「うわっ ホントに!? ありがとうはんちょ!」
セルフィは感謝の意を込めて、スコールの両手を取りぶんぶんと大きく振った。のに、気が付くとセルフィの手は握っていたスコールの手から離れていた。
一体何事!?
「うわーー 何やってんのスコール! 君にはリノアがいるだろ、まったく…」
頭上から降ってきたもの凄く聞き覚えのある声に、何が起こったかを理解し、そして脱力した。
『出た、過保護アービン、今のだって只の挨拶なのにな〜』
「だからね、自覚しなよスコール、君は既に彼女が居るんだから……」
「…………」
アーヴァインはスコールが黙っているのをいい事に、一人捲したてた。
口を挟みたくても、アーヴァインが突っ込む隙を与えてくれないだけなんだよね、はんちょももっと意思表示しないとだめだよ〜、とセルフィは思いながら聞いていた。その原因が自分にあるとは、全く思い至っていない。セルフィはけして“空気の読めない子”では無かったが、恋愛絡みの微妙な心理模様については、相変わらず疎かった、自分の事も含めて。それでも、何となくスコールに悪い事をしたような気がして、お詫びのつもりで、持っていた小さなチョコレートを、スコールの手にそっと忍ばせた。
『あ、サイファーみっけ』
頭上で繰り広げられている、アーヴァインの一方的な演説に些かうんざりとしてきて、他へ視線を巡らすと、少し先に風紀委員長殿の姿を発見した。
「ちゃんと態度に気をつけないと、リノアに嫌われるよ」
スコールの眉間に怒りの印が浮かび上がる一歩手前、漸くアーヴァインの言葉が途切れる。
「もう気が済んだか?」
「え? あ、ごめんつい勢いづいちゃって。さ、セフィ行こうか…ってセフィ!?」
キョロキョロと周りへ視線を走らせていたアーヴァインは、スコールの指が何かを指し示している事に気が付き、その指先から延長線を点々と辿った。
「うっそ、なんでよりによってサイファーと……。ちょっとスコール、あれどうにかしてよ、サイファーとタメはれるのは君ぐらい……」
スコールに助け船を試みたが、アーヴァインが振り返った時、既にスコールの姿は欠片も残っていなかった。
「いいのか、放って来て」
「ん? あ、いいんだよ〜 大体過保護過ぎるんだもん」
「そうなのか?」
あの男がセルフィを想っていた月日と、あの性格を考えれば判らないでもないとサイファーは思った。そして相変わらずの人なつっこさと奔放さの彼女を持った事に少し同情した。これでは、心配にもなるだろうと苦笑する。彼女は天真爛漫で男女の隔て無く誰とでも接する、それは時に異性には誤解を与える事がある。男なんて実に単純なイキモノで、少し優しくされたりすると、勝手に自分に気があるんじゃないかと、都合の良い解釈をしてしまう。
更にセルフィは、どこかマニアックな香りのする連中に結構人気が高い。そいつらが物陰に隠れて「セルフィたん萌え〜」と言っているのを時折耳にする。どういう意味なのかはさっぱりだが、視線がヤバイ位に熱いのは分かる。学園祭の実行委員会の連中も、彼女目当てで立候補して来たヤツが何人かいるらしいと聞く。当人は全く知っちゃいない様だが、そういう連中の存在をアイツが知らない筈はないだろう。
自分には関係のない話だが、もしセルフィに何かあったら、相手を半殺しにするだけだ、例え相手がアイツであろうとも。
「何か楽しい事でもあった?」
一人含み笑いをするサイファーを、セルフィは不思議そうに見上げていた。
「いや、お前は可愛い妹だな〜と思って」
セルフィの頭をくしゅくしゅっと撫でてやる。
「え〜 また妹に格下げ〜 彼女レベルがいい」
屈託無く笑うセルフィを見て、やれやれと思った。これでは本当に……。
「そういう事はアイツに言ってやれ」
サイファーの言葉に、ぷぅと頬を膨らませながらそっぽを向いた顔が、仄かに桜色になっていたのを認めて、サイファーは少し安心もした。
※-※-※
窓際の席は、外からの日差しの恩恵を受け、昼寝には実に最適な環境だと思った、普通の心理状態なら。
「なんでかな〜」
大きな窓ガラスに頭をつけて、アーヴァインはごちた。
何回同じ台詞を吐いたか、カップの中のコーヒーはすっかり冷たくなっていた。
確かに「一番好きだ」と言われたのに、何というかセルフィとの仲は以前のそれと殆ど変化していない。相変わらず彼女は、自分以外の人間とも良く話し、気の合う連中とは行動を共にする事も多い。彼女らしいと言えばらしいのだが、それでは折角“恋人”という特別ポジションを得たのに、納得出来ない。自分にもたらされた変化と言えば、一緒に摂るランチの回数が少し増えた位だなんて。
はぁ
と、大きく溜息をついた時、ふいに自分の名を呼ぶ女の子の声が聞こえた。セルフィだろうかと思い、反射的に顔が声のした方を向いていた。
「やっぱり、キニアス先輩!」
見覚えのある顔と制服の少女が立っていた。セルフィでは無かったのかと、多少なりとも落胆したがそんな事はおくびにも出さず「やぁ」と笑顔で返事をする。
「SeeDになられたんですよね、おめでとうございます」
性格を表すような真っ直ぐで艶やかな髪が少し揺れ、美しい笑顔と共に祝いの言葉を贈られた。
「ありがとう、君もSeeD試験でバラムへ?」
少女はバラムガーデンではなく、ガルバディアガーデンの制服を着ていた。
「いえ、そうだったらいいんですけど、バラムとの交換研修生としてここで勉強しているんです」
すらりとした足をきちんと揃えて少し肩を竦め、少女は持っていたテキストをきゅっと握り直した。
「へぇ〜 そんなシステムが出来てたんだ、知らなかったよ」
「まだ始まったばかりで、私を含めた20人が最初なんです」
「もうどれ位こっちに居るの? バラムに慣れるとガルバディアには帰りたくなくならない?」
「確かに。こっちに来て丁度一週間になるんですけど、バラムは校風が自由で良いですよね」
「でしょ〜」
アーヴァインは、ガルバディアガーデンの事を思い出し、更に少女につられて笑った。
「お? アービン…と…」
軽くつまみたくなって、食堂を訪れた所でセルフィは、奥の窓際の席にアーヴァインが居るのを見つけた。
「あ、ガルバディアガーデンの……ふーん」
アーヴァインは元々ガルバディアガーデンの生徒だったし、今ガルバディアから研修生が来ている事は知っていたし、その中の生徒がアーヴァインの事を知っていてもなんら不思議はなかった。特に女生徒なら……。
「あんなのいつもの光景やん」
自分だって色んな人と話をするんだし、そんなの普通の事だと思う、気にする事はない。セルフィは、そう自分を納得させ、ホットドッグとハンバーガーとバニラ味のドリンクを、ここで食べる予定は変更しテイクアウトして食堂を後にした。
※-※-※
数日後、セルフィは教授のアシスタントとして講義に借り出された。講義に使う資料を抱えて、教室に入るとバラムガーデンの制服と、それとは違う制服を着た生徒達が待っていた。
「あ、あの子……」
その中に、この前食堂でアーヴァインと話をしていた女生徒の姿が、目の端に写った。別段気にしている訳でもないのに、講義の間何度かその少女の事を見ている自分に気が付いた。
リノアよりも幾分茶色がかった真っ直ぐな髪、教授の話を寸分も聞き漏らすまいという意志の伺える真摯な瞳、時折友達と言葉を交わす時には、綺麗な顔立ちが屈託のない愛らしい笑顔に変わる。けして嫌いなタイプではない。
セルフィがぼんやりそんな事を考えていた頃、講義終了のチャイムが聞こえた。
生徒が全員退室した後、後片付けを終え、再び資料を抱えて通路を歩いていると、進行方向にさっきの講義に出ていた生徒だと思われる、女生徒の一団が見えた。ガルバディアガーデンの制服を着た生徒が大半でポツポツとバラムガーデンの制服も見て取れ、更に中心には良く知っている長身の青年の姿があった。
またかと、小さな吐息が漏れた。今回の交換研修生が来てからというもの、本当に見慣れた光景。というには些か大袈裟だったけれど、セルフィにはそう思える位、一度一度見た時の印象が強く残っていた。
「鼻の下のびのびやん…」
その光景は、セルフィに段々と負の心象を与え、例えアーヴァインが困った顔をしていても、わざと視線を逸らし禄に見ていなかったセルフィには、全く逆の表情をしていたように思えていた。そして今も、アーヴァインの方は見ないようにして、横を通り過ぎようとしていた。
「セフィ、重そうだね、僕も手伝うよ」
彼を囲んでいる女生徒達に「ごめんね、通して」と、言いながら人垣を掻き分けるようにして、アーヴァインはセルフィの方に歩を進める。
「大丈夫だよ、大きいだけで軽いから。アービンはゆっくりしててよ」
精一杯の笑顔(のつもり)で返事をして、セルフィは足早にその場を去った。
「マズイよ、絶対まずいって……ていうかもの凄く淋しい……」
アーヴァインは、ぶつぶつと呟きながらガーデンの中をどこへ行くでもなく歩いていた。
最近明らかにセルフィに避けられている、さっきだって……。多分、自分が女生徒と一緒に居た事に遠慮して、大丈夫だと言ったんだとは思う。只、それにしては引っ掛かる所があった。視線は合わせてくれないし、微妙に語気に棘があるというか……。
「まさか、妬いてる? いやいやいやいや、ないないない」
セルフィだって、自分の事は放っておいてサイファーと話をしたり、そんな事しょっちゅうなんだし。悲しいかな自分に対して、ヤキモチを妬くなんて事は考えにくい。そこまで考えて、更に落ち込んでしまった。
「でもな〜」
避けられているのは明白で、このままでは非常にツライ。ここ数日、ランチも一緒にしていない、同じガーデン内に居るというのに会話も禄にしていない、もう泣きたい。何とかしなくては、セルフィ欠乏症に掛かってしまう、というより、もうずっとそんなような気が……。
この現状を打開したい、何としても打開したい。だが、原因が一体何なのか、さっぱり思いつかなくて、悶々としているのが、今。原因が判らなければ解決のしようが無い。セルフィの機嫌が悪いという事は、何か自分が彼女の気に障るような事をしてしまったのではないか、自分でも気が付かない内に。
幾ら考えても、それ位しか原因が思いつかなかった。
「とにかく、セフィを捜して謝ろう」
そう思って、俯いていた顔を上げた時、前方にベンチに座っているセルフィの後ろ姿が視界に飛び込んだ。
少し落ち着こうと、温かいココアを持って校庭の端っこにあるベンチに座っていた。
ここ数日、妙にイライラする。その原因が判らない、さっぱり判らない。
「はぁ」
小さな溜息。
ごくんと一口ココアを飲むと、温かさがゆっくりと身体の中を伝わって行った。顔を上げると、綺麗な夕焼けが目の前に広がり、上の方には星も見え始めている。
「なんだかな〜」
この綺麗な空さえ、今は憎らしい。
「綺麗な空、綺麗な女の子……」
ふと、ある少女の顔が頭の中を通り過ぎた。あの時、食堂でアーヴァインと話をしていた、ガルバディアガーデンから来た美しい少女。
「あれ?」
なんだか胸がちくんとする。
どこかで感じた事のある感覚。どこだったか――、色んな記憶の糸を手当たり次第に手繰り寄せる。
「……あ」
良く似た場面を思い出した。そうあの時も、――あの時の方が胸が痛かった。自分ではない女の人の手を取り、ダンスをしていた姿。自分ではない人に向けられた笑顔。
「やだなぁ……」
認めたくないけど、気が付いてしまった。あの時と同じ感情だと、けして良くはない……。嫉妬や妬み、それらの感情には出来れば関わり合いになりたくない、誰かを傷つける側にはなりたくない。昔の嫌な記憶が心を掠める。傷つける位なら、自分が傷つく方がマシ。
「好きでいられるだけならいいのに……」
それだけで、いられると思っていた。好きだと言われたのだから、ただ“好き”でいられると……。なのに、今自分は別の感情を持て余している、好きな事はちっとも変わらない。というより、少しずつ増しているような気がする。だから、彼女達に嫉妬したのか。
こんな、鬱々とした自分がとても嫌だ。自分がとても醜く思える。アーヴァインにこんな自分はふさわしくないような気がする。
「……きつ…」
再び口にした甘い筈のココアが、とても苦く感じられた。
「セフィ、ここに居たんだ、捜したよ」
ふいに背後で一番会いたくて、会いたくない人の声がした。
この場を離れたい、離れたくない。背反した心は答えを決める事が出来ず、身体は動かない、動けない。葛藤を続けるセルフィの隣がふわりと温かくなった。
「アービン…」
自分の名を小さく呟き、彼女らしからぬどこか悲しげな瞳を向けられて、アーヴァインの心臓が大きく波打った。
「それ貰ってもいいかな」
膝の上に置かれたセルフィの手元を指さして問う。
「いい…よ」
彼女は一瞬躊躇ったように見えたけれど、手にしたコップを差し出してくれた。受け取ったコップの中身をごくんと飲み干すと、身体の中をすうっと甘い液体が伝い下りて行くのが分かった。
跳ねた心臓を落ち着かせようと飲んだココアは甘くて、セルフィのように甘くて、とても落ち着かせてくれるようなシロモノでは無かった。
「セフィ、ちょっとだけじっとしてて」
「え? …うん」
明らかな戸惑いの表情が浮かんだけれど、意外にもセルフィは否とは言わなかった。その事に少しホッとする。
「ごめんね、セフィ。怒らせちゃって」
彼女を怖がらせないよう、そっと抱き締める。
「え?」
抱き締めた拍子に空になった紙コップが、コトンと地面に落ちる音が聞こえた。
セルフィの気持ちよりも、自分の気持ちを優先して抱き締めてしまった。そろそろ彼女に突き放されるだろう、多分。せめてそれまで――。
が、セルフィはアーヴァインを離そうとはしなかった。
『アレ? セフィ怒ってない?』
てっきり自分が、セルフィを怒らせていたと思っていたけれど。
鼻腔から体内へ入り込んだ彼女の香りと、温かい体温に酔い、頭は都合の良い解釈をし、気が付けば思っていた事は全く別の言葉が口をついて出ていた。
「セフィ、僕の事嫌い?」
何でそんな事を!? そう思った瞬間セルフィはアーヴァインから離れていた。
対峙した瞳はどこか悲しげな……。
誰かを傷つけるのは嫌だと思っていたばかりなのに、アーヴァインのこの表情はどう見ても傷ついているとしか思えない。よりによって、自分の行動は一番傷つけたくない人を傷つけていたのかと思うと、ますます自己嫌悪に陥った。
「嫌いになんかならないよ、あたしが勝手に……勝手にヤキモチ妬いてただけだから…」
きちんと誤解を解かなければと思って口を開いたものの、途中で気恥ずかしくなって俯いてしまった。
「ホントにっ?!」
もうその言葉だけで、どんな表情をしているのか分かるような、喜々とした声。
そして――――。
『んーーー! んんーーっ!!』
手首を掴まれているのも構わず、アーヴァインの服をぎゅうと引っ張って精一杯抗議した。
「アホッ!」
漸く解放されて、不意打ちの行為に悪態をつく事で、嬉しい動揺と激しく波打つ鼓動を隠した。
「ごめん、でも本当にセフィの事好きなんだよ」
卑怯だアービンは、そんな風に言われると何も言い返せないし、心臓のドキドキだってちっとも治らないではないか。
それでも、「寮に戻ろう」と差し出された手を拒むことなく、ぎゅっと握り歩き出していた。
何が正しい行動かなんて、さっぱり分からない。多分、今は分からなくていいんだと思う。これから、色んな事を経験して、一つ一つクリアして、そして成長して行かれればいいなと、アーヴァインの笑顔を見てセルフィは思った。