GARDEN ― 遠い過去 Irvine ―

 鈍い色を放つ銀色の壁、その壁にぴたりと背中を押し付けるようにして立つ。薄いシャツ1枚を羽織っただけの身体に、金属のひやりとした感触が伝わってくる。
 目の前には辛辣な視線でこちらを見上げる深い緑色の瞳。
「一体どういう事?! 説明して、アーヴァイン!」
 少し赤みを帯びた栗色の豪奢な巻き毛が、言葉を紡ぐ度に揺れる。『その髪は結構好きだったな』自分に詰め寄る美女を見下ろしながら、アーヴァインはぼんやり思った。
「ごめん……」
 一言だけそう言った。他に言葉が見つからないのだ。彼女が悪い訳ではない、悪いのは自分だ。彼女も違うと気が付いてからも、ずるずると付き合っていた。独りでいるよりも、誰かと居る方が余計な事を考えずに済む、だから彼女を好きな振りをした。
「何よそれ」
 視界の端で彼女の腕が静かに動くのが見えた、次の瞬間、頬に鋭い痛みが走った。それでもアーヴァインは動く事もなければ、彼女の方を見る事もせず、ただそこに突っ立っていた。
「もういいわ、さよならしましょう!」
 詰め寄っても禄に返答もしない様に業を煮やしたのか、何時も自分の方を見ているのに、視線は自分を素通りして遠くを見ているような様に愛想を尽かしたのか。美女はきっぱりと最後の言葉を突きつけ、鮮やかに見事なラインの身体を反転させると、一度も後ろを振り返る事なくアーヴァインの視界から消えた。
 地下階段の踊り場に独り残されたアーヴァインは、ずるずると半ば崩れるようにその場に腰を降ろした。どうやら、口の中を少し切ってしまったらしい、鼻腔に錆びた鉄の匂いが上ってくるのを感じた。

「終わったな――」
 もう幾度目だろう、こういう別れをするのは――。女の子は嫌いじゃない。いつも『この子なら――』と思って付き合い始める。けれど直ぐに、心の奥で『違う』と誰かが言い張る。そしてお決まりの終わり方。いつの間にか、ガーデン内で名前を出せば、「あのプレイボーイの」という肩書きが付いた。自分も否定はしなかったし、実際その通りだ。

 俯いていた顔をゆっくりと上げると、小さな明かり取りの窓から、一筋の光が差し込んでいた。
 眩しい――――。
 けれど、その光が焦がれる程に恋しい。精一杯手を伸ばしても届かないと分かっている。分かっていて尚、無駄だと告げる自分を振り払い、焼け付くような痛みと共に、手を伸ばしたいと思う自分が居る。
 とっくに諦めたはずの想い。
 幼い頃、出した手紙が宛先不明で戻って来た時、もう二度と会えないのだと悟った。
 幼い恋を封じ込めるように、手当たり次第に女の子と付き合った。きっと、その中に自分に合う人がいるはずだと信じて――。
 物心付いたか、つかないかの頃の恋を、いまだに引き摺るなんて滑稽だ。
「いい加減忘れろよ、俺」

 差し込む光がすっかり消えてしまい、辺りが薄暗くなった頃、漸くアーヴァインは立ち上がる。
 知らず知らずの内に足は、シューティングルームに向かっていた。受付で書類を書いて、保護の為のイヤホンも付けずに、備え付けの銃でひたすらに的を撃つ。この時だけは何も考えず、神経を極限まで研ぎ澄ませ、只狙った所に当てる事だけに集中する。煩わしい日常や嫌な事など霧散してしまうこの瞬間が、アーヴァインは好きだった。
 ドムドムと鈍い音がシューティングルームの空気を振るわせ、硝煙の匂いが身体にまとわりつく。
 銃は好みの得物だ、少なくとも刀よりは――。



 キニアスの家に引き取られ、養父となった人物から刀の扱いを習った。モノを斬った時、手に直接伝わってくるあの感触。それは使い方によっては、容易に生き物の命も奪えるのだと、極限まで磨かれた刀身に写った自分の姿を見て、幼心にも恐怖を覚えた。むしろ、人を斬る為の道具だと、抜き身の刀の声なき声がいつも聞こえていた。
 以来、どうしても刀を手にするのに躊躇いがあった。迷いを抱いたまま、刀を持つ事など許される事ではないと、何度養父(ちち)に叱咤されたか……。
 厳しい人だったが、けして悪い養父では無かった。大切にしてくれた事には本当に感謝している。だからこそ、刀匠である彼の跡を継ぐ器には到底なれないと、その期待に応えることの出来ない自分の不甲斐なさに嫌気がさして、逃げるようにガーデンに入学した。
 自分は弱い、どうしようも無く心の弱い人間だ。
 だから強くなりたかった、身も心も。
 いつかその人に逢った時「こんなに強くなったんだよ」と胸を張って言えるように――。
 銃はある意味、卑怯な武器かも知れない。己自身の力では無く、銃そのものの力によって相手を倒す。必要とする技術はあれど、刀のような潔癖な強さとは違う。
 それでも、自分は銃を選んだ。自分に最も合うのはこれだと思ったから。


 どれ位撃ち続けていたのか。受付担当者が告げに来るまで、終了時間が来た事に気が付かなかった。
 身体よりも重い心を引き摺るようにして、アーヴァインは寮の自室へと通路を歩いた。
「よう アーヴァイン」
 後ろから、陽気な声と共に肩に腕をかけられた。
「やあ」
 親しい友に、精一杯の作り笑いで答える。
「おまえ、また別れたんだって? 何人目だよ、いい加減にしねーと、いつかホントに刺されっぞ」
 友は冗談めかして、アーヴァインの背中をばんばん叩いた。ついさっきの出来事なのに、もう噂は流れてしまっているらしい。口の中でとっくに止まっているはずの血の味がした。
「分かってるよ、だから深入りはしてないって」
「なんだよそれー、今更だぜそんな台詞」
 アーヴァインの言った事など、まるで信じていない風に友は言った。
「いや ほんっとに、浅い付き合いしかしてないって、全員例外無く」
「マジかよ、オイ」
 友は、憮然とした顔で暫し立ち止まっていた。
「マジもマジ」
「はー、あれほど浮き名を流しておきながら、おまえがそんな甲斐性なしだったとはがっかりだ」
 足早に歩くアーヴァインを追いかけるようにして来た友は、そう捲したてた。
「何とでも言ってくれ」
「おまえひょっとして……」
 友は、アーヴァインの顔をずいと覗き込んで来た。
「何?」
「実は男じゃないとダメだとか?」
「あ、ばれた〜?」
 アーヴァインは、手で品を作って裏声で返した。
「うわっっ、ちょっ おまえ、この鳥肌、どうしてくれるんだよ!」
 友は一歩退き、腕を撫でながら気持ち悪そうに言った。
 アーヴァインはその様が可笑しくて、声を出して笑った。


 ふと廊下の角を曲がって来た人物がこれみよがしに咳払いをしたのが聞こえた。
「廊下での私語は慎みたまえ」
 大仰に構えた教師はそう言って、アーヴァインと友の方をギロリと見た。
 二人は、姿勢を正して礼をし、足早に立ち去ろうとした。
「アーヴァイン・キニアス、待ちたまえ。学園長からの伝言がある」
「はい」
 友に「先に行ってくれ」目で合図して、呼び止めた教師の方に向き直る。
「明日、十時、学園長室まで来るように、貴様の狙撃の腕が必要だとの事だ。以上、時間厳守の事。では行って宜しい」
 教師はそれだけ言うとアーヴァインを一瞥し、その場を立ち去った。
「何かを狙撃するって事か…、訓練じゃないよな」
 僅かに自嘲しアーヴァインは自室に戻った。



※-※-※



 ガルバディアガーデンの学園長室前で、アーヴァインは一度深呼吸して姿勢を正してから、インターフォンを押した。
「アーヴァイン・キニアス参りました」
 言い終えると、直ぐにドアは開いた。
「入り賜え」
 低く威圧感のある声が聞こえた。
 室内に入るとそこには、黒く磨き上げられた机の向こうの椅子に座っている学園長と、その手前で立っているもう一人の人物がいた。
「アーヴァイン・キニアス、君に努めて貰いたい任務がある。また任務内容は、国家機密級である事を承知して貰いたい。受けて貰えるか?」
「はい」
 背筋を伸ばし、了解の意を込め歯切れ良く答える。固より学園長室に入った時に感じた場の空気。背の高いがっしりとした体格の、瞳の奥に鋭い光を宿した、一目で高い階級だと分かる軍服の男が同席しているという時点で、拒否をすればどうなるか先は自ずと見えた。是しか選択の余地はない。
「そうか、では詳しくは同席している、ガルバディア軍カーウェイ大佐から説明がある」
 学園長は、満足そうな笑みを浮かべて言った。
「キニアス君、こちらへ」
 たった今紹介されたカーウェイ大佐に、ドア続きの隣室へとアーヴァインは促された。
 そこはプライベート用の、テーブルと椅子が二脚だけ置いてある小さな部屋だった。その椅子に二人顔をつき合わせるように座ると、幾つか地図や見取り図を取り出し、カーウェイ大佐は説明を始めた。
「端的に言うと、任務は魔女の暗殺だ」
「魔女?! あのデリング大統領と協定を結んだという魔女ですか?!」
「そうだ、その魔女イデアだ」
 その名に僅かに何かを感じたが、余りにささやかなものだった為、直ぐにアーヴァインを通り過ぎた。
「ですが、魔女…イデアは、ガルバディアにとって力強い味方のはずでは?」
「表向きは、な」
 驚きで混乱し始めているアーヴァインに、カーウェイ大佐は、表情を変えること無く言った。魔女暗殺など、全く想像の域を超えた任務内容に、アーヴァインは必死で心を落ち着かせようとした。その心の内を察してか、
「君の腕なら可能だと進言された、そして私も君が最も適任だと思っている。君は只、目標を定めて引き金を引くだけだ。それで終わりだ」
 カーウェイ大佐は、淡々とまるで日常の事柄の一つのように言った。


―― 確かにそれだけだな。仮にミスったとしても死ぬだけ。それも悪くないか ――


 自分の命にどれ程の価値があるのか、もう今は見出せない。大事な人の望みにも応えられず、自分の望みも叶うことはない。ならば、この任務で命を落としたとしても、何の悔いもない。むしろ、あの絶望的な想いから解放されるのなら、願ってもない事かも知れない。カーウェイ大佐の詳細な説明を頭に叩き込みながら、アーヴァインは心の片隅でぼんやり思った。

「では、バラムガーデンSeeDとの合流は明日正午だ」
 敬礼をして退室して行くカーウェイ大佐の後ろ姿を見送りながら、アーヴァインは
「必ず期待にお応えします」
 と力強く答えた。

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