導きの薄花桜

「それじゃ、15分程で戻る」
「ああ、分かった。お抱え運転手は、ここで大人しく待っててやるよ」
 横柄な返事を当然のように受け止めると、スコールは今通ってきたばかりの道を戻っていった。

 そんなはっきり時間を言って、大きく越えたらどう釈明するつもりなのか。そうは思ったが、あの男が言うと必ず戻ってくる気がするから不思議だ。
 サイファーは見知らぬ土地の道を躊躇いもなく歩いていく背中から視線を外すと、車を置き去りにして脇の土手を降りた。降りたところに立っている大きな桜の樹まで歩くと、根元にどかっと座り込む。


 なにもない田舎の町はずれ。現役を引退しここで隠居生活を送るクライアントのところへ赴くことになった、ガーデン代表の委員長殿の鞄持ち兼お抱え運転手としてやってきた。そこで珍しく、本当に珍しく、あの生真面目さでは右に出るものはいないであろう委員長殿が、小さなミスをした。訪問先に忘れ物をしたというのだ。
 そこへ彼は徒歩で向かっている。
 というのも、この田舎町というよりのどかな田園地帯の道は細く入り組んでいて、運転には定評と自信のあるサイファーさえも手こずった。それを察した委員長殿が「歩く方が早い」と、自ら車での送迎を断ったという訳だった。


「昼寝でもするか」
 一服して待つかとも思ったが、サイファーはここの景色があまりにものどか過ぎて、そういう気分にもなれなかった。そんなことより暫しこの刻を楽しめと、やんわり圧力をかけられているような。普段の自分なら、他からの余計な押しつけなど鼻にも引っかけないが、このバカみたいにのどかな風景は、そういった荒い感情をことごとく中和させてしまうようだ。

 サイファーは周りの景色を一通り見回した後、田舎の春は賑やかなもんだと思った。芽吹いたばかりの初々しい緑、足元に咲く名もなき小さな花々、あげくの果てに可愛らしい鳥のさえずりに、ささやかな水のせせらぎまで聞こえてくる。もたれている大きな桜の樹は、白い花を今を盛りと咲かせ、張り出した枝からは下を流れている小川に、花びらがはらはらと舞い落ち、ゆっくりと流れていた。

 これほど自分に似つかわしくない場所はないのではないだろうか。こんなところでぼやりしている姿をセルフィなんかが見たら、大爆笑されそうだと思った。だが、別段嫌いという訳ではない。ただ自然だけが横たわるこの静けさには、確かな生命力を感じる。矢のように流れる自分の日常では、滅多に感じることの出来ないものだ。そして妙に心地いい。一ヶ月ほどここで過ごせば、自分もこの風景にすっかり馴染んでしまうのでないかと思えるくらいに。

 サイファーは昼寝をしようと思ったことも忘れ、横を流れる小さな川に目をやった。
 散った桜の花びらがゆっくりと流れていく。まるでここの時の流れを表わすかのように、本当にゆっくりと。その流れる花びらの一つを目で追う。花びらは水面(みなも)をすべるように流れながら、時に他の花びらと寄り添うように、時に離れてまたひとりで流れていく。その様は人生のようだと思った。

 まるで自分のような――――。

 ひょっとすると人生などというものは、大きな流れの中を漂う小さな笹舟のようなものかも知れない。自分ではどうしようもない不自由さ、それにあがきながら必死で自分に合う流れを探そうとする。時に大きなうねりに飲み込まれ、翻弄され……。


 不意に痛みを伴う思い出が蘇った。
 望んだのは自分だったのか、相手だったのか。今となってはそれさえも分からない。
 あれほど、強い感情に突き動かされていたのが、今では朧気な記憶へと変化しつつある。時が経つ毎に忘れていく。お偉い医者(せんせい)はそれでいいのだと言う。不幸な出来事は早く忘れろと。お前もまた悪しき魔女の被害者なのだと言う。

 本当にそうなのか!?

 自分の答えは“否”だ。

 自分では抗うことの出来ない力に支配されていたのは事実だ。だが、そこに自らの意志が皆無だった訳ではない。研究者どもはこぞって否定したが。自分は知っている。
 あの戦いの日々の中で感じた恍惚感と高揚感。あれは紛れもなく自分のものだった。心は忘れようとも、この手はそれを鮮明に覚えている。魔女の騎士という名を冠した傀儡であったとしても、自分がやったこともまた消えない事実だ。

 それから目を逸らすような矜恃は自分にはない。

 これからも生きていくのなら、絶対に忘れてはならないことだ。
 自分が生きていくことが、覚えていることが、あの哀しい女が生きた証し。自分だけは忘れてはならない。世界の全てが彼女を憎もうとも、傍に仕えた自分だけは、金の瞳の奥深く隠された哀しみを知った自分だけは。
 それが、女一人救えなかった、愚なる男に出来るたった一つのことだ。
 彼女にもっと早く出会えていたならあんな風にはしなかった。心の奥で愛を求め、人を求めることを押し込め、人への憎悪のみを生きる糧とした、哀しい女には――――。



「――――そこは穏やかか?」
 サイファーの薄い翠の瞳は、何もない虚空を見つめていた。



 強い風が吹いた。
 地面から巻き上げるように吹いた風は、渦巻くように花びらも舞い上げる。
 サイファーは咄嗟に手をかざして、風が過ぎるのを待った。風が止んだ後目を開けると、少し離れたところに線の細い女が立っていた。
 薄い色の長い髪。背景の色に溶けそうな色のワンピースが、女をより儚げに見せている。知らない女かと思ったが、凛とした横顔にはどこか見覚えがあるような気もした。今にも景色に溶け込んでしまいそうな女を、目を凝らして見る。女がゆっくりとこちらへ向いた。丁度その時、太陽の光を受けた瞳が美しい琥珀色に輝いた。

「アルティ…ミシア………なの…か…?」
 聞こえているのか、いないのか、サイファーの問いかけに、女は何も答えなかった。ただ穏やかな面差しのまま彼を見つめ返す。

 見たことのない美しい顔をした女は、けれど、アルティミシアだとサイファーは思った。
 魔女でなければ、或いは真実の騎士さえいれば、きっと今のような穏やかな顔をして一生を終えることが出来たのであろう。この桜のように美しく咲き誇り、愛する者の傍らで笑うことさえあっただろう。

 本当は花のような女だったのだ。


「今は安らぎの中にいられるのか?」
 やはり女は唇を動かすことはなかったが、微かにその端が持ち上がり、美笑が浮かび上がった。


「……そうか、良かったな」
 たとえこれが幻想でも、勝手な自己満足でも、それでいい、とサイファーは思った。



 強い風が吹いた。
 再びサイファーが目を開けた時、女の姿はなかった。


 近くで鳥のさえずる声がする。景色はさっきと何も変わらない。静かにはらはらと花びらが舞い落ち、水面をたゆたいながら流れていく。
 あまりにも普段とかけ離れた風景に、幻覚でも見たのかと軽く自嘲した時、開いた手から何かがはらりと落ちた。足元を見れば、白い桜の花が一輪落ちていた。手の中にあったにも関わらず、一枚も花びらを落とすことなく、可憐な形をそのまま残した――。
 サイファーはもう一度それを手の平に載せ、じっと見つめた。


「遠い未来。今度生まれてくる時は、この花のような真っ白な女で生まれてこい。その時は、心が壊れる前に、俺が騎士になってやる。必ず守ってやる」


 サイファーは手の中の一輪にそう囁くと、スッと水面に落とした。花は小さな環を作り、踊るようにくるりと回ってから、ゆっくりと流れていった。
「さて、車に戻るとするか」
 立ち上がり、土手の上を見ればスコールが歩いてくる姿が見えた。




「なんだその荷物。それが“忘れ物”なのか?」
「いや、土産だと言って押しつけられた。クライアントの細君手作りの桜の菓子だそうだ」
 スコールは、菓子にしては大きな包みを持っていた。ピンク色の可愛らしい包装紙に包まれたそれを持つ姿が、SeeD服には不釣り合いなことこの上ない。いや、この男に限っては似合うとも言えるか。だが、恐らくこの男は辞退しようとしただろうが、意外と押しに弱いその性格から渋々受け取ったのだろう。その様子が実にリアルに頭に浮かび、サイファーは苦笑した。

「さ、帰るか。セルフィ達への土産も出来たしな」
「ああ そうだな」
 緩やかだった時の流れが、再び元の速度で流れ始めた。

お題「color」より 『導きの薄花桜』 配布元 : Noir  色参考サイト : WEB色見本
【薄花桜 色コード : 5a79ba】背景色に使用  文字色 : 花浅葱  テーブル背景色 : 白

このタイトルは以前から、『桜の花びらの流れる様を見ながら物思うサイファー』というイメージがあったのですが、そこで彼が何を思っているのかが、ずっと分かりませんでした。先日アルティミシアの話を書いて、それが何だったのかやっと分かり、こうして形になりました。
私は、サイファーもスコールに負けず劣らず、優れた魔女の騎士の資質を持っていると思います。ただ、二人の出会うタイミングが不幸なだけだったのだと思います。
もしアルティミシアが生まれ変わることが出来たなら、今度こそ幸せな人生を歩めることを願ってやみません。
(2009.03.06)

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