと甘えるといいよ。
(2010.02.13)
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