おやすみが言いたくて

 銀色の無機質なドア。
 少し前までいた、粗末だけれど温かさを感じるそれとは対極の……。
 僕は、フットライトだけが小さく灯る部屋の中へと足音を忍ばせて入った、静かに眠っているであろう人を労るように。
 けれど、その人は元来の繊細さからか、それともまた眠れずにいたのか、どちらとも判らなかったけれど、いつものように僕の姿を見ると優しく笑ってくれた。
「どうしたの? 眠れないの?」
 それは僕の科白なのに、貴女は先に言ってしまう。いつも、いつも、貴女を守る存在でありたいと思うのに、逆に貴女に気遣わせてばかり。
「おやすみを言い忘れていたから」
 自分の情けなさを笑顔に換えて言うと、貴女はふわりと微笑む。
 子供の頃から大好きな笑顔。
 綺麗で優しくてたおやかで、朝露に濡れて一際輝く白い薔薇のような女性(ひと)。ずっとずっと憧れていた斜向かいに住む、少し年上のお姉さん。その絹の花びらのような頬を、ひっそりと涙が伝うようになったのは何時のことだったか――――。貴女の涙を拭いたくて、少しでも心を癒したくて、傍にいたいと言った我儘な僕を受け入れてくれた優しい人。本当はあの時、誰にも渡したくなくってそう言っただけなのに、貴女は何度も「ありがとう」と言ってくれた。
 なのに……僕は……。
 未だに、貴女の涙を止める事が出来ないでいる。



「イデア、辛かったらちゃんと言って、僕には本当の事を言って」
 そう言うと貴女は少し驚いたような安心したような顔をする。
「大丈夫よ、シド。みんなの為になるのだもの、こんな私でも誰かの役に立てるんだもの。こんな嬉しい事はないわ」
 またそんな風に言う、貴女は本当に――――。
 辛くない筈がないのに。あの博士は、人の痛みより自分の研究が何より大事な人物。周りの人達もそうは変わらない。相手は魔女、そこに人に対するのと同等の思い遣りなど期待出来ない。いくら貴女がアデルとは違うと言っても、優しい人だと僕が言葉を砕いても、貴女を貴重な実験動物としか思っていない。貴女の心の内を知りもしないで。
「それより“ガーデン”は?」
「ああ 順調だよ。スコールもサイファーも元気だよ、他の子達も皆元気だそうだ」
「そう、良かった」
 僕の言葉に安堵したのだろう、貴女はふぅと息を吐いて、起こしかけていた身体を再びベッドに沈めた。
「もうすぐ完成よ、シド」
 何が? とは聞き返せなかった。その意味を僕は良く知っていたから。
 イデアが辛い思いをしてまで、研究材料となっている事。オダイン博士が発見したガーディアンフォースというエネルギー体を使用すれば、擬似であり魔女のそれよりも威力は劣るが唯人にも“魔法”が使える事。魔法が使用出来れば“子供達”の戦いは有利になる。
 おかしな話だ。
 自分を倒すであろう者達が有利になるよう、こうして我が身を削っている。貴女はそれを望んでいる。そう為りうるかどうかも分からない未来の為に。
 自分の命よりも、自分が慈しんだ大切な子供達の為に――――。
「ねぇ、シド。G.F.を使うと記憶障害が起こるんですって。それって願ってもない事よね? 私の事を忘れた方がいいわ、その方があの子達は心を痛めなくてすむもの、そうよね、シド?」
 静かに消え入りそうな声。
 その答えを僕に言えというのか!? 貴女は残酷な人だ、そして限りなく優しい。そんな貴女を僕は誰より愛している。
「イデア……」
「……」
 僕を見上げる瞳が微かに潤んでいるように見えて、僕はベッドに腰掛けた。
「僕は、別の未来もあると思うよ。君も、“子供達”も助かる方法が、あると信じてるよ」
「でも、未来の魔女が見せる夢は……」
 僕は貴女の言葉を指で遮る。
「今までの事が当たっていたからと言って、全てが当たるわけじゃない。未来の事なんか誰にも決められない。今が少しずつ変われば未来はきっと大きく変わる。だからね――――だから、信じよう、僕らを、子供達を」
 君は死なない、僕が死なせない。僕は、“魔女の騎士”だから。
「……シド、ありがとう。あなたが居なかったら私……」
 抱き寄せた肩は、暫く会えないでいたうちに随分と細くなっていた。

 綺麗で優しくてたおやかで、僕の憧れそのものの貴女。
 その涙が止まるまで、僕はずっと傍にいる。貴女が眠りにつくまで、傍に――――。

 だから、今はおやすみなさい。


バラムガーデンが出来て間もない頃。  この二人には親の愛、恋人の愛を感じます。
ゲーム中「ある日の授業風景」で出てきた、重要な三人の魔女の“みなさんが良く知ってる魔女”は、イデアとの解釈の元での話です。
(2008.06.11)

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