「うあっっ!」
予想外の悪道に、ズボッと足を取られて、転びそうになった。
見渡す限りの雪原、文字通り何処を見ても真っ白、視界の全てが真っ白、世界の色という色が全て白に吸収されてしまったのではないかと思える程に。その悪路の中を、セルフィは歩いていた。ちょっと遊びに来たのなら、申し分のない景色。降り積もったばかりの綺麗な新雪は、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。トラビア育ちの自分には、散々目にして来た光景だが、こういう誰も通っていない綺麗な雪の原を見ると、ついそこへぼふっとダイブしたくなる。
だが、今はそんな気力すら残っていなかった。あまりにも突然の降雪だった為、まだ道の雪かきは出来ていない状態。都市部ならいざ知らず、此処は街から遠く離れた場所。更に目的地の村は、目の前の大きな山の中腹辺り。昨夜、どかっと雪が降りさえしなければ、車で行く事が出来たのに、自然という気まぐれさんは、こういう時実にイジワルだ。膝まで雪に埋もれていたセルフィは、このまま雪に身体を突っ伏したい気分になってきた。
「なんで、こんなトコまで来なあかんの……」
今回の任務は諜報活動。どんな大企業や組織にに潜り込むんだろうと思って、少しワクワクしていたら、トラビアのかな〜り山奥だとか、場所がトラビアだから自分が選ばれたとか、それより何よりどうして単独任務じゃなくて、オマケまで付けたのかとか、この任務を自分に振ったスコールとキスティスをセルフィは恨めしく思っていた。
「まだ、ゼルの方が絶対マシやった」
彼なら、こんな悪路もその拳と行動力で、がっすんがっすん道を造ってくれたんじゃないかと思う。
「セフィ、すっごいねこの雪、僕こんな雪景色はじめて見たよ〜」
楽天家なのか、単に呑気なだけなのか、それとも空気が読めないのかは分からないが、とにかく陽気な声だった。その陽気な声に、雪道を苦労して歩いて来た疲れが、小さな怒りに形を変えて、セルフィの口から零れた。
「なんで、アービンが一緒なん〜」
「今、それを言う〜? 何でって正式な任務じゃないか〜」
明らかな落胆の声にも、セルフィの気分に変化は無かった。単独任務でも問題はないのに、しかも寄りによってパートナーにアーヴァインを選ぶとは、スコールとキスティスの嫌がらせなのではないかと勘ぐりたくなる。同じSeeDなのだからと言えばそれまでだけど、多人数なら別段困らない、アーヴァインとペアの任務というのが苦手なのだ。緊張に欠けるというか何というか、うん、まぁそんな所で……。その反面、SeeDとしてはそんな理由で任務を拒否してはならないとも思っている。だからこそ余計にもやもやとする。
「そんなに僕と組むのがイヤだった?」
後ろを歩くアーヴァインの方を振り返る事もなく、相変わらずの歩調で雪道を進むセルフィの背中に、投げられた言葉。
嫌な訳ではない、嫌な訳では。何て答えていいのかが分からない。どの言葉もアーヴァインを気落ちさせるような気がして、セルフィは何も言えずにいた。そのセルフィの様子に、アーヴァインは歩を早めて彼女の直ぐ近くまで行ってから、再び口を開いた。
「あのね、今回僕が来る事になったのは、本当に適任者が僕達だったのが理由だよ」
「何で? あたしは分かるけど、アービンなのは分からないよ〜」
「だから〜、最も適任なのがセフィで、そのセフィについて行かれるレベルなのが僕だっただけなんだってば〜」
「もっと分かるように言ってよ」
セルフィは少しも歩調を緩める事なく、横を歩いているアーヴァインをチラッとだけ見た。
「それだよ〜」
アーヴァインはセルフィの足を指さす。
「?」
「こんな悪路をセフィの歩く速さに付いて行けるのは、あの時点で僕位しかいなかったって事。後単独じゃないのは、基本だろ〜? しかもこんな人の居ないトコで何かあったら、一人だとそのまま凍死しちゃうじゃん」
トラビア育ちの自分が、これ位の所で凍死してしまうようなヘマをする筈がない。だが、それ以外の理由は確かに説得力があった。この悪路を、自分に遅れる事なくがっつり付いて来られるのは、アーヴァイン位かも知れない。それを分かっていて、遠慮無く自分のペースで歩いているのも事実だ。他の人と組んでいたら、相手を気遣って、もっとペースは落ちていたと思う。成る程、スコールとキスティスは適格な人選をしたという事か、口惜しい事に。
「じゃ、もうちょっとペース上げるよ。アービン、付いて来られるんでしょ」
「え〜 セフィの鬼〜」
「このペースじゃ、村に着く頃は真っ暗だよ。そしたら……やっばい獣が出るかもよ〜」
一瞬あった間に、暗くなって怖い思いをするのがイヤなんだろうな〜と思ったが、口に出すべきでない事をアーヴァインは十分に心得ていた。口にすれば、セルフィの機嫌は確実に悪くなる。それはちょっと避けたい、色んな意味で。
「分かった、死ぬ気で付いていくよ〜」
太陽は淡々と空を渡り歩き、無情にもセルフィ達が村に着く前に、山の向こうへ去ってしまった。辺りがもう少しで真っ暗という頃、漸くセルフィとアーヴァインは目的の村に辿り着いた。
小さな村、温かいオレンジ色の外灯に照らされた道が、きちんと歩きやすいように雪かきがされていたのを見て、アーヴァインは胸を撫で下ろした。鍛えてはいても、セルフィの歩くペースは尋常ではなく、遅れないようで付いて歩いくのに必死だった。普段使わない筋肉を酷使した脚は、村に辿り着いたという安堵から、ぐっと重みを増している。そんな自分を余所に、相変わらず前を軽やかに歩くセルフィに、アーヴァインはトラビア人の底力を見た思いがした。取り敢えず休みたい、お願いだからちょっと休ませてと、そう思った時セルフィの足が止まった。
「あ、ここが宿だね〜」
その言葉に涙が出そうだった。村の入り口のこの場所に宿を作った人に、キスの雨を送りたい位感謝した。頑丈な木の扉を押して中に入ると、外とは別世界のように暖かだった。こじんまりとしたロビー兼フロントの隅にある暖炉の、赤々とした炎と、少し控えめな照明と、丸みのある木の壁が、疲れた身体を温かく迎えてくれているようだった。
「手続きしてくるね、アービンはここで待ってて」
そう言ってセルフィはアーヴァインに荷物を預け、フロントへ向かった。今歩くとビシッと脚がつりそうだったので、セルフィの気遣いに感謝しつつ待っていると、セルフィは渋面を作りながら戻って来た。
「どうしたの? 部屋空いて無かった?」
セルフィは困惑した顔でアーヴァインを見上げ、頭を軽く横に振った。
「急な泊まり客があったとかで、部屋が変更になった……」
「そうなんだ、泊まれないのかと思ったよ〜。じゃ、取り敢えず部屋へ行こうよ」
予約の手違いで、部屋が取れてないとかじゃ無くて良かった。此処に泊まれなければ、別の宿を探す事になる、それはちょっとというかかなり嫌だった。重い身体と荷物とを引き摺るようにして、セルフィの後ろを付いて階段を上がり、一番奥の部屋のドアの鍵をセルフィは開けた。そのまま荷物を持って部屋に入って行く。
「セフィ、僕の部屋は〜?」
アーヴァインの声に、セルフィはゆっくりと振り向いた。
「アービンもここ」
「え? まじ?!」
セルフィは黙って頷き、部屋の中へと消えた。
『ははははは、何でしょうこの空気の悪さは』
この部屋に入ってからずっと沈黙。何か話をしようにも、セルフィから無言の圧力を感じる。なんていうか、この雰囲気はあまりにも……窒息しそう。セルフィにしてみれば、別々の部屋の方が良かったんだろうけど、ここまで露骨に嫌ですオーラが見えると、本当に自分の立場は友達以下なんじゃないかと思えてくる。下心が無い、と言えば嘘になるが、自分だって任務だという事はわきまえているつもりだ。そこまで信用がないのだろうか、とアーヴァインは心の中で項垂れた。
暫くして部屋の中が十分に暖かくなった頃、セルフィは椅子から立ち上がると口を開いた。
「あたし、食事がてら任務こなして来るから、アービンは休んでて。ルームサービス頼んでおいたから」
「僕も行くよ」
急いで続こうとしたアーヴァインをセルフィはくるりと振り返り、アーヴァインの腿をぎぅ〜と指で押した。
「イテテテテ」
「ほらね〜 無理しないで、休んでてよ」
セルフィに指で突かれた所は、今日へとへとになるまで酷使された筋肉だった。そして情けなくも、セルフィに押さえられた箇所から、ふい〜っと力が抜けて行くのを感じた。
「ね?」
再び椅子に腰を降ろしたアーヴァインの頬にキスをして、セルフィは部屋を出て行った。さっきまでの窒息しそうだった空気がふっと柔らかく解け、頬のキス一つで身体がちょっと軽くなった気までする。なんて現金なんだろうと自嘲して、アーヴァインは椅子に深く身体を沈めた。
セルフィが部屋を出て行ってからから程なくして、彼女が頼んだルームサービスが届いた。品数こそ多くなかったものの、メインのとろりとした肉と野菜の煮込み料理は、疲れた身体の隅々まで温かくしてくれた。これでセルフィも一緒に食べる事が出来れば、疲れも吹っ飛んだんじゃないかと思えたが、プライベートの旅行ならいざ知らず、今回は任務なのだからと、アーヴァインは我儘な自分に言い聞かせた。
アーヴァインが食事を終え、油断するとダンスを始める本の文字と格闘していた頃、セルフィが戻ってきた。
「おかえりセフィ」
「ただいま〜、って何か変じゃない〜?」
「そうかな」
「ゴハン美味しかった〜?」
「うん、美味しかったよ。なんかちょっと疲れも取れた感じ」
「そうなん良かった」
「任務の方は、どんなカンジ?」
「ん〜 手応えがあったような無かったような……そんなトコ〜」
そう言うとセルフィは、アーヴァインの横にある椅子にどさっと座り込んだ。
今回の任務は、何ともはっきりしない奇妙な感じのものだった。どこから依頼されたとかも聞かされなかったし、明確な完遂基準がある訳でもなかった。出来る限りの情報収集、それが任務の全てだった。
「子供の行方不明事例の情報収集なんて、何か嫌な感じだよね〜。ちょっと前のエスタの魔女の後継者探しみたいで」
「考えすぎだとは思うけど、確かにあんまり良い感じはしないね」
「詮索しても仕方ないし、自分で引き受けた任務だし〜、明日の打ち合わせしとこうか〜」
不可解な気持ちは拭えなかったが、ここで議論した所で任務が完了する訳でもないと、セルフィは気持ちを切り替えた。
そんなに大きな村ではないので、村人全員に聞いて廻ってもさほどに時間は掛からないと思うが、それはあまりにも不振な行動になり兼ねない。自分達に与えられた時間は明日一日のみという事もあって、個別に幾つかポイントを決めて任務にあたる事にして、ミーティングは終了とした。
「それじゃ寝よっか〜、っとアービンお風呂は?」
「あ、先に入ったよ〜」
「そっか、じゃ先に寝てて、また明日ね〜」
セルフィはそれだけ言うと、バスルームに消えた。有無を言わせぬその声音に「……はい」と、アーヴァインは小さく返事をして、渋々ベッドに入った。
※-※-※
次の日、セルフィとアーヴァインは打ち合わせ通り、各々決めたルートで情報を収集して廻った。セルフィは地元に詳しい老人や施設を中心に。アーヴァインは、話好きのおばさん達の出入りの多そうな店を中心に。
待ち合わせにしていた店で昼食を摂りながら、簡単な報告をし合う。
「お年寄りの話って長い……、その上おんなじ事を何度も繰り返す……」
テーブルに突っ伏して大きく息を吐いたセルフィに、アーヴァインは苦笑した。確かに老人の話は為になるものもたくさんあるが、ちょっとしたツボに入ってしまうと、延々語られたりする。大抵相手に悪気がない場合が多いし、無下にするのも悪い感じがして、つい笑顔を作って聞いてしまったり。話を切り上げるタイミングを見誤り、老人相手に船を漕ぎつつ聞いているセルフィの姿が、脳裏に浮かんだ。
「ん〜、でも収穫はあったよ〜、何かね、少し前男の子と女の子が誘拐されたらしいけど、無事戻って来たって、事件があったみたい。アービンの方は?」
「こっちもその話は聞いたよ、でもそれ一件だけだった。他にはこの辺の村では起こってないみたいだね、あと世間話を嫌と言う程した」
「女の人の話も長いよね、特におばちゃんとか。アービン色々突っ込まれたやろ」
「うん、何か質問攻めにされた。何で、分かるの!?」
「トラビアやもん〜、“最強のイキモノおばちゃん”には誰も敵わんて」
「はははは……」
アーヴァインは深く頷いた。軽く世間話でもしながら、目的の情報を聞き出そうと思ったら、逆に質問攻めにされた。その話術の巧みさと勢いの良さは、確かに最強のイキモノという名がふさわしいかも知れない。「お兄ちゃん、イイ男やわ〜」から始まって、すんごいプライベートなトコまで突っ込まれた。いつの間にか、増えたおばちゃん達に、「うちに娘の婿になれへん。なんならあたしでもええよ〜」とか、話をするのは得意だと思っていた自分も、両手を挙げて降参したくなる位、完全におばちゃん達のペースに飲まれていた。あれは手強い、克服するには……いや、克服するなどという行為は無謀なような気がする。ひょっとしてセルフィを育ててくれたお母さんも、あんな感じの人なんだろうかと、アーヴァインの心を小さな不安がよぎった。
「あ、“アメちゃん”貰った」
ポロポロっとテーブルの上を転がった、男には似つかわしくない、可愛らしい包装紙の飴が数個。
「貰ってもいい?」
セルフィはクスクスと笑いながら、その内の一つを摘んだ。
「どうぞ〜、全部持ってっていいよ〜」
遠慮無く飴を貰ってポケットに仕舞い込みながら、セルフィが席を立つ。
「それじゃ、もうひと頑張りするかな〜」
「そうだね、待ち合わせはまたここでいい?」
「うん、いいよ〜」
会計を済ませ店のドアを開けると、また雪が降り出していた。幸いな事にはらりはらりといった程度だったが、この先どかっと降らないという保証はない。セルフィはふかふかの帽子をぎゅっと被り、アーヴァインはコートの襟を立てて足を踏み出した。
山の夜は早い、まだ夕方の6時だというのに、村の中は真っ暗に近かった。ただ、雪はあれからすぐ止んで、新たに積もるという事は無かった。北の地の空気は冷たく澄み渡り、上空には満天の星が出ていた。暫くその星空を眺めていたい気もしたが、セルフィとの約束の時間を少し過ぎていたので、アーヴァインは温かい光が零れるドアを押した。
「セフィ、待たせてごめんね」
「アービン、おつかれ〜」
店中のテーブルで、陶器のゴブレットを握っていたセルフィの頬が、ほんのり赤く染まっていた。
「お酒?」
「寒いから〜、でもこれだけだよ」
セルフィはくいんとゴブレットを掲げてアーヴァインに見せた。ゴブレットの半分程酒が入っている、匂いを嗅いでみたがそんなに強い物ではなさそうだ。寒い時、酒は格好の暖房となる、これもそういった類の酒だろう。殆どのテーブルで、同じゴブレットで呑んでいる姿が見えた。
「僕も一杯貰おうかな」
「あ、これで良かったら、あげるよ〜 あたしもう十分あったまったから」
「じゃ遠慮無く」
「寒い時は煮込み料理に限るよね〜」
セルフィは実に嬉しそうに、目の前の料理をパクパク口に運んでいた。今夜のメニューも肉と野菜の煮込み料理。昨夜の物と材料は殆ど同じだったが、味は全く違っていた。今夜の物は唐辛子やスパイスが良く利いている、最初はその辛さに火を噴きそうだったが、食べ進めていくうちに癖になる辛さ。辛さが消えると仄かに甘味が口の中に残る。さっきの酒も相まって、身体がほかほかと温まった、そして美味しかった。
宿へ向かう道を歩いていても、吐く息は真っ白だったが、身体はまだ暖かかった。そしてさっきよりももっと、綺麗な星空が広がり下弦の月も出ていたが、星の光の邪魔をする程では無い。手を伸ばせば届きそうな程近くに見える星空を、アーヴァインはぼ〜っと眺めながら歩いていたら、うっかり前を歩いていたセルフィにドンとぶつかってしまった。
「ごめん、セフィ」
何時もなら、ちゃんと前を向いて歩けと叱られるのに、今のセルフィはじ〜っと何かを見つめていた。
「どうしたの? セフィ」
「なんだろうと思って」
セルフィの身体が向いている脇道を、アーヴァインも少し身体を曲げて覗いてみた。
両側の壁を少し背の高い雪で固められた、あまり広くはない道。外灯は無かったが、両側の雪の壁の根元にはぽつんぽつんと等間隔に、チラチラと揺れる明かりが見えた。ロウソクの明かりだろうか、白い道と壁を、ほうっと淡い黄色の光が暖かく照らしている。
「行ってみる?」
「うん」
その道は余り長い距離ではないようだったのと、セルフィはその光景に、とても惹かれるものがあった。
脇道に入ると、道の両側には建物がない事が分った。そして両脇の明かりは、やはりロウソクで、可愛らしい丸いガラスで覆われていた。少し先には木で作られた小さな建物があり、雪の道は真っ直ぐにそこへと続いていた。少し離れた所から見ても、両側を背の高い松明で照らされた建物の扉には、流れるような星形の花のモチーフと、六角形の幾何学模様の彫刻が施してあるのが見て取れた。神様でも祀られているのだろうか。そう思った時、セルフィは昔聞いた話を思い出した。
「これって…」
後ろを振り返ってみれば、セルフィ達よりもずっと後ろをこちらへ歩いてくる、白い人影が二つあった。
「アービンこっち」
セルフィはアーヴァインの手を取り、来た道を少し引き返し、雪の壁が若干広くなっている所で止まった。
「なに、なに?」
「人が来てる」
そう言われて始めて、アーヴァインは後ろを振り返った。自分達よりも数十歩後ろを歩いている人影が見える。一人は、ファーでぐるりと縁取られた、フード付きの長いローブを着た人物。隣を歩くもう一人は、ローブの人物よりも背が高く、暖かそうな毛皮の帽子にかっちりとしたロングコートを着た人物。白の衣装に身を包んだ二人は、言葉を交わすこともなく、ゆっくりとこの先の建物に向かって歩いているようだった。何者なのか知りたいと思うより先に、その様が厳かでどこか神秘的で言葉を発する事すら躊躇われ、アーヴァインは静かに二人が目の前を通って行くのを見送った。
やがて二人は、建物の中へと消えた。
そこに来て漸く、呼吸する事を思い出し、アーヴァインは一つ深呼吸をして、疑問を口にする事が出来た。
「何だろうね」
「結婚式」
「そうなの?!」
「うん、ずっと昔からある伝統的な結婚式。今は殆ど見かける事はないんだ〜」
「なんで?」
「条件が厳しいのと、冬の長いトラビアでは結婚式は娯楽の一つで、もっと盛大に大勢の人で祝い楽しむ事が多くなったから」
「そうなのか〜、条件ってどれ位厳しいの?」
「まずは、式の日にちを決めたら、変更が出来ない事。その日は、今日みたいな星が見える天気である事。そして、この壁を作る事が出来る位雪が積もっている事」
「それは厳しいね、どうしてそんなに厳しいの?」
「トラビアの古い女神の祝福を受ける為。戦いと狩りの神だった彼女は、果てしなく続く神々同士の戦いに疲れ、弟の神にその役柄を譲り、小さな星形の白い花と雪とを携えてこの地を訪れ、トラビアを終の棲家とした。星形の花と雪は女神の象徴、扉の彫刻がそれだよ」
「なるほどね〜、だから星の夜と雪なんだね」
アーヴァインは素敵だね〜と、うんうんと頷きながら一人感慨に耽っていた。
アーヴァインが自分の世界へ入り込んで暫くした頃、建物のドアが開き、花嫁と花婿が出てきた。来た時と同じように静かに歩を進め、アーヴァイン達の近くまで来た時「ヘレンヤ」と、セルフィが二人に声を掛けた。
「ハノンレ」
花嫁が、フードの下の顔を柔らかく綻ばせて、言葉を返してくれた。隣の花婿が、ゆっくりとアーヴァインに近づき、笑顔を添えて手の平に乗る小さな何かを差し出した。
「ヘレンヤ」
花婿に、言葉と共に差し出されたそれを、アーヴァインはどうしていいのか分からず、セルフィの方を見た。彼女が小さく頷いたを確認すると、花婿から受け取った。
まるで、自分がおとぎ話の世界に迷い込んだような、幻想的で不思議な光景。そんな心持ちで、アーヴァインは二人が去っていくのを見送った。
「寒いし、そろそろ、戻ろっか」
「あ、そうだね」
明るいセルフィの声に、アーヴァインは随分身体が冷えてきた事にやっと気が付いた。
「コレどういう意味なんだろ」
ベッドに腰掛け、さっき貰った物をアーヴァインはくるりくるりと眺めていた。
手の平に乗る小さなガラス細工。六花の縁取りの中に、星形の花が一輪。セルフィが話してくれた女神の象徴である事は間違いないと思うが、これを貰った意味が分からない。多分、幸運が訪れるとか、そういう物なんだろうとは思うけど、やっぱり気になる。
「ね、セフィ、コレどういう意味があるの?」
「ん〜とね、持ってると幸せのお裾分けがあるよ〜ってトコかな」
「ふ〜ん、じゃ大事にしよう」
それなら、何で一緒にいたセルフィは貰えなかったんだろうと、少し引っ掛かる部分もあったけど、セルフィは興味がないとでも言うように、もう片方のベッドに仰向けに寝転がり、携帯をぽちぽち弄っていたので、アーヴァインはそれ以上訊くのをやめた。
「セフィ、寒くない?」
「寒くないよ〜」
セルフィは、アーヴァインの方を見ることもなく答えた。
「僕は、寒いよ〜。後、ここね〜出るらし……」
アーヴァインがそこまで言った時、セルフィがガバッと飛び起きた。当惑の瞳でこっちを見ているのを確認して、アーヴァインはふわっと微笑み、手を差し伸べた。