Card key

「どうしよ、コレ」
 まだ彼の部屋のベッドから動けないでいるセルフィは、手に持ったカードキーをぼ〜っと眺めていた。
『僕が居ない間、この部屋使っていいよ〜、ていうかむしろ使って』
 何だかハートマークが見えてきそうな語気で言われ、そして渡されたこの部屋のカードキー。
「それ、めっちゃ規則違反やん」
 カードキーは一枚しか持ってはいけないのに。なのにへらへら笑いながら、「処分した事になってるからいいんだよ〜」って……。
 セルフィはまた身体の力が抜けたような気がした。
 確かに、今朝は起きるのがツラくて……、でもアーヴァインが出発する時には、ちゃんと自分の部屋に戻るつもりだった。いくら主張してみた所で、差し出されたカードキーを、何か分からずとはいえ受け取ってしまったのは、否定しようのない事実。そして部屋の主は既に居ない……。
 不本意ながら、セルフィはアーヴァインの厚意に甘えて、もう少し眠る事にした。


「…ん、アービン」
 その存在を確かめるように手を伸ばす。けれど、いくら探ってみても、伸ばした手には何も触れてはくれない。酷く淋しくなって、目を開けた――。
「あ…」
 そうだった。
 ここはアーヴァインの部屋。だから当然アーヴァインの匂いがする。眠っている自分は、彼が居るものだと勘違いして、思わず探してしまったらしい。自分の行動ながら……、もうどれだけ好きなのかと、かなり口惜しい。絶対アーヴァインには知られたくない。知られたら、暫く解放して貰えなくなるのは、もう経験済み。その時の事を思い出して、セルフィは頬が熱くなった。

 ぐぅ

 丁度、空腹を何とかしろとお腹が鳴った。
「よし、起きよう!」
 乱れたベッドを直して、ベッドルームを出る。顔を洗って、身支度を調える為、鏡を覗き込んだら、テーブルの上にサンドイッチが置いてあるのが見えた。アーヴァインが食べ残したのか、それにしてもこれから長期で留守にするんだから、食べられる量だけテイクアウトすればいいのに。そう思いながらテーブルに近づくと、どうも丸々一人分位の量がある。なんだか食べ残しと言うよりは……。サンドイッチに掛けてあるラップの上にはメモが置いてあった。遠慮無くサンドイッチを頬張りながら、メモを広げてみる。
「なんて、マメな…」
 半ば呆れながらも、正直嬉しかった。メモを読んで更に驚く事になった訳だけど。
 てっきり食堂からテイクアウトして来たと思った、ロールパンのサンドイッチは、どうやらアーヴァイン作だったらしい。朝のあの時間の中いったいいつ作ったのか。その間自分はベッドでゴロゴロしていたとか……、ぐうの音も出ないとはこの事かと思った。
 そのサンドイッチがまた、普通に美味しかったりするし。セルフィは段々落ち込んできた。取り敢えず自分も、サンドイッチ位はちゃんと作れるよう、真面目に料理に取り組んでみようと決心したりした。
「一ヶ月後、見ときや! アービン!」
 セルフィは、サンドイッチをくわえたままを拳を掲げて高らかに宣言した。
「はぐぐ、うま〜」

 食器を片付けようとキッチンに来てまたメモがあるのを見つけた。
 冷蔵庫にぺたんと。

『中身の処分よろしくね〜』

「なんかイヤな予感がする……」
 そお〜っと冷蔵庫のドアを開けてみる。
「……やっぱり」
 中身を見てセルフィは、項垂れた。おおよそ男の部屋には似つかわしくない、甘いデザート類の数々。どれもそう日持ちはしない。それらの消費期限と自分の胃袋とスケジュールと相談すると、アーヴァインがここに帰って来るまでの日数に微妙に当てはまる。
 用意周到というか、意図が丸分かりというか。多分隠してはいないんだろうけど。アーヴァインの好意は素直に嬉しいけれど、そのまま彼の計画に乗るのは、なんだか癪だった。
「こんなの自分の部屋に持って帰ったら、わざわざここに来る必要はないんで、アービン。ていうか、普通に女子が主の居ない男子の部屋に入り浸るのはマズいやろ」
 セルフィは、冷蔵庫のデザートを自室に持ち帰り、シーツも新しい物に交換し、他にもなるべく自分の痕跡を消して、アーヴァインの部屋を後にした。
 それから、自分の任務が終わって帰るまで一週間、セルフィは忙しい日々で、その事を気に掛ける事は無かった。


「ふう〜、まずは一回目終わり〜」
 大きなバッグを床に放り出し、任務で疲れた身体をソファに預けて、一息つく。丁度その時、携帯のメロディが鳴った。
「はい、……え、そうなんだ、うん分かった。……そんなん、気にせんといて、楽しんで来てな」
 この休暇、一緒にショッピングに行くことになっていたリノアからの、キャンセルの連絡。仕方がない、スコール相手では。彼はあの性格の生真面目さから、頼まれるとつい引き受けて、休暇を潰してしまう事も結構ある。
「リノアにとって、はんちょと一緒に過ごせる貴重な時間だもんね〜」
 ソファに横たえた身体を、ぐぐ〜っと伸ばして、セルフィは呟いた。
 それを考えるとアーヴァインは、ひょっとしてかなりマメではないかと思った。あんまり考えた事は無かったけど、任務で会える時間が少なかったりしても、あいだあいだでほんの少しでも時間を作ってくれたり、休暇が重なる時にはトータルで必ず一日分位一緒にいるような気がする。改めて考えると、ちょっと一緒にいすぎではないかと思う位だった。
 でも、気が付くと傍にいてほやほやと嬉しそうに笑う様が、人なつっこい大きな犬みたいで、つい許してしまっていたりする。で、「お手」とか言ってみると、本当に嬉しそうに笑って手を差し出してくるし。
 クッションを抱えて目を閉じると、ワンというアーヴァインの声が聞こえてきそうだった。
「あ…ひょっとして……、いやいやいや、多分もうない、でも……」

 セルフィは、来ないと誓ったアーヴァインの部屋にまた来てしまっていた。否定しながらも、もしやと気になって。
 確かめる為、再びその場所へ行ってみる。
「あははは、あるのね……」
 冷蔵庫に貼ってあるメモを見つけてペリッと剥がす。
『セフィ、任務お疲れ〜 また処分よろしくね〜』
 予想を裏切らないというか、たまには裏切れというか……。セルフィは大きく溜息をついて、補充されていたデザートの数々を再び自室に持ち帰った。
「おいし……」
 アーヴァインの置いて行ったプリンをぱくんと食べると、控えめな甘さが口の中にふんわりと広がった。流石にこれはアーヴァインが作ったんじゃないよねと、カップを持ち上げて見回す。ちゃんとお店のラベルが貼ってあるのを見て、ホッとした。手作りが食べたいと言えば、アーヴァインならホイホイと作ってしまいそうな気もするけど。
「暇だし、サンドイッチでも作ってみようかな〜」
 プリンのケースを片付けると、セルフィはエプロンを手に取った。タコヤキを作るよりは簡単だ、レシピを見てそう思った。

「あっれ〜、何かちがう〜」
 レシピ通りに作ったはずなのに、自分の想像していたものとは違う仕上がりに、セルフィは首を傾げた。出来上がったサンドイッチは、見た目と味は悪くないのだが、どこか湿っぽい。何がいけなかったのかと、もう一度レシピを見直してみる。
「あ、これだ」
 一つだけ行程が抜けていた、パンにバターを塗っていなかったらしい。
「ふははは、今日はちょっと失敗してしもたけど、次は完璧やで! アービン!」
 自分で作ったサンドイッチをごくんと流し込んで、セルフィはぐっと拳を握った。



※-※-※



 数日後、デスクワークの休憩がてら食堂で、アーヴァインの部屋のカードキーを立てて指でくるんくるんと回しながら、カフェオレを飲んでいたら、リノアに声を掛けられた。
「それ、セルフィのカードキー?」
「え?」
 リノアに言われるまで、カードキーを弄んでいた事に気が付かなかった。
「見せて〜」
 まずい、とセルフィが思った時には、伸びてきた来た綺麗な指に、すっとカードキーを持って行かれ、リノアはじ〜っとカードキーを見つめていた。何か気が付かれるんじゃないかと、セルフィは冷や冷やしながら、カフェオレをごくんと飲んだ。
「やっぱり、IDナンバーが違うだけでみんな同じなんだねー」
「そうだね」
 ホッとした。ひょっとしたら女子用と男子用は、どこかしら違う部分があるんじゃないかと思ったりしたが、そうではないらしい。
「アレ?」
『何? 何がアレ? なのーーー』
 リノアの次の句が気になって仕方がない。今度こそ何か気付かれたのだろうか。
「私のと同じ記号がついてる」
『なんだ、そうなのか〜 良かった』
 口にストローをくわえたまま固まっていたセルフィは、リノアの言葉に胸を撫で下ろした。
「セルフィもカードキー再発行してもらったんだね」
「え?! あたし再発行して貰ってないよ」
 迂闊だった。つい気が緩んで自分の事を言ってしまった。
「ね、リノアこの前はんちょと、どっか行ったん?」
 気が付かれる前に流してしまおうと、別の話題を切り出してみた。
 なのに……、リノアは好奇心一杯の瞳でセルフィを見つめている。セルフィは心の中で盛大に溜息をついた。
「ねぇ セルフィ。このカードキー、だ・れ・の?」
「あたしのだよ?」
 だよ? ってなに、だよ? って。訊いてる場合じゃなくて、あたしが尋問されてるんだよ。もう自分でも、悲しい位に焦りまくっているのが分かる。
「ふう〜ん、ねぇ アーヴァインは…」
「ちがう! アービンのじゃない!」
 そこまで言って、慌てて口を塞いだ。でも、もうどこからどう見てもバレているのは、リノアの表情を見れば一目瞭然だった。こういう時こそ冷静に対処しなければならない、それは良く分かっているのに、アーヴァインの名前にすっかり動揺してしまっていた。
「セルフィ、別にいいじゃない、恋人の部屋のキーを持ってたって。普通の事だと思うよ」
「でも、規則違反だよ」
「それはそうだけど……」
「何か、嫌なんだよね。留守の部屋に入るのって、泥棒みたいで……」
「意外と堅いんだね、セルフィ。て事は、これはアーヴァインからくれたんだ」
「うん」
「じゃあ、カードキーは返しちゃえば?」
「それもねぇ……」
「彼の好意を無にするのは嫌?」
「うーん、流石にね」
 アーヴァインが、あの部屋でセルフィが過ごすのを、楽しみにしてくれているのは良く分かった。だからカードキーを返してしまうと、彼は少なからず落胆するであろう事は目に見えていた。
「じゃあ、こういうのはどう? どうしても淋しくなった時の切り札にするの」
 リノアの黒い瞳が、少し淋しそうなのに気が付いた。リノアは、淋しい時そうして過ごすのかも知れない。スコールが居ない時、彼の部屋ならば、彼の存在を身近に感じる事が出来る。多分、いや、きっとそうなんだ。
 そうか、別に使わなくたって、そういう時の為のお守りだと思えば、……良いかも知れない。「そうだね」と答えたらリノアも「でしょ〜」と笑っていた。



※-※-※



「え〜 キスティスもダメなん〜」
 セルフィはがっくりと項垂れた。二回目の任務から帰って来て、また休暇の予定がキャンセルになってしまった。タイミングが悪い時はとことん悪い。スコールはもとより、リノアもゼルもキスティスも、妙にセルフィとは時間が合わなかった。もちろんアーヴァインとは、彼が最初に任務に行ってから、一ヶ月全く会えないのは分かっていたけど、この3週間電話で話が出来たのは一回だけ、後はメールを時々、とそんな状態だった。いくら楽天的なセルフィでも、流石に一人で過ごす時間を持て余し、段々堪えてきていた。
「アービンの置きみやげもあらへんかったしな〜」
 ソファに座り、立てた膝に顎を乗せて、溜息をつく。
 さっきアーヴァインの部屋へ行ってきた。けれど今回はどういう訳か、冷蔵庫にはデザートどころか、メモ一つ無かった。あまりにもセルフィの痕跡が無かったので、もう嫌になってしまったのだろうか。そう思うと今度は、何だか淋しくなった、自分勝手だとは思うけど。アーヴァインに会えるのは、次の自分の任務が終わる十日先。たった十日、いやまだ十日もある ――――。
 はあ……。
 一ヶ月位会えなくても平気だと思っていた。でも実際に日々を過ごしてみると、淋しいのが良く分かった。傍にいるのが当たり前で、もう空気みたいに当たり前で、今も振り向くとほやほや笑って立っているんじゃないかと思えてくる。けれど、振り向いてそこに居ないのを思い知らされると、余計に悲しいので振り向かない、絶対に振り向かない。
「寒いよ、アービン」
 立てた膝に顔を埋めて、身体を小さくする。自分の部屋なのに、とても寒い。心が ―――― 寒い。
 元々独りは苦手だった。
 独りでいると、このまま誰にも見つけて貰えず、そのまま死んでしまうのではないかという恐怖に囚われる。原因は判っていたけれど、イデアの家に行ってからは独りになるという事が、殆ど無かったので忘れていた。特にアーヴァインと再会してからは、何かにつけ傍に居てくれた。今更ながら、それがどれだけ自分の支えになっていたのか思い知る。

 任務に向かう前日、セルフィは寒さに耐えきれなくなって、とうとうアーヴァインの部屋に来てしまった。ここに来れば、例えアーヴァインは居なくても、彼の存在を感じる事が出来るから。綺麗にベッドメイキングされたアーヴァインのベッドにそっと潜り込む。洗い立てのシーツの匂いはしても、アーヴァインの匂いはしない。何か、彼の匂いのする物はないかと、ベッドを抜け出し隣の部屋を覗いてみる。
 棚の中黒のテンガロンハットを見つけた。最近ではあまり被る事はないけれど、彼のトレードマークとも言うべき、テンガロンハット。それを枕元に置いて、再びベッドに入る。仄かにアーヴァインの香りがするような気がした。
「そろそろ、寝ようかな」
 アラームをセットする為に携帯電話を開く。
「せめて写真でもあればな〜」
 セルフィの携帯に入っている画像データに、アーヴァインの写真は殆ど無かった。大きく写っているのは、いつだったかふざけて彼の髪をポニーテールにして遊んだ時、斜め後ろから撮ったのが一枚。他には、噴水に落ちかけている姿とか、犬に追いかけられている姿とかそんなのばっかり。我ながら、どうして―― と溜息をついた。
「今度一枚位、ちゃんとしたのを撮っておこう」
 そう決心してセルフィは目を閉じた。



 ラストクールの任務、これが終わったらアーヴァインに会える! 筈だった――。
 この最後のシフトがなかなか難航して、最終日のお昼頃どう考えても今日終わるとは思えなくなり、案の定リーダーから任務延長が告げられた。自分達の班が、この一連の任務の最後だったので、次の班に頼むという事も出来ない。アーヴァインに連絡を取る時間すら惜しんで、任務に没頭したというのに。
 結局、任務終了までそれから三日も掛かってしまった。任務終了の言葉を聞いた時、一緒に来た同僚の何人かが、その場に倒れ込み寝てしまう者が出る程だった。結構タフな方のセルフィも流石に疲れていた、色んな意味で……。余りにも疲れていた為、バラムへ向かう列車のSeeD用キャビンでは、泥のように眠った。
 バラム駅に着いてもまだ眠くて、肩に掛けた荷物に引っ張られるようによろけながら、駅の階段を下りていると、うっかり段を踏み外してしまい、うわっ、と思った時にはセルフィの身体は宙に浮いていた。
「セフィ!」
 ぶつかる! と思わず目を閉じた時、懐かしい声がした。それと同時に、自分を抱き留める温かいぬくもりを感じる。
「アービン!」
 顔を上げると、ずっと逢いたかった笑顔がそこにあった。
「ありがと、アービン」
 そう言って、足を地面に降ろそうとするのに、いつまで経ってもセルフィの足は宙に浮いたままだった。
「…アービン」
「何〜?」
 耳元辺り、囁くような声で言われたので、背中がぞくりとする。
「降ろしてくれないかな〜」
「ん〜、どうしよ」
「どうしよ、じゃなくて降ろしてよ〜」
 でないと、変な気分になってしまうから。ずっと逢いたかった人に、こうやって抱き締められていたままでは、気分的に危険極まりない。こんな公衆の面前で、そんな気分になってしまうのは恥ずかしすぎる。
「イタイよセフィ〜」
 自由な方の左手で、アーヴァインのほっぺたをつねった。利き手ではないので、力の加減が上手く出来ず、ちょっと強くつねってしまったかも知れない。
 漸く、地面に足が着く。
「さ、帰ろう〜 ……あふ」
「セフィ、眠いの?」
「うん、ラスト辺りかなりきつかったから…」
 本当は、早く帰りたくて、寝る間も惜しんで頑張ったんだけど、そこんトコは言わない。
「そんなに眠いんなら、ここで泊まる?」
 びっくりした。車で帰れば二時間足らずでガーデンまで戻れるのに。多分セルフィの事を気遣って、そう言ってくれたんだとは思う。現にアーヴァインの顔には、心配という言葉がちゃんと刻まれいたから。ただ、今のセルフィは別の意味での“泊まる”という語感に敏感になっていた。
「ううん、帰って自分の部屋で寝る。そっちのがゆっくり出来るもん」
「そっか」
 アーヴァインの瞳を一瞬悲しそうな色がよぎった。セルフィは、ハッとした。自分が思っていた意味と、アーヴァインが受け取った言葉の意味は、違っていたのではないだろうか。兎に角、何を置いても眠りたいと思ってしまったのではないかと。そういう意味じゃないんだよと、告げようかと思ったけれど、アーヴァインは既にセルフィのバッグを持って歩き出していて、言うタイミングを逃してしまった。

 アーヴァインの運転する車の助手席で、セルフィはうとうとしていた。音楽のボリュームも下げて、速度もいつもより少し落として、セルフィが眠りやすいように運転をしてくれる。時折ギアシフトに添えられる手がぼんやりと視界に入る。セルフィはその手を好きだな〜と思いながら、眠りに落ちていった。

「着いたよ、セフィ」
 その声が聞こえて暫くすると助手席のドアが開いた。まだ覚めきらぬ頭で、差し出された手を取って車から降りる。
「足元気をつけて」
 確かにそう言われたのに、セルフィは段差を上手く越える事が出来ず、バランスを崩してしまった。やっぱりというように、再びアーヴァインが抱き留めてくれた。
「大丈夫? セフィ」
 ちゃんと返事をしようと思うのに、セルフィは言葉が出てこなかった。思わず手をついた場所はアーヴァインの胸。薄い生地を通して、くっきりと弾力のある筋肉と彼の体温が、セルフィの手に伝わる。その感触に、頭が一気に覚醒した。どくどくと熱い何かがアーヴァインに触れた部分から流れ込んで来る。そうだ、ずっとこの体温を欲していたんだった。
 セルフィはゆっくりと顔をあげると、アーヴァインの首の後ろへ手を差し入れて引き寄せ、唇を重ねていた。突然の事で驚いていたアーヴァインも、それに応えるようにセルフィを抱き直し、丹念にセルフィの唇を味わいながらゆっくりと深くしていった。
「ん…」
 熱く口付けを交わしながら、いつの間にかセルフィの身体は車の冷たいボディに押しつけられていた。
「んん…」
 こんな場所ではした事のない激しいキス、ベッドでもこんなのは無かったかもしれない。セルフィは自分から求めたとはいえ、アーヴァインからもたらされる甘すぎる感覚に、身体から緊張を奪われ今や立っているがやっとだった。
「……だ……め…」
 息を継ぐ事さえままならない状態から、やっとそれだけ言った。力の入らないセルフィの身体がずるりと落ちかけて、アーヴァインはやっとセルフィの唇を解放した。自分の腕に支えられ、頬を紅潮させ大きく息をしている愛しい者の姿が、更にアーヴァインを駆り立てる。
「セフィ、今すぐ君が欲しい」
 切なげな瞳と苦悶の表情でそう言われて、セルフィは抗う事など出来なかった、もとより、自分だってキスを求めてしまう程、アーヴァインを焦がれていたのだから。セルフィはアーヴァインの胸に顔をうずめる事で返事に換えた。

 いつの間にかすっかり夜と言っていい時間になり、通路を照らすのは点々と存在する照明の灯りだけになっていた。
「荷物どうしよ」
 手を繋いで歩きながらセルフィがぼそっと呟いた。
「セフィの部屋に寄ってもいいけど、そしたら僕そこで抱いちゃうよ」
「何で、アービンが一緒にくるの? 自分の部屋で待ってればいいじゃん」
「イヤだ、セフィはうっかりそのまま寝ちゃうかもしれないから」
 セルフィは、身に憶えありまくりで、何も言い返せなかった。
「じゃあ、分かった」
 珍しく寮へ向かう間誰とも会う事がなかった。ありがたいと言えばありがたいのだけど、今誰かに会うのは妙に気恥ずかしいとセルフィは思っていたので。触れる夜風が気持ち良いと思う位頬は熱いし、心臓はとてもドキドキしていた。アーヴァインと手を繋いでいるという、ただそれだけで。
「セフィ、そっち女子寮だよ」
 てっきり自分の部屋に行くのかと思っていたのに、女子寮と男子寮に分岐する通路で、女子寮へ向かおうとするセルフィにアーヴァインが慌てて言った。
「いいの〜」
 アレ? と思いながらもアーヴァインは珠にはいいかと、素直にセルフィに引っ張られた。というよりまだセルフィの部屋に泊まった事は無かったので、ちょっと嬉しかったりした。
 結構来慣れている女子寮の静かな廊下を、足音を忍ばせるように歩く。悪い事をしている訳ではないのに、どこか後ろめたさがあり、そしてスリリングだった。まるで知らない場所を歩いているような気さえしてくる。自分の部屋に来る時のセルフィもこんな事を思うのだろうかと、ちょっとドキドキする。ドアが開くまでの時間が酷くもどかしい。
「どうぞ」
 セルフィに促されて、部屋に入り何だかホッとした。そして、部屋の中を僅かに漂う彼女の香り。セルフィは普段香水をつけたりする事はないけれど、それでも彼女の部屋は良い香りがした、セルフィの甘い ――。アーヴァインがぼんやりそんな事を考えている間に、セルフィは彼の肩からバッグを引き取り部屋の隅へと持って行く。
 セルフィがバッグを置いて振り向くと、アーヴァインは彼女をふわりと抱き締めた。キスを試みて、ある事にはたと気が付く。
「セフィ、やっぱり僕ちょっと自分の部屋に戻ってから来るよ」
「ん?」
「ちょっとね、忘れ物」
「ん〜と、大丈夫だよ、持ってるから」
「そうなの?」
「うん、『女の子のたしなみだよ』って言われたから」
「セフィ〜」
「ちょっ、アービン…んん」
 勢い余ってセルフィは壁に押しつけられるようにして、口付けをされた。ついさっき交わしたような熱い口付け、頭の芯が融けてしまうような、身体から力が抜けてしまうような。このまま此処で愛されても良い、それ位セルフィもアーヴァインを欲していた。なのに突然シャワーを浴びたい衝動に駆られた。少しでも早く彼に抱かれたい気持ちと、じっくりと愛されたい気持ちがせめぎ合う。どちらとも決めかねている内に、セルフィは立っていることが出来なくなって、壁を引き摺るようにその場に崩れた。
『やっぱり、今日はじっくりと愛されたい』
 倒れ込んでしまったセルフィを、アーヴァインが優しく抱き起こしてくれる。
「アービン、ちょっとだけ待ってて」
 アーヴァインが言葉を理解する前に、セルフィは素早くバスルームの中に入った。何が起こったのか分からず、呆然と固まっているアーヴァインを残して……。

 熱いシャワーが、身体を柔らかく包んでいた白い泡を消していく。手で肌を撫でていてふいに胸の先端に触れると、既にくっきりと形を成していて、更に身体の奥はじんわりと熱くなっているのが、自分でも恥ずかしい位に分かった。早くここを出ないと自分で慰めてしまいそうだ。
 柔らかいタオルで髪と身体を拭きながら、急いでバスルームに入った為、下着すら持ってきていない事に気が付いた。もう、バスタオルを巻き付けてここを出るしかない。これから先もっと恥ずかしい事をしようとしているのに、それはちょっと恥ずかしいな思ってしまう自分に苦笑した。


『まさか、あんな所でセフィに止められるなんて……』
 ソファに座って、これ以上はないという位アーヴァインは項垂れていた。というかもう涙目。一度火のついてしまった身体を止めることは出来ない、セルフィも同じだと思っていたのに。珍しくセルフィの方からキスしてくれたのに……。自分の身体は苦しい位なのに……。今日はもう絶対セルフィのお願いは聞いてあげない。アーヴァインがそう決心した時、バスルームへ続くドアが開く音が聞こえた。
「アービン…」
 小さく名を呼ばれて、ゆるりと声の方を向くと、身体にバスタオルを巻き付けただけの愛しい人の姿が、いきなり目に飛び込んできた。湯上がりで、肌はほんのり桜色に染まっている。その艶姿に、下降していた気分が今度は一気に沸点を超えてしまった。多分初めて見るセルフィのそんな姿に、釘付けになっているアーヴァインを視線で誘うように、セルフィはベッドルームへと入っていった。セルフィの姿が見えなくなって、漸くアーヴァインも我に返り、慌てて彼女の後を追う。
 ベッドルームに入って来たアーヴァインを認めると、セルフィはベッドカバーを捲っていた手を止め、近くにあった青いクラフトボックスを取り「コレ」と目で合図した。アーヴァインもまた「うん」と目で頷いて、セルフィの手から箱を受け取りベッドサイドに置くと、セルフィに口付けてゆっくりとベッドに押し倒した。
 もう限界以上に待たされた身体は、彼女を欲して騒ぎ立てる。けれど心は、ゆっくりと時間をかけて彼女を味わいたいと主張する。その狭間で激しく揺れながら、セルフィの唇を貪った。舌を割り入れれば、直ぐに彼女は応えてくれた。息を継ぐ為に時折ずらされる唇からは、吐息と共にどちらのものとも分からぬ液体が、つと肌を伝った。
 いつの間にかボタンを外されていたシャツを、するりとセルフィの手で肩から落とされた。それに合わせてジーンズも下着と共に取り払う。もう役目を成していないバスタオルも。
 胸をふくらみを手でそっと包むと、先端は既に十分な堅さになっていた。指先で軽く摘むだけで、彼女の肌はピクリと震え、口からは甘い声が漏れる。その声を聞く度に、これ以上はないと思っていたのに、更に自分が昂ぶっていくのが分かった。片方は手で軽く摘み揉みしだき、片方は口に含み舌で転がし甘噛みをする、合わせた手をぎゅっと握られる事から、彼女の感度の高さが分かる。唇は乳房を貪り続けたまま、手はゆっくりと彼女の肌の上を這わす。胸の丸みを下り肋骨の辺りを通る時、大きく息をしているのが伝わってきた。指は更に脇の緩やかな曲線をなぞり、柔らかい腿の上で遊びながら膝近くまで下りる、今度はゆっくりと内側へ移動させ上へと向かうと、彼女の身体がぴんと緊張した。その場所に触れるか触れないかの所で手を離し、来るはずの刺激が途切れてしまった事で戸惑っている彼女の身体を、くるりと俯せにした。何が起こったのか理解される前に、覆い被さり耳にキスをする、更に舌を差し入れると、甘やかな声を聞かせてくれたね。片方の手は再びシーツを掴んでいた彼女の手を捕らえて強く握る。耳から項を通り背中へと、音を立てて口付けを落としていくと、大きく息をし、途切れ途切れに聞こえる喘ぎ声と、肌から立ち上る君の香りに、もうすっかり酔わされてしまった。

「あぁ…ん…あ…」
 少し脚をずらされ、彼の手が後ろからそこに触れる。いつもとは違う刺激が身体を駆け抜ける。身体の震えが止まらない。花芽をころりと転がされただけで、もう達してしまいそうになる。口からは間断なく甘い声が漏れ、強く握られた手に力が入ったままどうにもならない。苦しい、あまりに甘美過ぎてどうにかなってしまいそうだ。こんなに強い刺激に見舞われているのに、まだ物足りないと言う自分がいる。こんなんじゃなくて貴方が欲しいと。
「やぁ……は…ふ…あぁ」
 なのに……。貴方を欲している場所に入って来たのは、貴方自身ではなく指。それでもこの肌身は、自分の中で蠢きかき乱すしなやかな指に翻弄され、意識は高く舞い上がっていく。
「…あぁ……んん…」
 ダメもうこれ以上はダメ。ちがう、腿を伝う雫は貴方を欲している証しだから、お願い。
「アー…ビン…」
 乱れた呼吸の中、やっとそれだけ言って、身体を捻りアーヴァインの髪を引っ張った。
「あ…」
 やっと分かってくれたのか、横を向いて寝ていたセルフィの身体を抱き起こし、アーヴァインは彼女を背中から抱き締めて、そして彼女の中へと入った。
「セフィ、好きだよ」
 首筋に囁きながら、片方の手は果実のように揺れる乳房を包み、片方の手は花芽を愛でる。ずっと、彼女と繋がりたかった。一ヶ月前、何度も彼女を抱いたのに、彼女から離れた途端、再び彼女を欲していた。離れるのが淋しくて、自分が居ない間この部屋で彼女が過ごしてくれるのを望んで、彼女に分かるように仕掛けた。なのに、彼女は……。もう嫌われてしまったのだろうかと思った。いつもの事だと分かっていても、離れている時間が長ければ、不安は募り思考はマイナスに陥る。昔からの自分の悪い癖。
 今日、君から口付けられてどれだけ嬉しかったか。どれ程心が震えたか。本当に泣きたい位嬉しかったんだよ、そして今も――――。
 だめだ、もっと君の声が聞きたい。
 唐突にアーヴァインはセルフィの中から去った。セルフィは急に温もりが去り、あまりにも予想外の事に、不安なってアーヴァインを見上げる。何だろう、どうしたんだろう、もしかしてイヤになったのだろうか。堪らなく不安だ。
 けれども、見上げた先でアーヴァインはふわりと微笑んでくれた。
「アービン」
 思わず彼に向かって手を伸ばす。アーヴァインは伸ばされた手を優しく握り、再び彼女を組み敷いた。
「ずっと逢いたかったんだ、セフィ」
「うん、あたしも逢いたかったよ」
 堪らなくなってアーヴァインの頭を引き寄せて口付けをした。そして再びゆっくりとアーヴァインは、セルフィの中へと入る。
『熱い…』
 寒くて凍えそうだった心が、アーヴァインの熱によってやっと溶かされていく。ずっとずっと逢いたかった、堪らなく逢いたかった。自分がこんなにアーヴァインに囚われていたなんて知らなかった。彼が傍に居ないのが、こんなに辛い事だったなんて……。彼に抱かれる事がこんなに嬉しい事だったなんて……。
「アー…ビン…も…ダメ…」
 深く貫かれる事に歓喜し溺れていた身体にも、もう限界が訪れようとしていた。
「まってセフィ、僕も一緒に」
 唇が触れるか触れないかの所で囁かれ、身体が一際大きく震えて、その時を迎えたのが分かった。
 それと同時に、アーヴァインの身体がぐっと緊張したのも。
「セフィ、セフィ…」
 今は緊張を失い、セルフィの上でぐったりとしている口からうわごとのように漏れた。
 いつもそうするように、夢うつつの合間を漂うアーヴァインの顔に汗で張り付いた髪を払い撫でる。
 呼吸が穏やかになって暫くした頃、アーヴァインはゆっくりと身体を起こしセルフィの中から去った。アーヴァインが去ってしまうと、セルフィの身体はぶるっと震えた。
『まだ寒い…』
 目を閉じてアーヴァインの温もりが消えた自分の身体を、ぎゅっと抱き締める。再びアーヴァインが自分の隣に戻って来ると、彼が抱き寄せてくれるより早く抱きついた。
「セフィ?」
「ちょっと寒かった」
「そっか、ごめんね」
 そう言って、アーヴァインは額にキスをして、セルフィを抱き締めた。
『あたしが凍えないよう、ずっと傍に居てアービン』
 想いを乗せてアーヴァインに口付けると、彼は再び熱く応えてくれた。
 何度も、何度も――――。

駐車場でいいんですか、お二人さん。管理人さんがびっくりしてるよ、きっと。その内本当に、アーヴァインの部屋のカードキーがぶっ壊れない事を祈ります。本体が壊れたら、またふりだしだよね……。カードキーをなくすと本体のデータから変更が入るタイプじゃなくて良かったね。自分の部屋のキーは渡してはいけないぞ!セルフィ!
(2007.11.01)

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