糖蜜瞬間
セルフィは、寝起きでまだぼ〜っとした頭で考えた。
取り敢えず、近くのものから見ていく。大きなソファが二つ。ちょっと離れて一人用のイスが人一人寝られるようにくっつけられているのが見えた。足元には豪華な絨毯が敷き詰められている。けれど、見覚えのない部屋。
もっと視線を動かしていくと、ようやく知っているものを見つけた。
『なんでアービンが寝てんの?』
身体二つ分ほど離れた所に、絨毯の上でころんと眠っているアーヴァインの姿がある。他には知っているものは何もない。
ころんと寝ている人物のことはよく知っているが、どうしてなのかは分からない。
セルフィは更に考えた。
『え〜っと、なんだっけ。……そうだ。昨日はアービンの送別会で……んで、この部屋借りて騒いだ、んだよね』
それは、もうすぐガルバディアに帰ってしまうアーヴァインの送別会、という名目のバカ騒ぎだった。ガーデン上階の生徒はなかなか入る機会のない部屋を、スコールに頼み込んで貸してもらった。そこで仲間がみんな揃って、食べて、飲んで、喋った。久し振りだったので、盛り上がりはハンパなかった。で、寮に帰るのも面倒臭くなったのか、最初にゼルがココでこてんと眠ったのだ。
この部屋の絨毯はやたらふかふかしていて、そのまま寝ころんでもとても気持ちが良かった。だからゼルに続いて、気がつけば皆ここに寝転がって…………所謂雑魚寝というヤツをした、のをセルフィは思い出した。
『けど、なんでアービンしかいてないん?』
セルフィはもう一度部屋の中をぐるっと見回してみたが、やっぱりアーヴァイン以外の仲間の姿はなかった。それでも、昨夜キスティスがつけていたスカーフがあったり、リノアが持ち歩いていたバッグや、スコールのジャケットに、ゼルのグローブも置いてあるので、雑魚寝をしたのは夢ではなかったと思った。
じゃあ、その持ち主達はどこへ行っちゃったのか。驚かそうと部屋の中のどこかに隠れているのかなとも思ったけれど、人の気配は感じられない。それ以前にこの部屋の中には、どこにも隠れられるような所はない。
部屋の明るさからすると、とっくに朝になってるっぽいし、ここに荷物だけ置いて食堂にでも朝食を調達に行ったのかな。荷物が置いてあるってことは、戻って来るということなんだろうし。
「あたしも起こしてくれたらよかったのに……」
そのうち帰って来るだろうと判っても、置いて行かれたことはなんだか悔しかった。それでも自分一人が置き去りにされたワケではなく、アーヴァインも起こしてもらえなかった仲間だと思うと、ちょっとだけ悔しさが和らぐ。
「アービンか〜」
セルフィは思い出したように、すーすーと眠っているアーヴァインに視線を戻した。
長い身体を軽く折り曲げるようにして寝ている。立っている時も大きいと思うけれど、こうして横たわっていると本当に大きく見えた。
「ふう〜ん」
今まであんまり見たことのない姿に、セルフィの好奇心アンテナがピコンピコンと刺激された。ひょこひょこっと這ってアーヴァインに近づく。
『なんもかんも、デカッ』
やっぱりアーヴァインの印象はそれだった。女の子で、キスティスやリノアよりも小柄なセルフィからすれば、身長百八十センチを越えるアーヴァインはデカい。全てがデカい。
『手とか、一回りは大きいな〜。あ、ついでに、指も爪も長っ。へえぇ〜、知らんかった』
セルフィは自分の手をアーヴァインの手の近くに持っていき、交互に見比べた。その手から視線を上に移動させていく。
『腕とかやっぱ、あたしとは筋肉の付き方が違うな〜』
半袖のTシャツから伸びている腕は筋張っていて、鍛えているとは言っても、セルフィとは見た目が異なる。セルフィはぐっと腕に力を入れてみたが、それでもアーヴァインよりは細かった。それが男女の差だとは分かっていても、格闘が専門の身からすると、ちょっと悔しかったりする。
『そう言えば、アービンの銃って、けっこう重かったっけ』
以前アーヴァインの銃を触らせてもらったことを思い出す。改良を重ねて軽量化してあるとは言っていたけれど、3キロ以上あると聞いた時には、意外に重いんだな〜と思った。自分のヌンチャクよりは確実に重い。それを考えると、そりゃ筋肉もつくか。
セルフィは更に、そ〜っとアーヴァインに近づいた。結構な至近距離まで近づくと、アーヴァインの眉間に少し皺が刻まれるのが見えた。
「……ん」
『おきた?』
セルフィは慌ててピタッと動きも息も止めた。だが、アーヴァインは少し身じろぎしただけで、そのまま眠り続けた。
『こうして見たら、やっぱオットコマエやねんな〜。そりゃ女の子にモテるか〜』
まだアーヴァインが起きそうにないことを確認すると、セルフィは首を伸ばして彼の顔をまじまじと眺めた。
確かに鑑賞するには申し分のない顔だ。全体の印象は綺麗というカンジだけれど、骨格はちゃんと男っぽく角張っていて、各パーツの作りも配置も、ぴしぴしと嵌っている。あえて難を挙げるなら、眉が気持ち太めかもしれない。それと目尻が少し下がっている。けれど、眉は男らしさを強調するにはこれ位がいいし、その眉の力強さは下がった目尻が与える柔和さが上手く中和している。
セルフィはその柔らかな印象の目を好きだと思った。もっと好きなのは、菫色の虹彩。濃い蒼と青紫が織りなす濃淡がとてもキレイなのだ。
ただ残念なのは、目を閉じているのでそれが今は見られないことだ。
『それにアービンもうすぐガルバディアに帰っちゃうんだよな〜』
そう思うとますます残念な気分になった。
アルティミシアを葬り去ってからもアーヴァインはバラムガーデンを気に入ったらしく、楽しげに日々を送っているように見えた。このままバラムに移籍するのかなと思っていたら、そう簡単にはいかなかったらしく、ガルバディアガーデンに帰ることになったと聞かされた。アーヴァインが言うには、「帰らされる」ことになったのだそうだ。冷静に考えれば、そりゃそうかと思う。ガルバディアガーデンがなくなった訳ではないし、彼は正式なそこの生徒だ。バラムガーデンに移籍するのなら、一旦ガルバディアガーデンに帰ってきちんと手続きを踏むのが正解だろう。かと言ってバラムガーデンに帰ってくるつもりなのかどうかは知らない。
もうじき綺麗な菫色が見られなくなるのだと思うと、なんだかやたら淋しい気までしてくる。
セルフィは問いかけるようにじ〜っとアーヴァインの顔を見つめた。ふと、頬に掛かっていた髪がゆっくりと滑り落ちて唇にかかる。それを指先で肌にはふれないように注意をして払った。
『髪、意外と柔らかいんだ。……唇も柔らかいのかな』
たまたま心に浮かんだ素朴な疑問。男と女の違いは唇にも当てはまるのだろうか、そう思ったのだ。セルフィは無意識のうちに髪を払った人差し指を、今度は唇に向かわせた。それに触れるか触れないかの所まできた瞬間、アーヴァインが目を開けた。
『うわ〜、やっぱり綺麗な色してる〜』
セルフィは見たかったものが現われて、食い入るように見入った。
「セ、セフィ!??」
指先に何か温かいものが触れて、セルフィは我に返った。改めて見ればアーヴァインの顔がごく至近距離にある。
「うわっ、ごめん!」
慌てて離れたが、酷く驚いた顔のアーヴァイン同様、なぜかセルフィの心臓もバクバク言っていた。
「セフィ、もう起きてたんだ」
アーヴァインは腕で支えるようにして上体を起こした。
「う、うん」
引きつった笑顔のアーヴァインに、セルフィの声も少しうわずる。
強い緊張感をセルフィは感じた。
穏やかで陽気なアーヴァインと、普段から元気なセルフィからは想像もつかないような沈黙が二人の間を流れる。
助け船を請うにも、自分たち以外他には誰もいない。セルフィはその緊張感が段々耐えられなくなってきた。何か話を切り出して、この甘酸っぱいような、居たたまれないような、それでいて離れがたいような、経験したことのない空気をどうにか変えたい。けれど、どうしていいか分からず、必死で考えた。
「セフィ」
セルフィの視界の端でアーヴァインの手がスッとこちらに伸ばされたような気がした。
「アービン! 今度、ティンマニ発掘の旅に付き合って! ……あ〜、っと、他に付き合ってくれる人がいてないねん」
思いつくまま口走った。
アーヴァインが更に驚いた顔になったのが、自分が口走った内容のせいだとか、なんでそんなことを言ってしまったのかとか、セルフィにはさっぱりわからなかった。
「……都合のいい時だけでええけど」
それでもかなり勝手なことを口走ったのはわかった。
「うん、僕はいつでも付き合うよ」
そう言ってアーヴァインが笑ってくれたことに、セルフィはホッとして、嬉しくなった。そして思い出した。この優しい笑顔が、アーヴァインという人間の中で一番好きなのを。
「セフィ、ケータイのメルアド教えてくれない? その方が連絡取りやすいでしょ」
「あ、そうだね」
セルフィはごそごそとポケットを探って携帯電話を取り出した。
「アービン送るよ〜」
「いいよ〜。……あのさ、セフィ」
アーヴァインは言われた通りセルフィの携帯電話に自分の携帯電話を向ける。
「なに〜?」
もういつもの調子にもどって、送信中のアイコンが踊るディスプレイから視線を外し、セルフィはアーヴァインを見た。
「ティンマニ発掘とは別にデートしな……」
「お、やっと起きたかー!!」
賑やかにドアを開ける音と共にゼルが入ってきた。
「ゼル、ノックぐらいしなよ。中でナニカの最中だったら大変でしょー、ってアレ、何してるの?」
買い物をした品物が入っているらしいビニール袋を持ったリノアが、反対の手でゼルのおでこをぺしんと叩くと部屋の中を見て不思議そうな顔をした。
「ナニカって何だよ〜。見りゃわかるだろ〜、メルアドのコ・ウ・カ・ン」
「ははは、そうなんだ」
向かい合って座り互いに携帯電話を手にした姿に、リノアはあからさまに残念そうに笑う。
「さっさと入って、後ろつかえてるわよ」
「あ、ゴメン、ゴメン」
キスティスが諫めるように、入り口で動かないゼルとリノアに声をかけて入ってくると、その後ろから無言で両手にビニール袋を下げたスコールが続いた。
「適当に買ってきた、食べるか?」
「うん、食べる、食べる。ありがとねー、はんちょ。あ、アービンこれ好きだよね、はい」
スコールから食べ物が一杯入ったビニール袋を受け取ると、セルフィは見つけたアーヴァインの好物を彼に差し出した。
「ありがと……」
肝心な部分を遮られ、少々へこみ顔だったアーヴァインではあったが、ついクセでセルフィの厚意は素直に受け取った。
「ねーねー、みんなもメルアド交換しようよ〜」
「お、いいぜ〜」
セルフィの一声に、ピクンと片眉をつり上げクロワッサンクリームパンを口に咥えたまま固まったアーヴァインを余所に、メルアド大交換会が始まる。
「アービン」
少し肩を落として、もくもくと食べているアーヴァインの前にまわってセルフィは問いかけた。
「バラムガーデンに帰ってくるつもりはあるん?」
「うん、そのつもりだよ」
「そっか〜、じゃ、あたしもトラビアに帰るのやめよっかな〜」
セルフィは挨拶でもするかのようにさらっと言った。
「えっ!? セフィ、トラビアに帰るつもりなのっ!?」
ブンッと首を振ってセルフィを見たアーヴァインの手から缶ジュースがポトンと落ちる。
「セルフィ、トラビアに帰るのか? ヤメロよー、淋しいじゃないか」
朝からこってりしたハンバーグのはさまったパンを片手に、軽いフットワークでセルフィの隣に腰をおろしたゼルにムッとする前に、アーヴァインは同調するように頷いた。ゼルの後ろでおにぎりを飲み込んだスコールも微かに頷いたのは、この部屋にいる誰も気づかなかった。
「え〜、どうしよっかな〜」
アーヴァインの手から落ちた缶ジュースのタブを開け、ごくんと一口飲んでセルフィは邪気のない顔でにこっと笑う。その笑顔に珍しくアーヴァインはフクザツな表情をした。
「少しは進展したかな」
リノアは玉子とレタスの挟んであるマフィンを頬張りながら隣のキスティスに問いかけた。
「どうかしらね、カメの一歩ってところじゃないかしら。あら、これおいしいわよ、リノアもどう?」
フルーツの入ったヨーグルトをひとさじすくってキスティスは答えた。
少し離れた所にいる他の仲間たちはスコールを除いて相変わらず賑やかだ。リノアとキスティスが小声で交わした会話は、二人以外には聞こえなかった。
目が覚めた時のアーの驚きは、セルフィの比じゃないね。アーはいつでもセルフィに翻弄されまくり。セルフィも半分墜ちてる。残念ながら自覚ナシの上、アーも全然気づいてないけど……。
このじれったさがアーセルの醍醐味!
(2009.09.11)
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