おでこ、合わせて
静かな村を雪が覆っている。他の季節なら、色とりどりの花が咲き乱れる、小さいけれど美しい村。でも残念ながら今は冬。厳しいこの時期にも逞しく咲く数種類を除いては、花の姿は殆ど無い。
ただ一箇所だけ、大きな花と小さな花が咲いていた。鮮やかな赤いコートを着た小さな女の子と、落ち着いた濃い色の服を着た男が、雪玉をぶつけ合ってはしゃいでいる。その声は聞こえず姿もここからは見えないけれど、レインは二人の姿が手に取るように分かった。二人はもうすぐ帰って来るだろう、思いっきりお腹が空いたと訴えながら。レインはその様子を想像して思わず笑ってしまった。
「さてと、準備は終わり。そろそろ帰って来る頃かな」
長く真っ直ぐな黒髪を括っていたヘアバンドとエプロンを外し、レインは近くの椅子に身体を預けるようにして座った。
穏やかな冬の日。
暖炉の火がぽかぽかと暖かい。ついウトウトとしたくなってくる。ささやかだけれどとても幸せ。レインはそっと腹部の上で手を組んで目を閉じた。心地よい眠りに誘われ始めた時、騒がしい声と足音にすぐ現実へと引き戻された。
「腹へった〜」
「はらへった〜」
服を解けた雪の水滴で光らせながら、ラグナとエルオーネが勢いよくドアを開けて入ってきた。その声を聞いて、自分の予想通りだった事に、少しの苦笑と、行儀の悪さに大きな溜息が洩れた。
「ラグナ、エルの前でそういう言葉遣いはやめてっていつも言ってるでしょう。それに、服がそんなに濡れるまで外で遊ばないの! 風邪をひいたらどうするの!」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
大きな男と小さな女の子が、同じようにしょぼんとした声と、同じようにがっくりと肩を落す。血は水より濃いというが、彼らの場合逆ではないかと思う。まるで年の離れた兄妹のようだ、ここは敢えて親子ではなく兄妹と。
「分かったら、早く手を洗ってらっしゃい」
思ったより神妙な面持ちの二人に、レインは怒りすぎたかなと少し後悔した。
「はぁ〜い」
エルオーネはタタッと洗面所へ向かった。
「お昼の献立はなにかなっ」
だが、ラグナはそれよりも献立の方に興味津々のようだった。
「先に手を洗う!」
レインは昼食の並んだテーブルにつくと、また小さく溜息をついた。
全くこれでは本当にどっちが子供だか分からない。というより、どう考えてみても、ラグナが来てからというもの、“子供が増えた”という印象しかないけど。
それでも、ラグナという存在は自分に劇的な変化をもたらした。素直に良い方へ……。一生この村で、周りの人の薦める誰かと結婚して、今まで通り花を育てて生きていくんだろうな〜と思っていた。特に、夢とか希望がある訳でもなく。淡々と流れる日々の中年を重ね、そしてこの土地の土に還るんだろうな〜って。それを嫌っていたりはしなかった、この村は好きだから。あるがままの自然が美しい村、それは自慢でもあった。
けれど、今は――――。
「レイン、もう食べていい?」
可愛らしい声に、レインは我に返った。
エルオーネもラグナも、とっくに手を洗って、いつもの席についている。
「あ、いいわよ。じゃ、いただきます」
「いただきまーす」
「いただきます!」
「エル知ってるか?」
「なにを?」
フォークからこぼれ落ちたスパゲティをちゅるんと飲み込むと、エルオーネはラグナを見た。
「きれ〜いな、色をしたキノコほど、食べちゃいけないんだぞ」
「むぐっ!?」
エルオーネは驚いたように顔をしかめると、再びスパゲティを口に運んだばかりなのに、口をパカッと開けてしまった。
「これに入っているキノコは大丈夫よ、エル」
キノコとチーズのスパゲティを目の前に、半泣きになっているエルに、レインは優しく言い、その後でキッとラグナを見た。
「どうして今、そんな事を言うの。大体あなたは――――んくっ…」
今度はレインが口を押さえて席を立つと、部屋を出て行ってしまった。
「おわっ、レインどうした!? まさか、本当に――」
ラグナはそこで慌てて口をつぐんだ。また迂闊な発言をしてエルオーネが本当に食べられなくなってしまってはいけない、そうなると今度は確実に食事抜きの刑は免れない。ここは大人しく、食事を進めるのが良策だと思う。
だが、レインはちっとも戻って来なかった。さすがにラグナも心配になって、レインを捜すため席を立った。足音の方向からして、バスルームへ向かったのだろうとドアを開けたが、レインの姿は無かった。
「あれ? 確かにこっちへ来たと思ったんだけどな〜」
ポリポリと頭を掻きながらバスルームを出て、ラグナは考えた。考えるとはいっても部屋数の多い家ではないので、次どの部屋へ向かうかはすぐに決まった、階段を上がり寝室へ向かう。もう可能性としてはそこくらいしかない。
「レイン」
そっと声を掛けてドアを開けると、ベッドの上にポフンと横になっている姿が見えた。
「レイン、具合が悪いのか?」
ラグナは慌ててレインに駆け寄った。こんな事は初めてだった。食事の途中で席を外して、寝室に寝転がっているなど。
「ん〜 あ、ごめん。タオルを取りに来たんだけど、なんだか急に眠くなっちゃって」
「ご飯も食べてないのにか〜? レインさんは器用ですね」
ラグナはホッとすると同時に、またうっかり口が滑った。怒られる、と身構えたが、レインは何も言い返して来なかった。
「そうよね〜、変よね……」
ラグナの予想とは反対に、レインはどこかボ〜っとした瞳で天井を見上げていた。
「やっぱり具合悪いんじゃないのか?」
ベッドに近寄ると、ラグナは腕をついてレインのおでこに自分のおでこをこつんと合わせた。
「熱はないみたいだな〜」
「どうして、いつもおでこを合わすの? 普通に手を置けばいいじゃない」
「えっ?! あ、変なのか!? 考えた事もなかった」
「変よ」
『嫌いじゃないけど』とレインは心の中で付け加えた。
困ったように、照れたようにラグナはポリポリと頭を掻いた。
「大丈夫よ、確かに体調は良くないけど、病気じゃないから」
その様が妙に可愛らしくて、レインは可笑しくなった。
「お? 体調は良くないけど、病気じゃない?? なぞなぞ?」
「違うわよ。むしろ嬉しいことよ」
相変わらずのトンチンカン振りに、レインはついに吹き出してしまった。
「嬉しい……? ん〜? え、あっ! ええ〜っ!?」
「なあにその驚きっぷりは、嫌なの?!」
「そんな事ない! うはっ、嬉しすぎて泣きそう!!」
言うなりラグナはレインの手を握ったかと思うと、今度はぎゅ〜っと抱き締めた。
「ウソじゃないよなっ」
「ウソじゃないわよ、お父さん」
「お父さんっ!?」
今度は勢いよく離れたかと思うと、キラキラ、と言うよりはウルウルとした瞳で、ラグナはレインを見た。
「本当にお父さんになるのは、夏になってからだけど。宜しくね、お父さん」
「おと、おと、おと、おとうさんっっ!」
軽くパニックになっているラグナを見て、レインはまた笑った。
近所のおばさん達がよく言っていたのを思い出す。
『男はいざという時オロオロするばかり、だからあたし達女の度胸がすわってるんだよ』
本当にそうだとレインは思った。
「おじちゃん、レインは……?」
少し開いたドアから、ちょっと心配そうな可愛らしい顔が覗いていた。
「エル、ごめんね。今下へ行くね」
「エル隊長に報告があります!」
レインが立ち上がるのを手伝った後、ラグナは寄ってきたエルを抱き上げた。
「ラグナ、ほうこく!」
いつもそうするように、ラグナはビシッと敬礼をしてからエルに報告をする。
「ラグナ隊員は夏にお父さんになるであります!」
「お父さん!?」
「そう、お父さん」
「レインほんとう!? あかちゃん、うまれるの!?」
エルオーネはラグナの腕の中、ぐいんと後ろのレインを振り返った。
「本当よ、エルも喜んでくれる?」
「うんっ!」
「エルが喜んでくれて、おじちゃん嬉しい〜」
にこにことこれ以上はないというような笑顔で、ラグナはエルのおでこに自分のおでこをこつんと合わせた。
「ご飯冷めちゃったね、早く下に行きましょう」
外の真白な世界は、もうじき色とりどりの世界になる。そして、空の蒼と草木の緑がうんと濃くなった頃には、……きっと。
幸せに、幸せに――――今、この時も、そして――――。
今は、まどろむような幸福の中、暫し時を止めて。
ふと、アーヴァインも似たような反応しそうだな〜と思ったり。
(2008.07.23)
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