VERSUS

 ある意味それは誰よりサイファー自身が最も望んだことだったのかも知れない。
「バカなことはやめなさい、二人共っ!」
 美人が本気で怒ると凄みも加わって実に迫力があるもんだと、つかつかと近寄って来るSeeD服姿を一瞥して、サイファーは肚で唸った。


「行くぜ、スコール!」
 サイファーは視線を正面に戻し、自分と同じようにガンブレードを持って立っている相手に叫んだ。
 彼より下段でぐるりと取り囲むように蟻のようにたかっている観衆が、その一声で水を打ったようにしんと静かになった。
 声をかけられた相手、スコールは無言のまま音も立てずガンブレードを正面に構えた。
 同じようにサイファーも慣れた動きで地面と水平になるようにガンブレードを構える。
 合図もなく自分のタイミングで二人は同時に地を蹴った。





「バラムガーデンに帰れだと!?」
 シドから送られた文書をざっと読み、サイファーは眉間の傷を一層濃くした。
 一体何を考えているのかシドは。どう考えても厄介者でしかない自分を自ら抱え込もうとは、酔狂にも程がある。いくら子供の頃からそこで育ったとは言え、悪しき魔女に与し敵として何度も戦ったバラムガーデンの連中は自分を恨んでいるはずだ。魔女に洗脳されていたという公の理由があるにせよ、今更戻れるか。ましてやバラムガーデンには、その魔女を倒したスコール達がいる。そこに敵側の人間が共生するのは常識を逸している。仮にそれを受け入れたとして、もしそんなことが外部に漏れればバラムガーデンの名を貶めることはあっても、褒められることはないだろう。
 自分が戻っても、ガーデン側には何のメリットもない。
 それならばこのエスタで狂気じみたオダイン博士のモルモットになるのが、狂鬼だった自分にふさわしい末路だ。シドやバラムガーデンを慮る訳ではないが、彼の申し出を受け入れる気などさらさらない。
 シドの申し出を一笑に付して、サイファーは「帰る気はない」と一言だけ返事をしてつっぱねた。


 はずだった――――。


 サイファーは懐かしい古巣の中を、ずっとそうであったかのように大股で歩いていた。隣では常と同じく、風神と雷神が談笑しながら付いてきている。
 変わらない、何も。何も変わらない、不気味なほどに。自分の記憶の中にあるそのまま、ここは存在していた。棘のある視線は以前より増えていたが、そんなのは昔からだった。
 変わったのは自分だとサイファーは思った。
 情にほだされる。
 そんなことが自分に起こり得るなど思ってもいなかった。
「つっ…」
 サイファーは痛みの走った頬を撫でた。
「サイファー、何?」
「どうしたもんよ、サイファー」
「いや、なんでもねぇ」
 気づかないうちに落ちていたらしい歩調を元に戻し、サイファーは歩いた。





 シドはまるでサイファーの返事を見透かしていたかのように次の策に打って出た。
 セルフィが集めたという嘆願書だの、ゼルやキスティスの肉声メッセージだの、アーヴァインの名前もあったような気がするが、なかったような気もする。それらをシドはサイファーに強制的見せ、その後で自分の思いをせつせつと語った。サイファーが敵側に付く事態になったのは少なからず自分にも責任があるのだと。サイファーだと確信はなかったが、イデアの見た夢により石の家にいた子供達のうちの誰かが、アルティミシアの騎士になるだろうという予見はしていた。にも拘わらず、それを防げなかった。その自責の念もあり、自分に出来る限りのことをしたいのだとシドは言った。
 そんな責任なんか感じられるほうが迷惑だ。事の発端となった、懲罰室を抜け出しティンバーへ向かった一連の行動は、全て自分の意志だった。魔女の騎士にも憧れていた。自分の意志で動いた結果がこうなのだ。他人の所為なんかではない。
 たがシドも頑として譲らず、互いの考えは平行線のまま決裂する、そうサイファーが思った時シドが最後の切り札を放った。

「逃げるのか」

 たった一言。

 それがサイファーの心を激しく揺さぶった。
 ちっぽけな良心。自分でも気づかなかったほどの微細な――――。
 だがそれは瞬時にサイファーの心の中で膨れあがった。常に競い合っていた相手の。同じ騎士として。男として。戦いに身を置く者として。真に好敵手と認めた唯一人の――――。
 その相手に「逃げるのか」と問われた。
 自分のしたことのケリもつけず、逃げたままでいるのかと。お前はそんな小さい男なのかと。





 また頬が痛んだ。
「サイファー、ほっぺた赤いもんよ」
「要湿布」
 口の中も切れていたらしく、セットメニューに付いてきたスープの香辛料が沁みて痛みがまたぶり返した。
「これくらい何でもねーよ」
 心配している雷神と風神に平気な顔をしてサイファーは再びスープに口をつけた。
「キスティス容赦ねーもんよ」
「暴力教師」
「黙って食え」
 あまり心配されるのもむず痒い、サイファーはそう思った。だがキスティスに打たれた頬はじんじんと痛み続けていた。





 サイファーがバラムガーデンに帰還して一週間。どこかへ任務か何かで出ていたらしいキスティスがガーデンに帰ってきたその足でサイファーの所へすっ飛んできて、思いっきり頬を引っぱたいたのが一時間ほど前。
 何をするんだとサイファーが怒鳴るより先に、キスティスが怒濤の説教を始めた。最初は散々悪態を衝いて、サイファーをバカだバカだと喚き散らした。その後は逆に担当教師として自分の力が至らなかったと、己の未熟っぷりを延々責めた。涙声になった頃サイファーが止めなければまだ続いていたかも知れなかった。
 サイファーはスープを飲み干すと、思い出すように軽く息を吐いた。
『相変わらず容赦ねー女だ。あれじゃ彼氏も出来てねーだろうな』
 苦笑と共にパンをかじる。顔に出ていたのか、向かいの席の風神が怪訝な顔をした。それを軽く流し、肉の欠片をフォークで突き刺す。
 まだ頬は痛んでいる。
 その後も黙々と食事を続けたが、不思議と気分は悪くなかった。
 ガーデンの人間のほとんどが畏怖とも軽蔑とも取れる眼をして遠巻きに自分を見る。教師も生徒も職員も。その中でああやって本気でサイファーにぶつかってくる相手は数えるほどだ。
 それはけして嫌ではなかった。無視されるよりよっぽどいい。素直な感情をぶつけられる方が、気が楽だ。それを正面から受け止めればいいのだ。殴らせろとぶつかって来る奴には、躰を差し出せばいい。そうされても仕方のないことを自分はしてきた。
 だがそれ以上はどうしたらいいのか、サイファーには分からなかった。ガーデンの人間全てに殴って貰えば、このぴしぴしと躰を突き刺す一触即発のような空気は収まるのか。謝罪の言葉を述べ頭を下げればいいのか。
 それとも皆の前でこの命を――――。





 サイファーが答えを見つけられないまま、時間だけが過ぎた。
「いいのか、放って来て」
「ん? あ、いいんだよ〜 大体過保護過ぎるんだもん」
「そうなのか?」
 通路を歩いている時セルフィに話しかけられた。だがたいして話もしないうちに彼女を捜してやって来たアーヴァインを見つけると、セルフィは「またね〜」とヤツから逃げるようにどこかへ行ってしまった。そのすっかり見慣れた後ろ姿をサイファーは苦笑しつつ見送った。
 ガーデンに帰ってきてから、キスティス並に物怖じせず自分に接してきた貴重な存在。
 SeeDにしては小柄とも思える躰。更に扱う武器が両節棍というのは不釣り合いにも思えた。いや彼女にとっては最適というべきなのか。SeeDなのは伊達じゃなく、その体格さえ自分の特性に変えて戦う様には感心した。
 サイファーはふとセルフィと共に戦闘に出た時のことを思い出す。あれはガーデン帰還後に受けたSeeD試験の時だった。結局SeeDにはなれなかったが、それに対する不満はない。自分をSeeDにするにはメリットよりデメリットの方が遥かに多い。試験を受けたのもSeeDになりたいという訳ではなく、自分の中でケリをつけたかったのだ。その後のSeeD就任パーティでは、試験に合格してもいないのにシドに無理矢理パーティに出席させられ、更にそこでタヌキ芝居よろしくサイファーのガーデンに於ける立場を衆目の前で明言された。サイファーもガーデンの者達もシドに一杯喰わされた形ではあったが、表立ってサイファーの存在に異議を唱える者はいなくなった。
 いきなり勝手に何を言いやがるのかと思ったが、もう反論する気にもなれなかった。シドのしつこさは筋金入りだ。そしてそこに彼なりの愛情を見い出したからだ。同じ魔女の騎士として、そこは敬意を払いたいとサイファーは思った。
 そうやって日々が過ぎていき、ぴりぴりとしていたガーデン内の空気もいつの間にか和らぎ、サイファー自身も最初の思いは忘れかけていた頃、突然それはやって来た。


「いい気なもんだな。魔女の犬だったヤツが」
 突然ぶつけられた言葉。
 サイファーは立ち止まり言葉をしっかりと呑み込んでから、ゆっくり声がした方に躰を向けた。壁にもたれるようにして、制服姿の男子生徒が立っている。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
 冷静に抑えた声が人気のない静かな通路を流れていった。
「お前がバラムを封鎖してそれが解決した直後、俺の母親は死んだ」
 まっすぐ自分を見据えた瞳をサイファーはそのまま受け止めた。
 それは自分の罪に対峙した瞬間でもあった。
「そうか」
 この目の前の青年の母親が死んだ原因が、自分のしたことによるものかどうか全く分からないが、それはサイファーにとってどうでもいいことだった。自分がバラムを封鎖して街の住民に危害を与えたことは不変の事実。
「それだけかよ! 何か他に言うことはないのか!?」
 男子生徒がサイファーの方に一歩前に踏み出し、さっきとは打って変わって感情を顕わにした。
「謝罪をすればお前の気は晴れるのか? そうすればお前の母親は還ってくるのか? もしそうなら、お前の気のすむまで俺は土下座でも何でもしてやるよ」
「その横柄な態度が気に入らないんだよ! 何様のつもりだ!? 魔女に操られた悲劇の主人公気取りかよっ!」
「どうすれば気がすむんだ? 俺を殺すか? それならそれで構わないぜ。ただおとなしく殺されてやるつもりはない。俺を殺したいなら堂々と勝負をして殺せ。お前SeeD候補生だろ?」
 サイファーは心の霧が晴れていく思いがした。
「な、何言ってんだお前」
 予想外だったのか、青年が困惑の表情になる。
「公開処刑のチャンスを与えてやろうってんだ」
 本当はこの機会を待ち望んでいたのかも知れない――――。
 いつものような不敵なそれではなく真剣な顔になっていくサイファーとは逆に、青年の顔は強張っていった。
 だが青年は拳をぎゅっと握るとぐっと胸を張り、はっきりとした声で告げた。
「望むところだ」
 彼がSeeDを目指す者の誇りはしかと持ち得ていたことに、サイファーは歓喜さえ覚えた。
「時間と場所はそっちで決めろ。念のため言っておく、俺の得物はガンブレードだ」
 それだけ言うとサイファーはその場から足早に立ち去った。歩きながら昂揚にも似た感情が湧き上がるのを彼は禁じ得なかった。どこまで戦人なのかと自嘲する。
 いや、自分はこんな生き方しか出来ないのだ。そして心の奥底でこの秋(とき)を待っていた。
 ふとサイファーが仰ぎ見たバラムの空は、恐ろしいまでに蒼一色だった。





 バラムガーデンの外れ。この地には珍しく生き物の気配もなければ、緑も一切ない岩ばかりで構成された場所。そこに少しばかり開けた所があった。サイファーはそこに立ち、何かを思い出すように片方の唇の端を上げた。
 皮肉か、だが死に場所としては最もふさわしいとも言える。かつてここで幾度となく訓練と称して真剣勝負を繰り広げた。人の寄りつかないこの場所は、隠れて危険な訓練を行うにはうってつけの場所だ。
 ただ、今は五月蝿いことこの上なかった。サイファーと件の青年が立っている所から数段下がった場所は広く、そこにどこから聞きつけたのかガーデンの人間が相当数集まっている。ほとんどは生徒だが、中には職員や私服の教師も僅かに混じっていた。
「ルールは?」
 サイファーが間合いを取って向かいに立つ青年に問う。
「G.F.も魔法もアイテムもジャンクションはなし」
「実力勝負ってワケか。いいのかそれで、かなり危険だぞ」
 ジャンクションなしということは、傷を負っても回復の術はないということだ。それは本当に命取りになる危険を孕んでいる。だが青年は顔色一つ変えることなくサイファーをまっすぐに見ていた。
「承知の上だ」
「了解。勝敗の判定は?」
「…………」
 青年はなかなか言おうとしない。サイファーは自分から提案した。
「どちらかがギブアップを告げるまで、もしくは俺が死ぬまで、ってのはどうだ?」
「……………」
 返事の代わりに青年の顔が険しくなり額に汗の玉が浮かぶ。
「それでいいな」
 サイファーが念を押すように言うと青年は静かに頷いた。
「始めるか」
「ああ」
 数歩の間合いで互いに得物を構える体制に入る。その時、「卑怯だ!」と見物人達の中から野次が飛んだ。それまで固唾を呑むかのように静かだった群衆が口々に話し始める。理由は簡単だった。相手の青年の得物もガンブレード。まだSeeD候補生の彼には数々の実戦経験者であるサイファーに対して、不利なのは明白だ。それを皆は口々に言い合っているのだ。
 サイファーにはそれも解っていた。
「ハンデをつけるか?」
「いや」
 一応訊いてはみたが、答えはサイファーの予想通りだった。自分に勝負を挑むからには、自力で勝ちを取りに来るくらいの根性のある相手だ。ハンデなど断るだろう、そう思っていた。
 だが、これでは勝っても負けても後味が悪い。どうするかサイファーが考え倦ねているところに聞き慣れた声がした。
「俺が代わろう」
 いつの間にか見物人達よりも一段高い場所に立っていた姿に、この一体が凍りついたように静かになった。
「いえ、俺が挑んだ勝負です」
 青年は毅然とした声で申し出を断る。
「なら頼む。その勝負、俺と代わってくれないか」
「スコールさん……」
 実質上ガーデントップとも言える人物の願いに、青年は逡巡した。
「サイファー、お前もそうだろ。あの時のここでの決着はまだついていない」
 サイファーの脳裏に額の傷を負った時の光景が蘇る。
「――――ああ、そうだな」
 サイファーは軽く息を吐くと「俺からも頼む。コイツを代理にたててやってくれ」と言うと、青年は黙って了承の意を示し下の段へと降りた。
「これなら文句はないだろう」
 ずっとサイファー達のやり取りを見守っていた群衆に向かってスコールが告げると、困惑したようなそれでいて納得したような表情が広がっていった。
 確かにサイファーの相手としてこれ以上ふさわしい相手はいない。見物人の誰もがそう思ったに違いない。
「その前に一つ皆に言っておく。この勝負、俺が勝ったら、潔くコイツを認めろ」
 抑えられてはいたが、厳然たる声がその場に響いた。
 スコールの言葉を受けて、見物人達の顔に困惑の色が浮かぶ。だがガーデン指揮官であり、魔女を屠(ほふ)った伝説的人物のそれに、不満げな顔をする者はいても、はっきりと言葉にする者は誰一人としていなかった。

「バカなことはやめなさい、二人共っ!」
 誰一人止める者はいないだろうと思えたが、観衆がひしめき合う中それを掻き分けるようにして、まっすぐサイファー達の所へ向かう五つの人影があった。
「サイファー何やってんねんっ!」
 キスティスとセルフィを先頭に雪崩れ込むように段上の二人の所へ駆け上がっていく五人を、無数の目が言葉もなく追う。
「やめてよこんなの、ガーデンにバレたら懲罰室どころじゃないよ!」
「リノア待てよ!」
 今にもスコールに掴みかかりそうなリノアをゼルが引き止める。
「この騒ぎはなんなん!! なんでこんなことになってんねん!」
 セルフィはサイファーの胸ぐらを引っ掴んでいた。
「セフィ、サイファーの話も聞きなよ」
 ぐいぐいサイファーの服を引っ張るセルフィをアーヴァインが引き剥がそうとする。
「リノアの言う通りだわ。こんな私闘は厳重な処罰対象よ!」
 キスティスの女神のような美貌が真剣に怒る様は、それだけで人の口を黙らせる効力があった。
「悪ぃな、こうでもしねーと収まりがつかないんだよ」
 ようやくセルフィの首固めから解放されたサイファーが口を開く。
「そんなの理由になってないわよ。分かるように説明して!」
 キスティスはつかつかとサイファーに詰め寄り、今度は彼女が掴みかかりそうだった。
「理屈じゃないんだキスティス。これは気持ちの問題なんだ」
「スコールもそんなバカな理由でここにいるの!?」
 ゼルに腕を取られたままリノアがスコールに問う。
「ああ、バカな理由だがその通りだ」
 スコールにしては珍しい答えにリノアは心底ワケが分からないという顔をした。
「オレは何となくわかるぜ、男だからな」
 いつもと違う落ち着いたゼルの声。
「そうだね、僕もわかるよ。理屈じゃないんだよ。気持ちのケジメ、ってやつなんだよね」
「アービンまでそんなこと言うん!?」
 背後のアーヴァインをくいっと見上げたセルフィに、彼は少し眉根を寄せて頷いた。
「頼む、キスティス、セルフィも」
 そう言うサイファーの反対でスコールもリノアに同じことを告げていた。
「オレからも頼むもんよ」
「同願」
 キスティス達の知らない間に風神と雷神が近くに立っていた。彼らもまた、真剣な顔で懇願しているように見える。サイファーの最も近くにいて、最も彼を理解しているであろう二人の言葉には、言いしれぬ重みがあった。
「ほんと……バカ」
 毒づきながらもキスティスが承諾すると、サイファーとスコールを残して皆そこから立ち去った。





 硬い鋼がぶつかると火花が散って見えるようだ。空気が鋭い切っ先のように肌を掠める。両雄の剣捌きには些かの躊躇いもない。剣を専攻していない者にも、それが容易に判るほどの気迫が飛び交っている。
 眼前で繰り広げられているのは、真に命のやり取り。ただの野次馬でここに集まった者の心の間を、冷徹で容赦のない現実が浸食していく。
 傭兵学校の生徒であり、日々訓練は行っていても実戦経験のある者は少ない。ましてや目の前で刃を交えている者達は、モンスターでもなければ敵でもない、共にここで学ぶ同胞(はらから)だ。それが何故こんなことをしているのか。刻が経てば経つほどこの場に集まった者達には不可解な疑問となって膨れあがっていった。やがてこれが現実なのか幻想なのか、まるで考えることを拒絶し始めたかのように混沌とした思考に流され判別がつかなくなっていく。
 ただ、このまま続ければ本当にどちらかが死ぬのではないか、鈍った思考でそのことだけがはっきりと頭の中に浮かび上がってくるのを皆が感じ始めた頃、片方が膝をついたのを無数の目が捉えた。
「……くっ」
 ガンブレードを地面に突き刺しそれで躰を支えるようにして俯く姿。彼の足元にはボタボタと血が流れ落ち溜まっている。その白い服の前面は最早真っ赤に染まっていた。
「サイファー!」
 叫び声を烏合の衆が聞いた時には、血まみれの人物に駆け寄った人影が既に何かの術を唱えているところだった。
「キス……ティス、おめーだっ…て、無断で…………魔法使って……ん、じゃ、……かはッ」
「黙って! 出血多量で死ぬわよ!」
 口からしたたかに血を吐くサイファーを黙らせ、キスティスは必死で回復の呪文を唱えていた。
「ひどい……」
 キスティスからほんの僅か遅れてサイファーに駆け寄ったセルフィが、仰向けに横たわった躰に斜めに切り裂かれた傷口を見て絶句する。
「私も手伝う」
 涙で視界が悪く上手く魔法を施せないキスティスの隣にリノアがしゃがむ。
「ゼルがカドワキ先生呼びに行ったから、もうちょっとのガマンだよ」
 サイファーを取り巻く皆に安心させるようにアーヴァインが言う。
「決着はついた」
 血のついたガンブレードを一振りして言ったスコールの声に、硬直したように動かない群衆がやっと人形から人に戻ったようにざわざわとし始めた。だが一向にそこから離れようとはしない。
「サイファーの傷は深いけど、命は大丈夫だから」
 付け加えるように言ったアーヴァインの声に、観衆の間から安堵したような溜息があちこちから溢れる。それとは別にまだ納得いかないという顔が多いのもアーヴァインには見えた。
 その様子に彼は一度深く息を吐いた。サイファーの方へ歩いてくるスコールと入れ替わるようにして、見物人達の方に向かって立ち、注目を促すように手を上げて軽く振る。
「ちょっと聞いてほしいんだけど」
 そう言って、皆が静かになったのを確認してからアーヴァインは口を開いた。
「僕はガルバディアガーデンと戦った時にはこっちにいたからバラムガーデンの人間として戦ったけど、もしガルバディアガーデンにいたままだったら、君たちとは敵同士だった。ほんの小さな出来事が、選択が、人の運命を大きく動かすんだよ。それが時には人の意志なんか無視して働く。僕たちはそういうのたくさん見てきた。アルティミシアに利用されたのはサイファーだったけど、一歩間違えれば自分たちだったかもしれない。もしそれが僕だったらこんな風に正面から自分のしたことを受け止めることなんか出来ないよ」
 アーヴァインは一旦そこで切って、自分の話を聞いてくれている皆を見回した。
「サイファーは一度も自分のしたことを否定しなかったよね。それはみんな知ってるだろ? 憎しみ合っているだけじゃ何も解決しない。これを一つの決着としてさ、もう憎むのは止めようよ。折角あの戦いをみんな生き残ったんだから」
 静かだった。
 アーヴァインが語り終えてしばらく経ってから、ぱらぱらと拍手の音が聞こえたが、彼は柄じゃないと言うようにその場からさっさと立ち去った後だった。
 観衆からは死角になる奥にしゃがみこんだアーヴァインの横にセルフィがやってきて、『カッコよかったよ……ってサイファーが言ってる』と照れくさそうに告げた時、「通しとくれ!」とカドワキ先生の大きくよく通る声が聞こえてきた。





 数日後、騒ぎに荷担した者はSeeDであろうが、教師であろうが、ガーデン指揮官であろうが、皆平等に厳しい処罰を受けるはめになった。
 その本来の騒ぎの元凶だった青年が、医務室のベッドにまだ括り付けられているサイファーのところにやってきたのは更に数日後だった。彼は真っ先にサイファーに謝罪の言葉を述べ、母親の死とバラム封鎖の因果関係は定かではなく、サイファーに突っかかったのは私怨以外の何ものでもなかったと告白した。そして「言いがかりのような怒りをぶつけてすまなかった」と深々と頭を下げた。
 対してサイファーはああいう機会を望んでいたことを正直に話し、それを利用したこと詫びた。
 それを聞いた青年が安堵の色を窺わせたと同時、サイファーもほっとした。可笑しいくらいに固執していたわだかまりが解け、自分の存在意義を見出せたような気がした。そして青年は間違いなく優れたSeeDになるだろうと、姿勢を正して去っていく背中に思った。
 青年と入れ替わるようにして、今度は担当教師殿がやってきた。その華容に説教をくらう自分を想像して溜息をつき、そしてある意味心を躍らせる。
「キスティス、お前あん時G.F.も魔法もジャンクションしてただろ。よくそれで俺をバカ呼ばわりできたよな、自分も堂々と規則破ってんじゃねーか」
「うるさいわね。瀕死の重傷を負った生徒を放っておけるほど、私は冷酷じゃないわ。そのお陰でアナタは助かったんじゃないの!」
 痛いところを突かれたように顔を逸らしたキスティスの髪が揺れる。そこにカーテンのすき間から差し込んだ光が照らし美しい輝きを放った。眩しくて直視できないのを隠すように、サイファーは茶化した科白を吐く。
「そんなに俺のこと心配だったのか。そう言えば、めちゃくちゃ泣いてたなあ、お前」
 ベッドに寝たままサイファーは脇に座っているキスティスに手を伸ばした。
「泣いてなんかないわよ。ウソばっかり言うと傷口叩くわよ」
「てっっ、ひでぇ女だな」
 包帯の巻かれたサイファーの胸をキスティスは軽く指先ではじいた。
「あのな〜、こういう時は果物のひとつも食べさせてくれるもんだろ。だから男ができねーんだぞ、お前は」
「それ以上言ったら、リンゴを口に突っ込むわよ。それに自分の補佐を打診してくれと言ったスコールに、こんなダメ人間にはとても補佐なんか務まらないって進言するわよ」
「…………もう言いません。ごめんなさい」
 互いに口の減らない言い合いに先に折れたのはサイファーの方だった。
 他人の存在など忘れたかのように、カーテンで囲まれた奥のベッドで交わされる会話を、半ば呆れつつ、半ば微笑ましく聞きながらカドワキは「検温はもう少し後にするかね」と椅子に座り直した。


サイファー VS スコール、サイファー VS サイファー、そしてどうにもサイファー VS キスティス……。いやいや、そんなことはない。サイファーの前でのキスティスの可愛さは反則!!モ・エ・ル!
それとサイファーとスコールは、互いを誰より理解しているように思います。
(2010.01.06)

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