ふたり

 SeeD寮の一室、カタカタとキーボードを操作する音と、その音よりも随分静かにページの捲られる音だけが聞こえていた。
「ムキーーーーッ!! またやられたーー!」
 セルフィは、がっくりとキーボードに突っ伏した。

「今日は調子悪いねセフィ」
 頭をキーボードの上に置き、両手はだらんと垂らして溜息をついているセルフィを見て、アーヴァインは小さく笑った。
 いつもならサクサクとクリアして行くアクションゲームに、今日は珍しく苦戦しているらしい。何故なのかは容易に検討がついた。セルフィはイライラしているのだ、楽しみにしていた予定がキャンセルになって。
 彼女は本当に楽しみにしていた。
 今頃久し振りに仲間が全員揃い騒いでいる筈だった。だが、やむを得ない事情で、結局揃う事が出来ず計画はお流れになった。あんまりセルフィが落胆していたので、「バイクでどっか出掛けようか」と提案してみたが、僕がそう言った途端、今度は雨が降り始めた。そしてセルフィの気分はますます下降の一途を辿っている、というワケ。

「あ〜あ ひっさしぶりの楽しい予定が〜、せめて雨じゃなくて雪ならいいのにな〜」
 相変わらずキーボードに頭を置いたまま、セルフィはまた大きな溜息をついた。
「退屈そうだね、セフィ」
 分厚い本を読んでいた視線を上げて、今日何度目かの溜息をついたセルフィを、苦笑混じりにアーヴァインは見た。
「退屈って言うか、せめて雨が降らなきゃね〜、今日は特に、残念でしたー、って言われてるみたいで、なんかね〜」
「ムカッ、ってする?」
「ん〜 そんなトコ。子供の頃はおかまいなしに遊んでたのにな〜、いつから雨に濡れるのが嫌いになっちゃったんだろ……」

 そう言えば、イデアの家にいた頃、セルフィは雨が降っても平気で外へ出て行ってたっけ。セルフィが誘っても、誰も一緒に行かなくて、いつも僕が付き合うはめになっていた。そして帰って来ると、必ずまま先生に「風邪をひくからいけません」て叱られて……。バツとしておやつ抜きになって、それでもセルフィは全然懲りなくて、二人でタオルでごしごし拭きながら「またいこうね〜」って言うセルフィに、笑顔で「うん」と答えていた。
 思えばあの頃から、セルフィと一緒にいるのが楽しくて、誘ってくれるのが嬉しくて、セルフィの事が好きだから、楽しくて嬉しいんだと自覚したんだっけ。アーヴァインは、ふっとそんな事を思い出して、くすりと笑った。

「アービンは、雨好き?」
 いつの間にか、アーヴァインの横に膝を付き、さっきまで彼が読んでいた本を覗き込み、それが難しい専門書だと分かって、セルフィはちょっと顔をしかめていた。
「ん〜 嫌いじゃ……ない、かな」
 例え外へ出られなくても、再び、セルフィと過ごせる時間を持てるようになった。だから晴れであろうと雨であろうと嵐であろうと、彼女と同じ時間を共有出来るのなら一向に構わない。時間の過ごし方なら、いくらでも方法はある。
「あ、アービン、銃の手入れする気はない〜?」
「ごめん、昨日手入れしたばっかりなんだ」
「て事は今日はしないんだ……」
「見たかった?」
「うん」
 ガーデンでは、一通り銃の扱いも手入れ法も習うが、アーヴァインの銃は彼専用の物なので、セルフィは結構興味があった。実際に自分が使うことはないだろうが、専門家の手入れの仕方を見るだけでも、勉強になると思う。折角の休みに、“銃の手入れのレクチャー”というのも、どうなのかなとも思うけど……。
 壁に立てかけてある、鍵の掛かったケースの中の主は、綺麗に磨き上げられ静かに眠っているらしい。またする事が一つ消えてしまった。見たいビデオとかも今はないし、カードゲームも気が乗らないし、何も思いつかなくて、セルフィは床にごろんと仰向けに寝っ転がり、身体をぐぐーーっと伸ばした。
 いっそ昼寝でもしようか、セルフィがそんな事を思った時、真上から覗き込むようにして、アーヴァインが笑っていた。
「お菓子でも作る?」
「作ってくれるの?!」
 ガバッと上半身を起こし、キラキラとした瞳で、セルフィはアーヴァインを見上げた。
「いや……、セフィが作らない?」
「え〜」
 予想通りというかなんというか、端っからアーヴァインが作るものだ、と思っているらしいのがもう何とも。
「じゃあ、一緒に作るとか? 暇でしょセフィ」
「う〜ん、……手伝いなら」
「ビスケットでいい?」
 渋々と言った感じで返事をしたセルフィの腕をぐっと引っ張って立たせ、アーヴァインはキッチンへ向かった。
 返事こそ渋々だったセルフィも、いざ作り始めると結構楽しんでいるようだった。レシピ自体は簡単な方で、型抜きとかはむしろ楽しい作業だ。
 セルフィは、特に料理が嫌いという訳でも、壊滅的にヘタという訳でもないらしい。でも、彼女は積極的に料理をする事はしない。大抵僕に振ってくる。確かに僕は、料理をするのは嫌いじゃない、いつもセルフィは「美味しいよ」と言って本当に美味しそうに食べてくれるし。
 ただ、珠にはセルフィの手料理が食べたいと思うのは、恋人なら当然の事で、一度「セフィの手料理が食べたい」と言ったら、「そのうちね〜」とはぐらかされてそれっきり。何となくだけど、料理をするという事に興味がないんだと思う。そして喜ぶ僕の事にも……いや、流石にこっちは、ない……と、思う、思いたい。はぁ……。
 相変わらずです、僕たちは。
 アーヴァインがそんな事を考えている内に、最初の分が大分焼き上がってきた。美味しそうな甘い匂いが漂ってくる。もうそれだけで、セルフィの気分は上々。最初のビスケットが焼き上がると、鉄板から器に移す作業もそこそこに、セルフィははふはふと息を吐きながら、ビスケットを口に放り込んでいた。
「美味しい?」
 食べる事に一所懸命なのと口の中が熱いのとで、言葉にする事は出来ず、セルフィはこくこくと頭を振ってアーヴァインにサインを送った。
「ね、アービンはどこで料理なんて覚えたの? ガルバディアの家?」
 セルフィは摘み食いにも満足して、次のビスケットが焼き上がるのをじ〜っと見つめながら聞いていた。
「そうだね、かあさんとガーデンの先輩から」
 アイスカフェオレを作って、セルフィに差し出しながら、アーヴァインは消極的だった日々の中でも、温かい記憶を辿っていた。
「先輩って女の人?」
「それがね〜、男の先輩。他にも色んな事教えて貰ったよ」
 ガルバディアに居た頃の事はあまり話さないアーヴァインだったが、今はどこか懐かしそうな顔をしているのに、セルフィもちょっと嬉しくなった。ガルバディアに居た頃の事、自分の知らないアーヴァインの時間の事、出来たらもうちょっと聞いてみたいな〜とも思った。

「セフィは向こうで待ってて、これが焼き上がったら持っていくから」
 アーヴァインにそう促されて、セルフィはアーヴァインの分もアイスカフェオレのグラスを持って、隣の部屋へと移動した。程なくして、全て焼き上がったビスケットを持って、アーヴァインもセルフィの隣へ腰を降ろした。
「コレは?」
 セルフィが作った憶えのない色のビスケットが、ほんの少しだけあった。
「ココアパウダーを入れてみました。気が付くのが遅くて、それだけなんだけど、どうかな」
 そう言って、アーヴァインが摘んだココアのビスケットを、セルフィはパクンと食べた。
「美味しい?」
「うん!」
 にこにことビスケットを頬張るセルフィの顔が、あまりにも可愛らしくて、アーヴァインは自分も欲しくなってしまった。
「僕にもお裾分けちょーだい」
「ん?」
 セルフィが答える間もなく、アーヴァインはふわりとキスをしていた。けれど、そのまま直ぐには離れてくれなかった。優しく柔らかく、角度を変えながら与えられる。そして、セルフィの知らない大人のキス。突然の感触に驚いた。ぞくりとした何かが身体を駆け抜ける。見知らぬ感覚に身体は勝手に動き、気が付けばアーヴァインの胸をドンと押して、セルフィはアーヴァインから離れていた。
「い、…いっつもそうやって女の子口説いてたんやろ!」
 今起こった事と自分の取った行動に戸惑い、口からは何故かそんな言葉が零れ落ちていた。それが、アーヴァインにどんな衝撃を与えるか、考える余裕など全く無く……。

「そんな事……」
 確かに女の子とは、それなりにお付き合いして来た、けれど自分から“本気”で誘った事はない。セルフィ以外は、誰とも本気になれなかった。遊びで付き合うのは煩わしかったし、何より相手に失礼だと思っていた。だから本気になれないと分かった時点で終わりにしていた。
 ただ、そんな事セルフィに話をした事もなければ、訊かれた事もなかった。セルフィが今まで見てきた印象で、そう思い込まれていたに過ぎない。けれど、自分にとっては虚偽であっても、セルフィにとっては、今彼女が発した言葉が真実なのだ。
 F.H.で決心をしてから、ずっとセルフィだけを見て、彼女に振り向いて貰う事だけを考えて行動をして来た。彼女に誤解されてしまうような言動は特に避けてきたつもりだ。
 だが、今の言葉は――――。
 セルフィにはまるで理解されていなかったのではないだろうか。今、ありのままを告げて、それでも、信じて貰えなかったら……。何て答えればいいのか、頭の中は凄まじい勢いで色んな言葉が駆け巡るのに、口までは降りてきてくれない。



 アーヴァインは何も言い返して来ない。ひょっとして図星だったんだろうか。そんな事今更なのに、本当だとしても笑い飛ばしてくれればいいのに。過去はどうあれ「今は、君だけだよ」と一言言ってくれれば、それを鵜呑みにするのに、そしてあたしも笑い飛ばして終わりにするのに。何故、アーヴァインは黙っているんだろう……。そして、何故哀しげな瞳をしているんだろう。
 もしかして、あたしが―――― 傷つけた?!

「……アービン」
 小さく呼びかけると、哀しげな瞳と視線がぶつかり、心がきゅっと収縮するような痛みを感じた。
 そうか……今の自分の言葉は、アーヴァインの事を信じていない、と言ってしまったのも同じではないか。絶対信じていると思っていた人に、疑うような言葉を放ってしまった。あたしはバカだ。またアーヴァインを傷つけてしまった。アーヴァインが優しいのをいい事に、いつもいつも天の邪鬼な態度と言葉をぶつけてしまう。本当は――――大好きなのに。
「アービン、ごめんね。非道いこと言っちゃって……ごめん」
「セフィ?」
「昔の事なんて、もう過ぎた事なのにね。大事なのは今なのにね……」
 セルフィは、つとアーヴァインの頬に手を伸ばした。
 哀しげだった瞳は少しだけ驚いたように見開かれ、そしていつもの優しい色に変わっていく。

「セフィ、聞いてくれるかな」
 頬に触れたセルフィの手を、アーヴァインはふわりと握り返した。セルフィがゆっくりと頷くのを見て、長くなるからとソファに座るよう促した。
 彼女に全て話そう、出会ってから今までの事を、自分がどう思って生きて来たかを。それを受け入れて貰えるかどうかは、セルフィの心に委ねよう。
 アーヴァインは、セルフィの手を握り静かに語る。
 イデアの家で出会って、毎日が楽しかった事。離ればなれになるのが、堪らなく悲しかった事。
 トラビアの住所宛に手紙を出し、それが宛先不明で戻って来た事。その時、もう一生会えないんだと思った事。
 この時一度だけセルフィは何か言いたげにしたけれど、アーヴァインの言葉を遮る事はしなかった。
 貰われていったガルバディアの家で、自分の不甲斐なさと養父から逃げるようにガーデンに入った事。
 ガーデンで、セルフィの事を忘れようと色んな女の子と付き合った事、どんな付き合いだったかもきちんと付け加えて。
 セルフィはじっとアーヴァインの手を握り、彼の言葉に心を添わせ切ない気持ちで聞いていた。
「セフィ、僕はずっとセフィの事が好きだったんだよ。イデアの家に居た頃から、ずっとセフィだけを見て来たんだよ……」
「……え!?」
 はじかれたように、アーヴァインに向けた顔は、絶対間抜けな表情をしていたと思う。
「そんなに驚かれると、ちょっとショックだよ〜」
 困ったような顔をしてアーヴァインは笑っている。
「ごめん、そんなに昔からだったなんて……知らなかった。ごめん……」
 セルフィは本当にアーヴァインに申し訳ないと思った。
 トラビアでアーヴァインから聞いた、小さい時に好きでいてくれたという話は、そこで終わっていたんだと思っていた。それどころか、再会してからもずっと好きでいてくれたとか……。アーヴァインから告白されるまで、仲間としての好意だと思っていた。自分が恋愛事に疎いという事を、最近薄々とは感じていたけれど……。今のアーヴァインの話で、本当に鈍かったんだと思い知らされた。情けなくて、アーヴァインに申し訳なくて、俯いた口から大きな溜息が漏れた。
「いいんだよ、そんなセフィの事が好きなのが僕なんだから」
 アーヴァインの優しい言葉がずきんと胸を刺す。
「あたし……すっごく待たせちゃったんだね、ホントごめんね」
 セルフィはアーヴァインの手をぎゅっと握って、見上げた。
「もういいんだって、セフィ。今、幸せだから」
「でも……」
「どうして、セフィが泣くかな。僕の事なのに……」
「だっ…て……」
 アーヴァインはまた困ったような顔をして、セルフィの涙を指でそっと拭った。

 自分だって、泣きたくて泣いている訳ではない。勝手に涙が溢れてくるだけで。アーヴァインの事が好きだと気が付いた時から少しの間、想いが通じなくてつらかった。でも、アーヴァインは、自分なんかより、もっとずっと長い間あんな思いをしていたんだと思うと、切なくて切なくて堪らなくなった。だから涙が勝手に溢れてくる。
 でも、涙だけじゃなくて、鼻水も――。流石にいい加減泣き止まないと、鼻水がタラ〜ンとか、ちょっとイヤだ。ぎゅっと鼻を摘んだら、アーヴァインが笑いながらティッシュを持ってきてくれた。

 アイスカフェオレがすっかり温くなってしまった頃、やっとセルフィの涙も鼻水も止まった。鼻の頭と目はまだ赤かったけれど。
「セフィ、こっちにおいで」
 アーヴァインは、ソファから降りて床に座ると、クイクイと自分の脚の間を指さしていた。セルフィは促されるままに、アーヴァインの脚の間に座り、背中を彼の身体に預けた。これなら、泣いた後のみっともない顔は見られなくて済む。
 相変わらずアーヴァインは――。
「何かビデオでも見る?」
「うん」
 テレビから、軽快な音が流れてきた。前にも見たことのある、セルフィの好きなアクション映画。けれどセルフィの視界は段々とぼやけていった。
 居心地の良い場所と温かさ。こうして、ここに居られて本当に良かった。
 アーヴァインを好きになる事が出来て、本当に良かった。
 合わせたアーヴァインの手を、一度ぎゅっと握ってセルフィは静かに目を閉じた。
 目を閉じる間際、「おきたら、あそびにいこうね」と小さいアーヴァインの声が聞こえた気がした。


ゆっくりと流れるふたりの時間、そして温かさ。それは、何気ないようで、とても貴重な事。

(2008.02.04)

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