夜。
 スタンドライトのか細い明かりに浮かぶ 『美しい』 と表現したくなる整った寝顔を、あたしはいつも飽きることなく見つめる。
 硬質な顔立ちに見合った、変化のない冷たい表情。 常に何かに挑んでいるような眼差し。 引き締められているばかりの口許。 冷徹とも怖いとも言われる彼も、こうして全部曝け出すようにして無防備に眠っている姿はとても穏やかで美しい。
 睨み付けるようなきつい眼差しは閉じた瞼の向こうに消え、無表情と称される顔付きも柔らかさを取り戻し、殆ど開くことのない唇も今は緩やかに開かれている。
 微かな寝息を漏らす唇を見つめながら、あたしは自分に与えられた特権に夜ごと笑みを浮かべるのだ。
 良く、 『美人は三日もすれば見飽きる』 と言う。 じゃあ、この人はどうなのだろう?
 付き合い始めてもう半年は経つけれど、あたしはこの人の貌を見飽きたことはない。
 もしかしたら、明日には見飽きるだろうか?
 あと半年もすれば、見飽きる時が来るだろうか?
 そう思ったりもするけれど、そんな時が来るなんて、本当はこれっぽっちも想像出来ない。
─── 何だ?」
 突然唇が言葉を吐き出す。
 ………びっくりした。 てっきり眠り込んでいると思っていたのに。
 跳ね上がった心臓をなだめていると、人形のようだった寝顔が動き、ゆっくりと瞼を上げた目がこちらをちらりと見て、それから身体ごと向き直った。
「起きてたの……?」
「お前があんまし見っから、気になって寝らんなかった」
 形の良い ─── 良過ぎる唇が動く。 それだけで目が離せない。
 だって、それは………
「あなたが悪いのよ」
 そう。 あたしのせいじゃない。
 見惚れるような貌をしているあなたのせい。
「何で?」
 お返し、と言わんばかりにじっと見つめて来る漆黒の目。
 それよりも、動く唇に気が取られて。
 際立って整ったこの人の貌の中で、あたしが一番気に入っているところ。
「何で俺のせいなんだ?」
 低く囁くように紡ぎ出される声。
 あたしがこの声に弱いことを知っていて、わざとそんな言い方をして来る。
 ………意地悪。
「質が悪いんだから……」
 思わず呟いた。
「何のことだ?」
 ほら、また目が釘付け。
 普段は無口で通っているくせに、二人きりの時だけとても饒舌になる唇。
 時にはからかいの言葉を言い続け、時には子供のように拗ねて見せ、そして、時には躯が溶けてしまいそうな甘い言葉を紡ぐ。
 あたしだけが知っている、唇。
 形がいい、なんて、そんな簡単な表現などでは済まない魅力を持ったそれ。
 きっと本人は気付いてもいないだろう。 この唇が、酷く官能をそそるものであることなんて。 見れば見るほど口付けられたいと願わずにはいられないものだなんて。
 本当は、所構わず押し倒してでもキスしたい、とあたしが思っているなんて。
 ─── ギシッ、とベッドのスプリングが軋んだ。
 はっとしたあたしの上に落ちる影。
 気が付くと、酷く整った貌が真上にあった。
「何を考えてる?」
 あたしが黙っていたことに業を煮やしたらしい。 今にも圧し掛かって来そうな体勢から、ちょっとだけ不機嫌になった声音が降り掛かる。
 身体を包んでいた筈の布団が持ち上がってしまって、二人の間を暖かくもない空気が擦り抜ける。
 その寒さに身を竦め、あたしは自分と比べて二回りは大きい躯を引き寄せるようにかっちりとした首に腕を回した。
 再度スプリングが軋む。 筋肉質の逞しい躯の重みが包み込むように圧し掛かって来たのを全身で感じて、我知らず安堵にも似た深い息を吐く。
 ほんの僅かな距離を挟んで眼前に差し出された頬に指を当て、あたしは告げる。
「ね……、お願いだから、その唇で他の誰かにキスしないで……」
 それをどう受け止めたのだろう。 彼は少しばかり不思議そうな表情を浮かべ、何かを言いたげに唇を薄く開いた。
 ─── ああ、駄目よ……。 その形が一番あたしを狂わせるのに……。
 物欲しげに頬から唇へと動かした指先に、熱い息が触れる。
 キスがしたい ──────
「あたし以外の誰かに触れたりしないで……」
「するわけねえだろ……」
 囁きが耳に滑り込む。
 指先が燃えた。


 目は口ほどに物を言い、なんて、嘘。
 この人の深い漆黒の目は無口さを補うように物を語るけれど。
 この唇はそれ以上に語るのだ。
 言葉という媒体を必要としない、恐ろしくストレートな感情を。
 静かに、でも、逆らうことを許さない強さで重ねられた唇。
 流れ込んで来る、熱。
 欲しかったものを与えられた喜びに湧く、心。
 瞬く間に絡め取られていく、躯。
 熱さに震える。
 呼吸 (いき) が出来ない。
 この甘い呪縛。
 一度知ってしまったら、忘れること叶わぬ禁断の味。

“もっと触れて”
“これ以上触れないで”

“逃れられない”
“逃れたくない”

 せめぎ合う背反の感情さえ、囚われの証にしかならない。
 長く、永く、続いた口付けが、いつしか唇から項へと移されて。
 何も語らぬ唇が告げる。

“逃がさない”

 そう。
 逆らえないのは、あたしのせいじゃない。
 そんな罪な唇を持つ、あなたのせい ──────




















 やっと余韻からも解放される頃、真横にはすっかり寝入った美しい横顔。
 規則正しい呼吸を繰り返す唇をつい見つめてしまう自分に、終わっているわ……、と思うこんな一瞬 (とき)
 僅かに残る悔しさを込めながらそっと口付け、ささやかな意趣返しのように、あたしは届かない文句を呟く。

「ホント、質が悪いんだから……」

 

 

 

 

 


管理人の師匠に熱烈ラブコールをして、やっと掲載許可の下りた三編の内の一遍。
大人の、しっとりとしたエロチックな感じが堪りません。