学園的混乱
「なんか、不気味な静けさだよね」
「だねぇ」
「こうまで何かに監視されているようだと、流石にくるわね」
バラムガーデンの食堂は昼時にも拘わらず、ずいぶんと静かだった。というより一種異様な空気に満ちていた。
「で、犯人はまだ見つからないの?」
「う〜ん、相手も手慣れててさ〜、突き止めてもすぐに別のサイトを立ち上げちゃうんだよね」
「早く何とかしないと、ブチ切れたサイファーがガンブレードに物言わせて、実力行使に出ちゃいそうで」
「あり得るからコワイよね〜」
セルフィと珍しくキスティスも揃って大きく溜息をついた。
「シャレにならないわね、ソレ」
最初は面白半分で聞いていたリノアも、二人の顔のやつれ具合に、予想以上に切迫したものを感じた。
しばらくバラムを離れていたリノアが、ガーデンの様子がいつもと違いピリピリしていると感じたのは、こっちに帰ってきてすぐだった。そして学園というものの例に漏れず、バラムガーデンでもウワサの類が好きなのは同じで、程なくその理由も耳に入ってきた。
何やら、どっかのアングラ的な投稿サイトがその原因らしかった。二ヶ月くらい前からバラムガーデン内のゴシップや暴露ネタ、果ては個人の誹謗中傷などが頻繁に書き込まれ始めた。それが今や生徒だけでなく教授や職員、食堂のおばちゃん達、果ては校庭の片隅に生えている雑草一本までも巻き込み、皆がいつ自分のことが書き込まれるか分からない疑心暗鬼に囚われ、ガーデン全体が戦々恐々とした雰囲気に包まれているというのだ。
「どうしてこんな大きな事件になっちゃったの?」
詳細までは知らなかったリノアは、当然の疑問を口にした。
「最初はまだ書き込みも可愛らしかったんだよね〜。教授へのちっちゃなグチとか、今日の野外訓練がきつかったとか。そんな感じで」
「それがいつの間にかエスカレートして、段々内容が過激になって行っちゃったのよ。とうとう絶えきれなくなった生徒から苦情が私たちの所に持ち込まれて発覚したってわけ」
「最初は、単なる交流の場だったったのね」
「そうそう、それが今や、あることないことネタを作ってまで投稿されるから困っちゃってんの。ご丁寧に画像や動画付きでさ」
セルフィはそこまで言うと、何かを思い出したような顔をして、次に泣きそうな顔になってペタンとテーブルに突っ伏した。
「セルフィ気にしちゃダメよ。大切なのは本人なんだから」
「セルフィ何か嫌なこと書かれてたの?」
単なる悪戯サイト程度に思ってリノアは聞いていたが、あのセルフィがへこんでいるのを隠すことも出来ないほどダメージを与えるものなかと思うと、事はかなり深刻なのだと悟った。
『アーヴァインのことでちょっとね。彼にふさわしくないとか、そんなことをね。単なるやっかみだから、気にすることないって言ったんだけど……』
ガーデン全体が標的とは言っても、SeeDである上魔女討伐のメンバーは否応無しに目立つ。そのせいもあって、書き込まれる内容も多い。ある種有名税みたいなものだ。確かに対象数は多かったが、たいていの書き込み内容は他愛のないものばかりだった。だから気にすることはない。そうセルフィに言ったのだけれど、あまり効き目はないようだった。
キスティスはセルフィを気遣うように小声でざっと説明をした。
「何それ、サイテーッ! そんなの気にすることないって、大体アーヴァインはセルフィ以外ぜんっぜんっ目に入ってないし、私に言わせればアーヴァインにセルフィは勿体ないくらいよっ!」
「リノア、声が大きいわ」
キスティスは慌ててリノアを窘めた。鼻息荒く今にも拳を振り上げんばかりの勢いで力説するリノアの声は、普段より静かな食堂によく響き渡った。いつもはムダに元気な大切な友人を、こんな風に落ち込ませたことに、とても腹が立ってつい息巻いてしまったのだ。だが、キスティスの言葉で我に返ったリノアは、自分の言葉で更に落ち込ませたかも知れないと気付き、ごめんとセルフィに謝った。
「けど、ホントむかつくわねーそういうの、見つけたらアルテマ三連発でも気がすまないよっ!」
「リノアって過激ー」
あまりにも勢いのいいリノアに引き寄せられるように顔を上げたセルフィは、もう落ち込んだ顔はしておらず、素直にリノアの男前っぷりに感心した。
「そんなことないでしょー、立場が逆だったらきっとセルフィも同じこと言ったと思うけど?」
「あ、そだね」
セルフィは自分を振り返り、その通りだと照れたように舌を出して笑った。
「で、どうにかならないの、そのサイト」
キスティスの方に向き直り言ったリノアの声は、それでもまだ怒りの色が濃かった。
「やってはいるのよ。犯人はこのガーデン内の人間だってのはすぐに予測出来たから楽観視してたんだけど、これが巧みに網をくぐって逃げるのよ。それでも、もう少しの所まで来たから、ねっ、セルフィ」
キスティスは悔しげに柳眉をひそめつつセルフィの方を見遣った。
「うん、あたしもサイファーも必死で頑張ってるもん。絶対捕まえてやる〜」
セルフィはまだ半ばテーブルに突っ伏した状態ではあったけれど、握った拳には闘志を迸らせていた。
SeeD実地試験を受けた折、情報班に配属されたというセルフィと、一度食らいついた獲物は地獄まで這ってでも捕えるサイファーが必死になる程の相手とは、すっごいヤツがいたもんだとリノアは思った。と同時に捕まった後のことを思うと、実に気の毒だとも思った。セルフィはともかく、サイファーがどんな風紀委員的懲罰を与えるか、考えただけで身震いがする。
「私も出来ることは協力するから言ってねっ! なんなら魔法の使用許可申請しちゃうよっ」
リノアはセルフィとキスティスの手を握り、その意志を精一杯込めてブンブン振った。
心底頭にきたのだ。
最初こそセルフィの落ち込みっぷりは、ちょっと大袈裟ではないかと思ったけれど、それを自分に置き換えてみたら、もし自分がスコールにふさわしくないなどと書かれているのを目撃したら、やっぱりセルフィのように落ち込んだと思う。
書き込んだ方は、大して気にもしていなくとも、書かれた方のダメージは想像以上に大きい。個々の性格にもよるだろうけれど。普段、アーヴァインのことに関しては、本当に恋人かと疑いたくなるほど、のほほ〜んとしているセルフィですらこうなのだから、繊細な神経の持ち主だったりするともっと大変だろうと思う。けしてセルフィの神経が太いという意味じゃなくて。
ガーデンのみんながこんな思いをしていのかと思うと、じっとしてられない。なにより手段が卑怯だ!
にしても……。
リノアはふと気付いたことがあった。このセルフィの落ち込みっぷりには驚いた。自分ならいざ知らず、てっきりああいう類のことを見聞きしても、笑い飛ばすだろうと思っていた。
彼女も恋する女の子だったのだ。あんな中傷などなくても、相手を好きだという想いを自覚すればするほど、想いが強ければ強いほど、自分は相手にふさわしいのだろうかと不安になってしまうことがある。
鬱陶しがるほどアーヴァインにまとわりつかれているセルフィでも、そんな不安を抱えているのかと思うと、リノアはそんな彼女が可愛くて堪らなくなった。ついでにセルフィを構いたがるサイファーの気持ちも、ちょっとだけ分かった。
事件が解決したらキスティスとセルフィと三人で、女の子の秘密の会とか開いてみたいと思ったりした。
そして不謹慎だけれど、ちょっと落ち込んでいるセルフィは、何て言うか新鮮で、ホント可愛くて、大丈夫だよと、ぎゅ〜って抱きしめたい。反面、その可愛さ故に小さな悪戯心もわく。
「バレンタインの時も思ったけど、セルフィって、本当にアーヴァインのことが好きだよね」
「な、なに言ってんの、リノアッ!」
予想通りの反応。か〜っと赤くなったほっぺで、ワタワタする様子がホント可愛らしい。図星だって自分から言っているようなものなのに、本人はちっとも気付いてないのがもうなんとも。ダメだ、自分の気持ちを隠したがるセルフィのこの反応は、アーヴァインじゃなくとも、抱きしめたくなる。
「テレない、テレない。あのエスタでの告白は感動したよ〜 演技じゃないもんね〜、ホンモノだものね〜」
リノアは本当に感動したシーンを言っただけで、追い打ちをかけるつもりはなかったが、セルフィにとっては味方から爆弾投下されたようなものだった。
「ぎゃーーー、もうヤメテーーッ!!」
「待って、セルフィ」
セルフィは居たたまれずに耳を塞ぐようにして、猛然と走り出した。だが、そのせいでキスティスが慌てて止めたのも全く耳に入らなかった。
「あ〜あ 行っちゃった」
「ぶつかるわ」
前もロクに見ずがむしゃらに走っていたセルフィは、彼女を見つけて駆け寄ろうとしていたアーヴァインに気が付かず、思いっきりぶつかった。
「あちゃ〜 ハデに転んだね」
セルフィを追い詰めてしまった良心の呵責をリノアが感じた時には、尻餅をついたまま頭をさすりさすりセルフィが顔を上げたところだった。途端、ぶつかった相手がアーヴァインだったことに気付き、ビクンと大きく身体を震わせて半ば反射的に立ち上がりまた駆けだした。そしてアーヴァインもセルフィに負けるとも劣らない早さで立ち上がると、すぐに後を追って行った。キスティスとリノアは、おなじみの光景の二人が見えなくなるまで黙って見送った。後、リノアが感慨深げに呟いた。
「セルフィって可愛いよね〜」
「ええ 同感だわ」
「やっぱり、アーヴァインにセルフィは勿体ないんだよ」
「全く同意見だ」
突然横から低い声がした。
「サイファー、どっから湧いたの!?」
知らない間に柱のように気配もさせずサイファーが立っていた。もっとも柱はガンブレード入りのケースも持っていなければ、腕組みをして小石を吹っ飛ばしそうなほど荒い鼻息も吐いたりしないが。
「さっきからここにいた」
「ええ〜 立ち聞きしてたの?」
「勝手にお前らが喋っていただけだ。にしても、くそムカツク。犯人見つけたら真・鬼斬りだ」
アイツもなと付け加えてサイファーは、肩で風を切るようにして大股でずんずんとどこかへ歩いて行った。
「キスティス、サイファーが捕まえる前になんとしても私たちで犯人捕まえよっ」
「そ、そうね」
リノアは、ゆらゆら揺れるどす黒いオーラが見えるほどの妖気を漂わせた後ろ姿に『真・鬼斬り』はただの鬼斬りから、どれだけバージョンアップしたんだろうと、いつの間にかキスティスと握り合わせていた手をぶるっと震わせた。そして、何故か理不尽にもその対象になっているらしいアーヴァインに、心から同情した。
あれから三日、件の犯人はまだ捕まっていなかった。けれど、本当にもう少しのところまで来た。出来れば後の週末はゆっくり休みたい、そんな思いでセルフィは自室の端末で、ひとり執拗に犯人を追いかけていた。
相手はいくつものトラップを仕掛けて、こっちがそれに手間取っているうちに逃げる。ずっとそれを繰り返してきた。けれど無駄足を踏まされているばかりではない、付き合いが長くなればなるほど相手の個性が掴みやすくなってくる。相手は人間だ、だからどうしても癖というものが出る。それが分かれば今度は、そこを上手く利用するのだ。逆にこちらから罠を仕掛けてやる。2回はかわされてしまったが、相手もかなり焦っていることが分かった。小さな失敗が明らかに増えた。もう少し粘ればきっと、みんなが泣かないですむようになる。あんなこと書かれずにすむようになる。
あんなこと――――。
『――先輩はふさわしくないよ』
『もっと女らしい人の方が似合うと思う』
ふいに思い出した言葉は、ズキンとセルフィの胸を刺した。
たかが文字。一方的なやっかみ。こちらに非がある訳じゃない。見なければ気にすることもなかったものだ。多分キスティスの言う通り、気にする価値もない。
そう思って振り切ろうとした、忘れようとした。でも、ダメなのだ。昔から苦手なのだ、この手の類のものは。面と向かって言われたのなら対処のしようもある。けれど離れた場所からじわじわと締め付けられるようなこの感覚は、ただ悔しさと悲しさが積み重なっていくだけ。そして手段は卑怯だけれど、実際こう思ってる人がいるという現実を突き付けられる。
自分のダメな部分を思い知らされる。
女らしいってどういうことだろう。料理が出来て、裁縫も出来て、家庭的ってこと? 女の子は“女らしく”ないとダメなんだろうか。それってそんなに大事なことなんだろうか。大事なことだとすれば。
素直じゃない上に、女らしくもない、か。仕方ないやん、SeeD目指すのにそういうのやってる暇なかったもん。好きってわけでもないけど、出来ないってわけじゃない。機会がなかったのと、もっと他のことの方が興味が大きいだけ、っていうのは逃げ?
「やっぱ逃げかなぁ。なんでアービンはこんなんがええんやろ……」
セルフィは今やっていたことも忘れ、いつの間にか思考の渦へと引き摺り込まれていた。それも良くない方へ。
以前はこんな風に負の感情にいつまでも引き摺られることはなかった。落ち込むことはあっても、すぐにプラスに切り替えられた。なのに最近は……。
セルフィはとある時期を境に、自分がどんどん弱くなっているような気がしていた。こんなことでは、唯一の取り柄SeeDであることさえ自信がなくなりそうだ。反対に自分の周りの人間が輝いて見える。アーヴァインを始めとして、皆しっかりと自分の足で立ち、優れた才能の持ち主ばかり。友人としてさえ自分は不釣り合いなんじゃないか、とか思う。
「うわ〜 何この卑屈な考え方。あの連中と大して変わらんやん」
どっと疲れが押し寄せる。こんなことでは、捕まる犯人も捕まえられない。今日はさっさと寝てしまおう。セルフィはきりの良い所で作業を終了し端末を閉じた。ベッドへ入ろうと立ち上がった時、インターフォンが鳴った。
「あ、そっか。バスルーム貸す約束してたんだっけ」
重い足取りでドアのところまで行くと確認もせずにボタンを押した。
「セフィ〜 きたよ〜」
相変わらず嬉しそうなほやほや笑顔でアーヴァインが入ってきた。
「タオル分かるトコに置いといたから、テキトーに使って」
アーヴァインにぎゅ〜と抱きしめられながら、セルフィは淡々と言った。
「う、うん、ありがとう」
いつもなら、いい加減に離れろとゲンコツの一つも飛んでくるのに、今日は抱かれているまま何も言わないセルフィを怪訝に思い、アーヴァインは離した。
「セフィ、疲れてる?」
アーヴァインはセルフィの顔を覗き込んだ。
「べつに、そんなことないよ〜」
アーヴァインに向かって笑うと、セルフィはそのままキッチンへと向かった。その小さな背中を見送りながら、アーヴァインはちょっと淋しい気分になった。
あの顔は絶対“そんなことなくない”。シャワーで身体の泡を流しながら、さっきのセルフィの様子をアーヴァインは思い出していた。大体、セルフィの「なんでもない」とか「べつに〜」ほど信用ならないものはない。そんなことが分からない自分でもない。一歩間違えたらストーカーと称されるほどセルフィを見てきたのだ。大好きなセルフィのことを、分からないほうがおかしい。
「セフィ、あのこと気にしてるのかな〜」
身体も髪も洗い終えお湯に浸かりながら、ふわりふわり上りゆく湯気を眺める。セルフィに提供された可愛らしい髪留めで洗い髪を留め、膝を立てるようにして物思う姿は、後ろから見る分には実に乙女だった。ちょっとガタイが良すぎるのに目を瞑れば。
アーヴァインも件の犯人捜しに借り出されていた。当然書き込みの内容も知っている。知ってはいたが、リノア同様セルフィは、あんな書き込みなど笑い飛ばすだろうと思っている。というか思っていた、さっきまでは。
そう言えば事件発覚以来、やたらサイファーがつっかかってくるのと、キスティスが困ったような気の毒そうな瞳で自分を見ていた。
そして順を追って今までのセルフィを振り返ってみると、明らかに例の件発覚以降、彼女の様子がおかしいことに気付いた。ぼや〜っとしていることが多い。かと思えば、ものすごい早さで自分から逃げてみたり。知らないうちに、また何かヘマをやらかしたのかと思うと、うっかり落ち込んだりした。
実際つい三日前にやらかしてしまったばかりだけど。
だってめちゃめちゃ可愛かったんだよ。ぶつかってハデに転んだと思ったら、こっちの顔見た途端真っ赤になっちゃったりしてね。恋人なら追いかけるでしょー。抱きしめるでしょー。それだけに留まらなかったのは謝るべきかも知れないけど。でも、男なんだから、恋人なんだから、いっちゃうでしょ。後で鉄拳制裁喰らうとしても。
だから今日、こうしてセフィの部屋に入れてもらえたのは奇跡的。シャワーの故障様々なのだ。もっともこの後、そのまま自室に戻らされる可能性も大いにあるんだけど。週末の夜にそれは、とっても嫌だけど。セフィがそうしろと言えば…………うーん、やっぱり無理かな。
「あれ、セフィ……」
アーヴァインがほかほか湯気をまといながらバスルームから出ると、そこにセルフィの姿は見当たらなかった。
「お、メールきてる」
バスルームに持って入るのを忘れたTシャツを取り出す為に、持ってきた袋の中に手を突っ込んだところで隣に置いていた携帯に、着信を知らせる点滅がしていた。Tシャツを探していた手を止めてパチンと開いてみる。
「うえっ サイファーから」
見えた差出人の文字が、その相手のせいかやたらデカく見えてしまった。一体何の用かとおそるおそる内容を読んでみる。
「よかったか、セフィ絡みじゃない」
セルフィに近づくな宣言とかではないことにホッとすると、一気に最後まで読んだ。
「軽率な行動は取るな、か〜。たぶん、ここに来るのも“軽率な行動”のうちだよねぇ」
メールを読み終えてアーヴァインは唸った。
さすがはサイファーと言うべきなのだろう。特に悪質な記事提供者の情報をばっちり掴んだらしい。今捕獲に向かう所だけれど、どうも今女子寮辺りをうろついているようなので気をつけろと、わざわざメールをしてくれたのだ。セフィじゃなくて、この僕に。つまり、好意的に受け取るならば、『セルフィを守ってやれ』ってことだよね。
その親切っぷりに涙が出る。
でもサイファーの場合、絶対違う。『今、セルフィの部屋に近づいたらぶっ殺す』の意だよ、絶対。
やっぱり涙が出る。
「でもサイファーがこいつを捕獲するのは時間の問題だろうから、それはそれで感謝だよね」
少なくとも、セルフィを怒らせることしかしていない自分よりは遙かに役に立つ。
まだ乾ききっていない髪から雫がぽたんと一つ、携帯の上に落ちた。
「きゃあぁぁーーーっ!!」
ベッドルームの方からセルフィの悲鳴がした。瞬時にそこへ向かってアーヴァインの身体は動いていた。勢いよくベッドルームのドアを開けると、奇っ怪な場面に出くわした。
開けられたカーテンの端を握りしめたセルフィが、窓の外を向いて立っていて、その表情はめちゃくちゃ驚いている。その視線の先には、窓の向こうでサルがぶら〜んぶら〜んと揺れていた。いや正確には、サルみたいに身体を丸くした人間が、身体にロープをグルグル巻きにしてぶらさがって揺れていたのだ。
ここが何階だったか、その光景が何なのか、アーヴァインが飲み込めないでいるうちに何かがピカッと光った。
『カメラのフラッシュ!?』
反射的にアーヴァインはそう思った。と同時に窓に駆け寄る。窓を開けてそいつに手を伸ばしたが、それより僅かに早くサルが落ちた。続けて上からもう一人、下へ落ちていった。窓から身を乗り出したまま下を見ると、丁度真下にあった背の低い植え込みにバウンドして、横の地面にぼふっと倒れたのが見えた。外灯で黒い人影しか見えないが、先に落ちていたサルがすぐさま立ち上がった所を見ると、植え込みがクッションになったらしく、大したケガはしていないようだった。そいつらをとっつかまえる為に自分も飛び降りようかと窓枠に手を掛けた所で、アーヴァインはひじょーに聞き覚えのある声を聞いた。
『やっべ、サイファーだ』
思わずしゃがんで窓の下に身を隠す。聞き耳を立てると、「待ちやがれ! ハイペリオンの餌食だっ」と怒鳴りながらサル二匹を追いかけているらしかった。アーヴァインは取り敢えずサル二匹の命の無事を祈り、ここが一階ではなく自分の姿は見られていないであろうことに感謝した。
が、一難去ってまた一難。
「ア、アービンッ!! なんてかっこーしてんねんっ!!」
すっごい近くで怒った声がした。慌てて自分の恰好を確認したら、上半身は何も着ていなかった。下もめちゃめちゃラフな部屋着。髪は風呂上がりなのでまだちょっと濡れていたりする。
これはマズい、とーーってもマズい!
そ〜っとセルフィの方を窺うと、彼女もキャミソールの重ね着と短パンと、そのまま眠ってもいいような服装だ。
つまりこの状態で、写真を撮られたということになるのか。
アーヴァインは全身の血の気が引いた気がした。いや、引かないまでも確実に凍り付いた。なんというオイシイネタを自ら提供してしまったのか。サイファーに忠告を受けていたのに。アーヴァインは自分の浅はかさを心底悔やんだ。そして、またそ〜っとセルフィの方を見た。
どこか遠くを見ていた瞳が、瞬きと共にいつもの瞳に戻った。と思った瞬間セルフィは、アーヴァインの横をすり抜けドアの方へすごい勢いで向かった。
「どこ行くの!」
「あいつ捕まえんと、写真がサイトにアップされてしまう!」
「待って、セフィ!」
アーヴァインはセルフィの腕を掴んで引き止めた。
「離してっ! イヤや、あんなんアップされるの、アービンと一緒のなんか絶対イヤやっ!」
子供のように暴れるセルフィの言葉は小さなトゲのように、アーヴァインの胸をぴしぴしと掠めたが、取り敢えずそれは流した。
「落ち着いて。あいつらはサイファーが捕まえてくれるから、落ち着いて」
「サイファー?」
アーヴァインを見上げた瞳からはポロポロと涙がこぼれ落ちていた。今度は涙がトゲとなってアーヴァインへと降る。
「うん、サイファーがちゃんと捕まえてくれるから、大丈夫だよ。きっと写真もアップされないから」
「ホントに?」
安心出来たのか身体の力が少し抜けて、セルフィは大人しくなった。相変わらず涙はこぼれ落ちていたけれど。
「うん、サイファーだから間違いない」
「そっか……」
アーヴァインは流れる涙を指で拭うと、セルフィをそっと抱きしめた。大人しくされるがままになっているところをみると、大分落ち着いたようだ。
「ね、セフィ」
「な、に?」
「さっきの写真がイヤなのは分かるけど。あのさ、僕とのこと、みんなに知られるのはやっぱりイヤなの?」
小さなトゲが大きな楔になるかも知れないと思いつつ、聞かずにはいられなかった。
「イヤっていうのとは、ちがうけど……でも……」
「恥ずかしい?」
「……うん」
躊躇いはあるものの、肯定の返事。
大きくなったトゲにずきんとした。
さっきの写真がアップされても構わないと自分は思っている。みんなの知るところとなっても構わないと。それでセルフィを変な目で見る連中がいなくなるなら、むしろ望むところだ。それで公認になれるのなら、それも望むところだ。けれど、セルフィは――。
「僕が彼氏だってことが恥ずかしい?」
答えによっては、自らトゲで出来た傷をえぐるようなものだ。ただでさえ、自分のポジションの不安定感は拭えないのに。だからこそ、はっきりさせたいとも思った。
「違うよ、ふさわしくないのはあたしの方」
「はい?」
なんですと? いまなんて仰いましたか? ふさわしくないのはセフィの方? どうしてそんなことになってるんですか? いや、マテ、どっかで聞いたぞ。
「なんでそんなこと思うの?」
「女らしくない」
理解した。件の書き込み。まさかあれを真に受けたってことなのか。ここ最近セフィの様子が変だったのは、あれのせいか。
だとしたら、まったく、なんてことをしてくれたのか。傍目からは分からないかも知れないけど、セフィは傷つきやすい女の子なんだぞ。
「僕にとっては、セフィ以上に女の子らしい女の子はいないよ」
「美人でもない」
うお、なんという切り返し。
それより、そんな書き込みなかったぞ。ていうか、セフィどん底まで落ちてない? 根深かそうだぞコレ。何より大事な僕のセフィをこんなへこみモードにしてくれちゃって、犯人アーマーショットの刑決定だ!
「セフィは美人系じゃなくて可愛い系なの! それは比べられるもんじゃないの! 僕にとって一番可愛くて美人なのはセフィなの!」
僕にとってだけじゃないけど、他の男にとってもなんて絶対言わないよ!
「…う……だ」
まだあるのか……。それより何て言ったのか聞こえなかった。
「ごめん、よく聞こえなかったから、もう一度言って」
「……うそ、っだよ……そん、なの…」
うわっ、また泣いてる。どーしたら分かってくれるんだろう。言葉じゃもう無理っぽいよ。なんだか、僕も泣きたい。
「うそじゃないってば」
「でも……」
――――もう最後の手段に打って出てもいいかな。
「信じてよ、僕はずっとずっと昔からセフィがいいの。セフィでないとイヤだ」
「…んっ…」
口づけても拒まないでいてくれる彼女をそっと押し倒しながら僕は思った。
この後いくらでも鉄拳制裁受けるから、ホワイトデーの為に用意した、お揃いのバハムートモチーフのストラップアクセだけは受け取ってほしいな〜。でないと頼み込んで作ってくれた製作者からも、鉄拳制裁を喰らうことになるんだけど。
セルフィが知ることになったのは後になってからだったけれど、彼女の仕掛けた罠に犯行の首謀者が見事引っ掛かった。そしてサイファーも食らいついた獲物はがっつり捕縛した。
「一件落着ね、さすがサイファー。これでみんな安心して学園生活を送れるわ、ご苦労様。ところで何してるの?」
「アーヴァインに俺様の忠告を破った刑罰の内容送ってるんだよ」
キスティスはサイファーの打っているメールの画面を、何となく覗きこんだ。
「おりゃ、いけっ!」
「あっ 送っちゃった」
「ああ、送ったぜ。文句あんのか? あんぐらい軽いもんだ」
「そうじゃなくて、あれ片手落ちだけどいいの?」
「は? かたておちって何でだ?」
「あれじゃアーヴァインがセルフィの部屋に出入り禁止されただけで、セルフィはアーヴァインの部屋に自由に入れるって解釈されるわよ。いいの?」
「……あ」
「あなたでもそういうミスするのね。コーヒー淹れるけど飲む?」
開け放たれた窓からは、実に清々しく爽やかな風が入ってきた。
どう見てもアレですね。ホワイトデーのお返しは僕!的オチ……。うわぁ〜い。
サイファーが我が家色に染まり始めた。うわぁ〜い。
(2009.03.14)
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