妙薬、あるいは猛毒

「ごめんね、アービン」
 セルフィは懲罰室のドアに手を当て力なく言った。
「セフィ、気にしないで。僕は望んでここにいるんだから」
 ドアの前でにしゃがみこんでいるセルフィとあまり変わらない高さから優しい声がする。
「けど、あたしがあんなもの……」
「もう言わないで、セフィ」
 アーヴァインにしてはきっぱりとした強い口調に、セルフィはまた心が痛くなった。





 それは偶然当選を引き当てたクジ引きから始まった。
「おめでとうお嬢ちゃん、四等当選だよ〜」
「やったー!」
 バラムの街で買い物をして何かのイベント中だったらしく、買い物をしたお店でクジ引きのチケットを4枚もらった。店員さんが教えてくれた特設のクジ引き会場まで行ってみると、結構な人が並んでいてなかなかの盛況ぶりだった。
 セルフィも何も当たらなくて当然、何か当たったらラッキーくらいの気分でカラカラとクジ引きの機械を回した。3回連続で予想通りハズレで、貰えるのは残念賞のポケットティッシュばかりだった。そのノリでそのまま続けて引いてさっさと帰ろうと機械を回したら、クジ引きの機械を挟んだ向こう側に立っていたスタッフのお兄さんが、「大当たり〜!」と声を張り上げてびっくりした。
 一体何が当たったのかとワクワクして待っていると、当選を教えてくれたお兄さんはキョロキョロと何かを探すように辺りをを見回していた。
「ちょっと品切れみたいだ、今持ってくるから待っててくれな」
 そう言って、近くにいた小太りのおじさんを呼んで二言、三言言葉を交わすと、おじさんは慌ててどこかへ走って行った。大して待つこともなく、おじさんは汗をかきかき帰ってきて、持って来た箱の入ったビニール袋をお兄さんに渡す。
「ハイお嬢ちゃんお待たせ、特選ヘッジヴァイパーエキス入り栄養ドリンク20本! どーんと持ってけー」
 日焼けした顔に爽やかな笑顔を添えて、お兄さんはセルフィにビニールパックに入った栄養ドリンクを手に持たせてくれた。「お嬢ちゃんカワイイからティッシュもつけとくな」と更に残念賞のポケットティッシュも二つオマケしてくれた。
「う〜ん、栄養ドリンクか〜」
 メジャーなブランドのそれは、自分では学園祭準備の追い込みの時くらいしか飲まないが、全部残念賞で終わらず当たっただけでもラッキーだとセルフィは思った。
「せっかくだから、この“幸運”をみんなにも分けてあげよう〜」
 そこには微塵も他意はなかった。


「たっだいま〜」
「おう、帰ったかお嬢」
 スコールの職務室に入ると、スコールではなく、長い足を組んで椅子に座っているサイファーの姿が真っ先に目に入った。
「おかえり」
 サイファーの向かい側から、スコールの声だけが聞こえた。セルフィが首を巡らすと書類の壁の中に俯いた頭が少しだけ見え、そこへ向かって歩く。
「ハイ、頼まれてたもの〜」
 小さな紙袋をスコールに差し出す。
「ありがとう、オフなのに頼んで悪かったな」
「お礼なんていいよ。ついでやもん」
「お茶でも飲むか?」
 スコールは紙袋の中を確認しながらセルフィに訊いた。
「え、スコールが淹れてくれんの!?」
「丁度休憩しようと思ってたんだ、で、飲むのか?」
「飲む飲む〜、スコールが淹れてくれるなんて、断ったら明日ガンブレードの雨が降りそうだもん」
「ちがいね〜」
 くつくつと笑うサイファーを一睨みしてスコールは、カップやらコーヒーの粉やらが置いてある一角へと足を向けていた。
「それ、もう終わりそう?」
 スコールが淹れてくれた、砂糖もミルクもセルフィ好みのありがた〜いコーヒーのカップを持ってセルフィは、椅子に座ったままするするとサイファーの隣まで近寄って、彼が作業をしているモニターを覗き込んだ。
「ああ、俺様にかかりゃチョロイもんだ」
 そう言ってサイファーは軽くキーを叩く。
「朝から、それにかかりっきりだけどな」
「うっせー、丁寧に仕事してんだよ」
 相変わらず視線は落としたまま他人のことなどまるで認知の外のような顔をしたスコールの、絶妙の間のツッコミがセルフィは可笑しかった。
「そうか、なら今日中には終わらせてくれ」
「だから、もう出来るつってんだろ!」
「ぷはっっ」
 セルフィは耐えきれず声に出して笑ってしまった。途端スコールとサイファーの冷たい視線を浴びる。
「ごめん、せやかて二人とも子供みたいなんやもん。ガーデンでも畏敬の対象の二人の会話がコレかと思うと、たまらんわ〜」
 一般の生徒なら萎縮して固まりまくってしまうような、辛辣な四つ視線をものともぜす、セルフィは声に出して笑い続けた。
「アーヴァイン、怪我して帰ってきたぞ」
 セルフィの笑い声がピタッと止まる。口をつけようとしたカップを危うく落っことしそうになった。
「ケガってどんなっ!?」
 勢いよく立ち上がってスコールを見る。机に置いたカップにサイファーが慌てて手を伸ばしたようだったが、セルフィにはそんなこと気にしていられなかった。アーヴァインが怪我をした。どんな怪我なのか気が気ではない。スコールの表情から推測しようにも、例の如く全く表情に変化がない。どんな怪我なのか早く教えてほしい。間に耐えきれずセルフィが口を動かすより僅かに早く、冷静な声がした。
「顔に小さなカスリ傷だ」
「かすり……きず……なん」
 大きな怪我ではないかとドキドキしたが、そうではないらしいことにセルフィは胸を撫で下ろした。そのまま力が抜けたようにとすんと椅子に座る。
 呆けたように動かないでいると、目の前にぬっとサイファーの顔が現われた。
「アイツをからかうとそういう目に遭う」
「え?」
 セルフィは一瞬何のことを言われたのか分からなかった。サイファーの苦虫をかみつぶしたような顔を見て考える。
 今スコールたちを笑ったことだろうか。だとすれば……。
「あ…、スコールひどい! あたしのことからかったやろ!」
 スコールは何も言わず、顔を上げることもせず、何事もなかったかのように机に向かっていた。ただセルフィには、瞳が少し笑ったように見えた。
 全く、いつからこんなことをするようになったのか。性格が悪くなった。性格が悪くなっというのは少し違うか。思っていることをちゃんと言ってくれるようになったのだ。誰にでも、というワケではないけれど。
 からかわれたのはシャクだ。でも、それだけ心を許してくれているんだと思うと、ちょっと嬉しかったりする。
 そんなコトを考えていたら、なんだか横から視線を感じた。セルフィが隣のサイファーを見ると「お嬢の負けだ」と言うように口の端が上がっていた。
「もう帰る〜」
 カップのコーヒーを全部流し込むとセルフィは立ち上がった。
「そうか残念だな」
 本気かどうか甚だ怪しかったがスコールは今度はちゃんとセルフィを見ていた。
「あ、お嬢。寮に帰るならこれをアーヴァインに返しといてくれ。今なら自室にいるはずだ」
 サイファーはハードカバーの分厚い本をセルフィに差し出していた。
「えっちぃ本?」
「アホか、こんなしみったれた表紙のエロ本があるかよ。エロ本つーのはな表紙からインパクトがねーとだめ……」
 ゴホゲホッと、スコールが苦しそうに咳き込んだ。
「悪ぃお嬢。ヘンな話聞かせちまった。……って、お嬢笑うな! フツーの女ならドン引きだぞ」
「あたしのコト、フツーだなんて思ってないクセに」
「あ〜、そりゃー、まぁ……」
「ひっどーい、本気であたしのコトそんな風に思ってたん? スコール〜、サイファーがひどい〜」
「極刑だな」
 鉄面皮に戻りサクッと言ってのけた声が怖い。
「あー、クソッ。お嬢はさっさとアーヴァインの所へ行け! スコール、てめーは俺に何か恨みでもあんのか!?」
「べつに。あるとすれば、待てど暮らせど欲しいデータが一向に出来上がってこないことだ」
「くあーーっっ!! だからもう出来るつってんだろ!」
「今まで茶〜しばいてたのは誰だ」
 伝説のSeeD様はいつの間にやらトラビアの言葉も操るようになっていたらしい。
「その言い草が余計にムカツクんだよっ!」
 サイファーは怒りも露わにガスガスとキーボードを叩いた。
 低次元の言い合いを繰り広げる様を、このまま見物していたい気もしたがセルフィは、アーヴァインの所へ行く方を選んだ。ここにいたら二人の争いに巻き込まれる可能性がないと言い切れない。現にさっきいいようにからかわれた。
 二人とも落ち着いてな〜、と思いながら、クジ引きで当たった栄養ドリンクを、それぞれ3本ずつ二人の机に置いて、セルフィはそろ〜っとスコールの職務室を後にした。



「アービン、アービン〜」
 セルフィは軽い足取りで寮の廊下を歩いていた。
 アーヴァインの部屋の前まで来ると、インターフォンを押して応答を待つ。
「ん〜、寝てんかな」
 何回かボタンを押してみたが返事はなかった。また後で来ようかとも思ったが、預かった本とまだ14本残っている栄養ドリンクが意外と重くて出直すのはちょっとしたくなかった。
「入ってもいいかな」
 預かっているカードキーをポケットから取り出してもう一度考える。
「う〜ん、やっぱり会いたい」
 外任務で暫くの間アーヴァインとは会えなかったので、彼が恋しくてセルフィはカードキーを通した。軽い空気音をたててドアが開く。
「いた」
 アーヴァインはちゃんといた。
「疲れててんな〜。ホントだ、ほっぺたに傷がある」
 かろうじて着替えはした様子だけれど、任務用のバッグもそのままで、アーヴァインは身体を投げ出すようにして、ソファで眠っていた。近寄って顔を見てみると、スコールが言ったように頬に小さなかすり傷があった。そのうちキレイに消えるだろう程度の傷。男なのだからこれくらいの傷が残っても気にしなくていいのかも知れない。スコールやサイファーは、傷でその男前度がアップしたくらいだ。でも、アーヴァインにはない方がいいかな〜とセルフィは思った。
「起きそうにないね」
 頬に触れてみたが全く無反応で、眠りは深いようだった。
 アーヴァインの今回の任務は対モンスターで、彼からのメールによるとスケジュールもちょっとキツ目だったようなので、疲れているのは間違いない。
「お疲れ様」
 セルフィはアーヴァインの頬の傷に労るようにキスをした。
「アービンにはいっぱいサービスね」
 脇のテーブルに、3本だけ抜いた残りの栄養ドリンクを置いた。これを飲んで疲れを癒してほしい、また後で来る、とメモを残す。テーブルの上にあった携帯電話のバハムートアクセを少し移動させメモの重しにして、セルフィは静かにアーヴァインの部屋を後にした。
 その足で鍛錬の為に武術室に向かう。
 稽古着に着替えてしばらく汗を流していると、ふいに名前を呼ばれた。
「セルフィ今日も来てたのか」
「サボるとゼルに置いてかれるからね〜」
 ニカッとした笑顔でゼルが立っていた。
「そうか、じゃあ俺もがんばっかな」
 そう言うと、セルフィから少し離れた場所でゼルは手足を軽く解しはじめた。その姿を見てセルフィも鍛錬にもどる。最も使い慣れた両節棍ではなく、長棍を中心としたメニューを選ぶ。今日は身体がよく動き、棍が切る風の音も、軽快な歯切れのよい音がした。
「あ、コレゼルにあげよ」
 鍛錬を終え、着替えもすんだところで栄養ドリンクのことを思い出す。
 控え室からまだ稽古を続けているゼルの所までもどってドリンクを渡すと、ゼルは「助かる」と嬉しそうに受け取ってくれた。
「アービンもう起きたかな〜」
 アーヴァインの部屋を後にしてから、かれこれ2時間くらい経っていた。起きたかどうかは微妙な所かな。かと言って他に用事もない。取り敢えずアーヴァインの所へ行ってみよう。
「ん? サイファーとスコール?」
 メインホールに差しかかった辺りで、爆走するサイファーとスコールの姿が目に入った。
「どしたんやろ」
 サイファーも滅多なことではあんな爆走することはないが、それにも増してスコールが全力疾走ではないかと思える勢いで走っている姿はひじょーに珍しい。
 あれはタダゴトではない。
 セルフィは何が起こっているのか確かめるべく、彼らを目指して走った。だが、脚の長さと脚力の差はなかなかシビアで、鍛えまくっているセルフィでも二人に追いつくのは至難の技だった。
「サイファー、スコール! どしたんー!」
 サイファーとスコールが足を止めていた隙に、やっとの思いで追いついて声をかける。
「お嬢、見つけたっ!」
「セルフィ、無事か!?」
「なっなにっっ!?」
 いきなりサイファーはセルフィの腕を掴んできた。
「お嬢は、無事か〜」
 サイファーは安心したように息を吐く。
「な、なんで!? あたし何かヤバかったん?」
「セルフィは飲んでないのか?」
 スコールが問う。
「だから、何を!?」
 さっきからサイファーの言うこともスコール言うことも、セルフィにはちんぷんかんぷんだ。
「落ち着いて説明してよ」
 サイファーとスコールは困ったように顔を見合わせた。サイファーが小さく息を吐いてから、意を決したような顔をして口を開いた。
「お嬢、アレ、……あのだな。その……なんだ。アレは、な…………っかー、やりづれ〜」
「俺たちの所に置いて行ったドリンク剤はセルフィが買ったのか?」
 サイファーでは埒があかないと思ったのかスコールが切り出したが、珍しく声のトーンに動揺が感じられた。
「ううん、クジ引きで当たって貰ったんだけど、それが何かあったん?」
「そうか……」
 スコールはそこで黙ってしまった。
「アレが何だかお嬢は知ってるのか?」
 今度はちゃんとどもらずにサイファーが問うてきた。
「うん、栄養ドリンクでしょ? あたしも飲んだことあるよ」
 それを聞いてサイファーはがっくりと項垂れた。スコールも少し視線を落とした。
「アレはな、お嬢。精力剤だ。それもチョー強力なヤツだ」
「ええーーーっ!? 知らないよそんなの、ええーーーっ、嘘だ!! …………って、マジ?」
 一向に「引っ掛かったな〜」と笑い飛ばしてくれることもせず、至って真面目な顔で突っ立っている二人にセルフィは呆然となった。
「しかもな、アレはくたびれかけたおっさん向けで、俺たちみたいな若造が飲むと、とんでもないことになる」
「ええっ!!? ホントにっ!?」
「残念ながら本当だ。男の間では有名な話だが、女の子は……知らないと思う。それと、メジャーな栄養ドリンク剤とデザインが酷似していて、間違えやすいんだ。ただモノがモノだけにそう簡単に手に入るものじゃないんだが……」
「あたし、間違えて貰っちゃった?」
「多分、そんなトコだろう」
 スコールは困ったような顔をしてセルフィを見ていた。なんというものを渡してしまったのか。知らなかったとは言え、めちゃめちゃ恥ずかしい。聞いているだけでも恥ずかしい。こんなのアービンにバレたら……。アービン??
「うわーっ!! あたし、アービンに11本もあげちゃったよ!!」
「なにぃ!?」
 サイファーの声が裏返った。
「本当か!? セルフィ」
 スコールも声を荒げる。
「うん。ソファで寝てたからテーブルの上に置いてメモ残してきた」
「何て書いたんだ?」
「これを飲んで疲れを癒して、って」
「スコール、セルフィを保護! 俺はヤツを押さえる!」
「分かった」
 言うが早いか、サイファーは再び爆走していた。
「え!? え!? もしかしてアービン、まずい???」
「無事を祈れ」
「そんな〜」
 セルフィは泣きたい気分だった。







 アーヴァイン・キニアス、懲罰室入り。






「どうしてなん!」
 その処置がセルフィには納得出来なかった。
 自分が入るのならいざ知らず、何故アーヴァインが入らねばならないのか。
「納得出来ないよ! アービンじゃなくあたしを入れてよ!」
 アーヴァインを懲罰室に入れたサイファーに食ってかかる。
「分かってくれセルフィ。これは懲罰で入れてるんじゃないんだ。セ、いや、アーヴァインの安全の為でもあるんだ」
「けど懲罰室はあんまりだよ」
 そう言って今にも泣きそうなセルフィの気持ちも良く分かったが、自らここに入れてくれと言ったアーヴァインの気持ちも、サイファーには痛いほど分かった。
 アーヴァインの部屋に駆けつけてみれば、寝ぼけ眼でドアを開けたアーヴァインの身体越しに、テーブルの上にドリンク剤の瓶が一本ころんと倒れているのが見えた。時既に遅し。急いでアーヴァインに事情を説明したら、自分をここに隔離してくれと言ったのだ。一人で耐える自信がない。本能に負けてセルフィを傷つけることだけはしたくない、そう言って頼んできた。
 そして自分もそれが最善だと思った。セルフィには非道い話のように聞こえるだろうが、男にとってはかなりの非常事態だ。ただでさえ血気盛んな年頃の自分たちがあんなものを飲んでしまったら。暴走して悲惨な目に遭った事例も幾つか聞いていた。救いなのは、一晩我慢すれば効果は消えるということだ。その一晩はかなりの苦痛と苦行となるが。それだけで治るのだから。そうでも思わなければどうしようもない。鉄の意志の持ち主ならいざ知らず、自分に自信がないのなら――――。



「ごめんね、アービン」
 セルフィは懲罰室のドアに手を当て力なく言った。
「セフィ、気にしないで。僕は望んでここにいるんだから」
 ドアの前でにしゃがみこんでいるセルフィとあまり変わらない高さから優しい声がする。
「けど、あたしがあんなもの……」
「もう言わないで、セフィ」
 アーヴァインにしてはきっぱりとした強い口調に、セルフィはまた心が痛くなった。
 アレを渡してくれたおにーさんに悪意があったとは思っていない。持って来てくれたおじさんもそうだ。酷く慌てていた。大体そんなシロモノを景品にするはずがない。だから、多分本当に不幸な偶然が重なっただけなのだと思う。けど、その不幸な偶然が重なりすぎた。
 アーヴァインは何も悪くないのに。
 外任務で疲れて帰ってきて眠っていただけなのに。セルフィの言葉を信じて飲んだだけなのに。
 なのにこんな所に閉じ込められて……。
「アービン、苦しい? 苦しいよね」
「大丈夫だよ、……一晩すれば、治るから」
 アーヴァインは必死で声を絞り出した。
 正直苦しくて堪らない。身体中の血が沸騰したように熱い。心臓の音が酷く近く聞こえる。セルフィがドア一枚を隔てて、そこにいることが余計に自分を追い詰める。手をついたドアの向こう側に愛しくて堪らない存在があるのだと思うと、今すぐドアを蹴破って抱きしめたい。口づけたい。その肌を味わいたい。壊れるほどに自分を刻みつけたい。一言でも彼女にぶつけることが出来たなら、この苦痛から逃れられるような錯覚にまで囚われる。油断すれば、このドアを力ずくで蹴破ってしまいそうな自分がいる。例え不可能だと分かっていても。
 ここに入れてもらって良かった。自室にいたら、自分を制御出来なかっただろう。そうなれば、それこそ本当にセルフィを壊していたかもしれない。それだけはイヤだ。何より大切なセルフィを傷つけることだけはしたくない。
 だから――――。
「セフィ、もう、部屋に戻りなよ。……ココ、苦手でしょ」
 この懲罰室の界隈は、ちょっと不気味だった。他の場所に比べて照明のある間隔が広いのと、壁の色が濃い灰色をしていて薄暗い印象なのだ。その壁にもあちこち染みがあって、空気も淀んだ感じがする。そして薄気味悪い噂があった。セルフィの苦手とする、得体のしれないモノを目撃したというような。
 それもあってアーヴァインはセルフィにはちゃんと自室に帰っていてほしかった。
「いい、ココにいる。アービンの傍にいたい。あたしが悪いのに、アービンばっかりこんなトコ入ってるなんて不公平すぎる」
「……セフィ。セフィのせいじゃないって」
 アーヴァインにはそれ以上どう言っていいか分からなかった。
 セルフィに傍にいてほしいという気持ちと、傍にいさせてはいけないという気持ちがせめぎ合う。どちらも正直な思いだ。だからどちらとも答えが出せない。
「サイファーもスコールもココにいても良いって言ってくれたから、ココにいちゃダメ?」
「……分かった、傍にいて。でもちゃんと寝るんだよ、ずっと起きてちゃダメだよ。僕もドアの近くにいるから」
「うん、分かった」
 それから一時間ほど過ぎた頃、セルフィの眠った気配がしてアーヴァインは少しだけホッとした。



「生きてるか?」
 身体中を駆け巡る熱に抗い続け、まんじりともせず夜を明かし、苦痛が和らいできた頃サイファーの声がした。
「なんとかね。セフィは?」
 最も気になるのはそれだった。未だに声がしないということは眠っているのだろうが、根がネガティブなせいか、もし――――とか思ってしまう。
「膝を抱えて眠ってる」
「……そっか」
「起こすか?」
「いいよ。寝かせといてあげて」
「お前、身体大丈夫か?」
「うん、もうかなり楽」
「出るか?」
「サイファー的にオッケーだと思ったら」
 小さな窓から覗くサイファーの顔に向かってアーヴァインは力なく笑った。
 ほどなく、カチッと鍵の開く音がした。セルフィを起こさないようにそ〜っとアーヴァインが懲罰室の外に出ると、サイファーの言った通り、セルフィは膝を抱え丸くなって眠っていた。
 その姿に温かさと申し訳なさが入り混じった感情がアーヴァインの胸に湧きあがる。と、セルフィに気を取られ、ドアを閉める時にうっかりカタンと音をたててしまった。
 その音にセルフィが身体をピクンとさせた。自分以外の気配に気がついたのか、アーヴァインのいる方に顔を上げる。
「アービン、良かった。出られたん」
 泣きそうな顔をしてセルフィはアーヴァインに手を伸ばした。
 アーヴァインはそれに応えるように床に膝をついた。
「アーヴァイン、大丈夫か?」
 サイファーが訊いた時にはもうセルフィがアーヴァインに抱きついていた。セルフィの身体を抱き留めて、アーヴァインはサイファーに小さく笑ってみせた。
「アービン、ごめんね。あたしがあんなもの置いてきちゃって、ごめん」
「セフィのせいじゃないってば。それ以上言うと怒るよ」
「お嬢、アーヴァインの言う通りだ。もう自分を責めるな、分かったな」
「ん…」
「二人とも“自分の”部屋に戻ってちゃんと寝ろよ」
 そう言うとサイファーはアーヴァインとセルフィを残して立ち去った。
「セフィ、サイファーもああ言ってるし、寮に戻ろう。ちゃんと眠らなきゃ」
 アーヴァインは名残惜しいと思いながらもセルフィの身体を少し離した。
「……一人で?」
 セルフィはアーヴァインの服を掴んだまま離さなかった。
「セフィのしたいように」
 そんなつもりはなかったのに、セルフィの耳に囁くように告げてアーヴァインは、例の妙薬がまだ残っているのかなと思った。かと言って、もう一度懲罰室に戻る気にもなれず、セルフィの腕を引っ張って立たせる。
 そのままセルフィの手を引いてこのエリアを抜けると、通路には眩しいくらいの朝日が差し込んでいた。
「アービン、もうしんどくない?」
 繋がれた手をぎゅっと握ってセルフィは、並んで歩くアーヴァインを見上げた。
「もう大丈夫だよ。気になるなら確かめてみる?」
 そう言うとパッと頬が桜色に染まったセルフィを見て、やっぱりまだ抜けてないかもしれないな〜、とアーヴァインは苦笑した。



 丁度その頃、武術室内ロッカールームでゼルが目を覚ました。
「お!? 俺なんでこんなトコで寝てたんだ?」
 その理由が近くに転がっている小さな空き瓶に関係があると彼が気がつくかどうかは不明。


アー、おま! セルフィ逃げてーーー! 逃げる気サラサラなさそうだけど……。
ゼルは大したことなさそうで何より。
(2009.07.11)

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