朝霧が漂う季節となった早朝。街中からは少し外れた所にあるこの館は朝から騒がしかった。
通用口の扉が勢いよく開くと娘が飛び出し、館の裏手にある農園へと向かって走るのが見える。
『あーもう、なんでなくなってるかな〜。昨日ちゃんと採っておいたのに!』
いつもなら食卓用に摘む、淡い黄色や青の小花の咲く小道を駆け抜け、その先にある林檎の木を目指し長いスカートの裾が翻るのも気にせず駆けた。
下の義姉から今日のお茶の時間には林檎のパイを、と言われて昨日のうちに林檎を採ってきて厨房の片隅に置いておいた。それがどういうワケか、今朝厨房まで降りてみれば忽然と消え失せていたのだ。
朝から晩まで館の下働きの仕事が詰まっていて、この時間でないと林檎を採りに行く暇がない。朝食前に気がついたのは、奇跡だと娘は思った。今採っておかなければお茶の時間までにパイが間に合わない。そうすると、あの義姉からどんな嫌味を言われるか。自分の不注意という点は確かに合っているが、それをグサグサと歯に衣着せぬ言い方をするので、精神的にかなりくるものがある。
思い返せば、今自分がこんなことをしているのは、あの下の義姉の有無を言わせぬ迫力に気圧され、気がつけば上手く言いくるめられたせいだ、と言っても過言ではない気がする。
自分はれっきとしたこの館の主の娘で、今の母に姉たちは父の再婚相手だ。自分もこの伯爵家の正当な血筋を受け継いでいるにも拘わらずこんなことをしているのは、見るに見かねたからだった。
父が再婚してから間を置かず、その父が他界した。その後、この家は徐々に身代が傾き、今や貴族とは言えどすっかり没落してしまった。多く居た使用人も給金が払えずもう一人しか残っていない。そんな中で誰が義母や義姉たちの身の回りの世話をするのかと言えば――――。
気がつけば、自分がやることになっていた。
「今更だよね、こんなこと」
他に誰もいなかったとは言え、それを引き受けたのは自分なのだ。言い聞かせるように娘は頬をパシパシと叩き、いつの間にか辿り着いていた大きな林檎の樹を見上げた。
「よし」
父が生きていた頃からそうしていたように、手頃な枝にひょいと足をかけ身のこなしも軽くスルスルと登る。年頃の娘がそんなことを、と普通なら咎められるものだが、幸か不幸かすくすくと育ち今や立派な体格に育った娘は、逆に他の使用人から頼まれる始末だった。
娘はよい熟れ具合の実をもいでは、柔らかい下草の茂っている樹の根元にポイポイと落とした。
「あ、カゴ忘れた」
充分な量を採ったところで下に降りてみれば、実を入れるカゴを持ってくるのを忘れていることに気がついた。こういう、うっかりな所をあの義姉に笑われるのだ。そう思うと深い溜息が出た。
「あ、そのまま動かないで」
「は!?」
がっくりと項垂れた娘の耳にそんな声が聞こえた。
「その首から背中にかけてのラインの哀愁は秀逸だ。スケッチするから、そのままで」
娘は更に項垂れた。
「キロス義姉さま、もう朝食の時間ですよ。それに早くこの林檎を持って帰らないと、サイファー義姉さまが後で暴れることになります」
「うむ…………仕方がないな」
娘の言葉にキロスは考え込んだ風だったが、答えは早かった。自分の望みよりもサイファーの暴れっぷりの方が重要と判断したらしい。そのことに娘もホッとした。
上の義姉キロスは、下の義姉サイファーのような意地の悪いことはしないが、自己中心的な性格はよく似ていた。こと趣味の“芸術”に関しては、寝食も忘れるくらい没頭する。没頭している時は人の言うことなどまるで耳に入っていない。なまじ邪心がないだけに、その盲目的没頭っぷりにひっじょーにメイワクを被ることがある。
この前、水の入った桶を館に運んでいる途中でうっかりコケてしまった時なんか、「そのまま」と言われて、何か術でも使ったのか、立ち上がろうにも何故か身体が石のように動かず、地面に突っ伏したまま小一時間ほどスケッチされた。
その後、実に嬉しそうな笑顔で「ありがとう」と言われたが、そのせいで夕食がすっかり遅くなり、サイファーが暴れるはめになった代償としては全く割に合わなかった。
「私も手伝おう」
色んな意味で深く溜息をついて娘が落とした林檎をエプロンに載せていると、キロスも同じように林檎を拾い始めた。
「あ、ありがとう」
変わり者ではあるが、彼女は基本的に人は良い。娘は素直に感謝した。
「一つだけ忠告しておくよ、アーヴァイン。君はなかなかの器量好しだけど、そのがに股だけはいただけない」
わざわざ厨房まで一緒に林檎を運んでくれたキロスは去り際に、娘に向かってそんなことを言った。
「ご忠告ありがとうございます」
あなたもね、大体こんな長いスカートで歩いていても、大抵の人間はがに股なんて気づかないですよ。自分よりも更に長身で体格のいいキロスに心の中で返して、アーヴァインは忠告に対する感謝の笑顔を向けた。
※-※-※
サイファーたちの朝食が終わった後、大急ぎで午前中の仕事を終わらせ、昔からいる使用人のウォードと動物であっても働きもののムンバに手伝ってもらい、アーヴァインはアップルパイを作った。
「……どうかな?」
焼き上がったパイを一切れフォークで刺し、アーヴァインはムンバに食べさせた。ムンバはキュウキュウと声を出して飛びはね、嬉しそうにぷにょぷにょした肉球が愛らしい手を叩いてくれた。
「よかった、おいしいんだね〜」
ありがとうと頭を撫でてやると、ムンバは真っ赤なたてがみを揺らしてコクンコクンと頷いた。
そしてもう一人味見をしてもらったウォードの表情をアーヴァインは窺った。ムンバ同様、言葉を発しない彼の返事を聞くには、その表情を見るのが一番分かり易い。
大きな手で持つとやたら小さく見えるデザートフォークを小さく揺らすと、ウォードはアーヴァインを見てニッと笑った。その笑顔にアーヴァインは胸を撫で下ろす。料理に自信がない訳ではないが、好みのうるさいサイファーの口に合わせるのはなかなか至難の業なのだ。なので味覚の鋭いウォードの評価はとても参考になる。
「ああ、もうこんな時間だ」
時を知らせる鐘の音が風に乗って高く低く聞こえてきた。アーヴァインは慌てて焼き上がったばかりのパイを青い小花柄の皿に載せると、義母や義姉たちのお茶の用意をした。
天気が良いからと、美しい薔薇が今を盛りと咲き誇る庭を眺められるテラスでお茶の時間を過ごすことになった。
「このパイ美味しいね。また腕を上げたかな、アーヴァイン」
「ありがとうございます、お義母さま」
少々野太い声ではあるが、義母ラグナはカップをソーサーに置く所作も優雅に、アーヴァインに微笑んだ。
「ほら、サイファーもそう思うよね?」
「ああ、不味くはない」
全く褒め言葉からはほど遠いが、アーヴァインはその回答に心底安堵した。取り敢えずその回答なら暴れられずに済む。いつもいつも割られたのでは、茶器代もバカにならない。
「またそんな可愛げのない言い方をする。素直に美味しいと言ったらどうなの」
「うっせーな」
「サイファー、その言葉遣いは直しなさい。まったく、もっと貴族の娘らしくしたらどう。それでは誰もヨメに貰ってなどくれないよ」
「お義母さま、もうそのくらいで。折角の焼きたてのパイが冷めます」
アーヴァインはラグナの小言に、サイファーの眉間の皺が段々と深くなってくのを見て慌てて止めに入った。
放っておけば、また茶器が割られる事態になる。サイファーは血の気が多く短気でけんかっ早い。それに反して、義母は貴婦人然とした人物だが、ごく稀にサイファーのけんかを買ってしまうこともある。体格のいい二人の乱闘は手が付けられない。当人たちも怪我をするが、加えて館の色んなものが破壊されるのだ。もちろんその後片付けをするのはアーヴァインの役目だ。その経験を経て、アーヴァインは危ない空気を瞬時に読み回避する技術を身に着けた。
「サイファーも少しはアーヴァインを見習ってくれればねえ」
ラグナはお茶のおかわりをアーヴァインから受け取ると、深く溜息をついた。それを横目にチラッと見て面白くなさそうな顔はしたが、サイファーも静かに三個目のパイを口に運んだ。
「キロスはまたスケッチでもしてるのかな?」
「ええ、そうだと思います」
「そうか」
キロスの姿はあれから見かけなかった。気まぐれな質なので、お茶の時間もいないことも多々ある。ラグナもそのことはよく承知していたので、何となく口にしてみただけのようだった。
「あ、そうだ忘れていた。明日の夜、城で久し振りに舞踏会があるそうよ。招待状が来ている」
「城っ!?」
声をあげたのはサイファーだった。そういう面倒なことは、いつも何かと理由をつけて避けてまわるのに珍しいと思いながら、アーヴァインはサイファーのために四個目のパイを切り分けていた。
「もしかして行くのかな?」
ラグナもアーヴァインと同じように思ったのか、少し驚いた顔をしている。
「王子も年頃だし、いいかも知れないね」
そう言ってラグナは何度も頷いた。
これといった行事のない時期の舞踏会となれば、王子の花嫁探しも目的の一つだろう。最近街中でよく耳にする噂の一つ。年頃の王子の結婚相手は、老いも若きもこの国の民にとって、最も大きな興味の対象だ。
特に貴族の娘ならば、その花嫁になるのも夢ではない。将来は王妃。そんな輝かしい未来に興味を抱かない方がおかしいだろう。
「そんなものに興味はない」
だが、おかしい人間はここにいた。
「じゃあ、何をしに城へ行くの? まさかダンスをしに行くという訳では……ないよね」
「『伝説の騎士』に会いに行く」
「……ああ」
ラグナは納得だというように頷いた。
『そっちか』
アーヴァインも心の中で頷いた。サイファーなら目当ては王子より伝説の騎士の方が余程しっくりくる。
「そう言えば、君は昔から騎士願望があったね」
ラグナは思い出したように苦笑いとも微笑もつかぬものを浮かべた。
「アーヴァインにもちゃんと届いているよ」
片付けた茶器類を盆に載せ、この場を立ち去ろうとしたアーヴァインをラグナは呼び止めた。
声の方に振り返れば、金の縁取りがされた白い封筒を差し出されていた。アーヴァインは思わずそれを受け取ってしまった。が、やはり思い直す。
「やっぱりいいです」
今日も明日も明後日もその先も、毎日やらなければならないことのみっしり詰まった自分には関係のない話だ。
「明日一日くらいは楽しんでくるといい。旦那様が亡くなってから、この家もすっかり……。何も出来ない私たちの代わりに、何もかも君に押しつけてすまないと思っているんだよ。せめてもう一人雇うことが出来たら君にこんなことを押しつけなくてもすむのだけれど」
「いえ、私も興味がありませんから」
にっこりと笑顔を作ってそれだけ言うと、アーヴァインは早々にその場を離れた。
※-※-※
「行ってらっしゃい」
アーヴァインはラグナとサイファーを乗せた馬車が、門を出て角を曲がって見えなくなるまで、手を振って見送った。キロスは例によって「しばらくスケッチ旅行に行く」と書き置きを残して、どこかへ出掛けてしまっていた。
「さて、戻るか〜。今夜は誰もいないし羽が伸ばせるね〜」
一つ大きく息を吐いて、ぐぐーんと腕を上て伸びをすると、隣のムンバも同じように背伸びをした。
館の中には入らず納屋へと足を向ける。今夜は義母や義姉の夕食は必要ないが、動物たちはそうはいかない。
チョコボと豚、それと一頭だけ残された小さな馬に餌をやる。餌をやり終えた所で干し草を抱えてウォードが入って来た。そこにアーヴァインがいるのを見つけると、「舞踏会へ行かないのか?」というような顔をした。
「さすがにこの小さな馬に馬車を引かせるのは無理だよ。それに興味ないから」
アーヴァインがそう答えるとウォードは思い切り眉間に皺を刻んだ。
「本当だよ。さ、今夜は義母さまたちもいないし、自分の部屋でゆっくり出来るよ」
そう言ったアーヴァインにぐいぐいと身体を押され、ムンバには手を引っ張られてウォードは納屋から出て行った。
アーヴァインが生まれる前からこの家にいるウォードにしてみれば、アーヴァインこそ招待状を受け取るにふさわしいと思っているのだろう。アーヴァインはそのことを嬉しくは思ったが、嘘の返事をしたという訳でもなかった。
「セルフィ王子、きっと凛々しく育ってるよね〜」
アーヴァインはウォードが運んで来たばかりの干し草の上にどさっと身を投げ出すようにして寝転がると、小さな馬に話しかけた。身体を受け止める程良い弾力と、少しちくちくする感触と、お日様の匂いにふわっと包まれる。
子供の頃、こうして干し草に乗っかって遊ぶの大好きだったのを思い出す。
あの頃は母も元気で、父は王の信頼も篤く、時々王子が遊びに来ることもあった。普段城の中ばかりで生活をしている王子はこの納屋が特にお気に入りで、よくここで二人で遊んだ。
母が死に、父も他界した今では、もうただの思い出でしかないけれど。
あれから長い時が流れ、王子とも会うことは無かった。貴族の姫とはほど遠い日々を送っている自分には、王子はもう別世界の人間なのだ。無邪気な子供の友達とは違う。それに街の噂では、隣国の王女が后の本命だと囁かれている。自分もきっとそうなるだろうと思っている。
毎日色んな人と出会う生活を送っている王子が自分のことを憶えているとは思えない。城に行ってそのことを突き付けられれば辛くなるだけだろう。実ることのない幼い恋は、さっさと忘れるに限る。
アーヴァインは額の上に腕を置いて深く息を吐いた。
「痛っ」
ふいに腕に何かがコンと当たった。
「……クツ?」
なんだろうと拾い上げてみると片方の靴だった。どこからこんなものが? と辺りをキョロキョロ見回したら、また何かが落ちてきた。
「もうかたっぽの靴」
今度は上から落ちてきたのが判り、上を見上げる。
「うわーーっ!」
「わーーっ!!」
「ぐえっ……」
アーヴァインが上を向いた途端、靴より遥かに大きな物体がアーヴァインの上に落ちてきた。
「ふう、痛かった〜」
落ちてきた主はゆっくりと身体を起こすと、パンパンと埃を払うように衣服をはたいている。
「ど、どいてよ。重い〜」
「あらら、ごめん」
落っこちたきた物体は、慌てる風もなくのろりとアーヴァインの上から降りた。
「もう、なんでこんな所にいるんだよ〜」
アーヴァインは降ってきた相手に毒づいた。
「あー、ごめんね。ちょっと、材料探してたのよ。ほら、今日の収穫!」
落っこちて来た主は、手に掴んでいたものをブンとアーヴァインの前に突き出した。
「うわーーーっ!!」
「そんなに驚かないでよ」
「驚くよ! 普通、驚くよ。目の前にヘビなんか突き出されたら!」
目の高さでうにょうにょと蠢くヘビから逃れるように後退りながらアーヴァインは声を張り上げた。
「大袈裟ね〜」
「わ、わたしは魔女じゃないんだから普通だよ、ふ・つ・う! リノアがヘンなんだよっ!」
「何それ、魔女は普通じゃないとでも言いたいワケ? 聞き捨てならないな〜」
リノアはぷく〜と頬を膨らませた。
「リノアは魔女なんだから普通の人間と違うでしょ!」
「そう言われればそうか〜」
あはははと笑うと、リノアは引っ掴んでいるヘビに向かって何事か囁いた。するとヘビはロープにでもなったかのようにクタッと力が抜け動かなくなってしまった。それをどこからか取り出した袋に慣れた手付きで入れると、リノアは改めてアーヴァインを見た。
「ところでアーヴァイン、あなたは舞踏会行かないの?」
「別にリノアに関係ないでしょ」
マイペースなリノアに少しトゲのあるような口調でアーヴァインは答えた。
「本当は行きたいクセに。王子に会いたいんでしょ? でもコワイから行かれないんでしょ」
アーヴァインは誰にも言ったことのない心の内を突かれて、何も答えずにリノアを睨んだ。
「そうだったとしても、リノアには関係ないでしょ」
「そりゃねそうだけどね〜。日頃お世話になってるし、行きたいのなら協力してあげようと思ったんだけどな〜」
「あ、もしかして昨日の朝、採っておいた林檎を黙って持って行ったのはリノア?」
「ごちそうさまでした。ここん家の林檎は美味しいよね〜」
にこにこと悪びれもせず言い放つリノアに、アーヴァインは項垂れた。
いつの間にか近所に住み着いた魔女リノアは、ちょくちょくアーヴァインの家から食料を頂戴していくことがあった。大した量を持って行く訳ではないので気がつくのは、彼女が代金だと怪しげな魔法薬を持って来た時だった。そして昨日の林檎も彼女の仕業だったらしい。いつものことなので咎めるような気持ちはないけれど、ちょっとだけ脱力した。
「もう変な魔法薬はいらないよ〜。その馬だってやっと元の毛色に戻ったとこなんだからね!」
アーヴァインは何も知らず、かいばを食んでいる小さな馬を指さした。
「あ、あれはちょっと失敗しただけよ〜。桃色の馬なんて、可愛いじゃない」
「可愛いけど、可愛くない! 蹄まで桃色は変だよ!」
唇を尖らせ本気で残念がっているリノアに、アーヴァインは精一杯反論した。
この馬はアーヴァインにとって特別だった。
王子が子供の頃、この小さな馬がお気に入りでよく乗って遊んだ。アーヴァインにとってはたった一つ残った大切な絆なのだ。
「どうして舞踏会に行かないの? 馬車がないから? ドレスがないから?」
「だから行きたくないって言ってるじゃない」
「そう見えないから言ってるんじゃない。どう見ても、お城に行きたそうな顔してるよ〜。王子に会いたいって顔に書いてあるよ〜」
「!!」
「諦めるにしても、一度ちゃんと会ってきたら? 今のままだと、ずっともやもやじゃない?」
「………………」
リノアの言う通りだった。
どうして自分の気持ちがバレてるのかってことは置いといて。王子がまだ好きなことは事実だ。だから会うのが怖い。「君なんか憶えてない」と言われることが怖い。花嫁とかよりも、その方が怖い。そうしたら大事な思い出までも壊れてしまう。
「ね、協力するから。会ってきなよ。私、王子はちゃんと憶えてくれてると思うよ。きっと昔のように仲良くなれると思うよ」
そう言ってくれたリノアの顔はさっきまでと打って変わって、真剣だった。
「うん、リノアがそう言うなら」
リノアの言葉は不思議な力を持ってするりと心の中に入り込み、アーヴァインには本当のことのように思えた。
「やっり〜! じゃ、善は急げってことで早速始めるよ〜。えいっ!」
キラキラ星が飛び回っているのが見えそうなほど嬉々とした顔をしてリノアは、いずこからか本当にキラキラと光る星の付いたスティックを取り出してブンと一振りした。
すると見事な毛づやの黒鹿毛(くろかげ)の馬が一頭現われた。
「◇■※▽○▲ーーっ!!」
「あ、ごめん、ごめん」
言葉にならない抗議を聞いて、リノアはまたブンとスティックを振った。
「どうして私が馬ーーーっ!!」
ぼふんと元の姿に戻ったアーヴァインが叫ぶ。
「何となく顔が馬っぽくて、つい」
テヘヘ〜と笑うリノアに、アーヴァインはもう一度抗議をしようと思ったが、またスティックがクイッと揺れるのを見て口をつぐんだ。
「えいっ!」
今度はちゃんとかいばを食んでいた小さな馬が、りっぱな尾花栗毛の馬に変身した。それを見てアーヴァインは胸を撫で下ろした。
「じゃ、次は馬車ね〜。えいっ!」
「うわーーっ!! それはサイファーに頼まれたパイ用のかぼちゃーーっ!!」
アーヴァインが叫んだ時には、もうメルヘンちっくな曲線の可愛らしい馬車が出現していた。
「うわっ、可愛い! 私、天才!」
スティックを握りしめてリノアはぴょんぴょんと跳ねて喜んだ。リノアが跳ねる度にスティックの先端の星がキラキラと鱗粉のように輝く。それを見てアーヴァインは諦めの胸中に至った。
「次、ドレース! はいっ!」
アーヴァインに向けてスティックを更に一振りした。
しゅるるんと流れるような早さで質素な服が、フロスティーブルーの上品な夜会ドレスに変わった。髪を触ってみるといつもの後ろで結んだ髪型ではなく、綺麗に結い上げられている。
「靴はね、私からプレゼント」
「え、魔法じゃないの?」
「うん、これは昨日の林檎のお礼ね」
「そうなんだ、ありがとう」
アーヴァインはリノアから靴を受け取った。透明なガラスのような靴。角度を変えると小さく虹色の光りが浮かんでとても美しい。
「ガラス?」
「っぽいけど、違うのよね。私の故郷で採れる貴重な素材なんだよ〜。割れたりしないから安心して、それに綺麗でしょ」
リノアはにこにこと笑っていたが、アーヴァインはどうにもガラスにしか思えない靴は少々不安だった。けれど、期待一杯の瞳で見つめられて、恐る恐る履いてみた。と、意外と軽くて歩きやすかった。
「最後に馬車には御者がいるよね」
アーヴァインがガラスっぽい靴に感動していると、リノアはパチンと指を鳴らした。が、特に何も起こらなかった。
「?」
訝かしい顔をしてアーヴァインがリノアを見ると、リノアは口に指を当てて耳を澄ませるような仕草をした。アーヴァインも同じように黙って聞き耳を立ててみた。しばらくすると、どこかから「ああぁぁーーーっ!」と遠くで叫ぶような声が聞こえ、それが徐々に大きく近くなってきた。声がすぐそこで聞こえるようになったかと思うと、ドカーンと納屋の壁を突き破って何かが飛び込んできた。
「いたっ!! たたたたたっ!!」
丁度干し草を積んである所にぼふんと着地したソレがひぃひぃ声を上げながら立ち上がる。
「よっ、ゼル久し振り!」
リノアは全く動じず、飛び込んできた相手ににこっと手を挙げて挨拶をしていた。
「よっ! じゃねーよ。なんだよ、ここドコだよ!」
ゼルと呼ばれた人物は腰をさすりながらリノアを睨んでいた。
「ちょっと頼まれてやって」
「なんでだよ、折角これから非番になったってのに〜。どうせロクな頼み事じゃねーんだろ。帰るぜ」
「ふう〜ん」
軍服に付いたゴミや埃を払い帽子を被り直すと、ゼルは納屋の入り口のへ向かって歩き始めた。それをリノアがじ〜っと見つめる。その意味ありげな眼を見てアーヴァインは彼を気の毒に思った。ああいう眼をした時のリノアは――――。
「これから王子付き侍女の三つ編みちゃんの所へ行くのかな〜? 行くんだよね〜? 恋人だもんね〜」
「わっ! わわわ、何で知ってんだよ」
「やっぱそうなんだ」
あ〜あ、とアーヴァインは思った。見事な墓穴を自分で掘っている。
「ばらされたくなかったら――」
「わかったよ、わかった! 何をすりゃいいんだよ!」
ゼルは半ばヤケクソのような声で言い放った。
「この子を城まで送ったげて」
「このこ?」
小さな子供だとでも思ったのか、ゼルは辺りをキョロキョロと見回した。
「そう、この子」
「この……こ? うわっ、デカッ。女のクセになんつー身長と肩幅」
リノアが示している指を点々と目で追い、ゼルはアーヴァインとがちーんと目が合い酷く驚いた。言われ慣れてはいるが、アーヴァインは恥ずかしかった。父は「健康的でいい」と褒めてくれたが、この身長と体格の良さは自分にとって少々コンプレックスなのだ。
「ゼルがちっさいのよ」
「うぐっ」
リノアにそう言われてたじろいだところを見ると、ゼルにとっては背が低いことがコンプレックスのようだった。逆ならいいのに、互いにそう思ったのがわかったのか、アーヴァインとゼルは顔を見合わせて空笑いをした。
※-※-※
国の中央の高台ににそびえる美しい城。
人々が集う大広間に近づくにつれ、優雅な音楽と華やかな喧噪が漏れ聞こえてくる。煌びやかな回廊を歩くアーヴァインは胸の動悸が治らなかった。回廊の所々に立つ甲冑姿の置物や優美な女神の像にさえ圧倒される。大理石の床を進む自分の足音が酷く大きく聞こえ、逃げ出したい衝動に駆られる。けれど、それよりももっと別のことがアーヴァインを突き動かした。せめて一目でも、王子の姿を見たい。そのたった一つの願いだけ叶えられればいい、今はそんな心境でアーヴァインはガラスの靴に導かれるように回廊を進んだ。
「あれ……って、サイファー?」
大広間の近くまで来た頃、回廊を何かを探すようにウロウロしているサイファーを見つけた。なぜこんな所に……。そう思ったところで、彼女の目的を思い出した。王子ではなく、“伝説の騎士”を探しているのだろう。
アーヴァインは思わずすぐ近くにあった女神像に身を隠した。ここでサイファーに見つかったら、騎士捜しに引きずり込まれるのは間違いない。
アーヴァインはサイファーに見つからないように注意を払いながら、大広間の中へと滑るように入った。
「うわ、……すごい」
目も眩むような眩しさ、というのはこのことを言うのだとアーヴァインは思った。人間が輝いている。正確にはその身に纏った様々な色の衣装や宝石が、まるで豪奢な花園のように見えたのだ。
アーヴァインは場違いな自分に気後れした。
せめて目立たない隅の方にいよう、そう思いながら壁際へと歩を進める。数歩も進まないうちに、わっと歓声が上がった。声のした方を見れば、人々のすき間から広間の中央辺りで踊る一組の紳士と淑女の姿が見えた。
「――あ」
その姿に釘付けになる。
『変わってない』
思わず懐かしさが込み上げてきた。
間違いない、あれは今日の主役のセルフィ王子だ。身長こそあまり高くはないが、快活そうな面立ちにあの凛とした瞳の輝きは子供の頃と変わっていない。
そのことに言い様のない嬉しさと、ほんの少しの寂しさをアーヴァインは感じた。手を取っているのはいずこの貴族の令嬢だろう。白い肌に映えるバラ色に染まった頬、細いうなじは娘らしい初々しい色香を漂わせている。華奢な腰に回された王子の手が導くように踊る様をアーヴァインはじっと見つめた。
やがて曲が終わり、方々から拍手が聞こえて我に返る。王子と貴族の姫は優雅に一礼をして、取り囲むように集まった人垣の中へと消えていった。
この大広間に入ってきた時点で気後れしてしまったアーヴァインには、あの中へ入っていく勇気はなかった。王子と話をするには、人混みを掻き分けるようにして前に出て行かなければいけない。一言話が出来ればと思っていたけれど、あの様子では近づくことさえ容易ではない。
一目見ることは出来たのだ。思っていた通りに成長していた。それでいいではないか。あの聡明な王子なら一国を担う者にふさわしい相手を、見誤ることなく選ぶだろう。後は、遠くから幸せを祈ればいい。
アーヴァインはそう言い聞かせ、広間の出入り口の方に身体を向けた。
「アーヴァインさま?」
ごく近くで聞き慣れない声で呼ばれた。
「やっぱりアーヴァインさま」
見事な金髪の美しい女性が立っていた。女性の言葉から察するに知り合いのようだが、アーヴァインには誰だか思い出せなかった。
「貴女は?」
「失礼致しました。私はセルフィ王子の女官長を務めさせていただいております、キスティスと申します」
丁寧にお辞儀をして低頭したまま美しい女性は言った。
「あ、もしかして」
その所作には見覚えがあった。
「ええ、そのもしかしてです。お久しぶりですね、アーヴァインさま」
柔らかな女官長の笑みに、懐かしい記憶が蘇る。
彼女は子供の頃セルフィ王子がアーヴァインの父の屋敷に来る時、常に付き添っていた教育係兼世話係の侍女だった。当時も燐とした美しくも厳しい人だと思っていたが、今もあの頃のままのように思える。
「伯爵様のことお悔やみ申し上げます」
キスティスの言葉は本人の意志に関わりなく、父と王子と過ごした時間を思い起こさせた。暖かく楽しく、そして苦みを帯びた。
「いえ」
もう昔のことですから、と続けようとしたアーヴァインの心中を察したかのようにキスティスの声が被さった。
「ご無沙汰している間に“ご立派に”成長されましたわね」
そう言って浮かんだ少し眉根を寄せた笑みに、アーヴァインはやっぱりそこを言われてしまうのかと思った。言葉は柔らかいけれども鋭い指摘は実に彼女らしい、こんなところも変わっていないようだった。
「王子にはもう?」
その問いにはアーヴァインは小さく頭を横に振って答えた。そうするとキスティスも「やっぱり」というような顔をした。
「まさかここまで来て会わずにお帰りになるおつもりでいらしたのですか?」
「もう会いましたよ」
アーヴァインは余計な言葉を省いた。嘘は言っていない。それを聞いてキスティスはふぅと息を吐いた。
「遠くから見るのは“会った”とは言いません。もっと積極的にならないといけません、とあれほど申し上げましたのに。ちっとも覚えていては下さらなかったのですね」
更に、「そんなことでは引かなくていい貧乏くじを引き、嫌なことを押しつけられてばかりになりますよ」と続けるキスティスの助言を、アーヴァイン苦笑いで受け止めながら「ご指摘通り、もうなってます」と心の中で呟いた。
「あちらのバルコニーでお待ち下さい」
顔が強張ったかのように笑顔を張り付かせたアーヴァインに、近くのバルコニーを手で示し一方的そう言うとキスティスは踵を返した。
「え? ちょっと待って」
「セルフィ王子は市中のお話が大好きでいらっしゃいます」
アーヴァインの言うことは聞いてくれず、キスティスは人混みの中に足早に消え去った。
『結局来てしまった……』
キスティスの言葉を無視して帰る、という選択肢もあったけれど、むしろそうしようと思っていたはずだったけれど、アーヴァインは教えられたバルコニーまで来ていた。
来てみれば、広間からは少し見えづらく、一息つくには最適な場所だと思った。
眼下には点々と街の灯が見える。天の星ほど豪華ではないけれど、ちらちらと揺れる温かみのある光は見ているだけでホッとする。
それにこんな高い位置から城下の街を見下ろしたことはない。王子は毎日眺めている景色なのだと思うと、やはり自分とは世界の違うの人間だと思い知らされる。この王城は国を照らす光。一方自分の住まう館の明かりは、ここからでは見えもしない。それが自分と王子の間の距離なのだ。
「こんばんは、少しお邪魔してよろしいですか?」
後方から弾むような朗らかな声がして、アーヴァインは驚いて振り向くと、あまり背の高くない紳士が立っていた。けれど、残念ながら広間の明かりを背にしていて顔がよく分からない。
「ええ、どうぞ」
この場を譲って去ろうかとも思ったけれど、人なつっこそうな声に惹かれ、アーヴァインはそんな返事をしていた。
「少し踊りすぎました」
そう言って紳士は手で顔を仰ぎながらアーヴァインの隣に並んだ。
「貴女もここで涼んでいらっしゃったのですか?」
「いいえ――――あ」
紳士の方を顔を向けてアーヴァインは驚いた。そしてキスティスの言った言葉を思い出した。
「では景色を楽しんでおられたとか?」
凝視してしまうという不躾な視線を送られたにも関わらず、紳士は柔らかな笑みで会話を続けていた。
「はい、そんなところです。街の家々の灯は温かく、見ていると不思議と落ち着くのです」
「街中にお住まいですか?」
「いえ、私の館は街からは少々外れた所にございます」
「そうですか、どの辺りですか?」
「あの少し突き出た大きな木の辺りです」
「ああ……」
小さく呟くと紳士は考え事をしているかのように黙った。
アーヴァインにはその沈黙が耐え難かった。何か機嫌を損ねてしまったのではないかと、つい負の方向へ思考が傾く。
「あの……セルフィ王子……」
「え? あ、ばれてたのか〜」
セルフィはそう言って屈託なく笑い、口調もアーヴァインのよく知っているものに変わった。その笑顔にアーヴァインはとくんと一度耳の近くで鼓動の音を聞いた。
「いいよね〜、僕もあんな静かな所に住みたいな〜」
「街からは離れていて不便ですよ」
「その方がいい。人が多いのは煩わしい。子供の頃遊びに行った館は自然と動物に囲まれていて天国のようだった」
アーヴァインはセルフィが憶えていてくれた嬉しさよりも、その遠くを見つめている瞳の翳りの方が気になった。
常に誰かが傍にいて、一人になることの出来ないセルフィのことをどうしてなのか父に訪ねた時、誰もが羨む地位にいる者には、それと同じくらい自由がないのだよと言った言葉を思い出す。
今もそうなのだろう。そのどこか疲れたような表情からはそう読み取れた。
「伯爵が亡くなってから疎遠になってしまったけれど、また行きたいな〜」
セルフィが見ている先は自分の館の方角だった。
「……あの、王子……」
「ん?」
王子が望むなら自分はいつでも大歓迎だ、アーヴァインはそう伝えようと思った。それで心が少しでも晴れるのなら――――。
意を決して続きを言おうと思ったところで、カーンと大きな音がした。
『時の鐘――――あっ! 真夜中』
リノアに言われていたのをすっかり忘れていた、『真夜中の鐘が鳴り終わると同時に魔法は効力を失って、質素な使用人の姿に戻ってしまうから、気をつけてね』と。
鐘が鳴り終わる前に、急いで城を出なければ!
「王子、失礼致します」
「えっ!? 待って! 名前を!」
大慌てでドレスを摘み礼をして、大きな目をまん丸にしている王子を置き去りにアーヴァインは一目散に走った。
城の中の人の多い所で元の姿に戻る訳にはいかない。何としても鐘が鳴り終わる前に城門の外に出なければ。鐘の数を数えながら、アーヴァインはひたすら走った。
あまりにも急いでいて、長い階段の途中でみっともなくすっ転げ、靴も片方脱げてしまったが拾っている場合ではない。喉はカラカラ、息も絶え絶えで、転げるように城門の外へ出たところで最後の鐘が鳴り終わった。
「う、いた……」
おでこがじんじんと痛んだ。転んだ時にぶつけたらしい。朝になれば腫れるかも知れないな〜と思いながら、おでこをさすりさすりアーヴァインは館への道をとぼとぼと歩いた。
次の日、予想通りおでこはぷく〜っと赤く腫れ、それを見たサイファーに散々笑われた。
※-※-※
「かぼちゃがない〜! 採っておいたのにぃ〜、リーノーアー」
おでこの腫れも引いた数日後、アーヴァインは採っておいたはずのかぼちゃが無くなっていることに気がついて、また畑の小道を走っていた。
この数日でお城の舞踏会へ行ったことは、夢だったのだと思うようになっていた。こうして毎日変わらない日々を送る。これが自分にふさわしいのだと言い聞かせて。
「あれ、珍しいお客様? うわっ、急いで帰らないと!」
館の門へと続く道を馬車が進むのが見えた。アーヴァインは急いでエプロンにかぼちゃを包み、館まで走って帰った。厨房に飛び込むと、ウォードが丁度お茶の用意をしていた。
「ありがとう、後はやるよ」
ウォードからお茶の用意を引き継ぎ、アーヴァインは義母が客人を迎えているであろう客間へと入ると、若いけれど厳めしい顔つきをした青年が一人、姿勢を正して立っていた。どうやら客人は一人だけらしく、かちっとしたその服装は、王城の人間のようだった。
「俺は王に仕えるスコールと申します。この靴の持ち主を捜しています」
「なんでまた?」
ラグナはもっともな問いを返していた。
「王子の命としか聞いていない。国中の女性を試せとの仰せだ」
「で、その持ち主だったら、どうなるんだ?」
城からの使者に対しても、相変わらずサイファーはぞんざいな物言いをして、ラグナは扇の陰で彼女を叱責した。
「さあ、后にでもと思ってるんじゃないか」
城の使者スコールはサイファーの物言いを意に介する風もなく、彼をチラッと一瞥するとサイファーと同じくらい口調が砕けた。
「后ねぇ……って、城に上がれるってことか!?」
器にお茶を注ぎながらアーヴァインはサイファーの嬉々とした笑顔に苦笑した。后は素通りして城に上がれることに興味を示すとは。ということは、この前の舞踏会では『伝説の騎士』には会えなかったのかとアーヴァインは思った。
「では、そちらの方から」
スコールは恭しく靴を掲げるようにして、椅子に腰掛けたままお茶を啜っているキロスの所へ向かった。
「私はいい。見るからに私には合わない」
キロスがそう言うとスコールはあっさりとラグナの方へ向きを変えたが、彼女を一瞬見てまた別の人物の所へ方向を変えた。それを見てラグナは試してみる前からダメ出しをされて、僅かにムッとしたようだが、扇をぱたぱたとしただけで特に異は唱えなかった。
「え!? わたし?」
ラグナの近くにいたアーヴァインの前に来て、スコールは無言で頷いた。
「合わないだろうが、一応お前も女だからな」
鼻で笑うサイファーを無視して、アーヴァインは床に置かれた靴に視線を向けた。
『うわっ、これ……』
それはどう見てもあの夜すっぽ抜けてしまった自分の靴。そろ〜と足を入れると当然のようにぴったりと収まった。
「おお〜、ぴったり」
キロスが感嘆の声をあげる。
「なんだと!? かせっ」
慌ててサイファーが飛んできて、アーヴァインをどけるとぐいっと乱暴に足を突っ込んだ。
「おお〜、これまたぴったりだ」
今度はパチンと扇を閉じたラグナが感嘆の声をあげた。
「該当者は二人か」
「だな」
スコールの声と、得意げにこちらを見るサイファーにアーヴァインは慌てた。このままではサイファーに力ずくで該当者である事実を持って行かれてしまう。
「こ、これを!」
アーヴァインはスカートの中に手を突っ込んで、持っていたもう片方の靴を取り出した。
「おや、サイファーの負けだね」
同じ靴が片方出てきたのを見て、キロスは優雅に笑った。
「がーーっ!」
「決定だな」
淡々としたキロスの言葉にサイファーは悔しがったが、対になった靴を見比べてスコールはあっさりと決を下した。サイファーはまだ納得がいかないのか、スコールに向かって何か言おうとした時、客間の扉がバーンと派手に開いた。
ドアが壊れたらどうしてくれるんだ! 修理するのはわたしなんだぞ! と、扉の方をアーヴァインはカッと睨んだ。
「……え!?」
アーヴァインが我が目を疑うものがそこにいた。
「アービンッ!!」
「ぐえっ」
ドアを開けた主はものすごい勢いでアーヴァインに突進して来た。
「何やってんだ、セルフィ王子」
何やら感動的な抱擁が目の前で繰り広げられているにも関わらず、スコールの声はさっきと変わらず冷たい程に冷静だった。
「どうしてあの時言ってくれなかったかな〜。キスティスに聞かなかったら、知らないままになるとこだったよ!」
「セルフィ王子……」
「ちがう、セフィ! 憶えてないの!?」
アーヴァインは何が起こっているのかまだちゃんと分かっていなかった。自分に抱きついているのがセルフィ王子だということは分かったが、どうして彼がここにいるのかさっぱりだった。
ただその呼び名だけは、はっきり覚えていた。
子供の頃、そう呼び合った愛称だけは――――。
「説明、いるか?」
呆けて固まっている、サイファー、ラグナ、キロスに向かってスコールは訊いた。
※-※-※
「それじゃ、行こう〜」
呆けていたサイファーたちが現状を宇把握した後、細かいことは後回しにしてアーヴァインはこのままセルフィ王子と一緒に城へ行くことになった。
「行ってきます」
アーヴァインが勢揃いした皆とひとしきり別れの挨拶をしている所から隠れるようにして、一つの影が馬車に近づいていた。
「ふん、城に入れさえすればこっちのもんだ」
サイファーはそう呟きながら、馬車の後ろにガッと足をかけた。
「何をやっている」
スコールが音も立てず、いつの間にか馬車の後ろに立っていた。
「別に――」
馬車に足を引っかけて思いっきりぶら下がる形になっていてもサイファーはちっとも悪びれなかった。
「あんた、『伝説の騎士』を捜しているんだってな」
「何でそれを!」
「会わせてやろうか」
「なにっ、お前知ってるのか!?」
「よく知っている」
そう言って不敵に笑うスコールの態度は大いに気に入らず、ついでに額がちりりと痛むのを感じたが、サイファーの心は大いに揺れた。
「来い」
「うわっ」
スコールは返事を待たずペイッとサイファーを馬車からひっぺがした。
「ちょっと、待てよっ!」
もがき抵抗するサイファーを、スコールはズルズルと引き摺った。
「伝説の騎士」
サイファーの頬に冷たい剣の刃が当てられる。
「うぐっ」
それを言われては、サイファーは大人しくするしかなかった。
邪魔者は優秀な一騎士によって無事排除された。
こうしてお城に行くことになったアーヴァインはセルフィ王子といつまでも仲良く暮らしました。
おしまい。