真昼の月

 目の前の男の言葉に、キスティスはまだ昼食も食べていないのに一日が終わったような気分になった。
「悪いけれど、そういった内容は生徒のあなたには教えられないわ」
 柔らかく微笑んで言ったつもりではあるけれど、自信はなかった。そのことに結構ショックを受けているんだなと思い、またショックを受けた。
「それくらいいいじゃないですか」
 まだ食い下がってくる男に、もうさっきまでのような好印象は持てなかった。

 自分に声を掛けてきたのは利用するためで、自分自身を見てくれていたのではなかったのだ。それなのに自分は、滅多にないデートの誘いに舞い上がり、服も靴も新調した。今日のエスコートぶりも、年に似合わずそつがなく感心した。年下ではあるけれど彼氏候補としては、さっきまでカンペキに近い高得点の相手だった。
 だが彼は、学生にしては贅沢とも思えるテーブルに並べられたばかりの料理を目の前にして、「次のレベル4魔法試験の予定はいつ頃か、大体でいいから教えてもらえませんか」ときた。
 大きめの皿に色鮮やかな野菜と共に上品に盛りつけされたバラムフィッシュを、さあ口に運ぼうとしていたキスティスは一瞬動きを止めた。けれど、「ああ、またか」と、淡い色のソースがかかったバラムフィッシュが一切れ載ったフォークをそっと皿に置いて、静かに向かいの男に初めてではないセリフを言ったのだ。

 今までも何度かこういうことはあった。
 この手の試験はランダムに行われるので、知っているのと突然受けるのとでは、心構えが違うだろうと思う。ただ、こんな風にストレートに訊いてきた生徒はほとんどいない。心情は分からなくもない。正直さという点では、まだましかなと思ってしまう辺り、慣れてしまっている自分が悲しくなった。
 キスティスの返事に目の前の男の整った顔が歪んだが、彼女は無視して今度こそバラムフィッシュを口に運んだ。料理に罪はない。作ってくれた人にも申し訳ない。以前なら、もっともらしい理由をつけて退席したものだけれど、今は食事をするだけの余裕が身についた。というより、図太くなったのかなとキスティスは心の中で自嘲した。


「ありがとう、今日は楽しかったわ。残念だけれど、ガーデンから呼び出しが入ったの、戻らなきゃ。ごめんなさいね」
 仲間たちから“女神の微笑み”と呼称される笑みを、キスティスは男に向けた。
「じゃ、ガーデンまで送ります」
 僅かに不満げな表情が覗いたが、男は無理に引き止めたりはしなかった。
「いいえ、大丈夫よ。ガーデンの車が来るから」
 教師という肩書きがさっきのように壁になることも多く、教師の道を選んだ自分を呪うこともあるけれど、こんな風に逃げる理由にちゃっかり利用することもする。自分も目の前の生徒も、どっちもどっちだ。と、キスティスはもう一度心の中で自嘲した。



「あ〜あ、本当にここに来ちゃった」
 キスティスは自分の職務室の座り慣れたイスに、どさっと身体を預けるように座った。
 ガーデンに帰ってきて自室に戻る前に、昨日やり残した仕事が気になってちょっと寄ってみたのだ。昨日は今日のこともあって、「めっずらし〜」と驚いているセルフィに軽く笑顔で別れの挨拶をして、自分にしては早めに切り上げたのだ。
 それがこんな結果になってしまうとは。
「はあ……」
 キスティスは、職務の時には着ない柔らかい生地のスカートをそっと撫でて、深く溜息をついた。
 昨日の夜の少しうきうきとした気持ちから一転、今はなんとも言えない虚しさが心を覆っていた。
 仕事を片付ける気にもなれない。キスティスはイスを左右に小さく揺らしながら、ぼ〜っと真っ暗なモニターを眺めた。

 恋がしたいな〜と思う。セルフィやリノアを身近で見ていると、時々とても羨ましくなる。恋をしたからといって、彼氏がいるからといって、楽しいことばかりではないけれど。恋は確実に女を磨く。彼女たちを見ていて本当にそうだと思う。
 小さな蕾が可憐な花を咲かせていくように綺麗になっていく姿は眩しいくらいだ。
 誰かを想う喜びに、切なさに、哀しみに、心躍らされたい。
 ファンクラブなどといものはあれど、彼らが見ているのはあくまで『教師でありSeeDのキスティス・トゥリープ』であって、キスティス一個人ではない。今日の彼のように。
 それではダメなのだ。いくら相手から声をかけられても、自分は恋愛の対象ではない。自分自身を見てくれる、知ろうとしてくれる。そんな相手でなければ、恋は出来ない。


「おわっ、いるのか」
 突然ドアが開いて、突然人の声がして、キスティスは反射的に声がした方に顔を向けた。
「今日オフじゃなかったのか?」
「そうだけど、予定が早く終わったから。あなたはどうしてここに?」
 よく知っている人物の姿だと分かり安堵した。
「いるような気がして寄ってみたら、ホントに居たってヤツだ」
「そう……あなたは“私”のことよく知ってるわよね」
「は?」
「なんでもないわ、気にしないで」
 怪訝そうに見下ろすサイファーに、キスティスはいつもの笑顔を返した。
「おまえ、疲れてんじゃないのか? 茶でも淹れてやろうか?」
「相変わらず優しいわね。女子供とお年寄りには」
「後ろのは余計だ」
 キスティスが返事をする前にサイファーは、茶器の置いてある方へと歩いていた。

「ほいよ」
「ありがとう」
 コーヒーの香ばしい香りが立ち上るカップをサイファーが渡してくれる。
「デートは芳しくなったのか」
「なによ、ソレ」
 自分用のコーヒーを持っていつもセルフィが使っている椅子に腰を降ろすと、サイファーは突然そんなことを言った。
「どう見てもデートだろうが、その服。なのにこんな時間に、こんなトコロにいる。ハズレか?」
「相変わらず、無神経男ね。そう思うなら、もっと明るい話題を振りなさいよ」
「図星か」
「…………」
 サイファーの鋭い分析に余計にイライラしそうだったので、キスティスはコーヒーに口をつけた。

「あなたコーヒー淹れるのだけはヘタよね」
 それはイヤミでもなんでもなく、率直な感想だった。
「悪かったな」
 ちっとも悪いと思っていないような声音だったが、キスティスは別に気にもとめなかった。それがサイファーという人物なのだ。
 彼は自分からコーヒーを淹れるようなことは滅多にしない。普段は他人に淹れろと言うことのほうが断然多い。それが自分はコーヒーを淹れるのがヘタクソだという理由からかどうかは、分からないことだけれど。
 その彼が淹れてくれた。彼なりの思い遣りなのだと思うと、キスティスは気分が少し軽くなった。
「なに笑ってんだ」
「え?」
 キスティスは自分が笑っていることに気づいていなかった。
「いっそあなたが彼氏なら、気が楽でいいなと、ふと思ったのよ。それだけ」
 こんな風に、ごく自然に、フッと肩の力を抜かせてくれる。その点は申し分ない。
「とーぜんだな」
「大した自信ね」
 驚きもせず悠然と言い放つ様に少しばかりあきれる。
「女の扱いはカンペキに心得てる」
「まあ、それはご立派ですこと。別の意味でSeeD並よね」
「キスティス、少しは褒めたらどうだ。そんなだから、男ができねーんだよ」
「あなたや仲間以外にはこんな言い方しないわよ」
「俺たちだけかよ。タチわりーな」
 サイファーの言う通りだった。スコール、ゼル、アーヴァインそれに、サイファーに対してもずっとこんな感じだ。特に親友のシュウとサイファーは、他の仲間は遠慮して口にしないこともスパッと言ってくるので、こっちもそれなりに応酬していたらこうなった。

「感謝はしてるけどよ」
「え、そうなの?」
 いつも傲岸不遜な態度のどの辺に感謝の意があるのか、キスティスにはさっぱり分からなかった。
「そんな驚くことか?」
「驚くわよ。あなた熱でもあるんじゃないの?」
 キスティスがそう言うと、サイファーは呆れたような顔をして、またすぐに戻った。
「キスティスは俺を本気で叱りつけてきた数少ない教師だからな」
 そういうことかと合点がいった。いつの間にか記憶からは消えていたが、キスティスにとってサイファーは幼い頃から知っている相手だった。だからこそ、遠慮もなく真正面から向かえた。だが、けっこうな問題児だった彼は他の教師にとってはやっかいな相手だっただろう。ということは、つまり彼が認めたのは教師としての自分で、キスティス個人ではないのだと思うと、僅かに寂しさも感じた。

「そういう人間のありがたさが、今はよく分かる」
 真っ直ぐにキスティスを見据えた翠の瞳に、彼女の胸の奥がざわっと波立った。
 今でこそこのガーデンで以前のように過ごしているが、彼は一時期敵に回った。いくら魔女の洗脳を受けていたとはいえ、過去の彼の所業は消すことの出来ない事実であり、またそんな彼を受け入れがたい者たちも多かった。それをきちんと受け止め、それでもここで在り続け、ようやく受け入れられたサイファーの言葉は、とても重く、深く、心に響く。
 教師としてだろうが、一個人としてだろうが、もうどうでもいい。自分という存在が、少なくとも彼にとって役立ったのは間違いない。その喜びの方が大きい。
「だから、いつでもキスティスの頼りになるぜ」
「ありがとう、そのうちお願いするわ、イライラした時のサンドバッグとか」
「身体かよ!」
 珍しく面食らったような顔が可笑しくて、キスティスはクスクスと笑った。
「ま、いいけどな。身体だけは自信があるし」
「期待してるわ」
 後はお願いと、まだ憮然とした顔のサイファーに飲み終えたカップを渡し、キスティスはスカートの裾をふわりと揺らしドアへと向かった。
「キスティス、今日は一段と美人だぜ。お前の本当の良さが分からない男はアホだ」
 さらりと言ってのけたサイファーにとっておきの女神の微笑みだけで返事をして、キスティスは職務室を後にした。

 自室へと歩いていると、見たことのあるファンクラブの男子生徒とすれ違った。「こんにちは」と挨拶をすると、男子生徒は自分に言われたとは思わなかったのか、周りをキョロキョロと見回して、自分しかいないと気づくと、恥ずかしそうにぺこんとお辞儀をして通り過ぎた。
 カワイイとは思うけれど、やっぱり恋愛の対象でないかなと改めて思う。もうちょっと大人で、ちょっとくらい我儘で強引な方が好きかも知れない。

「夕食にでも誘おうかしら」
 今頃二人分のカップを洗っているのだろう大きな背中を思い出し、キスティスは静かに微笑んだ。


トゥリープFCって一体どんなクラブ活動してるんだろう。気になります。
時間軸としては、アーセルがくっついた少し後くらいかな。
(2009.08.20)

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