chapt.1 任務
じりじりとした時間が流れる。
コンクリートにぴたりと当てられた背中は、もう感覚さえ定かではない。
この膠着した状態がどれ位続いているだろうか。長時間銃を握っている手が、強張ってしまわないように、アーヴァインは銃を握り直した。
リーダーからの次の指示はまだ入らない。ここからでは、人質とテロリストの立てこもった室内の様子は、伺い知る事は出来ない。自分に出来る事は、その時を待つ事と、目標を正確に狙い撃つ事。狙撃用のグローブの中が嫌な湿り気を帯びてくる。気温が高い訳でもないのに、額にぷつぷつと汗が浮かんでくるのが分かる。だが、緊張を緩める事は出来ない。犯人確保が最優先。それには、集中力と正確な狙撃を行わなければならない。
今一度、小さく息を吐いて吸う。底のがっちりした靴の下で、ざりっと崩れた壁の一欠片が粉になった。
耳に付けたインカムからリーダーの声が聞こえた。だがはっきりとした言葉になる前に音がぷっつりと途切れてしまった。何か、不測の事態が起こったのかと、小さな不安が過ぎった時、前方の立てこもり現場となっている室内から、少女の悲鳴と荒々しい男の声がした。リーダーからの通信は途絶えたまま、応答はない。今の悲鳴から察するに、悠長に指示を待っている余裕がないのも明白。人質の十数人の少女の命が危ないのもさる事ながら、この極限の状態でテロリスト自身も自決する可能性が高い。
アーヴァインはこのセクションの責任者として、速やかに作戦プラン移行の旨を、近くの持ち場に待機している三人の仲間に手で通達した。全員から了解の合図を確認すると、銃を構え、突入の合図と共に床を蹴った。同時にドォンという爆発音がして、後方へ身体が吹っ飛ばされた。ぶつかった衝撃で、崩れかけた壁の欠片がパラパラと頭上から降ってくる。
『作戦は失敗だ……』
額から流れ落ちる、ねっとりとした血の匂いと、どうしようもないやるせなさが彼を襲った。
※-※-※
「すまない、こんな結果になってしまって、SeeDの名を汚してしまった」
バラムガーデンのスコールの職務室、アーヴァインは悲痛な面持ちで、スコールの顔を見る事もなくそう告げた。
「判断は間違っていなかった、あんたが気にする事はない」
机の向こうから、真っ直ぐにアーヴァインを見上げた冷徹な美貌には、言葉の真偽を偽う余地は無かった。
「そうよ、アーヴァイン。ベストを尽くしても全てが上手く行く訳ではないわ」
彼女もまた、無駄な気休めは言わない人物だという事を、十分に知っていた。
「ありがとう、キスティス、スコール」
「とにかく、今は休め」
「あ、アーヴァイン、悪いんだけど、セルフィまだ職務室に居るから、もう上がってと伝えといてくれない?」
その言葉に不意に現実に引き戻され、また彼女の小さな優しさに感謝した。
「分かったよ」
いつものように笑って、アーヴァインはスコールの職務室を退室した。
「どう思う?」
スッとドアの向こうに消えたアーヴァインの後ろ姿から視線を外し、キスティスは静かにスコールの方に身体を向けた。
「良くは……ない、な」
スコールとキスティスの間を流れる空気はどこか重かった。作戦の失敗自体も、SeeDにとっても、依頼主にとっても良くはない。テロリストの情報も得る事が出来ず、人質も犠牲になってしまった。
だが、それよりも、別の部分がスコールとキスティスには気に掛かっていた。ここ最近、幾度か遭遇する事になった、けして良くはない……。
「続けて二度目よね、作戦の失敗」
「ああ 死人が出たのも前回同様だ」
「前回は一般人の巻き添えが2人、今回は、十三、四才の女子学生が15人か……キツイわね」
「………」
スコールは返事こそしなかったものの、アーヴァインから提出された報告書の文字を追うその瞳は、任務の失敗を苦々しく思う色とは全く違っていた。
「セルフィに…」
「セルフィに」
「どうぞ」
同時に口を開いたが、キスティスがスコールに続きを促した。
「セルフィにそれとなく、アーヴァインの様子を注意するように、言っておいた方がいいだろうな。大丈夫だろうとは思うが」
「私も、そう思ったところ。私から伝えておくわ。それとカドワキ先生にも」
「ああ 頼む」
アーヴァインは、キスティスに頼まれた通り、セルフィがまだ居るであろう、キスティスの職務室へと向かった。
ドアの前に立ち、いつものようにインターフォンを押す。だが、返事は無かった。もう一度押してみたが、やはり返事はない。せめてセルフィに会えば、多少気分も落ち着くのではないかと思ったが、今日は何から何まで間が悪いらしい。アーヴァインは、溜息をつく事すらせず、重い足を動かして、寮へ戻る事にした。
エレベーターに乗った所で、昼から何も食べていなかったを思い出し、食堂へ寄るかと考えた時、唐突にエレベーターのドアが開いた。誰か乗ってくるのかと思ったが、誰も乗って来ない。何故? とパネルを見たらしっかりと2Fのボタンが押されていた。どうやら1Fを押したつもりが2Fのボタンを押していたらしい。
アーヴァインは、何となくそのまま2Fでエレベーターを降りた。確かに身体はかなり疲れている、スコールの言う通り、さっさと自室に戻って眠るのがSeeDとして適切な行動だろう。自分もそう思う。
そう思うが、このまま自室に戻ってベッドに入っても、眠れそうにはなかった。何か自分でも分からない感情が、煙のように心の中に広がっている。楽しいだとか嬉しいだとかという感情を、覆い隠して行くような何か。一人、右も左も判断の出来ない、鬱蒼としたジャングルの直中に居るような、ねっとりした何かが心にまとわりつくような、得体の知れないものが、心の中にゆっくりと侵入して来ているような不安感。
『頭がぼうっとする……』
アーヴァインは、反射的にそのもやを吹き飛ばしてくれるような風に当たりたいと思い、そこへ向かって歩を進めた。
「セフィ……」
教室の並ぶ通路の突き当たり、分厚く重い鉄の扉を開けて、外の景色に直に触れられるデッキへ出ると、セルフィの後ろ姿が見えた。扉を開けた事でふいに風の向きが変わったのと、自分を呼ぶ声に気が付いたセルフィが振り向く。
「おかえり、アービン」
携帯電話をポケットにしまいながら、セルフィはアーヴァインに向かって嬉しそうに笑った。
「ここに居たんだ」
「あ、ごめん、捜してた?」
「ん〜 まあね。でも会えたからいいや」
アーヴァインも微笑んで、セルフィにゆっくりと近づき、少し身体を屈めてただいまのハグをした。その温かさに、強張っていた心が、すう〜っと柔らかく解き放たれていく。入れ替わるように、甘やかな彼女の香りと共に、優しい何かが流れ込んでくる。それを逃さないように、腕に少し力を加え暫くそのままでいた。
「アービン?」
大好きなアーヴァインの匂いに包まれて、されるがままになっていたセルフィも、いくら二人きりだからと言っても、あまりにも長く抱き締められていたので、少し恥ずかしくなってきた。そう思ったのが分かったのか、アーヴァインはゆっくりと力を緩めて離れた。
今、恥ずかしいと思ったばかりなのに、アーヴァインが離れたのが、今度は淋しくなった。そんな我儘っぷりを打ち消すようにセルフィは、デッキの手摺りに肘をついて、沈みゆく太陽の方を向いた。
「すっごい綺麗な夕日だよね、金色だよ〜」
夕日に肌を染めたセルフィが、感嘆の言葉をあげた。
「そうだね〜」
アーヴァインもセルフィの隣に立って、同じように空を眺めた。
海の向こう水平線の少し上、ゆっくりと沈みゆく太陽の色は、赤でも無く、オレンジ色でも無く、輝く金色。まるで太陽自身が黄金そのもののような光を放ち、周りの全てを金色に染めていた。
「めったに見ないよね、金色の夕焼けって、すごい綺麗だよね」
「ホントだよね〜 綺麗だよね〜……綺麗」
セルフィの声は、次第に語尾が小さくなり、太陽に照らされた表情も、心なしか少し翳りを帯びているように、アーヴァインには見えた。
「?」
アーヴァインは、セルフィの方に向き、少し首を傾げた。
「少し前ね、任務で行った先で言われたんだ……」
セルフィの綺麗な翠玉の瞳には、太陽の金色が混じり、神秘的な色をしていると、アーヴァインはぼんやりと思った。
「何て?」
「明日もこの綺麗な夕焼けが見られるとは限らないんだよね、って。そう言われれば、そうなんだけどね。あたしだって分かってるよ、分かってるけど。綺麗なものを見た時には、綺麗だって素直に言いたいな〜、なんて思ったり。でも色んな事情で次の夕焼けが見られない人だっているんだよな〜って思ったら、なんかね」
「素直に綺麗だって言いにくくなった?」
「ま、そんなトコ。妙にその事を思い出しちゃってね」
セルフィはクイッと肩を竦めて、少し淋しそうに笑った。
「いいんじゃない。人それぞれ感じ方が違って当たり前なんだから、青空は綺麗、夕焼けも綺麗、朝焼けも綺麗、星空も綺麗、そしてセフィも可愛い!」
「なんなんそれ! よくそんな恥ずかしい事ヘーキで言えるよね〜」
そう言って、耳を赤くして照れまくるセルフィが、アーヴァインは本当に好きだった。
『やっぱり、セフィがいいや』
セルフィに会った事で、嫌なもやは綺麗に消えていた。隣で「だいたいアービンはさ〜」と、一人ぶつぶつ呟くセルフィを見て、アーヴァインは愛おしそうに目を細めた。
「セフィ、寮に帰らない? キスティス、もう上がっていいって言ってたよ」
「うん、あっ、ごめん。ちょっとまだ調べ物があるんだ、で……」
セルフィは、一度すまなそうにアーヴァインを見て、視線を横にそらせた。
「で?」
その先は何となく予想がつきながらも、アーヴァインは続きを促した。
「ちょっと遅くまで掛かりそうなんだ〜……だから、今日はアービンとこ行けそうにない、ごめんね」
「分かったよ、明日ね」
すまなそうな顔をして見上げてくる姿も、また可愛かった。今日のアーヴァインはそれだけで十分だと思った。明日、会うことが出来ればそれでいいと。
セルフィの手を握って、ガーデンの中へ戻ろうと思ったら、クイクイッとセルフィがアーヴァインの髪を引っ張って、屈んでと合図をされた。
「なに?」
希望通り屈むと、するりとセルフィの腕がアーヴァインの首の後ろに回り、口付けをされた。小さくと音を立てて、柔らかく優しく角度を変えながら何度も施されるキス。アーヴァインも、セルフィの背中に腕を廻して、暫くの間彼女の唇を堪能した。
熱めのシャワーで、髪に身体についている泡を流した。泡が流れきった頃、目を開けると朱い皮膚が目に入った。
「…!」
一瞬、自分の肌が別のものに見えた。
明るい緋色の、かつて人であったものの欠片。顔に服に、飛び散り、ピッと張り付いてきた。足元にごろりと転がった塊と目が合った。その光景を思い出して、身体がじんと痺れたように固まった。心臓の動悸が耳に届きそうな程、どくどくと脈打っている。当然のように、呼吸も荒くなった。
濡れた壁に手を付いて、熱い湯に打たれたまま、それが通り過ぎるのを待った。
乱暴に身体と髪をを拭くと、下着とラフなズボンだけ身に付けて、アーヴァインバスルームを出た。いつもならきちんと片付ける荷物も、放ったらかしにして、そのままベッドに突っ伏す。
結局、食事は摂らなかったが、別に空腹感はない。ベッドに俯せに倒れ込んだまま、眠ってしまおうと目を閉じた。
だが自分の意志とは関係なく、今回の任務の光景が閃光のように蘇って来た。あと一瞬、判断が早ければ、助けられたであろう命。悔やんでも悔やみきれない。
キスティスの言う通り、ベストを尽くしても上手く行くとは限らない。それは判る。単独任務ならいざ知らず、チームでの任務となると、尚更自分一人がベストを尽くしても、全員がベストを尽くしても、状況によっては上手く行かない事もある。
知っている、今回が初めての経験ではない。
だが、消えゆく命を目の前に、見ている事しか出来ないのは、どうしようもなく辛く、慣れる事など出来ない。自分の無力さを嫌という程思い知らされる。何のためにSeeDになったのかと、自分を罵倒したくなる。例え極悪人であろうとも、生きてこそ償なえる事もあると自分は思う。
生きて生きて生きて、生きたい生きたい生きたいと、生命とはそういうものだ。自ら戦う事を望む者が相手なら、自分だとて容赦はしない。だが、守られるべき者、ただ慎ましく生きている善良な人々の命は違う。他人の手で勝手に終わらせていいものじゃない。それなのに、自分は助けられなかった。
アーヴァインは、身体に負った傷が、じくじくと深くえぐれていくような気がした。
「強くなりたい……」
こんな事で心が揺らぐ事のないよう。大切なものをしっかりと守れるよう。もっと、強くなりたい、身も心も――――。