恋のためいき

 雨に濡れた萌えるような緑と花の白さが少し眩しい。さっきからそれを窓ガラス越しにじ〜っと眺めている顔にアーヴァインは嘆息した。
「ね、セフィ僕の話聞いてる?」
 その声に初めてそこに彼がいるのに気がついたような顔をして、セルフィは目の前にいるアーヴァインを見た。
「あのさ〜、新しいナンバーが手に入って嬉しいのは分かるけど、今は僕と一緒なんだから、ちゃんと僕の話を聞いてほしいな〜」
 セルフィはアーヴァインに何を言われたのか一瞬分からなかった。手元を見て思い出した。そうだった、ティンバーマニアックスの新しいバックナンバーを手に入れたのだ。それを買った後、この店に入ってお茶をしていたんだった。
 でも、アーヴァインは誤解している。
 ラグナさんのことや、ましてこの本のことを考えていたのではない。アーヴァインに見とれていたのだ。目の前の緩くカーブを描いたガラスに映っている菫色の瞳。こんなに綺麗な色をしていたんだな〜と思ったら、つぎに密に揃った睫に、力強い眉に、躊躇いのないラインの鼻筋に、よく動く形の良い唇に、柔らかな曲線を描く髪に、釘付けられた。
 けれど、そんなこと本人に向かって絶対言えない。
 ――――恥ずかしすぎる。
 アーヴァインのことを好きだと気づいた時から、自分たちの関係に恋人という呼称が追加された時から、妙にアーヴァインを意識してしまって、セルフィはほんの少し、彼に言えないことが増えた。
 そんな想いを抱えているセルフィのことなど露とも知らないアーヴァインは、沈黙したままのセルフィにタメイキをついた。
「僕、来週から二週間外任務だけど、セフィは平気そうだね」
 僅かにふて腐れ気味の声。
「え!? そうなん!?」
「少しは残念に思ってくれるんだ」
「ティ、ティンマニ発掘に付き合ってくれるのアービンしかいてないもん」
「やっぱり、そんなトコか〜」
 アーヴァインは苦笑すると、飲みかけのアイスカフォオレに再び口を付けた。
 そうじゃない、と思いつつも、口が勝手に動いてしまった自分の天の邪鬼っぷりを今更どうすることも出来ず、セルフィも同じようにアイスカフォオレのストローを口に含んだ。
『え、待って今二週間って言った? それって引っ掛かるんじゃ……』
 セルフィは指を折って日数を確かめた。
「あ、大丈夫だ」
「なにが、大丈夫?」
「え?」
 もう、ふて腐れた顔ではなく、いつもの表情に戻った顔でアーヴァインは問いかけてきた。
「あ〜っと、誕生日」
「そっかセフィの誕生日、もうすぐだったよね。うん、何とか間に合うように帰ってこられると思うよ〜」
「うん……」
 待ってる、と続けたかった言葉は、カフェオレと一緒に飲み込んでしまった。




「セルフィいる〜?」
 SeeD寮自室のインターフォンの向こうからリノアの声がした。
「いるよ〜、開いてるからどうぞ〜」
 返事を受け取ると軽い空気音と共に開いたドアから、リノアよりもずっと小さい何かが先に入ってきた。
「うわ〜ん、アンジェロだ〜。相変わらずもふもふだね〜、気持ちいい〜。あ、でもこれ以上こっちに来ちゃダメだよ、針があるからね」
 タタタッと駆け込んできたアンジェロとひとしきりじゃれ合った後、セルフィはやんわりとアンジェロを離した。アンジェロは言われた通り、そこから先はセルフィに近づかず、返事をするかのように「わぅん」と一声上げたあとその場にちょこんと座った。
「何してるの?」
 床にペタンと座って何かを縫ってるらしいセルフィにリノアは腰を屈めて問いかけた。
「テディ・ベア?」
 テーブルの上には写真入りの説明書が置いてあって、その写真と同じ色の生地も見えたのですぐに分かった。
「うん、そう」
「すごいねセルフィ、こんなの作れるんだ」
「これキットになってるから簡単だよ。リノアもやってみる?」
 セルフィは未開封のキットをリノアに差し出した。
「私はムリムリ、前にチャレンジしたことあるけど、もうホント悲惨だった」
 リノアは盛大に手を振って拒否をした。
「それよりここで見ていてもいい?」
「うん、いいよ。じゃお茶淹れよっか」
「あ、私がする。セルフィは続きやってて」
 リノアはそう言うと、キッチンへ向かっていった。アンジェロもすぐにリノアの後を追う仕草を見せたけれど、彼女が指で待っててと告げると、また大人しく座った。

「かわいいね〜、このテディ・ベア」
 二人分のお茶を用意し、アンジェロには甘さ控えめのクッキーをやってからリノアは、未開封のテディ・ベア製作キットを手に取った。
 説明書を読み進めていくと、必要な材料は全て同梱されていて、生地も既にカット済み。購入者がすることと言えば説明書通りに縫うことだった。
「説明書通りに縫うだけだよ、やってみない? あたしも得意じゃないけど、何とかなったよ?」
「そうだな〜、それだけなら何とかなるかな〜」
 セルフィが縫い進めていくのを見ていると、リノアにも出来そうな気がした。
「でもセルフィにこんな趣味があったなんて意外だな〜」
 リノアはキットの袋をくるんと動かした。そこに現われたベアアイのガラスをまじまじと見る。青みのかかった綺麗な紫色。
「トラビアにいた頃ね、みんなで年少クラスの子たちに作ってあげたことがあるんだよね」
「そうなんだ。でも、なんで二個あるの? 誰かにあげるの?」
「えっ!?」
 意外な質問だったのか、針を持つセルフィの手が止まった。その反応にリノアが何か引っ掛かるな〜と思った時、テーブルの上にあったセルフィの携帯電話から音楽が流れてきた。セルフィは針をピンクッションに刺して、携帯をパチンと開く。メールだったらしく、無言でポチポチとボタン操作をしている。程なく、パチンと閉じると、はぁ〜とタメイキをついた。
「今回のアーヴァインの任務ちょっと長めだね」
「ん? あ、そうだね。でも二週間だから、そんな長い方じゃないよ」
 セルフィは何でもない顔をして、またテディ・ベアを縫い始めた。
「帰ってくるの五日後だっけ?」
「う……ん、そう」
「だからタメイキが出たんだ」
「な、なんで、そうなるん!? イタッ」
 相変わらず分かり易い動揺っぷりに、リノアはついくすっと笑ってしまう。
「今の、まだ帰って来られない、アーヴァインからのメールだったんじゃないの?」
「……もう、リノアには敵わんな〜」
 観念したように言うとセルフィは、ぷつっと血の滲んだ指を唇に含んだ。
 自分も同じだから判るのだとリノアは思った。会えない時のメールや電話はすごく大事なことで、何より嬉しい。けれど、会えないのだという現実も思い知らされる。だから嬉しい反面、切なくもある。そしてつい――――タメイキが出る。
「セルフィも恋のタメイキをつくようになっちゃったのね〜」
 リノアは説明書のテディ・ベアに話しかけるようにしていた。
『恋のためいき?』
 セルフィはどこかで同じことを聞いた気がした。どこだったか……。思い出そうと、色んな記憶の糸を手繰り寄せる。
「これ、アーヴァインの瞳の色みたいだね」
 リノアが指さした袋の中のベアアイに、セルフィはハッとした。
 そうだ。再会した日、アーヴァインが列車の中でそう言ったのだ。一人でいるセルフィの所にやって来て「恋のためいき?」と。
 あの時は全くそんなものとは違ったけれど、さっきのは明らかに……。
「セルフィ、どうしたの? 黙りこくっちゃって」
 声の方に視線を動かすと、頭を傾けて下から見ているリノアと目が合った。
「うん、それアービンと同じ目の色してるから買ったんだ〜」
 ごく自然にそう言っていた。
「やっぱり〜。セルフィも恋する女の子だもんね〜」
 それもまた紛れもない事実。
「はんちょは、明日帰ってくるん?」
「うん、たぶんね〜」
 テーブルの上に顎を乗せて言ったリノアの声はそっけなかった。
「ウソツキやな〜リノアは、待ち遠しくてたまらんクセに〜」
「セルフィには敵わんな〜」
「ぷはっ」
 セルフィの声真似をしてリノアが言った後、お互いなんだか可笑しくて延々笑った。
 リノアの膝に顎を載せて目を閉じていたアンジェロは、載せていた顎の下がグラグラ揺れて一瞬何事かというように目を開けたけれど、リノアの笑い声を聞いて安心したのか、またすぐに目を閉じた。
 大好きな人と会えない日々ってのは、ちょっと切ないけれど、こうやって同じような気持ちを抱えた友だちがいるのだと思うと、心が軽くなる。
 そして女の子同士待つ時間を共有するというのも、けっこう楽しいとセルフィは思った。