ANGE ATTAQUE

「ねえ、ロザリア。相談に乗って欲しいことがあるの」

 緩やかにウェーブの掛かった黄金色の柔らかな髪を指に巻き付けながら、女王陛下が親友でもある補佐官に話し掛ける。
「あら、珍しいわね。あんたがそんな真剣な口調で話し掛けて来るなんて」
 小花をあしらった上品なティーカップを優雅な動きで口に運びながらロザリアが言葉を返す。
 宇宙広しと言えど、女王陛下を『あんた』呼ばわりするのは、女王候補時代からの親友である彼女くらいなものだろう。
「ひっどぉーい、ロザリア! それじゃあ、私がいつも ほえほえ〜っとしてるみたいじゃない!」
 女王陛下はほっぺを、ぷぅ、っと膨らませながら補佐官に抗議する。
── みたい、じゃなくて、そうなんだけど ──
 そう思ったことなど素振りも見せず、
「ホントに今でも信じられないわ。このわたくしが、何の悩みもないようなほえほえぽよよんのあんたに女王の座を奪われてしまうなんて」
 嫌味たっぷりな言葉にくすくすと楽しげな笑いをプラスして、再び優雅な動きでカップを置くロザリア。
── ほえほえぽよよん、って、ロザリア、酷くない? ──
 自らを”ほえほえ”と自称したことを棚上げして、補佐官の言葉に拗ねた顔をする女王。
「もういいわよ! 私一人で何とかするから!」
 口に放り込んだチョコクッキーで頬を膨らませたふりをして、女王陛下はプイッと横を向く。
 少し言葉が過ぎたかしら?
 そう思いつつ、
「あらそう。大した用事ではなさそうだから、わたくし執務に戻らせて頂きますわ」
 などと言ってしまう。
「もうっ! ロザリアの意地悪〜!」
 こういう反応が返って来るだろうという予測を裏切ることなく、見事なまでに予測通りの反応を返して来るのがのがまた可笑しくて、ロザリアからクスクス笑いは絶えない。
「で、話って何なの、アンジェリーク」
 ロザリアが訊くが早いか、パアァッ、と瞳を輝かせてアンジェリークがロザリアに向き直る。
 その表情は、本物の天使を思わせるほど愛らしい。同性であるロザリアですら、愛しい、と想わずにはいられないほどに。
── 全く……。この笑顔には本当に弱いのよね…… ──
 はあ、っとロザリアが溜め息を一つ吐いたところを、
「ねえってば。ロザリア、ちゃんと聞いてくれてる?」
 と、天使が下から覗き込んで来る。
「あ、ごめんなさい。もう一度言ってくれる?」
 心を見透すようなその目に、少し詰まりながらロザリアは言う。
「あのね、お裁縫を教えて欲しいの。クラヴィス様にローブを贈りたいの……」
 クラヴィス ─── その名が出た途端、ロザリアの胸中を嫌な感じが走り抜ける。
── クラヴィスに贈り物ですって!? 付き合い始めたばかりの恋人同士じゃあるまいし、夫婦になって1年も経つ今もまだ贈り物!? 誕生日でもないのに!! わたくしには一度くれただけじゃないの! しかも、誕生日より1日早かったわ!──
 どうやら動揺しているらしいロザリア。自分の夫を『様』付けで呼ぶアンジェリークに突っ込むことも忘れ、回転する思考が妙な方向に転がっていることにも気付いていない。
 そんな補佐官に気付きもしないアンジェリークは、20数年前の少女マンガの主人公のごときキラキラ輝く瞳を見せる。
「だからねー、私、ワンピースくらいならスモルニィで習ったから縫えるんだけど、でもクラヴィス様のはちゃんと仕上げたいのよ」
 その微妙なニュアンスから察するに、スモルニィ時代にはワンピースも仕上げられなかったらしいアンジェリークの頭の中は、すっかり愛する夫のことに占領されてしまっているようだ。頬を赤らめながら、キャッ、などと声を発している姿は、ロザリアならずとも「勝手にすれば?」と言いたくなってしまうだろう。
 ─── そうして双方が己の思考にはまって数分経った頃、2人の乙女(この場合、一方はともかく、夫のいるもう一方を『乙女』と読んでもいいものかという疑惑は残るが、それはひとまず置いておこう)は、漸く互いの存在を思い出したらしい。
「わかったわ。理由は何だか知らないけれど、あんたはクラヴィスにローブをプレゼントしたいから私に作り方を教えろ、と、そういう訳ね」
 浮かれる親友を目にして、半ば諦め顔で口火を切ったのはロザリアだった。
 うんうん、と大きく頷く親友の姿に脱力感を覚えつつ、
「で、いつまでに仕上げたいの?」
 と、訊く。
── これ以上アンジェリークのほえほえノロケ話を聞かされるのは御免だわ。さっさと執務に戻らなきゃ、もうとっくに午後の執務が始まっている時間じゃないの!──
 そんな内心が表面に出たのか、ロザリアの表情が僅かに険しくなっているのを察したアンジェリークは、
「本当は1週間と言いたいところをぐっと堪えて、い…1ヶ月くらい」
 と、彼女としては妥当な日数を言った。
「OK、わかったわ。わたくしが完璧に仕上がるよう指導するから。 ─── いいこと、アンジェリーク。執務後毎日3時間はみっちり指導するわよ。そんな目で見ても駄目よ。1ヶ月でも短過ぎるくらいなんだから。いいわね。はい、決まり! わたくしはもう執務に戻るわよ」
 アンジェリークに答える隙を与えずにそれだけ言い切ると、ロザリアは補佐官執務室へと戻って行った。
 風のようにロザリアが去ってしまった女王執務室に一人残ったアンジェリークは、
「ろざりあじゃなくて他の人にお願いした方が良かったかも……」
 と、ロザリアの名をひらがなで呟いてしまう程度には後悔していた。



* - - * - - * - - * - - * - - * - - *



「う〜ん、何とか形にはなって来たわね」
 女王補佐官の私室で、仮縫いが終わったばかりの大きなローブらしき物を広げて眺めながらロザリアが言う。
「ほんとね〜。こんなに早く仮縫いまで出来たなんて信じられない。ロザリアのお陰ね。ありがとうv」
 多少疲労の色を浮かべながらも、満面の笑みで、語尾にハートマークまで付けながら、アンジェリークはロザリアに心からのお礼を言う。
「全くねぇ。まさかあんたがこんなに熱心で、しかもたった1週間で仮縫いまで漕ぎ着けるなんて思わなかったわ」
 それがあの朴念仁(補佐官的闇守護聖呼称)クラヴィスに贈ったりするものでなければ、本当に手放しで誉めながらスリスリしてあげたいくらいなのだけれど……。
 心の中で一人ごちるロザリア。
 そうなのだ。アンジェリークは不器用ながらも、ロザリアの予想を遥かに越えた頑張りようで1週間で仮縫いまで漕ぎ着けたのだ。
 これが『恋する乙女のバカ力』なのかしら、などと、ロザリアにしては珍しくトンチンカンな喩えを思い浮かべていたら、朴念仁 ─── いや、クラヴィスの顔が雲形の吹き出しよろしく浮かびかけ、慌ててそれを打ち消した。
 すると、
「このまま本縫いに入ってもいいと思うんだけど、念の為この状態でクラヴィス様に当ててみるね」
 と、アンジェリークがまるで追い打ちを掛けるように言う。
 彼女にしては珍しく賢明な判断だと思われることを口にしたのだが、ロザリアはまたしてもクラヴィスの顔入り雲形吹き出し(含み笑いのオプション付き)に潰されそうになった。
「それじゃあ、また来週ね」
 と、ごくごく短い挨拶だけで、アンジェリークは私室を出て行く。
「待ちなさいよ!」
 ロザリアは慌てて朴念仁の巨大雲形吹き出しをぎゅ〜っと潰し返しながら呼んでみたが、既に女王陛下は軽やかにスキップしながら宮殿の廊下の端の方まで行ってしまっていた。
 やっとの思いで朴念仁吹き出しを蹴散らしたロザリアは、
「覚えていらっしゃい、クラヴィス。わたくしの大事な親友を奪った罪は重くてよ」
 と、なぜか妙に似合う仁王立ちスタイルと握り拳に誓うのだった。



* - - * - - * - - * - - * - - * - - *



「あ、クラヴィス様、食事が終わったらちょっと付き合って頂きたいのですけれど……」
 食後のコーヒーを手渡しながら、アンジェリークが言う。
「ああ、午後は特に予定もないし構わぬ。で、今日はどこへ出掛けたいのだ?」
 今日も妻の淹れてくれたコーヒーは格別だ、と思いながら、クラヴィスが言う。
 その際にも、テーブルに置かれた妻の白い手にさりげなく自分の手を添えることは忘れない。
「そうじゃないんです、今日は……。隣のリビングで待ってて下さい。あそこなら日差しが差し込んで明るいから」
 自分の手に夫の手が重なったことなど全く眼中にないアンジェリークが微笑む。
 いともあっさり逃げられてしまった妻の手に少し落胆しながらも、
── また何か思い付いたようだな。今度は何をして驚かそうというのやら…… ──
 クラヴィスは心の中でごちると、お決まりのあの笑顔(口端を、つぃ、とあげて笑う、アレ)を見せ、
「わかった。隣で待っていれば良いのだな」
 と、答えた。
「はいっ。すぐに行きますから、クラヴィス様は先に行ってて下さい」
 アンジェリークが天使の笑顔で言う。
 キューピットの放つ矢に胸を射抜かれたごとく、その笑顔に射抜かれたクラヴィスは、思わず愛しい妻を抱き締めた。………筈だったのだが、その腕は小気味よいほどスカッと空振りした。胸に納まる筈だったアンジェリークは、既に軽い足音と共に部屋を出てしまっていたのだ。(或いは、これは、クラヴィスの知らぬところで放たれている某補佐官の念の成せる技かも知れない。)
 内心かなり落胆しながら、ゆるゆると隣の部屋に移動すると、程なくしてアンジェリークが息を弾ませながら戻って来た。
「クラヴィス様、これ、ちょっと袖を通してみて下さい」
 アンジェリークの腕に余るほどの大きな布がバサリと広げられた。
 それは一目でクラヴィス用の衣装だとわかる物だったが、
「アンジェリーク、それは私のか?」
 意外な代物の出現に、クラヴィスはつい確認の言葉を口にしてしまう。
「そうですよ。決まってるじゃないですか。今使っていらっしゃるのって少し痛んで来てるから新しい物をと思ったんですけど、気に入りませんでしたか?」
 クラヴィスに珍しく動揺の表情が伺えたので、もしや気に入らなかったのでは、とアンジェリークは危惧して言った。
 クラヴィスは妻の気遣いに感動して心の中で歓喜の涙を流していた。さすがは闇の守護聖、表面には殆ど現れてはいなかった。他人が見れば全く変化は感じなかっただろう。だが、さすがに妻には見抜かれてしまったらしい。
「そんなことはない。さすがにアンジェリークは私の好みを良く知ってくれている、と感動していたのだ」
 と、にっこりと(そんな表情が出来たのか、闇の守護聖!)笑って言った。
「良かったー、クラヴィス様が気に入らなかったらどうしようと思っていたんです」
 袖を通すのを手伝いながら、アンジェリークが言う。
「お前が私の為に作ってくれる物を気に入らぬ筈が───」
 ないだろう、と続く筈だったクラヴィスの言葉は、
「あーーーーっっ!!」
 という、アンジェリークの突然の叫びに掻き消されてしまった。
「どうしたのだ、何があった!?」
 思わず振り向こうとしたクラヴィスだったが、
「じっとしてて下さい!」
 強い口調でたしなめる妻の言葉にあっさり停止させられる。
「ごめんなさい、大声出しちゃって。ちょっと手直ししなきゃいけない所見付けちゃって」
 アンジェリークの言葉に、ひとまずホッとするクラヴィス。
「すぐに直しますから、暫くじっとしてて下さいね。大事なクラヴィス様に針刺しちゃうといけないから」
 せっかくアンジェリークに『大事なクラヴィス様』と言われたにも拘わらず、クラヴィスはその後の部分の方が大きく心に響いて体を硬直させた。以前、アンジェリークにやらかされた失敗が頭をよぎったのだ。
 そんなクラヴィスの様子など露知らぬアンジェリーク。
(良かった、縫う前に当ててみて。あのまま縫っていたら、ロザリアに叱られるところだったわ)
 呟きながら、衣装と共に持って来ていた裁縫箱からしつけ糸を切る為の糸切り鋏を探した。
 が、なかなか見つからない。
 仕方なく、一番手近にあった裁ち鋏を代用することにした。
 ジョキリと音を立てて鋏があっさり弱い糸を切り離す。その時手に伝わって来た意外と重い感触をアンジェリークは一瞬訝しんだが、そのまま作業を続けた。
 無事終了したことをクラヴィスに告げ、ローブをその体から取り去る。
 ふと、アンジェリークの目の端に、ローブの素材とは違う黒い物が映った。
 と、同時に、アンジェリークの悲鳴が闇の館に響き渡った ─── 。

 丁度その頃、アンジェリークの好きな木苺のタルトが手に入ったので、それを口実に朴念仁との仲を少し邪魔してやろうかとやって来たロザリアが、闇の館のエントランスに通されたところだった。
 そこへいきなり聞こえた親友の悲鳴。
 ロザリアは手土産に持って来た木苺のタルトを館の使用人にきっちり預け(この辺りはさすがである)、風の守護聖かと見紛うばかりの速さでリビングへ飛んで行き、ドアを開けると同時に叫んでいた。
「どうしたの、アンジェリーク!! クラヴィスに何かされたの!?」



 窓に掛かっている繊細なレースのカーテンをふわりと揺らし、風が吹き抜けて行く。
 時の止まった3人を擦り抜けて………。
 この時吹き抜けた風は、やがて嵐となって聖地を駆け巡った。
 聖地の外に出ていた2人の守護聖を除いて。



* - - * - - * - - * - - * - - * - - *



 再び女王試験が始まって1週間が過ぎた頃、聖殿の回廊をゆっくり歩いていくクラヴィスをまじまじと見ていたオリヴィエが、たまたまそこにいたランディに問い掛けた。
「ねえ、どういう心境の変化だろうね、クラヴィス。あんなに髪をばっさり切っちゃってさぁ」
「知りませんよー。俺の方が知りたいくらいです」
 当の事件など知らないランディの、ごもっともな返答。
 しかし、気になってしょうがないオリヴィエは尚も問う。
「本当に、何で切っちゃったんだろうねぇ」
「だから、知りませんってば!」




 新しい宇宙の女王も決まって暫くした頃、守護聖達の執務服が新調された。
 闇の守護聖殿の衣装は、まるで魔法使いのマントのような印象の襟の高い衣装となり、ますます浮き世離れした。
 なぜだかその美しい御髪は、魔法使いのマントの中に隠されてしまっている。
 そう言えば、最近また、闇の館で騒動があったとか、なかったとか………。


〜Fin〜


↓当時のアイタタコメント
【ヤバイですね〜絵描きの私がどうしたことか、突然[お話書きたい病]にかかってしまい、一気に書き上げてしまった一品です
ですが、ド素人の私が書いた文など[素]のままで発表するなど恐れ多く創作の師匠である、帝王Y女史に指導して頂きました。
ありがとう師匠!!\(T∇T)/この場を借りて御礼申し上げます。
01.06.15 風羽明】

初出は前サイト。
今は師匠の手を借りる事もなく、一人で書いてますがあんまし変わってないね。アハハハ
設定もアイタタだよこれ。女王の座も彼氏も両方という素晴らしい邪道…てか結婚してますが…。
昔のハンドルは姓もありました。今は名の方の「みん」だけ使ってます。
一部記述を削除した部分があります。絵本のタイトルだったんですが、今は『人種差別』と判断されているようで、その絵本も廃刊(?)になっているようです。
師匠の作品はTreasureのコーナーで読めますので、是非読んでみて下さい。
(2007.11.10)

← Fanfiction Menu