honey
『うわーん またアービンから返事来ない』
セルフィは携帯をパタンと閉じると、ぼふんとベッドに突っ伏した。
まだ寝るには早いけれど、いっそこのまま寝てしまおうか。よし、そうしよう。決心して目を閉じた。
けれど。
本を読んでみても、いくらヒツジを数えてみても、ちっとも眠くならなかった。
「やっぱり、気になって眠れへん〜」
原因はセルフィにも、ちゃ〜んと分かっていた。
珍しく、本当に珍しく、アーヴァインを怒らせてしまった。
らしいのだ。
らしいというのは、セルフィにはいまいちどれがアーヴァインを怒らせる要因になってしまったのかが分からないからだった。
四、五日前から、互いにガーデン内勤務にも関わらず、妙にタイミングが悪くてアーヴァインに会えず、会えても入れ違いですぐ別の所へ移動するはめになったり、メールの返事も返ってきたり返ってこなかったりしている。
こんなことは今までになかった。
だからセルフィは戸惑った。単にタイミングが悪いだけなのか、それとも自分が怒らせてしまったのか。そう言えば、会えなくなった前の日に、アーヴァインのお願いを邪険に断ってしまった。ひょっとしたらそれではないかと思う。それも、アーヴァインが怒る原因にしては、些細なことのようにも思えるし……。でも、かろうじて返って来たメールの文面は、なんだかそっけない感じもする。
セルフィは考えれば考えるほど、深みにはまってしまい、プチパニックを起こすくらい、ワケが分からなくなっていた。
身体をくるんと転がし仰向けになって、天井をぼ〜っと見あげる。
「もう嫌われてしもとったら、どうしよ〜」
とにかく初めてのことで、セルフィの思考はどんどん負の方向へむかっていた。
「そんなん、イヤや〜」
一度心に湧き上がった疑問は、心の中であっという間に膨れあがり、考えをほかへ向けることも出来ない。
「……アービンに嫌われるのだけは……イヤ……」
いま、心を占めるのは、ただ、それだけ。
ぎゅうと枕を抱きしめ、セルフィは初めて涙をにじませて眠りについた。
次の日もやっぱりアーヴァインには会えなかった。
明日は休日だけれど、ちっとも嬉しくない。ひとりで過ごすのは嫌いじゃない。嫌いじゃないけれど、自発的にひとりでいるのと、強制時にひとりでいるのとでは、全く気分が違う。いつもなら、にこにこ顔のアーヴァインが「どうする〜?」とか聞いてくるのに。
「お嬢、これから夕メシか?」
職務を終え、ひとりガーデン内の通路を歩いていたセルフィの後ろからサイファーの声がした。
「サイファー」
「うわっぷ! お嬢、何すんだ」
気が付くが早いか、セルフィはサイファーに駆け寄り飛びつくように首にぶらさがった。
いくら相手は小柄なセルフィといえど、いきなりのことでさすがのサイファーも少しよろけた。
「さいふぁ〜」
「どうした、お嬢」
セルフィの様子ががいつもと違うことに、サイファーはすぐに気が付いた。
「アービン怒らせた。嫌われたかもしんない、どうしよ〜」
「は?」
どうしてアーヴァインを怒らせたかも知れないという理由で自分の首にぶら下がってくるのか、その因果関係がさっぱり分からなかったが、セルフィ相手に理由を探そうとする方がムダだとサイファーは軽く流した。
だが、セルフィが言った言葉は流すワケにはいかなかった。
「何やらかしたんだ?」
「分からないから、困ってるんだよ〜」
「…………」
さすがセルフィ、訳が分からないのはこっちだとサイファーは思った。
「怒らせた理由が分からないのか?」
「うん どうしようサイファー。もう嫌われちゃってたらどうしよう。サイファーから理由聞いてくんない?」
サイファーは脱力した。
首にぶらさがられている所為もあって、ひっじょーに脱力した。
あのアーヴァインがセルフィに怒るなんてことがあるのか。
それは百歩譲ってあったとして。
アーヴァインがセルフィを嫌いになるなんてことは絶対にない。
十年以上も、一歩間違えたらストーカー並の執念で彼女を想ってきたあの男に限っては、それはありえない。嫌いになるならとっくの昔になっている筈だ。これだけは確信する。恐らく自分だけではなく、ガーデン中の人間の殆どが賛同する自信がある。
当事者のセルフィには、分からないことかも知れないが。
というより、妙に腹が立つ。
そんな不安に駆られるほどアイツのことが好きなのかと思うと、大事な妹にこんな思いをさせやがってと怒りまで湧いてくる。
だが、さし当たっての問題は目の前のセルフィの方だ。そして、ちょっとだけ心を鬼にして兄ぶってやる。
「そういうことは、本人に聞くのが一番だ」
「ええ〜 サイファーから聞いてよ〜」
「ダメだ」
そう言うと、サイファーはセルフィの手を解いて降ろした。とん、と地面に足をつけたセルフィは、口を尖らせ思いっきり不満げにサイファーを見上げていた。
「あのままぶら下がっていたら、本当に嫌われるぞ」
「なんで〜?」
まだ口を尖らせているセルフィを、サイファーはくるんと反対側へ向きを変えさせた。
「アレ、分かるか?」
「ん〜?」
サイファーが肩越しに指で示した先を、セルフィは目で追いかけた。
一本向こうの通路に、キョロキョロとしながら歩くアーヴァインの姿があった。すれ違う人をとっ掴まえては、何かを聞いているようだ。幸か不幸か、まだこっちには気が付いていないっぽい。
「おいっ! アーヴァイン!」
いきなり耳がキーンとなるような大声で、サイファーはアーヴァインに呼びかけた。
セルフィはぎょっとしてその場を離れようとしたが、知らない間にサイファーに両肩をがっしり掴まれていて動けなかった。離してくれとサイファーに懇願したが、頑として彼は動いてくれず、セルフィが無駄なあがきをしているうちにアーヴァインはすぐ目の前まで走ってきていた。
「捜しモノはコレだろ?」
言うと同時、サイファーは、とんっ、とセルフィをアーヴァインの方へ押した。
サイファーに掴まれて動くことも出来ない身体の代わりに、心臓だけがものすごい早さで脈を打っているセルフィのことなどお構いなしに。
「わっっ!」
「セフィ」
いきなり解放されたセルフィはバランスを崩し前につんのめったが、今度はアーヴァインの腕が柔らかく受け止めた。
「聞きたいことは自分で聞くのがイチバンだぜ、お嬢」
なおも縋るように後ろを振り向いたセルフィの瞳に映ったのは、既に少し離れた所を歩きながら手を振っているサイファーの後ろ姿だった。
『サイファーのイジワル〜!』
いくら悪態を衝いても、声に出さなければ相手には届かない。サイファーの姿は、すぐに角を曲がって見えなくなってしまった。
「セフィ?」
握られた腕に力が込められたのと、少し戸惑ったような声に、セルフィは我に返った。
この状況をどうするか。
――――いや、そうじゃなくて、サイファーの言うとおり、聞きたいことを聞いてしまえばいいのだ。目の前に、その相手がいるのだから。やっと会えたのだから。
でも、もし、一番聞きたくない答えを聞くはめになってしまったら……。
セルフィはまたマイナス思考の渦に引き込まれかけた。
「ええい そん時は仕方がない!」
だが、サイファーのアドバイスは、確実にセルフィの心を引き上げてくれていた。
「なに!? セフィ、どうしたの…」
急に声を張り上げたセルフィを、アーヴァインは驚いた顔で見下ろしていた。
「ごめん、アービン!」
セルフィはとにかく謝ることにした。自分に否があると思っているのだから、何をおいても謝るのが先決だと。
「え!? なに。なんで謝るの!?」
「この前のこと怒ってる、んだよね?」
「この前? あ、アレは……」
「ごめんっ、ホントごめん」
「……セフィ」
アーヴァインは急にセルフィが謝り始めて何事かと面食らった。
彼女が自分を怒らせたと思っている内容で、怒っていたりはしていない。そんなのはいつものことで、がっくりとはしたものの、怒ったりはしていない。それどころかここ数日、厭味のような絶妙のスケジュールで全くセルフィに会えなくて、更に追い打ちを掛けるように、携帯電話の調子が悪くメールが送れなかったりで、逆にセルフィを怒らせているんじゃないかと思っていた。と同時に、彼女のことだから、ちっとも気にしていないのではないかとも思っていたが、そっちの可能性はなるべく考えないようにしていた。
だけど……。
今のセルフィの口ぶりでは、何だか自分を怒らせたと思っているらしい。
「気にしてないし、怒ってないよ」
「ホント?」
そう答えても、セルフィは不安げな顔で見上げたままだった。
珍しい、本当に珍しいとアーヴァインは思った。というより、この滅多に見られない表情に、良からぬ考えが頭の中をよぎってしまった。
「じゃあさ、この前のお願いを今日聞いてくれるなら、それでチャラってのはどう?」
「え!?」
「ダメ?」
「…んとにそれで許してくれるん?」
「もちろん」
気前よくにこにこ笑顔でそう言うと、セルフィの瞳が少し揺れ、頬がふわっと色づいたのが分かった。
そして、ためらいがちに唇が動く。
たぶん、その内容は自分の期待通り。
「わかった」
やっぱり、と心の中で拳を握る。
「んじゃ、ゴハンを食べにいこう〜 デザート込みでおごるね」
差し出した手を握り返してくれた温かさが、本当に嬉しかった。
手をつないで歩きながら、セルフィの誤解を利用してしまい、ほんのちょっと痛む良心には、デザートという対価でカンベンしてもらうことにした。
ばかっぷるーー!!
急にこんなのが書きたくなったのでガガーッといきました。どうやらアーは、セルフィの誤解をちゃっかり美味しく頂いてしまうタイプのようです。普段アーを邪険にしがちなセルフィがイカンのだろうし。セルフィが可愛〜てたまらん故だし、仕方ない、か!?
アーの願いは、う〜ん『Good Morning?』よりは後の時系列だとは思います。そんなカンジで各自補完して頂ければ……。
(2008.12.18)
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