カイヤナイト -Kyanite-
「セフィ、何見てんの? 僕もちょっとちょーだい」
校庭のベンチに座っているセルフィを見つけた。近づいて、彼女の返事を待たず、後ろから飲んでいたレモネードをするりと奪う。
「アービン、また〜」
隣に腰を降ろした僕を、君は咎める。咎めた所で、僕は反省などしない、彼女もそれは承知の上の事。定形文ならぬ定形会話。
「あ、それセフィのスケジュール?」
彼女の手にコップを戻しながら、持っている書類を覗き込んだ。
「うん、そうだよ。今回は一ヶ月間のローテーションみたい」
「僕もだよ〜、一緒のシフトだといいね」
僕も自分のスケジュール表を取り出して、彼女のと照らし合わせてみた。
「あ…」
「うっそーん」
二つのスケジュール表の内容に愕然とした。
「うわ〜、絶妙なバランスで、ズレてるね」
がっくりと項垂れた僕の手から、スケジュール表を抜き取られた。彼女の言葉の微妙な声音に、ほんの僅か、ムッとする。。
「セフィ、なんでそんな平気そうなの〜、一ヶ月全然会えないよコレ」
「なんかここまで合わないと、いっそ気持ちが良い…」
何て事を言うのだろう僕の恋人は、負のオーラを纏った恨めしげな僕の視線を感じたのか、彼女はそこで言葉を止めた。
「セフィ…」
「なに?」
「今晩……ふごご」
その先を言う前に、僕の口は華奢な手で塞がれてしまった。
「ダメ〜、アービン明日出発やん」
「※★□※ーーー!」
そうじゃない、君が思っているような意味じゃなくて、ちょっとだけ一緒にいたいんだ。
なのに、君はそれすら告げるのを許してくれない。
それなら僕だって今日は譲らない。
「アービン分かってよ」
分かっていないのは、君の方だよ。
僕の口を塞いでいた手を掴み、やんわりと引き剥がす。いくら抵抗したとて、本気になったら、僕の力には到底敵わない、そんな事君も知ってるよね。
でも、僕は君の嫌がる事なんて、絶対にしたくない。
でも、今日は絶対に一緒にいたい。
言葉には出さず、じっと彼女を見詰めた。
僕の視線を逸らす事なく受け止めていた翠玉の色が、揺れ動いている。
困惑の色、諦めの色。
「セフィ、お願い一緒にいてよ。これから一ヶ月会えないんだよ」
まだ答えを決めかねている瞳に、とどめの言葉を撃つ。握られている手と、僕の瞳から目を逸らし、君は逡巡する。
『――― 落ちた』
「わかった。…でも、い……」
ここが校庭だった事を思い出したのか、君は言葉を途中で濁したね。ちゃんと聞こえたよ、言えなかったその先。
ごめんね、それを守るかどうかは、また別の話なんだ。
躊躇いと諦めの表情で、承諾の返事を告げる彼女に、少し良心が痛んだ。自分でもずるいと思っている。どうすれば、どう言えば、彼女が受け入れてくれるか、その術を知り得てしまった。そして、それを駆使する事を僕は厭わない。
長く、……長い間想いすぎて、彼女が自分の一部のような気すらする。だから、離れていたくない、出来る限り一緒にいたい、離れていた時間を取り戻すように――。
もう何者にも、引き裂かれないように――。
最近やっと分かった。これが、彼女を渇望してやまない理由。
多分この事を彼女に告げれば、彼女は僕の想いを受け入れ、常に一緒に居てくれようとするだろう。でも、それは出来ない。したくない。知ってしまえば、彼女は己の意志より、きっと僕の意志を優先してしまう。それは嫌だ。あくまで、彼女の意志の範囲でなければ、嫌われていないと確認出来なければ……。
なんて我儘なんだろうと自分でも思う。
彼女の幸せを望みながら、自分の望みを優先させる矛盾。
笑顔でいて欲しいと願いながら、この胸で涙を流して欲しいと思う矛盾。
自分の心を知って欲しいと願いながら、良い男を演じる矛盾。
自由でいて欲しいと思いながら、腕に閉じこめてしまう矛盾。
善と悪に分けるならば、自分は間違いなく悪だ。だから、彼女に自分を刻み込む。彼女が他の誰かに視線を向ける前に。彼女が僕を悪だと気付く前に。僕なしでは生きられないように、少しずつ刻み込む。
瞳にこの上ない愛しさを込めて微笑む。そうすると、君は仄かに頬を染め、笑い返してくれる。そのまま顔を近づければ、瞳を閉じてくれる。
―――― ほら。
「……ん」
軽く啄むように、触れる事を楽しむ口付け。それを徐々に深く強くすれば、僕の服をギュッと掴んで来る。その白く細い指が、制止の意志を持って胸に押し当てられる寸前に唇を離す。明らかに、さっきよりも赤みを帯びて俯く愛しい顔(かんばせ)。下から覗き込むと、視線が絡まると同時に多分そっぽを向かれる。
―――― やっぱり。
「外では、あかんて何時も言うてるのに……」
「ごめんね、セフィ」
素直に謝れば、彼女はそれ以上何も言わなくなる。
「リノアんトコ行く約束があるから、アービンのトコ行けるのは遅い時間になるよ」
相変わらず、彼女は横を向いたままだけど、これで十分。
「うん、待ってるよ」
走り去って行く彼女を、笑みと共に見送った。
今日は僕の勝ちだね、セフィ。
彼女を待つ時間は、いつも酷く長い。
明日の準備も終わってしまった。ゆっくりと浴びたつもりだったシャワーも、終わってしまった。時間潰しに広げた雑誌も、活字は目に入っても内容はさっぱり頭には入って来ない。時計なんかさっきから三分しか進んでいない。
明日からは、こんな時間が一ヶ月も続くのかと思うと――。彼女をバッグに入れて、そのまま任務に行こうか。そんな事まで考えちゃって、ホント、笑ってしまう。
また見てしまった時計は、日付が変わった事を示していた。
「さて、本当に来るかなセフィ」
ソファに座ったまま、大きく腕を上げて伸びをした時、インターフォンが鳴った。待ち人来たり。
「ごめんね、アービン遅くなって」
走って来たのか、大きく呼吸しながら入って来たセルフィと共に、甘い南国の果実の香りが鼻先を掠めた。
「何か飲む?」
彼女の頬に挨拶のキスをして問う。さて、これからどう彼女を誘(いざな)うか……。
「うん、アイスミルクティーっと、やっぱりミネラルウォーターにする」
「了解」
キッチンに向かいながら、セルフィがソファに身を沈めるのを背後に感じた。冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルと、グラスを持って戻る。その間たった一分足らず……。なのに…、僕は盛大に溜息をつく。
「やってくれるね、セフィ」
この短時間で寝てしまうとは、流石セフィ……、いや感心している場合ではない。かと言ってこのままでは、自分が収まらない。朝まで彼女をここで寝かせてしまう訳にもいかない。
「セフィ、眠っちゃったの?」
まさかそんなに眠りは深くなっていないだろう。なのに、返事は戻って来なかった。彼女の前、膝を折って暫く考える。
セルフィの寝顔は可愛い。
―― なんか幸せ。
いや、そうじゃない!
「セフィ、僕はこれから君をベッドに運ぶよ、いいね? ちゃんと確認したからね」
セルフィを抱き上げながら、疲れているのかも知れない彼女に、これから自分がしようとしている事を思うと、少し罪悪感を感じた。
「セフィ、ちょっと身体動かすよ」
セルフィをベッドに横たえて、身体の下敷きになっている上掛けを、彼女に掛ける為に引っ張る。すると彼女は、小さく「くふん」と喉を鳴らすように笑った。夢でも見ているのか、無邪気な寝顔を惜しげも無く晒して。
その寝顔は、僕を煽るだけだって分かってないようだね君は。
彼女の両脇、閉じこめるように腕を置いて、彼女の顔をじっと見詰める。
薄く開かれた唇は、何の危険を感じる事もなく、すやすやと穏やかな寝息をたてている。
「セフィ」
名前を呼ぶと、僅かに微笑んでくれた。
「アー…ビン……まって…よ」
やっと判別出来る位の呂律で聞こえた科白。僕の夢を見ているというのか。例え相手が自分でもあっても、今の状況では嫉妬の対象でしかない。
「寝ちゃう、セフィが悪いんだからね」
彼女の所為にして、柔らかで甘美な唇に口付ける。
「ん…」
気が付いたかな。
翠玉の様な瞳がゆっくりと開かれる。でも、まだ自分がどうなっているかは、分からないみたいだね。
「アービン」
「うん?」
「つかまえた」
「え?」
君は本当に嬉しそうに微笑んでいて、意外な言葉と表情に僕の方が驚いた。まだ夢の中だと思っているのかな、君は。
それなら、それでもいいかな。
君は僕に手を伸ばすと、髪を括っていた紐をするりと解く。はらりと流れ落ちた僕の髪を、一房掴み、君はキスをする。いつから君は、僕をそんな風に誘うようになったのか。君はそんな事知っちゃいないんだろうけど――。
もう限界っぽいんだけど、いいかな。
「セフィ」
君の両手を握ってから、囁く。
「ん〜?」
小さく、返事が聞こえたけれど、分かっているのか、分かっていないのか…。
想いのたけを込めて、そっと耳元にキスをする。くすぐったいのか、君は少し身じろいだ。ゆっくりと唇で君の肌を味わいながら、シャツのボタンに手を掛ける。呼吸と共に穏やかに上下している胸に、ふわりと触れる。僅かにビクリと震えたけれど。再び瞳を閉じた君は、覚醒しているのか、それとも再び夢の中の住人になってしまったのか、僕には判らない。只、君の肌が温かくて、あまりに心地よくて、今拒まれたとしても、到底止める事は出来ない。
再び、片方の柔らかな胸を手の平で包み込むようにして、刺激を与える。漸くその時になって、君は大きく目を見開いた。
「アービン?」
「ん〜?」
もう片方の胸に唇を寄せていたので、言葉を紡ぐと同時に吐息が先端を掠める。君の返事を聞くつもりはないから、そのまま口に含んで先端を舌で愛撫する。既に衣服の取り払われた肢体がビクンと震えた。
「んん……」
聞きたかった君の甘い声を耳にして、僕は安堵した。
安堵する自分に苦笑した。
やっぱり、僕って――。
僕の唇が君の肌を滑る度に聞こえる、甘やかな声。
僕の指が君を愛でる度に、しなる白い肌。
長く唇を重ねれば、呼吸の為唇をずらす度に、掠める互いの吐息。
どれも、僕にだけ見る事を許された、君の艶やかな姿態。
それらが僕を歓喜させると同時に、更なる快楽の淵へと引き摺り込むという事を、君は知っているかな。
君の肌身全て、どこを愛すれば、どう反応してくれるのか、とうに知っている。最も君の感度が高い場所に、指を差し入れれば、君の熱を帯びた身体は跳ね、肌からは甘い南国の果実と君自身の香りが混ざり合い立ち上る。
なんて魅惑的な芳香とその声、上等の美酒を舐めたかのように、君に酔い、酔わされる。ぐらりと目眩が僕を襲う、自分の体内をまるで火龍が蠢いているように熱い。まだ、唇は、指は、君を愛で足りないと主張するけれど、半分の僕はもうそんな事聞いてくれそうにない。とっくに君を恋焦がれている。
僕を受け入れてくれる場所に、そっと指を忍ばせれば、君の声なき答えに触れた。良かった、拒まれてはいない。指に絡まり溢れる雫を、想いだと感じる程自惚れてはいないけど、それでも心が喜びに震えるのを止める事は出来やしない。
「大好きだよ、セフィ」
少し離れてから戻り、君に囁く。
君は、柔らかく微笑んでくれたね。
君と繋がる瞬間(とき)。
この上なく幸福で満たされる。
そして、君が愛しくて堪らない。
ありがとう……、我儘な僕を受け入れてくれて。
我儘な僕を、君は更に高みへと押し上げる。
大好きだよ、セフィ……。
本当はもう一つ、我儘な願いがあるんだ。
―― 彼女を失ったらどうなってしまうのか ――
―― 多分、自分の魂はそこで死に絶え、後には虚ろな肉体が残るだけ ――
そんな、恐怖から逃れる為の方法。
まだ君に言う勇気はないけど……ね。
「アービン」
セフィが呼んでる。
あ、何だセフィここに居るじゃないか。
「アービン、何抱きついてんねん。起きなあかんて」
「ん〜、もうちょっと」
「アービン!」
痛い、いたい、ほっぺたイタイよ、セフィ〜。分かったよ〜。
「おはようのチューしてくれたら起きる…」
君の諦めたような溜息が聞こえる、―― そしてキス。
「おはよう、セフィ」
「もう、アービン寝起きわるい〜」
「だってさ〜」
「あ! アービン、あかん言うたのにーー!!」
ヤバイ気付かれた、ていうかバレるの覚悟の上だったけど。
「どうしてくれるんコレ! 襟の高い服着んとあかんやん、暑いのに〜」
あははは、ごめんね、それわざとだから……。
むしろ、誰か気付いてくれるとラッキーとか思ってるから。絶対口に出せないけど。
「さて、さっさと支度するかな」
僕は、漸く身体を起こす。
「あれ?」
「どうかしたセフィ?」
「か、身体が重い……」
「あ〜、無理しないでもうちょっと寝てなよ、そしたら多分治るから」
笑って言ったら、涙目でセルフィに睨まれた。
ごめん、節操なくて。
でも、許してよ、これから一ヶ月逢えないんだから。
僕は「ごめんね」と彼女の頬にキスをして、ベッドを離れた。
カイヤナイトは和名を藍晶石という貴石です。ちょとアーヴァインの瞳の色のような石だな〜と思って使いました。
目標は『攻めてる』アーヴァイン!
(2007.10.10)
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