玻璃に映る春

 一年の終わり、それだけで何となく心が落ち着かないような、ワクワクするような感じがするのは、ここバラムガーデンも同じだった。
 あと一週間余りで新しい年。生徒達は講義も訓練も終わり暫しの休暇に入ると、自宅で冬の休暇を過ごす者もいる為、ガーデンの中は少しだけ人淋しくなる。SeeDだけは、その任務によっては例外もあったが、この時期は比較的まとめて休める者も多かった。
「セフィ、冬の休暇は何して過ごす〜?」
 休みの取れる方の組に入っていたアーヴァインが、にこにことセルフィにそう訊いたのは、月の始めだっただろうか。
「特に、まだ考えてないよ〜。みんなと楽しく過ごせたらいいや〜」
 暖かいココアのカップを両手で持ち、ふ〜ふ〜と息を吐いて冷ましながらセルフィは答えた。
「僕はふた……」
「あーーっ!! ね、アービン、カウントダウンパーティしようよ! 今年はみんな、ガーデンに居るみたいだし」
 見事にアーヴァインの言葉は掻き消され、セルフィは名案とばかりに勢いよく立ち上がった。その拍子に座っていた椅子は倒れ、テーブルの上に乱暴に置かれたコップが倒れかけたのを、慌ててアーヴァインが止めるはめになり、彼は溜息をつく事すら出来なかった。セルフィは、もう一人ぶつぶつと場所はどこでだの、連絡網はどうするだの、すっかり心はそっちに行ってしまっている。一度動き始めたセルフィを止める事は出来ない。アーヴァインは自分の提案を言うことは諦めて、素直にセルフィに協力する覚悟をした。
「セフィ、僕の頼み一つだけ聞いて欲しいんだけど、いいかな?」
 既に頭の中でめまぐるしく計画を練っていたセルフィは、初めてアーヴァインが居る事に気が付いたかのように、彼の方を向いた。
「うんいいよ、何?」
 幸か不幸か、あっさりと望む答を得られた。
「パーティではあのドレス着て、あわ〜いブルーのヤツ」
「え〜 仮装パーティの提案しようと思ったのに〜」
 やっぱり言って良かったと、アーヴァインは心から思った。仮装パーティなんかに決定したりしたら、一体自分は何の格好をさせられるのか、もう考えただけでも……怖すぎる。
「お願い!」
「しょうがないな〜、あの月白のドレス?」
「多分ソレ、首の後ろで大きなリボン結びのあるドレス。あれ、すんごく好き! セフィにとても似合ってるし」
「分かった……」
 “好き”と“似合ってる”を念のため強調して言ったのが功を奏したのか、仄かに頬を赤くしてセルフィから承諾をもぎ取ることが出来た。言う事すら出来なかったとはいえ、二人で過ごしたかったのを譲歩したのだから、これ位の我儘は許して貰えないと、哀しすぎる。来年はもっと早く計画をして、上手くセルフィを丸め込もうと、こっそり拳に誓った。
 それから、アーヴァインの予想通り、場所の手配やら、参加人数の確認やら、パーティの段取りをするのに、セルフィの足としてこき使……、いや腹心として勢威協力した。こんな時に限って、マネージメント力の最も優れているキスティスは、職務が忙しくて全く手伝って貰えず、予算に頭を抱えながら探しまくって会場となるホテルが決まった所で、うっかりSeeDの任務が飛び込んで来たりした。
 後の事はやっとくからね〜、とセルフィに見送られ、一番大変な所は僕がやったんじゃんと、半ば干からびながらアーヴァインはSeeDの任務へと赴いた。セルフィからの、いってらっしゃいのキスが無ければ、彼は多分その辺で干物になっていたのではないかと思われた。


「セルフィ淋しいね。アーヴァインが肝心な時に任務だなんて……」
「そうでもないよ〜、みんながいるし、きっと楽しいパーティになるよ〜」
 そう言って笑うセルフィのほっぺたを、リノアはみょ〜んと引っ張った。
「いたい〜、なにすんのーリノア」
 目の端に少しだけ涙を浮かべて、セルフィはつねられた頬をさすった。
「だってセルフィ嘘つきなんだもん、涙出てるのにー」
「これはリノアが引っ張ったから〜……」
 その先はもう言えなかった。リノアに取り繕った所でバレバレだ。全員が揃う事が難しい仲間と、カウントダウンを過ごせるのが、嬉しくて楽しみなのは本当だけれど、それはアーヴァインも居てこそだと自分もリノアも分かっている。セルフィを見つめるリノアの瞳は、いたわりの色こそあれど、からかいの色などどこにも無い。
「大丈夫だよリノア。アービン、パーティには絶対出るって、息巻いて任務に行ったもん」
 これは嘘でも何でもなく、本当の言葉。
「そうなの、アーヴァインらしいなぁー。それ絶対、有言実行だよ」
 クスクスと笑うをリノアに、セルフィは嬉しいような恥ずかしいような心持ちだった。アーヴァインがそう言うからには、多分這ってでも帰ってくると思うけど、第三者からの賛同は更に力強い後押しになる。
「パーティ用のドレスは新調する?」
「ううん、月白のドレスを着る事になってるから」
「そうなんだ、アーヴァインの希望?」
「うん、ま、そんなトコ」
 リノアの顔が一瞬何か含みのあるものに変わったような気がしたけれど、「私もあのドレスは本当にセルフィに良く似合ってると思うよ」と、笑って言ってくれただけで終わりだった。その事にちょっとホッとする、何故だかは、上手く言えないけれど。




 それからは慌ただしい日々だった、残りの職務を急いで片付けて、休暇前という事で各教室、施設の片付けが普段より念入りに行われたり。休暇に入ると、自宅で休暇を過ごす職員や生徒が帰宅して、ガーデンの中がいつもより少しだけ静かになったが、SeeDの職務を手伝ったり、パーティ最終チェックをしていたりで、あっという間にこの年最後の日となった。
「お疲れ様、セルフィ」
「キスティスもお疲れ様、これで三、四日は羽を伸ばせるね」
 漸く、キスティス担当の職務も終了し、セルフィの淹れてくれたコーヒーを受け取りながら、彼女にしては珍しく、大きく安堵の息を吐いた。
「セルフィはこれから会場入り?」
「うん、この後着替えていく予定」
「何か手伝いましょうか? こっちもギリギリまで手伝った貰ったし」
「だいじょーぶ! アービンの代わりにサイファー巻き込んだから」
「そう、それなら、私の出る幕はないわね」
 コーヒーカップを持ち、キスティスはふふっと笑っていた。サイファーはああ見えて、責任感が強いのはキスティスも良く知っていた。そして、セルフィに弱いのも。
「キスティスはうーーんと着飾って来てね〜」
「あら、どうして?」
「キスティスが来るっていうんで、参加を決めた男子、多いんだよ〜」
「それは光栄だわね」
「じゃ、会場で待ってるね〜」
 セルフィは、手を振りながらキスティスの職務室を後にした。ドレスに着替える為に一端自室に寄る。寮へ向かう通路を歩きながら、ふとアーヴァインの事が気になった。本当に、パーティに間に合うように帰ってこられるのだろうかと。昨日連絡した時には、まだ帰れそうな雰囲気では無かった。今日は、忙しいのかメールの返事もまだ無かった。



※-※-※



「よくここが取れたな」
「だよね〜」
 カウントダウンパーティの会場となった、バラムの白いホテル。
 あまり大きくは無いが、シンプルでセンスの良い造り、細やかなサービスが行き届き、且つ料金がリーズナブルという事で、取り分け若い女性に人気のホテルだった。よくこんな好条件の所が取れたものだと、ホテルのエントランスに立ってセルフィは思った。支配人の女性が出てきて、妙に納得したけど。
 会場の準備と言っても、料理はホテルに頼んであるし、ちょっとした余興は用意してあるが、簡単な打ち合わせで終わる。注文内容の確認が終われば、特にする事は無かった。サイファーの助言で、酔い潰れた人用に部屋を何室か追加でお願いして、一通り最終チェックが終わった。後は、時間まで此処で皆を待つだけ。丁度その時、セルフィの携帯にキスティスから電話が入った。サイファーが、ちょっと出てくると、目で合図してホテルを出ていったのを見送りながら、セルフィは通話をオンにした。
「……うん、分かった、ありがとう。待ってるね〜」
 通話を終えると同時に、また着信音が鳴る。一番聞き慣れたメロディ。「これから、列車に乗るよ〜。絶対待ってて」と言われた。今日は素直に「待ってるよ〜」と答えて携帯を閉じた。ホッとした気持ちで、パーティホールとなる部屋から続きの部屋へと歩いてみた。控え室に最適な大きさとでも言えばいいのか、正面には海に面しているテラスがある。バラムと言えど流石にこの時期の海の風は冷たい、だがアルコールで火照った身体を醒ますには良いかも知れない。窓の外、小さな三角波を立てる海を眺めながら、そんな事をぼんやりと考えていたら、ふいに肩が温かくなった。見るとごく淡い青紫色の、薄く繊細な織りのショールが掛けられていた。
「それ使え」
 振り向くと、サイファーが立っていた。ひょっとしてこれを、わざわざ買ってきたのだろうか。
「使えって何で?」
「ソレだよソレ。お嬢は無防備過ぎだ。だからこれで隠しとけ」
 そう言われて、やっと何の事か察しが付いた。このドレスは背中が大きく開いていたんだった。背中なんて自分では見えないし、ホテルの中は空調が効いていて程良く暖かくて、すっかり忘れていたが。サイファーがそう言うからには、この状態はあまり好ましくないんだと思う。かと言ってコートを着ておく訳にもいかないし、自分よりも、ずっと細やかな気遣いに感謝しつつ、サイファーの厚意に素直に甘えた。
「ありがとう。サイファーって良い男だよね」
「今頃気が付いたのか、残念ながらもう遅いぜ」
「妹だから別にいいもん」
「そうか、それはそれで残念だな」
「サイファーって、ホント口が上手いよね」
「人を詐欺師みたいな言い方するなよ、お嬢。スマートな会話運びってんだよ、こういうのは」
「はい、お兄様。次から気をつけます」
 打てば響くような、というのは少々違うかもしれないが、小気味よいテンポの会話が、何て言うか、楽しい。つい時間が経つのも忘れる。アーヴァインといる時も、時間の流れが速い感じがするけど、それとはまた違う感じで早い。サイファーといると、色々教えられる。最近では本当に兄のような存在だと思う、しかもかなり頼もしい。出来ればこのポジションは一生手放したくないな、とセルフィは思った。


 水平線の向こうに、今年最後の夕日が沈んで行こうとしているのが見えた。
 そろそろ、気の早い出席者がやって来る頃だろう。
「そろそろ音楽でも流そうか〜」
「そうだな」
 隣のパーティ会場となる部屋へと移動する。
 今日のパーティは気軽なカジュアルなもの、流行りの明るく軽快なノリの曲を中心に選曲した。
「アイツは帰って来れるのか?」
「うん、もうこっちに向かってるって」
 BGMの調整をしながらサイファーに返事をする。
「死ぬ気で任務終わらせたのか、流石だな……」
 サイファーには背を向けているので分からないが、絶対笑っているんだろうなと思える声色だった。
「あたしにぞっこんだもん! なんてね〜」
「ちがいねー」
 否定する事もなく、くっくっとサイファーは声に出して笑っている。
「サイファー、そこ突っ込み入れるトコだよ!」
 まさかそんな受け答えをされるとは思わず、セルフィは恥ずかしくてサイファーに突っ込んだ。けれど、サイファーはニヤニヤして、見返して来たりするもんだから、セルフィはますます恥ずかしくなり、耳まで赤くなってしまった。
「もしかして一番ノリか?」
 助け船のように、背後から明るい声がした。
「ゼル! 三つ編みちゃんも、カウントダウンパーティへようこそ〜」
 パッと声の方を向いて、笑顔で二人を出迎えた。肘でサイファーを突いて、彼にも挨拶を促す。
「早すぎだ、どうぞこの野郎」
 接客係にあるまじき言い方ではあるが、あまり仲の良くないゼル相手にしては、上出来といえる部類だった。ゼルも特に気にするでも無く、さっさと三つ編みちゃんと一緒に奥へと歩いて行った。ゼルを皮切りに、今日の出席者がぞくぞくと到着する。キスティスが現われた時には、会場内に居た男性達からどよめきの声が上がった。隣のサイファーはその声に、チッと舌打ちをしたような気がしたが。
 皆余程楽しみにしていたのか、開始時刻前に参加予定者は、アーヴァインを除いて全員到着していた。
「それでは皆さん、今年一年お疲れさまーー! 来年も宜しくーー!」
 セルフィが一言、本当にその一言でパーティ開始の挨拶を終わらせ、楽しい宴の幕が上がった。


 ゼルの種見え見えの手品やら、プロ並の上手さのジャグリングやら、用意してあった余興も一通り終わると、皆それぞれに、この刻を楽しんでいた。
「サイファー、今チャンスだよ! ほらキスティスのトコ行ってきなよー」
 バーカウンターで一休みしていた、サイファーとセルフィの方へ歩いて来たリノアが、近くのカクテルのグラスを取り、サイファーに差し出していた。
「うっせーな、今は呑みたいたいんだよ」
 そう言いながら、ぐいんと差し出されたグラスを受け取ったが、口をつけようとはしない。不機嫌そうに「向こうで呑み直して来る」と言って、サイファーの姿は消えた。
「あ〜らら、相変わらず本気の相手には素直じゃないよね〜」
 セルフィの隣の椅子に座りながらリノアが呟いた。そうなんだ、サイファーはキスティスの事が好きだったんだ。セルフィはキスティスに、綺麗に着飾って来て、と言った事が良かったのか悪かったのか、ちょっと複雑な心境だった。
「リノア、はんちょは?」
 一緒かと思ったが、スコールの姿は近くには見当たらなかった。問われたリノアは、途端にぶすっとした表情になり、指だけ動かした。その指が示した方のずっと先、人の隙間にスコールの姿が垣間見えた。どう見てもパーティを楽しんでいるといった感じではない。多分無粋な参加者が、仕事の話でも彼に振ったのだろう。そして彼はこんな時でも、それに真面目に応えてしまう。リノアが不機嫌になるのも無理はない。
「リノア、踊ろうよ」
 セルフィはリノアの手首を掴んで、踊っている連中の所へと顔を向けた。
「そうだね、折角のパーティだもん、楽しまなきゃねー」
 リノアが笑って足を踏み出した時、セルフィの携帯が鳴った。
「あーもう、だれ〜」
「セルフィ出て、アーヴァインかも知れないよ」
 そう言われてドキンとした。確かにこのメロディは彼の着信音。けれど今は、リノアの事も気に掛かる。
「出て、セルフィ」
 もう一度リノアにそう促され、セルフィは「ちょっと、ごめんね」と告げて電話に出た。手短に会話を終えて、リノアの方を向くと、彼女の直ぐ隣にスコールが立っていた。さっきまでずっと向こうに居たのに、まるで奇術の瞬間移動でも見た気分だった。そして、リノアはスコールに肩を抱かれ、ごめんねと目で合図をして奥へと去っていった。
 セルフィは一人になり、再び入り口近くのバーカウンターに戻った。
 今アーヴァインから、バラム駅に着いたよ、と連絡があったので、直此処に来ると思う。でも、一人で待つ時間は物理的に短くても、心にはとてつも長く感じられる。人の輪に入るにしても、アーヴァインが来るのが分かっていて入るのも、何だか躊躇われる。いっそ迎えに行こうか。そう思った時、入り口のドアが開いた。キョロキョロと辺りを見回していた視線は、直ぐにセルフィを捉えると、ふわりと笑顔を浮かべて、真っ直ぐにそこへ向かう。
 セルフィはその青年の姿をぼんやりと見つめていた。任務帰りだというのに、幾分ラフな素材の黒のジャケットと細身のパンツ。ボタンを二つ位外したインナーのオフホワイトのシャツは前立てが黒。長身に映える縦長の黒いライン、その中に覗く白が綺麗だ。更に近くで見ると、白だと思ったシャツのボタンは、百合紋章モチーフのシルバーで、控えめだけれどピリッと効いている。ジャケットの袖口から覗く、僅かに先端の広がったシャツの袖が長めの所為か、いつにも増して長い指が綺麗に見える。誰もがこんな風に着こなせるというスタイルではないと思う。
 相変わらず……、口惜しい位に決め所をよく心得ている、とセルフィは思った。
「セフィ、ただいま」
「おかえり、アービン」
 ただいまのキスをして、セルフィの隣の椅子にアーヴァインは腰を降ろした。
「セフィ、今日はいつもと違う良い香りがする」
「ん〜、今日くらいはね。キツイ?」
 滅多につけない香水だけれど、良い香りだと言って貰えて嬉しかった。
「美味しそうな匂い〜」
「そこ〜? 確かに林檎の香りも入ってるけど……」
「美味しそうで合ってるじゃない」
「う゛……」
 確かに間違ってはいないけど、もっと他に言い方があるだろうと。その言い方は誤解される、多分それを見越しての発言だという事は、流石にもうセルフィにも分かる。これがサイファー相手なら、軽く会話だけを楽しむ事が出来るけれど、相手がアーヴァインとなるとそうはいかない。迂闊な発言をすると、現実となってしまう。そういう駆け引きを楽しむような余裕は、セルフィはまだ持ち得ない。だから本能と直感で言葉を選ぶ、思いつかなかった時は喋らない、取り敢えず今までの経験で得た対処法がソレ。それでも知らない間に、アーヴァインの策にハマっている事に、後から気が付く事もしばしばだったけれど。
「お腹空いてない? 食べて帰った?」
 雲行きが妖しくなる前に、話題を変えた。
「空いてる……かなり」
 そう言いながらアーヴァインは、セルフィの前にあるカクテルのグラスを取ると、くいっと飲み干した。
「アービン、ダメだよ何か食べてから呑まないと〜」
 大した量のカクテルではないが、それでも空腹にアルコールは良くない。
「う〜ん、でも此処ちょっとうるさい」
 アーヴァインがそう言うのも無理はなかった。パーティは良い感じに盛り上がり、かなり賑やかだった。落ち着いて食事とかそういう雰囲気ではない。
「じゃあ、っと、あっちの部屋で待ってて、何か見繕って持って行くから」
 パーティ会場から続きの、海に面した小さな部屋を、アーヴァインに示した。
「了解〜」
 アーヴァインがその部屋へ歩いて行くのを確認してから、セルフィは急いでお腹の足しになりそうな物を幾つかお皿に取り、水の入ったグラスを持って、アーヴァインの所へ急いだ。チラッと視界の端に、キスティスと背中合わせで別々のテーブルに座り、風神雷神相手に、酒をあおりながらカードに興ずるサイファーの姿が見えた。まだキスティスに話しかける事は出来てないらしい、その姿を横目にセルフィは目的の部屋に入った。奥のソファに座っているアーヴァインの後ろ姿が見えた。脇のテーブルには、空のグラスが幾つか並んでいる。近づいてみると案の定、またお酒を呑んでいた。
「アービン、空きっ腹で呑んだらあかんて」
「でも、折角どうぞと持ってきてくれたのに、受け取らないとマズイでしょー?」
 アーヴァインの言うことは一理ある、でも相手の気分を害する事無く断る事など、アーヴァインなら簡単だろうに。やっぱ、疲れてるんかな。ていうか、疲れてない筈ないよね、きついスケジュールなのは判り切っていた事だし、無理して頑張ったから今此処に居る訳だし。
「アービン、食べて」
 アーヴァインの隣に座り、お皿を差し出した。
「うん、ありがとう」
 素直にそれを受け取ると、アーヴァインは黙々とセルフィが持ってきてくれた料理を平らげた。
「もっと持ってこようか?」
 空になった皿をセルフィは受け取り、代わりに水の入ったグラスを差し出す。アーヴァインはそれを受け取り、一気に飲み干して、首を横に振った。そして思いっきり腕を伸ばして、大きく息を吐くと、セルフィに向き直る。
「もう、十分だよ。それより、セフィに頼みがあるんだけど」
「なに〜?」
 セルフィは空になったグラスとお皿を、脇のテーブルの上に置いてから振り返る。
「暫く隣にいて……」
「いいけど」
 そう答えた途端、セルフィの肩が重くなった。
「アービン?」
 見れば、目を閉じたアーヴァインの頭が乗っていた。やっぱり相当無理したんだ。そう思うと、出来るだけ休ませてあげたいとセルフィは思った。暫くそのままでいると、近くの椅子で談笑していた人達が静かに立ち上がり、セルフィにウィンクをして部屋を出て行った。
 今、この空間に存在するのは、セルフィとアーヴァインだけ。

 開け放たれたドアの向こうは相変わらず賑やかだったが、アーヴァインの眠りを妨げる程ではない。セルフィはいつの間にかずり落ちかけていたアーヴァインの頭をそっと支えて、膝の上に移動させた。眠りは深いのか、気が付く様子もなく、口から零れる呼吸は規則正しい。

 頬に掛かった髪をそっと払う。
 穏やかな寝顔。
 穏やかな時間。
 まるで、この世界に居るのは二人だけのような……。


 ふと視線を他に移すと、窓に近い小さなテーブルの上、綺麗なカットの蒼い玻璃瓶が白く光ったのが見えた。部屋の照明の黄色では無く、白く。
 その光の先、薄いカーテン越しに、淡く輝く白い月が、雲間から姿を現した。そう言えば以前、アーヴァインの顔に月が落とした影が、まるで美しい彫刻のようだと思った事があった。残念ながら今は、月明かりよりも部屋の明かりの方が少し勝っていて、あの時のような濃い影を落とした姿は見られない。それでも、あの時と少しも変わらず、この人の顔は月の女神の愛を受けたように、綺麗だと思う ――――。
 その美しい彫像をそっと指でなぞる。




「5! 4! 3! 2! 1!」
「おめでとう!」
「新年おめでとうーー!」
 隣のホールから、歓声が上がった。新しい年が明けたらしい。みんなとその瞬間をお祝いしたかった。本当なら、多分その中心にいたと思う。けれど、今は――――このままでいたい、かな。
「アービン、新年おめでとう、今年も宜しくね」
 小さく囁く。そして心の中で、新しい年最初に見たのがアービンで嬉しいよと、告げた。頬を撫でていた指をふいに握られ、アーヴァインの顔が微かに笑ったような気がした。



「セルフィ」
 後方から、控えめな、優しい声が聞こえた。
「……キスティス」
 振り向くと、入り口にキスティスが立っていた。セルフィの抑えた声に何かを気付いたのか、足音を忍ばせるようにこちらに近づいて来る。
「アーヴァイン、無事帰れたのね。良かったわね、セルフィ」
 セルフィの膝の上に頭を乗せて眠っている、アーヴァインの姿を見て、キスティスはふっと目を細めた。
「うん」
「スコールには?」
「まだ、だと思う」
「そう、じゃ私から伝えておくわね」
「ありがとう」
 キスティスは入って来た時と同じように、そっと部屋を出て行き、程なくしてまた戻ってきた。
「はい、これ」
「何?」
 キスティスは白い封筒をセルフィに差し出した。セルフィはそれを受け取り、中身を確認する。
「カードキー…」
「アーヴァイン、その様子だとガーデンまで帰るのは大変だから、此処で休ませてあげて。部屋も取ってあったみたいだから」
 そう言えば、サイファーの進言で、部屋も幾つかお願いしてあったのを思い出した。
「流石ねサイファー、追加で取らなきゃいけない感じもするけれど」
「そうなの」
 どうやら、隣の部屋はかなり盛り上がっているらしいのが良く分った。
「一人で運ぶのは大変だと思うから、後でサイファー寄越すわね」
 流石キスティスだな〜と感心しつつ、ドレスの裾をふわりと揺らして、部屋を出ていく後ろ姿を見送った。

 キスティスが出て行くと、再び穏やかな時間が戻った。
 サイファーが来るまでのほんの少しだけれど、それまでは――――。


新緑色の玻璃のような瞳に映るのはアーヴァイン。

セルフィの膝の上で旧い年を終え、新しい年を迎えるとは……幸せ者め。セルフィのドレスは「いくつ季節を… 09」で着たドレスです。
菫色の玻璃のような瞳に映っているのが誰かは、Rにて。
(2008.01.01)

← Fanfiction Menu