聞きたい言葉

 PM 8:30 武術室
 シャワーを終えて武術室を出ると、寮へ向かう通路には珍しく誰一人おらず、下から点々と照らす小さなライトが、窓の無い冷たい無機質な壁を少しだけ暖かく見せていた。
「気持ちいいな〜」
 外から吹き込んで来たのか、風がゆるやかに流れ、シャワーを浴びた後の肌に心地よかった。寮の近くまで来ると、単色だった景色がガラリと変わる。両の壁は腰ほどまでの高さで、直ぐ脇には背の低い木がポツポツと植えてあり、屋根はあれど星を見る事も出来た。ふと空を見上げて見ると、零れそうな星空に今日は天の川までよく見えた。背の低い壁に両手を付いて、暫し星空を堪能する事にした。
「えーっと、白鳥座ってどれだっけ」
 前に教えて貰ったはずだったけれど、あまりに星が見え過ぎて、セルフィはどれがそうだったか思い出せなかった。




 PM 8:30 駐車場
 車を止めて荷物を降ろす数人の人影。
「じゃ、おつかれ」
「キーは、戻しておくよ〜」
「頼むわー」
 と挨拶を交わした仲間とは反対方向へアーヴァインは向かった。管理室へ車のキーを戻して、何となくいつもとは違うルートで寮へ向かう。外の景色が見える開放的な通路に差し掛かった時、1本向こうの通路に人影があるのが視界の端で分かった。
「誰だろう、星でも見てるのかな」
 確かに綺麗な星空だとアーヴァインは思い、もう一度人影の方を見てみた。何か、良く見覚えのあるような……。直ぐにそれはセルフィだと分かり、急いで引き返しセルフィの居る通路へと向かった。
「セフィ驚くかな」
 というより驚くのは間違いなかった。今回のアーヴァインの任務は、明日までの予定だったのだから。セルフィに気付かれないよう、極力気配を殺して近づく。アーヴァインが直ぐ後ろまで来ても、セルフィは気が付いていないようだった。気配を殺したまま、彼女を包み込むように立ち、両方の腕をセルフィの外側の位置に置いた。そこまで来ると流石にセルフィも気が付いたらしく、「誰?!」と焦りの色の伺える声と同時に振り向いた。
「ただいま、セフィ」
 そこにあったのは満面の笑みのアーヴァインの姿。
「アービン!? 何で?」
 アーヴァインが予想していた通りセルフィは目を丸くしている。
「任務が予定より早く終わったんだ」
 てっきりセルフィも喜んでくれると思ったのに、「そうなんだ」と言っただけで前に向き直ってしまった。いつもなら「おかえり」の言葉と共に、頬にキスの一つもしてくれるのに、しかも今日は予定よりも早く帰って来られたのに。アーヴァインは肩すかしを食らい、かなりへこんだ。
 恋人同士という関係になっても、セルフィの態度はそれ以前の時とあまり変わらない。ちゃんと好きだと言ってくれたのは、数える位しかない。ピーーーーーな時は別として……。だからと言って、好かれていない訳じゃない事は知っている。自分は、結構好きだと口にする方なので、なんだか不公平感を感じていささか不満なのは、我儘なのだろうかとアーヴァインは思った。
『うーん 意地悪したい気分』




『うわ〜ん、ぴっくりした〜』
 予想外の人物が予想外の所に現れて、セルフィは心臓が止まりそうになった。更にいきなりこんな相手の体温を直に感じるような距離で、大好きな相手が……。心が視界に飛び込んて来た事実を処理出来ない。必至で落ち着こうと、取り敢えずアーヴァインの姿を視界から消し、元のように星空を見上げたりした。――のに、心はちっとも落ち着いてくれない。がっくりと項垂れるように視線を落とすと、自分の手の両脇に、同じように置かれたアーヴァインの手があった。
 少し日焼けした長い腕。自分より一回り大きくて骨ばっている手、でも指はすらっと長い。セルフィはその指が好きだった。例えば、キーボードを打つ時の指、車のハンドルを握っている時の指、そして――――、思い巡らしてとある所ではたと思考が止まり、羞恥心で頬がかーっと熱くなった。しかも触れる程近くに本人が居る、頬に走った熱が、ゆっくりと肌身全体に巡り渡っていくような感じまでする。心は落ち着くどころか、早鐘のように激しくなる一方だ。もう自分でもどうしていいか分からない。こんな所で、こんな気持ちになるなんて、今の危うい状態を断ち切るには、早く自室に戻って眠るのが一番だと思った。
 意を決して、自分を包み込むようにして立っている腕から抜け出そうとした時、僅かにアーヴァインの方が先に動き、セルフィは後ろから抱きすくめられてしまった。
「セフィ、ボディソープとシャンプーの良い匂いがする」
「え?! あ、うん、稽古した後シャワー浴びたとこだから」
『あ、この台詞やばっ』
 些細な言葉の一つ一つが、さっき頭に浮かんだ艶やかなビジョンと結びついてしまう、そんな自分を嫌悪したけれど、既に言葉は口を離れてしまっていた。
「…………」
『うわ〜沈黙〜。アービン変な風に思ってるんじゃ…』
「ア、アービン、離してくれないかなー、これじゃ部屋に戻れないよー」
 セルフィは精一杯平静を装って言った。
「嫌だと言ったら?」
 セルフィの首筋に、顔を埋めて言われたので、肌に息が掛かりその部分がぞくりとする。身体の奥に新たな熱が生まれたような気がした。
「離して〜」
「い・や・だ」
 セルフィに無理強いするのはアーヴァインとて不本意だったけれど、ちょっとした意地悪心から発した行動は、図らずも欲望へと変化してしまった。このまま離したくない、どうしたら彼女は納得してくれるだろう、そんな事を考え巡らせていた時、
「アービン、お願い、明日あたしもオフだから、明日会おうよ」
 とどめの台詞を聞いてしまった。明日はオフ。気掛かりだった内容は、彼女の口からあっさり答えを与えられた。
「このままお持ち帰りする」
「ええーーーっ!? ちょっ、それは〜」
 涙目になりながらも、セルフィはまだ抵抗を諦めなかった。そしてもう一つの気掛かりを確かめる為に、彼女を拘束していた腕を緩める。
 セルフィは、自分の願いを聞き入れてくれたのだと思って、ゆっくりとアーヴァインの方へ向き直った。
『さあ お休みの挨拶をして自分の部屋へ戻ろう』

「セフィ、僕の事どう思ってる?」
 セルフィが口を開くより先に、アーヴァインに訊かれた。
「どうって?」
 セルフィは、どうして今更そんな分かり切っているような事を聞いてくるのだろうと、逆に聞き返してしまった。
「今のキモチ、教えてよ」
「え……と」
「ちゃんと答えてくれたら、大人しく部屋に帰るよ」
 恥ずかしさによるものなのか、目が泳ぎまくっているセルフィに、アーヴァインは優しく言う。
「好き…だよ」
 俯いて小さく呟くような声。
「聞こえないよ、セフィ。僕の目を見てちゃんと言ってくれなきゃ、OK出せないよ」
 茶化す訳でもなく、そう言われるとセルフィはますます恥ずかしくなる。
「アービンの事大好きだよっ」
 セルフィはアーヴァインの顔を見上げ、手をきゅっと握ってそう言った。
「僕もだよ、セフィが一番好き」
 アーヴァインは、嬉しそうに微笑んでそう返す。自分から言うのはとても恥ずかしいけれど、その逆はとても嬉しい事なんだとセルフィは思った。ふわりとセルフィの身体を温かい想いが包み、自然とアーヴァインに微笑み返していた。
「じゃ、またあし――」
「やっぱり、お持ち帰りする〜」
 セルフィから、好きの一言を聞く事が出来たら、大人しく自分の部屋に帰ろうかと思っていたけれど、スナイパーのくせにあっさりその微笑みに心を撃ち抜かれ、半ば反射的に彼女の言葉を遮り、そう言ってしまっていた。
 アーヴァインの言葉をセルフィが把握する前に、素早く手を握って足早に歩き出す。
 セルフィが我に返った時には、もう男子寮のエリアに入っしまっていて、大きな声を出せば他の寮生達に聞こえてしまうのは必至で、抗議をする事も出来なかった。もちろん小声でも本気で嫌だと告げれば、アーヴァインはきっと彼女を解放するだろう。けれど、セルフィにはそれをしなかった。手を引かれながら、心の奥で自分もこうなる事を望んでいたのに気が付いたから――。
 エアーの音と共にドアが開き、灯りの無い部屋へと導かれ入った。直ぐ後ろでドアが閉まる時、ふわっと起こった風に、よく知っている大好きな人の薫りが鼻先を掠めていった。どさりとアーヴァインが荷物を降ろしたのであろう音がする。セルフィは、灯りを点けようと手でスイッチを捜した。
「セフィ点けないで」
 アーヴァインは優しく制した。「でも……」と言いかけた口は、いつの間にかセルフィを捕らえていた彼の、それに塞がれた。
 長いキス。
 唇を離すと、アーヴァインはゆっくりとセルフィを抱き締めた。
「アービン?」
 暗闇の中顔を上げて、抱き締めたまま動かないアーヴァインに問う。それでもアーヴァインは、何も言わずセルフィを抱き締めていた。セルフィは、どうしたんだろうと思いつつも、優しく抱き締められているこの状態が心地良くて、自分の腕をアーヴァインの背中に回し、頭を彼の胸に預け、とくんとくんと規則正しい音を奏でるアーヴァインの心臓の音に耳を傾けた。

『帰りたがっていたセフィを、ちょっと強引に連れてきちゃったけど、嫌がってないかな』
 今更後悔しても仕方ないと思いつつ、アーヴァインは少し不安だった。明るい所で、嫌がっているかも知れないセルフィの顔見る勇気が無くて、暗闇の中キスをして抱き締めた。何て言おうか考え倦ねているうちに、彼女の腕が背中に回り身を委ねるように頭を預けられた。少なくとも嫌がっている様子ではない事に、胸を撫で下ろす。それが分かると今度は、密着した部分から、波紋のように熱が躯に広がっていくのを感じた。更に身体の奥からも熱は広がり、加速していく。もう自制が利きそうにない。
「セフィ、ゆるして」
「え?!」
 セルフィが口を開いた時には、もうアーヴァインはセルフィを抱き上げていた。数歩歩いて、足で当たりを付け、膝を少し曲げてソファの位置を確認すると、セルフィをそこに横たえた。暗闇という事もあり、突然の事にセルフィは少し驚いたけれど、肌に伝わったソファの感触で理解した。そして、アーヴァインが「ゆるして」と言った意味も。嫌ならとっくに帰っている、そのチャンスはちゃんと与えてくれていたのに、まだそんな事を言うなんて。セルフィは、アーヴァインのそういうちょっと気弱で優しい所も、愛しくて大好きだった。
 愛しい人の温もりを求めて伸ばした腕は、難なく彼の肩を捉えた。触れた指を滑らせ項へ辿り着くと、指先でそっと撫でる。それをアーヴァインはセルフィの返事だと受け取り、再び彼女に口付けた。唇を割って侵入したアーヴァインの舌がセルフィの歯列をなぞると、緩やかにセルフィは彼の舌を口腔内へと受け入れた。深く口付けを交わしながら、アーヴァインは直にセルフィの温もりを感じたくて、Tシャツの裾から手を忍び込ませた。
「ん…」
 僅かにセルフィの吐息が漏れる。
 下着の上から、胸の先端にきゅっと刺激を与えると、セルフィの身体がピクリと震えた。窮屈そうな下着から、胸を解放して手と指で愛でると、合わせた唇から可愛らしい声が漏れる、アーヴァインの愛してやまない声が。
 漸く唇を解放されて、大きく息をつくと、離れたアーヴァインの唇は、Tシャツを捲り上げ露わにされた、片方の胸を唇で愛撫する。その愛撫にセルフィが溺れ翻弄されている間に、デニムのショートパンツはスラリとのびた脚から、既に取り払われていた。ショーツの中へとアーヴァインの指が侵入し、直ぐに可愛らしい花芽を探り当てると、指先で転がすように撫で上げる。
「ふ…んんっ…」
 吐息と共にセルフィの身体が跳ねる。間断なく愛撫を続けると、セルフィの吐息は荒く甘く、肌身は熱くなっていく。そしてセルフィの熱はアーヴァインにも移り、うねりとなって猛るように躯を駆け巡る。熱を少しでも逃がすように、セルフィから完全に離れる事はせず、ゆっくりと自分の衣服を取り去った。
 再びに唇に深く口付けながら、彼女の十分過ぎる程に潤っている最奥へと指を滑り込ませると、アーヴァインの指の動きに合わせるように、甘い声が切れ切れに塞がれた口から漏れる。その声に思考が溶けてしまいそうな感覚がアーヴァインを襲う。そして、自分の身体の下でセルフィが荒く呼吸をしている様に限界を感じると、そっと彼女の脚を広げてゆっくりと自身を沈めゆく。
 全て収めたところで、小さく甘やかな声がアーヴァインの耳をくすぐった。
「んっ、んっ…は…」
 セルフィの首筋にきつく口付けながら、耳でその声を、五感の全てで彼女を感じ入る。
「セフィ…セフィ…」
 腰を動かす度にきつく締め付け、セルフィから与えられる快楽に、限界が近いのを感じた。やがて頭の奥で、光がはじけるようなこの上ない感覚がアーヴァインを襲う。


 余韻の残る重い身体を彼女の負担にならないように、ゆっくりと彼女の上に横たえる。セルフィの心臓の音が聞こえた。少し早いけれど、トクントクンと心地よいリズム。
「セフィ、ごめんね。シャワー浴びたのに…」
「心配するトコ、そこ?」
 セルフィはアーヴァインの髪を弄びながら言った。
「ごめん〜、でも…」
「でも、何〜?」
「セフィに会ったら……」
「会ったら、何〜?」
 自分の事は心にそっと仕舞い込み、悪戯っぽく問いつめる。
「そこまで言わせる? も一回襲うよ」
「えっ?!」
 形勢逆転に、セルフィが慌てて身を硬くした。
「そんな露骨に身構え無くても……、ホントセフィに好かれてるのかどうか自信無くすよ、僕」
「あはは〜 ごめんね、でもアービンの事は大好きだからね〜」
 アーヴァインはセルフィが珍しく素直にそう言ってくれた事に驚いた、と同時にとても嬉しく思った。
「て事は、泊まってくれるって事かな〜?」
「シャツか何か貸してくれたらね〜」
 今更自分の部屋に戻るつもりはないけれど、これ以上素直に言うのも何だかしゃくな感じがして、ついそんな事を言ってしまった。
「そこのクローゼットの中から、好きなの選んで着ていいよ。僕はシャワー浴びてくるね」
 明るくそう言うとアーヴァインは、暗闇の中バスルームへと向かった。途中ガツッという音と共に「イテッ」という声が聞こえたりしたけど。
 セルフィは、下着を身につけ、手探りでスイッチを探して室内の照明を点けると、アーヴァインに言われたクローゼットの中にある引き出しを開けてみた。Tシャツと普通のシャツのどちらにしようかと暫し考え、丁度手近な所に、程良い厚みと柔らかさのシャツがあったので、それを借りる事にした。袖を通してみると、相変わらずぶかぶかで、ミニのワンピース位丈があるのに笑ってしまった。
「パジャマとしては最適かも」
 袖を折り返しながら、これはこれでいいかも知れないとも思ったり。
「アービン、どんな顔するかな」
 大好きな人の匂いに包まれ、ソファでクッションを抱えて座りながらセルフィはアーヴァインの反応をあれこれ想像して楽しむ。


 PM 10:30 男子寮
「もうちょっと位、自惚れてもいいのかな――」
 アーヴァインは熱いシャワーを浴びながら小さく呟いた。

ごくありふれた日常の中の一コマでした。
(2007.08.30)

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