黄金色 緋色 蒼に入る

こがねいろ ひいろ あおにいる
 その道は赤や黄色の鮮やかな色彩に溢れていた。季節はもう秋。今も頭上からはらりはらりと、花のような葉が落ちてくる。
「ん?」
 千尋はふと何かが触れた気配がして、隣を見上げた。
「我が君の御髪にこれが。あなたは、命あるもの全てに愛されておいでのようだ。ですが、この葉は我が君の御髪を飾るには、僅かに不似合いですね」
 真っ赤に染まった、けれど大きく虫にかじられた跡の葉を指で摘んで柊が微笑んでいた。それを見て千尋はふふと笑って、再び歩き始めた。柊も、一度葉をくるんと弄び、すと手を放すと、再び千尋の隣を歩いた。


 空は高く、青く、山々は今が花よと燃えるような色を纏っている。一年で最も多彩な表情を見せる季節。そして厳しい冬への蓄えに備える季節。
 千尋と柊は村の視察を終えて、この山を越えた所に停泊している天鳥船へ戻る所だった。あんな物を村に横付けしたのでは、民を驚かせるばかりか、何者かと酷く怯えるだろう。だから、この村からは死角になる場所に、夜明け前こっそりと降りて、日が落ちてから帰るという予定となっていた。
 まったく、と千尋は小さく吐息を零した。視察に出向いたのは二人だけ。大っぴらな視察ではないので、少人数の方が好ましい。ということで、案内兼、護衛兼、記録係として柊が選ばれた。最後の記録係がなければ候補は他にも数人いた。この視察を決定したのは狭井君だったけれど、案を呈したのは柊。我が恋人ながら本当に抜かりがないというか、それとも賢いと褒めるべきか……。
 それが自分にとっても嬉しいのが、ありがたいやら、恥ずかしいやら、千尋の心中は複雑だった。

 肝心の視察の方は優秀な供のお陰で滞りなく済んだ。
 訪れた村では、概ね豊作ということで皆晴れやかな顔をして作業に勤しんでいた。千尋は興味もあって少しだけ作業を手伝わせてもらった。けれど、初めてのことで要領が悪く、途中どう見ても足を引っ張っていることに気が付き、迷惑になる前に辞退した。「どこのお嬢様だい」とからかわれたけれど、お忍びでの視察であるが故「ここの女王様です」とはとても言えなかった。

「農作業ってホントに大変よね」
 千尋はさっきのことを思い出し、しみじみと呟いた。
「そうですね。民たちが納めた租税のお陰で、私たちは日々の食を得ることが出来ます。こうして直に見ると、よりありがたさを感じますね。農作業とは大変な重労働です」
「って柊は見てただけじゃない。しかもわたしのコト笑ってたでしょ」
 更に余計なことも思い出した。
「これは――ご存じでいらっしゃいましたか。ちゃんと隠れて笑ったつもりでしたが」
 ぷぅとむくれる千尋に、柊はいつものようにしれっと答える。
「もう、いっつも柊は!」
 ますます頬を膨らませると、千尋はずんずんと大股で歩き始めた。柊はその予想を裏切らない行動に頬を緩めた。そんな姿も愛らしくてつい意地悪をしてしまう。風早が知ったら間違いなく渋面を作るだろうが、生憎とここは二人きりなので遠慮はいらない。千尋が全く振り返る気配がないのをいいことに、柊の小さなクスクス笑いは止まらなかった。
 だが、突然ぴたりと足を止めたかと思うと、千尋がくるりと振り向いた。
「また笑ってる、もう柊なんかキライ」
 言うが早いか今度は走り始めた。これはマズイ、流石の柊も慌てて千尋の後を追う。
「姫、お待ち下さい。転びますよ」
 愛しい背中に咄嗟にかけた言葉は、更に失言だったと気付くのはすぐだった。
「ひぃらぎ〜 私は子供じゃないってば!」
 またもピタッと足を止め、そこに見えた貌に柊は焦った。完全に怒らせた。もう確実に置いてけぼりを喰らうと確信した。そして、つまらないことで千尋を怒らせてしまった自分の浅はかさを呪った。
「――姫? いかがなさいました?」
 千尋は相変わらず柊を睨んだままだったが、どういう訳かその場にじっと立っていた。
「足がちょっと痛い……」
 すぐ傍で、きつい視線に見上げられるというのもまた、なかなか――――。またもそんなことを思ってしまった自分を、柊は千尋に分からないように心の中で嘆息した。
「ふくらはぎが筋肉痛……」
「きんにくつう、ですか?」
 見上げた顔に聞き返した。
「あ、慣れないことしたから、身体が痛いってこと」
「然様でございましたか。それでは私の背中へ」
「ええっ!? 大丈夫だよ、歩く位なら平気だから」
「それは真に残念……」
 即座の拒否に、柊は大きく溜息をつく。
 千尋はくるりと身体を反転させ、再び柊を放って歩き始めた。足の痛みに響くスタスタとした足取りで。
 頬が熱い。
 それを柊に悟られるのが恥ずかしかった。おぶってもらうのなんて、多分大したことではないんだと思う。柊の背中はとても魅力だし。でも、今の自分にはその密着っぷりは危険な感じがしたのだ。柊は単に自分の身体を気遣って言ったんだとは思う。彼にとっては“ごく普通の言葉”に過ぎない。けれど千尋は、柊の捻りまくって、どストレートで大袈裟な表現にいまだ慣れなかった。というより、一生慣れることなんか出来ないような気がする。

「姫、ご無理をなさいませんよう」
 酷く近くで聞こえた声にハッとした。いつの間に追いついていたのか。
 あまりに驚いたので、思わず声の方を向いていた。そこにあったのは、さっきと打って変わって心配そうに自分を見る貌。
 本当に柊は大袈裟だと千尋は思った。でも、けして嫌だとは思わない。むしろ嬉しい、時を戻る前には見ることが出来なかった、柊の素の感情が見られて。
「じゃあ、手を貸してもらおうかな」
 すっと手を差し伸べると、ふわりと微笑んだ柊の顔の艶やかさに目を奪われた。心臓が一際大きく脈を打つ。
 柊が持つ独特の艶(つや)。
 けして良い印象は与えない眼帯をしていてさえ、美しいという呼称の似合う顔。隻の瞳は、時に鋭くどこか危なげな香りを放つ。長く直視すると、狩人に捕らえられた哀れな小動物のような気分になる。
 今みたいに――――。
「ありがたき幸せ」
 控えめな声と共に温かな手が触れて、千尋は不意に我に返った。


 意外と逞しい柊の腕に手を絡めて歩く。
 沓が落ち葉を踏む音と、時折さえずる鳥の声だけが耳に届いた。熱くもなく寒くもない、葉の隙間から差し込む陽光が気持ちの良い、穏やかな秋の日。その日、この時を大好きな人と共に歩く。千尋はほわんと幸せな気分だった。落ち葉がみっしりと落ちている所為か、まるで夢の中にいるように足下がふわふわする。目を閉じて歩けば本当に夢の中へ入っていけるんじゃないだろうかと思う。夢と現の狭間を漂うように歩く。その心地よさに、千尋はいつしか歌うように笑っていた。


 千尋が笑ったような気がした。
 今まで怒っていたのだから空耳だと思いながらも、柊はそっと彼女の顔をのぞき見た。
『おや……これは』
 気のせいではなく、千尋は本当に笑っていた。嬉しそうに、幸せそうに。さっきまで怒っていたというのに……もう笑っている。その笑顔に自分も自然と頬が緩むのが分かった。この少女は本当にくるくると表情が変わる。その度に自分は振り回される。またそれが自分を惹きつけてやまない事に苦笑した。
 王たる血筋に連なる者としては、好ましくないのかも知れない。いや多分、そうだ。けれど自分は感情豊な千尋が好きだ。それが彼女の美徳だとさえ思う。幼い頃より正直に、“龍神の声は聞こえない”と言うことの出来た、彼女の。だが、王にとっては正直さは不必要な時も多い。その時の盾になるのは自分の役目。尤も、王の盾を買って出たがるのは自分だけではないけれど。それが少しばかり、不満でもあるけれど。恐らくこれからも“王の盾”を買って出る者は増えるだろう、彼女の人柄を知る者が増えれば増えるほど。

 今でも、千尋は自分だけのものではない。中つ国の王。まだまだ未熟で頼りなさの方が大きい王。彼女が一刻も早く立派な王となれるよう手助けをするのが自分の役目であり、願いでもある。
 反面、彼女が王として皆に認められるということは、更に自分の手から離れていくということ。その時はそう遠くない気がする。
 その時自分は、このぬくもりの傍らに在ることが許されるのだろうか。
 それとも――――。

『アカシャにない未来というものは、幸せでもあり、不安でもあるのですね……』

 柊は、もう一度幸せそうな千尋の顔をそっとのぞき見た。



「――あ、水の音がする」
 不意にせせらぎの音が耳に届いた。
「然様でございますね。道なりに川が流れているのでしょう」
「思い出したよ、柊!」
「何をですか?」
「こっち」
 千尋はいきなり柊の手を引っ張って走り出した。足の痛みなど忘れてしまったのか、目先に現われた脇道に入るとずんずん進んだ。
「姫、どこへ行かれるのです」
 突飛な行動に些か面くらいながらも、柊は大人しく手を引かれた。だが、行く先がどこなのかは気になった。もし千尋にとって危険な場所だったりしたら……。何しろこの姫は、危険な所でも自ら飛び込んでいくような行動派なので、気が気ではない。
「温泉があるの、この先に」
「は? おんせん……あ、温泉ですか。このような所に?」
「うん、前にね夕霧と一緒に入ったんだよね」
「どこのどなたですか? 夕霧とは」
 柊の声が一段低くなって千尋は気が付いた。“彼”の知らない人物だということに。
 歩く速度を落して柊を見上げる。
「あ〜とねぇ。一緒に旅をした、異国から来た綺麗なおねーさんというか……」
 柊の表情が心なしか硬くなっているような気がして、千尋は言い淀んだ。
 ここで、実は夕霧が男で一緒に温泉に入ったと言ってしまえば、彼はひっじょ〜に誤解をするんじゃないだろうか。いらぬ誤解は避けたい、千尋は柊には不必要な部分は省いた。
「うん、夕霧は綺麗なおねーさん。ね、早くいこっ、多分足の痛みもきっと癒えるから」
 こう言うと柊もそれ以上は聞いてこないだろう。千尋はまた柊の手を引っ張って歩き出した。



「これは、なかなかに風情のある所ですね」
「でしょう? 色づいた紅葉の葉がお湯に浮かんで綺麗でしょ〜、ねっ。――って、柊っ、な、何してるのっ!?」
「何と言われましても、服を脱いでおります」
「な、なんで!?」
 既に胸元を寛げ、素肌が少し見えている姿に千尋は酷く動揺した。こんな明るい所では、あまりにも危険すぎる、暗い所ならまだしも。いや、そうじゃなくて!
「我が君は、湯殿に入られる際にも服をお召しのままですか?」
「あっ、そんなことないよ、ちゃんとハダカで……ってそうじゃなくて、ここはすんごい自然のまっただ中だよ!? よ!?」
 もう心拍数がとんでもないことになっていて、千尋は自分でも何を言っているのか分からなかった。一人焦りまくる千尋をよそに、柊は服を脱ぐ手を止めない。千尋は必死に動かない頭を動かした。
 けれど、焦れば焦るほど言葉が出てこない。その間にも柊はどんどん指を動かしている。このままでは――――。
「待って、待って! 脱いじゃだめっ」
 やっと、柊が不満げな顔をしつつも動きを止めた。千尋は全身から汗が噴き出すかと思うくらい、どっと疲れた。
「今日は、足湯にしとこ、ねっ? ちゃんと入るのはまた今度ね」
「次回があるのなら、今日は我が君の仰る通りに致しましょう」
『えっ、次回!? わたし何かとんでもないこと言った!?』
 千尋の動揺はまだ大して収まっていなかったらしく、前言を撤回したかったが、柊の嬉しそうな笑顔を見てそれは不可能だと悟った。多分柊は今の一言を絶対に聞き逃しはしない。また忘れもしない。訂正しても更に墓穴を掘ることになるかも知れない。なんとなくその確率の方が高いような気までする。この先、イロイロ慣れた後ならなんとかなるだろうと、千尋は無理矢理頭の端っこに追いやった。




「気持ちいいね」
「そうですね」
 隣の柊にもたれながら、千尋は呟いた。
 温泉に足を浸けた途端、身体がすう〜っと癒されていった。ついでに心も一緒に。
 それは隣に柊が居るからだろうな〜とも思った。
 柊の言動に、つい慌てふためくことも多いけれど、何より一緒にいられる時間が大事だった。
 こうして傍に居てくれるだけで安心する。
 柊の温かさがとても愛しい。
 生きていてくれるだけで嬉しい。

 柊、柊、大好きな、――柊。



「眠く…なって……きちゃった」
 あまりにも心地よくて、千尋の瞼は今にも閉じてしまいそうだった。
「まだ明るいですし、少しくらいなら構いませんよ。でも、姫、その前に私の願いをひとつだけ聞いて下さいませんか?」
「う…ん、いい……よ」
 言い終わると同時、柊にもたれる千尋の重みが増した。
「おや……もう眠ってしまわれましたか」
 千尋は既に眠りの淵に落ちていた。
 柊は、もうすうすうと寝息を立てている唇にそっと自分のそれを重ねてから、千尋が眠り易い体勢にして抱きかかえた。

 あなたはご存じないでしょうね。この場に足を踏み入れた私がどれほど動揺したか。
 もしや誘っていただけたのではと淡い期待を抱いてしまったことを。
 尤も、あなたはやはりあなたで、あえなく期待は玉砕しましたが……。
 それでも私は期待してしまうのですよ。既に身に余る果報を得ているというのに、もっとあなたが欲しくなるのです。
 一体この欲がどこから生まれてくるのか自分でも分からない程に。
 夜の闇の中だけではなく、日の光の中でもあなたを愛でたいと思うのです。
 あなたには絶対言いませんが。
 それでも、もし――――、その時はどうかお許し下さい。


 はらりと千尋の髪に舞い降りた一葉は、綺麗な形をした美しい緋色の小さな楓の葉。
「あなたの髪には蒼の方がお似合いですが、これは大地よりの贈り物にございますれば」
 柊は、愛しい黄金の髪に口づけてから、そっと髪に挿した。


危ない、危ない、元来のヘタレスキーが鎌首をもたげ、うっかりヘタレ柊になりかけてしまった。
勝手に服を脱ぎ出すし……。
(2008.09.22)

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